車種名 | P9D |
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クラス | R4・RA |
最高出力 | 400ps |
車体重量 | 1260kg |
パワーウェイトレシオ | 3.2 |
吸気形式 | ターボ |
駆動方式 | M4 |
入手金額 | |
トランスミッション | 5速 |
レブリミット | 7800rpm |
0-100km/h加速 | 3.28sec. |
最高速度 | 205km/h |
メモ | 最新技術を盛り込んだスーパーカー。 ダカールをも制覇したドイツの跳ね馬 |
記事は編集中です。
概要
R4・RAクラスに登場。控えめなパワーながらもRRレイアウト特有の絶大なトラクションが特徴。
スペックだけ見れば見劣りするどころの騒ぎではなく、明らかに1台だけ貧弱。しかし、ランキングを見ると意外にも上位争いに食い込んで行けている。その秘訣は、元ネタであるポルシェお得意のRRレイアウトにある。重量物であるエンジンをリヤに搭載することで後輪にトラクションがかかりやすく、他車に引けを取らない加速性能を手にしているのだ。一方で、コーナーではリアが流れやすく少しもったりとした印象を受けがち。これでも挙動は改善された方で、以前はふらついてリアの荷重が抜けた瞬間すぐスピンするような不安定なマシンだったが、アップデートにてトレッドを少々広げる処置が行われた結果、挙動が改善。以前より制御不能には陥りにくくなった。かなり独特な挙動のマシンなので、初めて乗った人はその走らせ方に戸惑うだろう。しかし、加速性能を活かしてどんどん踏んでいくことができれば持ち前の戦闘力を遺憾無く発揮してくれるはずである。
スペックだけ見れば見劣りするどころの騒ぎではなく、明らかに1台だけ貧弱。しかし、ランキングを見ると意外にも上位争いに食い込んで行けている。その秘訣は、元ネタであるポルシェお得意のRRレイアウトにある。重量物であるエンジンをリヤに搭載することで後輪にトラクションがかかりやすく、他車に引けを取らない加速性能を手にしているのだ。一方で、コーナーではリアが流れやすく少しもったりとした印象を受けがち。これでも挙動は改善された方で、以前はふらついてリアの荷重が抜けた瞬間すぐスピンするような不安定なマシンだったが、アップデートにてトレッドを少々広げる処置が行われた結果、挙動が改善。以前より制御不能には陥りにくくなった。かなり独特な挙動のマシンなので、初めて乗った人はその走らせ方に戸惑うだろう。しかし、加速性能を活かしてどんどん踏んでいくことができれば持ち前の戦闘力を遺憾無く発揮してくれるはずである。
元ネタ解説
ポルシェ・959
80年代を代表するスーパーカーとして双璧をなすのがフェラーリ・288GTOやその後継のF40とポルシェ・959であろう。かたやトラディショナルな後輪駆動のピュアスポーツ、かたや最新技術をふんだんに盛り込んだハイテクマシンという対比は、お互いのキャラクターをさらに際立たせていたに違いない。
83年、フランクフルトモーターショーにてポルシェが発表したコンセプトカーが「グルッペB」。明らかにグループB規定でのラリー参戦を狙ったネーミングのこの車が、959の原型である。ホモロゲ取得に向けて予定された生産台数は200台。しかしながら、コスト度外視でポルシェの技術を粋を集めた最新鋭のマシンともなると、ポルシェファンのみならず多くの自動車愛好家の垂涎の的となり、ポルシェは急遽増産を決定。300台弱が生産された。5万マルクの手付金とともにサインをしてから実際にデリバリーされるまでに2年かかったものもあるというから、その人気ぶりとポルシェの完璧主義ぶりが窺える。ビートたけしやMicrosoft創業者のW.ゲイツも購入、所有したことで有名だが、ゲイツがアメリカに持ち込んだ際に959は運輸省未許可モデル(当時)であったため税関で押収されてしまったという。とは言ったものの、99年に彼の尽力もあって新たな法律(*1)が成立したことにより、959は無事13年越しにゲイツの元に渡ったとのこと。保管してた税関、優秀。
エンジンはポルシェ伝統の水平対向6気筒。レーシングカーの956に搭載されていた半水冷(シリンダーヘッドのみが水冷)のエンジンをリヤにマウントし、450馬力を発生させる。この大パワーは6MTを介して四輪に伝えられる。過給機は2機のKKK(現ボルグワーナー)製ターボを採用。低回転域では1機、高回転域では2機を作動させるシーケンシャルツインターボである。
このマシンの最大の特徴とも言えるのが可変トルクスプリット式4WDである。車体状況に応じてコンピュータが駆動配分を自動制御するほか、天候や路面状況に応じたモード選択も可能となっていた。これは第二世代GT-Rに採用されたアテーサE-TSの手本になったとされている。
まだ、専用の中空ホイールには圧力センサーが設けられており、タイヤの空気圧が減少してくるとドライバーに警告灯で知らせるというユニークなシステムも搭載されていた。これほどまで高性能でハイテクながら、4人乗車が可能な実用性も併せ持っているのも特徴であろう。
この車に賭けるポルシェ技術陣の拘りが裏目に出たのか、959の開発は遅々として進まず、代わりに911ベースのスーパーカレラがそのつなぎとして投入される。そんな最中でグループBでは相次いで事故が発生、規定そのものの打ち切りにより959は実戦投入が叶わぬこととなってしまった。しかし、それだけの期間を経て開発された959の技術は明らかに進歩していた。この車の秘めたポテンシャルはWRC以外のフィールドで猛威を振るうこととなる。
1984年のダカールラリー。959、正確にはそのベースとなる930型911に四駆システムを組み込んだ953が出走。ポルシェが開発した四駆の有用性を試すために出場をしたが、その結果は初出場にして総合1位を獲得。この結果を受けポルシェはさらに成熟させたマシンを投入。85年ダカールは959として出走するも、全車リタイアという結果に終わる(中身はほぼ前年引き継ぎのため、見た目だけ959のようなもの)。86年、ついに待望の959ベースの競技車両がダカールラリーへ姿を表す。この959は総合優勝を果たし、そればかりか2位も獲得。さらにサポートカーとして出場していた3台目も6位入賞と、その名声を確固たるものとし、満を持してロードカーが市販されるに至ったのである。ちょっと遅かったね。
また、959のシャシーを利用したレースカー、961が86年ルマン24時間レースに出場している。市販車とは違いポルシェ935用のエンジンを搭載しており、天候変化の激しいルマンで4WDシステムを存分に活かし、Cカーを凌ぎ総合7位、そしてクラス優勝(ただし出走1台)を果たしている。翌年のルマンでこの961はポルシェといえばあの色、ともいえるロスマンズカラーを纏って出場。しかし、残念ながらエンジントラブルで炎上、全損するというリタイアを喫してしまった。その後961はレストアされ、現在はポルシェミュージアムで余生を送っている。またグッドウッドなどのイベントに時折姿を現しており、現在も元気に走る様子を見ることができる。
過酷なダカールとルマンという二つのステージを戦い、好成績を残したオールラウンダー・959。ここまでハイテクてんこ盛りとなった理由は、この車がレースでの戦績以上に「今後の市販車にフィードバックすべき技術」を先行販売する、いわばスタディモデルのような役割を期待されていたからに他ならない。この車で実用化された技術のうち、目玉となる四輪駆動技術はのちの964型911をはじめとする4WDモデルに受け継がれている。ポルシェの持つ全ての技術を結集したスーパーマシン、それが959という車なのだ。
80年代を代表するスーパーカーとして双璧をなすのがフェラーリ・288GTOやその後継のF40とポルシェ・959であろう。かたやトラディショナルな後輪駆動のピュアスポーツ、かたや最新技術をふんだんに盛り込んだハイテクマシンという対比は、お互いのキャラクターをさらに際立たせていたに違いない。
83年、フランクフルトモーターショーにてポルシェが発表したコンセプトカーが「グルッペB」。明らかにグループB規定でのラリー参戦を狙ったネーミングのこの車が、959の原型である。ホモロゲ取得に向けて予定された生産台数は200台。しかしながら、コスト度外視でポルシェの技術を粋を集めた最新鋭のマシンともなると、ポルシェファンのみならず多くの自動車愛好家の垂涎の的となり、ポルシェは急遽増産を決定。300台弱が生産された。5万マルクの手付金とともにサインをしてから実際にデリバリーされるまでに2年かかったものもあるというから、その人気ぶりとポルシェの完璧主義ぶりが窺える。ビートたけしやMicrosoft創業者のW.ゲイツも購入、所有したことで有名だが、ゲイツがアメリカに持ち込んだ際に959は運輸省未許可モデル(当時)であったため税関で押収されてしまったという。とは言ったものの、99年に彼の尽力もあって新たな法律(*1)が成立したことにより、959は無事13年越しにゲイツの元に渡ったとのこと。保管してた税関、優秀。
エンジンはポルシェ伝統の水平対向6気筒。レーシングカーの956に搭載されていた半水冷(シリンダーヘッドのみが水冷)のエンジンをリヤにマウントし、450馬力を発生させる。この大パワーは6MTを介して四輪に伝えられる。過給機は2機のKKK(現ボルグワーナー)製ターボを採用。低回転域では1機、高回転域では2機を作動させるシーケンシャルツインターボである。
このマシンの最大の特徴とも言えるのが可変トルクスプリット式4WDである。車体状況に応じてコンピュータが駆動配分を自動制御するほか、天候や路面状況に応じたモード選択も可能となっていた。これは第二世代GT-Rに採用されたアテーサE-TSの手本になったとされている。
まだ、専用の中空ホイールには圧力センサーが設けられており、タイヤの空気圧が減少してくるとドライバーに警告灯で知らせるというユニークなシステムも搭載されていた。これほどまで高性能でハイテクながら、4人乗車が可能な実用性も併せ持っているのも特徴であろう。
この車に賭けるポルシェ技術陣の拘りが裏目に出たのか、959の開発は遅々として進まず、代わりに911ベースのスーパーカレラがそのつなぎとして投入される。そんな最中でグループBでは相次いで事故が発生、規定そのものの打ち切りにより959は実戦投入が叶わぬこととなってしまった。しかし、それだけの期間を経て開発された959の技術は明らかに進歩していた。この車の秘めたポテンシャルはWRC以外のフィールドで猛威を振るうこととなる。
1984年のダカールラリー。959、正確にはそのベースとなる930型911に四駆システムを組み込んだ953が出走。ポルシェが開発した四駆の有用性を試すために出場をしたが、その結果は初出場にして総合1位を獲得。この結果を受けポルシェはさらに成熟させたマシンを投入。85年ダカールは959として出走するも、全車リタイアという結果に終わる(中身はほぼ前年引き継ぎのため、見た目だけ959のようなもの)。86年、ついに待望の959ベースの競技車両がダカールラリーへ姿を表す。この959は総合優勝を果たし、そればかりか2位も獲得。さらにサポートカーとして出場していた3台目も6位入賞と、その名声を確固たるものとし、満を持してロードカーが市販されるに至ったのである。ちょっと遅かったね。
また、959のシャシーを利用したレースカー、961が86年ルマン24時間レースに出場している。市販車とは違いポルシェ935用のエンジンを搭載しており、天候変化の激しいルマンで4WDシステムを存分に活かし、Cカーを凌ぎ総合7位、そしてクラス優勝(ただし出走1台)を果たしている。翌年のルマンでこの961はポルシェといえばあの色、ともいえるロスマンズカラーを纏って出場。しかし、残念ながらエンジントラブルで炎上、全損するというリタイアを喫してしまった。その後961はレストアされ、現在はポルシェミュージアムで余生を送っている。またグッドウッドなどのイベントに時折姿を現しており、現在も元気に走る様子を見ることができる。
過酷なダカールとルマンという二つのステージを戦い、好成績を残したオールラウンダー・959。ここまでハイテクてんこ盛りとなった理由は、この車がレースでの戦績以上に「今後の市販車にフィードバックすべき技術」を先行販売する、いわばスタディモデルのような役割を期待されていたからに他ならない。この車で実用化された技術のうち、目玉となる四輪駆動技術はのちの964型911をはじめとする4WDモデルに受け継がれている。ポルシェの持つ全ての技術を結集したスーパーマシン、それが959という車なのだ。
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