kairakunoza @ ウィキ

『4seasons』 秋/静かの海(第三話)

最終更新:

匿名ユーザー

- view
だれでも歓迎! 編集
『4seasons』 秋/静かの海(第二話)より続く
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

§4

 どうしてこんなことになったのだろう。
 窓際の席に座って、今日何度目か知らないその言葉を頭のなかで呟いた。
「どったのかがみん? もしかして怖い?」
「そんなわけないでしょ」
「ん~、ほんとかな? ほんとかな? 内緒にしとくから、云っちゃっていいんだよ?
んん~?」
「だー、だから違うって。もう、突っつくなよ!」
「ほれほれ、北斗ひゃくれつけん~」
「ちょっ、ぁん、ってこら! 変なところ触るな!」
「うわ、かがみ今の声いろっぽっ! お父さんには聞かせらんないね」
「……よいものを聞かせていただきました」
 その声に振り向くと、しっかりと聞いていたそうじろうさんが後ろの席で合掌をしていた。

 ――どうしてこんなことになったのだろう。
 熱く火照った顔を、隠すように窓に向けながらそう思う。風景に二重写しになって、
窓ガラスにこなたのニヤニヤ顔が浮かんでいた。私は、そんなこなたをこっそりと盗み見る。
まるでレアカードを一発で引き当てたときみたいな喜色満面の笑みを浮かべているこなたは、
朝からずっとハイテンションで、なにかと云ってはやたらとスキンシップを図ってきた。そんな
こなたのことを、今日はずっと持て余していた。
 視線のフレームを外に向けると、ここからは空港の様子がよく見える。旅客ターミナルの
広いスペースには用途のよくわからない作業車が並んでいた。そこから伸びる滑走路は
そのまま海に続いているようにも見えて、本当にこの先が空に通じているのかと怪しくも思えた。
 飛行機に乗るのは、初めての経験だった。
 こなたにはああ云ったけれど、やはり少しだけ怖かった。
 機内アナウンスがあり、私たちがそれぞれシートベルトを閉めると、機体はゆっくりと動き出した。
 ぐんぐんとスピードを増しながら滑走路を突き進んでいく様子が、機首に近いこの席からは
よく見える。やがて機体を支える揚力を翼の下に得た飛行機は、ふわりと中空に浮き上がる。

 どうして、こんなことになったのだろう。

 眼下に鈍色にくすんだ晩秋の海を眺めながら、そう思う。
 日本航空1279便ボーイング777-200は、そんな思いを乗せたまま、小松空港へむけて一路
羽田を飛び立った。

 きっかけというか発端というか、全てを決めたのは一昨日の電話だった。そう、ほんの
つい一昨日の、しかも夜のことだった。
 このところのお風呂はつい長めになってしまう。勉強で寝不足気味な最近、湯船で暖まって
いるとどうしてもうとうととしてしまうから。よくないことだとは思っているけれど、どうしようもなかった。
 そんな長風呂から出て髪も乾かしたあと、居間でほこほことくつろいでいたときだった。
着替えを抱えてお風呂場に向かうつかさを横目で見ながら、なんとなくテレビ番組を聞いていた
そのとき、二階から私の着メロが流れてきたのだ。
 この着メロはこなたかみゆきだ。どちらにしてもすぐに声を聞きたい人だった。ばたばたと小走りに
階段を上がり、ドアを開けてケータイを取ると、こなただった。
 そして何気なく電話に出た私に、こなたは唐突に云ったのだ。
「かがみ。週末なんだけど……海を見たくはないかい?」
「――は?」
「週末なんだけど、海を見たくはないかい?」
「いや、聞こえてるわよ。今の“は?”は、“もう一度言い直せ”じゃなくて、“何云ってんだこいつ”
って意味だ」
「いや、それがね、聞いとくれよ。色々と長い話があってね?」
 それは確かに長い話だった。長くて、深くて、そして哀しい話。最初に電話をとったときの
ふざけた云い方は、こなたなりの気遣いだったのだろう。

 ――命日。とのことだった。

 11月23日は、かなたさんが亡くなった日なのだそうだ。
 それは誰が悪いわけでもなく、ただどこにでもある悲劇だった。
 誰もが“なんで私がこんな目に”と神を呪い、世界を罵って泣き崩れるような、けれど今も
当たり前のように誰かの身に降り掛かっている、そんな哀しい出来事の話。
 かなたさんが妊娠高血圧症候群に罹っていると診断されたのは、妊娠八ヶ月が過ぎた頃
だった。元々免疫系に疾患を抱えていたというかなたさんだったから、主治医にとっても
そうじろうさんにとっても、もちろんかなたさんにとっても、それは最も恐れていた事態だっただろう。
 急速に進行するめまい、溶血、血小板の減少、腎障害、肝障害。決断というのもおこがましいほど
速やかに選択された帝王切開による妊娠の早期終了。
 未熟児として産まれたこなたは健やかに育っていったが、一度下がった腎機能と肝機能は二度と
回復することはなかった。
 出産から半年が過ぎて、かなたさんは短い生涯を終えた。
 11月23日のことだった。

「ありがとう」
 涙ぐむ私にこなたが云った。
「……なにがよ」
「ん? 泣いてくれてありがとう」
「な、泣いてなんかないっ!」
「あは、そっか、ごめんごめん。じゃ、鼻啜ってるのは風邪かな? だめだよ気をつけないとー。
またお風呂上がりに薄着のままだらだらしてたんでしょ?」
「するか! ってかそれあんたのことだろ!」
 あの顔が見えるようだった。目を細めて満ち足りた様子で微笑む、私が一番好きな顔。
 話を切り替えたかったのかな、と思う。適当にいつものやりとりをしているうちに、さっきまでの
湿っぽい空気はどこかに行ってしまった。聞かされた私にとってそれは重い話だったけれど、
こなたにとってはある程度割り切れていることなのだろう。そうでなければ今まで生きて
こられなかっただろうから。
 毎年この時期、泉家の実家に眠るかなたさんのお墓参りに、金澤まで戻っているのだそうだ。
去年の今頃もそうだったはずだけれど、そのことを聞かされた覚えはなかった。
 ふと気づく。去年の今頃は、私とつかさが初めてこなたの家にいった頃だ。こなたのアルバムを
漁って、そこに写ったこなたそっくりのかなたさんに驚いて、あれこれと訊いたあの頃。
 お墓参りの後だったのかな、前だったのかな。
 こなたはどんな思いであの会話をしていたのだろう。
 それを思うと、引いた涙が少しだけ戻ってきた。
「――かがみ? 聞いてる?」
「ん、ちゃんと聞いてるよ」
 去年までは二人でいっていたけれど、今年はゆたかちゃんがいる。かなたさんはゆたかちゃんに
とっても伯母であるし、一人で残していく理由もあまりないしということで、三人で行く予定だった
そうだけれど。
 今日になって、ゆたかちゃんが風邪で熱を出してしまった、と。そういうことらしかった。
 どうしても今週じゃないといけないというわけでもないから、来週にしようかという話もでたよう
だったけれど、ゆたかちゃんは頑として聞き入れなかったらしい。居候の身ということもあって、
ゆたかちゃんも自分の身体のことについて色々と思うところもあるのだろう。そのプライドは
好ましく思えるものだった。
 家に残されたゆたかちゃんのことは、みなみちゃんが泊まりで来てくれるそうだから心配はない
としても、どちらにしても一人分のチケットが余る。
 時期的に予約じゃなくてもう買ってしまっていたし、宿も予約が入っているしで、やっぱり少し
勿体ないねという話をしていたところ、“じゃあ誰か他の人誘おうか”と。
「そ、それでなんで私?」
 嬉しいけど。それは凄く嬉しいけど。他に誘うのだったらそれこそ血縁のゆいさんとか、
名前は忘れたけれど、そのお母さんとかがいるように思えた。
「や、でもゆい姉さんは…………。あ、ほら、ゆーちゃんのことみてもらわないとだし」
 ――今の間は。
 今の間は、なんだ。
 確かにこなたの云うように、ゆいさんなら真っ先にゆたかちゃんの心配をするだろう。
みなみちゃんだって、あまり知らない家で一人きりでは困るだろうし。それは誰もが納得する
ゆいさんが行かない理由だ。では、こなたは最初何を云おうとしたのか。
 それが少しだけ気になったけれど、詮索するのはやめにした。こなたが隠したなら隠したなりの
理由があるのだろうし、今の私には、こなたとそのお母さんのことを考えることですでに手一杯なのだ。
「で、ゆきおばさんは……。まあ、色々あってね? それにほら、みんなお盆には帰ってるしね」
「そ、そっか」
 なんだか色々とやぶ蛇だったようだ。
 人が生きていくうちには色々と軋轢もあるのだろう。たとえ親族であっても。いや、きっと
親族だからこそ生まれる確執もあるのだ。
「――で。ど、どかな?」
 改めて問いかけてくるこなたの言葉に、改めて悩んだ。
 どうしよう。
 どうしたらいいのだろう。
 本来真っ先に考慮しないといけないはずの、受験勉強の山場であるこんな時期に休日を
潰していいのかという考えは、思い浮かびもしなかった。大体休日の一日や二日潰れたぐらいで
受験失敗するような学力なら、そもそもそんな学校に入学する資格なんてないのだ。
 それよりなにより、友達の家族というかルーツというか、そういう深い部分の話だったから。
慶応じゃなくても法律の勉強はできるけど、その友達は一人しかいない。たとえばこれが
こなたじゃなくて、みゆきやあやのやみさおだったとしても、受験勉強と天秤にかけるようなことは
考えなかっただろう。
 悩んでいるのはその部分ではなくて。
 ――こなたと同じ部屋に泊って、私は大丈夫なのかという。
 そんな、聞きようによっては喜劇としか思えないようなことを、私は真剣に悩んでいる
のだった。
 こなたと触れあうだけで反射的に感じてしまう劣情を抑えこむことには慣れてきた。けれどそれは、
ただ切なさに張り裂けそうになる痛みを抱えながら、なんでもないような振りをすることに慣れただけ。
決して痛みを感じなくなったわけじゃない。
 そんな私がこなたの香りに包まれて、こなたと同じ部屋でたった二人過ごして、こなたと枕を並べて
寝て、こなたの寝顔をのぞき込んで、平静でいられるはずもない。事実、何もそうする必要もないのに、
妄想の中ではのぞき込んでしまっている。
 虎穴に入らずんば虎児を得ずとは云うけれど、私は何も虎児が欲しいわけではないのだ。
うかつに虎穴に入り込んだせいで、何十匹もの虎児に甘えてすり寄られてはたまったものではない。
 つい、虎の格好をしたちびこなたが大量にすりよってくる光景を想像した私は、お風呂上がりで
脳までのぼせていたに違いなかった。
「かがみ? 呼吸荒いけど……本当に風邪とかじゃないよね?」
「ち、ちちち違うわよ!」
「ならいいけど……変なかがみ?」
 全く否定はできなかった。
「うん、でも、まあ……行かせてもらおうかな」
 悩んだ末に、結局そう云った。
 いくら迷っても、結局のところ最後には最初にぴんときた選択を取る物だ。私が最初に感じたことは
“あ、行きたい”というものだったから、どうせ私は行くのだろうと思ったのだった。
 ならばその間の悩みは全く無意味なものなのかと云えばそうとも云えなくて、現状を追認するのに
必要なステップなのだとも思う。
 こなたのことを、もっと知りたいと思った。
 今のこなたも、昔のこなたも、産まれる前のこなたですらも。
 泉家の実家には、きっとそんなこなたの痕跡が沢山あるはずだ。しかも、こなたの方からそれを
知って欲しいと招待してくれたのだから。なにはなくとも、それが一番嬉しかった。
「ほ、ほんとー!! やったー!! ありがとうかがみ様!」
 その手放しの喜びように、つい私も嬉しくなってしまった。
 考えてみれば別に私がいかなくても運賃が一人分無駄になるだけで、なんのデメリットもない。
それどころかチケットや宿代以外の分では負担になるわけだから、いったところでメリットも
ないのだ。だから、これは純粋に私に来て欲しいと云っているようなものだと。そう理解できたから。
「じゃ、土曜の12時40分に動物公園の改札でよろー!」
「あいよー……って、土曜? あれ? え? 今週末だっけ?」
「うん」
「……って、明後日じゃん!」
「日付回ったから明日だね」
「ちょっ、マジかっ! か、考えさせて!」
「だが断る」
「えー!」
「この泉こなたが最も好きな事のひとつは、柊かがみが慌てふためくさまをみて楽しむことだッ!」
「ネタがわかんねぇよ!」

 ――結局、押し切られてしまった。
 ケータイを切りながら、おかしいな、どうしてこんなことになったのだろうと呟いた。そしてその
言葉は、その後何度となく頭に思い浮かぶことになるのだった。
 とりあえずつかさに相談しよう。
 お風呂も上がって、もう部屋に戻っているはずだった。ちょっと前に階段を上ってくる音が
していた。
 声をかけてから部屋に入ると、つかさはすでに机に向かっていた。時間を惜しむように
髪の毛は濡れっぱなしのままで、肩掛けと膝掛けで身体を冷やさないようにしている。
 半年くらい前なら、この時間帯ならもう寝る寸前だったはずだけれど、さすがにこのところは
遅くまで起きて頑張っている。元々は調理師志望だったつかさだけれど、専門学校ならいつでも
入れるからと、とりあえず大学にいって栄養学を学ぼうと決めたのだった。誰の手助けもなく、
ただ自分の意志で、そう決めたのだ。
「つかさ、頑張ってるのはいいけど、髪の毛濡れっぱなしじゃない。もう寒いんだから、風邪
引いちゃうよ」
「あ、うん、えっと、えへへ」
 飲み込んだ言葉はきっと、“音でお姉ちゃんの気をちらさないように”というものだっただろう。
 ごうごうと音の出るドライヤーをつかさの髪に当てながら、ふとそれに気がついた。
 私の髪より細くてこしがあって柔らかい。
 そんなつかさの髪に触るのは好きだ。
 卓上の鏡をみると、つかさも気持ちよさそうに目を閉じている。
 どれだけ忙しくても、どれだけ焦っていても、こんな時間を大切にしたいと思った。
「ありがとう。あ、何か用事あったんじゃなかったの?」
「あ、そうなのよ。ちょっと聞いてよ」
 こなたの実家に一緒についていくと報告したら、つかさは開口一番「だいじょうぶなの?」と
真剣な顔で訊いてきた。
「なにがよ」
「なにがって……その、色々……だよ」
 なぜそこで顔を赤らめる、妹よ。
 反駁しようと口を開いた途端、私の部屋でケータイが鳴りだした。
「ああ、ごめん」
 そう云って部屋に戻ってケータイをみると、みゆきからだった。
「今こなたさんから伺ったのですが、かがみさん、だいじょうぶなのですか?」
 出た途端、みゆきはつかさと同じことを云いだした。
「なにがよ」
「なにがと申しますと……その……色々と、はい……」
 なぜそこで云い淀む、親友よ。
 よっぽど信用がないのか、よっぽど心配されているのか。できれば後者だと思いたい。
 これだけ心配されてしまうと、あまのじゃくな私としては、意地でも大過なく楽しんできてやろうと
思ってしまう。
 ――それももしかしたら、二人にいいように乗せられているのかもしれなかったけれど。


§5

 北陸本線美河駅から降り立てば、途端に潮の香りが漂ってくる。ああ、海辺の町なんだと思った。
電車に揺られていたときから日本海はちらちらと目に入っていたけれど、見るのと嗅ぐのでは
実感が段違いだった。
 ざ、ざーと潮騒の音が聞こえる。
 小松から五駅離れたこの美河町は、どこにでもある地方の町という様子の佇まいをしていて、
なんとなく鷹宮町とも似ていると思った。けれどきっとこの町が栄えているのは、傍らを流れる
手鳥川によってできた水利によるものなのだろう。川が日本海に注ぎこむ湾には小振りの漁港が
できていて、今しも漁から帰ってきたとおぼしき漁船が、そっと港に滑り込んでくるところだった。
 北陸本線の路線沿いには、延々と畑が広がっていた。地平線まで敷き詰められた畑の中、
ところどころに近代的な建売住宅の集落が現れる。そのありさまは、まるで海原にぽつぽつと浮かぶ
島のようにもみえた。
 そしてこの町は、本物の海に囲まれてその波間に揺れている。
 近代的な駅ビルも、綺麗ではあるけれど不思議と活気というものが感じられなくて、人はいるのに
閑散とした雰囲気を漂わせていた。はしゃぎながら切符を買っている子供達の笑い声も、鈍色の空に
吸い込まれてたちまち消えていく。寂れているというわけではなく、鄙びているというでもなく、ただ
ひっそりとしている。そんな風に思った。
 波間に浮かぶ箱船のような地方都市。
 ここで、こなたの両親は大人になったのだ。
「寂しいところだよな」
 そのそうじろうさんが笑いながら云った。
「いえ、そんなことないですよ。鷹宮や倖手とあまり変わらないと思います」
「うん、建物の数や街並だけみればそうだろうけど……人がな。息を潜めて身を寄せ合っている
みたいだろう?」
 その云い方にどきりとした。さっき感じたことをぴたりと言い当てられた気分だった。
「子供の頃は凄く厭だったな。ここがどんづまりな気がしてな。まるで今にも日本海に滑り落ちて
消えてしまいそうに思えた」
 しみじみという小父さんは、かなたさんとのことでも思い出しているのだろうか、すっと遠い目をした。
 潮騒の音が強くなったように思えた。
「かがみー! おとうさーん! なにしてんの、タクシーきたよー!」
 タクシー乗り場で車を捕まえたこなたが、ぶんぶんと手を振り回しながら叫んでいる。
「おう、ごくろうさん」
 途端に普段通りの優しげな顔にもどった小父さんについていって、タクシーに乗り込んだ。
私は当然後部座席で、勿論隣にはにこにこと笑ったこなたがちょこんと座っている。
 こなたは、通り過ぎる街並のランドマークを一々説明しては、身を乗り出して指さしていった。
当然腕とか脚とか胸とかがちらほらと私に当たる。遠足に来た子供みたいに落ち着きがなかった。
 どうして、こんなことになったのだろう。
 必死に自制しながらそう思う。
 タクシーのエンジン音がしているというのに。
 なぜか潮騒が耳にこびりついて離れなかった。

 少し町の中心から離れた丘の中程に建つ、四階建ての建物が今夜の宿だった。鉄筋コンクリートの
きちんとした作りのビルで、前面がスモークのガラス張りになっている。建物の裏手の崖は、鬱蒼とした
雑木林が伸びるがまま放置されていて、その下はすでに海だった。
 チェックインして入った部屋は、ビジネスホテルらしいシンプルな内装のダブルルームで、
ただ壁際に置かれた二つのベッドのみが存在感を主張していた。
「あ、ほら、みてよこの部屋」
「おお!」
 こなたが壁にかかったカーテンを勢いよく引くと、途端に海が飛び込んできて驚いた。
 壁の一面は大きな窓でしめられていて、視界の全てが海だった。窓際にたって下を見下ろせば
地面が視界に入るけれど、ベッドから眺めるとまるで海上に浮かんでいるように思える。
「こりゃ絶景だな」
「でしょー。いつもこの部屋とるんだよね。でも今年はお父さんだけ仲間はずれ」
 隣のベッドに座り、脚をぶらぶらさせてニシシと笑う。
 今日のこなたはずっとハイテンションなのだと思っていた。でも実はそうではないのだと、
そのとき私は気がついた。
 ハイテンションなのではない。ただ子供っぽいのだ。
 いつもの飄々とした態度はなりを潜めて、その中に隠されていた無邪気でやかましい、
子供のこなたが顔を出している。
 それはもしかして、実家に戻ってきたからなのかもしれないと思った。ここではこなたは
泉家を支える主婦としてではなく、ただの孫や姪や従姉妹でいられるから。
 普段のこなたは、きっと甘えようとしても誰にも甘えられずにいるに違いない。泉家は
長らく小父さんとこなたの二人だけだった。甘え合うのではなく支え合っていかなければ、
この世の中を渡っていけなかったのだろう。こなたがたまに際限なくスキンシップを求めてくる
のも、きっと――いや、やめよう。
 こなたの気持ちを勝手に推測して、わかったような気持ちになるのはやめよう。それはきっと、
今ここにいるこなたに対して失礼なことだと思うから。
「うーん、nice boat.」
 西日に照らされた海に浮かぶクルーザーを指さして、こなたがつぶやいた。太陽はすでに
水平線に掛かっていて、断末魔の赤い色で海原を染め上げて沈もうとしている。
「はいはい、中に誰もいないわよ」
「あ、見たい?」
「なにがよ」
「私の中」
「ちょっ! おまっ! 悪趣味にもほどがあるわ!」
 想像したら、なんだかわからないことになった。
 海鳥が翼を拡げて滑空する。上昇気流を捕まえたのか、そのままはばたきもせずに上昇して、
窓のフレームから消えていった。
 海の上に浮かんで、こなたと二人きりの部屋は心地が良かった。
 電気も点けず、少しづつ暗くなっていく部屋で、輝き渡る海を二人で見ていた。
 くっつきすぎず、離れすぎず、隣り合ったベッドに腰を下ろして、どうでもいい会話をたまに
交わしながら、ただ海をみていた。
 潮騒は続いている。
 こなたも小父さんも、この町に住む皆も、この音が気にならないのだろうか。通奏低音のように
常に聞こえてくる潮騒が。
「――かがみ」
「なぁに?」
「やっぱり、こなきゃよかったって思ってる?」
「んー、そうは思わないけど……場違いなんじゃないかって心配なのよね」
「でも私だってこの町で産まれたわけじゃないし、あんま変わんないよ?」
「そんなことないだろ。あんたの実家はここなんだから。これから会う人たちだって、みんな
泉家の人じゃないの」
 そう、この町は小父さんの産まれ育った町で。
 だから帰郷したこなたたちは実家の親族と会うのだ。小父さんが暮らしていた家には今、
小父さんのお兄さんの一家と、そしてお父さんが暮らしているらしい。お母さんはすでに
亡くなっているとのことだった。
 そしてもちろん私も、その席に同席するのだった。
「――泉家かぁ。なんかぴんとこないや。泉家っていったら、ずっと私とお父さんの二人のこと
だと思ってたから。こっちにくるようになったのも中学校に上がったころからだし」
 そう云ってぽふんとベッドに寝転がる。
 腰をひねったままこちらを向いて、真剣な顔で私のことをみつめている。
「かがみ、あのさ」
「なによ?」
「こ――」
 云いかけたところで、がちゃりとドアが開いた。
「二人とも、兄貴きたからそろそろ出るぞー」
 そう云ったそうじろうさんの顔に、こなたが投げた枕がジャストミートする。
「ノックくらいしてよ! かがみがいるんだから!」
 こ――何だろう。
 気にはなったけれど、改めて問い返す機会もなかったので、結局それはうやむやになった。

 ざっくりした荒目のセーターにブルゾン。黒縁眼鏡に、七三に撫で上げた髪は油を塗られて
光っている。そして無地のスラックス。
 どこからみても、休日のお父さんという装いだ。
「初めまして、かがみ君だね。そうじろうの兄のそうたろうです」
 そういって爽やかに笑う小父さんは、今にも握手を求めて手を差し出すか、胸ポケットから
名刺を差し出してきそうなほど社会人らしい社会人だった。
「初めまして、柊かがみです。こなたにはいつもお世話になっています」
 大人向けの優等生スマイルを浮かべてそう云ったとき、隣で盛大に吹き出す音がした。
「ぷぇっ! お世話になってるって、何その社交辞令120%!」
「う、うっさいな! 茶化すなよ!」
「むふー。無理しないで、いつもみたいに“迷惑ばかりかけられてます、謝罪と賠償を請求するニダ”
って云っていいんだよ?」
「そんなこと一度たりとも云ったことねぇよ!」
 こなたの親族に少しでもいい印象を与えようと思ったのに、一瞬にして全て台無しになってしまった。
「ふふっ、聞いていた通りだね」
 ころころと楽しそうに笑うそうたろうさんだった。
 一体誰からどのように聞いていたのだろう。少し、いや凄く気になったけれど、きっと聞かぬが華と
いうものなのかもしれない。
「夫婦漫才をみてるみたいだろ。もういっそ結婚すればいいって、いつも思うんだよな」
 そうじろうさん、それは親としてどうかと思う。
 なんだかいきなり疲れた。この先ずっとこうなのかと思うと、少しだけ不安だった。小さく
ため息をついた私をよそに、こなたと伯父さんは楽しそうに話している。
「こなたちゃんも大きくなったなー。前はこんな小さかったのに」
 そういってこなたの身長と同じ高さに手を置いている。
「またそのネタですか! どうせ私は伸びませんよ!」
 こなたがふざけて出した正拳突きを笑いながら受け止めて、小父さんはこちらを向いて云った。
「かがみ君は、慶応志望なんだって?」
「あ、はい。そうなんです。学力的にはぎりぎりなんですけど」
「そうかそうか。是非頑張ってください。受かったら僕の後輩です」
 もう陽は大半が没しているのに、きらりと眼鏡が光った気がした。
 泉家へ向かう車中では、大学のことを色々と聞くことができた。小父さんが通っていた頃とは
随分事情も違うだろうけれど、それでも実際に通っていた人から聞く話は色々と参考になることが
多かった。
 やがて陽も完全に没して、町が宵闇に包まれた頃、泉家に到着した。
 年期が入った平屋の建物だった。何度かリフォームされている跡はみられたけれど、全体的に
やはりどこか古びた印象を受ける。敷地面積はこの辺りの家に比べても広く、けれどその大半は
手入れのされていない雑木林だ。庭のガレージは随分大きくて、車が二.三台収まっているとしても
まだ余地があるくらいだろう。
「車入れてくるから、中入っててよ」
 そう云ってガレージにむかったそうたろうさんを後にして玄関に向かった。
 こなたが呼び鈴を押すと「はーい」という子供っぽい声が聞こえてくる。ぱたぱたと跫音がしたあと、
ガラリと引き戸が開いた。
 戸を開けたのは、藍鼠色の長髪を後ろで縛った小学校低学年くらいの女の子と、高学年くらいの
男の子だった。
「こなたねえちゃんだー」「ちゃんだー」
 兄妹とおぼしき二人は、口々にそう云ってこなたに駆け寄った。
「久しぶり、すぐる君にゆみちゃん」
 微笑むこなたは、ゆたかちゃんに見せるようなお姉さんの顔をしている。
「ねえちゃん、モンハンもってきた? 祖龍倒すの手伝ってよ。ゆみがすぐ三死して倒せないんだよー」
「ぬおっ、会った端からそれですかっ」
「むー。あんな雷避けられるわけないよぉ」
 腕をひっぱるすぐる君とぷーと頬を膨らませるゆみちゃんを前にして、こなたはしめしめという
表情で目を細めて笑っていた。
「うむうむ、二人とも順調に育っているようだね、こりゃ将来が楽しみだー」
「こなたちゃん、遊んでくれるのは嬉しいけど、あんまりディープな世界に連れ込まないでくれる?」
 後から現れた短髪の女性がからからと笑った。大柄だけれど太っているという感じはしない、
たくましい印象の人だった。兄妹と同じ藍鼠色の髪をしているところをみると、この人がそうたろうさんの
奥さんのなつこさんだろう。
「おかえりなさい、二人とも。それといらっしゃい、かがみちゃん」
 声をそろえて「ただいま」というこなたとそうじろうさんに遅れて、私は「お邪魔します」と返事をした。
 廊下の先から相好を崩した好々爺という雰囲気のおじいさんが歩いてくるのがみえる。
足取りはしっかりとしていて、未だかくしゃくとした感じだった。あれがきっとくにおさんだ。
 ガレージに車をおいてきたそうたろうさんが戻ってくる。これで泉家は全員のはずだった。
 一人だけ名字の違う私は、その同じ名字を持つ集団を眺めながら、朝から何度も繰りかえして
きた言葉を頭の中で呟いた。

 ――どうして、こんなことになったのだろう。

 潮騒の音は未だ続いていた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
『4seasons』 秋/静かの海(第四話)へ続く



















コメントフォーム

名前:
コメント:
  • 少し勝手&ハイパー今更ながら、かたなさん→かなたさんの修正を行いました。
    読んでいて少し引っかかったので… -- 名無しさん (2024-09-17 17:03:38)
  • 少しは手加減してよ!
    じゃないと書き手側のおれは吊ってくる寸前だよ!
    ……orz
    -- 名無しさん (2008-02-24 04:01:23)
  • こなたとかがみをもっと幸せにしてあげてください。お願いします。うん。 -- 名無しさん (2008-02-24 01:47:52)
  • ……ぐはっ…今の気持ちを上手く語源化できない自分に腹が立つ…
    とりま今までで一番GJ!!!!いつまでも読み続けていたい!! -- 名無しさん (2008-02-24 00:21:35)
  • イヤッホォォォオオ!
    オリジキャラに違和感がないぜ!
    綺麗な文章で人物の描写が上手くて、良いな、うん。 -- 名無しさん (2008-02-23 21:11:39)

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
記事メニュー
ウィキ募集バナー