夢現聖杯儀典:re@ ウィキ

そしてあなたの果てるまで(前編)

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だれでも歓迎! 編集
 世界に遍く在る不幸とは、善意であれ悪意であれ、人を想うことから生じる。

                                ―――マノエル・ド・オリヴェイラ





   ▼  ▼  ▼





「話を纏めると、あたしたちが把握してる主従は7組ってことね」

 人気のない夜の路地を、二人の影が連れ立って歩いていた。何かを話し思案しながら、しかし確固たる目的の下足早に歩く影。
 一人は少女だった。先頭に立って歩きながら、たった今何かを話し終わった少女だ。
 もう一人は少年だった。片手を庇い歩きながら、たまに頷きつつ少女の話を聞いていた。

 少女は仲村ゆりという名で、少年は音無結弦といった。

「不戦協定を結んだケイジ、あたしたちを助けてくれたライダー、金髪とそのバーサーカー、死神のアサシン、本田未央と前川みく、そして子供先生」
「ついでに俺達を入れて全部で9組、か。とりあえずそのケイジって奴とは協力関係になったんだよな? これからそいつと色々話したほうがいいんじゃないか?」
「勿論あたしだってそれくらい考えてるわよ。でも、あいつも聖杯獲得を目的にしてるだろうし、最終的な決裂は不可避ね。そもそも……」

 そこで、ゆりは大上段から諭すように。

「今はあんたの治療が先よ。あっちの世界と違って、ここじゃ怪我しても簡単には治らないし殺されれば死んじゃうんだから。自分の体くらい大事にしなさいよね」
「……分かってるよ。ありがとな、ゆり」
「礼を言われる筋合いなんてないわ。なんたってあたしはリーダーなんだから、メンバーの不具合を管理する責任があるんですもの」

 言って指差すのは、いつの間にかすぐ近くまで来ていた冬木総合病院の病棟だった。既に受付時間をとうに過ぎているはずの真夜中だが、それでもスタッフルームに明かりがついていることが伺える。
 病院とはそういうものだ。例え真夜中であったとしても、病気や怪我は待ってくれない。故にこそ病院側は常に万全に備え、その機能を維持しなくてはならないのだ。
 ゆりは「面倒ね」と呟いていたが、しかし、かつて救えなかった妹を契機として医療の道を志した音無にとっては当たり前のことであり、むしろ喜ばしいことでもあった。むしろここで全ての明かりが消えているような怠惰な病院だったなら、内心憤ってさえいただろう。それほどに、音無の中の医療への情熱と幻想の質量は大きかった。

 とはいえ、そんなことは所詮は詮無きことである。正面を避け、相変わらず人気のない病院裏手に二人して回り込んだ。

「……なあ、今さらなんだが、わざわざこんな大きなとこから盗む必要もないんじゃないか?
 どうせ外傷の応急処置なんて野外じゃ大したことできないんだから、俺としちゃ生理食塩水でもあればそれで……」
「洗浄と消毒はそれでいいかもしれないけど、外傷用の強力な鎮痛剤なんてこんなところでもなきゃないでしょうが。
 それに、大事にしたくないって言ったのはあんたでしょ。あたしとしても家に戻されかねないから馬鹿正直に外来になんて行きたくないし、いいからあんたはここで待ってなさい」
「いや、痛みなんてそれこそ二の次だろ。そんなことより、今はやるべきことが」
「……あんた、自覚ないの?」

 気付けば、ゆりは沈痛な顔でこちらを見ていた。自覚がないとは、何のことだろうか。

「いや、自覚って何の……」
「あんた、さっきから凄い脂汗よ。息も切らしてるし、歯だって強く噛みしめてる。ずいぶんと強がってるなって思ってたけど、まさか自覚症状なしなんてね」

 そう言われて、音無は初めて「はっ」と気付くように、自分の顔に左手を当てた。
 ゆりの言葉通り、今の音無は見るも無残な有り様だった。顔は青ざめ、額どころか体全体に脂汗がびっしりと張り付いている。よく聞けばカタカタと歯が鳴っているし、そもそも体力的にも既にフラフラな状態だ。
 ここまで音無に自覚症状がなかった理由は二つある。一つは、言うまでもなく戦闘と殺害の興奮による脳内麻薬の分泌だ。痛覚はおろか疲労すらも感じさせなくなる脳内物質は、しかし損傷の根源的な解決をすることはなく感覚だけを麻痺させていた。
 二つ目に、音無がそれまで在籍していた環境が挙げられる。それまで、とはこの冬木ではなく、かつて彼らが偽りの青春を過ごしていた「死後の世界」のことだ。聖杯戦争の舞台である冬木と同じように、その世界では音無たちとは別に固有のパーソナリティを宿したNPCたちが生活しており、その点では酷似していると言えなくもない両者であったが、しかし冬木とは明確に趣を異としている点がたった一つだけ存在していた。
 それは、「どんな傷を負おうとも決して死ぬことはなく、あらゆる外的損傷は時間経過で治癒する」というものだ。死後の世界という通称通り、そこに在籍していたのは文字通りの死者のみである故に、彼らはそれ以上死ぬことはなくどのような傷でもすぐさま元に戻ってしまう。
 だからこそ、生徒同士の抗争が起きれば互いに殺し殺され合うことに一切の躊躇がなく、時には拷問じみたえげつない殺され方というのもまかり通っていた。当然音無もSSSの任務で死んだ回数など二度や三度ではきかず、死にも痛みにもとっくの昔に慣れきってしまっていた。
 だから、冬木という新しい環境に連れてこられてなお、その感覚を引きずっていたのだ。理屈では分かっているつもりでも、ついついそれまでの経験則を優先してしまう。それは時として命の危険さえも誤認させてしまうほどに、SSSでの日々はあまりにも濃密で大切な時間であったのだ。

 思わず言葉を失くしてしまう音無に、ゆりは朗らかに笑いかけた。

「安心しなさい。あんたは一人じゃないし、あたしがついてる。だから落ち着いてここで待ってなさい。すぐ戻ってくるわ」

 安心するようにと諭すゆりの、なんと頼もしい姿であることか。
 自信に満ち溢れた様子で軽く手を振り、彼女は自らのサーヴァントを実体化させた。紫色の装束を着た、セイバーのサーヴァントだ。彼は若干呆れたような口調でゆりに言った。

「……まさかとは思うが、貴様は俺に盗人の真似事をしろと言うつもりじゃないだろうな」
「違うわよ。そもそも、あんたじゃ何が必要なのかも分からないでしょ。あんたはここで音無くんのお守り、いいわね」

 てきぱきと指示し、自分はさっさと歩き出して人のいない部屋を探し伺っている。即断即決で行動も早い、何度見ても一集団のリーダーらしい少女だと思う。


 やがてゆりの姿が建物の向こう側に消えていくのを見ると、そこでようやく、音無は壁に寄り掛かるように脱力した。
 ずっと張っていた気が、ここに来てやっと緩んだようにも思う。今更ながらに体の各所が震えだしたし、鈍っていたはずの恐怖までもが徐々に鎌首をもたげはじめた。
 そして、右手に刻まれた傷の痛みさえも。

(はは……確かにこりゃ痛いな。ゆりにも言われるわけだよ)

 改めて自分の体を検分して見れば、なるほど確かに苦言を呈されるほどにボロボロのそれであった。今まで感じていなかった分を取り立てるように増しているこの痛みも、平時であったならば転げまわって悶絶するほどに強烈だ。
 なんとも情けない話だ。たった一日でこの有り様、果たしてこんなザマで、自分たちは聖杯戦争の頂点に立つことなどできるのだろうかとさえ、心の隅で思わず思考してしまう。
 それこそ愚問だった。既に賽は投げられた、あとはただ突き進むのみと、そう誓ったかつての自分を思い出す。最早話はやるやらないの線などとうに過ぎ去って、自分たちは止まることも許されていないのだから。

【なあ、あやめ。いるか?】
【……はい】

 ふと、音無は"ずっと傍にいた"あやめに念話で話しかけた。
 ゆりと同じくあやめもまた相変わらずで、ずっとおどおどと自分たちの後についてきていた。もう少し自信を持てばいいのにと、そう思う。

【ごめんな、こんな出来損ないのマスターで。夕方のあれだって、俺がもう少しまともなら、きっと上手くやれてたのにな】
【……いいえ、あれは私が悪かった、んだと思います……】
【違う、それだけは絶対ない。あやめはきちんと自分のできることを全部完璧にしてたさ。しくじったのは、俺のほうだ】

 慰めでも謙遜でもなく、これは事実だ。何故ならあやめの能力とは規格外の気配遮断。それしかできないしそれだけのサーヴァントだ。
 だから、それを過不足なく運用するのはマスターたる音無の責任だった。確かに彼女の気配遮断はあの学生服のサーヴァントに破られたが、それとて自分の見通しの甘さが招いた出来事だ。言い訳などできるわけもない。

 そんなことをあやめに言っても、悪戯に彼女を困らせるだけで何の贖罪になるわけでもないことは分かっている。
 この白々しい謝罪が、単なる自己満足であるということも理解している。
 けれど。

【だから、さ】

 それでも、あるいは決意としてか。
 音無は言った。贖罪でも自己満足でもなく、ただ重い決意の響きとして、言ったのだ。

【次こそは、なんて言い訳がましくなるけど。でも、俺も自分にできることは全部やるからさ。
 諦めないで、頑張ろうぜ】

 その言葉に。
 あやめは何の表情を浮かべるでもなく、ただあるがままに受け止め、答えた。

【……はい!】

 きっと、これは単に、それだけの話なのだろう。
 これからの苦労を考えてしんどい気分になりながら、それでも希望はあるのだと、音無は内心で思ったのだった。













「おい、小僧」



 不意に、自分に向かって鋭い声がかけられた。
 弛緩していた空気が一瞬で無くなったのを、音無は感じた。





   ▼  ▼  ▼





 しんと静まり返った夜の帳の中、地を蹴る乾いた音が暗闇に反響した。
 たん、たんと規則正しく鳴る音は、しかしその主の姿は愚か影さえ見えない。それもそのはず、何故ならその音を鳴らす者は、人ではないのだから。
 心眼、あるいは千里眼を持つ者ならば、姿さえ見えぬ何者かが、地を蹴る瞬間のみ足を実体化させ、一度の跳躍で十間の距離を移動している様を幻視することができただろう。
 それはやがて新都にある総合病院の敷地内に入ると、勢いを失くし、夜闇に溶けるようにその気配を消失させた。

(さて、件の少女は何処か……)

 姿見えぬ影の正体は、緋村剣心その人であった。臙脂の着流しを身に纏い、軽装に刀だけを差している。
 紫杏から預けられたスーツと携帯端末は置いてきている。霊体化に伴う質量の消失に現代の物品は巻き込めない以上、多少不便ではあったがそうせざるを得なかった。

 剣心がこの病院を訪れたのは、言わずもがなアサシンの本分たる暗殺のためである。紫杏からもたらされた情報、及び命令に従い、病院に搬送され眠ったままのマスターと思しき少女を闇討ちするのが狙いだ。
 地図は既に頭に叩き込んでいたから、こうして迷わず病院までたどり着くことができた。しかし案内はそこまで、少女が搬送された病室までは特定できず、ここからは剣心自身が探し当てねばならない。

(……なるほど、そこか)

 しかし、そんな索敵作業も何ら支障はなかった。
 瞼を閉じて意識を集中、すると巨大な病棟の中に一つだけ、魔力の気配が濃い座標が存在することが分かる。
 サーヴァント同士に共通する気配の察知である。標的である本田未央が本当にマスターだったならば傍にはサーヴァントが侍っているはずであり、ならばその気配を辿れば自ずと本田未央のいる地点が分かるという読みは的中した。
 場所は掴めた。標的は三階の南端の病室に安置されている。しかし、ここで焦って三階まで跳躍するなどという愚行を彼はとらない。ここから先は、更なる隠密行動が要求されると知っているからだ。

 剣心は霊体化を維持したまま、するりと壁をすり抜け病棟へと入り込んだ。既に消灯時間が過ぎているのか、病棟内は非常口の案内などの必要最低限のもの以外の一切の明かりが消されており、場を満たす静寂と相まって静謐な雰囲気を醸し出していた。
 不思議なものだ、と剣心は思う。サーヴァントとして現界した現代の街並みにおいて、彼は夜も眠らぬビルディングと歓楽街ばかりを目にしてきた。しかし、所変わればここまで様子が一変するのだと、妙な感心を抱いてしまう。
 下らん感傷だ、と心中で一蹴する。仕事の前にそんな考えは不要だった。剣心は三階へ通じる階段を見つけ、そこに一歩を踏み出し。



「……よっ、と。まあこんなもんね」



 視界の端に、素人とは思えないくらい鮮やかな手並みで窓から侵入してくる少女の姿を捉えた。









(予定外だが、さて……)

 霊体化し気配を遮断している自分に気付かず、危うげない体勢で夜間の不法侵入を果たす少女を前に、剣心は思案した。
 窓をよじ登り、音もなく着地する少女は、見たところ17かそこらか。青年期の姿で召喚された自分と同じか、少し下といったところだ。
 戦乱が無くなり武術の類も衰退した現代の子女とは思えないほどに、その動きは堂に入ったものだった。専門の訓練でも受けたか、あるいはこの手のことに手慣れているのだろう。およそ平和の世には似合わない、奇妙な少女だった。

 しかし、剣心が思案に暮れる理由は、そのような現代離れした少女の技能にではない。まして不法侵入の罪を咎めることでもない。
 与えられた暗殺の任務を前に足を止め、少女の処遇を考えるその理由。
 それは、眼前の少女からマスターに特有の魔力の気配が感じ取られたからであった。

(二つに一つだな。殺すか、殺さないか)

 サーヴァントを連れ立たぬマスターという絶好の機会を前に、しかし剣心が即座に刀を抜かなかったことにも理由があった。一つだけ懸念が存在した。
 自らの斬撃を少女に避けられる可能性ではない。今ここで実体化して刃を振るったとして、そんな自分の気配が本田未央のサーヴァントに感づかれる可能性を危惧したのだ。
 気配遮断のスキルはアサシンに共通する「サーヴァントとしての気配と魔力反応を消失させる」スキルであるが、同じく共通して「攻撃の際にスキルランクが大幅に低下する」というものがある。
 剣心の気配遮断のランクはA+。これは同じアサシンと比較しても非常に高く、探知能力に優れたサーヴァントであっても発見は極めて困難という、まさしく破格の数値ではあった。
 しかしそれも完全に気配を絶っていればの話である。一度攻撃体勢に移行すれば、自明の理として気配の遮断を維持できなくなる。殺気、剣気、あるいは鬼気。殺人を行うには確固たる意志が必要であり、そのための動作にはどうしてもそれら「気」が混じってしまう。一切の思考なく人を殺せる者など、それこそ機械人形でしかありえないのだ。
 つまるところ、ここでこの少女を殺してしまえば本田未央のサーヴァントに自分の存在が気取られてしまう。今回の暗殺が「未だ自分たちの存在に気付かれていない」という標的の勘違いと油断を前提としたものである以上、不確定要素を混ぜ込むわけにはいかず、故にとるべき選択肢は無視の一択であるのだが……

(だが……いや、病棟外にもう一つサーヴァントの気配がある)

 しかし、その前提も既に崩れてしまっている。
 いつの間にか病棟外に、本田未央のサーヴァントのものとは別の魔力反応が検知されていた。それは間違いなくサーヴァントのものであり、眼前の少女が従えるものであると容易に想像できた。
 そして、自分が感知できている以上、本田未央のサーヴァントもまた気付かないはずもなく。
 つまり、標的は既に臨戦態勢に入ってしまっている可能性が高い。

(ならば)

 そう、ならば。
 必勝の前提が崩れた以上、選択すべきは次善の手段であり、臨機応変な対応だ。
 戦場において事前の策通りにシナリオが進行することはまずありえない。思考に思考を重ねて叩きだした予想図を、しかし現実は容易に覆し最悪の斜め上へと突き進むの。だから、前線に立つ者にはそれでも作戦を遂行し結果を出す能力が求められた。
 例えば今のように。

「……」

 音もなく実体化、そして最小の動きで腰に差した脇差に手をかける。
 "確実に殺せるところから殺す"、それが剣心の選択した次なる行動だった。
 まずは眼前の少女を殺し、即座に気配を遮断。自分か外のサーヴァントか、どちらかに気を取られた本田未央のサーヴァントに対し隙を伺い、可能ならば本田未央の暗殺を敢行する。
 突貫作業ではあったが、現状においては次善の選択だった。既に状況が動いている以上、過ぎ去ってしまった最善に固執する意味などない。

 未だ自分に気付かぬ少女を睥睨しながら、剣心はその剣を抜き放ち―――





   ▼  ▼  ▼





「な、なんですか……?」

 思わず声が上ずってしまった。しかし、それも無理のない話だろう。
 何せ話しかけてきた相手は抜身の刀を思わせる眼光鋭い侍であるのだ。無論音無の人生にそんな人間と会話した経験などなく、言葉どころかそれだけで人を殺せるのではないかとさえ思えるほど鋭い視線だけでも精神がすくみ上りそうなほどである。
 正直なところ、彼と二人きりというのは非常に気まずいし、一対一での会話などしたくもなかったのだが……

「貴様、確か音無結弦とか言ったか。学び舎では生徒会長、とやらに就いているんだったか」
「え、ええ、まあ」

 しかし、投げかけられた会話の内容は思いがけず軽いものだった。
 剣呑な雰囲気とは裏腹の内容に若干拍子抜けしてしまう。この男、こう見えて雑談が好きなのだろうか。それとも気を遣ってくれたのか?
 分からない。しかし、雰囲気が和らいだのは確かだった。

「なるほど、ガキの中じゃそれなりに優秀な男ということだな。怪我のことで大事にしたくない、というのはこちらのマスターの現状を慮ってのことか」
「そ、そうですね。それもあります」
「感謝する。掲げている目的の都合上、不必要な拘束や騒ぎは避けたいところだったからな」

 感謝されてしまった。
 この男、見た目よりずっといい人なのかもしれない。

「いえ、とんでもないです。ゆりには前から世話になってましたし、何よりあいつに協力したいって気持ちもありますから。当然のことです」
「……そういえば、貴様たちは同じ世界の仲間なのだったな。聖杯、というよりは神か。それを否定するというのもそこで掲げていた指標と聞いたが」
「そうですね。SSS……死んだ世界戦線っていって、自分たちに理不尽な運命を強いた神を殺してやろうって、みんな意気込んでました」

 他愛のない雑談だった。すわ何事かと、強張っていた体も自然と緩む。

「みんな、か。貴様もまたそうだったのか」
「まあ、俺の場合は訳も分からぬうちに流されて、って感じでしたけどね。でも、みんないい奴でした。勿論ゆりの奴だって」
「再会して早々に打ち解けていたのを見るに、随分と結束の固い集団だったようだな」
「ええ。俺もゆりも、他の連中も、みんな大事な仲間です」

 かつてを思い出してか、いつの間にか音無の顔には、うっすらとした笑みが浮かんでいた。
 SSS。死んだ世界戦線。そこで培った思い出と仲間たちは、紛うことなく大事なものであり、宝物だ。
 それを思い返すと不思議と心が温まる。思い出とは、つまるところそういうものなのかもしれない。

 だから、気付けなかった。

「何とも心強いことだ。同盟の話はこちらとしても有難かった」
「そんな、こっちこそ心強いですし、有難いです。正直俺達だけじゃどうにもならないとばかり思ってたもので……」

 あるいは、油断していたのかもしれない。
 あるいは、失血で頭が朦朧としていたのかもしれない。

 けれど、そんなことは言い訳にもならない。

「謙遜はよせ、この短時間で複数の主従を見つけ出した結果は誇るべきだろう。それで、これからは貴様も行動を共にするのだったな」
「ええ、せっかく仲間に出会えたんです。だったら一緒に行動したほうがいいですし、放っておけませんから」

 音無は気付けなかった。
 一見柔和な表情で雑談に興じるセイバーの顔が。

「だから、セイバーさんもこれから」

 どうぞよろしく、と続けようと、ここで初めて、音無はセイバーの横顔に振り返って。
 そこで、ようやく気付いた。


「―――嘘だな」


 ―――雰囲気が一変していた。

 呟かれる声は底冷えするかのように、地の底から響くような重低音を覗かせていた。
 柔和な気配など一片もなかった。一瞬にして、音無の体は凍りついたかのように硬直した。

 ようやく気付いた。セイバーの顔。
 振り返った先に映っていたセイバーの目は。
 雑談に興じていた間ずっと、全く笑っていなかったということに。

 音無は今さらに、気付かされた。

「……う、嘘って、何が」
「貴様が吐いた戯言に決まっているだろう、阿呆が」

 断ずるような口調でセイバーは続けた。

「まず一つ、貴様はその怪我を医者に診せないのは仲村ゆりのことを慮ってと言ったが……逆に聞こう、貴様が医者に掛かることと仲村ゆりの事情との間に一体何の関係がある」
「それは……あいつは家出してて、それで捕まりたくなくて」
「貴様一人で行けばいいだけの話だろう。そもそも、貴様が大事にしたくないという事情とは一体なんだ?
 一週間もせず消えて無くなる世界で金の心配か? それとも生徒会長の風聞に傷がつくのを恐れたか? "着の身着のままで逃亡生活を続けている小娘についてくる"と言ったにも関わらず」

 音無の説明にはおかしな点があった。彼は「仲村ゆりと行動を共にする」と言ったが、彼が本当にそう考えているのだとしたら、それはおかしい。
 何故なら、それだと彼が頑なに医者に掛からない理由がないのだ。貧しい身分を与えられての治療費の不足、風聞の悪化による生徒会長としての情報収集能力の低下、警察に拿捕されての行動の制限。考えられるのはこのくらいだが、これらは仲村ゆりと行動を共にした場合にはそもそも意味を為さなくなるのだ。
 彼も知っての通り、仲村ゆりは家出同然の体で街へ飛び出し索敵を続けている。学校には行かず、警察からの追手もかかっているのが現状だ。日々の暮らしを維持するために多少は後ろ暗い手段に訴えることもあるし、そもそも彼女と行動を共にするということはそれまでのロールを捨てるということでもある。
 更に言うなら、音無がゆりと行動を共にする理由それ自体が存在しないのだ。むしろそれぞれで別行動を取り、戦闘力に優れるゆり陣営が前線を、戦闘力がない代わりに情報収集能力がある音無陣営が裏方に徹したほうが遥かに効率的だ。それは先程の情報交換の場でも証明されている。
 矛盾だけではなく疑問も残る。音無は一日目の終わり、夜間になってようやくゆりへと「自分が聖杯戦争関係者であるということが分かる文言」のメールを寄越し、合流を図った。それができたならば、何故最初からそうしなかった?
 当初は合流するつもりがなかったが、しかし一日目にして合流せざるを得ない理由ができたのか。ならばその理由とは? 当初合流するつもりがなかったのは何故?

 これらを総合的に纏めると、一つの筋道が浮かんでくる。
 公の場に身を晒すことを忌避し、公的な立場を捨ててまで逃亡生活を望み、当初は合流する予定のなかった陣営に接触してまで戦力を欲する理由。それは。

「貴様は聖杯を望んでいる。そして失敗したな、音無結弦」

 滔々と自身が疑う理由を述べ、敵手を睨む瞳で、セイバーはそう断言した。

「大方本田未央の自宅に襲撃に向かい、そこで手痛く返り討ちにでも遭ったんだろうよ。公的機関を恐れるのは警察にでも情報を渡されたからか?」
「ち、違う! ゆりと合流したいと考えたのは、敵襲に遭っても俺達だけじゃ対処が難しいからで……!」
「ならば何故最初から小娘に打ち明けなかった。大事な仲間なのだろう? 志を共にしているのだろう? ならば躊躇う理由など何もないはずだがな。
 それとも、何もかも考え付かずその場の勢いで言ったとでも? 仮にもガキの分際でそれなりに頭の回る貴様が?」

 考えづらかった。これが単に同年代の他のガキだったならば、現代の平和ボケした阿呆と捨て置くこともできたが、しかし仮にも一定の成果を挙げたと吹聴し、ゆりもそれを受け入れる程度の頭がある以上はそうもいかない。
 セイバーはゆりのことを小娘と呼んではいたが、その器量はある程度認めてはいた。そんな奴が、まさかメンバー一人の器も見抜けないような愚物ではないのだとある意味において信頼さえしているのだ。
 それに何より。

「何より臭うんだよ、貴様からは。
 我欲のために他者を手に掛けた、隠し切れない血臭がな」

 新撰組三番隊組長として、血風と白刃の魔都と化した京都を駆けまわった経験が。
 警部補として奉職し、密偵として暗躍した体験が。
 斎藤一として数多の戦場を駆け抜けた人生が。

 音無結弦は殺人者であるのだということを、本能的に嗅ぎ分けていた。

「言い訳があるなら聞いてやる。三秒だけ待ってやろう。だが、無いというのなら……」

 カチャリ、と金属音。
 いつの間にか抜き放たれた刀の白刃が掲げられ、その切っ先が向けられる。

「悪・即・斬、その矜持に則り貴様を殺す」

 混じり気なしの純粋な殺気が、音無に向かって放たれた。





   ▼  ▼  ▼





 それは、全く同一のタイミングだった。
 斎藤一が剣を抜き、緋村剣心も剣を抜き。
 それぞれが死者の少年少女へと切っ先を向け、その命を華と散らそうとした瞬間。

 "それは"唐突に頭上からやってきた。


「―――おおおおおおォォォォッ!!」


 雄叫びと共に、それは来た。
 必殺の構えを取った斎藤が、その向きを突如上方へと変更、爆縮した筋肉を解き放つかの如くに引き絞られた切っ先を撃ち放った。
 爆轟、そして衝撃。技を放つ余波だけで吹き飛ばされそうになる"突き"が落下する"何か"に向けて殺到し、激突の波濤が周囲一帯に伝播した。

「な、なにが……」

 呆然と声を出す。見開かれた視界の先に映るのは、対空に弓なりに突きを放った斎藤と、切っ先を相手に拳を突き合せた一人の巨大な男だった。音無の視界に男が内包する力の詳細が映し出される。間違いない、サーヴァントだ。
 しかし未知の相手ではない。それは、確かに自分が殺したはずの本田未央が従えていた拳法家のサーヴァントに他ならず、故に音無の思考は一時の混乱に陥った。

「な、くそッ!」

 瞬時に体を反転させ離脱を図る。思考は体に付いてこれていないが、構わない。状況を理解しようとする理性よりも、命の危険を悟った本能が上回った。
 男の襲撃はある意味で最高のタイミングだったが、ある意味では最悪だ。敵意を持つサーヴァントが、味方のいない状況で二騎もいるのだから。

 脱兎の如くに逃げ出す。勿論、傍らのあやめの手を引くことは忘れない。
 恐怖と焦燥に我を忘れて、しかし次の瞬間、音無は想像にもしなかった光景を見る。

「……は?」

 恐怖に振り返った先にあった光景、それは自分を無視して病院内へ突撃するセイバーと、それに追随する白銀の男の姿だった。




 ゆりがその凶刃から逃れられたのは、全くの偶然にして最大の幸運だと言っていいだろう。
 剣心の刃が抜き放たれようとした瞬間、剣心の第六感は三階病室から急速移動するサーヴァントの気配を捉えた。そして次の瞬間、その気配がもう一つの気配に衝突し、同時に地を揺るがす大震動がゆりと剣心を襲ったのだ。
 殺害目標の急激な移動に伴う一瞬の躊躇、並びに地を揺るがす大激震。それら要因が重なり、一瞬後に抜き放たれるはずだった剣心の刃は納刀された状態のままとなり、結果としてゆりはその命を繋ぐことと相成った。
 そして、不発に終わったとはいえ攻撃体勢に移ったことにより、当然の帰結として気配遮断のランクは大幅な劣化を受け。



「―――抜刀斎ィィィッ!!」



 突き抜けた廊下の先、一直線に視線が交差するその場所にて。
 コンクリートの壁を砂城が如く粉砕しながら、斎藤一という名の一人の剣鬼が颶風となって殺到した。





   ▼  ▼  ▼





 気配の移動と襲撃に気付いた瞬間、斎藤は躊躇いなく牙突の方向を頭上へと変更した。
 そして攻撃同士の衝突を確認し、次の瞬間に起こったことに対し、斎藤はほんの一瞬だが忘我の境地へと至り、次いで抑えきれない高まりと共にその口元を凄絶に歪ませたのだ。

 襲撃してきたのは白銀のサーヴァントだった―――ああ、別にどうでもいい。
 視界の隅で小物(音無)が逃げようとしている―――放っておけそんなもの。
 新たに生じた気配の脇で、マスターが襲われかけている―――流石にこれは看過できんな、手助けくらいはしてやろう。

 ああだが、だがそんなことよりも。
 何もなかった空白の座標にて突如として発生したサーヴァントの気配、それを辿って見遣れば、そこには求め焦がれたあの男がいるではないか。

 そう、かつて共有した悪・即・斬の正義の下に、言葉ではなく刃を交わした仇敵が!
 かつての姿、かつての凶眼、今も懐かしく脳裏に刻まれた人斬りの鬼としての奴が!
 年の頃に背格好、余人が見れば後の奴と見分けなどつくはずもない。しかし俺は、俺達だけは一目で分かる。

 そいつの名は不殺の流浪人・緋村剣心などではなく、京の都ではこう呼ばれていた。

「抜刀斎ィィィッ!!」
「ッ、斎藤か……!」

 瞬間、牙突にて両者を遮る壁を破壊しながら、斎藤はその男に対して猛突進を開始した。対する男―――緋村剣心は手中に収めた仲村ゆりの処遇を放棄。彼女を殺すに一太刀使えば牙突を防げないと判断して強引に突き飛ばす。
 二人が交錯した刹那、鳴り響くは金属の破砕音。それは両者が持つ刀の絶叫に他ならず、類稀なる彼らの技をまともに受けてしまえば諸共に砕け散ってしまうと如実に伝えている。

 これら一連の行動は、全て斎藤の独断であり、かつ彼が独自に持つ矜持に由来するものだった。
 だから、音無は何故斎藤はこのような行動に出たのかまるで理解できていないし。
 それは、追随する白銀の男―――加藤鳴海も同じだった。

「てめえら―――!」

 鳴海がこの場に打って出た理由。それは偏に、今も眠り続けるマスターを護るため、彼女に近づくサーヴァントを駆逐するためである。
 そして元より、彼は他のマスターを狙うということをしない。サーヴァントだけを斃すと誓っているし、それを破るつもりなど毛頭ないのだ。
 故に彼は追い縋る。駆けていく斎藤、その先にいる抜刀斎に向かって。逃げ行く音無と解放されたゆりには目もくれずに、むしろ彼らから庇うそぶりすら見せながら。

 結果、発生するのは三つ巴の睨みあいだった。剣圧に押され弾かれた斎藤と剣心、その間に割り込むように躍り出た鳴海により、三者は等間隔の間合いで以て相対する。
 攻めるに難し、逃げるのは尚難し。敏捷性に優れる剣心ですら、戦略として一時撤退を選びたいと思考しているにも関わらず、それを実行できずにいた。対峙する斎藤と鳴海が、自分と同等かそれ以上の手練れであるためだ。

 数瞬の間、彼らに流れたのは沈黙だった。邂逅時の激しさなど何処かへ置いてしまったように、相反した静けさがあった。
 そこに含まれるのは郷愁か、悔恨か、あるいは歓喜か。それらいずれか、ないし全てが混ざり合った複雑な感情から来る不可思議な沈黙が場を満たす。
 そして、斎藤が口火を切った。

「……待ちわびていた、というのもおかしな話だがな。まさか貴様と相見えることになるとは思っていなかったぞ、抜刀斎」
「それはこちらの台詞だ斎藤。どうも俺達は、切っても切れぬ縁で繋がれているらしい」
「はっ、嬉しくない腐れ縁だ」
「勝手に付け狙うお前が、よく言う」

「おい、待てよ」

 二人の会話を遮るように鳴海。

「俺はてめえら二人の因縁なんざ知ったこっちゃねえ。だがここで殺り合うってんなら話は別だ」
「……本田未央のサーヴァントか」
「なるほどな、そういうことかよ。つくづく休まる暇がねえ」

 心底憎々しげに口元を歪め、鳴海は言った。

「なんで知ってる、なんてこたぁ聞かねえさ。だが、やり合う前に場所を変えるぞ。
 ここを巻き込むのは忍びねえし、てめえらにだって不都合だろうが」
「ほう、考えなしの達磨かと思えば、少しは気が回る男のようだな」
「いちいち茶々入れてんじゃねえ」

 鳴海の言う通り、病院内は既に警報が鳴り響き、病棟は起き出した患者たちの声でざわついている。警備員が駆け付けるのも時間の問題だろう。
 場所を変えることに、全員が異存はなかった。
 だがその前に、斎藤には一つ、言っておかねばならないことがあった。

「おい、音無結弦」

 ビクリ、と体が震える音が聞こえてきそうなくらい、声をかけられた彼は動転していた。

「貴様にどのような魂胆があるかは問わん。最早それはどうでもいい。だがな。
 貴様がその手に抱く小娘、そいつはきっちりと責任持って守り抜け。さもなくば、"俺が消えた途端にこいつらは貴様を殺しに行く"ぞ」

 音無はとうの昔に逃げ出す準備を整えていたが、しかしすぐさま実行するのではなく、剣心より解放されたゆりをその手に庇っていた。連れ立って逃げる気だったのだ。
 そして、斎藤が音無にかけた言葉は激励ではなく警告である。仮に音無が何らかの魂胆でゆりを殺したとして、連動して自分が消えたら残る二騎のサーヴァントはお前を殺しに行くのだと。
 一見意味が通らぬ文言に、しかし音無だけはその意味を理解してか顔を引き攣らせながらゆりを連れ立ち路地の向こうへと消えていった。それでいい、足手纏いはいないに限る。

「……俺は異存ない。どうせいずれは斬る相手だ、ここで相手をするのも変わらんだろう」

 そして最後の一人、抜刀斎が肯定の頷きを返し、にわかに騒がしい深夜の病棟より抜け出ようとして。


「……マスターッ!」

 その瞬間、"三階病室に向かう新たなサーヴァントの気配"を感知し。
 白銀のサーヴァント、加藤鳴海は焦燥の色と共にその姿を掻き消したのだった。





   ▼  ▼  ▼





「死んだ、って……」

 夜も更けた帳の中、呆然とした少女の声がか細く呟かれた。

「事実だ。夕刻の報道で取沙汰されていた新都デパートにおける大量殺人。その犠牲者の一人であるラカム某、奴が空の騎士のマスターだ」
「そんな……」

 少女――南条光は、信じられないといった面持ちで、ただ茫然と呟いた。
 仕方のないことだろう、なにせ半日前までは確実に生きていた人間が、今はもう生きてないというのだ。死に慣れていない子供であるならば、当惑するのも当然である。
 それに何より、そのラカムという男は。
 この、先も分からず味方がいるかも不明な聖杯戦争でようやく見つけた、仲間になれるかもしれなかった人間なのだから。

「本戦が始まったことによる戦闘の激化が、こちらの想定を超えるものだったということだ。
 それを察知できなかった私の責任になるな」
「……ううん、ライダーは別に悪くないって。結局アタシ達、その人達に会えないままだったんだし」

 言うまでもないが、光はラカムと空の騎士に直接会ったことはない。
 どころか、ライダーでさえも直接話したのは空の騎士だけであり、そのマスターであるラカムがどういった人物だったのかは、最早永遠の闇の中だ。
 だから、残念ということはあっても、悲しいという感情は起きなかった。
 代わりにあったのは、喪失感だ。
 見も知らぬ誰かであっても、人の死とは痛ましいものだ。それがもたらすのが悲しみであれ何であれ、光の心に喪失感を植え付けるには十分だった。

「でも、そうすると、アタシ達これからどうすればいいんだろう。結局、昨日は何もできなかったし」
「私から言えることがあるとすれば、心の準備をしておくことが肝要だな」
「それだけで、いいのかな……?」
「なに、マスターはただ心折れず在ればいい。荒事は私が引き受けよう」

 ライダーの言葉は諭すように、けれど力強く。光の中へと染み渡った。
 未だ不安は取れないけれど、でも自分も頑張ってみようと、そう思えた。

「……早速だが、近場で魔力の反応がある。恐らくはサーヴァントだろう。
 行くか?」
「……当然、行くに決まってる!
 頼りにしてるよ、ライダー!」

 だから威勢よく、心だけは強く保ちながら行こうと思う。
 もう真夜中だし明日も学校だけど、レッスンで鍛えているから多少の無理も利く。今から出たって多分問題はないはず。
 最低限の用意だけして、光は自宅を飛び出した。

「待て、そう慌てるな。急いては事を仕損じるとこの国の言葉にもあるだろう。
 それとだ、これをお前に渡しておこう」
「……えっと、チェスの駒?」

 宥めるようなライダーの言葉。手渡されたものを訝しげに見ながら光は言った。
 それは何かを模った黒い駒だった。光の記憶が正しければ、確かチェスで似たようなものが使われていたと思う。

「なに、お守りのようなものだ。これより鉄火場へと向かうのだからな、多少の備えは必要だろう」
「……うん、ありがとうライダー。失くさないよう大事に持ってるよ」

 感謝の言葉を告げ、光は改めて一歩を踏み出す。その足取りは早く、街中のネオンライトを背にして。

 ―――駆ける光は気付かない。

 駆ける彼女の横合いを、誰にも見えぬ小さな少女がすれ違っていったことを。
 風に乗って、枯草に鉄錆の混じったような香りがしたことも。





   ▼  ▼  ▼





「ああもう! 何がどうなってるっていうのよ!」

 怒りと当惑に任せた声を聞き流し、音無はゆりを連れ立っての逃避行を敢行していた。
 横に並ぶゆりも、ただ癇癪を起こすではなくしっかりと自分で足を動かしている。SSSのリーダーは口だけではない、状況に際した行動は誰よりも早く正確に実行できる胆力もあるのだ。

「騒いでも仕方ないだろ……! それよりあいつら、お前のセイバーが足止めしてるうちに早く距離を稼がないと……!」
「分かってるわ、できるだけ早く、遠くに行かなきゃ……!」

 息を切らして逃走する二人が考えた今後の展望はこうだ。まずセイバーが二騎のサーヴァントの足止めをしている間に音無とゆりがサーヴァントの気配感知圏外まで逃走、そこで令呪を使ってセイバーを呼び戻し完全に雲隠れするというもの。
 三者の睨みあいになったあの場所で令呪を使う、というのは躊躇われた。何せあそこにいるはサーヴァント、常人を遥かに超える速度を持つ化け物である。令呪による命令を下すまでに、ゆりの腕が斬り飛ばされていた可能性だって決して低いわけじゃない。
 だからこそ、まずは安全圏まで退避してから令呪を使用するという結論に至ったのだ。

「というかね、音無くんっ……!」
「はぁ、っく、なんだよゆり」
「あんたのサーヴァント、アサシンだっけ。そいつはどうしたのよ!」
「さっきも言ったろ、あいつは戦いがてんで駄目なんだって! あんなところに放り込んだらすぐ死ぬっての!」
「つっかえないわねホントに!」

 ぎゃーぎゃーと喚きながら、夜の街を二人の少年少女が駆ける。言葉面ではいがみ合いながらも足並みが揃っているあたりが、二人の関係性を表しているようだった。
 音無の言は、実際に正しい。あやめはサーヴァントでありながら常人程度の身体能力しか持ち合わせず、戦闘など論外だ。あの場に放り込んだとしても、やれることなど何もないだろう。
 それは事実である。しかし、音無にはゆりに話していない事柄も存在していた。

 現在、音無は念話にてあやめを総合病院内の捜索に当たらせていた。
 無論のこと三つ巴の戦闘に参加させるためではない。恐らくはあの病棟に搬送されているはずの"本田未央"を探り当て、もう一度殺すためだ。
 当初、セイバー目掛けて白銀のサーヴァントが襲来してきた時、音無の胸中を占めていたのは困惑だった。何故なら音無は、そのサーヴァントに見覚えがあったから。
 本田宅にて令呪を使うまでの一瞬、たったそれだけの時間ではあったが、音無は確かに目撃していた。家の壁をぶち破り、猛進して来るかのサーヴァントを。
 それは、紛れもなく本田未央のサーヴァントだった。

 明らかにおかしかった。何故なら本田未央は既に死んでいなければならないのだから。
 首筋を切断した感触は今でも手のひらに残っている。部屋中にぶちまけられた血液だって本物だ。実は本田未央は吸血鬼か化け物の部類で、首を切っただけでは死にません? 馬鹿な、あれはただの人間だった。
 ならばアーチャーのように、あのサーヴァントに単独行動のスキルでもついているのか。それも考えづらかった。先ほど見てとれたステータスは何ら減衰することなく高水準を保っていた。単独行動のスキルはあくまでサーヴァントを生存させるためのスキルであって、魔力供給の途絶による弱体化は避けられない。故に、この状況を構築しているのは単独行動のスキルではあり得ない。

 そうすると、考えられるのは一つだけ。本田未央は、何故か一命を取り留めた。そしてあの病院に搬送されたのだ。
 そう考えると全ての辻褄があう。あのサーヴァントが病院内にいたことも説明がつく。
 ならば、音無が取るべき行動は一つだった。再度の本田未央暗殺、これを置いて他にない。
 それは何も、仕留め損なった標的は絶対に殺さねばという思いから来ているものではない。音無が懸念しているのは、ある種の信用問題だ。
 現状、音無はゆりの従えるセイバーに疑念を持たれている。ならば、万が一あの白銀のサーヴァントから自分にとって不利な情報がもたらされた場合、最早自分に未来はない。
 だから殺す。何かを喋る前に、そのマスターを殺して白銀のサーヴァントには退場してもらう。

「な、なあゆり、そろそろいいんじゃないのか?」
「いいえ、まだ足りないわ。そもそも気配を感知できる距離って曖昧すぎて指標にならないから、万全を期すならもっと先まで行く必要があるのよ」

 夜の街を二人の少年少女が駆ける。周りはひたすらに青い闇。
 あたりに目を凝らしてみても、通行人など人っ子一人いやしない無人の街。
 いつの間にか、二人は大通りを外れ内路地へと入り込んでいたらしい。ただ街灯の灯りだけが、ぽつ、ぽつと前にも後ろにも続いている。闇の中でそれだけが浮かび、遥か遠くへと無限に続いているようにも錯覚してしまいかねない光景だった。

 民家さえもまばらだった。近代化の著しい新都とは思えないほどに、無機的に閑散とした場所だった。街灯は暖かみのない光だけをぼんやりと宙へ投げかけている。
 孤独感。
 不安感。

「お、おい、ゆり……」

 言い知れぬ不安感が、音無を襲った。
 セイバーはおろか、あやめでさえも自分の傍にいないという現状。そして敵襲から遁走した直後という状況が、音無を臆病にしていた。
 思わずゆりの手を引こうとして、すんでのところで思いとどまる。しかしそれすらも、酷く空々しく、他人事のように感じられた。

「何よ、まさか追手が来てるとか言わないでしょうね」
「いや、そうじゃないんだけどさ……なんというか、嫌な予感がするというか」
「はあ? 予感もなにも、現在進行形で嫌な事態になってるでしょうが」
「そりゃそうだけど……」

 自分もゆりも焦燥にかられて、冷静さを失っているのだろうか。ならば一旦頭を冷やさねばならないだろう。
 窮状では冷静さを失った人間から脱落していく。これは戦術云々の話ではなく、最早常識だ。
 いかんいかんと頭を振って、なんとか気持ちを落ち着けようと―――





「いいや、そこのお坊ちゃんの言う通りだよ、カワイイお嬢さん」




「え―――あぐっ!?」
「ゆり!?」

 軽薄な声が耳に届いた瞬間、目の前に立っていたはずのゆりの体が、急速に横へとブレた。
 まるでダンプカーにでも突き飛ばされたかのように、ゆりの華奢な痩躯が派手に吹っ飛んで塀へと激突する。
 ずるり、と力なく地面へ横たわる。音無はただ驚愕の声を上げるのみだ。

「やあ、久方ぶりだねお嬢さん。そしてこっちは新顔のお坊ちゃんか。満員御礼痛み入るよ」

 ―――黒色の道化師が、そこにいた。
 星飾りの装飾をつけ、奇抜な衣装に身を包んだ道化師。その全身を覆う色は、夜闇よりも尚深い漆黒。
 長身痩躯で腕には巨大な鎌を持ち、その威容は例えて死神。

 間違いない。こいつは……

「デパート、の……アサ、シン……」
「大・正・解。そんなキミには今からとびっきりの恐怖と苦痛と絶望をプレゼントしてあげよう」

 アサシンのサーヴァント―――キルバーン。







 キルバーンとピロロがその二人を見つけたのは、実のところ全くの偶然と言ってよかった。

 思わぬ痛手を負ったバーサーカーとの戦闘から既に半日。足りぬ魔力を裁定者に見咎められぬ程度の魂喰いで補給し、事前の罠と策を練りつつキルバーンたちは夜の街を見下ろしていた。偵察と様子見のためだ。
 本来、キルバーンは直接的な戦闘というものを好まない。自分は安全圏から睥睨しつつ、罠と策で相手を弱らせ、確実に獲れる首だけを取るのが基本戦法だ。
 簡潔に言ってしまえば、キルバーンは慎重極まりない人物と言える。万が一の敗北や一部の隙も認めず、100%勝てる戦いだけをする。それはおよそ誇りや矜持とは縁遠いものではあったが、同時に極めて合理的な戦闘論理でもあった。

 現状、キルバーンの戦力は全快の8割程度にまで回復していた。
 NPCといえど魂喰いによる魔力回復は馬鹿にできたものでなく、地道な活動により破損していた宝具『死神の笛』を修復できるまでに力を蓄えることに成功していた。未だ生命のストックを補充できるほどではなかったが、それ以外の戦闘力に関しては十全の域にまで至っている。
 無論、それで満足するキルバーンではない。彼が求めるのは絶対の勝利の保障である以上、生命のストックがない状態でのサーヴァント戦など言語道断だ。あと2割、それが回復するまでは様子見に徹するつもりであるし、今はそのために夜の街を徘徊していた。

 そう、そのはずだったのだが。

「あ~~~、見てよキルバーン! あんなところにマスターの女の子がいるよぉ!」
「おや、本当だねピロロ。昼ごろに見たセイバーのマスターだ。あんなに必死に逃げて、クックククク、可愛いねぇ」
「隣にいるのは誰だろう、やっぱりあいつもマスターかな?」
「さぁて、どうだろう。でもピロロ、おかしいと思わないかい? あの子がこんな近くにいるのに、サーヴァントの気配がまるでしないってことが」
「あっ、言われてみればそうだね。ねえキルバーン、もしかして……」
「うん、もしかして……」

 趣の異なる二体の道化が、全くの同時に黙り込んだ。月の明かりに照らされて、顔の半ば以上が深い影。しかしその口ははっきりと笑みの形に引き攣れていた。
 下卑た笑み。弦月に歪んだ口元が愉悦の哄笑を漏れ出させる。

「サーヴァントを失ったか、あるいは足止めに置いてきてるってところだね」
「きっとそうだよ! だって全然気配がしないし、あんなに死にもの狂いで逃げてるんだもん。今のあいつらにサーヴァントはいないんだ!」
「逃避行、あるいは決死行かな? プッククククク、ならボクたちのやるべきことは一つだねピロロ」
「うん、ちょっと早いけどお楽しみの時間だねキルバーン!」

 ところで、キルバーンというサーヴァントは非常に狡猾で、慎重で、安全な戦いの思考を好む人物である。
 しかし、そんなある種の合理性を持った主義とは裏腹に、それとはまるで似つかない、対極とさえ言ってしまえる性質を彼は内に秘めていた。

「愉しい兎狩りの始まりだ……!」

 それすなわち―――弱者を甚振り殺すことに喜びを感じるという、普遍的かつ強烈な嗜虐性である。





   ▼  ▼  ▼





 安らかに少女が眠っている。
 それは安心しているかのように、穏やかな銀の水に抱かれるように。
 見覚えのある顔で、静かに。本田未央という名の少女は眠りについていた。

「……」

 言葉なく、その寝顔を見つめる視線が一つ。
 誰にも気付かれることなく。
 誰にも悟られることもなく。
 たった一人でこの病室まで赴いた者の視線だ。サーヴァント溢るる戦場と化した階下を上がり、決死の覚悟と共にやって来た者だ。
 アサシンのサーヴァント。その名を、あやめと言った。

 するり、と音もなく。あやめは未央をも下回る小柄な体躯を持ち上げ、ベッドで眠る彼女に跨った。
 丈の長い臙脂の服がぶわりと広がり、重力に従ってシーツの縁から下に流れる。その光景は、見ようによってはベッドの上が鮮血で染められているようにも見えた。

 あやめはその細く白い繊手を、そっと未央の首へとかけた。
 微かに未央が顰めた声をあげる。それに思わずたじろいでしまうけど、気を取り直して再度首に指をかけた。
 小さく一つ息を吐く。どうしても震える腕を、無理やりに抑え込む。

 そして。

「……ッ!」

 一気に、力を、入れた。

「ぅぐ!?」

 未央の表情は急激に苦悶の様相へと変貌し、口からは声にならない呻きが漏れた。
 少女の首筋、その中点たる細長い気管の感触を肌の上から指先に感じながら、あやめはぎゅっと目を瞑り、更なる力を指に込めた。
 うぇげ、という嘔吐にも近しい汚音が吐き出される。しかし漏れるのは胃の内容物ではなく肺に残った空気だけだ。首という人体の急所に強い力を入れられる特有の嫌悪感と、酸素の供給が成されない急性ショックからか、未央の顔は煽動するかのように蠢き、歪んでいる。
 酸欠になった魚のように、パクパクと空気を求めて口が開かれる。抵抗を示す手足が、藁を掴むかのように弱弱しく動かされた。その手は既に幾度もあやめの体や、首を絞める腕にぶつかっていたが、未央はそれに触れたことを認識できていない。
 だから困惑する。何故自分がこんな状態になっているのか。さながら地上で溺死するという矛盾めいた惨状だった。半覚醒の意識が瞼を押し開かせ、足りない酸素で懸命に思考を回転させる。

 対して未央を縊るあやめといえば、目を瞑り顔を俯かせ、腕だけを前に出して必死に力を入れ続けていた。まるで何かに耐えるように、未央の腕が体に当たる度に悲痛な声を漏れ出させて。未央を扼することで自分までもが扼されているかの如く。
 そのザマは、あたかも「早く死んでくれ」と懇願しているようにも見えた。あるいは、見る者によっては縊る未央を心底哀れんでいるようにも見えたかもしれない。どちらも正解で、しかしどちらも間違いであった。


 あやめは、最弱のサーヴァントである。
 戦う力がない。何かを造り出すことができない。逃げることも、交渉も、他者を引きつけるカリスマ性だってない。その身に宿る気配遮断はあやめ自身のものではなく、あくまで眷属としての認識阻害だ。
 およそ何故サーヴァントになれたのか、自分でも分からない有り様だった。誰かの役に立つことはできず、マスターにも迷惑をかけるばかりの存在だった。
 昨日もそうだった。マスターである音無結弦は、本田未央の暗殺に際し自ら殺す役目を買って出た。それは自分に殺人の咎を背負わせないようにという彼の優しさであると分かっていた。何もできない自分を、彼は笑って「別にいい」と言ってくれた。
 無能を謗られることさえ、自分はできないのだ。
 サーヴァントとして当たり前のことができないばかりか、当たり前のことができないことを失望されるという、そんな本当に当たり前のことさえ、自分にはできないのだ。
 あやめの生涯はそんな絶望と、悲しみと、自己嫌悪に満ち溢れていた。
 当たり前のことができない自己嫌悪、それを当然だと無意識に思われてしまう自己嫌悪。何も期待されないという自己嫌悪。それはサーヴァントとなった現在でもついて回った。
 だから、あやめは自分の手で何かを成し遂げたかった。せめて自分を喚んでくれた人に報いたかった。人を殺すということは何より悲しく、嫌なことであったけど、それがサーヴァントとしての役目だというのなら、自分はそれを成したいと願う。

 あやめは指に力を入れる。強い強い感情を伴って。
 あやめは指に力を入れる。激発する、恐らくは生まれて初めて抱く感情と共に。
 未央の抵抗が徐々にその頻度を減らし、暴れる力も蝋が溶けるように消えていった。肺は既に荒い呼気を伴うことなく、涙に塗れた眼球は上を向いて白目を晒した。

 使命感、義憤、報いる心。そういったものも確かにあったけど、しかし今のあやめの中にある最も強い感情とは、彼女自身でさえも判別できない極めて攻撃的なものだった。
 使命感で人は人を殺すのか―――否。
 義憤で人は人を殺すのか―――否。
 報いる心で人は人を殺すのか―――否。
 そのような後付で脚色されたものではなく、人が人を殺す時に抱く、最も原始的かつ根源的な感情を、あやめは無自覚的に有していた。

 人が人を殺す際に用いる、赤裸々な感情。
 それを、たった一言で表すならば―――















『こんばんは』

『そんな必死こいて、何かいいことでもあったかい?』



 声が、聞こえた。
 びくつき怯えた表情で、あやめは彼女にしては珍しいほどの反応で、瞬時に声の出所を振り向く。
 その視線の先は、窓際。

 ―――月を映す夜空が除く窓に、渾沌よりもなお深い黒色の人型が、歪な嗤いを浮かべて座っていた。



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音無結弦
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本田未央
しろがね(加藤鳴海)
アサシン(緋村剣心)
前川みく
ルーザー(球磨川禊
049:閑話休題のアイオライト 南条光
ライダー(ニコラ・テスラ
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