ゆかりの寺社(御朱印視点)
引続き調査中ですので、掲載もれがあるかも知れません。
【おススメ度 ☆☆★★★】普通の御朱印です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
奈良県 | 與喜天満神社 | 桜井市初瀬14 | 初降臨 |
【おススメ度 ☆★★★★】御朱印が頂けるか不明です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
鳥取県 | 青龍寺 | 八頭郡八頭町下門尾46 | 白兎 |
鳥取県 | 土師百井神社(白兎神社) | 八頭郡八頭町土師百井111 | 白兎 |
鳥取県 | 福本白兎神社 | 八頭郡八頭町福本 | 白兎 |
【おススメ度 圏外】寺社以外の関連施設です。
都道府県 | 寺社名 | 所在地 | 備考 |
岐阜県 | 恵那山 | 中津川市中津川 | 胞衣 |
三重県 | 珍布峠 | 松阪市飯高町赤桶 | 天児屋根命 |
島根県 | 隠岐諸島 | 隠岐諸島 | 隠岐 |
恵那山 |
古くは胞衣山(胞山)と呼ばれ、また角度により船を伏せたように見える事から舟覆伏山 (ふなふせやま) などとも呼ばれた。松平君山の 吉蘇志略で「天照大神がここで降誕され、その胞衣(えな)がこの山に埋められた」と記載されており、これが山名の由来とされてい る。信州側では「野熊山」とも呼ばれていた。 |
Wikipedia |
珍布峠 |
素掘りの切り通しになっている「珍布峠」。 天照大神(あまてらすおおみかみ)と天児屋根命(あまのこやねのみこと)が出会ったといわれる場所で、この2神による“国分け伝 説”の史跡です。 夏には清涼な川風が吹き抜けます。 |
道の駅 飯高駅 |
與喜天満神社 |
與喜山は、古くは大泊瀬山と呼ばれ、古代大和の国では最初に太陽の昇る神聖な山としてあがめられました。『万葉集』では初瀬(長 谷)にかかる枕詞「隠り国」一山に囲まれ隠っているような地一は、この自然お姿から生まれたのです。 万物の生命のみなもとである太 陽と、母なる慈愛を神としてあがめたのがアマテラスという女性神で、天上からこのお山にはじめて降臨されたと伝えられています。 現 在の本殿の向かって左に古代信仰のままに磐座(鵝形石)に祭られているのが天照大神で、女性の守護神として信仰されています。 一ま たその後方の鍋倉山には、延喜式式内社の鍋倉神社が磐座に祭られています。 ご祭神は大倉姫神、別名・下照姫と申し上げ、『古事記』 の世界では大国主命の娘で、その美しさは、衣を通して地を照らすほどであったといいます。 天武天皇は、皇女の大来皇女を伊勢神宮の斎王とするために、この地に泊瀬斎宮という潔斎の施設を設けたことが、『日本書紀』に記さ れています(天武天皇二年四月<673年>)。 皇女がこの地で潔斎を経て、伊勢に向かうのは、初瀬が伊勢神宮の信仰の出発点と見られ ていたからではないでしょうか。 その太陽信仰の原点が與喜山に伝承していることからも、泊瀬斎宮は禊ぎの川、初瀬川を帯に巻いたよ うな神聖な與喜山にあったと考えられます。当山にはこのような女性神の信仰が古代から息づいていたのです。 |
與喜天満神社 |
隠岐 |
隠岐島は『古事記』『日本書紀』に、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)2神が4番目にお生みになった土 地で、「隠岐の三子洲(みつこしま)」と書かれている。「隠岐の三子洲」とは、島後(どうご)が親島で、島前(どうぜん)の知夫里 島、西ノ島、中ノ島が子島であって、親島に率いられた三つの子島の意味であるという。 『記紀』には、隠岐の地名由来は書かれていないが、喜田貞吉博士によると、島前3島に対して、島後は沖の島と呼ばれていて、島 前、島後の四つの島の総称として、主島である沖の島の名をとってオキの島と呼称されるようになったという。 別に、伝承として天照大神(あまてらすおおみかみ)が、この島の40余丈もある木をごらんになって、「美しき御木だ」といわれたこ とから、御木(おき)とついたとも語り伝えられている。 島後が島前の三つの島より沖合にあるため沖の島と呼ばれ、それに天照大神の「御木」の伝承が付加され、ついで、島全体の名称とし て沖の島が呼び名となったのだろう。しかし、なぜ「隠岐」の字をあてるようになったか定かではない。 |
しまね観光ナビ |
青龍寺・白兎神社 |
鳥取県因幡の八上郡には、天照大神がこの地にしばらくの間行宮する際、白兎が現れて天照大神の裾を銜(くわ)えて、行宮にふさわし い地として、現在も八頭町と鳥取市河原町の境にある伊勢ヶ平(いせがなる)にまで案内し、そこで姿を消したとされる。八頭町の青龍 寺の城光寺縁起と土師百井(はじももい)の慈住寺記録には、天照大神が国見の際、伊勢ヶ平付近にある御冠石(みこいわ)に冠を置い たという伝承が残っている。この伝承と関連して八頭町に3つの白兎神社が存在し、八頭町米岡にある神社は元は伊勢ヶ平にあった社を 遷座したものと伝えられるが、の具体的な伝承に基づく全国的に見ても極めて珍しい神社である。 |
Wikipedia |