飛びかかる狼に
シスター・アントニアは後ろを見せた。
逃げるためではない。既に右腕は狼の首にまわされ、左手は前足を掴んでいる。
これが野生の狩りの手順に従い足を狙ったものならば、シスターは野生の瞬発力に対処できず深手を負っていたはずだ。
だが狼の見えぬ背後には魔術師の存在があり、人の意志が介在する以上、未熟な身であっても対応は可能。
一撃必殺を狙い、喉元に向かって跳躍する様に命じた魔術師の殺意。シスターはそれを感じ取り先を読んで技を置く。
宙に浮いた四足獣など恐れる物ではない。飛びかかった相手を乗せた背はカタパルトだ。勢いを利用し行き先を指定する。
敵に無防備な背中を晒すことに恐れはない。軸足は震えずブレず大地に立ち、敵の勢いに自分を巻きこみ回転するシスターを支える。
――ドゥッ
狼が背で地面を打ち地面が僅かに揺れた。
受け身が取れぬ形で背から落とし地に叩きつけた敵から視線を外さず構え、シスター・アントニアはふぅぅぅと息を吐く。
使い魔に再起する気配はない。獣が腹を見せぐったりと地面の上で伸びているのは敗北の証だ。
「お見事」
賛辞の言葉を贈ったのは、この聖杯戦争でシスター・アントニアが契約するサーヴァント、シールダーだった。
2m近い背丈の偉丈夫で、クラス名の通りに巨大な盾を装備した守護の英霊。
盾という防御の象徴よりも、そこにどっしりと構え立つシールダーの存在感が、味方に安心を敵に畏怖を与える。
いわば守護の二文字が形にな様な男がシールダーであり、シスターは彼に信頼を置いていた。
だからだろう「……はぁぁ」と、ここで初めてシスターは緊張を解き安堵の溜め息をつく。
「これで、問題はないはず、です。この使い魔を放った魔術師は操作のために五感を一部共有していましたから」
「酔った、と?」
シールダーが指を回してみせ、シスターはええと頷く。
「痛みはなくともしばらくは行動できないでしょう。少なくともこうして貴方と合流する余裕ができました」
にこりとシスターが笑う。
使い魔が相手でも無益な殺生は避ける。それがシールダーのマスターだった。
彼女は勝ち残れば願いが叶う聖杯戦争において、街の治安を第一に考え「勝利」する気がなく、敵を傷つける覇気にも欠ける。
甘いとは思うがシールダーにとって不快ではない。
そんなマスターだからこそ、彼女と同じく聖杯にかける願いを持たない身でありながら、シールダーは座からこの地に降り立ったのだ。
聖杯戦争という厄災から故郷と人々を守りたいという、そのマスターの想いこそが召喚に応じた理由に他ならない。
もっとも、武術を嗜んでいると事前に聞いていたとはいえ、契約相手のシスターがここまで戦えるとは思ってもいなかったが。
「そしてシールダー、そちらはどうですか?」
「マスターが魔術師の相手は任せろといったのだ。ならばサーヴァントは勝つしかあるまい?」
返事。シールダーのものではない声の方向に、シスター・アントニアは振り向き相手を視認する。
聖杯戦争のマスターに与えられた能力が、シスターの目の前に姿を現した者を人外だと告げていた。
――即ち、サーヴァント。
これもまた巨漢と呼ぶに値する英霊。
シールダーと同等の背と肉付き持ち、互いに武器を持たずに組み合えば、どちらに軍配が上がるかはわからない。
が、その様な想像は無意味だ。何故なら、
「ルーラー、そちらも終わったのですか?」
此度の聖杯戦争における裁定役が、もう1体の偉丈夫に与えられたクラスなのだから。
「そうだ勝ちを言い渡しに来た。己(オレ)の役目だからな」
「勝ち負けを決める、ではなく……勝敗を告げるのがか?」
言葉の些細な意味の違いを感じ取り、シールダーが問う。
応。とルーラーが頷いた。
「勝ち負けは戦いに臨んだ者達と聖杯が決めることだ。己の役目は聖杯戦争の進行にある」
「無責任に聞こえるな」
端的な、下手をすれば棘を含み兼ねぬ台詞だが、嫌みを欠片も感じさせない。
素直な感想とだけ取れるのはシールダーの仁徳だ。
ルーラーは気分を害することなく言葉を続けた。
「そうかもしれぬなァ……だがまあ乱入者は排除した。許せ」
「許します」
巨大な二人を見上げながらシスターが会話に混ざり、ルーラーがこれ快と豪快に笑う。
「ハハハ、許された!」
「というかですねルーラー。許すも何も貴方は貴方の成すべきことを成しただけです」
「優しいのだなシールダーのマスターよ。本来はこの裁定役の位置には、己ではなくシールダーと教会の監査役がいたかもしれぬであろうに」
確かにとシスター・アントニアは思う。
代役として監査役を任された彼女は、令呪が宿った時、この令呪は聖杯戦争という混沌を治める役を与えられた証と早合点した。
エクストラクラスのシールダーをパートナー得たことも、その考えを深める後押しになったが、事実は別にあった。
『オーストゥ』と『ウェストゥ』の二つの陣営に分かれ、7騎と7騎、14体のサーヴァントによる7度に渡る1対1の戦いの参加者。
聖杯によって『オーストゥ』の陣営に割り振られた、『オーストゥのシールダー』のマスターが、シスター・アントニアの真の役割だったのだ。
何故と思い、こうではないのでは?と途方に暮れかけた瞬間もあった。
別の聖杯戦争、別の形での参加。そういう形もありえたかもしれない。
この状況こそが本来と違った流れなのかもしれない。たらればを言えばきりがない。
だからシスター・アントニアは自分ができる今を選ぶ。
「貴方という信じられるルーラーがいるのなら、参加者としてこの戦いを治めるだけです」
「応、その意気や善し。あと、既に申したと思うが、陣営同士の戦いを6度で終わらせたければ」
「――『15体目のサーヴァントである己を倒し、聖杯に捧げよ』でしょう? しません。他の道を探します」
「そうか、そうだな!」
シールダーが少し呆れた顔で2人を見た。
マスターならばこう答えるのはわかりきっていたことだ。呆れる様なことを言ったのはルーラーだ。
既に一度言い、否定されたというのに何故繰り返すのか、わかっていながら何故笑うのかと呆れた。
「聖人とは思えぬ言葉だなルーラー。いや、聖人だからこその自己犠牲か?」
「ん? 己は聖人ではないぞ?」
ぴたりと笑いを止めルーラーが怪訝そうな顔でシールダーの方を向く。
シスターも同じように何を?といった顔でシールダーを見た。
「そうです。このルーラーは聖人ではありませんよ」
「ん? 我がマスターとルーラーが使う格闘術は同系統だと見たのだが、あれは聖職者が修める技ではないのか?」
「どういう勘違いなのですかシールダー!? ええっと、東洋の武術のひとつですよ」
一応、同系統の技であるのは間違いないらしく、シールダーはわからないながらも情報を整理する。
「ふむ? 聖職者ではない、だが技は同じなのだな?」
「はい、同じですよ。そして彼は聖人ではない。だけど神に最も近く、故にルーラーを任されたのだと思います」
「神に近い、か」
シールダーは戦いの最中、シールダーが示した能力の一端を思い起こす。
弓の弦を鳴らして隠れた乱入者の姿を暴くと同時に悪霊を祓った。地を踏んで病魔を撒く小鬼の群れを退散させるのを見た。
そしてシールダーが勝利したのを確認した後、「市民に被害が及ぶのは避けねばな」と言い、左右に広げた手を打ち鳴らしただけで敵が残した毒霧を浄化してみせた。
聖人としての奇跡かと、そう判断していたがどうやら違っていたらしい。
「あまり己を褒めてくれるな。本来ならば
アーチャーでくるのが妥当な己を」
ルーラーがまた笑う。先と違うのはその笑いが苦笑だということ。
ルーラーは困った顔で頬を掻いている。
「ルーラーに選ばれるほどの英霊が聖杯に賭ける望みはあると?」
「アーチャーでならば、な。ルーラーの条件が神に近いというのならば、己は不適切なはずなのよ」
なにせ、とルーラーはそこで一旦言葉を切り、真剣なまなざしでシールダーを見た。
「おぬしという強者を見て、『ああ、この者と戦ってみたい――』そう、内なる修羅が起きかけておる」
「ルーラーであるのに、か」
「ルーラーであるのに、だ」
ニヤリと不敵な面でルーラーが破顔した。
裁定者にあるまじき不謹慎ともいえる望みと笑みに呆れ、
ただそれを見て――
シールダーは自分の頬が動き、口の端が釣りあがっているのと、胸の内に湧き上がる物を感じていた。
鍛え抜いた肉体こそが盾。
鍛え上げた肉体こそが武器。
自己の器を異なる形で昇華させた近い上背の巨躯なる英霊が2体、出会ってしまった。
「裁定の英霊として招かれた身は、聖杯奉納戦が滞りなく無事終わることを願う」
「盾の英霊として守護の役に応じた身は、不要な争いが起こらぬ結末を共に望む」
男達は心偽らざる言葉を口にする。
こうして7戦のうち3戦目が終了し、また次の戦いが始まろうとしていた。
最終更新:2016年09月26日 01:03