ただ好きだから。
ただ突っ走って。
ただ後悔している。
ただ突っ走って。
ただ後悔している。
堕ち行く闇の中で
校庭からは今の私には到底出せそうもない無邪気な笑い声が嫌でも聞こえてくる。私にとっては欝でしかない体育の時間も、健康な人達にとっては楽しいのだろうか。
どうしても卑屈な思考になってしまうのは病気の所為か気持ちの所為か。
ガラスを通して外の風景をぼんやり眺めていた私は、ちょっとは前者の可能性もあるだろうけど恐らく後者だろうと結論づけて溜め息をつく。
時刻は三時限目終了間際、そろそろ先生が入れてくれた連絡の通りおじさんが学校にやって来る頃だろう。
結局、数時間近くの休養を取っても体調の悪化が止まらないと判断された私は、早引けする事になった。
マラソンを行った時から痛いほど熱い肺臓と脳髄、全身に抗力がのしかかっているかのような重量を感じる身体。
酷い風邪の症状はベッドに横たわってからも変わる事なく私を苦しめている。
少し息を吸い込むと途端に咳き込んでしまった。灼熱に包まれるように苦しい喉は渇ききって潤いを求めている。
どれも身体的な状態だが、それは精神的な状態とも密接に関し合っているようにも思えた。
自責の念に駆られる枯渇した私の心は、岩崎みなみという癒しを欲している。
自ら手放したのに、傍にいてくれる事を望んでいる。
何とも身勝手な話だろうか。
私は驚くほど冷静に、まるで他人事のように自分を考察していた。
みなみちゃんに迷惑を掛けたくないという気持ちから、私は無理をしてでも授業に参加する事を決断した。
だが実際の結果はこの通り、私の所為でみなみちゃんの手を煩わせてしまっている。
そもそも少し考えれば、体力も運動神経も一般的な高校一年生の女子の平均と比べてそれを著しく下回るだろう私が、何事もなく完走するなんて不可能に近い事ぐらいすぐに分かるはずだ。
一瞬でも良かった。私が今の状況について予測を立てていれば、みなみちゃんにこれほどまでの手間を取らせる事もなかった。
最初から自分のコンディションを把握しておき予め此処に連れてきて貰っていれば、もしかしたら病症の悪い方向への進行は防げていたかもしれない。
ところが私はその選択肢を己の意志で切り捨てて、みなみちゃんに杞憂させてしまい、多くの時間をしがない私の道の誤りに費やさせてしまった。
私の自分の都合だけを優先させた想いが、みなみちゃんを巻き込んでいる。
空回りした現実、良好な行く末を微塵も感づかせない病状。好ましくない事物は相互に連関して実体なき刃となり、私を容赦なく斬りつける。
換気の為開け放たれた窓から冬の風が吹き込んだ。然程強くはなかったが、淡黄色の窓掛けは僅かな音を発してはためく。
静寂を保てなくなり、本来の目的も果たせなくなった優しい色調の布を私は見ていた。
―――諦めた方が良いのだろうか。
誰かからの返答を欲したわけじゃないけど、問い掛ける。
答えの知らない、同じ事を、何度も何度も。
初めて人を好きになって、手探りで気持ちを伝える方法を探して。
でも分からなくて、自分のしたい事をしたいがままにやって。
みなみちゃんを、傷つけてしまって。
それでも、この想いに気づいて欲しいと願い続けていて。
もう怖くなってきた。
しかし、何が怖いのか、分からない。
何もかも分からなくなってきた。
何が分からないかさえ、分からない。
扉を手の甲で数度叩く音が私の耳に届く。私が早退するという事で、恐らく保健委員が荷物を持って来てくれたのだろう。
白塗りの壁を隔てている相手が、みなみちゃんだと私は望んで良いのだろうか。
会いたい。けど、会いたくない。
交錯する正反対の気持ちは鎖となって、幾重にも私の心を締め上げる。
どうしても卑屈な思考になってしまうのは病気の所為か気持ちの所為か。
ガラスを通して外の風景をぼんやり眺めていた私は、ちょっとは前者の可能性もあるだろうけど恐らく後者だろうと結論づけて溜め息をつく。
時刻は三時限目終了間際、そろそろ先生が入れてくれた連絡の通りおじさんが学校にやって来る頃だろう。
結局、数時間近くの休養を取っても体調の悪化が止まらないと判断された私は、早引けする事になった。
マラソンを行った時から痛いほど熱い肺臓と脳髄、全身に抗力がのしかかっているかのような重量を感じる身体。
酷い風邪の症状はベッドに横たわってからも変わる事なく私を苦しめている。
少し息を吸い込むと途端に咳き込んでしまった。灼熱に包まれるように苦しい喉は渇ききって潤いを求めている。
どれも身体的な状態だが、それは精神的な状態とも密接に関し合っているようにも思えた。
自責の念に駆られる枯渇した私の心は、岩崎みなみという癒しを欲している。
自ら手放したのに、傍にいてくれる事を望んでいる。
何とも身勝手な話だろうか。
私は驚くほど冷静に、まるで他人事のように自分を考察していた。
みなみちゃんに迷惑を掛けたくないという気持ちから、私は無理をしてでも授業に参加する事を決断した。
だが実際の結果はこの通り、私の所為でみなみちゃんの手を煩わせてしまっている。
そもそも少し考えれば、体力も運動神経も一般的な高校一年生の女子の平均と比べてそれを著しく下回るだろう私が、何事もなく完走するなんて不可能に近い事ぐらいすぐに分かるはずだ。
一瞬でも良かった。私が今の状況について予測を立てていれば、みなみちゃんにこれほどまでの手間を取らせる事もなかった。
最初から自分のコンディションを把握しておき予め此処に連れてきて貰っていれば、もしかしたら病症の悪い方向への進行は防げていたかもしれない。
ところが私はその選択肢を己の意志で切り捨てて、みなみちゃんに杞憂させてしまい、多くの時間をしがない私の道の誤りに費やさせてしまった。
私の自分の都合だけを優先させた想いが、みなみちゃんを巻き込んでいる。
空回りした現実、良好な行く末を微塵も感づかせない病状。好ましくない事物は相互に連関して実体なき刃となり、私を容赦なく斬りつける。
換気の為開け放たれた窓から冬の風が吹き込んだ。然程強くはなかったが、淡黄色の窓掛けは僅かな音を発してはためく。
静寂を保てなくなり、本来の目的も果たせなくなった優しい色調の布を私は見ていた。
―――諦めた方が良いのだろうか。
誰かからの返答を欲したわけじゃないけど、問い掛ける。
答えの知らない、同じ事を、何度も何度も。
初めて人を好きになって、手探りで気持ちを伝える方法を探して。
でも分からなくて、自分のしたい事をしたいがままにやって。
みなみちゃんを、傷つけてしまって。
それでも、この想いに気づいて欲しいと願い続けていて。
もう怖くなってきた。
しかし、何が怖いのか、分からない。
何もかも分からなくなってきた。
何が分からないかさえ、分からない。
扉を手の甲で数度叩く音が私の耳に届く。私が早退するという事で、恐らく保健委員が荷物を持って来てくれたのだろう。
白塗りの壁を隔てている相手が、みなみちゃんだと私は望んで良いのだろうか。
会いたい。けど、会いたくない。
交錯する正反対の気持ちは鎖となって、幾重にも私の心を締め上げる。
「失礼しまーす」
私の二つの両極端な願いは、後者が叶えられた。
控えめなノックの後、私の学生鞄を手に入ってきたのは、眼鏡を掛けた長い黒髪の友達。
「田村さん……」
私は唐突に込み上げてきた感情を悟られぬよう押し殺して、保健委員とは全く関係のない友人の名前を呼んだ。
「荷物持ってきたよ」
田村さんは私にそう告げて、持ってきてくれた私の持参物を近くの椅子の上に置いた。
「ありがと」
私はお礼を言いつつ、再び脳を稼動させ始めていた。。
何故田村さんが来たのだろうか。保健室の先生が頼んだんだから、普通はみなみちゃんがその役割を任されるべきだろう。
偶然教室の入口付近に田村さんがいて依頼されただけかもしれないけど、私の心は真相を確かめろと言って聞かなかった。
「ねぇ、田村さん」
私は張り裂けそうな心拍のまま、凍える手に白い息を吹き掛ける田村さんに問い掛けた。
「ん?何?」
目線をこちらに向ける田村さんを眼前にして、私は今更切り出し方に戸惑ってしまう。単刀直入に聞くと傷つけてしまいそうだったし、かといって遠回しにしすぎても伝わらないかもしれない。
脳内の辞書から最も適切な言葉を引き出し紡いでいく。
「みなみちゃんは……どうしたのか分かる?」
私の質問を受けた田村さんは、どうやら何故保健委員ではない人間が代役を引き受けたのか知りたい私の心中を理解したらしく、一拍置いて答えた。
「用事があるって言ってたけど……」
不自然に取られた空白、決して断定しない語形に私は不審さを抱いてしまう。
田村さんは何か嘘をついているのだろうか。
だとしたら何の為だろうか。
「私にはどうもそんな感じには見えなかったのよね」
思考を堂々巡りさせていると、田村さんが呟いた。
「それは、みなみちゃんが嘘を言ってるって事?」
少し引っ掛かるところがあって、私は質問を重ねる。
「誰よりもゆーちゃんを心配してるから……それ以上に大事な用事があるのかなって」
田村さんは深刻な表情のまま自分の意見を述べた。
「不思議だよね……みなみちゃん、どうしちゃったんだろう」
小声で言って、考え込んでしまう田村さん。
しかし私にはみなみちゃんの行動の理由が糸も簡単に分かった。
私を避けているのだ。
落ち着いて自分のしでかした事を見つめ直せば答えは容易に出てきた。
幾らお人好しでも、あれだけ面倒を掛けさせた挙句露骨ではないにせよ拒絶されたら、そんな我儘な人間嫌うに決まっている。
全てみなみちゃんの事を思った上での行為だったはずなのに。
私に突きつけられた取り返しようのない現実は、真逆のものとなってしまった。
もう、何もかも終わったのだろう。
もう、この初恋が実る事はあり得ないのだろう―――
「……みなみちゃんと何かあった?」
怪訝な顔で私を問い質す田村さんが、私の思惑の輪廻を断った。
「……ない、よ」
この事を話すわけにはいかない。これは私の浅はかさが招いた結果なのだから、私が何とかしないといけない。
俯く私を多少はいかがわしく思っただろうけど、田村さんはそれ以上の追及はしてこなかった。
盲目の優しさは、今の私にはとても痛く感じた。
「いつでも良いから何かあったら相談してよ。私じゃ力になれないかもしれないけど」
代わりにくれた温かい気遣いの言葉に、私は涙を堪えて頷いた。
私の二つの両極端な願いは、後者が叶えられた。
控えめなノックの後、私の学生鞄を手に入ってきたのは、眼鏡を掛けた長い黒髪の友達。
「田村さん……」
私は唐突に込み上げてきた感情を悟られぬよう押し殺して、保健委員とは全く関係のない友人の名前を呼んだ。
「荷物持ってきたよ」
田村さんは私にそう告げて、持ってきてくれた私の持参物を近くの椅子の上に置いた。
「ありがと」
私はお礼を言いつつ、再び脳を稼動させ始めていた。。
何故田村さんが来たのだろうか。保健室の先生が頼んだんだから、普通はみなみちゃんがその役割を任されるべきだろう。
偶然教室の入口付近に田村さんがいて依頼されただけかもしれないけど、私の心は真相を確かめろと言って聞かなかった。
「ねぇ、田村さん」
私は張り裂けそうな心拍のまま、凍える手に白い息を吹き掛ける田村さんに問い掛けた。
「ん?何?」
目線をこちらに向ける田村さんを眼前にして、私は今更切り出し方に戸惑ってしまう。単刀直入に聞くと傷つけてしまいそうだったし、かといって遠回しにしすぎても伝わらないかもしれない。
脳内の辞書から最も適切な言葉を引き出し紡いでいく。
「みなみちゃんは……どうしたのか分かる?」
私の質問を受けた田村さんは、どうやら何故保健委員ではない人間が代役を引き受けたのか知りたい私の心中を理解したらしく、一拍置いて答えた。
「用事があるって言ってたけど……」
不自然に取られた空白、決して断定しない語形に私は不審さを抱いてしまう。
田村さんは何か嘘をついているのだろうか。
だとしたら何の為だろうか。
「私にはどうもそんな感じには見えなかったのよね」
思考を堂々巡りさせていると、田村さんが呟いた。
「それは、みなみちゃんが嘘を言ってるって事?」
少し引っ掛かるところがあって、私は質問を重ねる。
「誰よりもゆーちゃんを心配してるから……それ以上に大事な用事があるのかなって」
田村さんは深刻な表情のまま自分の意見を述べた。
「不思議だよね……みなみちゃん、どうしちゃったんだろう」
小声で言って、考え込んでしまう田村さん。
しかし私にはみなみちゃんの行動の理由が糸も簡単に分かった。
私を避けているのだ。
落ち着いて自分のしでかした事を見つめ直せば答えは容易に出てきた。
幾らお人好しでも、あれだけ面倒を掛けさせた挙句露骨ではないにせよ拒絶されたら、そんな我儘な人間嫌うに決まっている。
全てみなみちゃんの事を思った上での行為だったはずなのに。
私に突きつけられた取り返しようのない現実は、真逆のものとなってしまった。
もう、何もかも終わったのだろう。
もう、この初恋が実る事はあり得ないのだろう―――
「……みなみちゃんと何かあった?」
怪訝な顔で私を問い質す田村さんが、私の思惑の輪廻を断った。
「……ない、よ」
この事を話すわけにはいかない。これは私の浅はかさが招いた結果なのだから、私が何とかしないといけない。
俯く私を多少はいかがわしく思っただろうけど、田村さんはそれ以上の追及はしてこなかった。
盲目の優しさは、今の私にはとても痛く感じた。
「いつでも良いから何かあったら相談してよ。私じゃ力になれないかもしれないけど」
代わりにくれた温かい気遣いの言葉に、私は涙を堪えて頷いた。
少ししてチャイムが鳴り、慌てて教室へ駆けていく田村さんを見送ると、おじさんが入れ違いに顔を出した。
先生の力も借りて私は何とか車に乗ると、そのまま市内の病院へと連れていかれた。そして検査を受け薬を貰い、車内で安静にしながら自宅へと着くのを待った。
後ろの数人掛けのシートを一人で横になって使う。おじさんは運転席に乗っているから別に誰にも迷惑が掛かるわけじゃないんだけど、自分だけが後部座席を独占しているようで複雑な心境だった。
私の事を思ってかスピードを控えめに運転するおじさん。
遅すぎず速すぎずの速度を保って家路を辿る、ささやかな心遣いが込められた空間でも、私が安眠出来る事はなかった。
「着いたぞー」
目線を上げると、見慣れた泉家の外観が哀愁を漂わせていた。
再びおじさんに協力を仰ぎ、自室まで付き添って貰った。ベッドに寝かされてからお礼を言うと、おじさんは満足げな笑顔を浮かべてお昼を作ると一階へと降りていった。
見飽きたといっても良いほどの自分の部屋の天井。それでも私には仰向けに上方を見ることしかする事がなくて、何もせず眠気が襲来するのを待つ。
寝転がって間もなくは十分な睡眠が取れそうな気配は全くなかったが、おじさんお手製のお粥を食べて薬を飲んだら段々と瞼が落ちかけてきた。
心地の良い感じに身を任せ、私は夢の世界へと誘われる。
不思議な夢だった。
静寂が包む辺りには何も見当たらない空虚の世界に私はいた。
見渡す限りの、暗闇というには明るい薄暗い景色。荒涼としたこの風景は私の心理状態と関係があるのだろうか。
「ゆたか……」
そんな事を考えながらさ迷い歩いていると、私の名を呼ぶ声がした。
その方向を向き直れば、そこには私の一番会いたくて会いたくない人の姿。
「みなみちゃん……」
すらっと背の高い女の子が、その魅力的で中性的な顔立ちで私を見据えている。
近づきたい。けど、迷惑が掛かる。
嫌われたくない。ごめんねって今すぐ謝りたい。
けど、もう私はみなみちゃんに見放されたんだ。
頭がまるっきり異なる命令の信号を同時に発信する。混乱する脳に天使の、悪魔の囁きが聞こえる。
みなみちゃんは本当に用事があったのかもしれない。
けれどもそれは私よりも大切な事。
みなみちゃんはまだ私を嫌っていないかもしれない。
けれども私がみなみちゃんを拒絶したのは事実。
視界が歪む。混乱して何が現実なのか、何が正しいのか区別がつかなくなる。
「ゆたか……」
今一度呼ばれて、私はみなみちゃんの方を向いた。
一歩、みなみちゃんが踏み出した。
少しずつ私に近寄ってくるみなみちゃんに、私はどうしようもない胸の高鳴りを覚えて、同じように歩みを進める。
そして、私とみなみちゃんが接触しようとしたその時―――
二人の身体はすり抜けた。
私は驚いて向き直る。
みなみちゃんは、表情一つ変えずに立っていた。
そしてまた、私に一歩ずつ歩み寄る。
私もそれに応える。
そして、再びすれ違う。
私達が実際に触れてお互いの存在を確かめ合う事は不可能だった。
不思議な夢だった。
二人が相手を求め合う歩調は、惹き合う心を表しているようで。
決して実態を掴めない姿は、想いが通じ合う可能性を否定しているようで。
正しい選択肢とあり得ない可能性を、同時に照らし出しているようで。
私に嫌でも実現し得ない希望を持たせてしまう。
そしてまた、心に深い傷を刻んでいくのだろうか。
それでも良いと思えた。
きっとこれは、神様が私に下した罰なのだろう。
先生の力も借りて私は何とか車に乗ると、そのまま市内の病院へと連れていかれた。そして検査を受け薬を貰い、車内で安静にしながら自宅へと着くのを待った。
後ろの数人掛けのシートを一人で横になって使う。おじさんは運転席に乗っているから別に誰にも迷惑が掛かるわけじゃないんだけど、自分だけが後部座席を独占しているようで複雑な心境だった。
私の事を思ってかスピードを控えめに運転するおじさん。
遅すぎず速すぎずの速度を保って家路を辿る、ささやかな心遣いが込められた空間でも、私が安眠出来る事はなかった。
「着いたぞー」
目線を上げると、見慣れた泉家の外観が哀愁を漂わせていた。
再びおじさんに協力を仰ぎ、自室まで付き添って貰った。ベッドに寝かされてからお礼を言うと、おじさんは満足げな笑顔を浮かべてお昼を作ると一階へと降りていった。
見飽きたといっても良いほどの自分の部屋の天井。それでも私には仰向けに上方を見ることしかする事がなくて、何もせず眠気が襲来するのを待つ。
寝転がって間もなくは十分な睡眠が取れそうな気配は全くなかったが、おじさんお手製のお粥を食べて薬を飲んだら段々と瞼が落ちかけてきた。
心地の良い感じに身を任せ、私は夢の世界へと誘われる。
不思議な夢だった。
静寂が包む辺りには何も見当たらない空虚の世界に私はいた。
見渡す限りの、暗闇というには明るい薄暗い景色。荒涼としたこの風景は私の心理状態と関係があるのだろうか。
「ゆたか……」
そんな事を考えながらさ迷い歩いていると、私の名を呼ぶ声がした。
その方向を向き直れば、そこには私の一番会いたくて会いたくない人の姿。
「みなみちゃん……」
すらっと背の高い女の子が、その魅力的で中性的な顔立ちで私を見据えている。
近づきたい。けど、迷惑が掛かる。
嫌われたくない。ごめんねって今すぐ謝りたい。
けど、もう私はみなみちゃんに見放されたんだ。
頭がまるっきり異なる命令の信号を同時に発信する。混乱する脳に天使の、悪魔の囁きが聞こえる。
みなみちゃんは本当に用事があったのかもしれない。
けれどもそれは私よりも大切な事。
みなみちゃんはまだ私を嫌っていないかもしれない。
けれども私がみなみちゃんを拒絶したのは事実。
視界が歪む。混乱して何が現実なのか、何が正しいのか区別がつかなくなる。
「ゆたか……」
今一度呼ばれて、私はみなみちゃんの方を向いた。
一歩、みなみちゃんが踏み出した。
少しずつ私に近寄ってくるみなみちゃんに、私はどうしようもない胸の高鳴りを覚えて、同じように歩みを進める。
そして、私とみなみちゃんが接触しようとしたその時―――
二人の身体はすり抜けた。
私は驚いて向き直る。
みなみちゃんは、表情一つ変えずに立っていた。
そしてまた、私に一歩ずつ歩み寄る。
私もそれに応える。
そして、再びすれ違う。
私達が実際に触れてお互いの存在を確かめ合う事は不可能だった。
不思議な夢だった。
二人が相手を求め合う歩調は、惹き合う心を表しているようで。
決して実態を掴めない姿は、想いが通じ合う可能性を否定しているようで。
正しい選択肢とあり得ない可能性を、同時に照らし出しているようで。
私に嫌でも実現し得ない希望を持たせてしまう。
そしてまた、心に深い傷を刻んでいくのだろうか。
それでも良いと思えた。
きっとこれは、神様が私に下した罰なのだろう。
目覚めたのは夕方になってからだった。
寝る前は甚だしいほど過度だった症状もすっかり治まりを見せて、完全復活とまではいかないものの気分は大分優れてきた。
上半身を起こし伸びをすると、更に楽になれた気がする。
時刻は夕暮れ、もうそろそろ皆もそれぞれの家に帰っている頃だろうか。
「ゆーちゃん、入るよ」
実際に我が家にはお姉ちゃんが帰宅していた。二つ返事で了解すると、セーラー服のままのお姉ちゃんが部屋へ入ってきた。
「もう起きてて大丈夫なの?」
「うん、もう大体良くなったよ」
聞いてくるお姉ちゃんに、私は身体的な状態の快調さだけを伝えた。
心の方は大変な事になっていたけど、それを悟られるわけにはいかない。
「まぁ何にせよもう少し安静にしておいた方が良いね。暫くしたら夕食持ってくるよ」
お姉ちゃんはそう言い残して出ていった。
私は折角くれた好意を無下にしない為にも、大人しく再び背中をベッドへとつけた。
蛍光灯が妙に眩しかった。
見たばかりの夢の風景と似通った色に空が染まってきた頃、お姉ちゃんがお盆に食事を乗せてやってきた。温かい食べ物が入ったお皿から湯気が立ち上っている。
それを全部食べて、私は近くに置いていた携帯に手を伸ばした。電話帳を開いてみなみちゃんの番号を呼び出す。
真実を確かめたいという願望だけが私を突き動かす。
私は意を決して電話を掛けた。
私が求めた人間を呼び出している音が数度に渡って鳴り響き、それに伴うように私の動悸も激しくなっていく。
「はい、もしもし……」
数十秒後、私ではない人の声が聞こえてきた。当然みなみちゃんのもの。
「あ、みなみちゃん?ゆたか」
電話を通じて会話している相手に名乗る。
「ゆたか?早退したって聞いたけど……大丈夫?」
「うん、もう平気」
みなみちゃんの声を聞き漏らさぬよう、携帯電話を耳に押し付ける。
「何かあった?」
みなみちゃんは私が通話してきた目的を尋ねてきた。
「えっとね……」
心臓が煩いくらい騒いで、私が言葉を探すのを邪魔する。
冷静に深呼吸。効果があったかどうかははっきりとは分からないけど、ほんの少しだけ落ち着けたような気がした。
「今日田村さんが荷物を持ってきてくれたから、みなみちゃん何かあったのかなって」
必死に求めた言葉の欠片を繋ぎ合わせて聞きたくてしょうがなかった事を告げると、重苦しい沈黙が流れた。
黙するという一見何もないかのような行為が、痛いくらい私が望まない事実を肯定している。
正体を掴めない強大な力が、生まれたばかりの微かな希望を跡形もなく砕く。
耳に宛がった利き手が震える。
声が出そうになるのを懸命に堪えていると、みなみちゃんがようやく口を開いた。
「ちょっと、用事があって……」
黙っていた時間に対して、不釣合いな短い返答。
きっと、多くは語りたくないのだろう。
私も、聞きたくはなかった。
受け入れたくない真実を否定したかった。
解決には決して繋がらないけれど、事実から目を逸らしたかった。
「ごめんなさい……」
「ううん、良いの。みなみちゃんだって私にばっかり構っていられるわけじゃないもんね」
電話越しの相手にというよりは、自分に言い聞かせるように呟く。
「だから、自分を責めないでね」
―――悪いのは全部、自分勝手な私なんだから。
続くはずの台詞が喉を通過するのを拒んだ。
「夜遅くにごめんね。また来週ね」
限界だった。殆ど強引に話を遮断して、携帯を傍に置く。
寝転んで手の甲を額に当てる。多少は予想していたとはいえかなり堪えた。
自分の愚かさゆえの結果なのに。
この方がみなみちゃんは幸せになれるだろうに。
私はたった一つの動作しか出来ない機械のように、声もなく涙を流し続けた。
頭が酷く痛い。
風邪がぶり返してきたのだろうか。それとも氾濫する想いの所為だろうか。
勿論私には分からなかった。
寝る前は甚だしいほど過度だった症状もすっかり治まりを見せて、完全復活とまではいかないものの気分は大分優れてきた。
上半身を起こし伸びをすると、更に楽になれた気がする。
時刻は夕暮れ、もうそろそろ皆もそれぞれの家に帰っている頃だろうか。
「ゆーちゃん、入るよ」
実際に我が家にはお姉ちゃんが帰宅していた。二つ返事で了解すると、セーラー服のままのお姉ちゃんが部屋へ入ってきた。
「もう起きてて大丈夫なの?」
「うん、もう大体良くなったよ」
聞いてくるお姉ちゃんに、私は身体的な状態の快調さだけを伝えた。
心の方は大変な事になっていたけど、それを悟られるわけにはいかない。
「まぁ何にせよもう少し安静にしておいた方が良いね。暫くしたら夕食持ってくるよ」
お姉ちゃんはそう言い残して出ていった。
私は折角くれた好意を無下にしない為にも、大人しく再び背中をベッドへとつけた。
蛍光灯が妙に眩しかった。
見たばかりの夢の風景と似通った色に空が染まってきた頃、お姉ちゃんがお盆に食事を乗せてやってきた。温かい食べ物が入ったお皿から湯気が立ち上っている。
それを全部食べて、私は近くに置いていた携帯に手を伸ばした。電話帳を開いてみなみちゃんの番号を呼び出す。
真実を確かめたいという願望だけが私を突き動かす。
私は意を決して電話を掛けた。
私が求めた人間を呼び出している音が数度に渡って鳴り響き、それに伴うように私の動悸も激しくなっていく。
「はい、もしもし……」
数十秒後、私ではない人の声が聞こえてきた。当然みなみちゃんのもの。
「あ、みなみちゃん?ゆたか」
電話を通じて会話している相手に名乗る。
「ゆたか?早退したって聞いたけど……大丈夫?」
「うん、もう平気」
みなみちゃんの声を聞き漏らさぬよう、携帯電話を耳に押し付ける。
「何かあった?」
みなみちゃんは私が通話してきた目的を尋ねてきた。
「えっとね……」
心臓が煩いくらい騒いで、私が言葉を探すのを邪魔する。
冷静に深呼吸。効果があったかどうかははっきりとは分からないけど、ほんの少しだけ落ち着けたような気がした。
「今日田村さんが荷物を持ってきてくれたから、みなみちゃん何かあったのかなって」
必死に求めた言葉の欠片を繋ぎ合わせて聞きたくてしょうがなかった事を告げると、重苦しい沈黙が流れた。
黙するという一見何もないかのような行為が、痛いくらい私が望まない事実を肯定している。
正体を掴めない強大な力が、生まれたばかりの微かな希望を跡形もなく砕く。
耳に宛がった利き手が震える。
声が出そうになるのを懸命に堪えていると、みなみちゃんがようやく口を開いた。
「ちょっと、用事があって……」
黙っていた時間に対して、不釣合いな短い返答。
きっと、多くは語りたくないのだろう。
私も、聞きたくはなかった。
受け入れたくない真実を否定したかった。
解決には決して繋がらないけれど、事実から目を逸らしたかった。
「ごめんなさい……」
「ううん、良いの。みなみちゃんだって私にばっかり構っていられるわけじゃないもんね」
電話越しの相手にというよりは、自分に言い聞かせるように呟く。
「だから、自分を責めないでね」
―――悪いのは全部、自分勝手な私なんだから。
続くはずの台詞が喉を通過するのを拒んだ。
「夜遅くにごめんね。また来週ね」
限界だった。殆ど強引に話を遮断して、携帯を傍に置く。
寝転んで手の甲を額に当てる。多少は予想していたとはいえかなり堪えた。
自分の愚かさゆえの結果なのに。
この方がみなみちゃんは幸せになれるだろうに。
私はたった一つの動作しか出来ない機械のように、声もなく涙を流し続けた。
頭が酷く痛い。
風邪がぶり返してきたのだろうか。それとも氾濫する想いの所為だろうか。
勿論私には分からなかった。
惑う虚空の中でに続く
コメントフォーム
- 今のところ、切ない話ですね。
でも惹かれます! -- チャムチロ (2012-10-22 22:00:04)