北ウクライナに対する特別軍事作戦

北ウクライナに対する特別軍事作戦(通称:赤作戦)とは、統一歴202年1月~にかけてアークランド軍事統制国(アークランド)により行われた北ウクライナの軍事的侵攻による併合を目的とした作戦である。本戦争は、アークランドによる純粋な領土拡大を目的とした初の侵略戦争である。

背景

統一歴187年の領土移転以来生じていた北ウクライナでの領土問題は、ある時を境に音沙汰が消えた。そのため、これを不審に思ったアークランド軍は、偵察作戦として国境を越えた地域での小中規模の偵察任務を北部方面軍に要請し、本任務を特別軍事作戦と呼称し、統一歴202年より開始した。しかし、本任務の情報が各国情報機関に流出、アークランド軍による北ウクライナ地域での大規模な軍事作戦が実行されるのではないかという懸念がなされ、ただでさえ不穏な東欧情勢をさらに乱す行為として大きな非難がなされた。
これに対し反発したアークランドは特別軍事作戦の内容を、北ウクライナの領土問題解消のため、同地を武力による併合を行う内容に改定し本作戦は最高会議にて受理された。北部方面軍は侵攻に備えチェルカーンの壁に沿って前線が設置されA、B、Cの軍団に分けられた部隊は西部、中央、東部のそれぞれから三か所で同時攻勢を実行することになった。

開戦

統一歴202年、ミハイ・アルジェシュアヌ議長は特別軍事作戦の正式な発令を演説の中で発表した。
実際には、これの約数時間前に航空軍航空艦隊及び地上軍戦略部隊により重要都市に対する攻撃が始まっており、夜間での攻撃に逃走する北ウクライナの武装組織の兵士が逃げ出す様子も映像で残されている。
また、演説後には全面的な侵攻が開始され、開始から役一ヶ月でモスクワ軍政国からの支援を受けながら侵攻していたC軍集団は、既に臨時首都チェルニゴフを壊滅させられたチェルニゴフ・ファッシ戦闘団を掃討しながら北上していた。また、B軍集団もドニエプル川を北上しキエフ武装革命戦線の首都であるキエフを目指し進軍していたが、A軍集団では思わぬ出来事が起こっていた。

チェルノブイリ原発への攻撃

A軍集団はフメリニツキー方面までの進出は成功させたものの、そこから先への進軍をするにつれ、放射線濃度が異様に跳ね上がる異常事態に遭遇した。これを受け航空軍は偵察機による先行偵察を実施。その結果、チェルノブイリ原発の老朽化や整備不足が重なった上で、最初の奇襲攻撃が引き金となり原発が爆発し、その影響で重度の放射能汚染が発生、そのためA軍集団は周辺地域から即座に撤退しNBC装備が支給されるまでの進軍停止を余儀なくされた。

キエフ包囲戦

西部方面の一時の停止は想定外であったとはいえ、それ以外の箇所での攻勢が順調であったことを認識した参謀本部はキエフ武装革命戦線が立て篭もるキエフの全面的な包囲による殲滅を実行することを決定した。
統一歴202年2月中旬、C軍集団による完全な北上が成功し、ドニエプル川を挟んでキエフに対する砲爆撃を開始した。またA軍集団も右翼方面に部隊を配置し片翼包囲に成功した。しかし。殲滅のため突入しようものなら、ありとあらゆる方法で頑強な守りを見せるキエフに対し参謀本部は一考を案じた。
最終的には本包囲戦に大量破壊兵器の投入を決定し、参謀本部は航空軍に燃料気化爆弾の使用を許可した。
統一歴202年3月、予定より一ヶ月ほど長引いた包囲戦に対し投入された燃料気化爆弾によって包囲戦は都市ごと焼き払う形で終わった。瓦礫と熱気の残る市街を進軍する兵士たちは影も形も残らない敵兵に不安感を覚えながらも同地を占領したことで東部、中央での激戦は、その幕を下ろした。

チェルノブイリ掃討戦

長らく停滞していた西部方面もNBC装備が支給されたことにより前進が可能となった。
最終更新:2025年10月09日 01:48