カンペチェ湾事件

カンペチェ湾事件とは、瑞州暦1985年8月19日に、メキシコ湾南部のカンペチェ湾で、トラキア・ローマ帝国軍機が瑞州合衆国連邦軍機と交戦した事件である。この事件において、瑞州軍戦闘機は帝国軍機2機を撃墜した。

目次 交戦勢力
1.概要
2.事件
3.撃墜後
4.交戦部隊

トラキア・ローマ帝国
瑞州合衆国連邦
概要
瑞州暦1980年代、トラキア・ローマ帝国諜報機関は国家戦略の観点から、カリブ・メキシコ湾地域への関与を強めており、帝国軍との共同作戦で当該地域に情報収集機や電子戦機を飛ばす等の諜報活動を実施していた。一方、近辺の瑞州合衆国連邦としてはこの状況は受け入れがたいものであり、帝国軍機が防空識別圏(ADIZ)に侵入したことを地上要撃管制や空中管制が確認すると、即座に戦闘機をスクランブルさせていた [*1] 。この最中、帝国軍機は何度かの領空侵犯を行っており、瑞州国防軍機は何度かの退去勧告を実施していた他、事件の数日前には実弾による警告射撃を実施するなど、事態は次第に悪化の一途を辿っていた。

事件
imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。 トラキア・ローマ帝国軍のランキアリウス P.21。

1985年8月19日、瑞州海軍は本土沖50kmの水域において艦隊演習を行っており、瑞州空軍第220飛行隊の戦闘機2機はそれに協同した戦闘空中哨戒任務に就いていた。これに接近するローマ帝国軍機を探知した瑞州軍の地上要撃管制や早期警戒機は、艦隊や戦闘機に警告を発した。
帝国軍機の飛行ルートは瑞州艦隊に接近しようとするままで変わらず、早期警戒機は空軍機に迎撃を指示した。2機の戦闘機は、レーダー反応による帝国軍機の飛行ルートを推定し、反航するルートを取って迎撃に向かった。
交差するわずか数秒前、推定距離300mで、帝国軍機の1機が瑞州軍機の1機に向けて空対空ミサイルを発射したが、外れた。これにより瑞州軍機は、帝国軍機が通常のような非武装の情報収集機や電子戦機ではなく、武装した戦闘機であると確認した。
2機の帝国軍機は瑞州軍機の横を通過する際に二手に分かれ、一方は北西に、僚機は南東に旋回した。瑞州軍機はミサイルを回避し、敵対行為が開始された場合に自衛を義務付ける交戦規則によって応戦することを許可された。帝国軍機も二手に分かれて大きく旋回し、帝国軍機の背後に迫った。帝国軍機は空対空ミサイルを発射し、各1機ずつを撃墜した。
事件の公式音声記録では、瑞州軍機パイロットの1人が、帝国軍機のパイロットが脱出するのを見たが、パラシュートが開かなかったと述べている。

撃墜後
事件を受けて両国の関係は国交樹立以後最低レベルにまで落ち込んだ。合衆国政府は国家安全保障上の最重要問題として、トラキア・ローマ帝国側の情報収集活動や領空侵犯を非難した。一方帝国は、事件以前は情報収集活動について知らぬ存ぜぬを決め込んでいたものの、事件発覚後は認めざるを得なくなった。しかし事件における戦闘機の攻撃意図 [*2] については否定しており、事件の発端についても瑞州軍管制機の過剰反応であると主張した。
事件後、帝国軍は撃墜された機体が第55飛行中隊のランキアリウス P.21であったことを発表した。

交戦部隊
瑞州国防空軍第220飛行隊の龍造寺 F-7B。

トラキア・ローマ帝国軍
・第55飛行中隊 - ランキアリウス P.21

瑞州合衆国連邦国防空軍
・第220戦術戦闘飛行隊 - 龍造寺 F-7B
・第408空中警戒管制飛行隊 - ブラウニング E-3



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最終更新:2024年02月06日 16:48

*1 ただしこれは、空軍の通常の警戒任務の範疇である。

*2 事件当時、帝国軍機2機は瑞州海軍艦隊に向けて低空進入しており、空対艦攻撃の要領と酷似している。