M.A.I.D.ORIGIN's 八話

(投稿者:ししゃも)






 閃光に包まれたクリスチーノの視界は、真っ白に染まっていた。それが数秒間続いたそのとき、彼は土で作られた小さな空間にたどり着いていた。ふと後ろへ顔を向けると、さっきの鉄の扉が鎮座している。そして再び顔を、元に戻した。
 空間は少しだけ明るく、部屋の隅まで把握できない。そして何より目に引いたのが、空間の真ん中に木製の椅子が置かれており、その上に少女が座っていることだ。少女は、薄い生地のワンピースのようなメード服を着ている。
 透き通るぐらい真っ白な肌に、腰にまで伸びた長い銀髪。靴も履かずに、少女は椅子に座っていた。彼女は両目を瞑っており、手は膝の上に置かれている。クリスチーノはゆっくりと歩き、その少女の目の前へ行った。
「……ゼータ」
 椅子に座って、瞳を閉じた少女の名をクリスチーノは呟く。天才的頭脳を、MAIDという狂気の産物に費やしたアドルフ・カブリエーレの最高傑作。何より未完の計画、パラドックスシリーズのオリジン。それが今、クリスチーノの目の前で健やかに眠っている。最初に彼女の能力を行使したとき、クリスチーノにとってゼータはMAIDではなく、神に等しき存在に見えた。それほどまでに、ゼータの能力『パペットマスター』は偉大なものだった。
 だがそれは、エターナル・コアの自我意識が弱まったMAIDしか行使できない。しかし、一度自我意識を崩壊させてしまえば、ゼータの意思ないし彼女を操っているクリスチーノの意志によって、対象を自由自在に操ることが出来た。あの日、空戦MAIDでありながら空を飛ぶことを辞めたルナは、パペットマスターの実験台にされたのだから。
 結果、彼女は『意図的』に暴走し、まんまと帝国内で燻るMAIDをよしとしない軍部の癒着を煽ることが出来た。現に陸軍と武装SS付き情報将校と密談を交わし、一部のMAIDを帝都防衛の任からグレートウォール戦線に異動させること。それによって、黒旗によるマイスターシャーレ陽動作戦が円滑に進み、こうして自分はゼータの眼前に立っていた。
「全ては、私のシナリオ通りですよ」
 独り言を呟いた時、握りこぶしを作っていた右手が焼け付くように熱いことにクリスチーノは気がつく。
 彼はゼータに見せ付けるように右手を差し出し、握りこぶしを解いた。その掌には、クリスチーノをこの場所へ『転送』した眼球が、まるでゼータに反応しているかのように赤黒く光っていた。
 クリスチーノはそれを左手で摘み、ゼータの額に押し付けた。眼球はゼータの真っ白な肌に付着すると、そのまま彼女の皮膚の一部となった。吸収されるように眼球はゼータと同化し、それは完全に彼女の内側へと飲み込まれた。それはクリスチーノの指も例外ではなかった。彼の指先はゼータの額の内側へ入り込んいる。
「ゼータよ、私は命じる。彼女、彼らの存在意義を問いかけ、矛盾を突き止めよ」
 クリスチーノはそう囁きかけたそのとき、瞼を閉じていたゼータが唐突に目を開けた。無機質な瞳の先はクリスチーノではなく、明後日の方向へ向いている。
「コード解除。レゾン・デートル、発動します」
 少女のような外見とは裏腹に、大人びた声をするゼータは言葉を発した。



第八話『存在意義』



「増援は、何時になったら来るんだ!!」
 バイポッドを装着させたMG42を、カウンターに固定させたホラーツは、怒号を張り上げた。MG42から発射される弾丸は、黒旗の軍服を着た集団を薙ぎ払っていく。それに負けないように、ルイスが率いるライサ私設の特殊部隊『ヴィーシニャ』も各々の得物で銃撃戦を繰り広げていた。
「スケルトンのゴーストバスターズが、もう少しで来る予定です!このまま拮抗していれば、こちらの勝ちです!」
 同部隊の通信兵役を務める高坂イズミはレバーアクション式のショットガンで射撃しながら、隣でMG42を撃ち続けるホラーツの問いに答えた。教員宿舎の玄関口を境目に、黒旗の集団が銃撃を加える。戦況は拮抗しており、それに痺れを切らした黒旗の何人かが突っ込んでくるが、ホラーツやジョーヌのMG42によってあっけない最期を遂げた。
「そうですわね。このまま押し返していれば!」
 ホラーツの隣で、同じようにMG42を掃射するジョーヌは、障害物に隠れている黒旗を炙り出していた。絶え間ない銃声と掠る銃弾に恐れた一名が、障害物から飛び出して、後退しようとする。その無防備な背後を、ルイスのSTG45が撃ち抜いた。
「ナイスアシスト!」
 両手に拳銃を握り締めたルカ・カリーネは煙草を咥えながら、ジョーヌとルイスの連携を褒め称える。その隣を、ジェリコ941のトリガーを引き続けるレオン・リーが正確な射撃で敵を射抜く。
 黒旗は量こそ勝っているが、質はお粗末なものだった。4対1という状況であれば、MAIDに勝る実力を持った『ヴィーシニャ』の面々。さらに帝都防空飛行隊所属のジョーヌ。そして、優れた軍人であるホラーツと自分。
 そうだ、私たちがここで果てるわけじゃない、とライサは思う。アルトメリア連邦のお土産であるトレンチガンで、遮蔽物ごと散弾で敵を撃ち抜くライサには自信があった。全ては順調に進んでいる。恐ろしい具合に。
「退け!退けぇ!!」
 玄関口に隠れている黒旗の一人が、そう叫びながら物体を投擲する。ジョーヌはそれが手榴弾だと思ったが、それは黒旗とライサたちの間に転がる。すると灰色の煙を噴出し、煙幕を張った。
「スモークグレネードだ。姐さん、こりゃ俺たちの勝ちってことかい?」
 ジェリコ941の弾倉を再装填するレオンは、STG45を構えたルイスに問いかける。ルイスはじっと煙幕を凝視し、やがてSTG45を構えるのを止めた。
「……だろうな。各自、リロードしてくれ。撤退でないがしろ、体制を整えて襲撃するかもしれない」
 ルイスはヴィーシニャの面々にそう告げると、自身もSTG45のカートリッジを再装填する。ホラーツもライサもまた同じように武器のチェックや残弾を調べた。その中で、ジョーヌは違った。獲物を狙う豹のような鋭い目つきを、煙幕に向けていた。
 バイポッドが装着された彼女のMG42は、先程の銃撃戦で銃口から煙を吐き出しながら、煙幕の先を狙っている。
「ジョーヌ、どうした?」
 直立不動で睨みつけるジョーヌに、ホラーツが話しかける。数秒経ったのち、ジョーヌは口を開いた。
「中将、伏せてください」
 短くそして簡潔で、さらに早口でジョーヌはホラーツの問いかけに答えた。
「何を言っているんだ、ジョーヌ。敵の攻撃は終わったはずだぞ?」
「伏せてください」
「ジョーヌ、神経質になる性格は分かるが……」
「Platz《伏せろ》!!!!」
 ジョーヌがそう叫んだ瞬間、何かを発射する轟音が煙幕の先から聞こえた。そして、灰色の壁を切り裂く物体が襲い掛かる。ホラーツは直感的にそれが、RUzB54……すなわち『対Gロケット砲』の弾頭だと気づいた。ヴィーシニャとライサたちは伏せようとするが、ジョーヌは違った。MG42のトリガーを引き、銃口から発射された弾丸の数発が弾頭に直撃。そして炸薬に達し、爆発した。
「こらっ、やることが終わったらお前も伏せんか!!」
 ホラーツはジョーヌの腰のベルトを引っ張って、彼女を無理やり床へ倒れさせた。
「もう!伏せてくださいって言ったのに!」
 ふくれっ面のジョーヌはそう言うと、仰向けに倒れた状態で乱れた髪を片手で整える。
 そんな中、ライサは恐る恐るカウンターから頭を出した。煙幕の効果が無くなったのか、視界が晴れていく。玄関口がぼんやりと映った時、片膝を突いた姿勢で何かを構える人影が見えた。それは、RUzB54の発射姿勢に入った男の姿だった。彼の周囲には残存した二名の兵力が固めている。
「不味い!」 
 ライサがそう叫んだ時、ルイスがSTG45のトリガーを引こうとする。だがそれは決定的に遅かった。ライサが諦めかけようとした時、対戦車ライフルの轟音が鳴り響いた。
 すると、RUzB54を構えた男の頭が破裂した。何が起こったか分からない黒旗は、一瞬だけ時が止まったかのように膠着する。その隙を狙ってか、ジャングルハットを被った男性と頭にバンダナを巻きつけた女性が飛び出した。
「チェスト!」
 女性はMP40を持った男の胸板に、鋭い回し蹴りをお見舞いする。直撃を食らった男は、両足が宙へ浮かび、背中から倒れる。
 さらにジャングルハットを被った男性は、最後に残った男の腹部に膝蹴りを直撃。前のめりになったところを、首に手刀を叩き入れた。男は呻き声をあげ、うつ伏せに倒れる。
「隊長ぉ……だ……大丈夫ぅ?」
 水が流れるような動作で、男二人を叩きのめした男女の後ろから、鬱々とした表情のマイアが顔を出した。彼女は、教員宿舎のカウンターでSTG45を構えるルイスに視線を送っていた。
「マイアか!よくやってくれた!!」
 同じヴィーシニャのメンバーであるマイアの姿を確認したルイスはそう言うと、先程の狙撃が彼女のものだったと確信した。マイアはそんなルイスを見て、恥ずかしそうに迷彩服の男の背中に隠れる。
「チャップマンとシルヴィだな」
 ライサはカウンターを跨ぐと、玄関口で佇む男女を、そう呼んだ。冷静沈着な分析力と、豊富な知識を持った、スケルトンの補佐官、チャップマン。そして、マイスターシャーレの指導教官であるMAID、シルヴィ。
「小将、お怪我はありませんか」
 ジャングルハットを被り、迷彩服を着たチャップマン。彼は好青年と言うのに相応しい体格と、顔つきをしていた。そんな彼は、ライサに怪我が無いか尋ねる。
「見ての通りだ。君らのおかげで助かった。礼を言うぞ」
 敬礼を送ったライサに、チャップマンとシルヴィは同じように敬礼を返した。そんな二人の背後で、カウンターの影で隠れていたホラーツはため息をつく。
「ジョーヌ、でかしたぞ。次は無いと信じたいがな」
 まるで女でも抱くようにMG42を抱えたホラーツは、上半身を起こした。そして、床に伏せているジョーヌの頭を優しく撫でた。そんなホラーツにジョーヌは内心、「ロ・リ・コ・ン」と連呼していたが、何となく嬉しかった。あまり人に褒められることはなかったのだから。
 そんなことを思ったジョーヌは、ホラーツに悟られないように笑みを浮かべる。
(いや!いや、いや!お願い、やめて!!!!)
 心の奥底から、負の感情が湧き出てくる。心の臓から湧き出てくるそれは、ジョーヌの声だった。だがそんな叫び声を張り上げた記憶はない。
 否、それは三年前?私が生まれる前?
「それはそなたの記憶。偽りや誤魔化しが利かない、そなたの記憶」
 見知らぬ女性の声が、耳の裏側で囁く。フラッシュバックのように、ジョーヌにとって見知らぬ記憶が沸々と蘇る。
 ドレスを着た私。
 母のような女性に褒められる私。
 ピアノを弾く私。
 見知らぬ男性と手を繋ぐ私。
 笑顔の私。
 私?わたし?ワタシ?
「さぁ、そなたは矛盾した存在。それを突き止めるがよい。……できるのであれば」
 女性が囁きかけたその瞬間、ジョーヌは奇声とも言える叫び声を張り上げた。



「いいですわ、いいですわ」
 千早は至極満足そうな声で、攻撃を加えるパラドックスをそう評価した。教員宿舎手前の広場。そこでは、三つの影が跋扈していた。刀を振り回し、風を纏った千早。メドゥーサを構えて、千早を追いかけるパラドックス。レイジングエイクで、牽制を仕掛けるレーニ。三人のMAIDが、戦っていた。飛び道具を持つ二人のMAIDを相手に、千早は梃子摺るどころか弄んでいる様に見えた。
(……向こうから仕掛ける気配は無し、か。それにしても、先程の峰打ちはいったい?)
 そんな彼女の動向を調べていたレーニは、千早の不可解な行動を疑問に思った。確実に殺せる間合いとタイミングで、彼女は峰打ちという方法で仕留めようとした。相手が人間ならまだしも、身体能力が強化されたMAIDを峰打ちで殺せるはずが無い。
「……だとしたら、どうして?」
 疾走する千早に、レーニはレイジングエイクのトリガーを引く。銃声と同時に発射された弾丸は、千早が纏う風によって弾かれる。その隙に、パラドックスが千早へ肉薄した。千早はパラドックスを迎え撃とうと、刀を振り回すのを中止。さらに八双の構えへ入ると、一閃。大気が切り裂かれる、ありえない音が鳴った。標的となったパラドックスは身を屈めて、それを回避した。彼女の頭上、ほんの数センチ上で横殴りに刀が一閃された。
「まさしく酔狂!」
 間一髪で胴打ちを回避したパラドックスを、千早は褒める。その間にパラドックスは瘴炉を増幅しながら、メドゥーサの銃口を千早に向けていた。禍々しい黒色の霧が彼女の周囲を漂った瞬間、それはメドゥーサへ吸い込まれる。パラドックスと千早の距離は、約二メートルという至近距離だった。
「まさか、瘴気を!?やめろ、パラドックス!!」
 瘴気の臭いと気配を感じ取ったレーニは、それに侵されない様に後退しながら、パラドックスの名を叫んだ。ここが本当の戦場ならまだしも、マイスターシャーレという場所。さらに帝都に近い。そんなところで、迂闊に瘴気を放出すれば大惨事になる。少量の瘴気といえども、人体に悪影響を及ぼすのに間違いは無いのだから。だが当の本人はそれを無視し、今まさにメドゥーサの引鉄を引こうとした。
 だが千早は、そうさせなかった。鞘に刀を納めた瞬間、踏み込む。そして、目にも止まらぬ速度でパラドックスに接近した。
「くっ!」
 お互いの打撃技が十分に届く距離まで接近されたパラドックスは、思わず声をあげる。これだけ千早に接近されれば、メドゥーサの狙いを定めることはできなかった。対する千早は地面を蹴り上げ、その場で跳躍。袴を靡かせながら、パラドックスの顔面に右足を叩き込んだ。
 だがパラドックスは片腕を使って、千早の蹴りを受け止める。
「やりますね」
 千早はパラドックスを賞賛すると、右足を蹴った反動で再度、左足で攻撃を仕掛ける。だがパラドックスの、もう一つの腕によってそれは遮られた。千早は反撃が来る前にパラドックスとの距離を離そうとした。彼女は蹴ったときの衝撃と反動を利用し、跳躍。空中で一回転し、彼我の距離を離すと着地。そして、背中の鞘から刀を抜き出した。
「ちょっと……吸い過ぎましたね」
 額に脂汗を流し、千早は咳き込んだ。パラドックスの周囲には、瘴炉に貯蓄していた瘴気が漂っていた。千早はそれを承知で肉薄したが、パラドックスにダメージを与えることはできなかった。それどころか、千早自身が瘴気を吸い込んでしまう失態を犯した。
 ぐらつく視界を平衡させようとしながら、千早は刀を振り回した。風が彼女の周囲を纏い、瘴気の侵入を防ぐ。そんな千早とは対照的に、パラドックスは瘴気を放出。密度を濃くし、千早の風に吹き飛ばされないように瘴気を放出した。
「パラドックス、この場所で瘴気を……!!」
 レーニはパラドックスを制止させようと叫ぶが、段々と濃くなっていく瘴気に彼女は退避せざるを得なかった。二人のMAIDが居る広場は、もはや戦場と化していた。退避したレーニはそれを、ただ遠くで眺めることしか出来なかった。千早のように、瘴気を追い出す芸当はできなかったのだから。
「こうなった以上、もはや止められません」
 千早の風を覆い尽くすのように、瘴気を放出するパラドックスはメドゥーサを握るのを止めた。そして、握り拳をした右手を前へ突き出した。それに反応するかのように、パラドックスの周囲に漂う瘴気が一気に彼女の右手へ集まる。
 まるで生き物のようにパラドックスの右腕を覆う。微量の残留瘴気が大気を漂った瞬間、彼女は走り出した。
「それは私も同じですわ!」
 刀を振り回すのを止めた千早は、八双の構えでパラドックスを迎え撃とうとした。瞳を閉じた千早は、こちらに向かってくるパラドックスの気配を感知。どす黒い瘴気を携えた、彼女の気配を察する。
 パラドックスが千早の間合いに入った瞬間、彼女は左足を使って踏み込んだ。そのとき、パラドックスはその場で立ち止まった。彼女は肉薄する千早に対し、右手の拳を思いっきり地面に叩き付けた。
 その瞬間、地面が地割れでも起きたかのように割れた。その隙間から、高濃度の瘴気を撒き散らして。それは、千早が今しがた足をつけている地面にも言えることだった。隆起した地形に対し、千早の足元は不安定なものとなる。
「ガントレット。後にも先にも、これまでです」
 パラドックスはゆっくりと立ち上がると、瘴気を放出する右手を構えた。パラドックスの瘴炉から媒体される瘴気を右手に集中させ、一気に開放させるスキル《ガントレット》。
 莫大なエネルギーによってそれは、ヨロイモグラを内側から破壊させるほどの威力を持っていた。しかし、それに伴う瘴気の開放量は凄まじく、半径五〇〇メートルに瘴気を分布させる。しかしここは、マイスターシャーレ。パラドックスは最小限の瘴気を使って、ガントレットを使用した。もし最大限の瘴気を使用すれば、地面が隆起しただけでは収まるはずがなかった。
 割れた地面の隙間から放出する瘴気が、千早の身体を束縛するかのように漂う。千早は隆起した地面に足を取られしまうと、何故か力なく倒れた。それを確認したパラドックスは瘴炉を稼動させ、大気中の瘴気を吸収させる。千早は、瘴気の許容量の一定値を越えるそれを吸ってしまい、気絶してしまった。
「無謀でしたね、貴女の作戦は」
 うつ伏せになって倒れてしまった千早を見下ろしたパラドックスは呟く。大気上の瘴気を、七割方回収したパラドックスは瘴炉を停止。残った残留瘴気は、パラドックスが持つ瘴炉では回収しきれなかった。
 後でどんな処罰が下されるのやら、と彼女は思った。
「なんてことをしてくれるんだ!」
 パラドックスの背後から、レーニの怒号が耳をつんざいた。後ろを振り返ったパラドックスの視線には、怒りを隠しきれない表情のレーニが早歩きで向かってきた。レーニはパラドックスの目の前へ経つと、彼女の両肩を力を込めて掴んだ。
「ここは戦場でなければ、演習場でもない!マイスターシャーレだ!!そんな場所で、君は瘴気を放出したんだぞ!」
 立ち込める残留瘴気が、広場を覆っている。パラドックスの瘴炉で半分以上は回収できたものの、他の瘴炉を搭載したMAIDを派遣しなければならない。耐性がついているMAIDならまだしも、人間にとって微量の瘴気でも有毒なものだった。恐らく、この広場一帯は当分の間、閉鎖されるであろう。
「分かっているのか、自分がやったことを……」
「……レーニさん、分かっていますよ。そうでもしなければ、あのMAIDを倒すことは出来なかった」
 レーニの問いに、パラドックスはそう答えた。レーニは、その一言に何かが吹っ切れた。本能的に右手を上げて、パラドックスの頬を叩こうとした。対するパラドックスは無表情のまま、レーニを見つめていた。頭上まで掲げられた右手が、パラドックスの頬に向かおうとした。そのときのレーニの視界に、パラドックスの背後で倒れていた千早の姿が居ない事に気づいた。
「そうですわね、そうですわね。貴女の判断は間違っていないですわ」
 千早の弱々しい声がレーニの背後で聞こえた瞬間、背中に猛烈な衝撃が襲い掛かった。それによってレーニは、パラドックスを道連れにして吹き飛ばされた。重量の流れによって、地面に落下してもなお勢いは納まらず、二人は身体を使って地面を削り取り、減速した。
 身体のあちこちに擦り傷を負ったパラドックスは、抱きつくかのように倒れているレーニを押し上げた。彼女は気絶しているのか、こちらの対応に何の文句も言わなかった。
「しぶといですね」
 メイド服に付着した土を右手で払いのけたパラドックスは、不気味な笑みを浮かべる千早にそう言った。千早は、割れた眼鏡のレンズの隙間から、まるで狂犬のような目をしている。その視線の先は、パラドックスに向けられていた。
「……なぜ、殺さないのですか?」
 パラドックスは、疑問に思っていることを口にした。先ほどの戦闘はともかく、レーニと自分を叩き飛ばしたさっきの攻撃。あれは、確実に二人を屠れる絶好のタイミングだった。間違いなく、自分たちの胴体が血飛沫を上げて飛翔しているのではないのか。パラドックスが千早の立場であれば、絶対にそうしているはずだ。
「私、MAIDとMALEは絶対に殺さない性分でしてね。ある理由によって、貴方たち兄姉を殺めてはならないと心から誓っております」
 刀を握り締める千早は、唇を噛み締めた。
「私が憎むのは、人間とG。ただそれだけです」
 千早がそう言った瞬間、パラドックスの視界から彼女の姿が消えていた。パラドックスは上下左右に視線を送り、消えてしまった千早を探そうとする。しかし、千早の姿は見えなかった。
(……レーニさんが居る状況では、ガントレットおろかメドゥーサは使えない)
 気絶しているレーニが間近で倒れている状況の中、パラドックスは瘴炉を使えなかった。もし使用すれば、何の身動きも取れないレーニは、瘴気を吸ってしまう。最悪、瘴気によって後遺症を残すかもしれない。
「どうしました?私はここですよ」
 千早の声が聞こえた瞬間、彼女はパラドックスの目の前に居た。思わずパラドックスは舌打ちをした瞬間、千早は自分が持つ刀の柄頭をパラドックスの腹部に直撃させた。
 鎧越しに響く衝撃。パラドックスは思わずよろけた。間髪入れずに千早は身を屈めると、パラドックスに足払いをした。柄頭による攻撃によって、重心のバランスが覚束無くなったパラドックスは、足払いによって背中から倒れる。両足が地面から浮くと、千早は両手で握った刀を頭上まで上げ、そこから手首を返した。
「胴!!」
 千早の刀は軌跡を描き、宙に浮かんだパラドックスに胴打ちをする。その威力と、刀身ではなく峰打ちで繰り出された一撃に、パラドックスが着ていた鎧が粉々に粉砕された。そのまま彼女は、鎧の破片をばら撒きながら、マイスターシャーレの旧校舎の外壁へ突っ込んだ。
「酔生夢死。酒の味に酔い痴れてくださいませ」
 刀の背中の鞘へ納めた千早は、旧校舎の外壁を粉砕し、瓦礫に埋もれかけているパラドックスにそう言った。
 踵を返した千早は、そのまま歩き出した。全身全霊の胴打ちを食らって、立ち上がるMAIDが居るわけではない。例え立ち上がったとしても、また攻撃を繰り出すまで。しかしそんな気力を、あのMAIDが持っているわけではないと千早は思っていた。
「さて、仕事を始めますか」
 千早は、まだやり残したこと……ライサ・バルバラ・ベルンハルト、ホラーツ・フォン・ヴォルゲンの暗殺があるのだから。時雨の動向が気になるが、仕方が無い。自分一人でやるしかなさそうだった。
 そんな千早の後姿を、パラドックスは重い瞼を必死に開けながら見ていた。身体が言うことを利かず、少しでも気を緩めば意識が飛びそうだった。そんな極限状態で、パラドックスは未だ戦おうとしていた。
「私は……私は……」
「どうしてそなたは、そこまでして戦いがるのだ?」
 パラドックスの目の前を、ワンピースのようなメイド服を着た少女が立っていた。腰まで届く真っ白な髪をし、裸足の少女は、あざ笑うかのような視線をパラドックスに送っていた。パラドックスは有無を言わさず、少女の手を握ろうとする。自分が立ち上がるには、何か支えとなるものが必要という判断だった。しかしパラドックスの右手は、少女の左手を貫通した。
「これこれ。あまり無理をするのではないぞ。それにそのはしたない格好で、あやつと戦うのではない」
 大人びた声とは裏腹の外見の少女は最後に、くすくすと笑い始めた。鎧を粉砕され、腹部が外気に晒されたパラドックスは何も分からず、執拗に少女の手を掴もうと何度も試した。しかし、彼女の右手は少女の真っ白で繊細な指を握るおろか、掴むこともできなかった。まるでこの少女が、存在しないように。
「余興はこれまで。わっちの妹であるそなたにしか、頼めぬことぞ」
「妹?何を馬鹿げたことを……」
 少女が「自分の妹」と言っているのを聞き、パラドックスは思わず鼻で笑った。
「あの女中は、自身の存在意義に答えを出しているので、無事のようだが……まぁ何も知らないMAIDは、今頃地獄を見ているだろうに」
 少女は顔をちらりと後ろを向け、千早の後姿を見る。千早は片手で頭を抱えているが、特にこれといった変化は見られない。パラドックスは、少女が言っていることが何を意味しているのか、全く分からなかった。
「それも、あと少しの辛抱」
 少女は唐突に、自分の右手の人差し指を舌で舐めた。妖艶で、何かを求めるような表情をした少女は、倒れているパラドックスに近づく。そして、彼女を跨るような姿勢をした。
「早いところなんとかせんと、大変なことになる。詳しいことは後で話そう。今は、そなたの力が必要りゃんせ」
「なっ、何を!」
 押し倒された格好のパラドックス。すぐそこには、少女の顔があった。彼女の吐息が間近で感じられる。さらにパラドックスの顔を、少女は両手を使って優しく撫でた。先程は掴めなかった少女の手の質感が、肌で感じられる。
「わっちの可愛いパラドックスや。……この連鎖から解き放て」



 頭が重い。千早はそう思った。足取りは平衡に保っているが、何かが耳元で囁きかけている。久しぶりに動いたのか。それのせいにした千早は、歩き出した。
 不意に、背後から何か光った。あのMAIDか、と千早が思って振り返る。
「……」
 千早は息を呑んだ。粉砕された外壁を背後に、あのMAIDが立ち上がっていた。玉砕された鎧の代わりに、素肌が晒されたあのMAIDが。そして何より千早が息を飲んだのは、彼女が纏うエネルギーだった。瘴炉から媒体された禍々しい瘴気あるいは、エターナル・コアから発せられる神々しい光がパラドックスを包んでいた。
「それが貴女の……いや、違いますね」
 背中の鞘から刀を抜いた千早は、八双の構えをすると、パラドックスが発しているエネルギーが彼女の力でないと悟った。
「素晴らしいですわ、その力。はてさて、どこのどなたでしょうか。かのような力を、行使できるお方は」
 間違いなく、その力は千早が求めていたものだった。彼女の理想のために、必要不可欠なその力。千早はそれを欲していた。MAIDとなった身に課せられた宿命のために。
 パラドックスは無言のまま、疾走。目にも止まらぬ速さで、千早の脇を通り抜ける。千早は八双の構えを崩し、背中の鞘に刀を納めた。そして、パラドックスの後を追う。
「あはっははは」
 千早は笑っていた。とてつもなく愉快に。自分が追い求めていたものが、あのMAIDを追いかけていれば手に入る。新しい玩具を貰った子どものように、千早は笑っていた。
「帝都へ……帝都へ」
 一方、自我意識を失ったパラドックスは、導かれるかのように帝都へ向かっていた。誰もかも忘れ去れさられたあの場所へ。
 全てが終わってしまう前に、たどり着かなければ。



LAST SCENARIO→『矛盾』




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最終更新:2010年03月19日 20:08
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