地球人類はヒロコが生まれるずっと前から、宇宙の彼方から現れた“バイド”と呼ばれる謎の生命群によって絶滅の危機に瀕していた。
バイドは宇宙空間でも生き続けることができ、その強烈な破壊本能により、生命反応がある宇宙船や施設を襲い、“食らう”。
そして分裂や融合を繰り返し、新たな生命体へと進化し続ける、人類の天敵である。
人類はこの未曽有の危機に対応するため、統一政府を成立させ宇宙軍を組織したが、これまで何度もバイドの太陽系への侵入を許している。
今日では、バイドは太陽系がある銀河系のオリオン腕からは遠く離れたサジタリウス腕の中ほどにある星域から時空を越えてやってきていることが分かっており、人類は何度もその本拠地に侵攻している。
現状は、人類が優勢な状態といえるだろう。しかし、バイドの増殖力を考えると楽観はできなかった。
人類はこれまでに4度に渡ってバイドの本拠地(生物学者M・ウォルターが論文の中でバイドの行動を、侵略戦争を行う“帝国”に見立てたことから“バイド帝星”と呼んでいる)の撃破に成功しているが、その成功の立役者となったのが通称「R」と呼ばれる次元戦闘機である。
これはバイド生命体の根絶を目的として開発されたもので、20メートル弱の小さな機体に“波動砲”と呼ばれる戦艦の艦首砲に匹敵する火力と“フォースユニット”とそれを制御する“フォースコンダクター”を搭載している。
“フォース”とは、バイドの細胞を用いた無人生体兵器で、その破壊本能が暴走しないようにコントロールロッドと呼ばれる制御棒で押さえつけているものである。
次元戦闘機の活躍と人類の生き延びることへの執念は4度の勝利をもたらしたが、それはすなわちバイド帝星の3度の“復活”を意味している。
そして5度目の派兵がなされたのが6年前。28歳の青年士官が木星衛星軌道上の軍事基地のバイドを一掃し、バイド殲滅艦隊(正式には「バイド帝星方面艦隊」)の司令官に任命され、少数精鋭の艦隊で当時太陽系を席巻していたバイドを迎撃していった話はヒロコが士官学校にいたときの教科書に載っていた(実際は少数精鋭などではなく、単に兵力をまわす余裕がなかったらしい)。
そのなかでバイド殲滅艦隊は外宇宙(太陽系の外)へ出るための唯一の施設である、準惑星冥王星の外側に位置する軍事基地、“
グリトニル”を奪還した。
若き司令官はグリトニルの長距離跳躍システムを突貫工事で修理し、バイド帝星へと旅立って行った。
彼らのその後の戦果はまだ明らかになっていない。
バイド殲滅艦隊の活躍もあって、太陽系に進入するバイドの数は激減した。
しかし今度は度重なったバイドとの激戦により慢性的に兵力が不足していた宇宙軍の目を盗み、輸送艦や商船を襲う宇宙盗賊がはびこるようになった。
そして1年前、グリトニルが武装組織によって占拠されるという由々しき事態が起こった。
この武装組織は「太陽系解放同盟」を名乗っているが、盗賊の集まりであることに変わりは無い。
しかし“議長”と呼ばれるゴードンは人心掌握術に長け、その参謀ハルパーは卓越した艦隊指揮能力を持っていると言う。
統一政府は、バイド迎撃と殲滅に偏狭していた軍の編成を見直し、太陽系治安維持軍を増強した。
ヒロコが所属する第4艦隊は地球から外宇宙への航路と、バイド帝星方面軍帰還時の航路確保のため、グリトニルのある冥王星へ派兵されている。
ヒロコが士官学校を卒業して第4艦隊の司令官付き第3副官を任官したのはグリトニルが占拠されたのと同じ1年前だった。
このことを考えると母親の
「こんなときに配属されるなんて、なんて運の悪い…」
という言葉を思い出す。
ヒロコは士官学校にいたときから、バイドがもたらした様々な「ひずみ」に注目していた。
統一政府による権力の一極化、急激な兵器テクノロジーの向上、広大な宇宙の治安維持…。
ヒロコにとってはグリトニルがテロリストの手に落ちることはなるべくしてなったことだった。
まあ、こんな話を親に言っても理解してもらえないだろう。
兄さんなら…、もっと正確な予想をするだろうな。
そんなことを考えながら走っていたのでヒロコは
作戦会議室を通り過ぎてしまい、慌てて戻ってドアを開けた。
最終更新:2009年08月25日 22:24