こちらでは、
ゼアル信者的に名言の宝庫であったらしいエリファス戦での発言に限定する。
ホントなんでこんな発言でエリファスは説得されたのかという疑問しか湧かない。
あいつは汚されてなんかいねぇ! 泣いたり笑ったり、時には喧嘩したり、
でも、オレ達は共に戦ってきた! 苦しい時も、悲しい時も、どんな時でも一緒だったんだ!
それはオレの、オレ達の大切な絆だ! それをてめぇなんかに分かってたまっかよ!
エリファスの「
アストラルは君のカオスによって汚された」という発言に対しての発言。
見ての通り論点をずらしている上に日本語まで乱れており、痛い所を衝かれた人間の典型的な反応とも言える。
別にエリファスは遊馬の自分語りを聞きたいわけではないのだが。
なお、
遊馬とアストラルが一緒ではない場面は結構あったりする。
初期には「アストラルは遊馬の傍を離れたくても離れられない」という設定もあったのだが、その設定も早い内からなくなってしまっていた。
そんなことない! アストラルは死なねぇ! あいつはそんな毒なんかに負けないさ!
遊馬への不信によってアストラルに付いた傷が広がりアストラルが死んでしまうことをエリファスから教えられた時の発言。
例によって何の反論にもなっていない他、その原因となった人間の発言とは思えない無責任さである。
なお、この問題についての解決策が示されることは一切なく、その後不信が拭われる描写もないままアストラルの傷は治っていた。
というか自爆した後に消滅した筈のアストラルが何故そんな状態になっていたのかがそもそもの謎である。
それって逃げてるだけじゃんか! なんで戦おうとしないんだよ!
アストラル世界の住人に対して遊馬がカオスの力を与えた結果、その力に取り込まれたアストラル世界の住人は後々苦しむことになると、エリファスから教えられた時の発言。
苦しむ原因を作った人間の言うこととは思えない。
もし他人に覚醒剤を与えた人間がその後遺症の責任を問われた際にこんなことを言ったら、世間はどういう反応を示すだろうか?
「カオス」の意味こそ二転三転しておりはっきりしないが、この時のエリファスが指摘したのは「今それで楽になったとしても後で苦しむだけ」ということであり、遊馬の物言いは何の反論にもなっていない。
なお、この問題についての解決策やその後の経過が描写されることは一切なく、有耶無耶なままアストラル世界が救われたことになっていた。
「アストラル世界の住人が逃げずに戦ってカオスの苦しみを乗り越えた」という描写も、例によって遊馬が自分の行いの責任を取ろうとする描写も一切ない。
そんなことねぇ! たとえ失敗しても、負けてボロボロになっても、諦めずにチャレンジする!
そうさ! オレ達の世界のみんなは、誰だってかっとビングできるのさ!
エリファスの「君達の世界はカオスによって多くの人々が苦しみ、失敗を繰り返している」という発言に対しての発言。
例によって都合の悪い現実から目を背けている上に何の反論にもなっていない他、自分の信条を他人に押し付けている。
その信条がいかに空虚かについては
こちらを参照。
というか、この場合はエリファスのセリフも不自然であり、まるで遊馬にあの空虚な信条を言わせたかったかのようである。
苦しいから失敗するというより、失敗したから苦しくなるのではなかろうか?
誰だってかっとビングできる?したかねーよそんなもん!!
あいつにできるならオレだってシャイニングドローを!
エリファスの
シャイニングドローを見た後、自力でのドローを諦めてシャイニングドローに頼ろうとした時の発言。
どういう理屈だという話だが、他人を内心見下している遊馬らしい反応とも言える。
結果としてシャイニングドローは行えず、エリファスからも「シャイニングドローはアストラルの力であって君の力ではない」と言われている。
なお、後に遊馬は何の脈絡もなくシャイニングドローを行えるようになった。
それでも、オレのデッキは必ず応えてくれる!
それがデュエルモンスターズなんだ! それがかっとビングだぁ~!
シャイニングドローに頼ろうとして出来なかった後の発言。
自分のデッキを信じていないからシャイニングドローに頼ろうとしているわけで、言っていることが支離滅裂である。
遊馬の都合のいいように解釈されてしまったデュエルモンスターズ(
カード)の立場からしても、いい迷惑だろう。
加えて、自力でのドローから逃げた人間やシャイニングドローへの挑戦から逃げた人間が「かっとビング」を掲げるとか、こいつは何を言っているんだろうか?
しかもこの文脈だと、かっとビングしなければならないのは遊馬ではなくデッキの方である。
もうここではツッコミきれないため、他の瞞着については
こちらや
こちらを参照。
オレとアストラルの作り上げたデッキが、必ず応えてくれる筈!
だからお前はシャイニングドローで自力でのドローや自分のデッキを否定しようとしただろうと。
しかも、パロディ元の遊戯と違ってアストラルがデッキ構築で口を出したシーンはない上に、遊馬はこの展開に繋がるアストラルの死ぬ死ぬ詐欺の後に自分のデッキを組みなおしていたりする。
要はいつもの記憶障害である。
それとも、アストラルと共に(シャイニングドローによって)作り上げたデッキという意味なのだろうか?
それってかっとビングと同じじゃねぇのかよ!
エリファスの「一つの世界が拡大するには限界がある。限界の中で、閉塞感や閉じた考えが蔓延り、やがて、世界を腐らせてゆく。その限界を超えるためには、ランクアップが必要なのだ」という発言に対しての発言。
「ランクアップ」の部分だけを切り取って「かっとビング」と同一視している他、「かっとビング」という造語をエリファスが知っているものとして話を進めている。
エリファスからすれば意味の分からない反応である筈だが、何故かエリファスも「それは違うな。ランクアップできるのは、選ばれた魂だけだ」と返している。
「かっとビング」の意味を知っていたことについては「どういうわけかアストラル世界にいた一馬から意味を聞いていた」とありもしなかった描写を妄想するにしても、なんで遊馬はいつも相手がこの言葉を知っていて当然のように語るのかという話である。
というか、エリファスの言うランクアップって、遊馬先生の選民思想やシャイニングドローと同じですよね。
しかもそのランクアップ主義に至るまでの経緯がゼアル以降の遊戯王界隈にも当てはまっちゃってるし。
だったら、選ばれなかった魂はどうするんだよ! それがエナ達と一緒にいた人達ってことなのか!
ああいう人達は、どうなってもいいってことなのかよ!
エリファスの「それは違うな。ランクアップできるのは、選ばれた魂だけだ」という発言に対する発言。
別にエリファスは「選ばれる魂」の基準については何も言っていないのだが、この時の遊馬はアストラル世界の住人全てを切り捨てられる落ちこぼれ扱いしていた。
エリファスがどうこう以前に、遊馬自身がエナ達を内心見下していた証拠である。(エナかわいそう)
そしてこの発言は、選民思想を展開する遊馬へのブーメランにしかなっていない。
優等生ばかり選んで後は切り捨てる!みんな同じように可能性を持てねぇってことじゃねぇか!
そんな世界、オレは絶対に認めねぇ!
上記の発言の続き。
問題の詳細は
こちらを参照。
なお、エリファスからは「君に認めてほしいわけではない」と返されている。そりゃそうだ。
生意気で! 自分勝手で! いつも上から目線で!
アストラルのことを回想した際の発言。
残念ながら、遊馬が自分の愚かさを省みた際の発言というわけではない。
そもそも「生意気」という評価自体が、上から目線なくしては生まれないものなのだが。
ブーメランを投げるだけでなくそれが戻ってくるのも早いとか、流石遊馬先生。
アストラル……今じゃお前はオレの……オレの全部なんだ!
上記の発言。
はい、選ばれなかった他の仲間達の魂が切り捨てられました。
なお、この発言と矛盾する発言は他にもいくつかある。
来たぜエリファス!
何の脈絡もなく唐突にできるようになったシャイニングドローを行った直後の発言。
問題の詳細は
こちらを参照。
お前は世界が限界を超えるためにランクアップが必要だって言うけど、そうじゃねぇ!
もしランクアップが必要だって言うなら、それは生きている人のためだ!
自分の勝ちを確信した後のお説教。
エリファスの姿勢を否定する根拠を出していない他、「ランクアップ」にも勝手に新たな意味を加えている。
ちなみにこの時の遊馬が行ったのは「ランクダウン」であり、まるで「みんなでダメ人間になれば落ちこぼれは生まれない」とでも言いたげな思想である。
しかもランクダウンはここだけである。
アストラルはお前なんかと全然違う!
上記の発言の続き。
何がどう違うのか具体的な事は一切言わないまま否定している。
そしてそもそもの話、エリファスは自分がアストラル世界の意思と言っただけで、自分とアストラルが似てるだの同じだなんてことは一切言っていない。
何をどう拡大解釈しちゃったんだか。
オレがデュエルで出会ってきた仲間全部、そいつらは一人一人いつも苦しんでた!
自分自身と必死に戦ってきた!
誰でも心の中じゃ、いい心と悪い心が戦ってるもんじゃねぇのかよ! でも! そっから逃げ出さなきゃ!
きっとどんなことだってやり直せる! 誰とだって分かりあえる!
上記の発言の続き。
やり直すことは大いに結構だが、世の中には取り返しのつかないことも当然存在する。
例えば
カイトが自分の行いを
懺悔して人生をやり直そうとしたところで、魂狩りの被害者及びその家族等の苦しみがなかったことになるわけではなく、カイトの再出発を許すかどうかを決めるのは、遊馬ではなく被害者側である。
「どんなことだってやり直せる!」という遊馬の断定的主張は一方向からしか物事を見ていないと言わざるをえず、むしろカイトを擁護していた遊馬の行いは、被害者側の再出発を阻むものになっているとすら言える。
ヌメロン・コードや
こんな能力のようなリセットボタンに頼る人間には、やはり理解し難いことなのだろうか?
また、遊馬はこれ以前も以後も全肯定と全否定しかしておらず、いい心と悪い心の両立を自ら否定している。
実際、この発言の後の遊馬も、
ベクターの悪い心を全否定したり
Mr.ハートランドや
ドン・サウザンドを分かりあおうとする姿勢すら見せないまま一方的に斃していたりする。
しかも、遊馬が自分の悪い心に言及したことは1度もない。
結局これも、自分だけは例外にしたまま悪党を上から目線で語っているだけである。
一人一人の苦しみも見ないで! 何も知らないで! 本当のランクアップなんてできっこねぇ!
上記の発言の続き。
遊馬が他人の苦しみや事情と向き合ったことは1度もなく、彼は自分の依存する綺麗事を他人に押し付けているだけである。
少なくともエリファスの事情を全く理解しようとしていないことは、このページだけでも十分示されているだろう。
しかも、エリファスが提唱した「ランクアップ」の概念を全否定して自分にとって都合のいい「本当のランクアップ」という概念を勝手に作っている上に、例によってそれがなんたるかは一切説明されていない。
ついでに言うと、エリファスが「一人一人の苦しみも見ない」「何も知らない」存在であることを示すシーンはなく、これも遊馬が勝手に断定しているだけである。
もしエリファスがベクターのように扱われていたのなら、遊馬は「ランクアップを望んでいないのが本当のお前なんだ!」と断定していたのだろう。
最終更新:2020年08月27日 22:46