車種名 | E8D |
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クラス | E |
最高出力 | 130ps |
車体重量 | 900kg |
パワーウェイトレシオ | 6.9 |
吸気形式 | 自然吸気 |
駆動方式 | FR |
入手金額 | 86,000 cr. |
0-100km/h加速 | xxx sec. |
最高速度 | xxx km/h |
メモ | あの豆腐屋も愛用。 走り屋たちに愛された「ハチロク」 |
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概要
元ネタ解説
トヨタ・スプリンタートレノ 3ドア(AE86)
AE86と聞き、多くの人が思い浮かべるのは「頭文字D」の主人公が駆るあのパンダトレノであろう。この作品のメインメカニックとしてAE86が選ばれたのは必然であった。
70年代まではFRが一般的だった大衆車の世界だが、80年代になると居住性に優れるFFレイアウトが主流になりつつあった。トヨタの大衆車クラスを担うカローラ/スプリンターも、1983年のモデルチェンジによってE80系となり、ついにFFレイアウトへの転換を果たしたのである。一部車種を除いて。
そう、そのFRで生き残ったカローラとスプリンターこそが、ホットモデルのカローラレビンとスプリンタートレノ、型式はあまりにも有名な「AE86」である。FRモデルとして走りに重点を置き、当時の新車価格も100万円と少しという安価に買えるスポーツカーとして人気を博した。ちなみにFFモデルにもホットモデルが設定されており、カローラFX(AE82)と呼ばれている。
足回りは先代TE71から引き継がれ、フロントがストラット、リアはリジットアクスル。旧態依然としており当時の国産スポーツとしてはお世辞にも優れているとは言えない、むしろ見劣りするものであったが、構造の単純さゆえに改造は比較的簡単であったようだ。一方でエンジンは完全新規開発の1.6L直列4気筒16バルブ自然吸気DOHCエンジン、4A-G。パワーはグロス値で130馬力程度とこれまたお世辞にも良いとは言えないが、レスポンスの良さは高く評価されており、またチューニングベースとしても好評であった。アフターパーツの多さや豊富なチューニングパーツが市場に流通していたことも手伝って、走り屋に愛される車として人気を博したのである。
後継のAE92がリリースされると、ついにレビン/トレノも時代の潮流に逆らえなかったのか、FFへと転換することになる。だがAE86は最後のFRレビン・トレノとして人気が衰えることはなく、やや遅れてリリースされた日産シルビア、マツダロードスターとともに安価でスポーティなFRマシンとしてその地位を確立。AE92が部品取りにされるほど、AE86は昭和末期、そして平成初期の走り屋たちに支持されていたのである。
AE86はアメリカにも輸出されており、「カローラスポーツ」の名称で販売されている。テールはレビンと同様だが、フロントはアメリカの当時の安全基準を満たすためにトレノに似たリトラクタブルヘッドライトを採用。グレードはSOHC搭載の「SR-5(AE86)」とDOHC搭載の「GT-S(AE88)」である。こちらはアメリカでのコードのためビルドコードはAE88も「AE86」と刻印されているほか、SR-5の中にはAE85が打刻されている個体も存在するようだ。ややこしすぎる。
自身もハイテックツートン(白/黒ツートン)のトレノを所有するしげの秀一氏の漫画「頭文字D」では主人公の藤原拓海がAE86スプリンタートレノを駆り、大活躍。それまではAE86=レビンといった図式が成立していたようだが、この漫画の影響でトレノ人気が爆発。中古車では叩き売り状態、なんならタダ同然で拾ってくるレベルの扱いを受けていたAE86は一躍人気車種となり、中古市場が鰻登りとなる。前述の通り、この車は走り屋たちに支持されたモデル。つまりかなり酷使をされてきた個体が多いため、過走行であったり、そうでなくとも修復歴ありだとかヤレが溜まっている個体が非常に多い。この結果として、低走行だったり、フルレストア車両である場合は車種を鑑みれば天文学的な価格で売られていることも珍しくはないのである。もし中古車を買うときはこのあたりに注意していただきたい。
モータースポーツに目を向けると、AE86はチューニングベースとして素性が良く、パーツが豊富ということもあってサーキットにジムカーナ、ラリーにドリフトと多方面で多くのドライバーに愛されてきた。その活躍は国内にとどまらず、BTCC(*1)やETCC(*2)でも日本車勢として活躍を見せている。そしてフィールドでの活躍に留まらず、土屋圭一をはじめ織戸学、谷口信輝といった名だたるドライバーたちも若かりし頃にAE86に乗っていたと証言。現在もAE86を所有する土屋氏は「ドリフトを極められたのはAE86のおかげ」と言い、車体剛性とレスポンスの良さを高く評価しているようだ。このように、ドライバーのキャリアのキッカケとしてもこの車の存在は大きく、モータースポーツのフィールド内外問わず大きな功績を残している稀有な例と言えるであろう。
AE86は単純な構造をしたいわば「古典的なFR」である。それゆえにFRの教科書、モータースポーツの教科書とも言える。旧態依然とした構造は決して高性能とは言えなかったものの、多くの走り屋に愛された理由は何より「意のままに操れる愉しさ」が存在したマシンであったからに他ならない。走る喜びを多くの人に提供し、そしてそこからステップアップしていったドライバーも数知れず。走ることの基本が詰まった今や伝説的なマシン、それがAE86という車である。
AE86と聞き、多くの人が思い浮かべるのは「頭文字D」の主人公が駆るあのパンダトレノであろう。この作品のメインメカニックとしてAE86が選ばれたのは必然であった。
70年代まではFRが一般的だった大衆車の世界だが、80年代になると居住性に優れるFFレイアウトが主流になりつつあった。トヨタの大衆車クラスを担うカローラ/スプリンターも、1983年のモデルチェンジによってE80系となり、ついにFFレイアウトへの転換を果たしたのである。一部車種を除いて。
そう、そのFRで生き残ったカローラとスプリンターこそが、ホットモデルのカローラレビンとスプリンタートレノ、型式はあまりにも有名な「AE86」である。FRモデルとして走りに重点を置き、当時の新車価格も100万円と少しという安価に買えるスポーツカーとして人気を博した。ちなみにFFモデルにもホットモデルが設定されており、カローラFX(AE82)と呼ばれている。
足回りは先代TE71から引き継がれ、フロントがストラット、リアはリジットアクスル。旧態依然としており当時の国産スポーツとしてはお世辞にも優れているとは言えない、むしろ見劣りするものであったが、構造の単純さゆえに改造は比較的簡単であったようだ。一方でエンジンは完全新規開発の1.6L直列4気筒16バルブ自然吸気DOHCエンジン、4A-G。パワーはグロス値で130馬力程度とこれまたお世辞にも良いとは言えないが、レスポンスの良さは高く評価されており、またチューニングベースとしても好評であった。アフターパーツの多さや豊富なチューニングパーツが市場に流通していたことも手伝って、走り屋に愛される車として人気を博したのである。
後継のAE92がリリースされると、ついにレビン/トレノも時代の潮流に逆らえなかったのか、FFへと転換することになる。だがAE86は最後のFRレビン・トレノとして人気が衰えることはなく、やや遅れてリリースされた日産シルビア、マツダロードスターとともに安価でスポーティなFRマシンとしてその地位を確立。AE92が部品取りにされるほど、AE86は昭和末期、そして平成初期の走り屋たちに支持されていたのである。
AE86はアメリカにも輸出されており、「カローラスポーツ」の名称で販売されている。テールはレビンと同様だが、フロントはアメリカの当時の安全基準を満たすためにトレノに似たリトラクタブルヘッドライトを採用。グレードはSOHC搭載の「SR-5(AE86)」とDOHC搭載の「GT-S(AE88)」である。こちらはアメリカでのコードのためビルドコードはAE88も「AE86」と刻印されているほか、SR-5の中にはAE85が打刻されている個体も存在するようだ。ややこしすぎる。
自身もハイテックツートン(白/黒ツートン)のトレノを所有するしげの秀一氏の漫画「頭文字D」では主人公の藤原拓海がAE86スプリンタートレノを駆り、大活躍。それまではAE86=レビンといった図式が成立していたようだが、この漫画の影響でトレノ人気が爆発。中古車では叩き売り状態、なんならタダ同然で拾ってくるレベルの扱いを受けていたAE86は一躍人気車種となり、中古市場が鰻登りとなる。前述の通り、この車は走り屋たちに支持されたモデル。つまりかなり酷使をされてきた個体が多いため、過走行であったり、そうでなくとも修復歴ありだとかヤレが溜まっている個体が非常に多い。この結果として、低走行だったり、フルレストア車両である場合は車種を鑑みれば天文学的な価格で売られていることも珍しくはないのである。もし中古車を買うときはこのあたりに注意していただきたい。
モータースポーツに目を向けると、AE86はチューニングベースとして素性が良く、パーツが豊富ということもあってサーキットにジムカーナ、ラリーにドリフトと多方面で多くのドライバーに愛されてきた。その活躍は国内にとどまらず、BTCC(*1)やETCC(*2)でも日本車勢として活躍を見せている。そしてフィールドでの活躍に留まらず、土屋圭一をはじめ織戸学、谷口信輝といった名だたるドライバーたちも若かりし頃にAE86に乗っていたと証言。現在もAE86を所有する土屋氏は「ドリフトを極められたのはAE86のおかげ」と言い、車体剛性とレスポンスの良さを高く評価しているようだ。このように、ドライバーのキャリアのキッカケとしてもこの車の存在は大きく、モータースポーツのフィールド内外問わず大きな功績を残している稀有な例と言えるであろう。
AE86は単純な構造をしたいわば「古典的なFR」である。それゆえにFRの教科書、モータースポーツの教科書とも言える。旧態依然とした構造は決して高性能とは言えなかったものの、多くの走り屋に愛された理由は何より「意のままに操れる愉しさ」が存在したマシンであったからに他ならない。走る喜びを多くの人に提供し、そしてそこからステップアップしていったドライバーも数知れず。走ることの基本が詰まった今や伝説的なマシン、それがAE86という車である。
AE86が宿した「走る喜び」、それゆえに愛されたハチロク。そんなハチロクのように走る喜びを体感し、そして愛されて欲しいという願いを込め、トヨタはスバルと共同で一台のFRスポーツカーを送り出した。スポーツカー氷河期とも言える現代、時代という荒波に負けることなく愛されるその車の名前は「86」。数多の走り屋たちを育てた伝説的FRスポーツは、その名前を現代に引き継ぎ今なお、走りの本質を問いかけ続けるのである。
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