Beautiful World 1章/つかさより続く
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§4
初めての場所でエレベーターから降りる瞬間は、いつも少しだけ緊張する。
知っている場所ならそんなこともないんだけど、知らない場所の知らない階で降りる場合、目の前にどんな光景が広がっているのかわからなくて少しだけ身構えてしまうんだ。
もしかしたらその気持ちって、新番アニメのOPを初めて見るときのどきどき感とも似てるのかもしれない。
――なぜか。
わたしはそのとき、『のだめカンタービレ』のアニメを見たときのことを思い出していた。
それは渋野パルコパート3、四階でのことだった。エレベータから降りたわたしの前に広がっていたのは、まるで女の子の国だった。
原色が賑やかなディスプレイは、多分ファッション雑貨屋さんだ。そこかしこにひらひらふわふわした小物が置かれていて、パンダっぽいグロキュートなキャラクターが、大きな目でわたしのことを見返していた。
あるいはもうちょっとだけ落ち着いた、パステル調のモノトーンで構成された洋服屋さん。でも展示されているTシャツとかレギンスは華やかなものが多くって、見ているお客さんも高校生くらいの女の子たちばかりだった。
インテリアとか雑貨とか服とか小物とか、色々と入っているテナントはそれぞればらばらな雰囲気を持っているけれど。それでもどこもそれぞれなりのお洒落さに満ちていて、やっぱりここは女の子の国なんだなって思うんだ。
――なんで『のだめ』を思い出したんだろう。
賑やかな流行歌が流れるフロアをつかさと歩きながら、わたしはそんなことを考えていた。
つかさの着メロから連想したのかもしれないけれど、なんだかそれだけじゃないような気もする。
『のだめ』を初めて見たとき思ったのは、“これはわたしが見るアニメじゃないのかも”ってことだった。クラシックだし、少女漫画だし、ファンタジー要素がない恋愛物だしで、普段わたしが見てるアニメと比べて随分一般よりだった。
でも考えてみたら、エヴァが流行る前までは今ほどオタクど真ん中ストレートのアニメってそんなにやってなかったような気もする。深夜アニメなんてなかったし、U局アニメだって影も形もなかった。ちょっと前までアニメっていったら子供向けの番組で、今みたいにアニメがオタクの物だなんて思われるようになったのは、意外と最近のことのはずだった。そうして改めてそんなことを考える度、今は随分いい時代になったなぁってわたしは思うんだ。
『だからおまえいくつだよ!』
頭の中で幻のかがみがあきれ顔で突っ込んできて、思わずちょっとだけ胸が高鳴った。早く本物のかがみに会いたいなって、どきどきする胸を押さえながらわたしは思う。
――それはともかく。
それでもなんとなく見ていた『のだめ』はやっぱりちゃんと面白くて、見ているうちに段々惹き込まれていったんだ。
クラシックなんていう古くさい音楽に一生懸命な登場人物たち。一人一人癖があるけれど、みんな現代的な普通の性格を持っていて。そんなキャラクタが弾くヴァイオリンとかピアノとかが、なんだか乙女チックで素敵だなぁってわたしは思った。
なんだかんだでわたしって、乙女チックなことが嫌いってわけじゃない。ローゼンっぽいビスクドールとかときめくし、アリプロのビヨンビヨンするヴァイオリンとか好きだし、マリみてなんか思いっきりはまっちゃったしで、結構わたしにも乙女な要素残ってるのかなぁなんて思う。
でも、見た目全然女らしくなくて、お父さんにまで『中身はオヤジだ』なんて云われてしまうわたしがそんなものを好きだなんて、なんだか恥ずかしくてあんまり表に出したくなかったりするんだ。
――だから、なのかな。
今このきらびやかなフロアにいて、周りの可愛い女の子を見て感じる感情は。
そこにわたしも入りたいって思うけど、でもなんとなく気後れしてしまうっていう感情は。
わたしが『のだめ』を見たときに感じたものと、多分凄く近いんだ。
「あ、あやちゃんたちいたよー!」
――そう云ってつかさが指さした先に、見覚えがある二人組が立っていた。
ロゴが入った黒いキャップ、赤と白のラグランTシャツにパーカーを羽織っている。ボトムにはスキニーなボーイズデニムを穿いていて、足下は活動的なスニーカー。ぱっと見男の子っぽくもあるけれど、微妙に女らしい身体の曲線がもの凄くスマートで、パルコの中にいるみさきちはめちゃくちゃ格好よく見えていた。
あやのんは、やっぱりいつもみたいにロングスカートだ。ふわっと広がったスカートの裾から、黒いタイツかストッキングがちらっと見えている。それはなんだか凄く奥ゆかしい絶対領域みたいな感じで、ちょっとだけ胸がどきっとする。襟が開いたピンク色のチュニックに合わせた短めのボレロも、お人形さんみたいに可愛らしかった。
――なんだかお姫様とナイトみたい。
寄り添いながらポップな目覚まし時計を眺めている二人を見て、わたしはそんなことを考えた。もっとも、みさきちの場合はナイトっていってもドン・キホーテみたいな感じだと思うけど。
だってバカだし、あわてん坊だし、間抜けだし。
一時期、かがみともっと仲良くなりたいと思ってわたしに突っかかってきてたのも、なんだか凄くそれっぽいって思う。敢然と風車に戦いを挑んだ、おっちょこちょいだけど人がいい、戦う相手を間違えたドン・キホーテさん。
――二人とも、悔しいくらいに自然体だった。
みさきちとあやのんは渋野の風景の中にちゃんと溶け込んでいて、凄く自然な笑顔で笑い合っていた。まるでお互いがそこにいることが当たり前だっていうように、二人はしっくりと馴染んでいた。
わたしがこの二人と話すようになって、精々一年くらいしか経っていない。こういう風に外でも一緒のところを見ると、ああ、みさきちとあやのんにもわたしが知らない十六年があるんだなって思うんだ。生まれてきてからずっと一緒だったっていうならつかさとかがみもそうだけど、でも、この二人の場合は姉妹の仲の良さとはまた違ったものがあるってわたしは思う。
「お、こなたとつかさじゃん! やっときたかー」
「やふ~」
みさきちは、近寄ってくるわたしたちに気がついたみたいで、顔中を口みたいにしてにぱっと笑った。あやのんとつかさも、
「おはよう、つかさちゃん」
「おはようあやちゃん。あ、でももう午後も遅いから、あんまり早くないかも~?」
「あら、本当だわ、うふふ」
なんて、早速二人であららうふふを始めていた。
――和むわー。
そんなことを思いながらほんわかしていると、隣でみさきちも同じようなアホ面を浮かべて二人のことを眺めているのだった。
そんなみさきちに向けて、わたしはぼそっと呟いた。
「なんかさ、可愛い女の子ってずるいねー」
「ああ、ずっりぃーよなー……っておい、なんでそこであたしに振るんだよ。それじゃまるであたしが可愛くない女の子みたいじゃんかよ」
「いやいや、そんなことないよ。みさきちは可愛いよー」
「おっ!? え、マジか! いやーそうかそうか、やっとちびっこもあたしの魅力がわかったかー!」
そう云って、一人で盛り上がってわたしの背中をばんばんと叩くみさきちだった。
――正直結構痛い。
でもわたしはなるべく平気な顔をして、がくがく揺さぶられながらオチの言葉を口にする。
「うんうん、みさきちは可愛い男の子みたいだよね」
「――っておいっ! そっちがダメなのかよ!」
こりゃ一本取られたー、みたいな顔をすると、みさきちはすぐに大口を開けて笑い出した。そんな反応を見る度に、わたしはやっぱりみさきちは面白いなって思うんだ。
みさきちの性格を褒めるとするならば、素直で脳天気でいつも明るいってことだろう。でもそれって結構諸刃の剣で、アニメのキャラ属性ならともかく、リアルだと結構うざくなってしまうことが多いんじゃないかって思う。他人の気持ちをくみ取れない癖に、やたらと自分のことを喋ってるだけの“明るくて元気”な子ってわたしは割と苦手な部類に入る。
でも、みさきちの場合はそれとはちょっと違うんだ。
――ほら、今なんて、つかさが持ってたちょっと重そうな手荷物を、みさきちは自然な動作で持ってあげている。
引っ込み思案で気が弱いつかさも、不思議なほどそれを遠慮しないで、にこにこ笑いながら“ありがとう”なんて云っている。
なんでだろう、みさきちって何をするときでも楽しそうにしてるから、用を頼むときにも気が引けないですむのかな。そう云えば文化祭のときにも、みさきちはみんなに用を頼まれて駆けずり回ってたって、かがみが云ってたっけ。
「――んー? なんだよこなた、なんか今面白いことあったか?」
「べっつにー。ってかわたしっていつもこんな顔してるでしょ」
そんなみさきちを見ているうちについ細目になっていたらしくって、わたしは内心慌ててごまかした。
「おー、それもそっか。や、なんかいつもより楽しそうに見えたからな」
「どかなー? そんなことより、引越祝いは決まったのかね?」
「んあー。それがなぁ……。なあ、ちびっ子はかがみって何喜ぶと思う?」
「んー……特大ポッキーとか?」
「それは喜ぶだろうけど、食ったら終わりじゃんか」
「あら、そういうのでもいいと思うな。お中元とかもそうだしね」
つかさと話していたあやのんが、なんだかちょっとだけ疲れた様子でそう云った。きっとずっとみさきちに振り回されていて、あやのんもいい加減うんざりしてたのかもしれないって、そのときわたしは思った。
「でもほら、多分色々物いりなところだと思うしさ。せっかくだから使えるようなもの選びてー」
「んー……じゃ、体重計とかは?」
「たいじゅー? ってそれってかがみは怒んねー? あいつ普段から体重気にしてんじゃん」
「いやいや、もちろんその気にしてるところにズバッと切り込むのだよ。それで喜んでいいのか怒っていいのか迷うかがみを見て楽しむのさ」
「ふむふむ、なるほどなー。確かにかがみも、なんだかんだでこなたに弄られてて楽しそうだもんな。おおっ、勉強になるぜ!」
「泉ちゃん、みさちゃんにあんまり変なこと教えないでー」
「にゃはー」
「あ、でもお姉ちゃんは真っ先に新しい体重計買ってたよ。体脂肪率とか出る高性能のやつ~」
そんなつかさの言葉に、みんなでどわって一斉に笑った。
一緒になって笑いながら、でもわたしだけは胸の高鳴りを抑えることができなかったんだ。真剣な表情で色んな体重計を物色しているかがみの姿が思い浮かんできてしまって、わたしはどうしようもなく胸がどきどきしてしまっていた。
――ああもう、どうしてかがみはそんな可愛いことしちゃうんだろう。
体重計なんて、どれ選んでも自分の重さは変わんないのに。
かがみはダイエットなんて必要ないくらいスレンダーなのに。
それがやっぱり、女の子っていうことなのかなってわたしは思った。
「そういえば、つかさはもう新居の方には行ってんだっけか?」
「あ、うん。引っ越しは家族で手伝ったから、行ったことあるよ」
「お、んじゃさ、ちょっとインテリアとか一緒に見てくれよ、まだないけどあると便利そうなもんとかさ」
「はーい」
――火照りが、抜けない。
エスカレータへ向かうみさきちたちのあとを、わたしはふわふわした身体を持て余したままなんとかついていく。
ぼーっとする頭の中、思い浮かぶのはかがみのことばかりで。
ダイエットに失敗して泣いてるところとか。
目の前にお菓子を出されて、食べようか食べまいか百面相してるところとか。
“六時からダイエット”の罠にはまって幸せそうにドカ食いしてるところとか。
そんな光景を思い出す度、かがみって本当に食べるの好きなんだなって、微妙に失礼なことをわたしは思うんだ。
――ごはん、作ってあげたいな。
わたしがかがみのためにごはんを作ってあげたら、かがみはどんな顔して食べるだろう。
それを想像するだけで胸の奥が熱くなってしまって、だからいつまで経ってもわたしの身体から火照りが抜けることはない。
知っている場所ならそんなこともないんだけど、知らない場所の知らない階で降りる場合、目の前にどんな光景が広がっているのかわからなくて少しだけ身構えてしまうんだ。
もしかしたらその気持ちって、新番アニメのOPを初めて見るときのどきどき感とも似てるのかもしれない。
――なぜか。
わたしはそのとき、『のだめカンタービレ』のアニメを見たときのことを思い出していた。
それは渋野パルコパート3、四階でのことだった。エレベータから降りたわたしの前に広がっていたのは、まるで女の子の国だった。
原色が賑やかなディスプレイは、多分ファッション雑貨屋さんだ。そこかしこにひらひらふわふわした小物が置かれていて、パンダっぽいグロキュートなキャラクターが、大きな目でわたしのことを見返していた。
あるいはもうちょっとだけ落ち着いた、パステル調のモノトーンで構成された洋服屋さん。でも展示されているTシャツとかレギンスは華やかなものが多くって、見ているお客さんも高校生くらいの女の子たちばかりだった。
インテリアとか雑貨とか服とか小物とか、色々と入っているテナントはそれぞればらばらな雰囲気を持っているけれど。それでもどこもそれぞれなりのお洒落さに満ちていて、やっぱりここは女の子の国なんだなって思うんだ。
――なんで『のだめ』を思い出したんだろう。
賑やかな流行歌が流れるフロアをつかさと歩きながら、わたしはそんなことを考えていた。
つかさの着メロから連想したのかもしれないけれど、なんだかそれだけじゃないような気もする。
『のだめ』を初めて見たとき思ったのは、“これはわたしが見るアニメじゃないのかも”ってことだった。クラシックだし、少女漫画だし、ファンタジー要素がない恋愛物だしで、普段わたしが見てるアニメと比べて随分一般よりだった。
でも考えてみたら、エヴァが流行る前までは今ほどオタクど真ん中ストレートのアニメってそんなにやってなかったような気もする。深夜アニメなんてなかったし、U局アニメだって影も形もなかった。ちょっと前までアニメっていったら子供向けの番組で、今みたいにアニメがオタクの物だなんて思われるようになったのは、意外と最近のことのはずだった。そうして改めてそんなことを考える度、今は随分いい時代になったなぁってわたしは思うんだ。
『だからおまえいくつだよ!』
頭の中で幻のかがみがあきれ顔で突っ込んできて、思わずちょっとだけ胸が高鳴った。早く本物のかがみに会いたいなって、どきどきする胸を押さえながらわたしは思う。
――それはともかく。
それでもなんとなく見ていた『のだめ』はやっぱりちゃんと面白くて、見ているうちに段々惹き込まれていったんだ。
クラシックなんていう古くさい音楽に一生懸命な登場人物たち。一人一人癖があるけれど、みんな現代的な普通の性格を持っていて。そんなキャラクタが弾くヴァイオリンとかピアノとかが、なんだか乙女チックで素敵だなぁってわたしは思った。
なんだかんだでわたしって、乙女チックなことが嫌いってわけじゃない。ローゼンっぽいビスクドールとかときめくし、アリプロのビヨンビヨンするヴァイオリンとか好きだし、マリみてなんか思いっきりはまっちゃったしで、結構わたしにも乙女な要素残ってるのかなぁなんて思う。
でも、見た目全然女らしくなくて、お父さんにまで『中身はオヤジだ』なんて云われてしまうわたしがそんなものを好きだなんて、なんだか恥ずかしくてあんまり表に出したくなかったりするんだ。
――だから、なのかな。
今このきらびやかなフロアにいて、周りの可愛い女の子を見て感じる感情は。
そこにわたしも入りたいって思うけど、でもなんとなく気後れしてしまうっていう感情は。
わたしが『のだめ』を見たときに感じたものと、多分凄く近いんだ。
「あ、あやちゃんたちいたよー!」
――そう云ってつかさが指さした先に、見覚えがある二人組が立っていた。
ロゴが入った黒いキャップ、赤と白のラグランTシャツにパーカーを羽織っている。ボトムにはスキニーなボーイズデニムを穿いていて、足下は活動的なスニーカー。ぱっと見男の子っぽくもあるけれど、微妙に女らしい身体の曲線がもの凄くスマートで、パルコの中にいるみさきちはめちゃくちゃ格好よく見えていた。
あやのんは、やっぱりいつもみたいにロングスカートだ。ふわっと広がったスカートの裾から、黒いタイツかストッキングがちらっと見えている。それはなんだか凄く奥ゆかしい絶対領域みたいな感じで、ちょっとだけ胸がどきっとする。襟が開いたピンク色のチュニックに合わせた短めのボレロも、お人形さんみたいに可愛らしかった。
――なんだかお姫様とナイトみたい。
寄り添いながらポップな目覚まし時計を眺めている二人を見て、わたしはそんなことを考えた。もっとも、みさきちの場合はナイトっていってもドン・キホーテみたいな感じだと思うけど。
だってバカだし、あわてん坊だし、間抜けだし。
一時期、かがみともっと仲良くなりたいと思ってわたしに突っかかってきてたのも、なんだか凄くそれっぽいって思う。敢然と風車に戦いを挑んだ、おっちょこちょいだけど人がいい、戦う相手を間違えたドン・キホーテさん。
――二人とも、悔しいくらいに自然体だった。
みさきちとあやのんは渋野の風景の中にちゃんと溶け込んでいて、凄く自然な笑顔で笑い合っていた。まるでお互いがそこにいることが当たり前だっていうように、二人はしっくりと馴染んでいた。
わたしがこの二人と話すようになって、精々一年くらいしか経っていない。こういう風に外でも一緒のところを見ると、ああ、みさきちとあやのんにもわたしが知らない十六年があるんだなって思うんだ。生まれてきてからずっと一緒だったっていうならつかさとかがみもそうだけど、でも、この二人の場合は姉妹の仲の良さとはまた違ったものがあるってわたしは思う。
「お、こなたとつかさじゃん! やっときたかー」
「やふ~」
みさきちは、近寄ってくるわたしたちに気がついたみたいで、顔中を口みたいにしてにぱっと笑った。あやのんとつかさも、
「おはよう、つかさちゃん」
「おはようあやちゃん。あ、でももう午後も遅いから、あんまり早くないかも~?」
「あら、本当だわ、うふふ」
なんて、早速二人であららうふふを始めていた。
――和むわー。
そんなことを思いながらほんわかしていると、隣でみさきちも同じようなアホ面を浮かべて二人のことを眺めているのだった。
そんなみさきちに向けて、わたしはぼそっと呟いた。
「なんかさ、可愛い女の子ってずるいねー」
「ああ、ずっりぃーよなー……っておい、なんでそこであたしに振るんだよ。それじゃまるであたしが可愛くない女の子みたいじゃんかよ」
「いやいや、そんなことないよ。みさきちは可愛いよー」
「おっ!? え、マジか! いやーそうかそうか、やっとちびっこもあたしの魅力がわかったかー!」
そう云って、一人で盛り上がってわたしの背中をばんばんと叩くみさきちだった。
――正直結構痛い。
でもわたしはなるべく平気な顔をして、がくがく揺さぶられながらオチの言葉を口にする。
「うんうん、みさきちは可愛い男の子みたいだよね」
「――っておいっ! そっちがダメなのかよ!」
こりゃ一本取られたー、みたいな顔をすると、みさきちはすぐに大口を開けて笑い出した。そんな反応を見る度に、わたしはやっぱりみさきちは面白いなって思うんだ。
みさきちの性格を褒めるとするならば、素直で脳天気でいつも明るいってことだろう。でもそれって結構諸刃の剣で、アニメのキャラ属性ならともかく、リアルだと結構うざくなってしまうことが多いんじゃないかって思う。他人の気持ちをくみ取れない癖に、やたらと自分のことを喋ってるだけの“明るくて元気”な子ってわたしは割と苦手な部類に入る。
でも、みさきちの場合はそれとはちょっと違うんだ。
――ほら、今なんて、つかさが持ってたちょっと重そうな手荷物を、みさきちは自然な動作で持ってあげている。
引っ込み思案で気が弱いつかさも、不思議なほどそれを遠慮しないで、にこにこ笑いながら“ありがとう”なんて云っている。
なんでだろう、みさきちって何をするときでも楽しそうにしてるから、用を頼むときにも気が引けないですむのかな。そう云えば文化祭のときにも、みさきちはみんなに用を頼まれて駆けずり回ってたって、かがみが云ってたっけ。
「――んー? なんだよこなた、なんか今面白いことあったか?」
「べっつにー。ってかわたしっていつもこんな顔してるでしょ」
そんなみさきちを見ているうちについ細目になっていたらしくって、わたしは内心慌ててごまかした。
「おー、それもそっか。や、なんかいつもより楽しそうに見えたからな」
「どかなー? そんなことより、引越祝いは決まったのかね?」
「んあー。それがなぁ……。なあ、ちびっ子はかがみって何喜ぶと思う?」
「んー……特大ポッキーとか?」
「それは喜ぶだろうけど、食ったら終わりじゃんか」
「あら、そういうのでもいいと思うな。お中元とかもそうだしね」
つかさと話していたあやのんが、なんだかちょっとだけ疲れた様子でそう云った。きっとずっとみさきちに振り回されていて、あやのんもいい加減うんざりしてたのかもしれないって、そのときわたしは思った。
「でもほら、多分色々物いりなところだと思うしさ。せっかくだから使えるようなもの選びてー」
「んー……じゃ、体重計とかは?」
「たいじゅー? ってそれってかがみは怒んねー? あいつ普段から体重気にしてんじゃん」
「いやいや、もちろんその気にしてるところにズバッと切り込むのだよ。それで喜んでいいのか怒っていいのか迷うかがみを見て楽しむのさ」
「ふむふむ、なるほどなー。確かにかがみも、なんだかんだでこなたに弄られてて楽しそうだもんな。おおっ、勉強になるぜ!」
「泉ちゃん、みさちゃんにあんまり変なこと教えないでー」
「にゃはー」
「あ、でもお姉ちゃんは真っ先に新しい体重計買ってたよ。体脂肪率とか出る高性能のやつ~」
そんなつかさの言葉に、みんなでどわって一斉に笑った。
一緒になって笑いながら、でもわたしだけは胸の高鳴りを抑えることができなかったんだ。真剣な表情で色んな体重計を物色しているかがみの姿が思い浮かんできてしまって、わたしはどうしようもなく胸がどきどきしてしまっていた。
――ああもう、どうしてかがみはそんな可愛いことしちゃうんだろう。
体重計なんて、どれ選んでも自分の重さは変わんないのに。
かがみはダイエットなんて必要ないくらいスレンダーなのに。
それがやっぱり、女の子っていうことなのかなってわたしは思った。
「そういえば、つかさはもう新居の方には行ってんだっけか?」
「あ、うん。引っ越しは家族で手伝ったから、行ったことあるよ」
「お、んじゃさ、ちょっとインテリアとか一緒に見てくれよ、まだないけどあると便利そうなもんとかさ」
「はーい」
――火照りが、抜けない。
エスカレータへ向かうみさきちたちのあとを、わたしはふわふわした身体を持て余したままなんとかついていく。
ぼーっとする頭の中、思い浮かぶのはかがみのことばかりで。
ダイエットに失敗して泣いてるところとか。
目の前にお菓子を出されて、食べようか食べまいか百面相してるところとか。
“六時からダイエット”の罠にはまって幸せそうにドカ食いしてるところとか。
そんな光景を思い出す度、かがみって本当に食べるの好きなんだなって、微妙に失礼なことをわたしは思うんだ。
――ごはん、作ってあげたいな。
わたしがかがみのためにごはんを作ってあげたら、かがみはどんな顔して食べるだろう。
それを想像するだけで胸の奥が熱くなってしまって、だからいつまで経ってもわたしの身体から火照りが抜けることはない。
――ふと気づけば。
あやのんが、にこにこしながらわたしのことをじっと見つめているのだった。
§5
――結局、みさきちのプレゼントは抱き枕ということに決まった。
そのこと自体に問題はない。きっとかがみは使ってくれると思う。
かがみは時々ポン太くんぬいぐるみに抱きついてたりするし、わたしの部屋にきたときにも気づいたらわたしのクッションを抱え込んでたりする。子供の頃はずっとつかさと寝てたからかな、多分かがみは抱きつき癖がちょっとだけあるんだって思う。
そういえばあの日、クリスマスの夜にわたしと一緒に寝たときも、かがみはわたしのことを抱え込んで離さなかった。でも、あれは流石に別腹なんだろう。
無意識のうちに抱きつき癖がでたってわけじゃなくて、かがみはあの夜、きっとわたしのことを抱きしめてくれたんだって思う。
――だから、わたしは安心して眠ることができたんだ。
中3のあの頃のことを思い出すと、わたしはその夜いつも眠れなくなるものだった。彼とあの子のことを思い出すと、夜はいつもわたしを責めるようにのしかかってきて、わたしはそれに押し潰されそうになってしまうんだ。そんな風に眠れないままボロボロになって登校する度、ネトゲとか深夜アニメとかでごまかしてきたけれど。あの夜だけはかがみが抱きしめてくれていたから、わたしはぐっすり眠ることができた。
でも、かがみはどうだったのかなって、それがちょっとだけ気に掛かる。わたしが起きたときはかがみも起きていて、わたしの頭を優しく撫でてくれていた。嬉しかったけれど、もしかしたらずっと眠れなかったのかなって、今となっては少しだけ罪悪感を覚える。
――って、またわたし、かがみのこと考えてる。
なんだかさっきからふとしたことでかがみの顔が浮かんできてしまって、わたしはその度にどうしようもなくなってしまうんだ。
こんなだからまた、みさきちごときにからかわれちゃうんだなってわたしは思う。
心の中で、小さなため息を一つ。
――みさきちが選んだプレゼントが抱き枕であることには問題がないんだけど。
それが、丁度140センチくらいの大きさだってことにはちょっと問題がある。
――しかも、なぜかそれは青いんだ。
そもそもなんでみさきちが突然抱き枕を思いついたかって云うと、贈り物に迷ったみさきちが、わたしたちは何を用意したのかって聞いたことに原因があったんだ。
――つかさは、みさきちに持ってもらっていた大きい荷物を指さして、こう云った。
『お鍋』
『鍋?』
『うん、お鍋』
にこにこと笑いながらそう云いきったつかさが、なぜだかちょっとだけ格好良く見えた。引っ越しを手伝っていて、何があって何がないのか詳しいところを知っているつかさには、今みさきちが持っている大きいお鍋があった方がいいってわかるんだろう。でもそれはつかさにしか用意できないことなので、みさきちにはあんまり参考にならないようだった。っていうかそれってプレゼントじゃなくて、普通に引っ越し作業の延長なんじゃないかって思った。
『パスタ・マッスィーン』
『なんだよその発音は』
『こんなこともあろうかと、こっそりと用意していたのだよ!』
聞かれてわたしは、持っていた紙袋に入った器械の名前を挙げた。最初はお父さんが買ってきたパスタ・マシーンだったけれど、作ってみたら生パスタはもちもちしてて凄く美味しかった。かがみは乾麺しか食べたことないようだったから、作って食べさせてあげたいなって思って買ってきたんだ。
――そうすれば、かがみん家に行く口実も増えるしね。
改めて考えてみると、わたしって結構いじらしいんじゃないかって気がする。なんだか自分が恋する乙女に思えて、それが少しだけ恥ずかしい。わたしみたいのがそういうのやっても、多分誰も萌えないだろうから厭なんだけど。でも、好きになっちゃったら仕方ないのかなって思うんだ。
『わたしはこのぬいぐるみだよ』
そう云ってあやのんが取り出したのは、髪を切るときに掛ける前掛けみたいなラッピングをされた、大きな猫のぬいぐるみだった。
『ほら、この頭の回りだけ青いの、なんかちょっと泉ちゃんに似てるでしょ? 口とか細目とかもそっくりで、つい買っちゃったの』
『んにゃっ!!』
思わずそんな悲鳴を漏らして絶句したわたしを尻目に、みんなはにこにこ笑いながらそのぬいぐるみの寸評を始めたのだった。
『あー、ホントこなちゃんそっくり~! これならお姉ちゃんも喜んでくれるよね』
『だよね、もう見た途端これだって思っちゃったのよ』
『ほほー、確かにそうか。かがみが一番喜びそうなのって、ちびっ子絡みのことだよな』
なんてみんなが云う度に顔がどんどん熱くなってきて、きっとわたしはかがみみたいに真っ赤になってるんだって思った。しかもみんなわたしがかがみをからかうような口調じゃなくって、自然体のまま普通に話してるから余計に恥ずかしいんだ。
『――おっ! わかった、思いついちまったぜっ! ハンズ行こうハンズ!』
そう云って、みさきちはパルコを出て、ハンズの寝具売り場に駆け込んだのだった。
かがみは時々ポン太くんぬいぐるみに抱きついてたりするし、わたしの部屋にきたときにも気づいたらわたしのクッションを抱え込んでたりする。子供の頃はずっとつかさと寝てたからかな、多分かがみは抱きつき癖がちょっとだけあるんだって思う。
そういえばあの日、クリスマスの夜にわたしと一緒に寝たときも、かがみはわたしのことを抱え込んで離さなかった。でも、あれは流石に別腹なんだろう。
無意識のうちに抱きつき癖がでたってわけじゃなくて、かがみはあの夜、きっとわたしのことを抱きしめてくれたんだって思う。
――だから、わたしは安心して眠ることができたんだ。
中3のあの頃のことを思い出すと、わたしはその夜いつも眠れなくなるものだった。彼とあの子のことを思い出すと、夜はいつもわたしを責めるようにのしかかってきて、わたしはそれに押し潰されそうになってしまうんだ。そんな風に眠れないままボロボロになって登校する度、ネトゲとか深夜アニメとかでごまかしてきたけれど。あの夜だけはかがみが抱きしめてくれていたから、わたしはぐっすり眠ることができた。
でも、かがみはどうだったのかなって、それがちょっとだけ気に掛かる。わたしが起きたときはかがみも起きていて、わたしの頭を優しく撫でてくれていた。嬉しかったけれど、もしかしたらずっと眠れなかったのかなって、今となっては少しだけ罪悪感を覚える。
――って、またわたし、かがみのこと考えてる。
なんだかさっきからふとしたことでかがみの顔が浮かんできてしまって、わたしはその度にどうしようもなくなってしまうんだ。
こんなだからまた、みさきちごときにからかわれちゃうんだなってわたしは思う。
心の中で、小さなため息を一つ。
――みさきちが選んだプレゼントが抱き枕であることには問題がないんだけど。
それが、丁度140センチくらいの大きさだってことにはちょっと問題がある。
――しかも、なぜかそれは青いんだ。
そもそもなんでみさきちが突然抱き枕を思いついたかって云うと、贈り物に迷ったみさきちが、わたしたちは何を用意したのかって聞いたことに原因があったんだ。
――つかさは、みさきちに持ってもらっていた大きい荷物を指さして、こう云った。
『お鍋』
『鍋?』
『うん、お鍋』
にこにこと笑いながらそう云いきったつかさが、なぜだかちょっとだけ格好良く見えた。引っ越しを手伝っていて、何があって何がないのか詳しいところを知っているつかさには、今みさきちが持っている大きいお鍋があった方がいいってわかるんだろう。でもそれはつかさにしか用意できないことなので、みさきちにはあんまり参考にならないようだった。っていうかそれってプレゼントじゃなくて、普通に引っ越し作業の延長なんじゃないかって思った。
『パスタ・マッスィーン』
『なんだよその発音は』
『こんなこともあろうかと、こっそりと用意していたのだよ!』
聞かれてわたしは、持っていた紙袋に入った器械の名前を挙げた。最初はお父さんが買ってきたパスタ・マシーンだったけれど、作ってみたら生パスタはもちもちしてて凄く美味しかった。かがみは乾麺しか食べたことないようだったから、作って食べさせてあげたいなって思って買ってきたんだ。
――そうすれば、かがみん家に行く口実も増えるしね。
改めて考えてみると、わたしって結構いじらしいんじゃないかって気がする。なんだか自分が恋する乙女に思えて、それが少しだけ恥ずかしい。わたしみたいのがそういうのやっても、多分誰も萌えないだろうから厭なんだけど。でも、好きになっちゃったら仕方ないのかなって思うんだ。
『わたしはこのぬいぐるみだよ』
そう云ってあやのんが取り出したのは、髪を切るときに掛ける前掛けみたいなラッピングをされた、大きな猫のぬいぐるみだった。
『ほら、この頭の回りだけ青いの、なんかちょっと泉ちゃんに似てるでしょ? 口とか細目とかもそっくりで、つい買っちゃったの』
『んにゃっ!!』
思わずそんな悲鳴を漏らして絶句したわたしを尻目に、みんなはにこにこ笑いながらそのぬいぐるみの寸評を始めたのだった。
『あー、ホントこなちゃんそっくり~! これならお姉ちゃんも喜んでくれるよね』
『だよね、もう見た途端これだって思っちゃったのよ』
『ほほー、確かにそうか。かがみが一番喜びそうなのって、ちびっ子絡みのことだよな』
なんてみんなが云う度に顔がどんどん熱くなってきて、きっとわたしはかがみみたいに真っ赤になってるんだって思った。しかもみんなわたしがかがみをからかうような口調じゃなくって、自然体のまま普通に話してるから余計に恥ずかしいんだ。
『――おっ! わかった、思いついちまったぜっ! ハンズ行こうハンズ!』
そう云って、みさきちはパルコを出て、ハンズの寝具売り場に駆け込んだのだった。
「いやー、悩んだだけあって、我ながらいいプレゼントになったんじゃねーの? これでかがみの一人寝の夜も寂しくないぜ!」
「そだね~。意外とお姉ちゃんって抱きつき癖あるから、いいかも~」
「142センチのがあったらよかったんだけどな。流石にそこまで細かい指定ってできねーのな」
「ねー? あ、でも三年になったときの身体測定では144センチだったんだって」
「――誰がさ!」
「色ももうちょっとこう、青が濃かったらそっくりだったのにな」
「――誰とさ!」
「素材もあれだよね、弾力がある柔らかいやつってやっぱり結構高いんだね。ああいうのだったら、もっとちゃんと代わりになったのかなって思うよ~」
「――誰のさ!」
わたしが三度目に口を挟むと、にこにこと笑いながら話し合っていたつかさとみさきちが、同時にくるりと振り向いて。
「「云って欲しいの~?」」
なんて、口を揃えて云いだした。
――余計な知恵、つけなければよかった。
こんな風にみさきちがわたしのことを弄りだしたのも、さっきわたしがかがみの弄り方を教えてしまったからに他ならない。
「自業自得ね、泉ちゃん」
あやのんまで、楽しそうにそう云って笑うのだった。
みゆきとかあやのんならともかく、つかさとみさきちに弄られるなんて、いくらなんでも不覚すぎる。もっとも、前者の二人だったら、他人を弄って遊ぼうなんてこと思いつきもしないんだろうけど。
そんなことを考えながら、わたしはコーヒーフロートに浮かんだアイスをスプーンで軽く突っついた。少しだけすくって、ぼんやりとした動作で口に運ぶ。火照った身体に、冷たいアイスが心地よかった。
ニマニマ笑顔を浮かべているみさきちからぷいと顔を逸らし、わたしは喫茶店の窓から外の景色を見下ろした。
スペイン坂の狭苦しい煉瓦敷きの歩道に、色とりどりの服を着た若い男女が群れている。別に特別何か凄いお店があるわけでもないし、面白い出来事があるわけでもないと思う。それでも渋野のスペイン坂っていうだけでなんだか人が集まるみたいで、ここは平日にもかかわらず賑やかなお祭りムードで満ちていた。
もっとも、今こうしてこの喫茶店にいるわたしたちも、そんなお祭りムードを作り出している若者のうちの一部なんだろうって思うけど。
スペイン坂の中ほど、南欧風の外観をした小さな雑居ビルの二階。
“ゴールデン・アフタヌーン”っていう、あやのんお気に入りの喫茶店だった。室内はヴィクトリア調っぽい雰囲気で統一されていて、確かにあやのんが好きそうなお店だなってわたしは思った。
テーブルは飴色に光っていて、くるんと丸まった猫足がついている。ソファーは赤いベルベットが張られていて、少し古ぼけているけれど趣を感じさせるものだった。落ち着いた色合いの壁紙に這う唐草文様とか、観葉植物の鉢が載った出窓とか、透かし彫りが入った木枠に嵌った大きな鏡とか。わたしは、なんだか『不思議の国のアリス』の世界に紛れ込んだみたいな気持ちになっていた。もっとも、店名からして、多分アリスを意識してるんだろうなって思うけど。
凄く素敵なお店だったけれど、正直云ってわたしはすぐにでもかがみの所に行きたかった。
でも、みさきちが『疲れたからどっか入って休もうぜー』なんて、だらけた顔をして云ってきたから仕方がなかったんだ。
――だって、そう云ったみさきちの疲れたような顔は明らかに見せかけで、本当に疲れた様子をしてたのはあやのんだったから。
「大変お待たせいたしました。いちじくのミルフィーユのお客さまはどちらでしょうか?」
「あ、はいはーい。わたしわたし、わたしでーす!」
店員さんが注文していたケーキを持ってきてくれて、わたしは大きな声で返事をする。頭の上でこれみよがしに両手まで振ってみせたのは、一つにはさっきまでの弄られムードを一新したかったから。
そうしてもう一つには、店員さんがもの凄く可愛いかったからに他ならない。
ふわふわしたアッシュブロンドの巻き毛に、陶器みたいな真っ白い肌。薄く切れこんだ唇はほんのりと桜色に色づいて。
アリスみたいな水色のエプロンドレスを着た美少女は、おどけてみせたわたしに悪戯っぽく微笑んでくれた。
――んー! いいね! 萌えだねー!
心の中で、わたしは大きくガッツポーズ。スカウトできるものなら、うちのお店に来て貰いたいくらいだって思った。
わたしのミルフィーユのあと、みさきちの前に差し出されたのは完熟マンゴープリン。あやのんはフロマージュ・ブランで、つかさはフォレ・ノワールだった。
「っていうか、なんだー。要するにチーズケーキとチョコレートケーキなんじゃん」
つかさもあやのんも、聞いたこともない名前のスイーツをさも当然のように注文していたけれど。でてきたものは普通に見たことがあるものだった。
「そ、そう云っちゃうとそうなんだけど……えっと……」
「うふふ、一言でチーズケーキとチョコレートケーキって云っても、名前が変わればそれぞれ入ってるものとか素材とか製法とか、微妙に違うのよ?」
「そ、そうそう! それを云いたかったんだよ~」
「えー? ほんとー? つかさは調子いいなー」
「うぐぅ。いつも調子いいのはこなちゃんの癖にー!」
「まーまー。スッウィーツに詳しくないあたしらは、プリンとかミルフィーユとか食ってようぜ」
「いやごめん、みさきちと一緒にしないでよ。わたし料理とか普通に得意だしさ」
「ぬおおっ! ここが裏切りの街角かぁーっ!」
――クスクス。
ちょっと遠くからそんな笑い声が聞こえてきて、思わずわたしは振り向いた。
そこでは、つい会話が耳に入ってしまったようで、例のアリスちゃんがお盆で顔を隠しながら笑っていたのだった。
わたしが見ているのに気がついたんだろう。アリスちゃんは白磁みたいな頬をぽっとピンクに染め上げると、申し訳なさそうに会釈してキッチンのほうに向かっていったんだ。
「か、可愛いーー! 何あの子、滅茶苦茶萌えじゃん!」
みんなに顔を近づけて、わたしはキッチンに聞こえないように小声で叫んだ。
「あ、泉ちゃんもそう思う? 萌えって云うのはよくわからないけど、可愛いよね。前からずっとここで働いてるみたいなんだけど、お店の人のご家族なのかな?」
「どっだろな。たまたまあたしらが来てるときにシフトが入ってるだけなんじゃねー? 今だって学生なら春休みだぜ」
「んー、そっかー。バイトでやっててコスプレに興味があるなら、うちのお店に欲しい人材だー」
わたしが顎に手を当てながらそう云うと、何故かあやのんが慌てた顔をして突っ込んできた。
「コ、コスプレって……ロリィタとコスプレは違うもん!」
「うわっ、あやのんが怒った!……ち、違うの?」
「違うと思うな。ロリィタは自分自身の中にある少女性を出していくっていうファッションだもの。コスプレする人の心理ってよくわからないけど、自分と違う人に変身したいんじゃないの? だったらこの二つって結構違うよね?」
「む、むう、そう云われるとそかなー? よし、あとでみゆきに聞いてみよう!」
「いくらゆきちゃんでも、コスプレとロリィタファッションの違いなんてわかるかな~?」
「ちっちっち、わかってもわからなくても、聞いたときのみゆきの反応が多分面白いじゃん?」
「なるほど、高良はそうやって弄るのか、勉強になるぜ!」
「ああん、私のみさちゃんがどんどん泉ちゃんに毒されていくわー」
あやのんがわざとらしく泣き真似をして、わたしたちはみんなで声を出して笑ったのだった。そうしてその笑いが収まったころ、つかさが思い出したように小首を傾げながらこう云った。
「――っていうか、こなちゃんはコスプレ喫茶また戻るの?」
「あ、一応そのつもりだよ。まだ返事してないけどさ」
元々受験が終わるまでは休むっていう話だったし、無事に大学合格を果たした今、できれば戻りたいなってわたしは思っていた。
なんといってもパティを誘ったのはわたしだったから、多分、それに対する責任ってものがわたしにはあるんだ。
あの通り明るくて行動力があって友達もすぐに作れるパティだけれど、アメリカから一人でやってきて日本のお店で働いていたら、色々戸惑うこともあるはずなんだ。同僚のみんなもパティにはよくしてくれていたけれど、お金が絡むことだけにフォローはいくらあっても充分すぎるってことはないと思う。
――そういえば、ながもんはどうしてるかなぁ。
ずっと長門役をやってた彼女とは、最近あんまり連絡をとっていなかった。たまに一言だけ『――またラジオ会館に』とか『眼鏡属性って何?』とかネタメールが飛んでくるけれど、その度にわたしもネタメールで返してた。ながもんは本当に長門みたいに無口だったから、一年半一緒に働いてきて結局そのくらいの仲にしかなれなかった。でも、不思議とわたしとながもんは息が合ってたんじゃないかなって思う。素性も趣味も年齢もよくわからないけれど、わたしはながもんといると凄く安心できたんだ。
――でも、かがみはわたしがお店に戻りたいって云ったら、なんて思うだろう。
さっきつかさに対して『一応』って云ったのは、それがまだよくわからないからなんだ。
わたしがあのお店で働くことを、前からかがみはちょっと嫌がっていた。真面目でお堅いかがみだから、ああいう職種は女を売り物にしてるみたいで嫌いなんじゃないかなって思うんだ。
わたしとしては、大事に護らないといけないような“女”は自分の中にないって思っていたし、変な目線で見られてたとしても、それは今ひとつ実感できないことだったから。
だから、まるで抵抗なくできるバイトだったんだけれど。
でも、かがみが嫌がるなら――。
「そだね~。意外とお姉ちゃんって抱きつき癖あるから、いいかも~」
「142センチのがあったらよかったんだけどな。流石にそこまで細かい指定ってできねーのな」
「ねー? あ、でも三年になったときの身体測定では144センチだったんだって」
「――誰がさ!」
「色ももうちょっとこう、青が濃かったらそっくりだったのにな」
「――誰とさ!」
「素材もあれだよね、弾力がある柔らかいやつってやっぱり結構高いんだね。ああいうのだったら、もっとちゃんと代わりになったのかなって思うよ~」
「――誰のさ!」
わたしが三度目に口を挟むと、にこにこと笑いながら話し合っていたつかさとみさきちが、同時にくるりと振り向いて。
「「云って欲しいの~?」」
なんて、口を揃えて云いだした。
――余計な知恵、つけなければよかった。
こんな風にみさきちがわたしのことを弄りだしたのも、さっきわたしがかがみの弄り方を教えてしまったからに他ならない。
「自業自得ね、泉ちゃん」
あやのんまで、楽しそうにそう云って笑うのだった。
みゆきとかあやのんならともかく、つかさとみさきちに弄られるなんて、いくらなんでも不覚すぎる。もっとも、前者の二人だったら、他人を弄って遊ぼうなんてこと思いつきもしないんだろうけど。
そんなことを考えながら、わたしはコーヒーフロートに浮かんだアイスをスプーンで軽く突っついた。少しだけすくって、ぼんやりとした動作で口に運ぶ。火照った身体に、冷たいアイスが心地よかった。
ニマニマ笑顔を浮かべているみさきちからぷいと顔を逸らし、わたしは喫茶店の窓から外の景色を見下ろした。
スペイン坂の狭苦しい煉瓦敷きの歩道に、色とりどりの服を着た若い男女が群れている。別に特別何か凄いお店があるわけでもないし、面白い出来事があるわけでもないと思う。それでも渋野のスペイン坂っていうだけでなんだか人が集まるみたいで、ここは平日にもかかわらず賑やかなお祭りムードで満ちていた。
もっとも、今こうしてこの喫茶店にいるわたしたちも、そんなお祭りムードを作り出している若者のうちの一部なんだろうって思うけど。
スペイン坂の中ほど、南欧風の外観をした小さな雑居ビルの二階。
“ゴールデン・アフタヌーン”っていう、あやのんお気に入りの喫茶店だった。室内はヴィクトリア調っぽい雰囲気で統一されていて、確かにあやのんが好きそうなお店だなってわたしは思った。
テーブルは飴色に光っていて、くるんと丸まった猫足がついている。ソファーは赤いベルベットが張られていて、少し古ぼけているけれど趣を感じさせるものだった。落ち着いた色合いの壁紙に這う唐草文様とか、観葉植物の鉢が載った出窓とか、透かし彫りが入った木枠に嵌った大きな鏡とか。わたしは、なんだか『不思議の国のアリス』の世界に紛れ込んだみたいな気持ちになっていた。もっとも、店名からして、多分アリスを意識してるんだろうなって思うけど。
凄く素敵なお店だったけれど、正直云ってわたしはすぐにでもかがみの所に行きたかった。
でも、みさきちが『疲れたからどっか入って休もうぜー』なんて、だらけた顔をして云ってきたから仕方がなかったんだ。
――だって、そう云ったみさきちの疲れたような顔は明らかに見せかけで、本当に疲れた様子をしてたのはあやのんだったから。
「大変お待たせいたしました。いちじくのミルフィーユのお客さまはどちらでしょうか?」
「あ、はいはーい。わたしわたし、わたしでーす!」
店員さんが注文していたケーキを持ってきてくれて、わたしは大きな声で返事をする。頭の上でこれみよがしに両手まで振ってみせたのは、一つにはさっきまでの弄られムードを一新したかったから。
そうしてもう一つには、店員さんがもの凄く可愛いかったからに他ならない。
ふわふわしたアッシュブロンドの巻き毛に、陶器みたいな真っ白い肌。薄く切れこんだ唇はほんのりと桜色に色づいて。
アリスみたいな水色のエプロンドレスを着た美少女は、おどけてみせたわたしに悪戯っぽく微笑んでくれた。
――んー! いいね! 萌えだねー!
心の中で、わたしは大きくガッツポーズ。スカウトできるものなら、うちのお店に来て貰いたいくらいだって思った。
わたしのミルフィーユのあと、みさきちの前に差し出されたのは完熟マンゴープリン。あやのんはフロマージュ・ブランで、つかさはフォレ・ノワールだった。
「っていうか、なんだー。要するにチーズケーキとチョコレートケーキなんじゃん」
つかさもあやのんも、聞いたこともない名前のスイーツをさも当然のように注文していたけれど。でてきたものは普通に見たことがあるものだった。
「そ、そう云っちゃうとそうなんだけど……えっと……」
「うふふ、一言でチーズケーキとチョコレートケーキって云っても、名前が変わればそれぞれ入ってるものとか素材とか製法とか、微妙に違うのよ?」
「そ、そうそう! それを云いたかったんだよ~」
「えー? ほんとー? つかさは調子いいなー」
「うぐぅ。いつも調子いいのはこなちゃんの癖にー!」
「まーまー。スッウィーツに詳しくないあたしらは、プリンとかミルフィーユとか食ってようぜ」
「いやごめん、みさきちと一緒にしないでよ。わたし料理とか普通に得意だしさ」
「ぬおおっ! ここが裏切りの街角かぁーっ!」
――クスクス。
ちょっと遠くからそんな笑い声が聞こえてきて、思わずわたしは振り向いた。
そこでは、つい会話が耳に入ってしまったようで、例のアリスちゃんがお盆で顔を隠しながら笑っていたのだった。
わたしが見ているのに気がついたんだろう。アリスちゃんは白磁みたいな頬をぽっとピンクに染め上げると、申し訳なさそうに会釈してキッチンのほうに向かっていったんだ。
「か、可愛いーー! 何あの子、滅茶苦茶萌えじゃん!」
みんなに顔を近づけて、わたしはキッチンに聞こえないように小声で叫んだ。
「あ、泉ちゃんもそう思う? 萌えって云うのはよくわからないけど、可愛いよね。前からずっとここで働いてるみたいなんだけど、お店の人のご家族なのかな?」
「どっだろな。たまたまあたしらが来てるときにシフトが入ってるだけなんじゃねー? 今だって学生なら春休みだぜ」
「んー、そっかー。バイトでやっててコスプレに興味があるなら、うちのお店に欲しい人材だー」
わたしが顎に手を当てながらそう云うと、何故かあやのんが慌てた顔をして突っ込んできた。
「コ、コスプレって……ロリィタとコスプレは違うもん!」
「うわっ、あやのんが怒った!……ち、違うの?」
「違うと思うな。ロリィタは自分自身の中にある少女性を出していくっていうファッションだもの。コスプレする人の心理ってよくわからないけど、自分と違う人に変身したいんじゃないの? だったらこの二つって結構違うよね?」
「む、むう、そう云われるとそかなー? よし、あとでみゆきに聞いてみよう!」
「いくらゆきちゃんでも、コスプレとロリィタファッションの違いなんてわかるかな~?」
「ちっちっち、わかってもわからなくても、聞いたときのみゆきの反応が多分面白いじゃん?」
「なるほど、高良はそうやって弄るのか、勉強になるぜ!」
「ああん、私のみさちゃんがどんどん泉ちゃんに毒されていくわー」
あやのんがわざとらしく泣き真似をして、わたしたちはみんなで声を出して笑ったのだった。そうしてその笑いが収まったころ、つかさが思い出したように小首を傾げながらこう云った。
「――っていうか、こなちゃんはコスプレ喫茶また戻るの?」
「あ、一応そのつもりだよ。まだ返事してないけどさ」
元々受験が終わるまでは休むっていう話だったし、無事に大学合格を果たした今、できれば戻りたいなってわたしは思っていた。
なんといってもパティを誘ったのはわたしだったから、多分、それに対する責任ってものがわたしにはあるんだ。
あの通り明るくて行動力があって友達もすぐに作れるパティだけれど、アメリカから一人でやってきて日本のお店で働いていたら、色々戸惑うこともあるはずなんだ。同僚のみんなもパティにはよくしてくれていたけれど、お金が絡むことだけにフォローはいくらあっても充分すぎるってことはないと思う。
――そういえば、ながもんはどうしてるかなぁ。
ずっと長門役をやってた彼女とは、最近あんまり連絡をとっていなかった。たまに一言だけ『――またラジオ会館に』とか『眼鏡属性って何?』とかネタメールが飛んでくるけれど、その度にわたしもネタメールで返してた。ながもんは本当に長門みたいに無口だったから、一年半一緒に働いてきて結局そのくらいの仲にしかなれなかった。でも、不思議とわたしとながもんは息が合ってたんじゃないかなって思う。素性も趣味も年齢もよくわからないけれど、わたしはながもんといると凄く安心できたんだ。
――でも、かがみはわたしがお店に戻りたいって云ったら、なんて思うだろう。
さっきつかさに対して『一応』って云ったのは、それがまだよくわからないからなんだ。
わたしがあのお店で働くことを、前からかがみはちょっと嫌がっていた。真面目でお堅いかがみだから、ああいう職種は女を売り物にしてるみたいで嫌いなんじゃないかなって思うんだ。
わたしとしては、大事に護らないといけないような“女”は自分の中にないって思っていたし、変な目線で見られてたとしても、それは今ひとつ実感できないことだったから。
だから、まるで抵抗なくできるバイトだったんだけれど。
でも、かがみが嫌がるなら――。
――かがみが嫌がるなら、どうなんだろう?
かがみが嫌がったら、わたしは一体どうするんだろう。
わたしは、かがみが云うことを何でも聞いてしまうんだろうか。
それが、恋人としては当たり前のことなんだろうか。
今のわたしは、かがみが『こうして欲しい』って云ったなら、どんなことでもしてしまう気がする。でも多分、かがみはそんなわたしのことを好きになってくれないんじゃないかって予感もする。
――わからない。
恋人ってどういう関係なのか、やっぱりわたしにはそれがわからない。
つかさは『今まで通りでいい』って云ってくれたけれど、でも、わたしはどうしてもそれだけじゃ駄目な気がしてしまうんだ。
「――またお姉ちゃんのこと考えてる」
そんなつかさの声にふと顔を上げると、三人ともなんだか嬉しそうな顔をしてわたしのことを見つめているのだった。
「――考えてないよ、そんなこと」
アリスちゃんのことで盛り上がっても、結局わたしの弄られムードは継続中らしい。もしかしたら、今日のわたしがそれだけ隙だらけってことなのかもしれない。頭の片隅で、そんなことを思う。
わたしは、ふてくされたような顔をしたまま、どう見てもチョコレートケーキに見えるつかさのフォレ・ノワールを、勝手に掬って少しだけ口に運んでみる。
――なるほど。
ビターなチョコと、甘いホイップクリーム。さくらんぼの酸味も合わせて、普通のチョコレートケーキとは随分違う味だった。
でも、きっとそうじゃないんだ。
きっとこのフォレ・ノワールが普通と違うんじゃなくて、“チョコレートケーキ”って乱暴に呼んでいるものが、本当は一つ一つ微妙に違うんだ。
――わたしたち四人が、性格も好みも得意なことも学力も、そして好きになれる相手すら一人一人違っているみたいに。
わたしは、かがみが云うことを何でも聞いてしまうんだろうか。
それが、恋人としては当たり前のことなんだろうか。
今のわたしは、かがみが『こうして欲しい』って云ったなら、どんなことでもしてしまう気がする。でも多分、かがみはそんなわたしのことを好きになってくれないんじゃないかって予感もする。
――わからない。
恋人ってどういう関係なのか、やっぱりわたしにはそれがわからない。
つかさは『今まで通りでいい』って云ってくれたけれど、でも、わたしはどうしてもそれだけじゃ駄目な気がしてしまうんだ。
「――またお姉ちゃんのこと考えてる」
そんなつかさの声にふと顔を上げると、三人ともなんだか嬉しそうな顔をしてわたしのことを見つめているのだった。
「――考えてないよ、そんなこと」
アリスちゃんのことで盛り上がっても、結局わたしの弄られムードは継続中らしい。もしかしたら、今日のわたしがそれだけ隙だらけってことなのかもしれない。頭の片隅で、そんなことを思う。
わたしは、ふてくされたような顔をしたまま、どう見てもチョコレートケーキに見えるつかさのフォレ・ノワールを、勝手に掬って少しだけ口に運んでみる。
――なるほど。
ビターなチョコと、甘いホイップクリーム。さくらんぼの酸味も合わせて、普通のチョコレートケーキとは随分違う味だった。
でも、きっとそうじゃないんだ。
きっとこのフォレ・ノワールが普通と違うんじゃなくて、“チョコレートケーキ”って乱暴に呼んでいるものが、本当は一つ一つ微妙に違うんだ。
――わたしたち四人が、性格も好みも得意なことも学力も、そして好きになれる相手すら一人一人違っているみたいに。
ふと視線を感じて振り向くと、厨房の陰にふわふわのアッシュブロンドが引っ込むところが見えた。
§6
――ガタン、ゴトン。
オレンジのラインが入った電車に乗り込んで、わたしたちは進んでいく。
窓の外、右から左に過ぎていくのはアパートやマンション、立ち並ぶ電柱から伸びる五線譜みたいな送電線、遠景に空を支えるように聳え立つ高層ビルディング。都会の住宅街らしい光景だ。
――ガタン、ゴトン。
レールの接合部を通る度、電車は可愛らしい音を立てて揺れる。
その音が鳴る度、わたしは少しずつかがみがいる街へと近づいていく。
空はもう随分光量も落ち、地平線には茜色の気配が差し込んでいる。そんな東京の空の下を、西急西横線の車両が真っ直ぐ突き進んでいく。
――ガタン、ゴトン。
電車が揺れる度、わたしの胸も小さく音を立てて鳴る。県と都を跨ぐ境界線、長い距離、幾つかの路線。わたしたちを隔てるそれらのものを飛び越えて、わたしの心が少しずつかがみの元へと近づいていく。
――あははっ。
弾かれたような小さな笑い声が少し離れた席から聞こえてきて、わたしは窓の外に向けていた視線をそちらに向けた。そこではつかさとみさきちが楽しそうな笑顔を浮かべながら何事か話し込んでいた。かがみがいたら『電車の中であんまりうるさくするな』なんて云って怒りそうだったけれど、今そんなうるさいことを云う委員長キャラはここにはいない。女の子同士でお喋りしていたら、笑い声が出ちゃうことなんて当たり前のはずなんだ。
「――そいえばさ」
「なぁに?」
ふと気がついて、わたしは隣に座っているあやのんに話しかけた。周りの人に聞こえないように思いっきり身体を寄せつけて、小さな声であやのんに向けてこう云った。
「今の四人の中で、わたしだけ中学違うんだね」
「――あら、そう云えばそうね。でも、元住良でゆきちゃんが合流したら二人になるじゃない?」
「だねー、で、かがみん家に行ったらまた同中が増える、と」
「あはは、それを云ったら、今の四人でみさちゃんだけ仲間外れなこともあるよね」
「――料理できないってこと?」
「そうそう」
「それも、かがみん家に着いたら仲間が一人増えるんだけどね」
「あー、泉ちゃん酷いんだー!」
あやのんが笑ったから、わたしも目を細めて笑った。
――わたしたちって、みんな色々繋がりあるよね。
そうしてそんなわたしの言葉を切っ掛けにして、わたしたちはみんなのキャラ属性の繋がり方を上げていったんだ。
あやのんとみゆきとつかさはほんわか和みキャラ。わたしとみさきちは元気で明るいキャラ。つかさとあやのんはお菓子作りとか好きな女の子っぽいキャラ。かがみとみゆきは知的キャラ。わたしとみゆきとみさきちで運動得意キャラ。わたしとかがみでオタクキャラ。
「ふふ、最後の奴はかがみちゃんが聞いたら怒りそうね」
「無駄な抵抗するからねーかがみは。まあ、そこが萌えなんだけどさ」
「昔からあんな感じだったわね。素直じゃないんだかがみちゃん」
――あ、そっか。
あやのんがごく当たり前のように云ったその台詞に、わたしはちょっとだけと胸を衝かれる思いがした。
あやのんもみさきちも、わたしが知らない昔のかがみのことを知ってるんだってこと。わかってはいたけれど、改めて云われるとなんだか不思議な気持ちがした。
――ちくりと、胸が痛む。
今一番かがみと近いのはつかさを除けばわたしのはずなのに。そんなことに嫉妬するなんて、何て心が狭いんだろってわたしは思った。
「――かがみ、中学のときってどんな感じだったの?」
わたしは胸をぎゅっと押さえ込んで、何気ないふりをして小さな声で問いかける。そんな葛藤に気づいたのか気づいていないのか、あやのんはうっすらと微笑んで口を開いた。
「――そうね。今よりもっと堅苦しかったかな。正しいことしてるから自分は正しいんだっていう感じで、云われた人の気持ちを考えてあげるようなこと、あんまりできてなかったわね」
「……て、手厳しいね」
「あら、そう? ふふ、でも女の子からは人気あったわよ。云うだけじゃなくて行動力もあったし、勉強もできたしね。……その分男の子からの人気は今ひとつだったかな」
「そっか、その年頃だと男の子もそんなもんなのかな?」
「ふふ、そうそう。かがみちゃん、綺麗な分余計にね。男の子って、どうしても女の子の上に立てないと気が済まないのよねー。あ、でも、かがみちゃんは――」
けれどあやのんは、そこで何かに気がついたように云い淀んでしまったんだ。
なんだろうってわたしは思って、気まずそうに目を泳がせ始めたあやのんのことをじっと見つめていた。でもいつまで経ってもあやのんの口から続きが出てくることはなく、とうとうわたしは自分からあやのんに問いかけた。
「どったの? 気になるじゃん」
「……えっと……こんなこと云っていいのかわからないけど……」
「……う、うん」
「今思い出してみると、かがみちゃん、女の子に好かれてて満更でもなさそうだったなって……」
顔をうつむかせながら、ぼそりとそんなことを云うあやのんだった。
――なんだ、そんなこと。
わたしは拍子抜けした思いで苦笑する。でもそう、やっぱり普通の人にとってはそんな反応になっちゃうのかなって思うんだ。
「……気にしすぎだよあやのん。わたしもそうだけど、かがみも多分もう自分のことは受け入れてるし。変に気遣われる方が気になっちゃうよ」
「……あう、ごめんね」
あやのんは、ソファーの上で背中を丸めて、ボレロの襟で顔を隠すようにしながらそう云った。そんなあやのんに、わたしは目を細めながら無言でひらひらと掌を振った。こんなとき、変にフォローしたりしない方がいいかなって思ったから。
――でも本当は、申し訳なく思うのはこっちの方なんだ。
わたしとかがみが繋がってるキャラ属性は、何もオタクってことだけじゃない。レズビアンだとかバイセクシュアルだとかアセクシュアルだとかっていう、ちょっと普通じゃないキャラ属性でもわたしたちは繋がっているんだ。
時々、ありがとうって云いたくなってしまう。
こんなわたしたちと普通に友達づきあいしてくれてありがとうって、時々みんなに大声で云いたくなってしまう。
そんなこと云ったらきっと色々と台無しで、なんだかみんなの気持ちをバカにしてるみたいな気もする。だからわたしは、それを一生口にすることはないだろうけれど。
でも、みんなと話すとき、いつだって心の中でわたしは叫んでいる。
ありがとうって、大きな声で叫んでいる。
「――泉ちゃん、聞いてくれる?」
静かな声であやのんがそう云ったから、わたしはなんとなくその手を握りながらうなずいた。多分あやのんは今、中々云いづらいことを口にしようとしているって感じたから。かがみがしてくれたみたいに、手を握られてると安心できるかなって思ったんだ。
「わたしね、ちょっと羨ましいんだ」
「――うん、誰が?」
「泉ちゃんとかがみちゃん」
「……なんでー?」
びっくりして、思いっきり目を見開いてしまった。可愛くて頭も良くてしっかりしてて、ちゃんと男の人とつきあえるあやのんが、わたしたちのことを羨ましいなんて信じられなかった。
わたしとかがみのことなんて、これから先どうなるか、わたしにも全然わからない。ただでさえ世間の風当たりが強いだろう関係なのに、わたしとかがみの間には、お互いに対する性欲の有無なんていう深い溝まで掘られている。
上手くいくのかどうか、まるでわからない。
上手くいった関係がどういうものなのかすら、わたしにはまるでわからない。
「――わたしね、みさちゃんのことが好きなの。きっと世界で一番好き」
思わず離れた席のみさきちの方に視線を向けようとして、あぶないところで自制する。こんな話、きっとみさきちには秘密なんだろうから。あれで変なところに気がつくみさきちに、気取られちゃいけないってわたしは思った。
あやのんはみさきちが本当に好きなんだってこと、二人のことを見ていればすぐにわかることだった。一緒にいると楽しそうだし、どこ行くにも一緒だし、みさきちが変なこと云っても明後日の方に暴走しても、あやのんはいつもニコニコと嬉しそうにして、みさきちのことを眺めていた。
――でも。
「あやのんって……みさきちのお兄さんとつき合ってるんだよね?」
「――うん。実はね、今日もみんなとの待ち合わせ前、みさちゃんが来る前まで会ってたの。半日デートだったんだ」
「そ、そうだったんだ」
てっきりみさきちとあやのんは一緒に渋野まで来たんだって思ってた。でも、みさきちとあやのんも渋野待ち合わせだったんだ。
それは、なんだか不思議な気がする。
隣同士に住んでて、また後で渋野で会うのに一緒に出かけないで、わざわざみさきちだけ遅れて来るなんて。変な待ち合わせ方法だなって思うけど、でも、兄妹姉妹とか幼なじみとか親友とかの間で恋人関係になると、きっと色々と踏まえないといけない手続きとかもあるのかなって思うんだ。
「――そっか、それであやのんちょっと疲れた感じだったんだ?」
「……あ、わかっちゃってたんだ? ふふ、なんかそれって嬉しいね」
そう云って、小さなため息を一つ。深い水の底から引きずり出すようにして、あやのんは口から言葉を紡いでいく。
「――お兄さんのことは、好きよ。女として普通に恋してるんだと思う。……でもね、どうしても時々思っちゃうのよ。わたしはもしかしたらこの優しい人のことを利用してるんじゃないかってこと。これからもずっとみさちゃんといられるように、自分のことも彼のことも騙してるんじゃないかってこと……」
「あやのん……」
何か云おうとして口を開いたけれど、どうしても掛ける言葉がみつからなくてわたしは口ごもる。そもそもわたしに“女として”なんてことがわかるはずがない。男の子のことなんて好きになれないし、恋っていう感情すら、最近になってそれに気がついたような人間だ。
そんなわたしが彼氏と親友への思いの間で悩んでるあやのんに、まともなアドバイスなんてできるはずがない。あやのんだって、きっとそんなこと望んでいないはずなんだ。
だからわたしは、それまでよりも少しだけ強く、あやのんの手をぎゅっと握りこんだ。今わたしにできることなんて、きっとそれくらいなんだって私は思った。
それに気がついたのかはわからない。でも、あやのんは前を向いたままちょっとだけ笑ってくれたんだ。
「――だから。最初に泉ちゃんたちのことを教えてもらったとき、すごく吃驚したの。ゆきちゃんじゃないけど、わたしは恥ずかしながらそんな可能性があるなんて考えたこともなかったから……」
「……うん。確かに最初の頃、あやのんはちょっと戸惑ってた感じだったよね」
「……ごめんね。でも最初の驚きが去って、そのことが飲み込めてきたとき、気がつけばわたしは泉ちゃんたちのことを羨ましく思ってたの。だって泉ちゃんたちは、自分が本当に好きな人、一番大切に思う人に恋ができるんだもの……」
――ガタン、ゴトン。
オレンジのラインが入った電車が進んでいく。
わたしたちを乗せて、進んでいく。
十代の終わり、大人への階段の最初の段に足を踏み出したわたしたち。あと精々一、二週間もしたら入学式を迎えて、大学生になっていくわたしたち。
そんなわたしたちを乗せて、この電車はどこに辿り着くっていうんだろう。
わたしやあやのんやつかさやみさきちは、一体どこに向かって進んでいるんだろう。
――わかってる。
元住良の駅はもうすぐそこで、わたしたちはそこに向かって進んでいる。
でもそこはきっと、どこにでもある住宅街ってわけじゃない。関東に星の数ほどある郊外の駅の一つってわけじゃない。
そこはこれからかがみが住む街で、わたしがきっと通い続ける街で、そうして多分、これから先沢山の出来事が起こっていく街になるはずなんだ。
――そこは、一体どんな場所だろう。
――わたしとかがみは、一体どこに辿り着くっていうんだろう。
『――次はー、元住良ー。元住良ー』
車掌さんがそう告げて、電車は少しずつその速度を落としていく。
そうしてそろそろ席を立とうかなってわたしが思い始めた頃。
オレンジのラインが入った電車に乗り込んで、わたしたちは進んでいく。
窓の外、右から左に過ぎていくのはアパートやマンション、立ち並ぶ電柱から伸びる五線譜みたいな送電線、遠景に空を支えるように聳え立つ高層ビルディング。都会の住宅街らしい光景だ。
――ガタン、ゴトン。
レールの接合部を通る度、電車は可愛らしい音を立てて揺れる。
その音が鳴る度、わたしは少しずつかがみがいる街へと近づいていく。
空はもう随分光量も落ち、地平線には茜色の気配が差し込んでいる。そんな東京の空の下を、西急西横線の車両が真っ直ぐ突き進んでいく。
――ガタン、ゴトン。
電車が揺れる度、わたしの胸も小さく音を立てて鳴る。県と都を跨ぐ境界線、長い距離、幾つかの路線。わたしたちを隔てるそれらのものを飛び越えて、わたしの心が少しずつかがみの元へと近づいていく。
――あははっ。
弾かれたような小さな笑い声が少し離れた席から聞こえてきて、わたしは窓の外に向けていた視線をそちらに向けた。そこではつかさとみさきちが楽しそうな笑顔を浮かべながら何事か話し込んでいた。かがみがいたら『電車の中であんまりうるさくするな』なんて云って怒りそうだったけれど、今そんなうるさいことを云う委員長キャラはここにはいない。女の子同士でお喋りしていたら、笑い声が出ちゃうことなんて当たり前のはずなんだ。
「――そいえばさ」
「なぁに?」
ふと気がついて、わたしは隣に座っているあやのんに話しかけた。周りの人に聞こえないように思いっきり身体を寄せつけて、小さな声であやのんに向けてこう云った。
「今の四人の中で、わたしだけ中学違うんだね」
「――あら、そう云えばそうね。でも、元住良でゆきちゃんが合流したら二人になるじゃない?」
「だねー、で、かがみん家に行ったらまた同中が増える、と」
「あはは、それを云ったら、今の四人でみさちゃんだけ仲間外れなこともあるよね」
「――料理できないってこと?」
「そうそう」
「それも、かがみん家に着いたら仲間が一人増えるんだけどね」
「あー、泉ちゃん酷いんだー!」
あやのんが笑ったから、わたしも目を細めて笑った。
――わたしたちって、みんな色々繋がりあるよね。
そうしてそんなわたしの言葉を切っ掛けにして、わたしたちはみんなのキャラ属性の繋がり方を上げていったんだ。
あやのんとみゆきとつかさはほんわか和みキャラ。わたしとみさきちは元気で明るいキャラ。つかさとあやのんはお菓子作りとか好きな女の子っぽいキャラ。かがみとみゆきは知的キャラ。わたしとみゆきとみさきちで運動得意キャラ。わたしとかがみでオタクキャラ。
「ふふ、最後の奴はかがみちゃんが聞いたら怒りそうね」
「無駄な抵抗するからねーかがみは。まあ、そこが萌えなんだけどさ」
「昔からあんな感じだったわね。素直じゃないんだかがみちゃん」
――あ、そっか。
あやのんがごく当たり前のように云ったその台詞に、わたしはちょっとだけと胸を衝かれる思いがした。
あやのんもみさきちも、わたしが知らない昔のかがみのことを知ってるんだってこと。わかってはいたけれど、改めて云われるとなんだか不思議な気持ちがした。
――ちくりと、胸が痛む。
今一番かがみと近いのはつかさを除けばわたしのはずなのに。そんなことに嫉妬するなんて、何て心が狭いんだろってわたしは思った。
「――かがみ、中学のときってどんな感じだったの?」
わたしは胸をぎゅっと押さえ込んで、何気ないふりをして小さな声で問いかける。そんな葛藤に気づいたのか気づいていないのか、あやのんはうっすらと微笑んで口を開いた。
「――そうね。今よりもっと堅苦しかったかな。正しいことしてるから自分は正しいんだっていう感じで、云われた人の気持ちを考えてあげるようなこと、あんまりできてなかったわね」
「……て、手厳しいね」
「あら、そう? ふふ、でも女の子からは人気あったわよ。云うだけじゃなくて行動力もあったし、勉強もできたしね。……その分男の子からの人気は今ひとつだったかな」
「そっか、その年頃だと男の子もそんなもんなのかな?」
「ふふ、そうそう。かがみちゃん、綺麗な分余計にね。男の子って、どうしても女の子の上に立てないと気が済まないのよねー。あ、でも、かがみちゃんは――」
けれどあやのんは、そこで何かに気がついたように云い淀んでしまったんだ。
なんだろうってわたしは思って、気まずそうに目を泳がせ始めたあやのんのことをじっと見つめていた。でもいつまで経ってもあやのんの口から続きが出てくることはなく、とうとうわたしは自分からあやのんに問いかけた。
「どったの? 気になるじゃん」
「……えっと……こんなこと云っていいのかわからないけど……」
「……う、うん」
「今思い出してみると、かがみちゃん、女の子に好かれてて満更でもなさそうだったなって……」
顔をうつむかせながら、ぼそりとそんなことを云うあやのんだった。
――なんだ、そんなこと。
わたしは拍子抜けした思いで苦笑する。でもそう、やっぱり普通の人にとってはそんな反応になっちゃうのかなって思うんだ。
「……気にしすぎだよあやのん。わたしもそうだけど、かがみも多分もう自分のことは受け入れてるし。変に気遣われる方が気になっちゃうよ」
「……あう、ごめんね」
あやのんは、ソファーの上で背中を丸めて、ボレロの襟で顔を隠すようにしながらそう云った。そんなあやのんに、わたしは目を細めながら無言でひらひらと掌を振った。こんなとき、変にフォローしたりしない方がいいかなって思ったから。
――でも本当は、申し訳なく思うのはこっちの方なんだ。
わたしとかがみが繋がってるキャラ属性は、何もオタクってことだけじゃない。レズビアンだとかバイセクシュアルだとかアセクシュアルだとかっていう、ちょっと普通じゃないキャラ属性でもわたしたちは繋がっているんだ。
時々、ありがとうって云いたくなってしまう。
こんなわたしたちと普通に友達づきあいしてくれてありがとうって、時々みんなに大声で云いたくなってしまう。
そんなこと云ったらきっと色々と台無しで、なんだかみんなの気持ちをバカにしてるみたいな気もする。だからわたしは、それを一生口にすることはないだろうけれど。
でも、みんなと話すとき、いつだって心の中でわたしは叫んでいる。
ありがとうって、大きな声で叫んでいる。
「――泉ちゃん、聞いてくれる?」
静かな声であやのんがそう云ったから、わたしはなんとなくその手を握りながらうなずいた。多分あやのんは今、中々云いづらいことを口にしようとしているって感じたから。かがみがしてくれたみたいに、手を握られてると安心できるかなって思ったんだ。
「わたしね、ちょっと羨ましいんだ」
「――うん、誰が?」
「泉ちゃんとかがみちゃん」
「……なんでー?」
びっくりして、思いっきり目を見開いてしまった。可愛くて頭も良くてしっかりしてて、ちゃんと男の人とつきあえるあやのんが、わたしたちのことを羨ましいなんて信じられなかった。
わたしとかがみのことなんて、これから先どうなるか、わたしにも全然わからない。ただでさえ世間の風当たりが強いだろう関係なのに、わたしとかがみの間には、お互いに対する性欲の有無なんていう深い溝まで掘られている。
上手くいくのかどうか、まるでわからない。
上手くいった関係がどういうものなのかすら、わたしにはまるでわからない。
「――わたしね、みさちゃんのことが好きなの。きっと世界で一番好き」
思わず離れた席のみさきちの方に視線を向けようとして、あぶないところで自制する。こんな話、きっとみさきちには秘密なんだろうから。あれで変なところに気がつくみさきちに、気取られちゃいけないってわたしは思った。
あやのんはみさきちが本当に好きなんだってこと、二人のことを見ていればすぐにわかることだった。一緒にいると楽しそうだし、どこ行くにも一緒だし、みさきちが変なこと云っても明後日の方に暴走しても、あやのんはいつもニコニコと嬉しそうにして、みさきちのことを眺めていた。
――でも。
「あやのんって……みさきちのお兄さんとつき合ってるんだよね?」
「――うん。実はね、今日もみんなとの待ち合わせ前、みさちゃんが来る前まで会ってたの。半日デートだったんだ」
「そ、そうだったんだ」
てっきりみさきちとあやのんは一緒に渋野まで来たんだって思ってた。でも、みさきちとあやのんも渋野待ち合わせだったんだ。
それは、なんだか不思議な気がする。
隣同士に住んでて、また後で渋野で会うのに一緒に出かけないで、わざわざみさきちだけ遅れて来るなんて。変な待ち合わせ方法だなって思うけど、でも、兄妹姉妹とか幼なじみとか親友とかの間で恋人関係になると、きっと色々と踏まえないといけない手続きとかもあるのかなって思うんだ。
「――そっか、それであやのんちょっと疲れた感じだったんだ?」
「……あ、わかっちゃってたんだ? ふふ、なんかそれって嬉しいね」
そう云って、小さなため息を一つ。深い水の底から引きずり出すようにして、あやのんは口から言葉を紡いでいく。
「――お兄さんのことは、好きよ。女として普通に恋してるんだと思う。……でもね、どうしても時々思っちゃうのよ。わたしはもしかしたらこの優しい人のことを利用してるんじゃないかってこと。これからもずっとみさちゃんといられるように、自分のことも彼のことも騙してるんじゃないかってこと……」
「あやのん……」
何か云おうとして口を開いたけれど、どうしても掛ける言葉がみつからなくてわたしは口ごもる。そもそもわたしに“女として”なんてことがわかるはずがない。男の子のことなんて好きになれないし、恋っていう感情すら、最近になってそれに気がついたような人間だ。
そんなわたしが彼氏と親友への思いの間で悩んでるあやのんに、まともなアドバイスなんてできるはずがない。あやのんだって、きっとそんなこと望んでいないはずなんだ。
だからわたしは、それまでよりも少しだけ強く、あやのんの手をぎゅっと握りこんだ。今わたしにできることなんて、きっとそれくらいなんだって私は思った。
それに気がついたのかはわからない。でも、あやのんは前を向いたままちょっとだけ笑ってくれたんだ。
「――だから。最初に泉ちゃんたちのことを教えてもらったとき、すごく吃驚したの。ゆきちゃんじゃないけど、わたしは恥ずかしながらそんな可能性があるなんて考えたこともなかったから……」
「……うん。確かに最初の頃、あやのんはちょっと戸惑ってた感じだったよね」
「……ごめんね。でも最初の驚きが去って、そのことが飲み込めてきたとき、気がつけばわたしは泉ちゃんたちのことを羨ましく思ってたの。だって泉ちゃんたちは、自分が本当に好きな人、一番大切に思う人に恋ができるんだもの……」
――ガタン、ゴトン。
オレンジのラインが入った電車が進んでいく。
わたしたちを乗せて、進んでいく。
十代の終わり、大人への階段の最初の段に足を踏み出したわたしたち。あと精々一、二週間もしたら入学式を迎えて、大学生になっていくわたしたち。
そんなわたしたちを乗せて、この電車はどこに辿り着くっていうんだろう。
わたしやあやのんやつかさやみさきちは、一体どこに向かって進んでいるんだろう。
――わかってる。
元住良の駅はもうすぐそこで、わたしたちはそこに向かって進んでいる。
でもそこはきっと、どこにでもある住宅街ってわけじゃない。関東に星の数ほどある郊外の駅の一つってわけじゃない。
そこはこれからかがみが住む街で、わたしがきっと通い続ける街で、そうして多分、これから先沢山の出来事が起こっていく街になるはずなんだ。
――そこは、一体どんな場所だろう。
――わたしとかがみは、一体どこに辿り着くっていうんだろう。
『――次はー、元住良ー。元住良ー』
車掌さんがそう告げて、電車は少しずつその速度を落としていく。
そうしてそろそろ席を立とうかなってわたしが思い始めた頃。
「――がんばってね」
じっと正面をみつめたまま、あやのんはぽつりとそう云ったのだった。
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Beautiful World 3章/みゆきへ続く
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