命蓮寺の本堂に、柔らかく暖かい朝の日差しが差し込む。静謐に包まれた寺の本堂からは、一キロも離れた場所で燃え盛る魔法の森の様子など伺えはしない。今も何処で誰が殺し合っているかも知れないというのに、この命蓮寺だけは、それを感じさせない程に穏やかな時が流れていた。
そう、穏やかすぎるのだ。
射命丸文も火焔猫燐も、ふたりとも揃いも揃ってまるで緊張感のない微笑み顔で話し合っている。つい数分前には額に銃を突き付けていた者と、突き付けられていた者――命のやりとりをしていた者同士が、だ。それが
ホル・ホースにはどうにも不気味に感じられた。
簡素な情報交換の結果分かったのは、両者ともに殺し合いには乗っていないということと、二人は同じ幻想郷の住人ということ。この場所へ来て再会を果たした二人は、共に行動する事になるも、些細な方針の違いから口論になってしまった、というのだ。
「――ま、なんとなく事情はわかったぜ」
釈然としないながらも、と心中で付け足しながら。ホル・ホースは、今も穏やかな面持ちで隣り合って座る二人を眇めた。
「けどよ、その口論の理由ってのは一体なんなんだ? せっかく再会出来た仲間同士なのに拳銃沙汰になるってのはよォ……おれには、よほど退っ引きならない事情があったとしか思えねーぜ」
「あややや……それがですね、少々ややこしい話になるんですが」
「…………」
文が話し出した途端、お燐の表情に、にわかに陰りが差したのをホル・ホースは見逃さなかった。
「話は少し前に遡るんですけどね。お燐さんと出会う直前、私は
ジョニィ・ジョースターという『スタンド使い』と行動を共にしていたんです。勿論、殺し合いには乗っていません」
「ジョニィ・ジョースター……ジョースター、ねえ」
「……あや? それがどうかしましたか?」
「いや、大したことじゃあねーんだが、おれの知り合いに
ジョセフ・ジョースターってのが居るもんでね、少し気になっちまったのよ」
「ああ……あなたもですか。なるほど」
「あん?」
呟くようなその一言に耳ざとく反応を示すが、文はどうでもいいことのように「お気になさらず」と一言、軽く首を振るだけだった。
「一応補足しておきますと、そのジョセフさんとジョニィさんとは無関係かと思いますよ。ジョニィさん本人に確認したところ、この場の他のジョースター姓の人間に知人は居ないとのことですから」
「そうかい……いや、話の腰を折って悪かったな。続けてくれ」
百年も前にDIOに身体を奪われて死んだ筈の
ジョナサン・ジョースターの名前が名簿に記されている事もホル・ホースは気になっていたものの、今はそれを考えても詮無いことだ。ジョニィ本人がジョナサンもジョセフも知らないというのだから、話はそれまでだろう。
素朴な好奇心を振り払って、ホル・ホースは文の観察に意識を戻す。彼女の言葉の裏に嘘が潜んで居ないかどうかをしっかりと見極めなければならない。
「
チルノさんと合流した私とジョニィさんは、危険人物に襲われているという
古明地こいしさんを救出するために、チルノさんの誘導で魔法の森へ向かいました。……けれど、それは、チルノさんとこいしさんの罠だったんです」
「罠?」
「ええ……殺し合いに乗ったチルノさんとこいしさんは、最初から私達を嵌めるつもりだったんです。ジョニィさんはこいしさんを救いたいという思いを利用され……最期はチルノさんと相打ちという形で……」
「……そうか」
ホル・ホースの口をついて出るのは、その一言だけだった。
文の沈鬱な表情からも、ジョニィの最期は凡そ想像がつく。いかにも『ジョースターらしい』愚かな最期と言ってしまえばそれまでだが、文の表情を見ていると、それを口にする気にもなれない。何よりも、妖怪とはいえ『女』のために困難な道を進もうとしている自分がそれを口にするのは余りにも滑稽だった。
一方で、冷静に推察して、少なくとも文がジョニィの死を悼んでいるのはまず間違いないだろう。数々の女の涙を見てきたホル・ホースには、それくらいの嘘は見抜ける。彼女の瞳は、ジョニィを喪って哀しんでいる『フリ』をした女のそれではない。
……だがそうなると、余計に疑問が残る。誰かの死に対してこうして心を動かす事の出来る彼女が、一体何故どうしてあんな冷徹な顔で拳銃など突き付ける事が出来るのだろうか。
わからない事柄に眉根を寄せて黙考するホル・ホースの意識を釘付けにしたのは、静寂を引き裂くように声を荒げたお燐だった。
「――違うよッ! それは誤解なんだ……! こいし様は、そんな事出来る人じゃないんだ……今はただ、DIOって人にいいように操られてるだけで……みんなが思ってる以上に、あの人は『普通の女の子』なんだよぉ……」
「だからって何ですか。私はあの二人の『卑劣な罠』に嵌められた上に、仲間を……ジョニィさんを殺されたんですよ。その私が、何だってチルノさんを見捨てて逃げ出したこいしさんを助けに行かなくっちゃあならないんですか」
そのやりとりが、ホル・ホースと合流する前の口論の続きであろう事を察した時点で、ホル・ホースは会話から身を引いた。まずは様子見だ。
「それでも、そこを曲げてお願いしてるんだってば。だってお姉さん、幻想郷でも『最強クラス』の妖怪でしょ? その気になれば、こいし様を助けるくらい、やってやれない訳じゃない筈だよッ。あたい一人じゃ力不足なんだ、お願いだよぉ……!」
「……ッ」
お燐が文に縋りつこうとしたところで、文は大きく身を引いてそれを躱した。
ここでもしも身を引かずに組み付かれていたら、それはまさしくホル・ホースが物陰から見ていた揉め事の再現であったのだが。文は十数分前のそれと比べれば幾分冷静さを取り戻している様子だった。
「その気にならないから断ってるんです。お燐さんと行動を共にすることは歓迎しますが、こいしさんを助けに行きたいというのなら、私は『考え直せ』としか言えません。下手を打てばお燐さんだってこいしさんに殺されかねないってこと、わかってるんですか? というか、わかってくださいよ」
「うっ……こいし様はそんなことッ――」
「しないって言い切れないでしょう。貴女の言うところの『人を殺したりなんて出来る訳もない心優しいご主人様』に私は嵌められて、その為にジョニィさんは命を落とす事になったんですから」
「それもわかってる! でも、それでもだよッ……この通り!」
お燐が頭を下げる。
文は何も言わない。呆れた様子で嘆息してはいるが、しかしその瞳には、僅かな逡巡の色が見えはじめていた。
「こいし様は、本当は優しい人なんだ……あたいの説得なら、きっと正気を取り戻してくれるから……っ」
「はぁ。家族の絆、ってやつですか……? なら聞きますけど、そこまで言うからには、失敗した時の覚悟は出来てるんでしょうね?」
「そ、その時は……何でも、受け入れるよ。ただ、やれる事をやらずに諦めるのは、嫌なんだ」
「……いいでしょう、お燐さんの覚悟は分かりました」
小さく首肯した文は、ホル・ホースに向き直った。
「ホル・ホースさんはどう思いますか?」
「えっ?」
突然話題を振られたホル・ホースの額を一滴の汗が流れ落ちる。
ここまでの二人のやりとりを見て、状況は理解出来た。要するに、古明地こいしを助けるかどうか、それが口論の発端。仲間を殺された文が口論の末にヒートアップして拳銃を取り出してしまったというなら、それはそれで無理もない話のように思える。
往々にして、『男』を殺された『女』の激情というのは計り知れないものだ。自分のために『命』すら投げ出してくれる女が世界中に居るホル・ホースには、それが理解出来る。もしもこのホル・ホースが殺されたなら、きっと彼女らの中にはホル・ホースのかたきを討とうとする者だって居る筈だ。それと同じで、文にとってジョニィは『特別な人間』だったのだろう。そう考えるならば、あの拳銃沙汰の背景がようやく見えてくる。
「――あー……そりゃあ、おれとしちゃあよォ……」
言いよどむ。
ホル・ホースとしては、ただでさえ『響子の願い』を受けて行動している最中なのだ。これ以上、厄介事を重ねて抱え込むことは御免被りたい。それが本音だ。
だけれども、古明地こいしは『女』で、それを救いたいと願う火焔猫燐もまた『女』だ。ホル・ホースは女に嘘は吐くが、同時に『世界一女にやさしい男』を自称している。それは『女』という生き物を『尊敬』しているからだ。お燐の願いを無視して、彼女らを見捨てるというのが最も簡単な結論だが、それはどうにもホル・ホースの心に『よくないもの』を残す気がしてならない。
そう、思うものの。
(け、けどよォォ~~~……猫耳ちゃんにはカワイソーな話だが、こればっかりは相手が悪いぜ~~~!)
何しろ、こいしを救うとなると、それは即ち『あのDIOを敵に回す』という事に繋がるのだ。一度はDIOの暗殺を決めたホル・ホースだが、それはDIOが隙を見せてくれたからだ。自分の性質が暗殺に向いている事を理解しているホル・ホースにとって、DIOに真っ向から歯向かう事が愚かだということくらいは容易に判断出来る。
大体にして、DIOに魅入られた女を救うことなど出来るのだろうか。それがそもそもの疑問だ。
これまでホル・ホースは、狂信的なまでの熱で以てDIOに尽くし、そして捨てられて終わる女を腐るほど見てきた。ああいった女どもの考えはホル・ホースには理解できないが、もしも古明地こいしもそういう精神状態にあるとするならば――『こいしの目を覚まさせる』という事は、何らかの理由があって殺し合いに乗った
寅丸星を正気に戻すことよりも困難なことであるように思われた。
(つーかよォ……言い分自体は天狗のねーちゃんの方が正しいんだよなァ~……)
一方で、感情論を振り翳すお燐に対して、文の理論はあくまで合理的だ。これまでの人生をあくまで合理的な考え方で生き伸びてきたホル・ホースにとっては、文の言い分の方が共感出来る点が多い。
それに何より、人には誰だって、もう二度と出会いたくない人間というのは居るものだ。自分の場合で言うなら、あのターミネーターみたいなフザけた軍人がそうだ。奴とはもう二度と会いたくない。
あまつさえ文は『男』を殺された身だ。文の視点で考えれば、ジョニィの死のきっかけになった下手人の片割れを助けたいだなんて、願い下げだろう。気持ちは分かる。
つい数分前までは射命丸文とは行動を共にしたくないと思っていたものの、今ではその評価も覆っている。どちらと組むかと問われれば、ホル・ホースが選ぶのは、合理的な判断が出来て、尚且つお燐をして『最強クラス』と言わしめるだけの実力を持った文の方だ。
だが、そういう判断だけでお燐の願いを切り捨ててこいしを見捨てるのはあまりにも寝目覚めが悪い。何よりも、この二人と関わろうと決めた時、もう後悔はしないと心に誓った筈ではないか。
「……なあ、答えを出す前に、ちと確認させて貰ってもいいかい、文?」
「はて? なんでしょうか」
「さっきお燐も言ってたがよ……お前さん、幻想郷じゃ『最強クラス』の妖怪なんだって?」
「……え、ええ。まあ……上には上が居ますし、最強と言ってしまうのは、多少大袈裟ではありますが」
何処か居心地悪そうに文は頷いた。
自分が力を持った参加者だということをあまり知られたくなかった、といったところだろう。
「実際、その気になればこいしの嬢ちゃんを助ける事は出来んのか?」
「天狗のお姉さんなら、相手が『鬼』でも無い限りはそうそう負けはしないと思うよ。こいし様がどんなに強くなってたって、動けなくするくらいは出来る筈なんだ。そしたら、あとはあたいが何とかして説得するから、だから……!」
「ちょっとちょっと、私が天狗だからって過剰な期待をかけるのはやめてくださいよ。私だって今は『葉扇子』もないし……ここじゃどういう訳か飛行速度や力だって大きく制限されてるんです。天狗だから何でも出来ると思ってるなら、それは『買い被り過ぎ』ってものですよ」
なるほどと首肯する。
それほどの力を持っていながらチルノとこいしの罠にハメられたのは、能力に制限がかけられていたから、というのも多分にあるのだろう。
暫しの黙考を経て、ホル・ホースが口を開いた。
「おれとしちゃあ、ただでさえ面倒事を抱えてるってのに、わざわざ自分から危険人物に関わりに行くってのは御免だ……それが本音だぜ」
「そ、そんなっ――」
「まあまあ、落ち着けって。話は最後まで聞いてくれや」
片手を軽く振って、あくまでホル・ホースは飄々と続けた。
「そうよ、確かに本音は今行った通り……けどよ、おれはもうあんたらと関わっちまった。関わっちまったなら、同じ『後悔』を繰り返すことだけはしたくねぇ」
「……というと?」
「おれは既に、ここで女を一人見捨てちまってる。この命蓮寺に住んでた、
幽谷響子ってヤマビコの妖怪だ……知ってるか?」
「え、ええ……親しくはありませんが、一応」「あたいも、命蓮寺の前で見掛けたことならあるよ」と、両者揃ってこくりと頷いた。
「だったら話は早い。あのお人好しの馬鹿女はな……最後の瞬間、おれを逃がすために一人で犠牲になりやがったんだ」
響子の最期を思い出す。自分自身の無力を、思い出す。
そうすれば、自然とホル・ホースの握り込んだ拳に力が入った。
女を尊敬している筈の自分が、命欲しさに女を見捨てて逃げる羽目になるなど、こんなに悔しい思いはない。
ジョースター一行に追い詰められた時、一度女を置いて離脱した事はあるが、女が殺される事はないと分かりきっていたあの時とは状況が違う。今回のそれは、確かな『死』が目前に迫っていた中で、殺されると分かりきっていた女を見殺しにして逃げたのだ。
(いいや違うな……言い訳はやめろよ、みっともねぇ! おれが何よりも許せねえのは、そうじゃねぇだろッ――)
あの時、もしも響子が自ら囮になると言い出さなかったら。
死ぬよりはマシだと、そう考えて、響子を見捨てて一人逃げ出していたに違いない。あの時確かに、ホル・ホースはそういう情けない事を考えていた。
響子がそれで『何も言わずに死んでくれたなら』まだ良かった。心の中に蟠る感情も、今の比ではないくらいに楽だったに違いない。
だが、みじめなことに、あの女はホル・ホースが見捨てるまでもなく、自らその命を差し出した。自分が一方的に使い捨てたのではない。尊敬している筈の女に、自分を愛してすらいない女に、この上なく情けない考え方をしていた自分は、命を救われてしまったのだ。
それが、どうにも、悔しかった。
(しかもあの女ッ……最期におれになんて言いやがった?)
――おじさんはやっぱり優しいね……でもお願い……もう私にできることはこれしかないの……ごめんね。
(……『優しいね』、だとォ……? 女を尊敬してるだなんて言っておきながら……あの瞬間! 確かにテメェ自身のことしか考えてなかったこのおれを、あの女は『優しい』と言いやがったッ!)
それが、自分のみじめさ、みっともなさを、余計に協調しているように思えてならなかった。
ああそうだ。考えれば考えるほどに、ホル・ホースの決意は固くなる。やはりどうあっても、ここでお燐とこいしを見捨てる訳にはいかない。
あの瞬間傷付けられたプライドを、ホル・ホースは取り戻さなければならない。それが見失ってはならないホル・ホースの心の『指針』だ。
「おれはよ……正直なところ……殺し合いなんざどうだっていいんだ。故あれば人を殺すことだって躊躇いはねぇ……所詮おれは、自分が生き残る事が第一のケチな暗殺者よ」
「ホル・ホースさん……」
「けどよ……どうあっても、これだけは、譲れねぇ。女を見捨てるような真似だけは、もう二度と出来ねぇのよ。あの時失ったものを取り戻さなくっちゃあ、おれは前にも進めねぇ……ッ!」
――だから。
「おれは『理屈』よりも、おれ自身の心の『地図』に従うぜ。こいしの嬢ちゃんを助けに行くっていうのなら、このホル・ホースも助太刀しようじゃねぇか」
例えそれが愚かな行為だとしても。
男には、やらねばならない時がある。今この場でやるべきことが、これだ。
ホル・ホースの決然とした言葉を受けて、暗澹としていたお燐の表情もぱあっと明るく輝いた。
「ありがとう、お兄さん……ありがとう!」
「あややや……もう、この空気では私が何を言っても無駄そうですねぇ。私だけ反対し続けるのも無粋に思えます」
「ってことは、お姉さんも……!?」
呆れた様子で深く息を吐きながらも、文もまた頷いた。
「はいはい、分かりましたよ。やれるだけのことはやってみます。それでいいんでしょう?」
「うん、うん……! ありがとうね、お姉さん……! あたい、きっとこいし様を助けてみせるね……!」
目尻に涙さえ浮かべながら、お燐は深々と頭を下げた。
◆
相手に嘘を信じ込ませるための秘訣は、八割の真実に二割の嘘を混ぜる事だ――とは、一体誰が言った言葉だったか。これでホル・ホースはお燐にも文にも何の疑念をいだくこともなく、自然と受け入れてくれた。以後、誰かが問題を起こさない限りはホル・ホースとも良い仲間としてやっていけることだろう。
ふう、と小さく息を吐きながら。深々と下げていた頭をゆっくりと上げた火焔猫燐は、ホル・ホースの目を盗んで、額にじわりと浮かんだ脂汗を袖で軽く拭った。
(状況はパッと見いい感じにまとまってるように見えるけど……)
そう。表向きには、良好な関係を結んだチームであるように見える。
みんなでこいしを助けに行く事になって、表向きにはお燐の望む方向へ話が進んでいるのだ。ホル・ホースの答えも、お燐にとっては嬉しいものだったし、この男を騙す事には、僅かな罪悪感すら覚える。
だが……実際のところ、お燐にとってはむしろ緊張感が増す思いだった。
(何がこいし様を助ける、だ……! お姉さんは、こいし様を殺すつもりじゃないか!)
ホル・ホースとの合流前、確かにこの女は言った。
お燐を殺して遺体を奪ったら、すぐにこいしも殺しに行く、と。
そんなことは絶対にあってはならない。何が何でも、こいし様の命は自分が守らねばならない。
その為にも、ホル・ホースには騙すようで申し訳ないが、もう暫くはこのまま隠れ蓑として働いてもらって、文の暴挙を掣肘して貰う必要がある。
(――にしても、このお姉さん……何処まで話すのかとヒヤヒヤしたけど、やっぱり自分から遺体の事は話さないんだね……)
お燐と出会った時にも遺体の事は隠していたが、一体この女は何を企んでいるのだろう。
チラと横目に文を見遣れば、そこで相手の赤い瞳と目が合った。文はくすりと柔らかく微笑むが、その笑みの意図が見えず、かえって不気味だ。
軽い会釈と愛想笑いで返しつつ、お燐は絶対にこの身体の中に眠る遺体を渡すわけには行かないと再認識する。こんな、何の罪悪感も抱かずに嘘を吐くような『悪人』に、遺体を奪われてはたまったものじゃない。
尤も、それは自分自身にも当てはまる事なのだが。
「でも、こいしさんを救うと言っても、何か勝算はおありですか? 考えなしに挑んでも、また罠に嵌められるのがオチですよ」
文の言葉には、何処か刺があるように感じられた。
居心地の悪い視線に耐えられず、お燐は目を伏せる。
「それなんだがよ、おれの知り合いに
空条承太郎ってのがいてな……ヤツなら、DIOの呪縛からこいしの嬢ちゃんを救い出す事が出来るかもしれねェ」
「承太郎って……あの大きいお兄さん、だよね? その人にならさっき合ったけど……」
「なにィッ!? 承太郎に合ったのか!?」と、血相を変えて半身を乗り出すホル・ホース。
若干身を引きながらも、お燐は簡素に状況を説明する。
ジョースター邸の近くで、承太郎・霊夢の二人組と出会って、軽く会話をしたこと。
肉の芽を操るDIOは、それを相手の額に打ち込んで思いのままに操る力を持つ、と聞かされた事。
それらを話し終えたところで、肉の芽についてやけに詳しかったDIOと、DIOに操られているというこいし、両者がお燐の中で結びついた。
「も、もしかして、承太郎お兄さんならこいし様を……?」
「それは分からねぇ。だが、DIOがポツリと言ってたのを聞いたことがあるぜ……承太郎を始末するために差し向けた筈の花京院とポルナレフが、承太郎と戦って裏切った……とよ。おれも詳しい事は知らされてねぇが、もしかしたらって話よ」
「――ッ!!」
その刹那、お燐はハッとして背筋を伸ばした。
承太郎ならば、操られたこいしを救えるかもしれない。
「そ、それならッ! 早速ジョースター邸に向かおう……! まだ承太郎お兄さんが近くにいるかもしれないでしょお!?」
お燐が承太郎と出会ったのは、ジョースター邸の近くで。
ジョースター邸の方向には――ヴァレンタイン大統領が居る。
「お願いだよ、少しでも可能性があるなら、それに懸けたいんだ。あたい、もう居ても立っても居られなくってさぁ……」
文に気取られてはならない。この女は、きっとそこに大統領が居ると知れば、同行を拒否するに違いない。
何も自分自身が遺体を奪って集める事だけが戦いではないのだ。遺体を持った文を大統領の元まで誘導し、必要であれば大統領を援護する。それだって立派な戦いのはずだ。
戦闘力の乏しい自分が無理をするよりも、戦闘自体は大統領に任せてしまった方が合理的であろう。
(幸い、天狗のお姉さんの嘘のおかげでホル・ホースのお兄さんは完全にあたいを信じてくれてる……今のあたいは、きっと情に厚い家族思いな女の子と思われてる筈だよ)
にわかに滲む冷や汗を軽く拭い取りながら、お燐はじっとホル・ホースを見詰める。
一緒にジョースター邸に向かって欲しい。そういう願いを込めた、切実な視線だ。何も怪しまれる点などない。
そもそもの話、最初に嘘を吐いたのは自分なのだ。だったら、それをとことん貫き通してやる。
ホル・ホースへの罪悪感はあるが、邪魔をしない限りは大統領がホル・ホースを襲う事もあるまい。これは遺体を大統領の元へと届ける為には仕方のない嘘なのだ。自分のためだけの文の嘘とは違う。
「――ま、本音言や、承太郎のヤローとはあまり会いたくないんだが……確かに、ヤツなら信用できるぜ。事情を話せば、協力もしてくれるだろうな」
「だったら……!」
「ああ、そういうことなら善は急げってヤツよ。とっととジョースター邸の方角へ向かって、承太郎を探すぜ」
「ちょっと待って下さい。もしも承太郎さんが見つからなかったら、その時は……? こいしさんは後回しにしていいんですか?」
何処までも冷淡な目をした文が、あくまで冷静に割り込みをかける。
白々しい言葉だ。口からつい本音が漏れ出しそうになるのを堪えながら、お燐は笑顔を作る。
「だって、折角こいし様と出会えても、助けられないんじゃ意味ないでしょ? あたいね、こいし様を救えるかもしれないっていうなら……少しでもその可能性を高めたいんだ!」
というのは建前である。
本音は――。
(っていうかッ! 今この状況でこいし様と出会ったら、あんた何かと隙を突いて、こいし様のこと殺そうとするでしょッ!? そんな相手会わせられるワケないじゃないのさッ!)
そうだ、この女は、こいしに対して明確な殺意を抱いている。
ジョニィを殺された、という事もあるのだろうとは思うが、それにしたって殺意に満ち満ちた相手を家族に引き合わせるのは考えものだ。最悪そうするしかないにしても、せめてホル・ホース以外の見張りをもっと増やすか、いっそのこと大統領の手で文を始末させてからにしたい。
「そうですか。お燐さんがそれでいいのなら、私からは何も言うことはありません。それじゃ、残りの情報交換は移動しながらといきましょうか」
意外なほどあっさりと、文はお燐の考えに同調した。
何か、もう一悶着あるのではないかとすら思っていたのに。
やはり、この天狗は何を考えているのかが中々読めない。
一体いつまでこんな思いをし続けなければならないのか、いいや、それも大統領と合流するまでだ。気を引き締め直して、お燐は立ち上がった。
◆
射命丸文は、命蓮寺からやや北上した地点の川沿いの道をジョースター邸へと向かって進みながら、ふと不意に空を見上げた。厚い雲の占める面積が、徐々に肥大している。
この分ならば、あと一時間も待たずに雨が降り出す事だろう。
近いうちに雨が降り出すであろうことは予測していたが、移動を開始した頃に振り出されるとなると、どうにも間が悪い。ただでさえ考えるべき事が多くて辟易しているのだ、文は堪らず嘆息した。
(はぁ……このホル・ホースという男……銃の実力は確かなんでしょうけど)
それだけだ。
聞けば、寅丸星一人なんとか出来ず、響子を見殺しにするしか出来なかったというのだから。仮にあのヴァニラのような敵が現れたとして、この男の銃で何処まで対抗できるのかは甚だ疑問である。
最悪の場合、葉扇子もなく、能力に制限をかけられた今の文でも、風の力でゴリ押しすれば問題なく倒せる可能性すらあるのではないか。であるならば、この茶番もまったく無意味という事になる。
(……まあ、それはもう少し様子見ね)
というよりも、『ホル・ホースを始末する』という考え自体は幾度か鎌首をもたげはしたものの、文は思い浮かんだプランのことごとくを自分で却下してきたのだ。
文はあの瞬間、自分の心の地図に従って進むと宣言したホル・ホースのギラついた双眸の中に、確かにジョニィの瞳の中に見た煌めきに近いものを感じたのだ。
そんなものを心の指針にしたところで、それが何の力になるのか、と問われれば――その答えの行き着く先にあるのが、ジョニィの死であるのだが。現にホル・ホース自身も、あの時のジョニィと同じように、自ら困難な道に進もうとしている。
(ま、でも……それなら丁度いいわ。見極めてやろうじゃないの)
冷たい視線を、前方を歩くカウボーイハットへと向ける。
もしもホル・ホースがしくじったなら、今度こそ文も見限りが付けられる。
末期の言葉すら残さず哀れに散ったジョニィと同じように、この男も無残に散ったなら――その時はあらゆる懊悩をかなぐり捨てて、問答無用でお燐を殺して、遺体を奪い取ろう。ジョニィの死の切っ掛けになったこいしもその後で必ず殺す。
そうすれば、文がジョニィに見た奇妙な情もすべて消滅することだろう。
(女を見捨てない、だなんて……この場でその信念を貫く事がどれだけ難しい事か。それが人間の尊さだというのなら、精々救ってみせなさいよ……ホル・ホース。私を『納得』させてみなさい)
もういい加減、文だって気付いている。
殺し合いに乗ると言いながら、自分が情を捨てきれていない事を。今の自分の中に、二つの感情が渦巻いているということを。
それは、ジョニィのように気高くありたいという白のチップと。
何処までも狡猾に、周囲を利用し尽くして生き残ろうとする黒のチップと。
それぞれが半々、五分と五分で、文の心の中を満たし、どちらか一方を塗りつぶそうとせめぎ合っている。
黒の方が勝ってくれたなら、いっそ気が楽だ。そう考えてしまうあたり、現状の趨勢としては、黒の方がやや有利に傾いているのかもしれない。だけれども、心のどこかに、全てを覆い尽くそうとする黒に抗おうとする白が居るのも確かだ。
(その白はきっと、私の中に蟠るジョニィさんの残りカス。そんなもの、消えてなくなってくれた方がいっそありがたいのに……)
――いや、今は考えるのはよそう。懊悩を吹き払うように、文はかぶりを振った。
それよりも今は、もっと重要な事がある筈だ。
(ああそうそう、この泥棒猫。私がこいしさんを殺そうとしている事は知っている筈なのに……一体どういうつもりなのかしら。承太郎と霊夢のチームに合流して、私に下手な行動させないようにしようって腹積もり?)
だとしたら可愛いものだ。チームの中に溶け込めるなら、文としたってその方が生き残っていく上では都合がいい。
大体にして、周囲に人が増えれば増えるほど、お燐の方こそ遺体を奪う為の隙を伺いにくくなるのだ。遺体を奪う事が目的だというのなら、これ程までに不合理な事はない。
仲間の少ない今のうちにホル・ホースを味方につけて、文を『遺体を狙うテロリストだ』とでも言って、糾弾されるのではないか、くらいに思っていたものだから、文にしてみればひどく拍子抜けだった。
(でも……この子だって、自分の家族の生死が掛かっている。あまり浅はかな行動をするとも思えないわ)
相手が情に流されやすい愚か者だからといって、油断をするのは自分らしくない。
お燐のその行動の裏には、常に何らかの打算が隠されている筈だ。それを見抜いて、先手を打つ必要がある。
この女は一体何を考えている。目的はなんだ。
(目的は、私の持つ遺体を奪う事。そして、大統領に渡す事……とすると。もしかして、進行方向に大統領が居る……とか?)
だとしたら、このままお燐の思惑通りにジョースター邸に向かうのは宜しくない。
あくまで予想に過ぎないが、少し時間を稼いで様子を見るというのも手かもしれない。
不幸中の幸いか、もうじきに雨が降り出す事だろう。時間帯で言うならば――恐らく、昼に差し掛かる頃には、程度はどうあれ自分たちは雨に打たれる。
この移動速度から考えるに、雨が降り出す頃には自分たちは廃洋館の近くを歩いていることだろう。
傘も持っていないのに、そのまま突き進むのが体力的にも厳しいものがある、とか何とか理由をつけて、しばらく廃洋館に立て籠もって時間を潰すのも良いかもしれない。
お燐がそこで堪え切れず本性を表すような事があったり、何か怪しい行動を取るようなら、此方も動き出すための『理由』が出来るというもの。
徐々にじとりと湿り気を帯び始めた空気を肌で感じながら、曇天の空の下、三人は別段会話を弾ませる事もなく、黙々と歩き続けるのだった。
【E-4 川沿いの道 午前】
【射命丸文@東方風神録】
[状態]:胸に銃痕(浅い)、服と前進に浅い切り傷
[装備]:拳銃(6/6)、聖人の遺体・脊髄、胴体@ジョジョ第7部(体内に入り込んでいます)
[道具]:不明支給品(0~1)、基本支給品×3、予備弾6発、壊れゆく鉄球(レッキングボール)@ジョジョ第7部
[思考・状況]
基本行動方針:どんな手を使っても殺し合いに勝ち、生き残る
1:ホル・ホースらと共に移動するが、雨が降り出したら廃洋館へ向かうように進言してみる。
2:火焔猫燐は隙を見て殺害したい。古明地こいしもいずれ始末したい。
3:ホル・ホースを観察して『人間』を見極める。
4:この遺体は守り通す。
5:DIOは要警戒。
6:露伴にはもう会いたくない。
7:ここに希望はない。
[備考]
※参戦時期は東方神霊廟以降です。
※文、ジョニィから呼び出された場所と時代、および参加者の情報を得ています。
※参加者は幻想郷の者とジョースター家に縁のある者で構成されていると考えています。
※火焔猫燐と情報を交換しました。
※古明地こいしが肉の芽の洗脳を受けていると考えています。
【火焔猫燐@東方地霊殿】
[状態]:人間形態、妖力消耗(小)
[装備]:毒塗りハンターナイフ@現実、聖人の遺体・両脚@ジョジョ第7部
[道具]:基本支給品、リヤカー@現実
[思考・状況]
基本行動方針:遺体を探しだし、
古明地さとり他、地霊殿のメンバーと合流する。
1:家族を守る為に、遺体を探しだし大統領に渡す。
2:射命丸文を大統領の居る方向へと誘導し、必要であれば大統領を援護する。
3:古明地こいしを救うため、空条承太郎ともう一度合流したい。
4:ホル・ホースと行動を共にしたい。ホル・ホースには若干の罪悪感。
5:地霊殿のメンバーと合流する。
6:ディエゴとの接触は避ける。
7:DIOとの接触は控える…?
※参戦時期は東方心綺楼以降です。
※大統領を信頼しており、彼のために遺体を集めたい。とはいえ積極的な戦闘は望んでいません。
※古明地こいしが肉の芽の洗脳を受けていると考えています。また、空条承太郎なら救えるかもしれないという希望を持ちました。
【ホル・ホース@第3部 スターダストクルセイダース】
[状態]:鼻骨折、顔面骨折、疲労(中)
[装備]:なし
[道具]:不明支給品(確認済み)、基本支給品×2(一つは響子のもの)、スレッジハンマー(エニグマの紙に戻してある)
[思考・状況]
基本行動方針:とにかく生き残る。
1:響子を死なせたことを後悔。 最期の望みを叶えることでケリをつける。
2:響子の望み通り白蓮を探して謝る。協力して寅丸星を正気に戻す。
3:火焔猫燐、射命丸文と共にジョースター邸方面へ進み空条承太郎と合流する
4:あのイカレたターミネーターみてーな軍人(シュトロハイム)とは二度と会いたくねー。
5:誰かを殺すとしても直接戦闘は極力避ける。漁父の利か暗殺を狙う。
6:使えるものは何でも利用するが、女を傷つけるのは主義に反する。とはいえ、場合によってはやむを得ない…か?
7:DIOとの接触は出来れば避けたいが、確実な勝機があれば隙を突いて殺したい。
8:あのガキ(ドッピオ)は使えそうだったが……ま、縁がなかったな。
[備考]
※参戦時期はDIOの暗殺を目論み背後から引き金を引いた直後です。
※響子から支給品を預かっていました。
※白蓮の容姿に関して、響子から聞いた程度の知識しかありません。
※空条承太郎とは正直あまり会いたくないが、何とかして取り入ろうと考えています。
最終更新:2016年10月12日 23:43