卯月

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卯月 - (2014/02/06 (木) 02:56:59) の編集履歴(バックアップ)


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声優さんの名前


史実情報


そのキャラクターに反して、実は上海事変からオルモック輸送作戦まで戦い抜いた歴戦の勇者である。


1923年度の計画艦で、翌年に東京の石川島造船所にて起工。1926年8月に「第25号駆逐艦」として就役した。
「卯月」という名前が与えられたのは1928年になってからで、この名は日露戦争直後に就役した初代神風型駆逐艦の初代に次ぎ、二代目。
竣工後は「第19号駆逐艦(睦月)」「第21号駆逐艦(如月)」「第23号駆逐艦(弥生)」と第30駆逐隊を組成した。
「卯月」も他の第30駆逐隊同様、初陣は1932年の上海事件である。

1936年、「卯月」は第30駆逐隊から転属、第1航空戦隊(一航戦)に編入された。
航空戦隊直属の駆逐艦というのも変な話だが、この頃の航空戦隊ではこの配置も珍しくはなかった。
少々戦力的に見劣りする特型以前の旧型駆逐艦を空母の後方に位置させ、着艦失敗した艦載機の乗員を救助する「トンボ釣り」という役目があったためである。
「卯月」はおそらくこの役目を仰せつかったものと思われる。
(ちなみに太平洋戦争直前にこのシステムは廃止され、「トンボ釣り」には護衛の駆逐隊ないし水雷戦隊が当たることとなった。)
「卯月」は一航戦直属艦として1937年の日華事変に参加。華々しい戦果を挙げる一航戦の空母たちを間近に見ながら過ごした。
1940年に「卯月」は第23駆逐隊(「菊月」「夕月?」)に編入され、同年の仏印進駐作戦にも参加している。

太平洋戦争開戦時は第23駆逐隊は第2航空戦隊(ニ航戦)に所属していたが、短い航続力の問題からか真珠湾攻撃には不参加。緒戦ではグアム島攻略部隊の護衛を行った。
これ以降「卯月」はニューギニア方面で活躍し、ラバウル、カビエン、ラエ、サラモアの攻略に参加した。

1942年5月、第23駆逐隊解隊にともなって、第一次ウェーク島攻略作戦で沈没した「如月」の補填として第30駆逐隊に再編入。
同年7月以降からのガ島攻略作戦にも参加しており、ガ島への設営隊輸送にはじまり、輸送船団護衛、空襲によりかく座した輸送船の乗員救助を敢行。
8月10日には第一次ソロモン海戦からの帰途で沈没した「加古」の乗員救助にも駆り出された。
それからちょうど二週間後、ガ島コカンボナへの輸送任務からの帰途で「卯月」は第二次ソロモン海戦に遭遇。B-17爆撃機からなる爆撃機編隊に襲撃され、損傷を負った。
その傷が元で「卯月」は内地へ回航され、佐世保工廠で修理を受けることとなる。

42年12月、「卯月」は軽空母「冲鷹」の護衛任務も兼ねながらトラックに進出。一週間後にはコロンバンガラ島への輸送船団の護衛任務を仰せ使う。
だがこの任務は「卯月」にとっては、悪夢の年末年始の幕開けであった。
12月25日、ラバウル沖で船団中の輸送船「南海丸」が米潜水艦「シードラゴン(SS-194)」の雷撃を受け、護衛にあたっていた「卯月」は損傷した「南海丸」と接触。
この時当たりどころが悪く「卯月」はボイラー室を損傷し航行不能、「南海丸」も沈没するという結果に終わった。
航行不能の「卯月」は駆逐艦「有明」「浦風」に曳航されラバウル泊地に戻るも1943年1月5日には応急修理中に空襲に遭遇。前甲板に不発弾が命中し、さらに新たな傷を作ってしまった。
このせいで「卯月」は同年6月までラバウルで応急修理を施される憂き目にあい、7月にはまた佐世保工廠のお世話になることとなった。

この頃から「卯月」は武装の載せ替えが行われたようで、12cm単装砲2基と三連装魚雷発射管1基と従来の武装の半分を撤去している。
その代わりに25mm三連装機銃と25mm連装機銃を2基づつ、25mm単装機銃を6基と対空火力を大幅に増強した。

10月、修理を終えた「卯月」は再びラバウルへ出向き、それ以降3ヶ月は同地での輸送作戦に従事。
この間にも僚艦「望月」が沈没、輸送任務中に軽巡4・駆逐艦8からなる米艦隊と遭遇しこれから逃亡、11月のセント・ジョージ岬沖海戦で小破するなどの壮絶な経験をする。
年が明けて1944年1月には佐世保へ三度帰投。3月以降にはサイパン方面の船団護衛任務に従事し、東松2号船団の護衛中には被雷沈没した旗艦「龍田」の乗員を救助した。
マリアナ沖海戦にも補給部隊護衛として参加。その後はシンガポール・マニラと内地とを結ぶ船団護衛に活躍した。

彼女の最期は1944年12月12日、レイテ島オルモックへの9度目の強行輸送(第9次多号作戦)を敢行中、レイテ島パロンポン沖でのことだった。
既に前日のF4U戦闘爆撃機による攻撃で「たすまにや丸」、「美濃丸」を失い、強行輸送船団は大幅な計画修正を余儀なくされていた。
船団はオルモックに突入する組と、パロンポンにて揚陸を行う「空知丸」の護衛と沈船の救助を行う組に分かれ、「卯月」はパロンポン組としてパロンポン沖に居残る。
やがて揚陸・救助が一段落すると「卯月」は先行する船団を追ってオルモックへの再突入を図った。
しかし、レイテ湾には「卯月」を待ち構える影があった。通称「PTボート」と呼ばれた、アメリカ海軍の魚雷艇である。
PT-490からなる魚雷艇群と交戦した「卯月」は、艦橋下に魚雷を受け、爆沈。乗員のうち170名が死亡し、重症の艦長ら59名がレイテ島の海岸に辿り着いた。

なお、この第9次多号作戦には第23駆逐隊時代の僚艦「夕月?」も参加したが、彼女も翌日に「卯月」の後を追うように航空攻撃で沈没。
「卯月」「夕月?」は睦月型最後の戦没艦となり、睦月型はこの作戦を持って帝国海軍から姿を消した。

台詞一覧


状況 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
自己紹介 -
秘書クリック会話① -
秘書クリック会話② -
秘書クリック会話③ -
戦績表示時 -
編成選択時 -
装備時① -
装備時② -
装備時③ -
(マップ選択・資材発見・修復剤使用・装備開発と装備時③は共通)
ドック入り -
ドック入り(重傷) -
建造時 -
艦隊帰投時 -
出撃時 -
戦闘開始時 -
航空戦開始時 -
攻撃時 -
夜戦開始時 -
MVP時 -
被弾小破① -
被弾小破② -
被弾カットイン -
撃沈時(反転) ---
放置時 -

+ 時報未実装に付、格納
時間 台詞 関連する史実や元ネタ、解説など
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07:00 -
08:00 -
09:00 -
10:00 -
11:00 -
12:00 -
13:00 -
14:00 -
15:00 -
16:00 -
17:00 -
18:00 -
19:00 -
20:00 -
21:00 -
22:00 -
23:00 -
放置時 -

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