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ぬりかべ(化物之繪・ゲゲゲの鬼太郎版)
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kemonowikii
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ぬりかべ(化物之繪版)
江戸時代に描かれた絵巻『化物之繪』に登場する「ぬりかべ」は、現代で知られている壁型の妖怪とはまったく異なる姿をしているが、『化物之繪』に描かれている三つ目の「ぬりかべ」は、伝承上のぬりかべと直接的には関係がない、とされている。絵巻の中では三つの目を持つ白い四足獣のような姿で描かれており、額に一つ、顔の左右に一つずつ、合計三つの目が存在する。顔つきは犬や獅子に似ており、垂れた耳やたるんだ体の線、黒い牙などが特徴となっている。しわの多い皮膚表現は、どこか年老いた動物のような印象も与える。
このぬりかべの描かれた絵巻は、アメリカ・ブリガムヤング大学に所蔵されており、画中には「ぬりかべ」と墨書きされている。名称が明確に示された妖怪としては貴重な例であり、妖怪研究の分野では近年になって再評価が進んでいる。2007年に紹介されて以降、それまで一般に知られていたぬりかべ像とは異なる「元の姿」として注目を集めるようになった。
このぬりかべには具体的な能力や伝承の解説は添えられておらず、図像のみで構成されている。したがってこの姿が伝承的に語られていた妖怪とどのような関係を持つかははっきりしておらず、近代以降に知られる「目に見えない壁として道をふさぐ怪異」との関連も断定されてはいない。ただし、そのユニークな外見と明示された名称の一致から、妖怪としてのぬりかべの初出に極めて近い記録と見なす意見もある。
近年では、この三つ目のぬりかべを基にした3D作品も発表されており、古典資料からの復元的なアプローチとして国内外の妖怪ファンから高い評価を受けている。
ぬりかべ(ゲゲゲの鬼太郎版)


水木しげるの漫画『ゲゲゲの鬼太郎』に登場するぬりかべは、巨大な壁のような身体を持ち、仲間を守る役割を果たす頼れる妖怪として描かれている。その姿は垂直にそびえる一枚の壁のようで、上部に目があり、短い手足がついている。作品によっては「ぬ〜り〜か〜べ〜」と唸るような声を発するが、基本的には寡黙で、必要最低限のコミュニケーションしか取らない。
ぬりかべは、鬼太郎ファミリーの一員として戦闘や防御に参加することが多く、敵からの攻撃を受け止めたり、味方の盾となって守ったりする場面が多く描かれている。また、必要に応じて身体を巨大化させ、相手の進路を塞いだり、押し潰すような攻撃を行ったりすることもある。その一方で、普段は温厚な性格で、無駄な暴力を好まない穏やかな存在として親しまれている。
このぬりかべ像は、元々の伝承にあった「夜道で前が見えなくなる」などの逸話を、具体的なビジュアルとキャラクターに落とし込んだものであり、水木しげるの創造力によって生み出された現代的な妖怪像の代表格とされている。
両者の関係性
化物之繪に描かれた三つ目の四足獣としてのぬりかべと、水木しげるによる壁型のぬりかべは、姿も性質も大きく異なっている。ただし、いずれも「ぬりかべ」という名前を持つ妖怪であり、日本の妖怪文化の多様性を象徴する存在であることに変わりはない。前者は視覚資料によって現存し、後者はフィクションの中で確立されたキャラクターとして広く認知されている。どちらも、それぞれの時代背景と創作的解釈の中で成立した、尊重すべき妖怪像である。
考察:ぬりかべという名に宿る多様な姿
ぬりかべという妖怪は、その呼び名こそ一つでありながら、時代や資料によって実にさまざまな姿で表現されてきた。その代表的なものとしては、江戸時代の妖怪絵巻『化物之繪』に描かれた三つ目の獣のような姿、民間伝承に語られる目に見えない障壁のような現象、そして現代において広く知られている水木しげるによる壁状の妖怪キャラクターが挙げられる。
このような姿の違いを単なる誤認や混同と捉えるのではなく、「ぬりかべ」という名が持つ曖昧さや象徴性が、それぞれの時代や表現者の解釈に応じて多様に具現化されたものと見なすべきである。ぬりかべは“実体のない壁”という現象を思わせる存在でありながら、その曖昧さゆえに、獣のような重厚な化け物として描かれることもあれば、空間の圧力そのものとして体験されることもある。さらに、人格と手足を備えた壁のキャラクターとして親しまれる現在の姿もまた、ぬりかべという存在が持つもう一つの側面である。
ぬりかべの名がこれほど多様なかたちをとって表現されてきたのは、それが単なる怪異の名ではなく、夜道の不安、進路を塞がれる恐怖、見えない力に立ちすくむ感覚といった、人の内面に根ざす経験を象徴しているからにほかならない。つまりぬりかべとは、個別の形態に固定された妖怪ではなく、「通せんぼの記憶」「壁としての感情」「通り道に立ちはだかるもの」という普遍的な感覚の化身として、多くの姿をとって現れてきたのである。
このような観点から見れば、絵巻の中のぬりかべも、筑後の夜道に現れたぬりかべも、あるいはゲゲゲの仲間として親しまれるぬりかべも、すべてが「ぬりかべ」というひとつの象徴の中で共存している。姿の違いは矛盾ではなく、多層的な妖怪文化の豊かさを示すものであり、ぬりかべという名が持つ象徴性の広がりを、私たちはむしろ積極的に楽しみ、記録すべきである。