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#1 近況・詳細不明のウマ娘登場馬主
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【コラム第1回】
印度孔雀です。今回より、馬主に関する様々なあれこれをコラムとして書いていく企画を始めようかと思います。いや「noteでやれよ」という感じかもしれませんが、内部リンクを貼れたりする関係上、こちらの方が圧倒的にやりやすいんですよね...。
さて、記念すべき第1回の企画は、「近況・詳細不明のウマ娘登場馬主」についてです。所有馬がウマ娘化して登場しているオーナーにも、ウェブ上ではさっぱり情報を得られない方が少なからず存在しています。今回の記事では、そんなオーナー様について、私が調べられる範囲で入手できた情報をまとめていきます。
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2024年10月10日追記:色々調査をしていく中で、上下編に分けるほど詳細の分からない馬主が思いのほかいらっしゃらなかったため、3名分の情報をこちらに追加させていただきました。
有限会社ミホノインターナショナル(ミホノブルボン)
2024年9月20日追記
詳細なプロフィールの記載がある書籍を確認したため、個別記事を立てました。→秋田金秋
顔写真はある
代表者は秋田金秋(あきた かねあき)氏。共同通信の写真サイトから、1992年度のJRA賞授賞式での1枚と思わしき同氏の顔写真を見ることが出来る。本業に関してはこの個人サイトにも書かれているように名古屋の建設業とよく言われているが、国立国会図書館デジタルコレクションで調べると愛知県尾張旭市にて金中不動産事務所、株式会社高和建設、高和商事株式会社の3社を経営していたことが確認できる(『宅地建物取引業者名鑑』西日本版 昭和63年版 657頁)。ただし現在では、同氏の名前と会社名で検索しても情報は何もヒットしない。そのため秋田氏が存命であるかも、現状では情報がないところである。
荒井幸勝氏(ユキノビジン)
荒鈑元代表か?
同一人物かどうか断言はできないものの、有力なのが株式会社荒鈑の元代表者説。同社の沿革を見ると、平成12年から4年間社長を務め、その後現代表の新井幸弘氏にバトンタッチしていることが確認できる。国立国会図書館デジタルコレクションでも、『東商信用録』において同社の役員に名前があることを確認できるが、掲載時点での代表者は荒井幸昭氏となっており、生年を確認することはできなかった。
植中昌子氏・倫子氏(シーキングザパール)
夫婦と娘で馬主
大阪は梅田でビルなどを運営していた植中清・昌子夫妻の娘が倫子氏だ。シーキングザパールの名義に関しては、当初は娘の所有であったのが母親に変更された形。Wikipediaにおいては「その後本馬の所有者となる植中倫子の娘・昌子に18万5000ドルで購買された」と記載されているが、これは誤りだと思われる(『優駿』が出典であるが、書籍側のミスかWikipediaの編集者側のミスかは不明)。その根拠に、『現代人物事典』出身県別 西日本版における植中清氏のプロフィールには「妻昌子」とあり、『中部財界』第23巻第13号においては倫子氏が詐欺の被害に遭ったという特集記事内で「被害者である植中社長は(中略)父親植中清(故人)の経営する中日振興(≒中部振興?)副社長に」という記載がある。なお、清氏は1985年時点で故人とされているものの、1990年の『国勢総覧』においては普通に社長扱いされている。
3名の肩書を整理(参考文献は割愛)
- 植中清(うえなか きよし)氏 1905年2月15日~不明。梅田ビルディング、中部振興、梅田新興、浪花実業、新大阪新聞社長などを務めた。
- 植中昌子(うえなか まさこ)氏 生没年不詳。清の妻。梅田ビルディング取締役を務めた。
- 植中倫子(うえなか ともこ)氏 1939年~近況不明。中日振興(結婚式場「中日パレス」)、太陽実業(「ホテルシェレナ」「シェレナトラベルサービス」)社長を務めた。兵庫県神戸市垂水区に「株式会社植中倫子」という企業が存在するが関連性や事業内容は不明。
勝野憲明氏(イクノディクタス)
愛晃設計事務所元代表か?
このオーナーもなかなかに謎の多い人物ではあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで調べると、一応同名の人物が代表を務める企業が2件ヒットする。
- 株式会社愛晃設計事務所 代表取締役(愛知県名古屋市中村区)『名古屋商工名鑑』昭和58年版より
- 伊藤忠金属販売 札幌営業所長(北海道札幌市中央区)『北海道年鑑』昭和54年版より
北海道と愛知県、まるで離れているのでこの2名はおそらく別人。しかし、馬主の方の勝野氏の所属馬主協会が中京であることを踏まえると前者の企業の代表者である可能性が高いと思われる。現在もこの会社は存続しているようだが、代表者については情報がない。
木倉誠氏(スーパークリーク)
2024年9月20日追記
所有していた書籍に詳細なプロフィールの記載があったこともあり個別記事を立てました。→木倉誠
東京の不動産屋?
競馬界のレジェンド・武豊騎手が初GⅠ制覇を果たした時の騎乗馬で、「逆指名」のフレーズ、ウマ娘界においてはママの通称で有名なスーパークリーク号のオーナーである木倉誠氏。通説では、バブルで成り上がった不動産屋であるとよく話を聞く。例えばこの個人サイトにおいては「東京の不動産屋」と紹介されているし、このXのポストでは岐阜商業高等学校→東京農業大学卒、家業の肥料屋→不動産屋と詳細な経歴が示されている(出典は不明)。さらに「木倉事務所」というオフィスも存在していたようである。
ちょっとヤバそうな...同姓同名?
さて、そんな木倉氏について、日経テレコン・ヨミダス・朝日新聞クロスサーチで検索をかけると、それぞれいくつか興味深い記事が見つかった。まずは日経、1986年9月10日付の記事「赤坂の金融業者事務所、現金8500万盗まれる――ダイヤなど貴金属も。」より"東京都港区赤坂七ノ一〇ノ六、ストーク赤坂二〇二号、金融業「日伸興産」(木倉誠社長)"という内容が確認できる。ほぼ同時期の赤坂で、金融業を営む木倉誠という人物が存在していたようである。ちなみに記事の内容は、9月9日に日伸興産社長室から金庫の中の現金や貴重品が盗まれたというものである。
続いては1988年6月1日付の読売新聞の記事「債権取り立てで乱暴 会社役員と暴力団幹部ら逮捕/警視庁」。おっと、馬主にあるまじきワードが見えているが...肝心の本文には"警視庁暴力団犯罪取締本部と築地、世田谷署は三十一日、杉並区和泉三の二〇の一六、会社役員、木倉誠(46)と暴力団幹部ら計八人を暴力行為の疑いで逮捕"。事件の内容を要約すると、木倉が結託した某暴力団・S会の男らとともに債務者の担当弁護士をリンチしたというなかなか凄惨なもの。そして勘のいい方はお気づきかもしれませんが、この記事での木倉の職業は明らかにサラ金。居住地がどうやら会社のある港区ではなく杉並区であること、会社名が出ていない上に「社長」ではなくあくまで「役員」と表現されていることなど引っかかる点はあるものの、業種を鑑みると、この木倉誠とは上の記事の日伸興産社長の木倉と同一人物とみて良いのではないのかと考える。
さて残るは朝日新聞の記事、1992年3月10日付で「東通倒産に兵庫県警が重大関心 テレビ界・ゴルフ場と暴力団」と題されている。ここでは木倉は記事の主題にこそなっていないものの、主題の人物にかかわる人物として登場している。その記述内容は、"幸雄氏は、東京・港区赤坂の「日伸興産」代表取締役、木倉誠氏に相談、谷口氏を紹介してもらった。木倉氏は、館氏兄弟とはいとこ同士。"というもの。前後関係を補足すると、のちに倒産した東通という企業の代表・館幸雄氏に、木倉が暴力団(Y組系)との関係が疑われる企業・芙蓉の代表者である谷口美雅を紹介したという内容だ。この木倉は、「日伸興産」と具合的な社名と所在地が明かされている以上、日経の記事で金を盗まれていた木倉と同一人物であろう。また、暴力団との関係が匂わされているところも、読売の記事の木倉との共通点である。
国会図書館の資料では?
国立国会図書館デジタルコレクションでは、木倉の氏名で検索すると19件(2024年7月29日現在)の資料がヒット。しかしその中で、デジタル送信サービスで見れる12件に当該の「木倉誠」と同一とみられる人物に関する資料は0。だが、先述のXのポストにあった「木倉事務所」については記事が数件ヒットするのである。ただし、件のポストで述べられている「木倉事務所」とは、おそらくWikipediaにも記事がある現「木倉音楽事務所」と同一とみられ、その代表者は木倉誠ではなく木倉(伊藤)博恭という人物である。現時点で木倉誠と木倉事務所の関係が仄めかされているのはそのポストしか現状はなく、関係があるとは言い難いであろう。
結論
現在手に入っている情報は以上である。これらの資料だけでは、馬主の木倉誠が不動産経営者であることも、その木倉と金融業経営者の木倉が同一人物であることも検証することは難しい。当時の競馬関連の資料からアプローチを掛けることはできそうであるが、私の知る限り、『優駿』といった雑誌に木倉のインタビューが掲載されていたという情報はない。だが、逆に考えると、新聞記事を引用して述べたような暴力沙汰での逮捕歴がある可能性を踏まえ、社会的な影響から表立った取材はあまり受けられなかったと考えると、ちょっと合点がいくところがあるのではなかろうか。
黒岩晴男氏(ツインターボ)
馬産地関係者か?
ツインターボやアマゾンオペラで知られる黒岩晴男氏も、謎が多い馬主として知られるが、結論を言えば北海道の馬産地の関係者ではないかと考えられる。POGDBの情報にはなるが、黒岩氏は現在のYGGホースクラブの最初期、サラブレッド・レーシング・クラブ名義だった頃にクラブの代表者として登録されている。また牧場も経営しており、日本経済新聞の1993年4月4日付の記事「国際化元年―“留学”帰りの5歳馬も」には"門別の「G1ファーム(注:各データベース等で「ジィワンファーム」と表記されている牧場と同一と思われる)」(黒岩晴男代表)"という記載がある。同氏の近況などについては不明である。
笹原貞生氏(マーベラスサンデー)
笹原金属興業元代表か?
マーベラスの冠名で、サンデーのほかにもマーベラスクラウンやマーベラスカイザーなどのGⅠ馬を所有していた馬主。しかしあまり表に出てきた痕跡は見当たらず、詳細はよくわかっていない。『全国工場通覧』『ねじ産業総覧』によれば、江戸川区にあった笹原金属興業株式会社の社長を同名の人物が務めており、他に同姓同名の経営者もヒットしないため、この笹原氏が馬主だったと考えられる。
山本信行氏(ワンダーアキュート)
有限会社ワンダー元代表か?
1960年代には馬主で、古くはスター、その後はワンダーの冠名で多数の名馬を所有した馬主。この方も素性については謎が多いのだが、2014年から所有馬を走らせており現在信行氏と同一の服色を使用している山本能成氏と同名の人物が、有限会社ワンダーという会社(業種は不明)の取締役を務めていることが『大阪市公報』第5489号から確認できる。このことから、信行氏もこのワンダーという会社に何らかの関わりがあったのではないかと考えられる。近況については不明だが、勝負服が継がれている点などから死去されている可能性も高い。
有限会社レジェンド(ビコーペガサス)
謎だらけ
最後は、ビコーペガサスなど前方にビコーの冠名がついていたことで知られる有限会社レジェンド。かつては公式サイトが作られていた程だが、POGDBの有限会社レジェンドの記事で確認できるところでは、同じ勝負服の吉田宏氏から、吉田佳代氏を代表とする有限会社レジェンドに馬主業が引き継がれていることがわかることに留まっている。だが、この代表者に関する情報が事実であったとして、オーナーの名前的に記事や資料のヒット数が多く、該当人物を絞り込むのは非常に困難で、現時点では本業等もつかめていない状況となっている。「ファイン」の冠名で知られ、1979年の阪神大賞典などを制したファインドラゴンなどのを所有した日本伸銅株式会社元社長・吉田久博の子息も吉田宏という人物で、父と似た勝負服で馬主となっていたが、勝負服のデザインが全く異なることもあり、レジェンドとは無関係であると考えられる。