目次
訳者より
- リヒャルト・シュトラウスのオペラはかねがねどれか私も手を付けてみたいと思っておりましたが、他の作品にいろいろ手を出しているうちにどんどん翻訳済の作品が増えてしまっており、すっかり私は出遅れていました。今年ヨハン・シュトラウス生誕200年を記念してオペレッタのリブレットの翻訳をいろいろ手掛けてきた中で同じシュトラウスつながりで何かないかとリヒャルトの方のページをみると、何と彼の作品の中でもしかしたら一番オペレッタチックな作品かもしれない「ナクソス島のアリアドネ」がまだ上がっていないではありませんか。しかもシュトラウス繋がりなばかりではなく、先日最適化版の訳詞をアップしたばかりのカラヤン/フィルハーモニア管の「こうもり」と時期も近い録音があって、しかもキャストもかなり被っていて(シュヴァルツコップがロザリンデ→アリアドネ、シュトライヒがアデーレ→ツェルビネッタ、デンヒがフランク→音楽教師、クレーブスがアルフレード→ブリゲーラ)同じように高水準の音楽を聴かせてくれています。これはぜひ「こうもり」同様カラヤン/フィルハーモニア管他による「アリアドネ」最適化バージョンを作るしかないと春先くらいから少しずつ手をつけておりましたが、フーゴ・ホフマンスタールの手になる台本が死にそうなくらいに難解で、結局意味が何とか通じそうな翻訳ができるまで半年以上を要してしまいました。まだ全然納得できる内容ではないのですけれども、今年取り上げた作品群の総決算ということで何とか年末に出して頂けるよういったんできる限りのところまで仕上げてみました。
- まず大幅に手をいれたところは、、特にVorspielのところで顕著なのですが、ホフマンスタールの台本が音楽の流れも台詞が語られる流れもまるで無視したベタ打ちなのでドイツ語ネイティブでない我々には音を聴きながら(あるいはオペラの映像を見ながら)台詞を目で追うのはきわめて困難であるということ、ですので字幕をつける要領で音楽の流れに合わせてできるだけ改行を施し目で追う負担を小さくしたことです。また重唱などでも歌い始めのタイミングの順序を変えて迷子になりにくくしたこと(それでも3重唱以上になると単位時間内に詰め込まれた情報量が多くなりすぎて追いつけないですが)。結果的にリブレットの行数はオリジナルの倍以上で3000行を越えるものとなりましたが、これで耳でドイツ語を聴きつつ目で日本語を追うのがかなり容易になり、筋の流れの見通しは大幅に良くなったのではないでしょうか。ですがそうして筋を追いかけられるようになってみると今度は話の中身の方が謎ばかり。1912年のオリジナル版がウケなかったのはおそらくはOper部分の話の流れが破綻していて訳わからなかったためなので、1916年版で急いで差し替えた Vorspiel の部分で Oper の筋がグチャグチャになった種明かしをすることになったわけではありますが、ふたつの別々の悲劇と喜劇が、それらを注文した大富豪の思い付きで同時上演することになるまでのドタバタ場面までは理解できたものの、そのあとの作曲家とツェルビネッタとの間のアリアドネのキャラ設定に関するやり取りからまたさっぱりわけが分からなくなります。作曲家はツェルビネッタの色仕掛けに惑わされてこの茶番の舞台の創作に付き合わされただけなのか?とも見えてしまうところではありますが、実はのちのOperでとても重要となる言葉「Verwandlung(変容)」をツェルビネッタの立ち居振る舞いを見て作曲家が一回だけつぶやくところがあるのです。この Verwandlung(とその動詞 verwandeln)、Oper の幕切れ近くのアリアドネとバッカスの出会いの場面で頻繁に使われています。魔法の力で「変容」してしまう、ということなのですが、変容したのはバッカスに会ったアリアドネだけではなく、初めての冒険に出たバッカスもまたキルケーの魔女によって(魔女の魔法は効かなかったにしても)変容したのでした。男と女の出会いによって「Verwandlung(変容)」が起こるということなのでしょう。ツェルビネッタも Oper 中盤のアリアの中でこの「Verwandlung」を使っているところがあります。もっとうまい訳語があるような気はするのですが、彼女の台詞において私はこれに「浮気心」という日本語をあててみました。そうするとアリアドネが死を希う冒頭と、バッカスに出会って永遠に生きる誓いを二人でする幕切れの間にツェルビネッタと愉快な4人組とがわちゃわちゃ絡み合うシーンが挟み込まれている意味がはっきりと見えてくるではありませんか。特に重要なのがツェルビネッタのアリアのあと、4人の男たちがツェルビネッタを奪い合う中、彼女はその中のひとりハレルキンの腕に落ちて去っていくシーン。心が Verwandlung することは自分のしてることも、アリアドネがしてることも変わらないじゃない、という Verspiel で彼女が作曲家に伝えようとしたメッセージを舞台の上で演じているのですね。ここのシーンで特に重要なのが、彼女のアリアのクライマックスから出てくる「Hingegeben(身を任す)」という言葉。彼女が幕切れ、アリアドネとバッカスのラブシーンの最後に再登場してつぶやくフレーズ「Kommt der neue Gott gegangen, Hingegeben sind wir stumm!(新しい神さまが来たのなら 身を任せるのよね あたしたちは黙って!)」の意味合いがこれではっきりと見えて、このオペラ全体の考え抜かれた構成が私にもようやく読み解けたのでありました。まあこういうことは「訳者より」でくだくだ書くよりも対訳の方で読み取れるようにしっかり訳すことが肝心なのでしょうけれども、それは私がもう少し精進できてからということで... とりあえずこんなものでご容赦ください。
カラヤン/フィルハーモニア盤「ナクソス島のアリアドネ」の魅力
- 1954年のモノラル録音ではありますが、そんなに音は悪くないですし何より若きカラヤンの考え抜かれた演奏がとにかく素晴らしい。ベームの多くの録音のようにこれよりもドラマチックなもの(特にライブ)、ケンペやレヴァインのもののようにもっと巧い歌手を擁して美しい音楽を聴かせてもらえるものももちろんあると思っていますが、端役に至るまですべての歌手が役柄に嵌っていて緻密に音を紡ぎ出しているのはこのカラヤン盤がピカ一です。盛り上げたくなるようなところもあえてテンポを抑えてじっくりと音楽を聴かせてくれるのもポイント高し(スタジオ録音では最長時間のものではないでしょうか)。これを徹底的に聴き込みながら訳詞を練ったということもありますが「アリアドネ」では今の私の一番の愛聴盤です。
- 歌手が素晴らしい。作曲家役にはイルムガルト・ゼーフリート、1950年代のこのロールの当たり役だった人でベームの2つのライブ盤(1944と1954)でもこの役を務めています。気の短い理想主義者の若いアーティスト(頻繁にキレる)のキャラ設定はお見事。その作曲家の宥め役である音楽教師にカール・デンヒ、この人当時いろんな作品に脇役として出ていますが、役柄に応じて歌い方やさらには声まで変えて演じていて、とても同一人物とは思えないことが多いです。ここでもパトロンの理不尽な指示と現場(作曲家やプリマドンナ)からの突き上げの板挟みにあう中間管理職の悲哀を味わい深く演じています。フィッシャー・ディースカウとかワルター・ベリー、ヘルマン・プライなどの大物歌手が朗々とした声で演じることも多いこの役ですが、私はこのデンヒのような名脇役に渋く演じて貰った方が舞台は引き締まるように思いました。ツェルビネッタにはリタ・シュトライヒ、カラヤンの華やかさを抑えた遅めのテンポの演奏スタイルの中で彼女の高い歌唱テクニックもだいぶ封印されてしまったような感じで多少割を食っていますが、それでも自分の役割を見事に果たしてくれています。道化役の男たちとの緻密な絡み合いも見事ですが(自分の訳したものを見ながら聴くと凄く楽しい)、なにより素晴らしいと思ったのは「訳者より」でも触れました幕切れの再登場のシーン、ここで「黙って退場」していく歌い方はこのシュトライヒのものが最も素晴らしいように思います。-そのツェルビネッタ一座をつれてきたダンスマイスターにはスイスの老テナー、ユーグ・キュエノー(録音当時もう50歳を越えていたはず)、この人選は驚かされました。典雅なバロックオペラや流麗なフランス歌曲で活躍していた人なのでこのコミカルな役に合うのかしらとも思ったのですが、なかなか素敵なおかしみを滲み出してくれています。Verspielの後半、自分の書いたオペラ「アリアドネ」の上演が台無しにされてキレまくる作曲家とそれに対しておろおろするばかりの音楽教師の間に入り、ユーモアを交えながらも温かく問題の打開にあたってくれます。
- 執事(語り役)にはアルフレート・ノイゲバウアー、カラヤン盤録音と同じ1954年のザルツブルク音楽祭でベーム指揮の「アリアドネ」でもこの役を務めています。他の歌うキャラクターたちと語りで掛け合うとどうしても不自然に感じてしまいやすいところ、ここでは歌うような抑揚で語ることで自然な対話感を引き出してくれています。(掛け合う頻度の多い音楽教師役のデンヒが語るように歌っているのでそちらとの相性の良さもあるのだと思います)
- Oper で登場する3人の妖精たち、ナイアード(水の精)にリサ・オットー(Hi-Sop)、ドライアード(樹の精)にグレース・ホフマン(Alt)、エコーにアニー・フェルベルマイヤー(Sop)という陣容は当時の R.シュトラウスやモーツァルトのオペラの脇役の役割を熟知した人たちばかり。この人たちのパート、短いフレーズを複雑に絡み合わせるアンサンブルなので声のバランスや息が揃っていないとなりません。カラヤン盤ではこの人たちの歌うところだけなぜかテンポが速くなり引き締まった表現を求めてきているのでここが奇麗に響くかどうかはけっこう大切なところ。彼女たちはその役割に応えているのではないでしょうか。
- ツェルビネッタに絡む4人の男たちはブリゲーラ(Hi-Ten)にヘルムート・クレープス、スカラムーチョ(Ten)にゲルハルト・ウンガー、ハレルキン(Br)にヘルマン・プライ、トルファルディン(Bs)にフリッツ・オレンドルフという超豪華メンバー、私はこのカラヤン盤がこの4人のアンサンブルとしては今まで聴いた中でベストな演奏だと思います。カラヤンがテンポを遅めで設定してくれているので対訳もなんとか目で追えるのではないでしょうか。管理人さんが広報室ブログで「毎度、他人まかせですいませんが。ツェルビネッタと愉快な仲間たちには関西弁をしゃべらせるとか、どうでしょうか?」とありましたがちょっと私には関西弁訳は手に余りますし、彼らのアンサンブルを聞いてのイメージは関西弁には合わないように思いました。むしろ彼らの演奏に通じるものがあるのは同じ声部のメンバー構成のデューク・エイセスが歌った「筑波山麓合唱団」。そちらをイメージして訳を作ってみたところ、私的にはとてもしっくりきましたのでこちらを採用しています。
- Vorspiel ではどちらも尊大でワガママだったテノール歌手(バッカス役)にはオペレッタ界のスター、ルドルフ・ショックを、プリマドンナ(アリアドネ役)にはオールマイティになんでも役柄をこなせるエリーザベト・シュヴァルツコップ、歌も演技も器用にこなせる2人の Oper 幕切れの歌は見事です。壮大でドラマチックな外観を持ちながら、なお繊細で緻密なのがこのホフマンスタール/シュトラウスコンビの作品の魅力、複雑な心情描写が重要です。力業ばかりのワーグナー歌手を起用しないで、心理表現にもたけた歌手を選んでいるところが幕切れの盛り上がりに非常に貢献しているのではないかと思いました。
最終更新:2025年12月08日 16:41