Behind 7-2 : Eternal Lore

(投稿者:怨是)


 1945年9月26日、夕刻。テオドリクスは作戦終了後の自由時間を利用して、作戦資料室へと赴いていた。此処にはあまり人が来ない。何故、誰かから隠れる様にしてこの場所を選んだかは、ひとえに303作戦の謎を解き明かす為である。バルドルがそう遠からぬ内に資料を持ってきてくれると云っていたが、テオドリクスは待ち切れなかった。旧友達を葬ったあの303作戦の全容を、早く知りたかった。誰が、何の意図で仕組んだのか。こんな時代だ。いつ何者かが謀殺を仕組んでいるかも判らない。真相を手に入れるのは、なるべく早くなければならない。
 幾つかあるファイルの束から1938年のものを取り出し、机に広げる。303……303……3月に行なわれた筈だ。何処にある。

「調子は如何ですか、テオドリクス」

 テオドリクスは呼ばれた事に気付き、顔を上げる。バルドルが出入り口の壁に寄り掛かり、此方を見ていた。廊下の蛍光灯による逆光のせいで、その表情までは窺えなかった。
 バルドルは、重要な用事が無い限りは決して自分から話し掛けて来ない。他愛も無い世間話でも切り出してくるのではないかと思われそうな挨拶も、バルドルにとっては単なる前口上に過ぎないのだ。見れば、バルドルは右手に大きな旅行者用の鞄を持っていた。とどのつまり、もう資料は揃えてくれたという事だ。が、お互い回りくどい性格をしている為か、本題に移るにはまず面倒な手順を踏まねばならない。バルドルは決まって、幾つかのとりとめの無い会話の後に、本題へと会話を切り替える癖がある。テオドリクスは彼の言葉少なに語られた挨拶に隠された意図を見出すべく、近況報告を始めた。

「……青い鳥に逃げられた。せめてあれを捕まえ、国家の技術に貢献できれば、或いはブリュンヒルデへの手向けにもなったかもしれんというに……想定内だったのか?」

「無論。何もかも承知の上です。今回の作戦のお陰で私は軍正会の動向の大部分を拾い切れましたよ。本隊は逃しましたが、今の彼らでは大した痛手にはなり得ないでしょう。寧ろ、問題は皇室親衛隊にあります」

「貴公の結論は変わらんか」

「全てを突き詰めると、やはり彼らに行き着きます」

「確証はあるのか」

「これを。反皇帝派の集団からの情報提供です」

 バルドルは机に幾つかの書類を置いた。

「写しではありません。いずれも、彼らが死地に飛び込んで盗んできた、本物の計画書です」

 テオドリクスは舐め回す様にそれを熟読し、緩慢な動作で一枚ずつページをめくる。どのページも例外なく、右下には“読後、直ちに廃棄処分すべし”という文言の朱印が押されていた。
 最初の数枚は、宰相派の将校ホラーツ・フォン・ヴォルケン中将の提案した戦果並列化を敢えて採用し、恣意的に曲解した使い方をする事で、ジークフリートの価値を貶めかねないMAIDを足止め、或いは殺処分しようという内容だ。如何なる手段で撃墜数を分配し、従わなかった場合は如何様にして担当官諸共始末するかまで、子細に渡って記述されていた。見知った名前が幾つも羅列されており、その全てに“抹消済み”と書かれていた。ヤーズヒルト、ドロテーア、アストリット、ヴュスタス、ヒルデガルド、シュヴェルテ、アシュレイ・ゼクスフォルト少佐、ディートリヒ、ダリウス・ヴァン・ベルン少将……果たして、紙面の墓標に刻まれた名は、俄には信じ難い程の数にのぼった。

「……こんな物は幾らでも偽証可能ではないのか」

「ハーネルシュタインの署名があります。彼は良くも悪くも筆跡があまりに特殊でして……」

「ふむ」

 眩暈に襲われながらも、次へ進まねばならなかった。国家の為にと振るってきた斧の裏で、こんなにも、こんなにも黒々とした陰謀が渦巻いていた……それがテオドリクスの心を打ちのめした。それ故か、満身創痍になりながら豪雨に見舞われた戦場を進むかの如く心持ちで、書類をめくらねばならない。
 次の数枚は、軍事正常化委員会――黒旗が生まれ、それを潰すにあたってジークフリートを神格化する方法について記されていた。ライールブルク侵攻に際しても、スィルトネートを救出するという美談の中の至る所に、あらゆる新聞社へジークフリートの神性を訴えかける事が書き連ねられていた。“地上に於ける最強のMAID”という肩書きを確固たる物にすべく。
 残る数枚が、ジークフリート計画の失敗と、次はアースラウグを使う事と、プロミナの放火事件を捏造する手順についてだった。此処まで来ると、内容は碌に頭に入ってこなかったが、元より碌でもない内容だった事には相違あるまい。――仮に、これらが本物であるならば。
 未だに半信半疑だったテオドリクスを見透かすかの様に、バルドルはケーキの皿程もある大きさの音声記録用磁気テープを再生機に入れていた。

「最後に、この音声テープを」

 再生ボタンが押され、それから暫くしてノイズ混じりの会話が資料室に響き渡った。

『――そうだとも。303作戦と同じ失態を繰り返してはならぬ。今回は充分に根回しも済ませた。あのグライヒヴィッツも、最早わし等に反論など出来まいて。黒旗の合流は阻止した。後は、計画を進めるだけであろう』

『――マテウス・フェルザー中佐。アシュレイ・ゼクスフォルト上等兵ならびにプロミナの監視はそのまま継続せよ』

『――マーヴの追跡は順調であろうな? 良かろう。下がれ』

『――さて、此度の式典についてだが、アースラウグの演説を入れる。ああ、予定の変更はせぬ。303作戦が黒旗の陰謀であった事として、国民達に知らせねばならぬ。ブリュンヒルデの死は、彼奴らの仕業であると』

『――この世には、解りやすい敵が必要だ。黒旗は、またとない逸材となろうな』

 十全には耳に入らなかったが、テオドリクスの凍て付いた感情を解かし、煮え滾らせるには充分だった。今まで信じられなかった計画書の内容も、理解出来なかった意図も、音声テープのお陰で全てに合点が行った。ハーネルシュタインの声は何度も聞いた事がある。ラジオで、演説で、戦場で。聞き間違う筈も無かった。

「彼奴は……彼奴等は……!」

 テオドリクスの心臓は、爆発しそうな程に強く鼓動を刻み、握り締めた拳からは重く、乾いた音を軋ませていた。真実を知りたい欲求と、信じたくないという願望が渦を巻き、テオドリクスの神経をぼろぼろに擦り切れさせた。
 こんな事があってたまるか。ブリュンヒルデの死後、彼女は現在に至るまでのあらゆる謀略に於いて邪悪な形で使役されていた事は、別段記憶に新しいとは云えなかった。しかし、巨悪の何と度し難い事か。303作戦だけではなかった。彼奴等の手の内で、正しく大樹の根の如く様々な奸計が張り巡らされ、これ程までに犠牲を出していたとは。彼奴等の一挙一動の何もかもが呪わしかった。何もかもが度を超していた。
 一方で、倒すべき敵が明確になったのは、僥倖と呼ぶべきなのかもしれなかった。

「これが、303作戦……オーロックスを死に追い遣り、ブリュンヒルデの命を抉った、あの忌むべき作戦の……その裏側に立つ者達の真実です」

 バルドルは巻き取ったテープと書類をケースに仕舞うと、テオドリクスに向き直った。

「そしてもう一つ、貴方には伝える事がございまして――」



 ――1945年8月27日。テオドリクスは昨日の空戦MAID捕獲作戦を終えた夜にバルドルと話していた事を追憶しながら、彼がかつて身を置いていたという、あのザハーラへと足を踏み入れていた。
 此処には、緑が無い。グレートウォールは様々な樹木や草に覆われ、色鮮やかな緑を彩っていたのに対して、ザハーラは土と砂と、枯れ木と、ほんの僅かな骨や残骸ばかりが視界を占めていた。
 テオドリクスがこの場所へと赴いたのは戦う為ではなかった。バルドルの手引きで、旧友に会う為だ。

「オーロックス……」

 死んだとばかり思っていた。303作戦の戦死者リストには彼の名前が記載されており、死体を探そうにも当時はそれどころでは無かった。長い年月を経ても記憶を風化させたくないという想いから、テオドリクスはあの日から兜に、一対の大きな角を付けた。
 バルドルによれば、この時間のオーロックスはアムリア戦線から少し離れた交易ルート沿いの町にある酒場で呑んでいるらしい。行き付けのバーだという。名前は“地底の胡蝶”。その名の通り、店は階段を降りた先にあった。ひっそりとした佇まいに、ちりちりと断続的に音を鳴らすネオンが、如何にもといった風情を醸し出していた。砂嵐が店に入り込まない様にする為の工夫だろうか。そんな事を考えながら、扉をくぐる。

「……テオドリクスなのかい?」

 果たして彼は此処に居た。目を輝かせて、何かを待ち侘びたといった顔で、彼は其処に座っていた。

「貴公の生存を、バルドルから聞いてな」

「そうか……遠かったろうに。此処は家みたいなもんだ。マスター、彼に一つこさえてやってくれるかい」

「否、構わん。すぐに帰る」

 酒には付き合わない。用を済ませ次第、すぐに帰らねば。バルドルは今回の為に態々、輸送機を用意してくれていた。正確に云い表せば、ザハーラへ補給物資を届ける輸送機にテオドリクスも同乗できる様、ちょっとした手続きをしてくれたのだ。酒に酔って帰ってきたら、乗せて貰えなくなるかもしれなかった。
 少しだけ残念そうに俯いたオーロックスは、ややあってからテオドリクスに向き直る。

「それにしても、夢みたいだよ。まさか、此処でまた会えるなんて。バルドルから手紙を受け取った時は、何の事だろうって思ってたけど。君だとは思わなかったよ。手紙には、旧友としか書かれてなかったから」

「奴は謎かけを好むからな。無理からぬ話よ」

 回りくどい奴ではあるが、同時に風情も好むのだろう。敢えて名前を伏せる事で、期待感を煽りたかったのかもしれない。
 ふと、壁に掛けてあった写真に目が行った。写真には、笑顔のオーロックスと少女が並んで映っていた。モノクロ写真――カラー写真などという高価なものはザハーラにはまず無いだろうが、エントリヒ帝国に於いてもごく一部の裕福な者らが使うだけだった――なので服の色までは判らないが、小柄な体つきの割には全身の装飾が華美な為に、些か不釣り合いにも見えた。

「あの写真……貴公の隣に居るのはMAIDか?」

「彼女かい。そう、MAIDだ。名前はネイト・グレン。俺の相棒というか……妹みたいなもんかな。気が強くて、前に出たがるから、手が焼けるよ。それでいて寂しがり屋でさ。今日も寝かしつけるのに、それは随分と苦労したもんだよ」

 そう云って苦笑いするオーロックスの声音は、言葉とは裏腹に何だか懐かしむ様な、優しい響きを持っていた。良き伴侶に恵まれたのだろう。ネイト・グレンとは面識は無いが、もしオーロックスを連れて行ってしまえば、彼女もきっと悲しむ。彼を巻き込むのは、止しておくべきだ。草木の生えぬザハーラと比べても、明日より向かう戦場は、不毛すぎる。

「テオドリクス。このザハーラは、いい場所だ。砂の中で、俺達はまた生きる事が出来る」

 グラスが差し出された。オーロックスを見れば、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。義兄弟の契りを交わす杯、とでも云うべきか。

「君もこっちへ来たらいい。バルドルは拒んだけど、此処には少なくとも、君が頭を悩ませる策謀の類いは存在しない」

 ――ザハーラの戦場には、な。その外側は、幾つもの謀略が蠢いているものよ。
 テオドリクスは静かにグラスを押し戻し、かぶりを振った。

「それは叶わぬ望みだ。俺には、その資格が無い」

 少なくとも、今は。

「……俺は、明日には303作戦の後片付けを始めねばならん。真相をバルドルが掴んだ。ならば俺は、動かねばなるまい」

 一騎当千など夢物語だが、頭目を潰す好機はある。9月2日は、303作戦を取り仕切っていたとされるハーネルシュタインの生誕記念日であり、そのパレードの警備にはテオドリクスも配備される事となっている。その時に不意を突いて殺してしまおうというのが、テオドリクスの計画だった。
 血肉の沸き立つテオドリクスに対して、オーロックスの表情は曇っていた。

「もういいだろ……テオドリクス。あの戦いは終わったし、オーロックスは死んだ。新しく名前を貰ってさ。アピスっていうんだ。命は粗末にするなよ、テオドリクス。君も此処で、やり直せばいい」

「……為らぬ」

 テオドリクスが語気を強めて断じると、オーロックス――アピスは、目尻に涙を浮かべていた。テオドリクスは僅かに胸が痛むのを感じ取った。ブリュンヒルデを止める時、彼の様に食い下がれば良かったのかもしれなかった。そうすれば或いは思い留まってくれていたかもしれなかった。が、しかし――

「じゃあ、こうしよう。君が云う“後片付け”という奴が終わったら、また此処へ来てくれ! 絶対、絶対だ! 頼む、約束してくれ……!」

 これだけ云われても、テオドリクスは決意を揺らがせる事は無かった。今なら、ブリュンヒルデの気持ちが解る気がする。足を止めてしまえば、己の誓いに嘘をついてしまう。彼女もまた、そう考えていたのではないか。

「アピス……俺もまた、死んでいる。戦わねば、再びこの世に生きられぬ。今は貴公の約束に、否定も肯定も出来ぬ」

 テオドリクスは席を立ち、バーを後にする。アピスは追っては来なかった。呼び止める声も無かった。これで良いのだ。
 彼を“逃げた”などと誹るつもりは毛頭無い。彼は彼なりに戦い、この場所に留まっている事を、テオドリクスはこの短い再会から充分に推し量る事が出来た。だからこそ、彼の好意に甘える訳には行かなかった。彼が大切な存在の背中を守るのと同じく、テオドリクスもまた、晴らされなかった屈辱に、長きに渡る雌伏の時に、決着を付けねばならないのだ。

「……貴公は生き延びろ。アピス、次の世代と共に歩め」

 死ぬのは己一人で良い。それで悲劇の種を少しでも減らす事が出来るのならば、安い代償だ。
 一度歩いた道は全て覚えられた為、輸送機のある格納庫へ辿り着くのに然程時間は掛からなかった。輸送機の荷台に乗り込むと、作業員が怪訝そうな面持ちで話し掛けてきた。

「もういいのか? 出発まであと5時間はあるが」

「構わぬ。明日も仕事だ。眠って明日に備える」

「あぁ、そう」

 積み荷が散らばった格納庫の中で訓練や稽古をしても、邪魔になるだけだ。ならばせめて、じっとして、体力を温存しておかねば。輸送機の壁に寄り掛かり、目を閉じる。数分が経ち、まどろんできた頃に、足音が近くで止まった。積み込みの邪魔になったのだろうかと思って、テオドリクスは目を開けた。眼前に居たのは作業員ではなかった。此処には居る筈の無い男――バルドルが、見下ろしていた。

「寝る前に小話でも如何ですか? テオドリクス」

「……貴公、何時から此処に居た」

「ザハーラは私の庭です。老いた庭園の主が、気まぐれに庭園を散歩する事とて(まま)ある話でしょう。それで? 旧友との再会は楽しめましたか?」

「何を抜かす。白々しい」

「先日まで黙っていた事については、謝罪しましょう。何分、訊かれなかったもので」

 先日オーロックスの生存を聞かされた折、テオドリクスは激昂の余りバルドルの首根っこを掴み上げてしまった。ザハーラで戦って、オーロックスとは何度も戦場を共にしていながら、ずっと黙っていたという事が許せなかった為だ。

「疑えなかったからな。だが、俺はもう……俺の望む何もかもを知る事が出来た。後は死に場所を探すだけだ」

 曇り空をたゆたう亡霊の時間は終わり、そして賽が投げられた。来たるヨハネス・フォン・ハーネルシュタインアドレーゼ両名の生誕記念日は、悪鬼となりて彼らを両断してやる。いずれ地獄に落ちる身であるならば、せめて彼奴等を道連れにしてやろう。それだけが、ブリュンヒルデへの手向けだ。


最終更新:2013年03月10日 02:28
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