グーテンモルゲン、グロースヴァント

(投稿者:神父)


「合同演習?」

1945年4月15日、午後。格納庫の前でターボファン・エンジン特有の重低音を立てていたイェリコはすぐに見つかった。
調整のために背負っていたSi110Vを背中から降ろし、イェリコは狐につままれたような顔でブルクハルトを見た。

「さよう、我らが飛行隊長が新装備を得た───と言ったら向こうが実用試験を兼ねて演習をしないか、と申し出てきたというわけだ」
「それは構わないが……規模は?」
「君ら全員を駆り出す事になるな。向こうは十名から十二名程度……一個中隊規模同士での演習を希望している」
「何、一個中隊? グロースヴァントががら空きになるぞ。何かあったらどう責任を取るのか?」
「そこが焦点なんだが、戦線のすぐ近くで演習をやるつもりらしい。不測の事態に際しても急行できるように、だそうだ」
「なるほど。しかしたかが演習に飛行隊すべてを駆り出すとは……いや、これが決定事項だと言うなら仕方ないが」
「長官の許可はまだだが、君が確認し次第署名するそうだ。それに……君らには選択権が存在しない」

罪悪感ゆえか、ブルクハルトは一瞬の躊躇いを以って言葉を発した。
しかしそれが示す事実にもイェリコは動じず、ただわずかに肩をすくめただけだった。

「兵器に何かの権利を認めるわけにもいかないだろう。我々がある程度の自由を持ち合わせているのはそれが許容されたものであるからに過ぎない」
「よく理解してくれているようで嬉しいよ。実に模範的だ……病院からの脱走を除けば、だが」
「いや、あれはだな、Gの撃滅が療養などよりも優先されるべきという当然の帰結から───」
「ああ、わかったわかった、とりあえずその話は置いておくとしようじゃないか。
 ともかく演習を行う事に問題がなければ、隊員を集めて作戦会議でも始めてくれたまえ。対策抜きではあっという間に叩き潰されかねんぞ」
「叩き潰されるだと?」

ブルクハルトの不穏な口調に、イェリコが片眉を上げた。
白衣の男は彼女を値踏みするように見つめ、言った。

「相手はルフトヴァッフェ第一級三個小隊、「赤」、「黒」、及び「白」だ。勝てるなどと思わない方がいいだろう」

それだけ言うとブルクハルトはイェリコの手に資料を収めた書類挟みを押し付け、踵を返してさっさと歩み去っていった。
イェリコは憤慨した───いや、ほとんど怒っていた───あの男は我々が負けると予想して、なおかつ平然としている!
そう、確かにルフトヴァッフェは総勢百名ものMAIDを数える軍集団であり、対するSS飛行隊はわずか一個中隊の定数すら満たせない寄せ集めだ。
百名から選りすぐられた三個小隊と必死にかき集めたなけなしの一個中隊がまともに戦えばどうなるか、結果は自ずと知れようというものだ。
しかし、戦う前から結果を知ったつもりになって投げやりになるなどという事は、彼女の兵器としての矜持が許さなかった。
彼女は、最後まで全力で戦って、たとえ敗れても祖国のために死ぬべきだと信じていた。それは演習だろうが実戦だろうが同じ事だ。
かつて飛行隊が結成された時、散漫とした雰囲気の隊員たちの前で彼女が放った第一声からして、その信念を物語っている。
彼女はこう言ったのだ───

「私と共に、祖国エントリヒと、人類市民のために死ね! 犬死はさせん!」

……そもそも「祖国」がエントリヒ帝国ではない者も相当な割合で混じっていたのだが、彼女は一向に構わなかった。
しかし、それはともかくとして、彼女は早急に隊員を招集する必要があった。
無論、精鋭中の精鋭たる三小隊に勝つためであり、あの技術大尉の鼻を明かしてやるためでもある。
イェリコはブルクハルトを嫌っていたわけではなく、ある種の正義漢であるとすら見なしていた。だが、あの斜に構えた姿勢は気に入らなかった。
別に怒らせるわけでもなければ、危害を加えるわけでもない。ただ少し驚かせる───かもしれない───だけだ。
だが彼女は、ただ単に勝利する事以上の執念が己の内に存在する事を忘れていた。

「演習とはいえ……待ち切れんな」

背後に鎮座したアヴェンジ・ガントを振り返り、ぼそりと呟く。
イェリコは、あの徹底的な破壊の濁流をもう一度迸らせる瞬間を心待ちにしていた。彼女はまさしく戦争狂であり───血と硝煙に飢えた獣であった。



雲の合間から差す穏やかな日差しにもかかわらず、ブルクハルトは陰鬱さを感じさせる表情で足早に格納庫から離れた。
SS本部の建物の戸口をくぐってようやく一息ついた様子になり、彼は一言だけ呟いた。

「……哀れだ」

あのMAID、イェリコを見るたびに彼が思う事だった。
本人と接している時はできるだけ抑えるようにしているが、それでも顔に刻まれた無残な傷跡を目にするだけで痛ましい思いに駆られる。
彼女と初めて会った───と言うべきだろうか───のはこの帝都のとある総合病院の霊安室での事だった。
六年も前の事だ。彼はまだ若く、死者が蘇り口を利く事へのショックには慣れていなかった。
名前すら知らないその死体には傷一つなく、また死顔はおとなしさを感じさせるものだった。だがMAIDとして蘇生された彼女は……。
これ以上考えるな、と彼は自分に言い聞かせた。だが彼の回りすぎる頭は意思に反してその先を組み立てていった。

MAIDは兵器であると同時に、犠牲者でもある。
人の死なくしては生まれる事のできない、この狂乱の時代にあってなお狂った存在だ。
そして人類は愚かしくも、その尊い犠牲を戦線へ逐次投入し、磨り潰し続けている。

「あ、ブルちゃんだ。どうしたの?」

足元近くからかけられた声にブルクハルトは混乱しかけ、一拍置いてから現実に引き戻された。
ブルちゃんなどという悪ふざけの過ぎた名前で彼を呼ぶのは一人しかいるまい。シャムレットが、やや不安げな顔で彼を見上げていた。
戸口に寄りかかったまま動かない彼の様子に具合でも悪いのかと思ったのだろう。

「……ん、ああ、君か。なに、気にしないでくれたまえ。我々技術者というものは時折こうやって考え事をするものでね」
「ふーん」
「ところで、先ほど君らの隊長に会ったんだが、多分君も彼女に呼ばれているのではないかな?」
「ええー? やだなあ、まためんどくさい雑用とか?」
「……まあ、雑用と言うには少しばかり骨が折れると思うがね、行ってやった方がいい」
「そんなに大切な事なの?」
「まあ、それなりに。ベーエルデーのプロパガンダ屋連中に好き放題書かれるか、我が国の威信を守るか……と言っても君には関係なさそうだが」
「うーん、やっぱりよくわかんないや。でも行ってくるね」
「ああ、そうするといい」

ブルクハルトは戸口に寄りかかっていた身体を起こし、幽鬼のような足取りで自らの研究室へ向かった。
背後ではシャムレットがぱたぱたと走り出し……陽光の照らす戸外へと消えた。

亜人MAID。
この存在もまた、彼を悩ませる要因の一つだった。
世間的には亜人の形をしたMAIDという事になっているが、しかし無論、実際には亜人の死体ないし生体を使ったMAIDである。
そう、死体ないし生体( ・・・・・・・ )である。この取るに足らない言葉に隠された真相は、彼をして嫌悪させるに充分すぎた。
ただでさえ絶滅に瀕している亜人、その中で適切な年齢の、それも瑕疵のない死体が、さらに言えば遺族の合意の下で、どれだけ手に入るだろうか?
一般的なMAIDの素体となる死体すら不足している現状、亜人の適当な死体など……皆無に等しい。
確かに、亜人MAIDの絶対数は決して多いわけではない。だが亜人の一般的な性向から見るに、彼らの大部分はMAIDになる事をよしとしなかったろう。

彼らは自らの意思に反して殺害され、MAIDに仕立て上げられたのだ。

仮にも本人の同意の下で施術を行っているブルクハルトにとって、その事実は恐るべきものだった。
あの亜人MAID……シャムレットも、その一人だったのだろう。彼女が自らの過去を知らない事は数少ない救いの一つだ。
いや、あるいは───と彼は考えた。
もしかしたら、都合よく翼猫の亜人の綺麗な死体をガリア侯国が手に入れたのかもしれない。
はたまた、生前の彼女は猫的な自己中心的自我ではなく、献身的自我を持ち合わせていたのかもしれない。
ほとんどないに等しい可能性だったが、彼はそうである事を祈った。そうでなければ、彼女を見るたびに苦痛で顔を歪める事になりかねない。

「大尉、どうし……うわっと!」

彼はいつの間にか、地下に設えられた研究室の前に辿り着いていた。
ぶつぶつと何事かを呟きながら狭い廊下を歩く彼を避けそこなった部下の一人が、足元で尻餅をついていた。

「……あ。いかんな、またやってしまったようだ。すまない、ゼンハウザー少尉、大丈夫かね?」
「いえ、マイネッケ大尉、私は大丈夫ですが……」

居心地悪く引き伸ばされた部下の言葉に、彼はうなずいた。自分でもわかっている事だ。

「わかっている、そのうち暇を見つけて医者にかかるつもりだ。だが今はまだ……あと一息なのだが。あれさえ完成すれば……」
「ええ、大尉、もう少しです。しかし、それまでは……」

直接口にこそ出しはしないが、正気を保っていてくださいとでも言いたいのだろう。
彼はわかったわかったと言うように手を振り、研究室の扉をくぐり、後ろ手に閉めた。
そして彼は、誰もいない研究室の暗闇に向かって、まるで戦争の邪悪そのものがそこに潜むかのように宣言した。

「そう、あと少しだ。あと少しの辛抱で、これ以上MAIDを作り出さずに済むようになる。
 これ以上の犠牲は御免だ。私は人殺しなど大嫌いだ。
 だがこれで、無知な科学者が戦争を悲惨なものにし続けた時代は終わるのだ。
 Gを掃滅し、人類間の抑止力となり……平和をもたらす。
 この世すべての戦争よ、もう間もなくだ。待っているがいい、お前の息の根を止めてやる」

昏い闇はただ淀み続け、何一つ返しはしなかった。
彼は、狂気の淵に近づきながらもいまだ正気の側に立っていると信じていた。
しかし、そう、狂気とは無自覚であるがゆえに狂気なのだ。

彼の顔には、憎悪とも歓喜ともつかぬ異様な表情が張り付いていた。



グレートウォール/グロースヴァント山系に属する秀峰アクスーグヌート山、その頂より北へ100kmの地点───
いや、正確にはその上空3000mに、彼らは集結していた。
クロッセル連合独立遊撃空軍ルフトヴァッフェ、第一級戦闘小隊「赤」、「黒」、「白」の総勢十二名が一堂に会したのである。
航空母機FCCT/lb-303、ジュール・ヴァンシは水冷エンジンのくぐもった音を立て、限界近い積載質量のためにゆったりと遊弋していた。

「これがどれほど異例か、諸君もわかっている事と思う……全員が一堂に会するとは、一体何年ぶりだろうか?」

ジュール・ヴァンシには他の人間が乗り合わせる余地もなく、やむなくMAIDたちのみが空へと上がり、必要な指示は通信で行う事になっていた。
そしてその場のまとめ役は当然の帰結と言うべきか、最年長であり赤の部隊の長でもあるシーアが務めていた……
と、言うよりも、いつの間にかそうなっていた。あまりに自然な流れであり、議論の必要もなかったのだ。

「隣国エントリヒのMAIDによる飛行隊……帝都防空飛行隊の飛行隊長、イェリコが負傷したという知らせは聞いていると思う……
 いや、忙しくてそれどころではなかったかもしれないな。
 ともかく、その隊長が先日見事に復帰し、リハビリを兼ねて模擬戦を行いたいと言ったそうだ」

彼らは同意の呟きを漏らし、シーアの言葉を待った。
イェリコが聞かされた話とはだいぶ内容が異なる───と言うよりも、相当に創作が混じっている。
だが、こういった情報は往々にして都合よく曲解されるものだ。今となってはどちらが真相だったのか、知る由もない。

「我々としては、他国の空戦MAIDと一戦交える機会を得られるというのは貴重だと考えている。
 よって連邦議会はこの提案を快諾し、演習の手はずを整えてくれた。彼らは我々とはだいぶ毛色の違う部隊だと聞いているが───

彼女は言葉を切り、部隊の面々を見回した。いつも通り、おおむね意気軒昂のようだ。

「特に気張る必要はない。ただ、あまり失礼な真似はするんじゃないぞ。MAIDは常に礼儀正しくあるべし、だ」

指を立て、ぱちりと片目を閉じて見せる。
相手が相手ならば大いに魅惑されて然るべきところだ───がしかし、隊員のほとんどは彼女のこういった態度に慣れっこになっていた。
シーアは大した反応もなくばらばらと戦闘準備にかかる彼女らを見、それから視線を落としてじっと手を見つめた。

「ん、まあ、こういう事は諦めずにこつこつ続けるのが一番だろうな。ふむ……」

……唯一それなりに熱のこもった視線を向けていたジュードは、彼女の心理的視程外にあったために気づかれる事はなかった。



同刻、件のジュール・ヴァンシより東へ4000mほど離れた空中───与圧されていないSi387の機内はひどく寒かった。
ついでに言えば、それに随伴して飛ぶMe110の機内も寒い。とはいえ、ドアの一部が開放されたSi387ほどではないが。
イェリコは義足が凍結しそうな温度にもかかわらず、いつも通りに声を張り上げて隊員を叱咤していた。

「いいか! 奴らがどんな相手に喧嘩を売ったのか教えてやれ!
 奴らがベーエルデー連邦最強の空戦部隊だろうと構う事はない、貴様らはこの帝国唯一、最大、最強の空戦部隊だ!」
「……それってつまり私たちしか」
「黙れハヴ」
「……」

冷静かつ陰鬱に指摘しようとしたハヴの声は即座に遮られた。
彼女は肩を落とし、黙ってカンプフピストーレの弾薬をマグポーチに詰める作業に戻った。

「隊長、激励してくれるのはいいが、そろそろ時間だ」

ゼッケがそっとイェリコに告げる。確かに、彼女の示したクロノグラフには演習開始時刻まで間がない事を示していた。

「よし、いいだろう。───レイリ! 聞こえる( ・・・・ )か?」

開放されたドアの一つから身体を半分以上押し出し、独特の滑らかな翼と擬似的な耳を出現させたレイリが、轟々と唸る風に負けまいと声を上げた。

「うん、聞こえてる! 大丈夫大丈夫、任せてって!」
「気を抜くな、馬鹿者! ……いいか、貴様が頼りなのだからな、わかっているのか?」
「わかってるって」

そう言うとレイリは目をすがめ、翼から指向性の強い超音波パルスを送り出した。
地上との間で盛んにやり取りされる通信のおかげで大体の位置は割り出せているため、たとえ4000mの彼方でも彼女には容易な事だった。
これだけ離れているとエコーが戻るまで20秒以上かかるが、それでも彼らが今からやろうとしている事には充分足りる。
しばしの後、レイリが再び口を開いた。

「大型の反響……多分例の母機が一機、今のところはそれだけしか反応なし、ってとこかな」

その答えに対し、イェリコが即座に問う。

「正確な距離と高度、方位は?」
「えーと……直線距離で4060m……前後10m、高度はわかんないけど、仰角0度30分くらい?
 方位は……えと、こっちが北だから……方位角267度! ……かな?」

いささかあやふやな返事に、これまた別の扉の前で待機しているジョーヌが呟いた。

「……もう少し正確にできないのかしらねェ?」
「何よ、そんな事言うんなら自分でやればいいじゃない!」
「それができればやってますわよ。ワタシの仕事は攻勢準備射撃( ・・・・・・ )ですのよ?」
「貴様ら、揃って機外へ放り出されたくなければ口を閉じろ。……この距離だ、大体の諸元があればいい」

イェリコが開け放たれた爆弾倉に吊るされた巨砲へと歩み寄り、壁に据えられたレシーヴァを取り上げる。
若干のノイズと共に、あいまいなロッサの声が彼女の耳に聞こえた。

「……ロッサ、聞こえるな? ジョーヌの分の砲撃が終わったら、第三小隊の各員を連れて高度1000まで降下、増速しろ。先陣は任せる」
「はいはい、わかってるわよ。でも急降下する機体に掴まってるのって相当しんどいと思うんだけど」
「努力させろ。小隊長は貴様だ」
「実のところ小隊長になんてなりたくなかったんだけど。……まいいわ、突っ込んだ後はこっちの判断でやっていいのね?」
「ああ。だが一つだけ言っておく」
「何?」
「墜ちるな。以上だ」

返答も聞かず、硬質な音を立ててレシーヴァを壁に戻す。

「よし。……ゼッケ!」
「何か?」
「第二小隊は現高度を維持しつつ進出、第三小隊の援護を行え」
「諒解だ。……演習開始まで残り1分だが?」
「問題ない。第一小隊は私の砲撃( ・・・・ )が終了し次第高度6000まで上昇、機を見て強襲する。各員戦闘準備!」

命令と共に全員が一斉に動き出す───が、レイリだけがやや気後れした様子で銃を弄り回していた。
イェリコは目ざとくそれを見つけ、手だけはアヴェンジ・ガントの射撃準備を行いつつ問うた。

「どうした、レイリ。今更腰が引けたか?」
「うん……その、ホントに今更だけど、これってあんまりフェアなやり方じゃないような気がして」
「馬鹿を言え、戦争に公平も不公平もあるか。全力を尽くせなければ落とされるのは我々だぞ」
「それはそうかも知れないけど……」
「演習開始時刻まで、残り10秒! 9、8、7……」

アヴェンジ・ガントの油圧モーターが唸りを上げ始めると同時に、腕に嵌めたクロノグラフを眺めていたゼッケが秒読みを始めた。
通信機を通して、機外のロッサにも声は伝わっている。

「方位角よし、仰角よし!」
「こちらも準備万端、ですのよ」
「……2、1」

「───情け無用! 撃て(フォイア)










最終更新:2009年06月14日 23:43
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