

奥戸鉄道最後の旧型車両。また同時に最後の気動車でもあった
データ
デビュー:1961年
概要
当時の非電化路線だった溝馬線、坂田支線、谷梨線の川田椿温泉~入太部間の新型として導入。既に登場していた100形と外観が似ているがこちらは特急向けではなく電車でもないため性能はそれなりである。
谷梨線においては翌年に全線開業、さらにその翌年に電化されたため一時期は気動車の43形と電車が同じ路線を走るという光景を見ることができた。その後は谷梨線から撤退。坂田支線と溝馬線で活躍したが坂田支線が電化されるとその翌年に坂田支線からも撤退。
その後はまだ非電化路線であった溝馬線で活躍した。1988年に溝馬線が電化された頃には既に現役の営業車両で唯一の旧型車両・気動車になっていた。最終的に1000形に押される形で1991年に引退した。引退後は、最後まで走り抜けた編成の先頭車が芦水市民会館で保存され、展示されている
谷梨線においては翌年に全線開業、さらにその翌年に電化されたため一時期は気動車の43形と電車が同じ路線を走るという光景を見ることができた。その後は谷梨線から撤退。坂田支線と溝馬線で活躍したが坂田支線が電化されるとその翌年に坂田支線からも撤退。
その後はまだ非電化路線であった溝馬線で活躍した。1988年に溝馬線が電化された頃には既に現役の営業車両で唯一の旧型車両・気動車になっていた。最終的に1000形に押される形で1991年に引退した。引退後は、最後まで走り抜けた編成の先頭車が芦水市民会館で保存され、展示されている