| 車種名 | N6R |
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| クラス | C |
| 最高出力 | 240ps |
| 車体重量 | kg |
| パワーウェイトレシオ | |
| 吸気形式 | 自然吸気 |
| 駆動方式 | FR |
| 入手金額 | cr. |
| 0-100km/h加速 | xxx sec. |
| 最高速度 | xxx km/h |
| メモ | スポーツカーは、カルチャーです。 往年の名車の名を継ぐピュアスポーツ |
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概要
元ネタ解説
トヨタ・86 GT(ZN6)
シルビア、ロードスターと並んでかつての走り屋たちに支持された伝説のFRマシン、AE86。安価なFRで、絶対的な性能は無くとも操る愉しさを宿していたことがその魅力。また、当時豊富に流通していたチューニングパーツによる拡張性の高さもこの車の人気に一役買っていたのは間違いない。この車で腕を磨き、プロへとステップアップしたドライバーも、今でも多く活躍している。
時は流れて、2000年代半ば。トヨタでは毎年のようにスポーツカーの企画が提出されていたが、採算の問題などで棄却されるのが常であった。しかし、若者の車離れが声高に叫ばれるようになると、トヨタ社内で新型スポーツカーの開発が決定される。この決定には当時の営業部門副社長であった豊田章男の「本当にいい車を作るなら、俺たち営業は四の五の言わない」という言葉が決め手になったという。開発主任はラクティスやパッソの開発主任を歴任した多田哲哉。ラクティスの開発時には「ワンメイクレースをしたい」と発言するなどモータースポーツをこよなく愛しており、チーフエンジニアとしては当時唯一社内運転資格の最高級であるS2級を保持する生粋のカーガイである。彼は念願のスポーツカー開発ということで非常に喜んだのだとか。さらに、開発担当には10年以上AE86を所有している二人の技術者も据え、万全とも言える体制で開発がスタートした。開発コードは086A。必死に探し回ってまでこのコードを取得するほどこの車に情熱を懸けていたことが伺える。
開発にあたってまず参考にされたのは「現場の声」であった。国内はもとより世界中のチューニングショップやサーキットへ赴き、また社内社外問わず車好きの同業者への聞き込みを行い、各地のスポーツカー愛好家たちがどのような車を求めているのかを調査したのである。その結果、彼らが求めていたものはハイテクな制御技術を盛り込んだハイスペックだが高価なスポーツカーではなく、手軽に買えて運転しやすくて改造しやすいスポーツカーであることが判明。要するに往年のAE86のような「遅いけど楽しいスポーツカー」が求められていたのである。さらに、「カッコいい車が欲しい」という意見も根強いという調査結果が得られた。この結果を多田氏は「(全高が)低い車」と捉えたようである。調査はそれだけにとどまらず、トヨタがリリースした名スポーツカー「スポーツ800」通称ヨタハチも研究。AE86より20年ほど前に、同じく安価で走る喜びを兼ね備えたスポーツカーとして販売されている。これらで得られた情報を総合し、多田氏は「FRレイアウトでコンパクト、低重心で排気量は2L、手頃な価格」という目標を設定した。
この目標を実現する上で重要となったのはエンジンの選定であった。ミッドシップレイアウトを採用すれば低重心で地を這うようなスタイリングは容易に実現できるが、それは誰でも楽しめるという要素を排除する結果となりかねない。FRにこだわって選定を進めるも、導き出された結論は「トヨタの手持ちエンジンでは不可能」というあまりにも残酷なものであった。
しかし、ここに思わぬ救世主が現れる。富士重工、今のスバルであった。当時、トヨタと資本提携を行っていたスバルは、それを活かすべくプロジェクトを模索。ここに、086Aプロジェクトの求める低重心実現のための水平対向エンジン採用というニーズが合致し、スバルは責任者として増田年男を任命、共同プロジェクトが本格的に動き出すこととなる。当時、スバルの技術陣は「四駆でもターボでもないスポーツカーはちょっと」とスバルの矜持にかけて難色を示していたようだが、レガシィをベースとしたFRの試作車に乗ったところ思ってたより楽しかったらしく、許可が下りたそうだ。
こうして、世界のスポーツカーユーザーの意見を取り入れつつスバルと共同で進行していたこのプロジェクトは、社内にいる200人ほどのスポーツカーユーザーに助言を求めながら進められた。もちろん豊田氏もテストドライバーとして幾度となく試作車のハンドルを握ったという。そして、プロジェクト始動から5年後の2012年、コンセプトモデルとなるFT-86を経て遂にこの車は市販される。「自分だけの1台を楽しみながら育てる」「オーナーとともに進化する」というコンセプトを実現したこの車は、往年の名車の愛称を引き継ぎ「86」と命名され、スバルの兄弟車のBRZ、トヨタの北米におけるブランド、サイオンのFR-Sとともに市場に姿を現した。価格は最上級グレードGT-Limitedですらも305万円、競技ベースとなるRCに至っては199万円と、驚異の価格を実現。さらに中古車が多く出回ることでこの車に憧れた若者たちが成長し、自分の車を選ぶときに価格が安くなっているように販売するという、巧妙な戦略を取っている。
エンジンはスバルが新規開発したFA20型水平対向4気筒エンジン。トヨタでは4U-Gという名称があるようだが一般には使われていない。これを通常より後方に搭載することで、重量バランスは53:47を実現。ここで生まれたパワーはアイシン製の6速AT/MTを介して後輪を駆動する。水平対向エンジン+後輪駆動の組み合わせは研究対象となったスポーツ800を踏襲しており、この車は名前こそ86だがスポーツ800の再来と表現することもできるだろう。また、タイヤに左右されない車を目指して開発を進めた結果、純正の装備タイヤはニュートラルな特性を持つものとしてミシュランのプライマシーHPを採用。プリウスからメルセデス・ベンツSクラスにまで採用されるほどトータルバランスの優れたタイヤである。
これほどまでに楽しさを追求した86だが、GRによる特別なチューンが施されたスパルタンモデルが販売されるなど、1台のスポーツカーとしての完成度の高さは折り紙つき。まさに往年のAE86のような立ち位置を実現するスポーツカーとなったのである。
86はかつてのAE86と同じようにドリフト、ジムカーナ、ラリーとステージを問わず大活躍。ラリーにおいては全日本ラリー選手権でクラス優勝を果たすなど侮れない実力を発揮している。また、かつてAE86に乗っていたプロレーサーの織戸学や谷口信輝なども参戦するワンメイクレース「86/BRZレース」がGAZOO公式で行われるなど、モータースポーツにも大きく貢献している1台である。
こうして生まれた86はマイナーチェンジを繰り返しながら販売され、2021年、ついに後継となるGR86にその座を譲りそのモデルライフを終える。しかし、中古車市場を覗いてみるとスポーツカーとしては手頃な価格で販売されており、トヨタの戦略が功を奏したことが分かる。86は、その名に込められた使命を見事果たしてGR86にバトンを渡したのだ。AE86がそうであったように、86で育った若き車好きが競技の世界でその才能を開花させる日が来るのはそう遠くない未来のこと。この車がどのような功績を残したのかが分かる頃には、86もまたAE86のように伝説の名車として歴史に名を残しているかもしれない。
シルビア、ロードスターと並んでかつての走り屋たちに支持された伝説のFRマシン、AE86。安価なFRで、絶対的な性能は無くとも操る愉しさを宿していたことがその魅力。また、当時豊富に流通していたチューニングパーツによる拡張性の高さもこの車の人気に一役買っていたのは間違いない。この車で腕を磨き、プロへとステップアップしたドライバーも、今でも多く活躍している。
時は流れて、2000年代半ば。トヨタでは毎年のようにスポーツカーの企画が提出されていたが、採算の問題などで棄却されるのが常であった。しかし、若者の車離れが声高に叫ばれるようになると、トヨタ社内で新型スポーツカーの開発が決定される。この決定には当時の営業部門副社長であった豊田章男の「本当にいい車を作るなら、俺たち営業は四の五の言わない」という言葉が決め手になったという。開発主任はラクティスやパッソの開発主任を歴任した多田哲哉。ラクティスの開発時には「ワンメイクレースをしたい」と発言するなどモータースポーツをこよなく愛しており、チーフエンジニアとしては当時唯一社内運転資格の最高級であるS2級を保持する生粋のカーガイである。彼は念願のスポーツカー開発ということで非常に喜んだのだとか。さらに、開発担当には10年以上AE86を所有している二人の技術者も据え、万全とも言える体制で開発がスタートした。開発コードは086A。必死に探し回ってまでこのコードを取得するほどこの車に情熱を懸けていたことが伺える。
開発にあたってまず参考にされたのは「現場の声」であった。国内はもとより世界中のチューニングショップやサーキットへ赴き、また社内社外問わず車好きの同業者への聞き込みを行い、各地のスポーツカー愛好家たちがどのような車を求めているのかを調査したのである。その結果、彼らが求めていたものはハイテクな制御技術を盛り込んだハイスペックだが高価なスポーツカーではなく、手軽に買えて運転しやすくて改造しやすいスポーツカーであることが判明。要するに往年のAE86のような「遅いけど楽しいスポーツカー」が求められていたのである。さらに、「カッコいい車が欲しい」という意見も根強いという調査結果が得られた。この結果を多田氏は「(全高が)低い車」と捉えたようである。調査はそれだけにとどまらず、トヨタがリリースした名スポーツカー「スポーツ800」通称ヨタハチも研究。AE86より20年ほど前に、同じく安価で走る喜びを兼ね備えたスポーツカーとして販売されている。これらで得られた情報を総合し、多田氏は「FRレイアウトでコンパクト、低重心で排気量は2L、手頃な価格」という目標を設定した。
この目標を実現する上で重要となったのはエンジンの選定であった。ミッドシップレイアウトを採用すれば低重心で地を這うようなスタイリングは容易に実現できるが、それは誰でも楽しめるという要素を排除する結果となりかねない。FRにこだわって選定を進めるも、導き出された結論は「トヨタの手持ちエンジンでは不可能」というあまりにも残酷なものであった。
しかし、ここに思わぬ救世主が現れる。富士重工、今のスバルであった。当時、トヨタと資本提携を行っていたスバルは、それを活かすべくプロジェクトを模索。ここに、086Aプロジェクトの求める低重心実現のための水平対向エンジン採用というニーズが合致し、スバルは責任者として増田年男を任命、共同プロジェクトが本格的に動き出すこととなる。当時、スバルの技術陣は「四駆でもターボでもないスポーツカーはちょっと」とスバルの矜持にかけて難色を示していたようだが、レガシィをベースとしたFRの試作車に乗ったところ思ってたより楽しかったらしく、許可が下りたそうだ。
こうして、世界のスポーツカーユーザーの意見を取り入れつつスバルと共同で進行していたこのプロジェクトは、社内にいる200人ほどのスポーツカーユーザーに助言を求めながら進められた。もちろん豊田氏もテストドライバーとして幾度となく試作車のハンドルを握ったという。そして、プロジェクト始動から5年後の2012年、コンセプトモデルとなるFT-86を経て遂にこの車は市販される。「自分だけの1台を楽しみながら育てる」「オーナーとともに進化する」というコンセプトを実現したこの車は、往年の名車の愛称を引き継ぎ「86」と命名され、スバルの兄弟車のBRZ、トヨタの北米におけるブランド、サイオンのFR-Sとともに市場に姿を現した。価格は最上級グレードGT-Limitedですらも305万円、競技ベースとなるRCに至っては199万円と、驚異の価格を実現。さらに中古車が多く出回ることでこの車に憧れた若者たちが成長し、自分の車を選ぶときに価格が安くなっているように販売するという、巧妙な戦略を取っている。
エンジンはスバルが新規開発したFA20型水平対向4気筒エンジン。トヨタでは4U-Gという名称があるようだが一般には使われていない。これを通常より後方に搭載することで、重量バランスは53:47を実現。ここで生まれたパワーはアイシン製の6速AT/MTを介して後輪を駆動する。水平対向エンジン+後輪駆動の組み合わせは研究対象となったスポーツ800を踏襲しており、この車は名前こそ86だがスポーツ800の再来と表現することもできるだろう。また、タイヤに左右されない車を目指して開発を進めた結果、純正の装備タイヤはニュートラルな特性を持つものとしてミシュランのプライマシーHPを採用。プリウスからメルセデス・ベンツSクラスにまで採用されるほどトータルバランスの優れたタイヤである。
これほどまでに楽しさを追求した86だが、GRによる特別なチューンが施されたスパルタンモデルが販売されるなど、1台のスポーツカーとしての完成度の高さは折り紙つき。まさに往年のAE86のような立ち位置を実現するスポーツカーとなったのである。
86はかつてのAE86と同じようにドリフト、ジムカーナ、ラリーとステージを問わず大活躍。ラリーにおいては全日本ラリー選手権でクラス優勝を果たすなど侮れない実力を発揮している。また、かつてAE86に乗っていたプロレーサーの織戸学や谷口信輝なども参戦するワンメイクレース「86/BRZレース」がGAZOO公式で行われるなど、モータースポーツにも大きく貢献している1台である。
こうして生まれた86はマイナーチェンジを繰り返しながら販売され、2021年、ついに後継となるGR86にその座を譲りそのモデルライフを終える。しかし、中古車市場を覗いてみるとスポーツカーとしては手頃な価格で販売されており、トヨタの戦略が功を奏したことが分かる。86は、その名に込められた使命を見事果たしてGR86にバトンを渡したのだ。AE86がそうであったように、86で育った若き車好きが競技の世界でその才能を開花させる日が来るのはそう遠くない未来のこと。この車がどのような功績を残したのかが分かる頃には、86もまたAE86のように伝説の名車として歴史に名を残しているかもしれない。
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