―――280年12月下旬
―――北海・政庁
―――北海・政庁
その男は。とことん、影が薄かった。
後ろを歩いていても気づかれない。
政務をしていても気づかれない。
訓練の指導をしている時ですら、兵士達は気にも止めはしない。
後ろを歩いていても気づかれない。
政務をしていても気づかれない。
訓練の指導をしている時ですら、兵士達は気にも止めはしない。
もはや、存在感が薄い、などという言葉では済まされない次元の影の薄さなのである。
それは資質なのか、ある種の能力とでも言うべきなのか。
実際問題としては後者であるのだが、彼がそういった『才能』に恵まれていたのは紛れもない事実であった。
実際問題としては後者であるのだが、彼がそういった『才能』に恵まれていたのは紛れもない事実であった。
「孔融様」
「うお!?…な、なんじゃ王修か。
相変わらず影が薄いのう…」
「うお!?…な、なんじゃ王修か。
相変わらず影が薄いのう…」
己の使えるべき主にそんなことを言われても、彼―――王叔治の表情は揺るがない。
「歓談の中、失礼を承知でお伺いいたします。
この件についてご判断を」
「ふむ?…うむ、金は港の維持にまわせ。
とはいえ、使い道を縛らなければ、無用の金となる。
留意せよ」
「は。仰る通りに」
この件についてご判断を」
「ふむ?…うむ、金は港の維持にまわせ。
とはいえ、使い道を縛らなければ、無用の金となる。
留意せよ」
「は。仰る通りに」
言葉と共に、王修は主に向かって一礼。
かくて、彼の姿は掻き消える。
かくて、彼の姿は掻き消える。
「失礼、少々連絡に時間がかかってしまいました…おや、今、誰かいましたか」
「いや、誰もおらんよ」
「いや、誰もおらんよ」
目の前で会話していてさえ、この有様である。
苦笑しつつ、孔融―――王修の主は、懐に奇怪な形の『連絡用の道具』をしまった、やはり奇妙な格好をした客人の言葉に応じる。
苦笑しつつ、孔融―――王修の主は、懐に奇怪な形の『連絡用の道具』をしまった、やはり奇妙な格好をした客人の言葉に応じる。
「それで、孔融殿。
北海の政庁にいらっしゃるウィザード…王修叔治とは、どなたの方のことでしょうか。
どうやら、我々の組織が連絡を取れたのは、彼らしいのですが」
北海の政庁にいらっしゃるウィザード…王修叔治とは、どなたの方のことでしょうか。
どうやら、我々の組織が連絡を取れたのは、彼らしいのですが」
孔融は、さらに笑みを深くする。
「後ほど紹介しよう。
ところで、魔法使い殿。
秘事は睫とはよく言ったものだと思わんかね?」
「…は?」
ところで、魔法使い殿。
秘事は睫とはよく言ったものだと思わんかね?」
「…は?」
孔融の客。
奇妙な仮面をかぶった男は、何を言われたのかわからず、ほうけたように口を空けた。
奇妙な仮面をかぶった男は、何を言われたのかわからず、ほうけたように口を空けた。
―――280年12月下旬
―――北海・政庁
―――北海・政庁
「聞いたか?
化け物が下ヒに出たって話」
「いや、なんか兵として利用してるとかなんとか」
「俺は、三、四人の女が急に登用されたとか聞いたけどな。
で、化け物どもはその女たちに連れられてきたとか」
「はは、嘘に決まってんだろ」
「だよなあ…でも割と耳にするんだよ」
化け物が下ヒに出たって話」
「いや、なんか兵として利用してるとかなんとか」
「俺は、三、四人の女が急に登用されたとか聞いたけどな。
で、化け物どもはその女たちに連れられてきたとか」
「はは、嘘に決まってんだろ」
「だよなあ…でも割と耳にするんだよ」
他愛もない噂話。
だが、そんな噂話に、王修は背筋を凍らせていた。
だが、そんな噂話に、王修は背筋を凍らせていた。
―――下ヒまでも、か?
『世界は、狙われている』。
そんな言葉を、今更のように王修は思い出していた。
そんな言葉を、今更のように王修は思い出していた。
世界は、別の世界からの侵略を受けている。
王修は、それを幼いころから常識として学ばされていた。
王修は、それを幼いころから常識として学ばされていた。
この世界―――中華の「外」を含めた世界、すなわち「地球」の、さらに外界。
そこには、「地球」の豊富な資源を狙う者達がいるのだという。
「侵魔」と呼ばれる侵略者たちは、地球を覆う結界に侵入し、命を食らうのだという。
そこには、「地球」の豊富な資源を狙う者達がいるのだという。
「侵魔」と呼ばれる侵略者たちは、地球を覆う結界に侵入し、命を食らうのだという。
事実、王修自身も、幾度か侵魔とあい見えたこともある。
たった一度の例外を除いては、ほとんどが力の弱い存在ではあったが、彼は、百を超える侵魔を滅ぼしてきた。
そもそも、青州周辺の「侵魔」の掃討こそが王修の本当の仕事であり、北海太守孔融が部下、膠東侯国令の肩書きのほうが隠れ蓑なのである。
とはいえ、現実は少々異なっている。
世は乱世。孔融は、孔子の子孫だけあって確かに頭は切れるが、形骸的な方策を好み、武に関してはからっきしだ。
王修自身の生真面目さと、孔融の頼りなさが、王修を侵魔の掃討の合間に、政務に走らせる羽目となってしまっているのだった。
たった一度の例外を除いては、ほとんどが力の弱い存在ではあったが、彼は、百を超える侵魔を滅ぼしてきた。
そもそも、青州周辺の「侵魔」の掃討こそが王修の本当の仕事であり、北海太守孔融が部下、膠東侯国令の肩書きのほうが隠れ蓑なのである。
とはいえ、現実は少々異なっている。
世は乱世。孔融は、孔子の子孫だけあって確かに頭は切れるが、形骸的な方策を好み、武に関してはからっきしだ。
王修自身の生真面目さと、孔融の頼りなさが、王修を侵魔の掃討の合間に、政務に走らせる羽目となってしまっているのだった。
話は逸れたが。
とにかく、世界は絶え間ない侵攻に晒されている。
知る者がいようといまいと、それだけは絶対の事実なのである。
とにかく、世界は絶え間ない侵攻に晒されている。
知る者がいようといまいと、それだけは絶対の事実なのである。
そして、その現実を知っているからこそ、王修は嫌な予感が止まらなかった。
各地のウィザード―――侵魔を滅ぼす者達―――と連絡が取れなくなっているという事実。
遠方から来る人々の口の端に上る、「化け物」の単語。
自分が所属するウィザード組織における、上司からの連絡。
各地のウィザード―――侵魔を滅ぼす者達―――と連絡が取れなくなっているという事実。
遠方から来る人々の口の端に上る、「化け物」の単語。
自分が所属するウィザード組織における、上司からの連絡。
それらの情報は、本来大衆に知られるはずのない「侵魔」の侵攻が、表に見える形で急速に進んでいるということを示唆していた。
「…けど、その規模の侵攻だったら、僕にお呼びがかかる前に、他のウィザードに声がかかるか。
それこそ、荊州四英傑とか」
それこそ、荊州四英傑とか」
嫌な予感を打ち消すため、そんな言葉を口にしたが、より悪い予想が、王修の頭の中をよぎる。
あるいは、自分の隣の屋敷に住んでいる「人造人間」も動員されるかもしれない。
そのことを考えると、ちり、と頭の中で音が鳴った気がした。
そのことを考えると、ちり、と頭の中で音が鳴った気がした。
「王修、いいかのう?」
そこでやっと我に返った。
目の前にいたのは、彼の主である孔融だった。
慌てて立ち居振舞いをただす。
目の前にいたのは、彼の主である孔融だった。
慌てて立ち居振舞いをただす。
「は!なんなりと」
「ま、そんな堅くならずともよい。
客人から、お主宛にじゃ」
「ま、そんな堅くならずともよい。
客人から、お主宛にじゃ」
二重の意味で意外な言葉に、王修は戸惑った。
「は…?
そんな、孔融様御自ら私に手渡す必要は」
「それが客人の意向でな。
至急目を通すように、とのことじゃぞ」
そんな、孔融様御自ら私に手渡す必要は」
「それが客人の意向でな。
至急目を通すように、とのことじゃぞ」
言われて、王修は素直に書簡を開く。
そこには、いくつものことが書かれていたが―――特に目を引いたのは、この一文だった。
そこには、いくつものことが書かれていたが―――特に目を引いたのは、この一文だった。
『今からする私のお願いに、はいかYesでお返事してください』
間抜け、とも言える文言である。
体中から緊張感がになくなる。
なんでこんなものを孔融様に運ばせる羽目になったのだろう、と王修は溜息をつく。
だが、その溜息は、書簡の最後の言葉で一瞬にして消え去った。
体中から緊張感がになくなる。
なんでこんなものを孔融様に運ばせる羽目になったのだろう、と王修は溜息をつく。
だが、その溜息は、書簡の最後の言葉で一瞬にして消え去った。
『世界の守護者 アンゼロット』
息が止まる。
疑問が頭を駆け巡る。
疑問が頭を駆け巡る。
自分のような下位のウィザードに、彼女のような存在から声がかかることなどあるはずがない。
だがしかし。
客人のあの仮面は、確かに―――
だがしかし。
客人のあの仮面は、確かに―――
「どちらにせよ、北海は護ってもらうぞ、王修」
―――疑問は、主の声で消え去った。
まるで、見通したような主の言葉。
孔融は、すべてを知っていて、言っているのだろう。
孔融は、すべてを知っていて、言っているのだろう。
そう。どちらにせよ、自分のやるべきことはただひとつ。
主が治め。
民が住み。
民が住み。
そして、自分の愛すべき隣人がいるこの地を護るために。
「は。一命に変えましても」
「は。一命に変えましても」
『忍者』王修叔治は、身命を賭してこの度の戦に臨むことを決意した。
―――280年12月下旬
―――北海周辺
―――北海周辺
空を、見ていた。
落日の空は紅く。
夕暮れ時に、食事の匂いがする。
帰るべき家は「ご主人様」
帰るべき家は遠「ご主人様。お腹、すいた」
「………」
言葉を噤んだ少年の瞳に移っていたのは遠い日の幻か。
それとも美しいあの日々の思い出か。
どちらにせよ。というかどちらでも同じだが。
少年の隣にいる少女は、少年の現実逃避を許さなかった。
それとも美しいあの日々の思い出か。
どちらにせよ。というかどちらでも同じだが。
少年の隣にいる少女は、少年の現実逃避を許さなかった。
「…ご主人様?」
「うん、わかってるんだ、恋。
でも、少しくらい感傷に浸らせてくれても」
「ごはん」
「うん、わかってるんだ、恋。
でも、少しくらい感傷に浸らせてくれても」
「ごはん」
いくら二度目だからって慣れるもんじゃない。
慣れてたまるか。
せっかく皆の食費を稼ぐ算段やら、学園生活やらが軌道に乗ったところだったのに。
翠と鈴々の暴れっぷりやら、星の傍若無人っぷりやらも少し―――ほんの少し、緩やかになったのに。
華琳の我侭にも、愛紗の小言にも我慢してきたはずなのに。
慣れてたまるか。
せっかく皆の食費を稼ぐ算段やら、学園生活やらが軌道に乗ったところだったのに。
翠と鈴々の暴れっぷりやら、星の傍若無人っぷりやらも少し―――ほんの少し、緩やかになったのに。
華琳の我侭にも、愛紗の小言にも我慢してきたはずなのに。
「……畜生―――――――!?」
叫ぶ声に答えるのは。
「………………?」
どうしたの、とでも言いたげな少女の顔。
ああ、わかってる。わかってるんだよ恋。
俺だって今すぐたらふくご飯を食べさせてあげたいさ!
そうさ、あのはふはふごっくんはむはむぱくぱく可愛いぞ畜生!とか心の中で叫びつつ至福の時を謳歌したいさ!!
でもこの状況がこれを許さないんだ!
そもそもお前の悪癖が貧乏の原因だろうが!
恋の食費がどのくらい家計を圧迫しているかわからないあなたじゃないでしょう、一刀!
ああ、わかってる、でもわかってくれ蓮華!思春!
この可愛さの前には家計が赤字だってこともつい忘れて餌付けに走ってしま「ご主人様、危ない」
俺だって今すぐたらふくご飯を食べさせてあげたいさ!
そうさ、あのはふはふごっくんはむはむぱくぱく可愛いぞ畜生!とか心の中で叫びつつ至福の時を謳歌したいさ!!
でもこの状況がこれを許さないんだ!
そもそもお前の悪癖が貧乏の原因だろうが!
恋の食費がどのくらい家計を圧迫しているかわからないあなたじゃないでしょう、一刀!
ああ、わかってる、でもわかってくれ蓮華!思春!
この可愛さの前には家計が赤字だってこともつい忘れて餌付けに走ってしま「ご主人様、危ない」
「…!?」
少女が、少年の前に立つ。
そこで、やっと彼は正気に戻る。
そこで、やっと彼は正気に戻る。
少年を正気に戻したのは、少女の行動も含めた、どこか懐かしい気配。
いや。懐かしいというにはあまりにも、短い期間ではあった。
ほんの数ヶ月。
たった数ヶ月離れていただけの、戦場の気配。
ほんの数ヶ月。
たった数ヶ月離れていただけの、戦場の気配。
かつて、「外史」の世界において散々味わった、あの気配が、場を包んでいた。
「これは…」
「……わからない。でも、危ない」
「……わからない。でも、危ない」
少女は言葉と共に、拳を構える。
彼女に許された武器は己の体のみ。戦場を共に駆け抜けてきた伝説の武具は、今はない。
仕方ないことではあった。
少女と少年は、「この世界」にくる直前に、床を共にしていたのだから。
彼女に許された武器は己の体のみ。戦場を共に駆け抜けてきた伝説の武具は、今はない。
仕方ないことではあった。
少女と少年は、「この世界」にくる直前に、床を共にしていたのだから。
「なんなんだ…何かいるのか、恋」
「…………………………」
「…………………………」
こくり、と頷く少女。
目を走らせれば、気配だけでなく、景色そのものが変化していた。
夕焼け、というにはあまりにも紅い空。
そして、有り得ざる紅い―――紅い、月。
それまでいた、街道はなくなり、荒廃した土地が広がっている。
目を走らせれば、気配だけでなく、景色そのものが変化していた。
夕焼け、というにはあまりにも紅い空。
そして、有り得ざる紅い―――紅い、月。
それまでいた、街道はなくなり、荒廃した土地が広がっている。
少年にとって、生涯二度目となる異世界への訪問。
そして、再び巻き込まれる、戦乱の世界。
そして、再び巻き込まれる、戦乱の世界。
戦の幕明けは、獣の吼声だった。