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"こうもり"

目次

編集者より

  • 5月に「メリー・ウィドウ」の対訳を作ったときに、詩人の野上彰(1909-1967)の作った日本語歌詞を見つけて、これは皆さんにもご紹介しなければと浅学の身も顧みず色々調べて野上訳の「メリー・ウィドウ」の片鱗をご覧いただくことができました。
  • 実はこの野上彰、ヨハン・シュトラウスの「こうもり」を訳したものもあって、こちらは今や散逸してしまった「メリー・ウィドウ」と違い、音楽之友社の「世界歌劇全集14(1967)」の楽譜上に野上作の歌詞が載った形で完全に残っているものがあります。ウィーン・フォルクスオパーが初来日した時にこの「こうもり」の公演をTVで見てすっかりハマってしまったまだ貧乏な家の学生だった私は、近所の図書館にあったこの本を借りては何度も眺めつつ音楽を頭にいれたものでした。その時はこれが野上彰作の歌詞だとは知りませんでしたが、それでもいくつかのフレーズではその日本語詞が今でも口ずさめるくらい頭に残っています。
  • 「メリー・ウィドウ」も取り上げたし、次はぜひこれもご紹介しようと数か月前に古本屋で見つけた音友の「こうもり」の書籍をコツコツと1カ月ほどかけて打ち込んでみました(うちのOCRではほとんど楽譜上の日本語は認識できず ほぼ手打ちの状態)。ただ、それだけの手間をかけただけの甲斐はあったと思っています。
  • 何よりこの本、出版が昭和42年7月31日(初版)、まだ野上がぎりぎり存命中だった時なのですね。しかも序曲のあとのプロローグのところ(p.24)に「※オペレッタ「こうもり」は一般にほん案上演される場合がおおい。本書においては曲はそのままに、台詞はドイツ語と野上彰作の日本語(プロローグを含む)を掲載した。したがって、台詞では両語対称形式になっていてもいても対訳ではなく、別個の上演内容を示す」とあります。つまりこの本の日本語テキストはすべて野上彰オリジナルなのです。彼がこのオペレッタをどのように日本語で再構成したのかが完全な形で分かる非常に貴重な資料と思います。けっこう台詞部分の分量は多いのですが、貴重な歴史的記録ということで台詞部分も含めほぼすべてを打ち込んでおります。できるだけオリジナルを尊重してはおりますが、Wikiのテキスト化にあたって以下の手を加えています。
    • 台詞の部分は各人の台詞に改行がなく長々と数行に渡って台詞が続き見にくいので適当に改行を入れて見やすくしています。また対訳になっていないのでドイツ語の台詞部分は省略(空欄に)しました。
    • 漢字の使用や送りがなはできるだけ原本に従いましたが、台詞部分で明らかに誤植と分かるところは修正しております。なお判断できないところは原文そのままにしました。
    • 楽譜につけられた日本語詞は基本ひらがなで書かれておりますが、ひらがなのベタ打ちですと意味がとりにくいので、適宜漢字変換を入れております。昭和30~40年代の日本語ですので、今となっては意味が分からない死語も数か所ありましたが、そこは元の仮名のままにしております。また楽譜上のト書きはできるだけ拾い上げるようにしましたが、ドイツ語のト書きとは対応していない部分も多く、そこではドイツ語は空欄としております。
    • 野上がつけた歌詞は、「こうもり」の楽譜全部につけられています。したがって慣例的にカットされるところにも歌詞がありますので、テキストの色を変えて判別できるようにしました。
    • 同一人物の一人称が「ぼく」「わし」「俺」、あるいは「私」と「あたし」のように頻繁に変わって一貫していないところは大変気になりましたが、これは野上のスタイルのようなのでそのままにしています。

野上訳の魅力について

  • 昭和音楽大学のオペラ情報センターのデータベースによれば、こうもりの日本初演は1952年1月の仙台、このときの訳詞は野上ではなかったようですが、同年9月の東京オペラ協會の訳詞は野上彰、脚色も野上彰とクレジットされていました。
  • その後昭和30年代には二期会を中心に2~3年に必ず1度くらいの頻度でこの野上彰訳・脚色のこうもりが取り上げられていたようで、日本のオペラの中でも相当の人気演目となっていました。ただ歌の詞はともかく、地の台詞はその時代の世相を織り込んでいるため、時と共に変えていく必要がありましたので、昭和42年に野上が亡くなってからは台詞や台本の方には別の人がクレジットされることが増え、さらには1971年の二期会公演では「訳詞:野上彰・改定:中山悌一」というクレジットが、そして1975年の同じ二期会公演では歌詞の方もほとんど手が入って変わってしまったからでしょうか、訳詞も中山悌一とクレジットされています(台詞は栗山昌良)。
  • 二期会の「こうもり」はこの中山・栗山コンビで昭和40~60年代、さらには平成に入ってからもしばらくは公演を重ねたようですので、ある意味古い野上訳よりもよく知られるようになってしまったかも知れません。その上平成に入ってからのオペラブーム、プロ・アマチュア取り交ぜて物凄い数の「こうもり」の公演が近年は続いており、いろんな人が手掛けた訳詞が乱立している感じ、しかも日本ではリブレット作者を軽んじてか、訳詞(作詞)者のクレジットを明かさない(というよりもともと意識していないというのが実情でしょうか)ので、たとえ良い出来栄えの歌詞があっても誰が手掛けたものか判別ができない状態となっています。
  • こんな状況だからなおさら、野上の亡くなった年に出版されたこの「世界歌劇全集14」、貴重な記録として多くの方の目に触れられるようにしておく価値があろうかと思います。彼の「白鳥の歌」といっても過言ではないタイミングでした。


  • 非常に有難いことに、歌詞がこの野上の手になるものにほとんどそのままの公演がYouTubeにアップされていました。
  • この公演、演奏のクオリティもかなり高いのですが、なによりこの天才的なリリシスト・野上の才能を存分に舞台を見ながら堪能できるのが嬉しいです。さすがに昭和30年代の香りが満載の台詞部分はかなり手を加えて野上の書いたギャグは奇麗に消え去っていますが、元の野上の構成通りファルケの語るプロローグで最初始まるところや、カットして別の曲に差し替えられることの多い第2幕のバレエを残してその中のボヘミア舞曲のコーラスでの野上詞が聴けるところなど本当にありがたい。YouTubeで公開されている他の日本語公演と聴き比べることでぜひ野上詞のすばらしさを多くの人に感じ取って頂ければと思います。確かにリリカルな内容の歌詞の「メリー・ウィドウ」ほど神がかった凄さはないですが、メロディに乗せられた日本語の自然さはやはり凄いと思います。その意味ではソロで歌われる曲よりもアンサンブル、例えば第1幕のロザリンデ、アイゼンシュタイン、ブリントの3重唱とか(これ平凡な日本語歌詞で聞くと間延びしてだれること多し)がノリノリの言葉の応酬になっているところとか、次のファルケとアイゼンシュタインのデュエットでも原詞の内容にこだわらず、歌で自然なやり取りを繰り広げさせているところ、そしてロザリンデ・アルフレッド・フランクによる終幕の表情がくるくる変わる音楽に乗せた絶妙なワードチョイス。生き生きとしたメロディを最大限に生かす掛け合いの歌詞は楽しさいっぱいです。第2幕は聴きどころで一杯ですが、ひとつだけ触れるとファルケが音頭を取る「君 君(Du Du)」のコーラス。ここで野上は”Du”に「キス」という言葉を当てています。ノリノリの曲の続く第2幕ではつい退屈してしまうこのナンバーですが、リリシスト野上の言葉の魔法でとても素敵な曲に生まれ変わったような感じがします。そして第3幕ではこれも退屈することの多かったロザリンデ、アイゼンシュタイン、アルフレッドの3重唱、これドイツ語から訳して見て分かったのですが、巧妙な歌詞の展開にぴったりとつけた音楽の流れを追えるようにすることが堪能するための秘訣なのですね。その意味でこの野上訳の言葉の魔力を感じさせる一番良いサンプルかもしれません。
  • 他方、「メリー・ウィドウ」で最高の魅力であった野上のリリカルな歌詞、「こうもり」ではそういうナンバー自体があんまりないのでそちらの才能を発揮できているところが少ないのですが、第1幕終わり近くでアルフレッドがロザリンデを口説くところ、それと第2幕のロザリンデとアイゼンシュタインとの時計の2重唱、ここでの言葉のセレクションはぜひ注目して頂ければと思います。掛け合いの絶妙さとリリカルな歌詞という点で、この時計の2重唱が野上訳「こうもり」の白眉かも知れません。意外と見落としがちなのは第2幕の冒頭と幕切れのコーラスの歌詞、これが聞き取れないとかなり舞台は興ざめしてしまうところですが、なかなかニクい詞がついて華やかな舞踏会に色を添えてくれています。

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@ 藤井宏行
最終更新:2025年11月21日 08:36