Previous→デッドマンズ:エンカウント
石造りの壁に掛かった二本の剣が、暖炉の爆ぜる火を照り返している。テーブルの上には、ミーナが淹れたばかりの湯気を立てるハーブティーと、アーサーがどこからか調達してきた古いビスケットが並んでいた。
数時間の沈黙を経て、S-10Nは、円卓の端に座らされていた。彼女の網膜には、依然として「外部接続:未検出」「管理者:不明」のログが淡いノイズと共に明滅し続けている。
数時間の沈黙を経て、S-10Nは、円卓の端に座らされていた。彼女の網膜には、依然として「外部接続:未検出」「管理者:不明」のログが淡いノイズと共に明滅し続けている。
「改めて、自己紹介をしよう。私はベルフリート。かつてこの地にあった王宮を守っていた。……ここの主であり、貴公と同じ、既に終わった身だ」
ベルフリートが穏やかに口火を切ると、隣で茶杯を弄んでいたアーサーが身を乗り出した。
「私はアーサー。1920年代のロンドンから来ました。専門は考古学ですが、今はここの『死後の法則』を編纂することに命を……おっと、魂を懸けています」
「俺はガリアス。見ての通り、剣で食ってきた男だ。……あまり喋るのは得意じゃない」
「私はミーナ! 東の方の小さな村から来たの。ここでの食事と掃除は私の担当。よろしくね!」
「俺はガリアス。見ての通り、剣で食ってきた男だ。……あまり喋るのは得意じゃない」
「私はミーナ! 東の方の小さな村から来たの。ここでの食事と掃除は私の担当。よろしくね!」
ミーナが眩しいほどの笑みを向ける。しかし、S-10Nの瞳は合焦 を繰り返すだけで、表情に変化はない。ベルフリートが促すように頷いた。
「さて、貴公の名を聞かせてもらおうか」
わずかな沈黙の後、合成音声に近い平坦な声が響いた。
「識別番号:S ー10N 。……現時刻を以て、本個体の呼称として登録を推奨する」
「……エス、ワン?」
「……エス、ワン?」
ミーナが不可解そうに首を傾げた。
「それ、お名前なの? 数字じゃなくて、もっとこう……ミーナ、みたいに可愛らしい響きはないの?」
ミーナの純粋な疑問に対し、ベルフリートとガリアスの眉が微かに動いた。戦士として、あるいは騎士として「番号」で呼ばれる存在が何を意味するか――それを、彼らは本能的に察知していた。アーサーは眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせ、手元の手帳に何かを書き留めている。
「……番号か。貴公がいた場所の過酷さが知れるな」
ベルフリートは重く呟き、S-10Nの正面を見据えた。
「S-10Nよ。まずはこの場所の理を伝えねばなるまい。ここは、死した魂が蘇りを賭けて争う戦場だ。戦いに勝ち残れば、再び生を得る道も開けるだろう。あるいは戦いを放棄し天命に従って次の生へと輪廻を委ねることもできる。……だが、私はそのどちらも選ばず、この領域を『安息地 』として開放した」
ベルフリートは傍らの三人を示した。
「彼らは皆、私の意志に賛同し、ここで出会ったかけがえのない仲間だ」
その言葉に、ミーナは照れくさそうに頬を緩ませ、ガリアスは鼻を鳴らして視線を逸らし、アーサーは満足げに頷いた。
しかし、S-10Nは動かない。返答もしない。彼女はただ、次の「入力」を待つ機械のように沈黙を維持していた。アーサーがその様子を観察し、合点がいったように指を鳴らした。
しかし、S-10Nは動かない。返答もしない。彼女はただ、次の「入力」を待つ機械のように沈黙を維持していた。アーサーがその様子を観察し、合点がいったように指を鳴らした。
「なるほど。ベルフリートさん、彼女には『指示系統』が欠落しているようです。何者からも命令が下されない状況下では、彼女は情報の出力を抑制するように設計されている。……暫定的に、あなたが彼女の『管理者』を名乗ってみてはいかがです?」
「管理者、か。不本意な肩書きだが……彼女が語りやすくなるというのなら」
ベルフリートは姿勢を正し、低い声で告げた。
「S-10N。これより、私が貴公の『暫定管理者』となる。……貴公のこれまでの経歴を報告せよ」
その単語がトリガーとなった。S-10Nの焦点がベルフリートに固定され、瞬きひとつせずに報告が開始される。
「命令受諾。経歴報告を開始する。
……本個体は、生後288時間で企業により一括購入。ナノマシン定着適性試験を通過後、暗殺技能習得プログラムに投入。6歳にて初期教育を完了し、実戦配備。10歳以前より暗殺業務に従事。
……累積執行済み抹殺指令:37件。
……38件目の指令遂行中、外部からの物理干渉により任務失敗。機密保持プロトコルに基づき、管理ナノマシンによる脳機能の強制停止 を実行。生存信号、消失。以上」
……本個体は、生後288時間で企業により一括購入。ナノマシン定着適性試験を通過後、暗殺技能習得プログラムに投入。6歳にて初期教育を完了し、実戦配備。10歳以前より暗殺業務に従事。
……累積執行済み抹殺指令:37件。
……38件目の指令遂行中、外部からの物理干渉により任務失敗。機密保持プロトコルに基づき、管理ナノマシンによる
淡々と語られた内容は、あまりにも凄惨で、あまりにも血の気が引くものだった。
ミーナの顔から血の気が失せ、持っていた茶杯がカタカタと震える。ガリアスは拳を固く握りしめ、暖炉の火を見つめたまま動かない。アーサーですら、ペンを動かす手を止め、痛ましいものを見る目で彼女を見つめていた。
報告を終えたS-10Nは、再び無機質な待機状態へと戻った。彼女にとっては、37人の命を奪ったことも、自分自身がシステムとして廃棄されたことも、ただの履歴 に過ぎない。
報告を終えたS-10Nは、再び無機質な待機状態へと戻った。彼女にとっては、37人の命を奪ったことも、自分自身がシステムとして廃棄されたことも、ただの
「……37人、か。それを一人で……」
ガリアスが絞り出すような声で言った。
ベルフリートは深く溜息をつき、膝の上に手を置いた。12世紀の騎士道においても、未来の企業論理においても、この少女が背負わされた荷の重さは変わらない。
ベルフリートは深く溜息をつき、膝の上に手を置いた。12世紀の騎士道においても、未来の企業論理においても、この少女が背負わされた荷の重さは変わらない。
「報告を感謝する、S-10N。……だが、ここではもう、抹殺指令が下ることはない。これより貴公に課される任務は、ただ一つ。……『休息』だ」
その言葉に、S-10Nは首を僅かに傾げた。彼女のデータベースには、任務としての「休息」という定義は存在しなかった。
暖炉の薪が爆ぜ、爆ぜた火の粉が石床に落ちて消える。沈黙が降りた食堂で、ガリアスが低く、地鳴りのような溜息を漏らした。彼は巨大な掌で自身の顔を覆い、指の隙間から、無機質な硝子玉のような瞳を持つS-10Nを見つめた。
暖炉の薪が爆ぜ、爆ぜた火の粉が石床に落ちて消える。沈黙が降りた食堂で、ガリアスが低く、地鳴りのような溜息を漏らした。彼は巨大な掌で自身の顔を覆い、指の隙間から、無機質な硝子玉のような瞳を持つS-10Nを見つめた。
「……身売り同然に武器を握らされ、泥の中で人を殺して回る。経歴だけを見れば、俺とお前は似たようなものだ。だが俺には信念のために盾となって散った「誇り」がある。お前には、それすらないのか」
ガリアスの言葉には、鉄錆と血の匂いが混じったような、重苦しい共感が宿っていた。しかし、彼は自嘲気味に首を振る。彼には「人」としての最期があったからだ。対して、眼前の少女が語ったのは、部品が摩耗して捨てられただけのような、あまりにも寒々しい機能停止の記録だった。ガリアスの眼差しには、隠しきれない憐憫が混じる。
だが、S-10Nの網膜ディスプレイには
だが、S-10Nの網膜ディスプレイには
対象:ガリアス。視線パターン解析……定義不能。敵対意思の減退を確認
という無機質なログが流れるのみだった。「憐憫」という概念も、それを向ける「心」の仕組みも、彼女のOSにはインストールされていない。
「……定義不明。ガリアス個体の発言意図を測りかねる。再説明を要求するか?」
端的な問いに対し、ガリアスは答えられず、ただ唇を噛んだ。その時、横からミーナが再び、躊躇いなくS-10Nの両手を包み込んだ。
「難しいことは分からないわ。……でも、今のを聴いて、あなたがとっても酷い目に遭ったことだけは分かったの。だって、そんなの……そんなの、悲しすぎるもの」
ミーナが握る力は、数値上はS-10Nの握力の数百分の一にも満たない。しかし、S-10Nの内部演算装置 には、原因不明の警告が点滅し続けていた。
警告:非力な物理接触による、バイタルデータの微増を確認。原因……不明
ミーナの瞳は潤み、真剣そのものの熱を帯びてS-10Nを射抜く。
「私に……私に何か、してあげられることはない? あなたのために、できること」
問いかけに対し、S-10Nは「不明」という回答を返そうとした。しかし、その様子を観察していたアーサーが、ペンを走らせる手を止めて口を開いた。
「ベルフリート様。一つ、実験……いえ、提案を。ミーナさんとS-10N様を、今夜から同じ部屋で過ごさせてはいかがでしょう?」
「アーサー、貴様!」
「アーサー、貴様!」
ガリアスが椅子を蹴らんばかりに立ち上がった。
「さっきの狼藉を忘れたのか! こいつはミーナを人質に狙ったんだぞ。ミーナは戦えない。お前のような男が殺されるなら自業自得だが、ミーナを危険に晒すなど、断じて許さん!」
「おや、心外ですね。私は命が惜しいですよ」
「おや、心外ですね。私は命が惜しいですよ」
アーサーは眼鏡を光らせ、不敵に微笑んだ。
「ですが、彼女を動かしているのは『心』ではなく『命令』です。命令が絶対であるならば、『殺すな』と言われれば彼女は絶対に殺さない。髪の毛一本すらも切れないはずだ。そうでしょ、S-10N様?」
ガリアスは反論しようと口を開き、そのまま言葉に窮した。ベルフリートの「暫定管理者」としての絶対性を、S-10Nが認めていることは先ほどの報告で明らかだったからだ。
「私も賛成だわ!」
ミーナが顔を上げ、弾んだ声を出した。
「私、あなたとお友達になりたいの。色んなことをお話ししたいわ」
「お前……はぁ」
「お前……はぁ」
決定権を持つベルフリートは、一同の顔をゆっくりと見渡した。彼は暫定管理者としての威厳を纏い、S-10Nへ明確なコードを打ち込むように告げた。
「……よろしい。S-10N、命令だ。
1つ、貴公はこれよりミーナと共に過ごせ。
2つ、決して、いかなる理由があろうとも彼女を傷付けてはならない。
3つ、そして彼女と『会話』を行い、情報の同期を図れ。
4つ、ミーナが睡眠状態に入ったら、貴公も休止せよ。良いか?」
「受諾。ミッション・パラメータを更新……対象:ミーナ。非殺傷対象として登録」
1つ、貴公はこれよりミーナと共に過ごせ。
2つ、決して、いかなる理由があろうとも彼女を傷付けてはならない。
3つ、そして彼女と『会話』を行い、情報の同期を図れ。
4つ、ミーナが睡眠状態に入ったら、貴公も休止せよ。良いか?」
「受諾。ミッション・パラメータを更新……対象:ミーナ。非殺傷対象として登録」
S-10Nの回答は、呼吸音ひとつ混じらない機械的なものだった。だが、それを聞いたミーナは「やったぁ! よろしくね!」と、弾けるような笑顔を見せる。
ガリアスはやりきれない様子で深く大きな溜息を吐き出し、アーサーは「素晴らしいサンプルだ……」と独り言ちながら、愉快そうに手帳を閉じた。
ガリアスはやりきれない様子で深く大きな溜息を吐き出し、アーサーは「素晴らしいサンプルだ……」と独り言ちながら、愉快そうに手帳を閉じた。
「……うむ。では、今夜の茶会はこれにて終いだ。各々、明日の天命に備えて休むがよい」
領域の主であるベルフリートが立ち上がり、閉会を告げた。12世紀の古き邸宅に、夜の帳が静かに下りていく。
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ベルフリートが解いた夜の静寂を縫うように、ミーナは弾んだ足取りで廊下を進み、その背後を黒い影が追う。S-10Nの装いは、この12世紀の石造りの邸宅において異様なまでの違和感を放っていた。肌に密着した高機能繊維のコンバットスーツ、そしてその上に羽織った、痩身の体躯には不釣り合いなほど巨大なタクティカルジャケット。武器のシルエットを隠匿するためのその重厚な衣類は、彼女を「生身の人間」から遠ざけ、どこか出来の悪い武装機械の残骸のように見せている。
「さあ、ここが私のお部屋よ! ちょっと狭いけど、おじい様が特別に用意してくれたの」
案内された寝室の扉が開いた瞬間、S-10Nの視界には膨大な視覚情報が流れ込んだ。
照度:低(蝋燭による)スキャン開始……
対象:木製家具、麻のカーテン、乾燥させた植物(花)。脅威判定:無
脱出経路:窓1、扉1。構造的脆弱性:皆無
壁には色とりどりのドライフラワーが飾られ、手縫いの刺繍が施されたクッションが並ぶ。ミーナが自慢げに広げて見せるその「温かさ」は、S-10Nのプロセッサにおいては単なる「可燃物の配置データ」として処理された。彼女は微動だにせず、ただ部屋の中央で直立し、戦闘発生時のキルゾーンを無機質にシミュレートし続けていた。
「そんなところで固まってないで。まずはその重そうな服、脱いじゃいましょう? 私が予備で持っているパジャマを貸してあげるわ」
ミーナの指示に対し、S-10Nの脳内でベルフリートの命令が反芻される。『ミーナと共に過ごせ』『彼女と情報の同期を図れ』。この指示を遂行するためには、彼女の提示するローカルルールに従うのが最短経路であると論理回路が結論を下した。
「了解。換装シークエンスに移行する」
迷いのない動作で、S-10Nは重いジャケットを脱ぎ捨て、コンバットスーツの密封を解除した。露わになった彼女の背中や四肢には、滑らかな人工皮膚を裂くようにして、鈍色の金属端子や神経接続用のプラグが埋め込まれていた。それは効率のみを追求し、美学を切り捨てた「兵器」のディティールだった。
「……っ」
ミーナが短く息を呑む音が聞こえた。S-10Nは反射的に周囲を警戒したが、ミーナの瞳にあるのは敵意ではなく、言葉にできないほどの強い「痛み」だった。
「それ……痛かったでしょう。こんなにたくさん、体に硬いものを入れられて……」
ミーナは、かつて自分が病の床で経験した、肌があかぎれ、熱に浮かされながら血が滲むような痛みを思い出していた。目の前の少女が背負わされた「造られた苦痛」を、彼女は自分の記憶にある痛みと重ね合わせ、同情という名の熱を瞳に宿す。
「……否定。神経系の感覚遮断により、換装に伴う不快指数は閾値以下。痛覚の定義に合致しない」
感情を解さない端的な回答。だがミーナは首を振り、クローゼットから柔らかな綿のパジャマを取り出した。
「これ、身も心も安らぐのよ」
S-10Nは渡されたそれを身に纏うが、その「有用性」が判別できない。
防御力:皆無。運動パフォーマンス:30%低下。隠匿性:皆無。……「安らぎ」の定義、不明
微笑むミーナの言葉を、彼女はエラーログとして保留した。
「私のお部屋、ベッドが一つしかないの。だから今夜は一緒に寝ましょう」
うきうきと語るミーナに手を引かれ、S-10Nは吸湿性の高いシーツの上に腰掛けた。人工皮膚を通じて伝わるコットンの感触は、彼女にとって「未定義の触覚刺激」でしかなかったが、ミーナはまだ満足していなかった。
「眠る前に、どうしてもしておきたいことがあるの。あなたのお名前を考えたくて」
ミーナは机から、大切に保管していた紙と、古びたペンとインクを用意した。
「あなたの数字は、どう書くの? ええと、ここに書いてちょうだい」
命じられるまま、S-10Nはペンを走らせた。
『S-10N』
機械による刻印のように正確で、一分の狂いもない冷徹なフォント。それを見たミーナは、一瞬の沈黙のあと、「なあんだ!」と弾けるような声を上げた。
『S-10N』
機械による刻印のように正確で、一分の狂いもない冷徹なフォント。それを見たミーナは、一瞬の沈黙のあと、「なあんだ!」と弾けるような声を上げた。
「だったら、もう決まっているじゃない!」
彼女は奪い取るようにペンを持つと、S-10Nの文字のすぐ下に、自分の文字を書き加えた。それは幼く、崩れていて、だが丸っこくて温かい字だった。
『S-I-O-N』
「エス・アイ・オー・エヌ! あなたの名前は『シオン』よ!」
シオン。S-10Nの網膜上で、識別番号のデータが激しく明滅する。
「名称の変更、了解。当時刻より、識別ネーム『シオン』と呼称……」
「そんなそっけないのじゃなくて、『名前』!」
ミーナがいたずらっぽく、だが真剣に詰め寄る。シオンは内部データベースを検索し、ミーナの要求する「情緒的発声」に近い形を模索した。
「……名前:シオン」
「うん! そうそう、それがあなたの名前!」
ミーナが満足げに笑い、紙を胸に抱きしめる。その瞬間、彼女のプロセッサから一つのログが消去された。『識別番号:S-10N』。代わりに、未定義のセクターに新しいコードが書き込まれる。それは企業のデータベースにも、暗殺の履歴にも存在しなかった、世界でたった一つの固有名称。
死して、肉体を捨て、すべての機能を停止させたはずの場所で。
暗殺者「S-10N」は消滅し、一人の人間としての「シオン」が、その産声を上げた。
未来から来た人間兵器と、かつて愛されて死んだ少女。二人の奇妙な共同生活が、ここから始まろうとしていた。
暗殺者「S-10N」は消滅し、一人の人間としての「シオン」が、その産声を上げた。
未来から来た人間兵器と、かつて愛されて死んだ少女。二人の奇妙な共同生活が、ここから始まろうとしていた。
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