車種名 | HX1 |
画像募集中 | |
クラス | C2 |
最高出力 | 280ps |
車体重量 | 1350kg |
パワーウェイトレシオ | 4.8 |
吸気形式 | NA |
駆動方式 | MR |
入手金額 | |
0-100km/h加速 | xx sec. |
最高速度 | xx km/h |
メモ | そのポテンシャルは、世界最高峰。 Our dreams come true |
記事は編集中です。
概要
元ネタ解説
ホンダ・NSX 標準モデル(NA1)
1980年代後半、バブル景気に沸く日本で、1台のスポーツカーが鮮烈なデビューを果たした。市販車として珍しいミッドシップレイアウトやオールアルミモノコックのボディ、800万円という当時のスポーツカーとしては桁外れな価格設定。全てが規格外とすら言えるこのマシンは、ホンダが送り出した全く新しい系譜のスポーツカー。「New Sportscar」の頭文字と未知数を表す「X」を融合させ「NSX」と名付けられた。
デビューから遡ること数年、ホンダは得意とする前輪駆動以外の駆動方式の車両を開発することに決定。世界に通用するハイパフォーマンスマシンを目指して、革新的なテクノロジーを盛り込んだスポーツカーの開発がスタートした。駆動方式はミッドシップ、当時ホンダがF1に参戦していたことの応用であるとされている。この開発にあたってはランチア・ラリーやフェラーリ・328といった高級スポーツカーをベンチマークとし、それらを凌駕する性能を目標としていた。また、テスト段階から中嶋悟やA.セナといった当時のホンダのF1ドライバーの協力を仰ぎ、ニュルブルクリンクに8ヶ月間も篭ってサーキットテストを実施するといった気合の入りよう。こうして生み出されたNSXは、当時の高級スポーツカーにはない特色がふんだんに盛り込まれていた。
外観上の特徴としては、長いオーバーハングが挙げられる。一般にオーバーハングが長いと重心の関係上軽快さが損なわれるというが、その分空力性能を向上させることができ、特に高速時の安定性は増加する。また、マフラーとエンジンルームの距離を取ることが可能となり、補器類を熱源から遠ざけることでエンジンコンディションの維持にも役立つ。さらにリヤにトランクスペースも確保でき、ゴルフバッグやタイヤを搭載できるという実用性の確保につながった。また、F-16戦闘機のキャノピーに着想を得たというフロントガラスは視界が良好であり、運転席からの視界は実に311.8度を実現。もちろんエアコンやオーディオといった快適装備も充実させた。これらの思想は当時のハイパフォーマンスカーにありがちであった「車中心」、つまり性能を重視するが快適装備や安定性などが省かれドライバーには負担を強いてしまう設計思想とは真逆の「ドライバー中心」のものとして、後年のマクラーレンF1などに影響を与えたとされる。
もちろん、快適なだけでパフォーマンスを犠牲にしたマシンでないことは周知の通り。NSXはこれほどまでにドライバーに寄り添う車でありながら、戦闘力は一級品であった。搭載されたエンジンは3LのV6DOHC自然吸気エンジン、C30A。もちろんVTEC搭載で280馬力を実現した。また、アルミモノコックの採用によって標準モデルでも車体重量は1350kgと、決して重すぎるということはない。スパルタンモデルの「Type-R」では快適装備を省いた代わり、1230kgと当時のこのクラスのスポーツカーとしては異次元の軽量さを誇り、世界に通用するハイパフォーマンスカーとしての地位を確固たるものとしている。
発売時期が好景気に沸いたことにより、このNSXには受注が殺到。納車まで最大3年待ちという大人気ぶりとなった…が、バブル景気の崩壊によりキャンセルが続出。結局のところは91年をピークに生産台数は落ち込み、途中からは完全受注生産体制を取ったこともありモデル末期には月産10台程度にまで低下していたという。その一方で車自体の人気は非常に高く、中古市場ではType-Rグレードを中心として高止まりと言える状況が続いている。また、ホンダは現在も「NSXリフレッシュプラン」を継続しており、希望するユーザーに新車時の質感を復活させるレストアプロジェクトを実施している。これらは新車、中古車に関わらず、さらにある程度の改造車であってもプログラムの実施が可能となっているようだ。この背景にはアルミボディの耐久性の高さや、そもそも流通する個体数が少ないことも影響しているという。
ホンダが心血注いで作り上げた傑作スーパーカー、NSXはモータースポーツでも大活躍している。特に有名なのはル・マン24時間レースとJGTCでの活躍だろう。ル・マンでは1994年から96年にかけて参戦。特に95年は高橋国光、土屋圭一、飯田章ら国光レーシングがGT2クラスでクラス優勝を飾っている。またJGTCではカストロール無限NSXとして2000年にシリーズ優勝。ドライバーの道上龍はシーズン通して一度も表彰台の頂点に登ることこそなかったが、リタイアすることなく入賞圏内を走り続けてポイントを獲得。終始安定した走りを見せ、追い縋るGT-Rやスープラを振り切り見事シーズンを制覇した。
デビューから遡ること数年、ホンダは得意とする前輪駆動以外の駆動方式の車両を開発することに決定。世界に通用するハイパフォーマンスマシンを目指して、革新的なテクノロジーを盛り込んだスポーツカーの開発がスタートした。駆動方式はミッドシップ、当時ホンダがF1に参戦していたことの応用であるとされている。この開発にあたってはランチア・ラリーやフェラーリ・328といった高級スポーツカーをベンチマークとし、それらを凌駕する性能を目標としていた。また、テスト段階から中嶋悟やA.セナといった当時のホンダのF1ドライバーの協力を仰ぎ、ニュルブルクリンクに8ヶ月間も篭ってサーキットテストを実施するといった気合の入りよう。こうして生み出されたNSXは、当時の高級スポーツカーにはない特色がふんだんに盛り込まれていた。
外観上の特徴としては、長いオーバーハングが挙げられる。一般にオーバーハングが長いと重心の関係上軽快さが損なわれるというが、その分空力性能を向上させることができ、特に高速時の安定性は増加する。また、マフラーとエンジンルームの距離を取ることが可能となり、補器類を熱源から遠ざけることでエンジンコンディションの維持にも役立つ。さらにリヤにトランクスペースも確保でき、ゴルフバッグやタイヤを搭載できるという実用性の確保につながった。また、F-16戦闘機のキャノピーに着想を得たというフロントガラスは視界が良好であり、運転席からの視界は実に311.8度を実現。もちろんエアコンやオーディオといった快適装備も充実させた。これらの思想は当時のハイパフォーマンスカーにありがちであった「車中心」、つまり性能を重視するが快適装備や安定性などが省かれドライバーには負担を強いてしまう設計思想とは真逆の「ドライバー中心」のものとして、後年のマクラーレンF1などに影響を与えたとされる。
もちろん、快適なだけでパフォーマンスを犠牲にしたマシンでないことは周知の通り。NSXはこれほどまでにドライバーに寄り添う車でありながら、戦闘力は一級品であった。搭載されたエンジンは3LのV6DOHC自然吸気エンジン、C30A。もちろんVTEC搭載で280馬力を実現した。また、アルミモノコックの採用によって標準モデルでも車体重量は1350kgと、決して重すぎるということはない。スパルタンモデルの「Type-R」では快適装備を省いた代わり、1230kgと当時のこのクラスのスポーツカーとしては異次元の軽量さを誇り、世界に通用するハイパフォーマンスカーとしての地位を確固たるものとしている。
発売時期が好景気に沸いたことにより、このNSXには受注が殺到。納車まで最大3年待ちという大人気ぶりとなった…が、バブル景気の崩壊によりキャンセルが続出。結局のところは91年をピークに生産台数は落ち込み、途中からは完全受注生産体制を取ったこともありモデル末期には月産10台程度にまで低下していたという。その一方で車自体の人気は非常に高く、中古市場ではType-Rグレードを中心として高止まりと言える状況が続いている。また、ホンダは現在も「NSXリフレッシュプラン」を継続しており、希望するユーザーに新車時の質感を復活させるレストアプロジェクトを実施している。これらは新車、中古車に関わらず、さらにある程度の改造車であってもプログラムの実施が可能となっているようだ。この背景にはアルミボディの耐久性の高さや、そもそも流通する個体数が少ないことも影響しているという。
ホンダが心血注いで作り上げた傑作スーパーカー、NSXはモータースポーツでも大活躍している。特に有名なのはル・マン24時間レースとJGTCでの活躍だろう。ル・マンでは1994年から96年にかけて参戦。特に95年は高橋国光、土屋圭一、飯田章ら国光レーシングがGT2クラスでクラス優勝を飾っている。またJGTCではカストロール無限NSXとして2000年にシリーズ優勝。ドライバーの道上龍はシーズン通して一度も表彰台の頂点に登ることこそなかったが、リタイアすることなく入賞圏内を走り続けてポイントを獲得。終始安定した走りを見せ、追い縋るGT-Rやスープラを振り切り見事シーズンを制覇した。
妥協なきスポーツ、NSX。ホンダの挑戦の一つの答えとして生み出されたこのスーパースポーツは、現在も世界中の車好きを魅了してやまない、日本の誇る名車であることは疑いようもない。