《START UP : TERMINATION PROTOCOL》
眼球に埋め込まれた視覚デバイスに赤い文字が躍る。その意味を理解し、識別番号S-10N は動きを止めた。
どこかも分からない路地裏。死体が転がっていても誰も気にしないような場所。「管理者」が提示したルートは「ゴミ処理」に最適なルート。
ただ終わる時を待つ。そして何の感慨もないまま、S-10Nという人間型の道具はあっさりと機能を停止した。
どこかも分からない路地裏。死体が転がっていても誰も気にしないような場所。「管理者」が提示したルートは「ゴミ処理」に最適なルート。
ただ終わる時を待つ。そして何の感慨もないまま、S-10Nという人間型の道具はあっさりと機能を停止した。
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「初めまして、死の迷い子よ」
目が覚めた時、すぐそばにいたのは明るい茶色の髪を端正に撫でつけた男だった。
視界を覆うはずのAR ログは消失し、管理AIからの指示もない。脳幹を焼かれたはずの衝撃が残る中、S-10Nの思考回路は瞬時に答えを弾き出す。
視界を覆うはずの
管理者、標的、敵。いずれのデータとも不一致。未定義の個体を確認。生存の脅威と判断——排除を開始
S-10Nは無言のまま跳ねるように床を蹴った。義体化された肉体が持つ異常な瞬発力を存分に受け、手指は喉笛を正確に切り裂く鋭いナイフと化して男の頸部に迫る。
男──老騎士、ベルフリート・フォン・アーデシュミットは、眉ひとつ動かさなかった。
彼にとって、眼前の「迷い子」が放つ殺気は、かつて戦場で対峙した数多の猛者たちのそれとは異質に感じられた。それは憎悪や闘志ではなく、ただひたすらに無機質な「機能の遂行」であったからだ。
男──老騎士、ベルフリート・フォン・アーデシュミットは、眉ひとつ動かさなかった。
彼にとって、眼前の「迷い子」が放つ殺気は、かつて戦場で対峙した数多の猛者たちのそれとは異質に感じられた。それは憎悪や闘志ではなく、ただひたすらに無機質な「機能の遂行」であったからだ。
「……随分と、急いた挨拶だな」
S-10Nの放った鋭利な一撃が、老人の首筋を裂く直前。ベルフリートは椅子から立ち上がることさえしなかった。
「ふむ」
膝の上の二本の剣。そのうちの一本を、鞘に収めたまま、ごく自然な動作で垂直に立てる。
カンッ、と。硬質な音が響き、S-10Nの指先が鞘に弾かれた。速度はS-10Nが勝っていたが、ベルフリートの動きには一切の無駄がなく、最短ルートを完全に先読みしていた。
カンッ、と。硬質な音が響き、S-10Nの指先が鞘に弾かれた。速度はS-10Nが勝っていたが、ベルフリートの動きには一切の無駄がなく、最短ルートを完全に先読みしていた。
「失敗。修正」
空中で体勢を立て直しすぐさま二撃目を繰り出す。今度は視界の死角を突く回し蹴り。しかしベルフリートはもう一方の剣の柄で、S-10Nの膝の急所を軽く叩いた。
「——ぐっ」
力が抜け、S-10Nは再び石床に膝をつく。計算ではこの老人はすでに三度は死んでいるはずだった。しかし目の前の男は牡鹿が静かに森を見渡すような眼差しで、闖入者 を見つめているだけだ。
「落ち着きなさい、若き魂よ。ここには貴公を害する者はいない」
「……管理者、ではない」
「……管理者、ではない」
S-10Nは掠れた声で呟く。感情の欠落した瞳が、ベルフリートを走査するように見つめた。
「標的、でもない。……何者だ」
エラーを吐き続ける思考回路が、目の前の男を再定義しようと試みる。「敵」でも「標的」でもなく、自分を「管理」しようともしない存在。生まれて──否、死んで初めて出会う、「それ以外の誰か」。
彼は名前を問うことも、自身とは装いも時代も異なる外見を訝しむこともしない。ただ、暖炉で爆ぜる薪の音だけが、沈黙を埋めていた。
彼は名前を問うことも、自身とは装いも時代も異なる外見を訝しむこともしない。ただ、暖炉で爆ぜる薪の音だけが、沈黙を埋めていた。
「驚くのも無理はない。貴公が最後に視た景色がどのようなものであれ、そこはもうここではない。……ここは、天命を待つ者が集う場所だ」
S-10Nは無言で立ち上がり、周囲を見渡した。
西日の差し込む穏やかな部屋。ハーブの香り。自身が朽ちた「路地裏のゴミ山」とは対極にある清潔な静寂。
西日の差し込む穏やかな部屋。ハーブの香り。自身が朽ちた「路地裏のゴミ山」とは対極にある清潔な静寂。
「状況、理解不能。命令系統、オフライン。……お前は、管理者か?」
「管理者? いや、私はただの門番……あるいは、先に来ただけの住人だ。名をベルフリート・フォン・アーデシュミット。好きに呼ぶがいい」
「管理者? いや、私はただの門番……あるいは、先に来ただけの住人だ。名をベルフリート・フォン・アーデシュミット。好きに呼ぶがいい」
老騎士は、かつて戦場で若き騎士たちに説いた時と同じ、静かだが芯のある声で語り始めた。
「貴公のその手……今はまだ震えているようだが、それは肉体の名残ではない。ここでの戦いは、生前とは理が異なる。己を殺した理不尽、己を終わらせた絶望。それらそのものが、ここでは貴公の武器となる」
「状況、理解不能。データリンク、機能停止」
「状況、理解不能。データリンク、機能停止」
状況を掴めずにいるS-10Nに、ベルフリートは直接的に告げる。
「貴公は死んだ。ここは死後の世界だ。生前の繋がりはもう残っていない」
言葉に、記憶が蘇る。暗殺任務に失敗し、システムをシャットダウンされたのはついさっきのことだった。シャットダウン──それが「死」と呼ばれることはアーカイブに記録されている。そこでようやくS-10Nは自身のシャットダウンという名の「死」を完全に理解した。
「シャットダウン確認……確認……」
しかしS-10Nの脳は現実を認識できていなかった。シャットダウン──死という事実は道具にとっても絶対的であるからこそ、なおのこと「それ」を経験した自分が、もう一度形を持っているという事実同士のパラドックスに、思考回路がエラーを吐き出す。
それを察したベルフリートは助け舟を出した。
それを察したベルフリートは助け舟を出した。
「正常な認識ができるようになるまでは、貴公はどこか別の場所で生きていると思えばいい」
彼は手にした二本の剣を示した。
「私はかつて、王のためにその角を振るった。だが今は、ここへ迷い込んだ者たちが『次』へ進むための盾としてここにいる。貴公もまた、何かに追い詰められ、戦うことしか知らずにここへ来たのだろう?」
S-10Nは言葉を返さない。しかしその脳内で延々と続くエラーの点滅がわずかに速度を落とした。
「急ぐことはない。ここは私の『領地 』。主の許しがあるまで、安らぎが許された家だ。もし外の喧騒へ戻り、再び生を掴み取ろうというのなら……その時は、私が手助けをしよう。一人の『戦士』としての戦い方をな。「少女」よ」
初めて向けられた「敵意のない視線」に、S-10Nという人間の女の思考は一時的なフリーズを起こした。
「保護」という概念を知らない少女と、それを生涯の誉れとした老騎士。ベルフリートの静かな、だが重みのある言葉が、S-10Nの電脳に残るノイズを凪がせていた。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
「保護」という概念を知らない少女と、それを生涯の誉れとした老騎士。ベルフリートの静かな、だが重みのある言葉が、S-10Nの電脳に残るノイズを凪がせていた。
しかし、その静寂は長くは続かなかった。
「おじい様! 今、何か大きな音がしませんでした……? あら」
部屋の扉が開かれ、三人の影が滑り込んできた。先頭に立つのは、エプロン姿に桃色の頬をした少女、ミーナ。その後ろから、岩のような体躯を持つ男ガリアスと、丸眼鏡を指で押し上げる知的な風貌の男アーサーが続く。
S-10Nの網膜に、瞬時に赤い警告アラートが走る。
S-10Nの網膜に、瞬時に赤い警告アラートが走る。
未確認オブジェクト、計3。総数4。戦力差、圧倒的劣勢
管理者の命令も、帰るべき帰還地点もない。だが、生存本能 は彼女に最善の選択を強いる。S-10Nは一瞬で思考を加速させ、最短距離にいる「最も脆弱な個体」――ミーナを標的に定めた。彼女を人質に取り、この包囲網を突破する。
彼女の指先が無意識に領域の武器を形成しようと微かに動いた、その時。
彼女の指先が無意識に領域の武器を形成しようと微かに動いた、その時。
「……よせ、小娘」
地を這うような、低い声。
ガリアスの鋭い眼光が、S-10Nの視線を真っ向から射抜いた。それは物理的な衝撃に近い威圧感だった。何百という戦場を潜り抜け、死の淵で殿を務めた男の「眼」だ。動けばその瞬間に首が飛ぶ。彼女の演算装置が、ガリアスの戦闘能力を「計測不能-ベルフリートと同格」と再定義する。
正面にベルフリート、側面にガリアス。勝率、0.00%。
ガリアスの鋭い眼光が、S-10Nの視線を真っ向から射抜いた。それは物理的な衝撃に近い威圧感だった。何百という戦場を潜り抜け、死の淵で殿を務めた男の「眼」だ。動けばその瞬間に首が飛ぶ。彼女の演算装置が、ガリアスの戦闘能力を「計測不能-ベルフリートと同格」と再定義する。
正面にベルフリート、側面にガリアス。勝率、0.00%。
「……戦闘続行、不能。……投降する」
S-10Nは指先の力を抜き、無機質な瞳で床を見つめた。抵抗の意思がないことを示す、最も効率的な判断。彼女にとって、それは敗北ではなく「停止」に過ぎない。
「まあ! 投降だなんて物騒なこと言わないで!」
緊迫した空気を、ミーナの明るい声が塗り替えた。彼女はガリアスの威圧感などどこ吹く風で、S-10Nのすぐ目の前まで駆け寄る。
「おじい様、この子……とっても綺麗な顔をしてるけど、なんだか幽霊みたいに真っ白。どこから来たの? お腹は空いてない?」
S-10Nが反応を返す前に、ミーナの温かな両手が、彼女の白く冷気を帯びた手を包み込んだ。
「嬉しい! ここに来てから男の人ばっかりだったから……初めて、私と同じくらいの女の子と出会えたわ!」
S-10Nの思考回路が、激しいバグを起こした。ミーナの手は、彼女の強化された筋力をもってすれば、赤子の手をひねるように振り払えるほどに非力だ。物理的な拘束力など皆無に等しい。だというのに、その「熱」が、ナノマシンに侵された彼女の指先を微かに震わせる。
(……不明なデータを受信。解析、不能。この個体には、攻撃意図も、管理意志も、観測されない。なのに……なぜ、振り払えない?)
彼女が困惑にフリーズしている様を、後ろからアーサーが食い入るように見つめていた。
「驚いたな……。彼女の瞳、あれは義体……いえ、もっと進んだ光学的デバイスでしょうか。ミーナ、あまり触りすぎて彼女を壊さないでくださいよ? これは歴史的に見ても、いや、死後の世界の構造学においても極めて稀少な……」
「アーサーさん、静かにして! 今この子はびっくりしてるんだから」
ミーナに窘められ、アーサーは「失礼、好奇心が抑えきれなくて」と楽しげに肩をすくめる。
暖炉の火に照らされた、12世紀の近衛騎士 、古代の傭兵 、近代の学者 、そして19世紀の村娘 。その中心で、未来から来た暗殺者 は、初めて向けられた「ただの好意」という名の熱に、システムの不具合ではない奇妙な感覚を覚え続けていた。
ベルフリートは傍らで愛剣を撫でながら満足そうに目を細めた。
暖炉の火に照らされた、
ベルフリートは傍らで愛剣を撫でながら満足そうに目を細めた。
「ようこそ、若き魂よ。……今夜の茶会は、少し騒がしくなりそうだな」
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