第584話:コロシヤプロミス 作:◆5Mp/UnDTiI
時計の短針が一の数字を指す頃にそいつはやってきた。
場所はD-2の木造校舎。その1階に位置するとある教室である。
生徒用の出入り口で出迎えた出夢が、そいつを見て気づいたり思ったりしたことはいくつかある。
非常に疲弊している事。それを隠せないほど浮かべている笑みが薄っぺらいこと。
そして、そんな好意的には見えても信用はできなさそうな奴が自分達の待ち人であったという事。
「お久しぶりですね、長門さん」
「時間にしてみれば、私達の再会はおよそ二十五時間ぶりとなる」
「……そんな程度なのですか。もっと長く感じていましたよ」
虚ろ気な表情を浮かべ、嘆息を吐くそいつ。
身に着けている制服は所々ほつれ穴が空いている。今はもう長門が修復したが、ここに着いた時には左腕がへし折れていた。
それなりに修羅場を潜ってきたのだろう。
そいつに戦闘能力はないと聞いていた。その上でここまで生き残れたというのは――単に運が良かっただけなのか。
(違うな)
出夢は声には出さずそう呟いた。
それを聞きつけたというわけではないだろうが、そいつが出夢の方に向き直る。
「はじめまして、古泉一樹といいます。長門さんがお世話になっていたそうですね。
お礼を言わせてください」
「ん、そうか。僕ぁ匂宮出夢。よろしくな、おにーさん。僕の方が年上だけど。
で長門おねーさんのことは――まあ、気にすんな。なんてたって僕とおねーさんはもう懇ろな仲なのさ」
「それはそれは」
高笑いと、苦笑と。対峙する種類の違う笑みは、どこか寒々しいものだった。
「古泉一樹」
空気を読んだという訳ではないだろうが、長門の一声がその対峙を終わらせる。
「貴方がここに来たということは、そちらでも閉鎖空間の存在を感知しているということ?」
「長門さんの疑問系、というのも中々珍しいですね。
ええ、僕の方でも感じています。平時のものと比べるとあまり大きくはありませんね。
せいぜい教室ひとつ分、というところです。やはり涼宮さんの力が制限されていると考えるべきでしょうか」
「確証は出来ない。涼宮ハルヒの引き起こす情報爆発に底が見えたことはない」
有限と無限の間には大きな隔たりがある。それこそ永久に埋める事の出来ない隔たりが。
例えば莫大な数から一を引くとする。
それでもその数字が莫大であることに変わりないが、一つ分だけ数が小さくなるのもまた確かだ。
だが仮に無限の存在があるとすれば、そこからいくら数を引こうが割り算をしようが無限である事には変わりない。
「涼宮ハルヒの力とはそういうもの。観測者が観測できる範囲以上の領域すら改変し得る」
「話には聞いてたけど、ほんとトンデモな力だねぇ。神様かっつーの」
実感できない感想を出夢が口にすると、長門は律儀に頷いた。
「事実、彼女を神聖視していた組織もあった」
「うっひゃぁ! そいつぁー筋金入りだ。職業・神様ってか」
「ですが、」
ぽつりと、古泉が呟く。
それは独り言のようなものだったのだろう。
胸中から漏れてしまった言葉。続きを聞かせる気はなかったのだろうが、視線が集中してしまえばそういうわけにも行かなかった。
「ですが、彼女は実際に――亡くなっています」
僅かに言いよどむ古泉。
対する長門は無表情を崩さなかった。いや、もしかしたら何らかの感情が顕になっていたのかもしれない。
だが、それを読み取れる人間はもうこの場には居なかった。
無表情にしか見えない顔で、長門が言葉を継ぐ。
「そう。だからこそ彼女の残した閉鎖空間を解析する。貴方に協力を頼みたい」
「もちろん請け負いますよ。そのためにここに来たのですから」
古泉は力強く頷いた。
だが力強かったのは一瞬だけだった。力み、そして力が抜ければ疲労はより色濃く噴出する。
教室の机に手をつき倒れるのを予防する古泉の様を見て、事務的に聞こえる口調で長門。
「いったん休息を取る事を推奨する」
「見張りはしといてやるから安心しな。添い寝はしてやれねーけどな、ぎゃははは!」
「そうですね――では、お言葉に甘えて」
古泉は足元に置いてあったデイパックを再び担ぎ上げ――
「ああ、まあとりあえず詳しい話なんかは一眠りにしたあとに、な」
――ようとするその動作を、直前で取りやめた。
屈んだ体勢から再び元の位置まで戻り、首を横に振りなおす。
「……いえ、やはり今すぐ始めましょう」
出夢は目を針のように細めた。何も言わず、じっと古泉を見つめる。
「貴方は疲労している。この空間は非常に不安定。
調査に万全を期すためにも休息を取ったほうがいい」
「不安定だから、です。時間をかければ、閉鎖空間が消失する可能性もある。
もとより、僕達超能力者は彼女が望んだことで発生したのです――彼女が消えた今、力がどれほど持続するかは分かりません。
時間的猶予は、あまりないと思いますが」
言って、古泉は時計を見た。午前一時十五分に届くか届かないか。
「遅くても三十分以内には戻ります。危険ならすぐにでも。
――ええと、確か出夢さんでしたか?」
「ん?」
「申し訳ありませんが。僕が居ない間また長門さんのことをよろしくお願いします」
それだけいって、古泉は返事も聞かずに教室を後にする。
その速度は決して速いものではない。歩む姿に力はなく、牛歩よりも多少まし、という程度。
だが二人は声をかけなかった。各々別の理由から。
その姿が教室から消えてしばらく後、ふと、長門が口を開く。
「古泉一樹の消失を観測した。閉鎖空間への侵入を果たしたものと推測する」
「ふーん。じゃあ僕達は待つだけか。しっかし、なんともまあ強引なおにーさんじゃねーか」
「原因は脳内物質の異常分泌。おそらくこの特異な環境に長時間さらされ続けたた外圧ストレスが原因」
(まあ、そりゃあそうだろうな)
出夢は肩をひょい、と竦めた。
あの優男の態度がおかしかったのは、確かにこの環境のせいだともいえる。
だが、もっと直接的な原因があることも出夢は知っていた。だからこそ、性急に動く事を止めはしなかった。
(話すべき、か?)
ちらり、と隣の無表情な少女を見やる。
古泉一樹とこれから行動を共にするとすれば――そして出夢の考えていることが正しいとすれば。
後々、この事は大きく響くことになるかもしれない。
(……まあ、僕が話す義理でもないか)
話して事態が解決するわけでもないし、そもそもこれは本人から話すべきことだろう。
それに、『人喰い』が気にするような話でもない。
「そいじゃ、僕達はこれからのことについてもうちょい話しておくか――」
場所はD-2の木造校舎。その1階に位置するとある教室である。
生徒用の出入り口で出迎えた出夢が、そいつを見て気づいたり思ったりしたことはいくつかある。
非常に疲弊している事。それを隠せないほど浮かべている笑みが薄っぺらいこと。
そして、そんな好意的には見えても信用はできなさそうな奴が自分達の待ち人であったという事。
「お久しぶりですね、長門さん」
「時間にしてみれば、私達の再会はおよそ二十五時間ぶりとなる」
「……そんな程度なのですか。もっと長く感じていましたよ」
虚ろ気な表情を浮かべ、嘆息を吐くそいつ。
身に着けている制服は所々ほつれ穴が空いている。今はもう長門が修復したが、ここに着いた時には左腕がへし折れていた。
それなりに修羅場を潜ってきたのだろう。
そいつに戦闘能力はないと聞いていた。その上でここまで生き残れたというのは――単に運が良かっただけなのか。
(違うな)
出夢は声には出さずそう呟いた。
それを聞きつけたというわけではないだろうが、そいつが出夢の方に向き直る。
「はじめまして、古泉一樹といいます。長門さんがお世話になっていたそうですね。
お礼を言わせてください」
「ん、そうか。僕ぁ匂宮出夢。よろしくな、おにーさん。僕の方が年上だけど。
で長門おねーさんのことは――まあ、気にすんな。なんてたって僕とおねーさんはもう懇ろな仲なのさ」
「それはそれは」
高笑いと、苦笑と。対峙する種類の違う笑みは、どこか寒々しいものだった。
「古泉一樹」
空気を読んだという訳ではないだろうが、長門の一声がその対峙を終わらせる。
「貴方がここに来たということは、そちらでも閉鎖空間の存在を感知しているということ?」
「長門さんの疑問系、というのも中々珍しいですね。
ええ、僕の方でも感じています。平時のものと比べるとあまり大きくはありませんね。
せいぜい教室ひとつ分、というところです。やはり涼宮さんの力が制限されていると考えるべきでしょうか」
「確証は出来ない。涼宮ハルヒの引き起こす情報爆発に底が見えたことはない」
有限と無限の間には大きな隔たりがある。それこそ永久に埋める事の出来ない隔たりが。
例えば莫大な数から一を引くとする。
それでもその数字が莫大であることに変わりないが、一つ分だけ数が小さくなるのもまた確かだ。
だが仮に無限の存在があるとすれば、そこからいくら数を引こうが割り算をしようが無限である事には変わりない。
「涼宮ハルヒの力とはそういうもの。観測者が観測できる範囲以上の領域すら改変し得る」
「話には聞いてたけど、ほんとトンデモな力だねぇ。神様かっつーの」
実感できない感想を出夢が口にすると、長門は律儀に頷いた。
「事実、彼女を神聖視していた組織もあった」
「うっひゃぁ! そいつぁー筋金入りだ。職業・神様ってか」
「ですが、」
ぽつりと、古泉が呟く。
それは独り言のようなものだったのだろう。
胸中から漏れてしまった言葉。続きを聞かせる気はなかったのだろうが、視線が集中してしまえばそういうわけにも行かなかった。
「ですが、彼女は実際に――亡くなっています」
僅かに言いよどむ古泉。
対する長門は無表情を崩さなかった。いや、もしかしたら何らかの感情が顕になっていたのかもしれない。
だが、それを読み取れる人間はもうこの場には居なかった。
無表情にしか見えない顔で、長門が言葉を継ぐ。
「そう。だからこそ彼女の残した閉鎖空間を解析する。貴方に協力を頼みたい」
「もちろん請け負いますよ。そのためにここに来たのですから」
古泉は力強く頷いた。
だが力強かったのは一瞬だけだった。力み、そして力が抜ければ疲労はより色濃く噴出する。
教室の机に手をつき倒れるのを予防する古泉の様を見て、事務的に聞こえる口調で長門。
「いったん休息を取る事を推奨する」
「見張りはしといてやるから安心しな。添い寝はしてやれねーけどな、ぎゃははは!」
「そうですね――では、お言葉に甘えて」
古泉は足元に置いてあったデイパックを再び担ぎ上げ――
「ああ、まあとりあえず詳しい話なんかは一眠りにしたあとに、な」
――ようとするその動作を、直前で取りやめた。
屈んだ体勢から再び元の位置まで戻り、首を横に振りなおす。
「……いえ、やはり今すぐ始めましょう」
出夢は目を針のように細めた。何も言わず、じっと古泉を見つめる。
「貴方は疲労している。この空間は非常に不安定。
調査に万全を期すためにも休息を取ったほうがいい」
「不安定だから、です。時間をかければ、閉鎖空間が消失する可能性もある。
もとより、僕達超能力者は彼女が望んだことで発生したのです――彼女が消えた今、力がどれほど持続するかは分かりません。
時間的猶予は、あまりないと思いますが」
言って、古泉は時計を見た。午前一時十五分に届くか届かないか。
「遅くても三十分以内には戻ります。危険ならすぐにでも。
――ええと、確か出夢さんでしたか?」
「ん?」
「申し訳ありませんが。僕が居ない間また長門さんのことをよろしくお願いします」
それだけいって、古泉は返事も聞かずに教室を後にする。
その速度は決して速いものではない。歩む姿に力はなく、牛歩よりも多少まし、という程度。
だが二人は声をかけなかった。各々別の理由から。
その姿が教室から消えてしばらく後、ふと、長門が口を開く。
「古泉一樹の消失を観測した。閉鎖空間への侵入を果たしたものと推測する」
「ふーん。じゃあ僕達は待つだけか。しっかし、なんともまあ強引なおにーさんじゃねーか」
「原因は脳内物質の異常分泌。おそらくこの特異な環境に長時間さらされ続けたた外圧ストレスが原因」
(まあ、そりゃあそうだろうな)
出夢は肩をひょい、と竦めた。
あの優男の態度がおかしかったのは、確かにこの環境のせいだともいえる。
だが、もっと直接的な原因があることも出夢は知っていた。だからこそ、性急に動く事を止めはしなかった。
(話すべき、か?)
ちらり、と隣の無表情な少女を見やる。
古泉一樹とこれから行動を共にするとすれば――そして出夢の考えていることが正しいとすれば。
後々、この事は大きく響くことになるかもしれない。
(……まあ、僕が話す義理でもないか)
話して事態が解決するわけでもないし、そもそもこれは本人から話すべきことだろう。
それに、『人喰い』が気にするような話でもない。
「そいじゃ、僕達はこれからのことについてもうちょい話しておくか――」
◇◇◇
木造校舎一階、教室――
古泉一樹は扉に手をかけた。
閉鎖空間はちょうど板一枚を挟んだ向こう側に広がっている。
どうやら教室一つ分にちょうど収まっているらしい。
小さくなっているだけならばともかく、いつもの閉鎖空間に比べて形状が不自然すぎる。
これは、意図的なものなのか。
(おそらくそうなのでしょうが……それが何を意味するのかまでは分かりませんね)
この教室で"彼"が死んだ事を、古泉は知らない。
だから、考えても分からないことだと断じた。ならば進むほかに道は――
(いいえ)
自分の頭の中で囁く考えの内、その一つを否定する。
例えば、戻って長門有希と合流する。とりあえず外部からもう少しアプローチする方法を考えてみる。
そうだ、他に慎重な案はいくらでも思いつく。
(――僕は自暴自棄になっている)
認めた。自らを嘲るように鼻で笑う。
そして同時に扉を引きあけていた。馬鹿げている。そんなことは分かりきっているはずなのに。
思考と行動が一致していない。
脳の回転が動作に追いついていない状態を混乱と呼ぶのならば、今の古泉は混乱しているといえた。
だがそのことを自身で認識しているのなら、それはなんというべきなのか――
(……いえ、考える事はよしましょう)
思考を振り払う。平時の閉鎖空間でさえ危険はついて回るのだ。
ならばこの剣呑極まりない舞台で生み出された閉鎖空間はどれだけの危険を秘めているのか?
(つまり……不意打ちされる程度には危険だったということですかね)
地面に膝をしたたかに打ちつけながら、呻く。
視界が黒く染まった。同時に脳の奥まで届くような鈍痛が眼球から遡って来る。
言っているうちから油断していた――他人事のように苦笑を浮かべる。
どうやら考え事にとらわれている内に閉鎖空間への侵入は終っていたらしい。
障害物に頭でも打ったか、神人に脳髄を潰されたか――
前者ならばどうでもいいし、後者ならばもうお仕舞いだ。
さほど危機感は抱かず、ただ確かめるため、痛みをこらえて目を見開く。
「……何をしてるんだ?」
「え?」
まずは声をかけられたことに驚いた。
閉鎖空間に居るのは神人のみのはず。
まさか"機関"の仲間が外からの侵入を果たしたか。
それが誰かまでは咄嗟に分からなかったが声には聞き覚えがあった。だから、そんなことを夢想した。
だけど、
「ちょっと古泉君、大丈夫?」
「ぐ、具合でも悪いんですか?」
彼女達の声が組み合わさった事で、そこがどこなのか認識した。
視界が戻る。痛みの原因は急に差し込んだ斜陽の光によるものだった。
西へ傾いた太陽は、光を部室の奥にまで届けている。
本来、この閉鎖空間を満たすべき灰色はどこにも認められない。
(これは……夢でしょうか)
呆然と立ちすくむ。
身を苛ませる焦燥。欲しいものが近くにある。目の前に、どころではなく自分はその只中に居る。
『殺してでも』取り戻したかった日常。
それが、そこにあった。
「ねえ――本格的に大丈夫?」
涼宮ハルヒ。彼女が心配気にこちらを見つめている。
いままでそんな感情を向けられた事はなかった。当然だ。彼女にストレスを溜め込ませない事が自分の役割だった。
あの日常での、自分の役割だったのだ。
その役割にもう一度収まれるのなら。
それは、日常を取り戻せるという事か。
息を吸った。声を出すために。心配など要りませんと、笑顔を浮かべて告げようようと思った。
それが日常だった。自分の役回りならばそれを甘受しよう。辛くなどない。辛いと思うはずがない。
だってあれほどまでに求めていたのだから。
だけど、窓辺に『彼女』が居ない事に気づいてしまったから。
「ええ、すみません――少し熱が。どうも風邪を引いてしまったみたいで」
口から出たのは、そんな言葉に代わっていた。
「じゃあ、こんなところに居ないで早く休まないと――」
「ですが一応欠席のことを伝えようかと。メールなどでは不義理かと思いまして」
「聞いた、キョン? これが副団長とアンタの差よ」
俺は関係ないだろう、と彼が反論する。振り返った彼女が不敵に笑う。
その光景から目を逸らした。ずっと見ていれば縋り付いてしまいそうだった。
その無様をさらす前に、ドアノブに手をかける。彼女は目ざとくそれに気づいた。
「ああ、うん。別に良いわ。風邪、流行ってるみたいだしね。今日は有希も休みだって言うし。早く治しちゃいなさい」
「……おや、そうなのですか」
どうやらそういう風に処理されているらしい。
一礼して、古泉は部室から抜け出した。
後ろ手に扉を閉め切ったとき、すでに古泉の顔から笑顔は消えている。
辺りを見渡す。部室の外は、見慣れた部室棟の廊下だった。当たり前のようで、これは異常だ。
侵入する前は、確かに部室一つ分の空間しかなかったはず。
(僕が侵入した事で広がった――?)
今思えば先ほどの立ち眩みも、世界が広がるという異常にあてられたのかもしれない。
いや、結論を急ぐのはよそう。首を振り、歩き出した。もとより彼女の力は出鱈目に過ぎる。
中が外見通りだとは限るまい。その気になれば彼女はサイコロ大の空間に世界の縮図を描けるだろう。
確かめるべきは、唯一つ。
(そう、この世界は――)
この現実のような閉鎖空間は、果たしてどこまで――
古泉一樹は扉に手をかけた。
閉鎖空間はちょうど板一枚を挟んだ向こう側に広がっている。
どうやら教室一つ分にちょうど収まっているらしい。
小さくなっているだけならばともかく、いつもの閉鎖空間に比べて形状が不自然すぎる。
これは、意図的なものなのか。
(おそらくそうなのでしょうが……それが何を意味するのかまでは分かりませんね)
この教室で"彼"が死んだ事を、古泉は知らない。
だから、考えても分からないことだと断じた。ならば進むほかに道は――
(いいえ)
自分の頭の中で囁く考えの内、その一つを否定する。
例えば、戻って長門有希と合流する。とりあえず外部からもう少しアプローチする方法を考えてみる。
そうだ、他に慎重な案はいくらでも思いつく。
(――僕は自暴自棄になっている)
認めた。自らを嘲るように鼻で笑う。
そして同時に扉を引きあけていた。馬鹿げている。そんなことは分かりきっているはずなのに。
思考と行動が一致していない。
脳の回転が動作に追いついていない状態を混乱と呼ぶのならば、今の古泉は混乱しているといえた。
だがそのことを自身で認識しているのなら、それはなんというべきなのか――
(……いえ、考える事はよしましょう)
思考を振り払う。平時の閉鎖空間でさえ危険はついて回るのだ。
ならばこの剣呑極まりない舞台で生み出された閉鎖空間はどれだけの危険を秘めているのか?
(つまり……不意打ちされる程度には危険だったということですかね)
地面に膝をしたたかに打ちつけながら、呻く。
視界が黒く染まった。同時に脳の奥まで届くような鈍痛が眼球から遡って来る。
言っているうちから油断していた――他人事のように苦笑を浮かべる。
どうやら考え事にとらわれている内に閉鎖空間への侵入は終っていたらしい。
障害物に頭でも打ったか、神人に脳髄を潰されたか――
前者ならばどうでもいいし、後者ならばもうお仕舞いだ。
さほど危機感は抱かず、ただ確かめるため、痛みをこらえて目を見開く。
「……何をしてるんだ?」
「え?」
まずは声をかけられたことに驚いた。
閉鎖空間に居るのは神人のみのはず。
まさか"機関"の仲間が外からの侵入を果たしたか。
それが誰かまでは咄嗟に分からなかったが声には聞き覚えがあった。だから、そんなことを夢想した。
だけど、
「ちょっと古泉君、大丈夫?」
「ぐ、具合でも悪いんですか?」
彼女達の声が組み合わさった事で、そこがどこなのか認識した。
視界が戻る。痛みの原因は急に差し込んだ斜陽の光によるものだった。
西へ傾いた太陽は、光を部室の奥にまで届けている。
本来、この閉鎖空間を満たすべき灰色はどこにも認められない。
(これは……夢でしょうか)
呆然と立ちすくむ。
身を苛ませる焦燥。欲しいものが近くにある。目の前に、どころではなく自分はその只中に居る。
『殺してでも』取り戻したかった日常。
それが、そこにあった。
「ねえ――本格的に大丈夫?」
涼宮ハルヒ。彼女が心配気にこちらを見つめている。
いままでそんな感情を向けられた事はなかった。当然だ。彼女にストレスを溜め込ませない事が自分の役割だった。
あの日常での、自分の役割だったのだ。
その役割にもう一度収まれるのなら。
それは、日常を取り戻せるという事か。
息を吸った。声を出すために。心配など要りませんと、笑顔を浮かべて告げようようと思った。
それが日常だった。自分の役回りならばそれを甘受しよう。辛くなどない。辛いと思うはずがない。
だってあれほどまでに求めていたのだから。
だけど、窓辺に『彼女』が居ない事に気づいてしまったから。
「ええ、すみません――少し熱が。どうも風邪を引いてしまったみたいで」
口から出たのは、そんな言葉に代わっていた。
「じゃあ、こんなところに居ないで早く休まないと――」
「ですが一応欠席のことを伝えようかと。メールなどでは不義理かと思いまして」
「聞いた、キョン? これが副団長とアンタの差よ」
俺は関係ないだろう、と彼が反論する。振り返った彼女が不敵に笑う。
その光景から目を逸らした。ずっと見ていれば縋り付いてしまいそうだった。
その無様をさらす前に、ドアノブに手をかける。彼女は目ざとくそれに気づいた。
「ああ、うん。別に良いわ。風邪、流行ってるみたいだしね。今日は有希も休みだって言うし。早く治しちゃいなさい」
「……おや、そうなのですか」
どうやらそういう風に処理されているらしい。
一礼して、古泉は部室から抜け出した。
後ろ手に扉を閉め切ったとき、すでに古泉の顔から笑顔は消えている。
辺りを見渡す。部室の外は、見慣れた部室棟の廊下だった。当たり前のようで、これは異常だ。
侵入する前は、確かに部室一つ分の空間しかなかったはず。
(僕が侵入した事で広がった――?)
今思えば先ほどの立ち眩みも、世界が広がるという異常にあてられたのかもしれない。
いや、結論を急ぐのはよそう。首を振り、歩き出した。もとより彼女の力は出鱈目に過ぎる。
中が外見通りだとは限るまい。その気になれば彼女はサイコロ大の空間に世界の縮図を描けるだろう。
確かめるべきは、唯一つ。
(そう、この世界は――)
この現実のような閉鎖空間は、果たしてどこまで――
◇◇◇
そして、三十分後。
「ただいま戻りました」
「おう、ごくろーさん。で、首尾は?」
几帳面なほど、彼は時間通りに戻ってきた。
顔からは疲労が薄れている。回復したのではない。新たな高揚に塗りつぶされているだけだ。
「……?」
出夢は首を傾げた。首を傾げて、こちらをじっと見つめてくる古泉を見返した。
何を言うわけでもなく、古泉はただ出夢の顔をじっと見て考え込んでいる。
「どうしたのさおにーさん――さては僕に惚れたか!?」
「いいえ」
「……おいおい、真顔できっぱりとそういわれるとさしもの僕も傷つくぜ」
「あ、いえ……ええと、何でしたか」
言われて、古泉は自分が会話をしているということをはじめて認識したらしい。
殆ど上の空だ。まるで熱病に冒されたかのように、外部を正常に認識していない。
「重症だな、こりゃ」
「古泉一樹」
それを覚ましたのは長門の一声だった。実際に室温を調節したのかもしれない。
古泉の瞳が焦点を結んだ。
「あ――そうですね。お話しましょう」
意を決したように、古泉は出夢と長門を視界に収め、
「僕達は、いますぐにこの世界から脱出できます」
「ただいま戻りました」
「おう、ごくろーさん。で、首尾は?」
几帳面なほど、彼は時間通りに戻ってきた。
顔からは疲労が薄れている。回復したのではない。新たな高揚に塗りつぶされているだけだ。
「……?」
出夢は首を傾げた。首を傾げて、こちらをじっと見つめてくる古泉を見返した。
何を言うわけでもなく、古泉はただ出夢の顔をじっと見て考え込んでいる。
「どうしたのさおにーさん――さては僕に惚れたか!?」
「いいえ」
「……おいおい、真顔できっぱりとそういわれるとさしもの僕も傷つくぜ」
「あ、いえ……ええと、何でしたか」
言われて、古泉は自分が会話をしているということをはじめて認識したらしい。
殆ど上の空だ。まるで熱病に冒されたかのように、外部を正常に認識していない。
「重症だな、こりゃ」
「古泉一樹」
それを覚ましたのは長門の一声だった。実際に室温を調節したのかもしれない。
古泉の瞳が焦点を結んだ。
「あ――そうですね。お話しましょう」
意を決したように、古泉は出夢と長門を視界に収め、
「僕達は、いますぐにこの世界から脱出できます」
◇◇◇
「結論から言えばあれは通常の閉鎖空間ではありませんでした。
例えるならそう、新しく創り上げられた世界といったところでしょうか」
涼宮ハルヒの作り上げた箱庭から帰還した古泉一樹はそう報告した。
「涼宮さんは知っての通り、ああ見えて常識人です。ですからこの奇妙な殺し合いの場においては普通の少女でしかない。
だからこそ、彼女は夢想したのでしょう。平凡な日常。それまで当たり前のように続いていた平穏な日々を」
早い話が現実逃避だ。
別に彼女の精神が特別脆かったというわけではない。正常な人間ならば、大なり小なり誰もがそれを日常的に行っている。
だが涼宮ハルヒには力があった。現実逃避を現実にしてしまう力が。
故に、創り上げる。
いつものように無意識無自覚、そして出鱈目な世界。閉鎖空間を。
「ですが僕ら"機関"が処理していた通常の閉鎖空間がストレス解消の役目を担っていたのに対し、
この閉鎖空間はいわば保身です。涼宮さんが亡くなる直前に、彼女が死を拒絶したことによって生まれた空間。
それも未完成のね。彼女が望んだのは過去の日常。ありがたいことに長門さんと僕はそこに含まれていたようです。
たとえるのなら、あの世界はピースの欠けたジグソーパズル。僕達というピースが進入すればその時点で完成します」
そして完成してしまえば、それはひとつの確固たる世界として機能する。
涼宮ハルヒによる新たな世界創造。彼女を取り巻く組織が恐れていた終末がすぐ傍にある。
「単刀直入に言いましょう」
古泉は一度唇を舐めて湿らすと、決定的な言葉をつむいだ。
「僕達が涼宮さんの世界のピースになれば、このゲームからは逃れられます。
この刻印による死も、管理者の手も届きません。彼女がそれを認めないのだから。
僕達は――このゲームから労せずに降りることができます」
例えるならそう、新しく創り上げられた世界といったところでしょうか」
涼宮ハルヒの作り上げた箱庭から帰還した古泉一樹はそう報告した。
「涼宮さんは知っての通り、ああ見えて常識人です。ですからこの奇妙な殺し合いの場においては普通の少女でしかない。
だからこそ、彼女は夢想したのでしょう。平凡な日常。それまで当たり前のように続いていた平穏な日々を」
早い話が現実逃避だ。
別に彼女の精神が特別脆かったというわけではない。正常な人間ならば、大なり小なり誰もがそれを日常的に行っている。
だが涼宮ハルヒには力があった。現実逃避を現実にしてしまう力が。
故に、創り上げる。
いつものように無意識無自覚、そして出鱈目な世界。閉鎖空間を。
「ですが僕ら"機関"が処理していた通常の閉鎖空間がストレス解消の役目を担っていたのに対し、
この閉鎖空間はいわば保身です。涼宮さんが亡くなる直前に、彼女が死を拒絶したことによって生まれた空間。
それも未完成のね。彼女が望んだのは過去の日常。ありがたいことに長門さんと僕はそこに含まれていたようです。
たとえるのなら、あの世界はピースの欠けたジグソーパズル。僕達というピースが進入すればその時点で完成します」
そして完成してしまえば、それはひとつの確固たる世界として機能する。
涼宮ハルヒによる新たな世界創造。彼女を取り巻く組織が恐れていた終末がすぐ傍にある。
「単刀直入に言いましょう」
古泉は一度唇を舐めて湿らすと、決定的な言葉をつむいだ。
「僕達が涼宮さんの世界のピースになれば、このゲームからは逃れられます。
この刻印による死も、管理者の手も届きません。彼女がそれを認めないのだから。
僕達は――このゲームから労せずに降りることができます」
◇◇◇
まずは静寂が場を支配した。古泉のもたらした情報を整理するための黙考。
涼宮ハルヒは現実のような閉鎖空間――いや、もはや新世界といったほうがいいだろう――を創造した。
いまやこの殺戮の舞台は、その内に別の世界を抱え込んでしまっている。
新世界が完成すればどうなるのか。この世界に上書きされるのか。果てまた別の世界となり独立するのか。
それは分からなかったが、
「いくつか確認したいことがある」
「僕もだ。――おねーさんからどーぞ」
こくりと頷くと、長門はその硝子の様な目で古泉を見つめ、
「閉鎖空間に関して貴方は私にない感覚機能を有している。だから私は貴方からの情報を全面的に正しいものとして受けとった。
だが分からないことがある。涼宮ハルヒが我々という個体を求めていたのなら彼女はそれを造りだせた筈。
ならばピース、すなわち私達だけが欠けているという状況が発生する理由が理解できない。
それとも、あの空間内には――」
「もちろん、SOS団以外の方もいらっしゃいました。
調べてみましたが、きちんと日本以外の場所まで造りこまれていましたよ」
「あ、じゃあ便乗して質問するけど、どうやって調べたのさ? この短時間で世界中回ったって訳じゃないだろ?」
「米国の日本領事館へ電話を掛けました。他にも『機関』の情報網を使って色々と」
「だけど、実際見たわけじゃない」
「同じですよ。彼女が『違和感を感じさせないための措置』を取っていたのなら、実際に行ってみても存在する筈です。
それと、長門さんへの質問の答えですが」
あくまで推測です、と前置きして、
「おそらく僕達が涼宮さんと同じ状況に置かれていたからでしょう。
向こうに居た団員の方は涼宮さん、朝比奈さん、そして彼。どなたもこちらでは既に、亡くなっています。
この"舞台"にいたことそのものが原因なのか、果てまた涼宮さんが本物の僕達が別に居ると捉えていたのかは分かりかねますが」
「非効率過ぎる。涼宮ハルヒは我々と寸分違わない複製を作れるはず。
我々が閉鎖空間に侵入するまで待つ理由がない」
「さぁ、そこまではなんとも。
ですが実際に向こうの世界の貴女は『風邪』で休んでいました。有り得ないことに。
そして誰もそのことに関して違和感を持っていません。気づいてしかるべき彼や朝比奈みくるでさえも、です。
実際問題として、向こうに僕と貴女だけがいないんですよ。あまり疑う余地もないと思いますが」
「だが――」
「こう考えてはどうでしょう」
食い下がる長門を手で制して、古泉。
「僕達は信頼されていた。だから、涼宮さんはあえて僕達を複製しようとは思わなかった。
僕達が必ず自分達で辿り着くと信じていたから」
「……信頼。私達は、信頼されていた?」
長門は一度だけそう呟いた。ただ復唱するように、あるいは自身に囁くように。
その言葉は彼女にとってどういう意味を持っていたのか。
静寂が、その場を支配する。
「――っぷ」
いや、それは違った。
単に、静寂とは正反対のものが一拍遅れて起こったから――だから、その空隙を静寂のように感じただけだった。
「くっ、は、ぎゃは、ぎゃはははははは!」
教室に木霊したのは哄笑だった。その主は無論、人喰いの匂宮出夢。
出夢以外の、二人の視線が集中する。それにも関わらず、出夢の馬鹿笑いは長く続いた。
「あー……はー、全くもって傑作だ。あまりにも可笑しくて死にそうになっちまった」
「……どういう意味ですか?」
「どうにもこうにも、理論立てて説明し始めときながら、その着地点が『信頼』だってか?
そりゃあ失笑もんさ。急にファンシー仕立てになったじゃねーか」
「――そうですね。確かにこれは感情論に過ぎないのかもしれません」
「そう、感情論だよね――おにーさん、ここから逃げ出したいんだろ?」
その言葉は、古泉一樹が腹の底に隠していた核心だった。
目を見開く古泉に対して、出夢はひょいと肩を竦める。
「僕としちゃあどうでもいいのさ。“理由”は想像がつくし、それについて非難しようとも思っちゃいねえ。
だけどそれに他人を、それも僕のおねーさんを巻き込むっていうんなら話は別さ」
「……僕にどうしろと?」
「とりあえず、腹割って話し合おーや。まあ理由の方は話したくなきゃ話さなくていいけどよ。
だけど脱出云々の話はどこまで本当だ? 逃避行の道連れを作るためのおためごかしだってんなら――」
「全て、事実ですよ」
古泉はため息と共に呟いた。そのまま力なく手近な椅子に腰を落とす。
「嘘は、ついていません。……言っていないことは、ありますが」
雨に打たれる野良犬のような目つきで見つめてくる古泉に、出夢は無慈悲に続きを促す。
覚悟を決めたように、あるいは諦めたように古泉は隠匿しようとした事実を吐きだした。
「脱出できるのは、おそらく僕と長門さんの二人だけ、ということです。
人数の問題という訳ではなく、彼女が望んでいるのはSOS団の団員のみでしょうから。
そして脱出してしまえば、僕達は日常生活を送る事に違和感を感じなくなる――こちらのことを忘れてしまう。
だから、長門さんや機関の力を借りて貴女方を助けに来る事もできません」
それは自分達だけが、自分達だけは安全なところまで逃げられるという宣言だった。
出夢がいなければよかった。古泉はそう思った。
長門有希と行動を共にし、命を救ってくれた事さえあるという事実には感謝している。
だから彼をおいて逃げるようとすることに良心が咎められた。事実を隠すような真似をした。
それでも、古泉一樹の腹の内は決まっていたのだ。欲していた日常が側にあるのだと知ってしまえば、決断できた。
出夢と長門を連れて涼宮ハルヒの創造した箱庭に侵入する。
そうしてしまえば、自分と長門は出夢の記憶を忘れてしまえる。
異分子である出夢はどうなるか分からないが、自分達に害は及ばない。そんな打算があった。
なんて卑怯だ。古泉は自嘲気味に笑った。
「出夢さん、人を殺した経験は?」
「殺し屋にそれを聞くかい。魚屋に包丁を使えますかって聞いてるようなもんだぜ?」
「僕もさっき殺しました。殺して、しまったんです」
両手で顔を覆いながら、胸中に渦巻いていた泣き言を吐き出す。
「駄目なんです。あの時はどうしようもないと信じていられた。僕が死んでまで相手の幸福を願う気なんて無かった。
だけど時間が経つに連れてどうしても怖くなるんです。僕と同じ形をした思考するものを殺してしまったことが。
考えないようにしても無理なんです。吐き気がするほど身勝手なことを思ってしまう。
告白します。僕は彼の死を意味の無かったものにしてしまいたい。
彼の死を忘れて生きていきたい。人殺しの責を背負わずに日常を謳歌したい。そう願わずにはいられないんです」
手に残る人肉を裂く感触がおぞましい。鼻腔に香る血臭に吐き気がする。
死が、自分を苛み続ける。
古泉一樹はどこまでいっても一般人だ。竜殺しを成し遂げても、それは変わらない。
殺した後ではその罪に怯える。殺人に酔えるシリアルキラーの才能は彼に無い。
全てを吐露した。顕にしてしまった。元々紙一重で支えていたものが、一度の指摘で全て崩れ落ちた。
古泉は神経質な笑みを浮かべた。体も、言葉も、小刻みに痙攣している。
そうだな、と出夢は胸中で頷いた。殺人は簡単だ。人は簡単に死ぬ。とてつもない覚悟がなければ実行できないというものでは決してない。混雑する駅の階段で少し手を前に突き出せば誰でも大量殺人者になることができる。
だから人を殺した者は大抵、目の前の男のような様相を晒すのだ。
「さあ、どうします? 僕には力も武器もありません。元殺し屋だったという貴女だったら僕を『止める』ことは容易いでしょう」
そして、言外に死を願っている言葉に対して――
だが出夢は首を傾げた。
しばらく天井を仰いで何かの可能性を探すように黙考し、やっぱりないな、と納得して首を戻す。
「いや、問題なくね?」
「は?」
「まあ僕を出し抜こうとしたことはアレだけど、別にそれでおにーさん達が行こうとするのを止める気はねーよ?」
「え、ちょ」
一世一代の告白を無に帰されそうになり、古泉は目を白黒させた。
「僕は、貴女を置き去りしようとしたんですよ? いえ、異分子の貴女があの世界に入って無事な保証など無かった。
僕は貴女が消滅するような可能性にさえ目をつぶったんです」
「そうはならなかったじゃん。いや、おにーさんがどう足掻いたって僕を倒すなんてことできねーよ。舐めんな。
それに置き去りされたって僕は最強だぜ? 死色が死んじまった今となっちゃあ、こっちで僕を殺せるような奴はいない」
そんな大胆不敵な発言に、古泉は言葉を失った。
「だから別に、おにーさんが向こうの世界にいきたいんだったら止めない。
あとは長門のおねーさん次第さ。話を聞いてる限り無理強いできるような力は無いみたいだし、
もうほんとそっち二人だけの問題だろ」
「……僕を、許して貰えると?」
「だーかーらー、僕個人は別におにーさんに恨みなんて持っちゃいないの。
蟻んこに『お前を殺そうとしていた。すまぬ』なんていわれてもそんなの戯言以外の何者でもないだろうが。
ああ、もしおにーさんが殺しちまったっていう人のことを言ってるなら、そいつは僕の管轄外だ。僕は牧師じゃねーしな。
それでも神様にその記憶を忘れさせて貰いたいってんなら、やっぱり僕はそれを止める気は起きねーよ」
あっけらかんとそんな事をいわれる。
古泉は息を吐いた。憑き物が失せるような感覚。なんと言葉を返すべきか。謝罪? 否。
「ありがとう、ございます」
ここに居たのが匂宮出夢であったこと。そのことへの感謝を口にした。
「だから僕は別に感謝されるような事も――ああ、もういいや。
それで、あとはおねーさんの意見次第になったわけだけど」
二人の視線が長門に集中する。
涼宮ハルヒは現実のような閉鎖空間――いや、もはや新世界といったほうがいいだろう――を創造した。
いまやこの殺戮の舞台は、その内に別の世界を抱え込んでしまっている。
新世界が完成すればどうなるのか。この世界に上書きされるのか。果てまた別の世界となり独立するのか。
それは分からなかったが、
「いくつか確認したいことがある」
「僕もだ。――おねーさんからどーぞ」
こくりと頷くと、長門はその硝子の様な目で古泉を見つめ、
「閉鎖空間に関して貴方は私にない感覚機能を有している。だから私は貴方からの情報を全面的に正しいものとして受けとった。
だが分からないことがある。涼宮ハルヒが我々という個体を求めていたのなら彼女はそれを造りだせた筈。
ならばピース、すなわち私達だけが欠けているという状況が発生する理由が理解できない。
それとも、あの空間内には――」
「もちろん、SOS団以外の方もいらっしゃいました。
調べてみましたが、きちんと日本以外の場所まで造りこまれていましたよ」
「あ、じゃあ便乗して質問するけど、どうやって調べたのさ? この短時間で世界中回ったって訳じゃないだろ?」
「米国の日本領事館へ電話を掛けました。他にも『機関』の情報網を使って色々と」
「だけど、実際見たわけじゃない」
「同じですよ。彼女が『違和感を感じさせないための措置』を取っていたのなら、実際に行ってみても存在する筈です。
それと、長門さんへの質問の答えですが」
あくまで推測です、と前置きして、
「おそらく僕達が涼宮さんと同じ状況に置かれていたからでしょう。
向こうに居た団員の方は涼宮さん、朝比奈さん、そして彼。どなたもこちらでは既に、亡くなっています。
この"舞台"にいたことそのものが原因なのか、果てまた涼宮さんが本物の僕達が別に居ると捉えていたのかは分かりかねますが」
「非効率過ぎる。涼宮ハルヒは我々と寸分違わない複製を作れるはず。
我々が閉鎖空間に侵入するまで待つ理由がない」
「さぁ、そこまではなんとも。
ですが実際に向こうの世界の貴女は『風邪』で休んでいました。有り得ないことに。
そして誰もそのことに関して違和感を持っていません。気づいてしかるべき彼や朝比奈みくるでさえも、です。
実際問題として、向こうに僕と貴女だけがいないんですよ。あまり疑う余地もないと思いますが」
「だが――」
「こう考えてはどうでしょう」
食い下がる長門を手で制して、古泉。
「僕達は信頼されていた。だから、涼宮さんはあえて僕達を複製しようとは思わなかった。
僕達が必ず自分達で辿り着くと信じていたから」
「……信頼。私達は、信頼されていた?」
長門は一度だけそう呟いた。ただ復唱するように、あるいは自身に囁くように。
その言葉は彼女にとってどういう意味を持っていたのか。
静寂が、その場を支配する。
「――っぷ」
いや、それは違った。
単に、静寂とは正反対のものが一拍遅れて起こったから――だから、その空隙を静寂のように感じただけだった。
「くっ、は、ぎゃは、ぎゃはははははは!」
教室に木霊したのは哄笑だった。その主は無論、人喰いの匂宮出夢。
出夢以外の、二人の視線が集中する。それにも関わらず、出夢の馬鹿笑いは長く続いた。
「あー……はー、全くもって傑作だ。あまりにも可笑しくて死にそうになっちまった」
「……どういう意味ですか?」
「どうにもこうにも、理論立てて説明し始めときながら、その着地点が『信頼』だってか?
そりゃあ失笑もんさ。急にファンシー仕立てになったじゃねーか」
「――そうですね。確かにこれは感情論に過ぎないのかもしれません」
「そう、感情論だよね――おにーさん、ここから逃げ出したいんだろ?」
その言葉は、古泉一樹が腹の底に隠していた核心だった。
目を見開く古泉に対して、出夢はひょいと肩を竦める。
「僕としちゃあどうでもいいのさ。“理由”は想像がつくし、それについて非難しようとも思っちゃいねえ。
だけどそれに他人を、それも僕のおねーさんを巻き込むっていうんなら話は別さ」
「……僕にどうしろと?」
「とりあえず、腹割って話し合おーや。まあ理由の方は話したくなきゃ話さなくていいけどよ。
だけど脱出云々の話はどこまで本当だ? 逃避行の道連れを作るためのおためごかしだってんなら――」
「全て、事実ですよ」
古泉はため息と共に呟いた。そのまま力なく手近な椅子に腰を落とす。
「嘘は、ついていません。……言っていないことは、ありますが」
雨に打たれる野良犬のような目つきで見つめてくる古泉に、出夢は無慈悲に続きを促す。
覚悟を決めたように、あるいは諦めたように古泉は隠匿しようとした事実を吐きだした。
「脱出できるのは、おそらく僕と長門さんの二人だけ、ということです。
人数の問題という訳ではなく、彼女が望んでいるのはSOS団の団員のみでしょうから。
そして脱出してしまえば、僕達は日常生活を送る事に違和感を感じなくなる――こちらのことを忘れてしまう。
だから、長門さんや機関の力を借りて貴女方を助けに来る事もできません」
それは自分達だけが、自分達だけは安全なところまで逃げられるという宣言だった。
出夢がいなければよかった。古泉はそう思った。
長門有希と行動を共にし、命を救ってくれた事さえあるという事実には感謝している。
だから彼をおいて逃げるようとすることに良心が咎められた。事実を隠すような真似をした。
それでも、古泉一樹の腹の内は決まっていたのだ。欲していた日常が側にあるのだと知ってしまえば、決断できた。
出夢と長門を連れて涼宮ハルヒの創造した箱庭に侵入する。
そうしてしまえば、自分と長門は出夢の記憶を忘れてしまえる。
異分子である出夢はどうなるか分からないが、自分達に害は及ばない。そんな打算があった。
なんて卑怯だ。古泉は自嘲気味に笑った。
「出夢さん、人を殺した経験は?」
「殺し屋にそれを聞くかい。魚屋に包丁を使えますかって聞いてるようなもんだぜ?」
「僕もさっき殺しました。殺して、しまったんです」
両手で顔を覆いながら、胸中に渦巻いていた泣き言を吐き出す。
「駄目なんです。あの時はどうしようもないと信じていられた。僕が死んでまで相手の幸福を願う気なんて無かった。
だけど時間が経つに連れてどうしても怖くなるんです。僕と同じ形をした思考するものを殺してしまったことが。
考えないようにしても無理なんです。吐き気がするほど身勝手なことを思ってしまう。
告白します。僕は彼の死を意味の無かったものにしてしまいたい。
彼の死を忘れて生きていきたい。人殺しの責を背負わずに日常を謳歌したい。そう願わずにはいられないんです」
手に残る人肉を裂く感触がおぞましい。鼻腔に香る血臭に吐き気がする。
死が、自分を苛み続ける。
古泉一樹はどこまでいっても一般人だ。竜殺しを成し遂げても、それは変わらない。
殺した後ではその罪に怯える。殺人に酔えるシリアルキラーの才能は彼に無い。
全てを吐露した。顕にしてしまった。元々紙一重で支えていたものが、一度の指摘で全て崩れ落ちた。
古泉は神経質な笑みを浮かべた。体も、言葉も、小刻みに痙攣している。
そうだな、と出夢は胸中で頷いた。殺人は簡単だ。人は簡単に死ぬ。とてつもない覚悟がなければ実行できないというものでは決してない。混雑する駅の階段で少し手を前に突き出せば誰でも大量殺人者になることができる。
だから人を殺した者は大抵、目の前の男のような様相を晒すのだ。
「さあ、どうします? 僕には力も武器もありません。元殺し屋だったという貴女だったら僕を『止める』ことは容易いでしょう」
そして、言外に死を願っている言葉に対して――
だが出夢は首を傾げた。
しばらく天井を仰いで何かの可能性を探すように黙考し、やっぱりないな、と納得して首を戻す。
「いや、問題なくね?」
「は?」
「まあ僕を出し抜こうとしたことはアレだけど、別にそれでおにーさん達が行こうとするのを止める気はねーよ?」
「え、ちょ」
一世一代の告白を無に帰されそうになり、古泉は目を白黒させた。
「僕は、貴女を置き去りしようとしたんですよ? いえ、異分子の貴女があの世界に入って無事な保証など無かった。
僕は貴女が消滅するような可能性にさえ目をつぶったんです」
「そうはならなかったじゃん。いや、おにーさんがどう足掻いたって僕を倒すなんてことできねーよ。舐めんな。
それに置き去りされたって僕は最強だぜ? 死色が死んじまった今となっちゃあ、こっちで僕を殺せるような奴はいない」
そんな大胆不敵な発言に、古泉は言葉を失った。
「だから別に、おにーさんが向こうの世界にいきたいんだったら止めない。
あとは長門のおねーさん次第さ。話を聞いてる限り無理強いできるような力は無いみたいだし、
もうほんとそっち二人だけの問題だろ」
「……僕を、許して貰えると?」
「だーかーらー、僕個人は別におにーさんに恨みなんて持っちゃいないの。
蟻んこに『お前を殺そうとしていた。すまぬ』なんていわれてもそんなの戯言以外の何者でもないだろうが。
ああ、もしおにーさんが殺しちまったっていう人のことを言ってるなら、そいつは僕の管轄外だ。僕は牧師じゃねーしな。
それでも神様にその記憶を忘れさせて貰いたいってんなら、やっぱり僕はそれを止める気は起きねーよ」
あっけらかんとそんな事をいわれる。
古泉は息を吐いた。憑き物が失せるような感覚。なんと言葉を返すべきか。謝罪? 否。
「ありがとう、ございます」
ここに居たのが匂宮出夢であったこと。そのことへの感謝を口にした。
「だから僕は別に感謝されるような事も――ああ、もういいや。
それで、あとはおねーさんの意見次第になったわけだけど」
二人の視線が長門に集中する。
◇◇◇
長門有希は思考の海に没していた。
外部からの声は、今の彼女にとっては振動以外の意味を持たない。それを信号として認知しない。
彼女の胸中を占めるのは、三つの顔と一つの言葉だけだった。
三つの顔。それは無論、死んでしまった三人だ。涼宮ハルヒ。朝比奈みくる。そして彼。
喜怒哀楽。彼らのあらゆる表情を記憶している。長門有希にとっては不可思議で、だけど心地よかったそれを知っている。
そして、言葉。先ほど聴いた言葉。
それについて考えた事はあまり無かった。
自分が情報操作能力を持っているのは情報統合思念体が涼宮ハルヒの観察に必要だと判断したからで、
それを行使する事には何の感情もいだかなかった。
だからそれは思ってもいない不意打ちであり、長門有希の心の奥まで貫き通す。
そしてその貫かれた隙間から。
苛烈の感情が、迸り始めた。
外部からの声は、今の彼女にとっては振動以外の意味を持たない。それを信号として認知しない。
彼女の胸中を占めるのは、三つの顔と一つの言葉だけだった。
三つの顔。それは無論、死んでしまった三人だ。涼宮ハルヒ。朝比奈みくる。そして彼。
喜怒哀楽。彼らのあらゆる表情を記憶している。長門有希にとっては不可思議で、だけど心地よかったそれを知っている。
そして、言葉。先ほど聴いた言葉。
それについて考えた事はあまり無かった。
自分が情報操作能力を持っているのは情報統合思念体が涼宮ハルヒの観察に必要だと判断したからで、
それを行使する事には何の感情もいだかなかった。
だからそれは思ってもいない不意打ちであり、長門有希の心の奥まで貫き通す。
そしてその貫かれた隙間から。
苛烈の感情が、迸り始めた。
◇◇◇
飛んで、落ちる。
その過程を、出夢は白痴のように呆然と眺めていた。脳内を埋め尽くすのは疑問の一言。
飛んだものが落ちるのは当たり前だ。この悪趣味な遊戯盤にも重力は存在しているのだから。
だがたったいま水っぽい音を立てて落下した球状の物体は『何故落ちた』?
匂宮出夢は床に落ちた古泉一樹の頭部を見て自問自答する。
錐体に変形した机に頚部を貫かれての即死。痛みや恐怖を感じる隙さえなかっただろう。
そんな殺戮を前にして、あろうことか殺し名が一位、匂宮のマンイーターが動けないでいた。
――これは攻撃で、おにーさんが殺されて、その攻撃の方法は見たことがあって、ここには自分とおねーさんしか居なくて。
――なら、犯人は?
分かりきっている。だが、混乱している。それが事実を理解したくないが為であるということには気付けなかったが。
それでも、自分に殺気が向けられれば殺し屋としての機能が自動的に動き出す。
教室に存在するあらゆるものが凶器に変形した。槍、ナイフ、斧、曲弦糸。それら全てが自分に照準を合わせている。
一斉掃射。
全ての武器が同時に動き出し、全ての武器が同時に着弾。
それらが巻き起こした破壊が収まったときには、もはや教室に息をしているものは存在しなかった。
「――どういうことだよ」
無機質な蛍光灯の明かりに照らされている廊下の上。咄嗟に教室から飛び出した出夢が、低く唸るような声で尋ねる。
「どうして、おにーさんを殺したのさ――おねーさん」
殺戮なんて下らない。一日一時間で十分。
だがそんな自分ルールを抜きにしても、彼女の意図が出夢には理解できない。
「私は、」
出夢と同じタイミングで教室から飛び出した長門有希。大分間を空けて、口を開く。
迷っているような口ぶりで、視線を様々に彷徨わせた挙句の発言。
「私は、彼らに信頼されていた」
「……」
「だけど私は守れなかった。その信頼を裏切ってしまった」
「だから殺したのか? 優勝して、あの糞ったれどもにみんな甦らして貰うつもりか?」
「……違う。ただ、我慢できなかった。何もかもが我慢できなかった」
その激情を長門有希に言語化することは出来ないだろう。
それは、何もかもをリセットしたいという気持ちだった。
物事に失敗してしまって、『ああ、もう全てがどうでもいい』と思ってしまうような、そんな自暴自棄だった。
本来なら、それに対する術を大体の人間は持っている。
子供のうちに失敗を重ねて、そして子供だから自暴自棄になっても大した被害は出さずに、段々と感情のコントロールを身に着けていく。
だが、長門有希にはそれがない。感情が芽生え始めたばかりの彼女にとっては、これが始めての失敗だった
そしてその失敗から発生したした被害は甚大で、
彼女は、そんな被害を出した自分に我慢ができなくなっていた。
バグが自分を消していく。それを望むもうどうにでもなれと思っている自分と、それに対立する自分がいる。
そして、消え行く後者の自分が言葉を発した。
「貴女に依頼する」
「――なんだって?」
「貴女は私の暴走を止められると言っていた。私からの依頼があれば、それを受けるとも」
自傷は出来ない。矛盾を抱えたプログラムとはいえ、自己保全の機能はまだ働いている。
故に、懇願した。
「私を抹消して欲しい」
「おねーさん、あんたは――」
何かを言おうとして――だが、出夢は押し黙った。
考え直させる事は出来ない。匂宮出夢はその手段を何一つとして持っていない。
人類最強ならばどうにかしてしまえたのかもしれない。
戯言使いならば何か言葉を知っていたのかも知れない。
だけど、自分は呆れるほどに殺し屋で――
「分かったよ、おねーさん」
――だから、こうするしかない。
呟いて、構える。体を地面に擦れそうなほど深く下げ、重心は極限まで低位置に。
それはまさに、獲物を食い破ろうとする肉食獣の様。
匂宮出夢が殺戮を開始する。
「――十四の十字を身に纏い、これより使命を実行する」
呟いて、出夢は跳んだ。バネ仕掛けのように弾けた四肢は一瞬で出夢の体を運び去っていた。
"後ろ"に。
警告をもたらしたのは経験だ。あの小屋で味わった空気の凍る感覚を体がまだ覚えていた。
着地し、睨む。跳躍と同時に巻き上げられた少量の砂が震えもせず宙に固定されていた。
「同じ技は二度通じねえよ」
冷たい声で呟く出夢。
対し、
「予測範囲内」
そう答えた彼女の瞳は、既に出夢を写すことを止めていた。
写しているのは――単なる敵性障害。
静止していたはずの砂が動いた。
出夢はそれを視認し、さらに後方へ跳躍。直後、視界が天井や床から出鱈目に生えてきた巨大な錐で埋め尽くされる。
(拙いな)
舌打ちする。
無音で廊下を埋め尽くした障害物は彼女達を遮る壁となっていた。
匂宮出夢は接近しなければ敵を殺せない。対して、長門有希は離れていても敵を殺せる。
では一旦校舎から出て外から回り込むか?
いや、それで見失ってしまえば自分より広大な索敵能力を持つ相手の方が更に有利になる。
(つまり――迷ってる暇なんざねーってこった!)
故に、進む方向は正面のみ。
後退から一転し前進する。迫る木製の錐の群れ。新たな錐体の発生は止まっていたが、通り抜けられるような隙間は皆無。
その標的に出夢は助走の勢いのまま右手を引き絞り、打ち付ける。
一喰い。
鉄板すら貫通する平手打ち。その連打は立ち塞がる円錐体を悉くへし折り、向こう側へ続く道を切り開いた。
「ぎゃははは! おねーさん、悪ぃが手加減なんかできねー……ぞ……」
錐体の群れを越え、着地。眼前にある小柄な少女の姿を見つけ、
「マジかよ」
絶句し、即座に出夢は身を翻していた。長門が構えているものを確認した為。
自分が壊した錐体によるバリケードの穴に飛び込み、まだ無事な錐体の後ろに身を潜める。
その動作に僅かに遅れ、蒸気タービンが回転するような甲高い音が追いかけるように響き始めた。
「ありえねえ。ありゃあどうみたって――」
その言葉尻を、爆音がかき消した。
その音は途切れる事がない。個別の音が連続して響くという点で、それは豪雨が降りすさぶ音にも似ていた。
そして、錐体に押し付けていた背中に振動を感じる。幾重にも連なっていた障壁を、あれは一瞬で削りとってしまったらしい。
「やばっ……!」
寄りかかっていた錐体が防護壁の役割を果たさなくなる前に、今度は隣の教室に飛び込む。
だが遅かった。身を隠しきる前に防壁は破壊され、脇腹に激痛。直撃はせずとも掠っただけで皮膚が深く裂けていた。
だくだくと血が零れていく。決して放っておいていい傷ではない。だが怪我の程度よりも、相手の構えている得物の方が何倍も問題だ。
最初は見間違いだと思った。あんなものを隠し持つのは一流の奇術師だって不可能だろう。
ならば、廊下か教室の中に仕込んでいた? だが校舎の中は隅々までとはいかないまでも調べてあった筈――
「いやそうか、おねーさんは物を作り変えられるんだっけ――ぎゃはは! ベイビィ・フェイスも真っ青だぜ!」
空笑い。だがすぐにそれは鳴りを潜めた。
カーテンを引き裂いて即興の止血帯を造りながら、廊下の向こう側に佇んでいた少女の姿を思い返す。
巨大な鋼鉄の缶を背負い、そしてその細腕で軽々と振り回していたものの正体は――
「ガトリング砲はなぁ……ねーよ」
その過程を、出夢は白痴のように呆然と眺めていた。脳内を埋め尽くすのは疑問の一言。
飛んだものが落ちるのは当たり前だ。この悪趣味な遊戯盤にも重力は存在しているのだから。
だがたったいま水っぽい音を立てて落下した球状の物体は『何故落ちた』?
匂宮出夢は床に落ちた古泉一樹の頭部を見て自問自答する。
錐体に変形した机に頚部を貫かれての即死。痛みや恐怖を感じる隙さえなかっただろう。
そんな殺戮を前にして、あろうことか殺し名が一位、匂宮のマンイーターが動けないでいた。
――これは攻撃で、おにーさんが殺されて、その攻撃の方法は見たことがあって、ここには自分とおねーさんしか居なくて。
――なら、犯人は?
分かりきっている。だが、混乱している。それが事実を理解したくないが為であるということには気付けなかったが。
それでも、自分に殺気が向けられれば殺し屋としての機能が自動的に動き出す。
教室に存在するあらゆるものが凶器に変形した。槍、ナイフ、斧、曲弦糸。それら全てが自分に照準を合わせている。
一斉掃射。
全ての武器が同時に動き出し、全ての武器が同時に着弾。
それらが巻き起こした破壊が収まったときには、もはや教室に息をしているものは存在しなかった。
「――どういうことだよ」
無機質な蛍光灯の明かりに照らされている廊下の上。咄嗟に教室から飛び出した出夢が、低く唸るような声で尋ねる。
「どうして、おにーさんを殺したのさ――おねーさん」
殺戮なんて下らない。一日一時間で十分。
だがそんな自分ルールを抜きにしても、彼女の意図が出夢には理解できない。
「私は、」
出夢と同じタイミングで教室から飛び出した長門有希。大分間を空けて、口を開く。
迷っているような口ぶりで、視線を様々に彷徨わせた挙句の発言。
「私は、彼らに信頼されていた」
「……」
「だけど私は守れなかった。その信頼を裏切ってしまった」
「だから殺したのか? 優勝して、あの糞ったれどもにみんな甦らして貰うつもりか?」
「……違う。ただ、我慢できなかった。何もかもが我慢できなかった」
その激情を長門有希に言語化することは出来ないだろう。
それは、何もかもをリセットしたいという気持ちだった。
物事に失敗してしまって、『ああ、もう全てがどうでもいい』と思ってしまうような、そんな自暴自棄だった。
本来なら、それに対する術を大体の人間は持っている。
子供のうちに失敗を重ねて、そして子供だから自暴自棄になっても大した被害は出さずに、段々と感情のコントロールを身に着けていく。
だが、長門有希にはそれがない。感情が芽生え始めたばかりの彼女にとっては、これが始めての失敗だった
そしてその失敗から発生したした被害は甚大で、
彼女は、そんな被害を出した自分に我慢ができなくなっていた。
バグが自分を消していく。それを望むもうどうにでもなれと思っている自分と、それに対立する自分がいる。
そして、消え行く後者の自分が言葉を発した。
「貴女に依頼する」
「――なんだって?」
「貴女は私の暴走を止められると言っていた。私からの依頼があれば、それを受けるとも」
自傷は出来ない。矛盾を抱えたプログラムとはいえ、自己保全の機能はまだ働いている。
故に、懇願した。
「私を抹消して欲しい」
「おねーさん、あんたは――」
何かを言おうとして――だが、出夢は押し黙った。
考え直させる事は出来ない。匂宮出夢はその手段を何一つとして持っていない。
人類最強ならばどうにかしてしまえたのかもしれない。
戯言使いならば何か言葉を知っていたのかも知れない。
だけど、自分は呆れるほどに殺し屋で――
「分かったよ、おねーさん」
――だから、こうするしかない。
呟いて、構える。体を地面に擦れそうなほど深く下げ、重心は極限まで低位置に。
それはまさに、獲物を食い破ろうとする肉食獣の様。
匂宮出夢が殺戮を開始する。
「――十四の十字を身に纏い、これより使命を実行する」
呟いて、出夢は跳んだ。バネ仕掛けのように弾けた四肢は一瞬で出夢の体を運び去っていた。
"後ろ"に。
警告をもたらしたのは経験だ。あの小屋で味わった空気の凍る感覚を体がまだ覚えていた。
着地し、睨む。跳躍と同時に巻き上げられた少量の砂が震えもせず宙に固定されていた。
「同じ技は二度通じねえよ」
冷たい声で呟く出夢。
対し、
「予測範囲内」
そう答えた彼女の瞳は、既に出夢を写すことを止めていた。
写しているのは――単なる敵性障害。
静止していたはずの砂が動いた。
出夢はそれを視認し、さらに後方へ跳躍。直後、視界が天井や床から出鱈目に生えてきた巨大な錐で埋め尽くされる。
(拙いな)
舌打ちする。
無音で廊下を埋め尽くした障害物は彼女達を遮る壁となっていた。
匂宮出夢は接近しなければ敵を殺せない。対して、長門有希は離れていても敵を殺せる。
では一旦校舎から出て外から回り込むか?
いや、それで見失ってしまえば自分より広大な索敵能力を持つ相手の方が更に有利になる。
(つまり――迷ってる暇なんざねーってこった!)
故に、進む方向は正面のみ。
後退から一転し前進する。迫る木製の錐の群れ。新たな錐体の発生は止まっていたが、通り抜けられるような隙間は皆無。
その標的に出夢は助走の勢いのまま右手を引き絞り、打ち付ける。
一喰い。
鉄板すら貫通する平手打ち。その連打は立ち塞がる円錐体を悉くへし折り、向こう側へ続く道を切り開いた。
「ぎゃははは! おねーさん、悪ぃが手加減なんかできねー……ぞ……」
錐体の群れを越え、着地。眼前にある小柄な少女の姿を見つけ、
「マジかよ」
絶句し、即座に出夢は身を翻していた。長門が構えているものを確認した為。
自分が壊した錐体によるバリケードの穴に飛び込み、まだ無事な錐体の後ろに身を潜める。
その動作に僅かに遅れ、蒸気タービンが回転するような甲高い音が追いかけるように響き始めた。
「ありえねえ。ありゃあどうみたって――」
その言葉尻を、爆音がかき消した。
その音は途切れる事がない。個別の音が連続して響くという点で、それは豪雨が降りすさぶ音にも似ていた。
そして、錐体に押し付けていた背中に振動を感じる。幾重にも連なっていた障壁を、あれは一瞬で削りとってしまったらしい。
「やばっ……!」
寄りかかっていた錐体が防護壁の役割を果たさなくなる前に、今度は隣の教室に飛び込む。
だが遅かった。身を隠しきる前に防壁は破壊され、脇腹に激痛。直撃はせずとも掠っただけで皮膚が深く裂けていた。
だくだくと血が零れていく。決して放っておいていい傷ではない。だが怪我の程度よりも、相手の構えている得物の方が何倍も問題だ。
最初は見間違いだと思った。あんなものを隠し持つのは一流の奇術師だって不可能だろう。
ならば、廊下か教室の中に仕込んでいた? だが校舎の中は隅々までとはいかないまでも調べてあった筈――
「いやそうか、おねーさんは物を作り変えられるんだっけ――ぎゃはは! ベイビィ・フェイスも真っ青だぜ!」
空笑い。だがすぐにそれは鳴りを潜めた。
カーテンを引き裂いて即興の止血帯を造りながら、廊下の向こう側に佇んでいた少女の姿を思い返す。
巨大な鋼鉄の缶を背負い、そしてその細腕で軽々と振り回していたものの正体は――
「ガトリング砲はなぁ……ねーよ」
◇◇◇
ガトリングガン――
それは速射性能の極致を目指して作られた兵装である。
束ねられた銃身から発射される弾丸の数は実に分間数千発にも及び、
仮に人体がその銃弾の雨に晒されればミンチになる――程度では済まず、その部位が消し飛ぶ。
もとより航空機からの対地攻撃や拠点防衛等に使われるのが本来の運用方法であり、個人に向けれられるには過火力に過ぎる武装。
長門が作り出したのは、それに限りなく近い構造をしたものである。
生成したのは出夢がトラップを越えてくる寸前。
現時刻から数分前。予め組み込んでおいた攻性情報を発動させ、大量に生み出した杭の壁を一瞥する長門。
仕留め損なったのは分かっていた。人外魔境が闊歩するこの島で、この程度のトラップに必勝を期するのは間違っている。
元々は侵入者用に設置しておいたトラップだったが――いや、今も別に間違った用途に使ったわけではない。
アレは、敵なのだから。
だが、それならば何故一瞬それについて疑問を抱いたのか?
「……」
長門有希は作り上げた壁に背を向けた。不要な思考は停止させ、いまはただ敵の抹殺へとその性能を傾ける。
人は学習する生き物だ。だからあの『敵』は一度見た空気分子による身体拘束をかわして見せた。
だが学習は人間だけに許された能力ではない。ヒューマノイドインターフェイスたる自分もまた経験を積み上げている。
トラップをかわされる所までは予測範囲内だ。敵の身体能力は人の基準値を大幅に上回っている。
建材に使用されているセルロースから生成した錐による障壁もさほど長くはもたないだろう。
長門有希は学習している。
彼女が行った戦闘行動の中で一番負荷が大きかったのはマージョリーとの戦闘だ。
結果は長門有希の敗北。敗因は自身の能力低下と敵の戦闘能力の見誤り。
――もしも力の制限がない状態でこのゲームが開始されたのなら、長門有希は優勝候補の一人に数えられただろう。
彼女は涼宮ハルヒ程ではないとしても、情報を改変できる。敵も、自身も、そして世界すら都合よく作り変えてしまう。
だが制限下、連続して攻性情報を生成する余裕すら今の彼女にはない。
校舎に仕込んでおいた情報も今の一撃に全て注ぎ込んでいた。あの規模の攻撃はもう行えない。
身体能力を底上げすることは可能だろう。しかしそれだけであの敵に勝てるかといえば難しい。
ならば、すべきことは一つだけ。
目的地に着く。といってもそれほど離れてはいない。廊下を少し歩いただけだ。
保健室前。黒く焦げたその空間は、かつて弔詞の詠み手がサラ達を襲撃した場所。
ここに目的の物があることは分かっていた。
≪再構成開始≫
長門の命令に従い、鋼板製の缶が――自在式によって爆破されたガスボンベが再生される。
これをサラやマージョリーと同じように爆発物として使用するという手もあった。
だが長門はそれをしない。
廊下で爆発させたとしても、外や教室の中に逃げられればそれでお仕舞いだ。あの敵ならばそれをやってのける。
故に別の手を使う。再生されたボンベに手を当て、情報を改変する。
≪封入気体を不燃性ガスに置換――圧縮≫
背後で破壊音。敵が錐体を破壊し始めたのだろう。
だが間に合う。事前に自分はあの敵の身体能力を知ることが出来ていた。
事前に『それ』の構造を知る機会もあった。この建築物の内部構造を走査する時間もあった。
だから、間に合う。今度は床に手を当てた。
それを基点として、生成したプログラムが校舎全体を走る。
すでに内部構造は把握しているため、それは必要最低限度のものでいい。
≪蒐集開始――攻性情報を装填≫
もし仮に、この校舎が通常の学び舎として機能していたならば、それは七不思議のひとつにでもなったに違いない。
校舎のありとあらゆる場所で、様々な物品がまるで底なし沼に落ちたかのように沈んでいった。
そうして沈下した品々は長門が手を当てた基点に音もなく集い、混ざり、別の形へと変化していく。
そう。長門有希が出したこの空間における勝利するための方程式。その解は非常に単純なものであった。
すなわち、強力な重火器による武装化である。
攻性情報を次々にプログラムするよりも自分にかかる負荷は低く、また処理能力をほかの事に傾ける事が出来る。
今回は手近に使えるものが無かった為生成せざるを得なかったが、それでもそれ自体は一度の改変で済む。
銃の構造は今朝方触れた狙撃銃のお陰でデータとして蓄積できていたので、あとはそれを目的にあわせて発展させるだけで良かった。
砲身を束ね連発に耐えうる構造にし、その根元にコイル・油圧機構を埋め込み、壁の内部を走る電気ケーブルから動力を取り込む。
火薬の材料はかつてここを根城にしていた者が使い切ってしまったらしくどうしようもなかったため、
背中の缶に封入した高圧縮気体で補うしかなかったが、それでも威力は折り紙つきだ。
敵の間合いの外から攻撃でき、そして接近を許さないほどの速射性。これはそれらを求めた結果の産物だ。
そうして生成し終えた機銃を構えるのと、出夢が錐体を破壊し終えたのはほぼ同時だった。
躊躇わず、引き金を引く。多連装型の砲身が回転し、一定速度になるまでには短いが隙が生まれる。
だが、仮に敵がその隙をつこうとしても無駄だ。そういう距離をとってある。
そう。マージョリーの時とは違い、あの敵の身体能力をこちらは把握しきっている。
それを察したのか、果てまた不確実な賭けをする気はないのか、いずれにせよ敵は後退という選択肢をとった。
見切り、そして単純にその逃走自体の速度も早い。
――だが、その『早さ』も音速には届かない。
砲身の回転が規定速度にまで到達。同時、数百の鉄礫の群れが吐き出された。
その礫ひとつひとつにさえ厚さ五センチの鉄板を楽々貫通する威力がある。それが量を伴って放たれれば一体なにが起こるか。
聞く者の鼓膜を切り裂きそうな程甲高いタービン音は数秒で止んだ。弾が尽きたのだ。
廊下を埋め尽くしていた錐体は比喩でなく消し飛んでいた。錐体の底面だけが張り付いた床や天井だけが痕跡として残っている。
戦闘能力だけならば人類最強に勝るとも劣らないとされた出夢でさえ、錐体を破壊し、一人分の通り道を空けるのに十数秒を必要とする。
人類が生み出した英知の結晶は、その数倍の成果を数分の一の時間で完成させた。
「……」
その凄まじい破壊痕の上を長門は無言で踏破していく。
総重量数十キロはある凶器ですら身体能力を強化させた彼女にとっては何の制限にもならなかった。
撃ち尽くした弾丸を再び生成。この程度ならばさほどの負担にはならない。
もっともこの空間において構造情報の変更が恒久的なものにはなりえないのはネックだ。
この兵器の寿命はもって数分が限界だろうし、連続的な身体能力の強化も負荷は大きい。
だがこの戦闘がそれほど長く続く可能性はほぼ、ない。
砲塔を再び回転させながら、敵が逃げ込んだ教室の壁へ向ける。
壁一枚隔てた程度では弾丸も、そして自分の探査能力からも逃げる事は出来ない。
完全な、チェックメイトだ。
それは速射性能の極致を目指して作られた兵装である。
束ねられた銃身から発射される弾丸の数は実に分間数千発にも及び、
仮に人体がその銃弾の雨に晒されればミンチになる――程度では済まず、その部位が消し飛ぶ。
もとより航空機からの対地攻撃や拠点防衛等に使われるのが本来の運用方法であり、個人に向けれられるには過火力に過ぎる武装。
長門が作り出したのは、それに限りなく近い構造をしたものである。
生成したのは出夢がトラップを越えてくる寸前。
現時刻から数分前。予め組み込んでおいた攻性情報を発動させ、大量に生み出した杭の壁を一瞥する長門。
仕留め損なったのは分かっていた。人外魔境が闊歩するこの島で、この程度のトラップに必勝を期するのは間違っている。
元々は侵入者用に設置しておいたトラップだったが――いや、今も別に間違った用途に使ったわけではない。
アレは、敵なのだから。
だが、それならば何故一瞬それについて疑問を抱いたのか?
「……」
長門有希は作り上げた壁に背を向けた。不要な思考は停止させ、いまはただ敵の抹殺へとその性能を傾ける。
人は学習する生き物だ。だからあの『敵』は一度見た空気分子による身体拘束をかわして見せた。
だが学習は人間だけに許された能力ではない。ヒューマノイドインターフェイスたる自分もまた経験を積み上げている。
トラップをかわされる所までは予測範囲内だ。敵の身体能力は人の基準値を大幅に上回っている。
建材に使用されているセルロースから生成した錐による障壁もさほど長くはもたないだろう。
長門有希は学習している。
彼女が行った戦闘行動の中で一番負荷が大きかったのはマージョリーとの戦闘だ。
結果は長門有希の敗北。敗因は自身の能力低下と敵の戦闘能力の見誤り。
――もしも力の制限がない状態でこのゲームが開始されたのなら、長門有希は優勝候補の一人に数えられただろう。
彼女は涼宮ハルヒ程ではないとしても、情報を改変できる。敵も、自身も、そして世界すら都合よく作り変えてしまう。
だが制限下、連続して攻性情報を生成する余裕すら今の彼女にはない。
校舎に仕込んでおいた情報も今の一撃に全て注ぎ込んでいた。あの規模の攻撃はもう行えない。
身体能力を底上げすることは可能だろう。しかしそれだけであの敵に勝てるかといえば難しい。
ならば、すべきことは一つだけ。
目的地に着く。といってもそれほど離れてはいない。廊下を少し歩いただけだ。
保健室前。黒く焦げたその空間は、かつて弔詞の詠み手がサラ達を襲撃した場所。
ここに目的の物があることは分かっていた。
≪再構成開始≫
長門の命令に従い、鋼板製の缶が――自在式によって爆破されたガスボンベが再生される。
これをサラやマージョリーと同じように爆発物として使用するという手もあった。
だが長門はそれをしない。
廊下で爆発させたとしても、外や教室の中に逃げられればそれでお仕舞いだ。あの敵ならばそれをやってのける。
故に別の手を使う。再生されたボンベに手を当て、情報を改変する。
≪封入気体を不燃性ガスに置換――圧縮≫
背後で破壊音。敵が錐体を破壊し始めたのだろう。
だが間に合う。事前に自分はあの敵の身体能力を知ることが出来ていた。
事前に『それ』の構造を知る機会もあった。この建築物の内部構造を走査する時間もあった。
だから、間に合う。今度は床に手を当てた。
それを基点として、生成したプログラムが校舎全体を走る。
すでに内部構造は把握しているため、それは必要最低限度のものでいい。
≪蒐集開始――攻性情報を装填≫
もし仮に、この校舎が通常の学び舎として機能していたならば、それは七不思議のひとつにでもなったに違いない。
校舎のありとあらゆる場所で、様々な物品がまるで底なし沼に落ちたかのように沈んでいった。
そうして沈下した品々は長門が手を当てた基点に音もなく集い、混ざり、別の形へと変化していく。
そう。長門有希が出したこの空間における勝利するための方程式。その解は非常に単純なものであった。
すなわち、強力な重火器による武装化である。
攻性情報を次々にプログラムするよりも自分にかかる負荷は低く、また処理能力をほかの事に傾ける事が出来る。
今回は手近に使えるものが無かった為生成せざるを得なかったが、それでもそれ自体は一度の改変で済む。
銃の構造は今朝方触れた狙撃銃のお陰でデータとして蓄積できていたので、あとはそれを目的にあわせて発展させるだけで良かった。
砲身を束ね連発に耐えうる構造にし、その根元にコイル・油圧機構を埋め込み、壁の内部を走る電気ケーブルから動力を取り込む。
火薬の材料はかつてここを根城にしていた者が使い切ってしまったらしくどうしようもなかったため、
背中の缶に封入した高圧縮気体で補うしかなかったが、それでも威力は折り紙つきだ。
敵の間合いの外から攻撃でき、そして接近を許さないほどの速射性。これはそれらを求めた結果の産物だ。
そうして生成し終えた機銃を構えるのと、出夢が錐体を破壊し終えたのはほぼ同時だった。
躊躇わず、引き金を引く。多連装型の砲身が回転し、一定速度になるまでには短いが隙が生まれる。
だが、仮に敵がその隙をつこうとしても無駄だ。そういう距離をとってある。
そう。マージョリーの時とは違い、あの敵の身体能力をこちらは把握しきっている。
それを察したのか、果てまた不確実な賭けをする気はないのか、いずれにせよ敵は後退という選択肢をとった。
見切り、そして単純にその逃走自体の速度も早い。
――だが、その『早さ』も音速には届かない。
砲身の回転が規定速度にまで到達。同時、数百の鉄礫の群れが吐き出された。
その礫ひとつひとつにさえ厚さ五センチの鉄板を楽々貫通する威力がある。それが量を伴って放たれれば一体なにが起こるか。
聞く者の鼓膜を切り裂きそうな程甲高いタービン音は数秒で止んだ。弾が尽きたのだ。
廊下を埋め尽くしていた錐体は比喩でなく消し飛んでいた。錐体の底面だけが張り付いた床や天井だけが痕跡として残っている。
戦闘能力だけならば人類最強に勝るとも劣らないとされた出夢でさえ、錐体を破壊し、一人分の通り道を空けるのに十数秒を必要とする。
人類が生み出した英知の結晶は、その数倍の成果を数分の一の時間で完成させた。
「……」
その凄まじい破壊痕の上を長門は無言で踏破していく。
総重量数十キロはある凶器ですら身体能力を強化させた彼女にとっては何の制限にもならなかった。
撃ち尽くした弾丸を再び生成。この程度ならばさほどの負担にはならない。
もっともこの空間において構造情報の変更が恒久的なものにはなりえないのはネックだ。
この兵器の寿命はもって数分が限界だろうし、連続的な身体能力の強化も負荷は大きい。
だがこの戦闘がそれほど長く続く可能性はほぼ、ない。
砲塔を再び回転させながら、敵が逃げ込んだ教室の壁へ向ける。
壁一枚隔てた程度では弾丸も、そして自分の探査能力からも逃げる事は出来ない。
完全な、チェックメイトだ。
◇◇◇
(って、おねーさんは思ってるんだろうね)
そして、それはほぼ間違っていない。
即席の止血帯で傷口を圧迫しながら、出夢はため息を吐いた。
状況を確認する。
敵は馬鹿げた火力で武装しており、なおかつこちらより範囲の広いレーダーを備えている。
こちらは手負いで、装備は特に無し。
酷い格差だ。乾いた笑いを口端に浮かべる。勝つ為の方法が全く思い浮かばない。
教室から飛び出して戦おうとすれば、飛び出した瞬間を蜂の巣にされる。
このまま教室に篭城すれば、壁ごと蜂の巣にされる。
結果として、自分に残された最善手は窓からの逃走だ。
さすがに重火器を装備した向こうよりはこちらの方が早いだろう。あとは遮蔽物を利用しながらこの場を離れればいい。
(悪くは無い。っていうか、それしか出来ないね)
窓を見やる。叩けば用意に割れてしまうそれは、自分の逃走をなんら制限し得ない。
だからそれをしないのは、単純に彼女のあの表情を自分が覚えているからだった。
長門有希が自分に向けて発した、最後の懇願。
『私を抹消して欲しい』
相棒は常に無表情だった。だけど、だけどあの言葉を口にしたそのときは――
その顔だけが、自分の脳裏に焼きついている。
(ああ、全く――あんな約束するんじゃなかったなぁ)
全く持って、自分らしくない。暗い天井を仰ぐように見ながら、戯言だ、と呟いた。
廊下から、足音。自分に残された時間はもうさほど無い。
視線を戻す。その時には余計な感傷は消え去っていた。
思考を全て殺人に傾ける。
この一日、長門有希と過ごした記憶。他愛の無い会話を交わし、背中を預け、寝食を共にした。
その思い出を、全て殺戮の足がかりとする。"カーニバル"匂宮理澄の仕事。
(理澄にも中々、えぐい事を任せてたもんだ)
彼女はいない。もう、いない。だから自分がやらねばならない。
『敵』の有する能力の内、いま問題となっているのは二つ。物質の組み換えと遠距離観測能力。
前者には数時間前、小屋で遭遇したチビ娘のようなファンタスティックな力ならば対抗できるらしいが、自分には無い。よってその思考を排除。
残るは観測能力。暗幕を隔てていてもその向こう側を見通し、如何なる物陰に潜もうが看破される最強の目。
真っ向から立ち向かう事は出来ず、最早有効な攻撃手段は奇襲奇策の類しか残されていない出夢にしてみれば、これが一番厄介な能力だ。だが、
(付け込めるのは、ここだな)
かてねてから一つだけ、その能力について疑問に思っていることがあった。
記憶を遡る。まずは初対面。城の中で、敵は確かに扉の向こうにいた自分の存在を察知していた。
ここから分かるのは、敵は確かに壁越しでも内部の状況を知る事ができるという事。
この学校に着てからも、敵は全ての教室を回る事もせずに内部に生物が居ないことを把握していた。
つまり彼女の探査能力は校舎一つ分をその範囲に収めることができるという事になる。
(だけど、それならひとつだけ辻褄が合わなくなっちまう時がある)
『あの時』とそれ以外の違いは何か?
辿り着いた解答は、ひとつ。それが正答かどうかは確信できないが――
(分の悪い賭け。やるっきゃない、か)
迷えるような時間は無い。
ここが学び屋の教室であった事は幸いだった。目的のものを戸棚からありったけ頂戴し、空中に放り出す。
投げた力と重力が均衡を結び、一瞬だけ宙で動きが止まる色とりどりの棒。それら十数点に狙いを定め、
「暴飲、暴食っ!」
そして、それはほぼ間違っていない。
即席の止血帯で傷口を圧迫しながら、出夢はため息を吐いた。
状況を確認する。
敵は馬鹿げた火力で武装しており、なおかつこちらより範囲の広いレーダーを備えている。
こちらは手負いで、装備は特に無し。
酷い格差だ。乾いた笑いを口端に浮かべる。勝つ為の方法が全く思い浮かばない。
教室から飛び出して戦おうとすれば、飛び出した瞬間を蜂の巣にされる。
このまま教室に篭城すれば、壁ごと蜂の巣にされる。
結果として、自分に残された最善手は窓からの逃走だ。
さすがに重火器を装備した向こうよりはこちらの方が早いだろう。あとは遮蔽物を利用しながらこの場を離れればいい。
(悪くは無い。っていうか、それしか出来ないね)
窓を見やる。叩けば用意に割れてしまうそれは、自分の逃走をなんら制限し得ない。
だからそれをしないのは、単純に彼女のあの表情を自分が覚えているからだった。
長門有希が自分に向けて発した、最後の懇願。
『私を抹消して欲しい』
相棒は常に無表情だった。だけど、だけどあの言葉を口にしたそのときは――
その顔だけが、自分の脳裏に焼きついている。
(ああ、全く――あんな約束するんじゃなかったなぁ)
全く持って、自分らしくない。暗い天井を仰ぐように見ながら、戯言だ、と呟いた。
廊下から、足音。自分に残された時間はもうさほど無い。
視線を戻す。その時には余計な感傷は消え去っていた。
思考を全て殺人に傾ける。
この一日、長門有希と過ごした記憶。他愛の無い会話を交わし、背中を預け、寝食を共にした。
その思い出を、全て殺戮の足がかりとする。"カーニバル"匂宮理澄の仕事。
(理澄にも中々、えぐい事を任せてたもんだ)
彼女はいない。もう、いない。だから自分がやらねばならない。
『敵』の有する能力の内、いま問題となっているのは二つ。物質の組み換えと遠距離観測能力。
前者には数時間前、小屋で遭遇したチビ娘のようなファンタスティックな力ならば対抗できるらしいが、自分には無い。よってその思考を排除。
残るは観測能力。暗幕を隔てていてもその向こう側を見通し、如何なる物陰に潜もうが看破される最強の目。
真っ向から立ち向かう事は出来ず、最早有効な攻撃手段は奇襲奇策の類しか残されていない出夢にしてみれば、これが一番厄介な能力だ。だが、
(付け込めるのは、ここだな)
かてねてから一つだけ、その能力について疑問に思っていることがあった。
記憶を遡る。まずは初対面。城の中で、敵は確かに扉の向こうにいた自分の存在を察知していた。
ここから分かるのは、敵は確かに壁越しでも内部の状況を知る事ができるという事。
この学校に着てからも、敵は全ての教室を回る事もせずに内部に生物が居ないことを把握していた。
つまり彼女の探査能力は校舎一つ分をその範囲に収めることができるという事になる。
(だけど、それならひとつだけ辻褄が合わなくなっちまう時がある)
『あの時』とそれ以外の違いは何か?
辿り着いた解答は、ひとつ。それが正答かどうかは確信できないが――
(分の悪い賭け。やるっきゃない、か)
迷えるような時間は無い。
ここが学び屋の教室であった事は幸いだった。目的のものを戸棚からありったけ頂戴し、空中に放り出す。
投げた力と重力が均衡を結び、一瞬だけ宙で動きが止まる色とりどりの棒。それら十数点に狙いを定め、
「暴飲、暴食っ!」
◇◇◇
「――っ!」
長門有希は驚愕した。自身の脳裏にあった教室内部の像が乱れ、鮮明さを欠いたが為。
この僅かな時間で、敵は自分の走査能力の欠点を見抜いたらしい。
有り得ないことだった。この欠点は制限によって偶発的に生じたものだ。同じTFEI端末でも無い限りそれを知る事は出来ないはず。
偶然が、それとも必然か――だがいずれにしろ、見破られたという事実が目の前にある。
実質的に問題はひとつ。奇襲を掛けられれば、武装のせいで小回りが利かなくなったこちらが不利になる。
反射的に長門はガトリングガンのトリガーを引いていた。回転する砲から鉛の激流が吐き出され、壁を貫通。
耳だけではなく、目や皮膚といったその他感覚器にまで引き攣りを起こすような轟音と共に、壁に穴が穿たれて行く。
ほぼ時差無く、教室内でも大破壊が巻き起こされた。
机や椅子は木製の部分は言うに及ばず、スチールの部分まで容易く千切れ飛び、
それが何であったのか分からなくなるまで粉々に粉砕。グラウンド側の窓ガラスも余すところ無く飛散した。
教室が瓦礫置き場に変じるまで僅か数秒。破壊の乱舞は苛烈に過ぎたが、さほど長くは続かなかった。
当たり前だ。重量ではなく体積の問題で、個人で携行できる弾丸の数ならその十秒足らずで撃ちつくしてしまえるのだから。
失策に気づき、長門は新たに弾丸を生成しようと情報改変を行おうとした、刹那。
「僕が見つけたおねーさんの弱点、教えてやろうか」
声は、上から響いてきた。
同時に、目の前の壁が爆砕。掃射によって穴だらけになったそれは、もはや敵と自分とを隔てる壁としての強度を失っていた。
舞い上がる粉塵と破片を突き抜けて死が迫ってくる。
それが人間の腕であるという事実を見る者に忘れさせる、凶悪な速度の掌打。
刹那の後にその一食いが自分の脳髄を完膚なきまでに吹き飛ばす事を感知し、長門は即座に反応した。
情報操作は間に合わない。強化しているとはいえ素手では立ち向かえない。武装は弾切れ。
ならばすることはひとつだけだ。
腰溜めに構えていたガトリングガン。それを押し出すようにして投げつけた。
飛翔していく重さ数キロの鉄塊。常人ならば見切ることも出来ず、骨ごと重要臓器を潰されただろう。
それを、
「遅えっ!」
敵は腕一本でいとも簡単に吹き飛ばす。
だが構わない。もとより敵の力は想定内だ。相手がその一手を打つ為に消費した時間で、自分は間合いをあけることが出来る。
長門は後ろに跳躍しようとして、だが出来なかった。接着されたように足が床を離れない。
「……?」
視線を足元に移す。自分の足の甲から床までを昆虫標本のピンのように鉄パイプが貫通していた。
どうやら机か椅子の一部だったそれを、敵は壁を破壊するのと同時に投げつけていたらしい。
煙の中で、気配から敵の位置を読む技術――それは、長門有希には無い。
今度は耳元で声がした。くすぐる様な、吐息の如き囁き。
「おねーさんには思想理念優雅さ勤勉さは足りてるが――情熱と経験が足りない」
敵の奇妙な台詞と共に、敵自身がこちらに届く。
長門有希が新たに情報を改変する時間は、ない。
そして人食いによるイーティング・ワンが、長門有希の頭部をミンチにした。
長門有希は驚愕した。自身の脳裏にあった教室内部の像が乱れ、鮮明さを欠いたが為。
この僅かな時間で、敵は自分の走査能力の欠点を見抜いたらしい。
有り得ないことだった。この欠点は制限によって偶発的に生じたものだ。同じTFEI端末でも無い限りそれを知る事は出来ないはず。
偶然が、それとも必然か――だがいずれにしろ、見破られたという事実が目の前にある。
実質的に問題はひとつ。奇襲を掛けられれば、武装のせいで小回りが利かなくなったこちらが不利になる。
反射的に長門はガトリングガンのトリガーを引いていた。回転する砲から鉛の激流が吐き出され、壁を貫通。
耳だけではなく、目や皮膚といったその他感覚器にまで引き攣りを起こすような轟音と共に、壁に穴が穿たれて行く。
ほぼ時差無く、教室内でも大破壊が巻き起こされた。
机や椅子は木製の部分は言うに及ばず、スチールの部分まで容易く千切れ飛び、
それが何であったのか分からなくなるまで粉々に粉砕。グラウンド側の窓ガラスも余すところ無く飛散した。
教室が瓦礫置き場に変じるまで僅か数秒。破壊の乱舞は苛烈に過ぎたが、さほど長くは続かなかった。
当たり前だ。重量ではなく体積の問題で、個人で携行できる弾丸の数ならその十秒足らずで撃ちつくしてしまえるのだから。
失策に気づき、長門は新たに弾丸を生成しようと情報改変を行おうとした、刹那。
「僕が見つけたおねーさんの弱点、教えてやろうか」
声は、上から響いてきた。
同時に、目の前の壁が爆砕。掃射によって穴だらけになったそれは、もはや敵と自分とを隔てる壁としての強度を失っていた。
舞い上がる粉塵と破片を突き抜けて死が迫ってくる。
それが人間の腕であるという事実を見る者に忘れさせる、凶悪な速度の掌打。
刹那の後にその一食いが自分の脳髄を完膚なきまでに吹き飛ばす事を感知し、長門は即座に反応した。
情報操作は間に合わない。強化しているとはいえ素手では立ち向かえない。武装は弾切れ。
ならばすることはひとつだけだ。
腰溜めに構えていたガトリングガン。それを押し出すようにして投げつけた。
飛翔していく重さ数キロの鉄塊。常人ならば見切ることも出来ず、骨ごと重要臓器を潰されただろう。
それを、
「遅えっ!」
敵は腕一本でいとも簡単に吹き飛ばす。
だが構わない。もとより敵の力は想定内だ。相手がその一手を打つ為に消費した時間で、自分は間合いをあけることが出来る。
長門は後ろに跳躍しようとして、だが出来なかった。接着されたように足が床を離れない。
「……?」
視線を足元に移す。自分の足の甲から床までを昆虫標本のピンのように鉄パイプが貫通していた。
どうやら机か椅子の一部だったそれを、敵は壁を破壊するのと同時に投げつけていたらしい。
煙の中で、気配から敵の位置を読む技術――それは、長門有希には無い。
今度は耳元で声がした。くすぐる様な、吐息の如き囁き。
「おねーさんには思想理念優雅さ勤勉さは足りてるが――情熱と経験が足りない」
敵の奇妙な台詞と共に、敵自身がこちらに届く。
長門有希が新たに情報を改変する時間は、ない。
そして人食いによるイーティング・ワンが、長門有希の頭部をミンチにした。
◇◇◇
ばしゃり、と赤いものが飛散する。
肉と、血液と、頭蓋骨と、脳漿。その他、人類の頭部に詰まっているもの全てを混ぜこぜにした物体が撒き散らされる。
その赤い海に倒れ臥した少女の首無し死体を見つめながら、出夢は独りごちた。
「小屋の一件で気づいたよ。あのロリコンとチビッ子が来るのを、おねーさんは予見できなかった。
おねーさんの観測能力――雨みたいに動くもので満たされた空間だと利かないんだろ」
出夢の片手は血で、もう片方の手は炭酸カルシウム――チョークの粉に塗れていた。
暴飲暴食による高圧縮の平手打ちによって生み出されたチョーク十数本分の即席煙幕は、どうやら効果があったらしい。
天井に腕を突き刺すことによってさながら蜘蛛の如く張り付いていた出夢の存在を長門は看破できず、掃射は人喰いの下をすり抜けていった。
「んで、もうひとつ。おねーさんは能力は凄いのに、どうにもそれを持て余してる感じがあった」
出会い頭には撃てもしない銃を撃って肩を外し、マージョリーとの戦闘では未知の相手に次手を考慮しない対応をするなど、所々に違和感があった。
それは明らかな戦闘経験の不足。
出夢は知る由も無いが、長門有希という固体が生きてきた時間は僅か四年足らずでしかない。
しかもその内、三年は待機モードとしてほぼ何の経験もすることなく過ごしていた。
元の世界なら情報統合思念体から必要な情報を得る事が出来たのだろうが、長門有希自身が経験した情報はあまりにも少なかったのである。
もとより彼女は出夢のような殺戮に塗れた日常に在った訳ではないのだ。
だから、その経験の差がこの結果を招いた。
相手を補足しているというアドバンテージを失っただけで反射的に弾を撃ち尽くし、失策に気づいた後でも武装の優位を放棄する事が出来ず、すぐに逃走には移れなかった。
「つまり、宇宙人は殺し屋に敵わないのさ」
疲弊した軽口を叩きながら、出夢は突き出したままだった右腕を引き戻す。
――そして、異常に気づいた。
「なっ」
右腕が動かない。見えない巨人に掴まれたが如く、ぴくりともしなかった。
同時、床や天井、自身を取り巻く周囲の物体が捩じれるようにして槍へと変質。
その全てが、出夢に向けて一斉に射出された。
再度、轟音。出夢のいた地点に着弾の粉塵が立ちこめ、視界を遮る。
そして誰も見るものがいない中で、首から上を失った長門有希の体がゆっくりと立ち上がった。
さながら出来の悪いゾンビ映画のような光景。
だがもっと趣味の悪い事に、失われた頭部が砕かれた映像を逆回しするように再生していく。
煙が晴れ、それを目にした出夢は乾いた笑いをあげた。
「おねーさん、もしかして不死身だったり、する?」
「貴女が私に再生する隙を与えないため、瞬時に絶命させられる神経系中枢を破壊することは想定の範囲。
だから予め、胸部内に予備のリソースを生成しておいた」
再生された長門有希の口元が動き、呟く。
経験の差が先ほどの結果を招いた。確かにそうだろう。
だが長門有希は学習している。経験が足りないことを知っている。故に、相応の対策は立てておける。
「そのツルペタの、何処にそんな容量があるのさ……ていうか、反則だろ、それ」
「そうでもない。リソース容量を確保するため肺などの重要臓器の大部分を犠牲にし、失った血液もすぐには生成できないほど改変能力が損耗している。
この状況から私が生存できる確率は50%を切る」
「なるほど、ムカつく位小数点以下まで言い切っていたおねーさんにしてみては、大雑把だねえ」
だが、狡猾だ。急に饒舌になったのはただ解説する為ではあるまい。
出夢は自分の右腕を見やった。正確には、右腕があった場所だ。
肩から下の部分は千切れ飛んでいた。あの攻撃から逃れるため、空気固定された右腕を咄嗟に左の一食いで吹き飛ばしたのだ。
神経系ごと吹き飛ばす一食いの傷に痛みはない。だがドクドクと景気良く血液が流れていくのはどうしようもない。
「……動脈性出血。貴女が機能停止するまでもう三十秒と掛からない」
そんな事は分かっている。
一秒毎に強くなっていく脱力感。背筋が凍りつくように寒いのは恐怖からではなく単に失血のせいだ。
敵が口にしたのは死刑宣告ではなく死亡告知。ここに、匂宮出夢の死は決定した。
だけど。
「――黙れよ」
眼前の少女を見つめながら吐き捨てた。
長門有希の表情は変わらない。あの別離の台詞からずっと。
泣きそうな、どこか迷子になってしまった幼子が浮かべるような表情から、変わっていない。
だから、
「そんな顔で、そんな台詞を言うな」
――ああ、むかつく。
その表情を見ているとイライラする。
だから、消してしまおう。
出夢は駆け出した。彼女の表情を消すために。依頼を果たすために。
一歩を踏み出すごとに血液が連動するように噴出していく。
標的に近づくほど、像がぼやけていく。構うものか。
「――安心しな、おねーさん」
その台詞さえ、ぼやけている――舌に血液が送られていない。
近づいてくる死の予定。それが果たされるまでにしなければならないことがある。
敵は時間稼ぎの為に会話を望んだ。それに付き合ったのはこちらも策を考える時間が欲しかったから。
ポケットから小道具を取り出す。
天井に張り付いている時に造っておいた、カーテンの切れ端でチョークの粉を包んだ煙幕弾。
それを長門と自分の中間地点、その天井に向かって投げつけた。
チョークの粉は重く、あまり舞い上がらない。だが上から下に撒く分には丁度いい。
発生した白い煙幕に出夢が飛び込み、僅かな間が出来る。
対する長門有希は動かない。否、動けない。
彼女が疲弊しているのは事実である。
情報改変はほぼ打ち止め。廊下に壁を作り出すことも出来ないし、身体能力を強化して逃げる事も出来ない。
敵は煙幕を作りだしたが、実を言えばそれも無駄だ。すでに肉眼による光学観測しか行えない。
できる事といえば、そう。自身のほんの数センチ先の極小範囲を一度だけ改変するくらい。
だが死に掛けの相手にはそれで十分。
敵の攻撃を再び空気の固定化で防御。それで終わりだ。敵は動けないまま失血死を迎える。
既に演算は終えた。タイミングを狂わせないよう動かずに、相手が煙幕から飛び出してくるその時を待つ。
時間にして一秒足らず。煙幕の中から、敵がこちらに殺到する。
死に体とは思えないほど、速い。強化されていない視力では、その像はぶれてしか映らない。
だが、それでもこちらの演算を超えるものではなかった。
打ち出された平手を、鼻先数センチの距離で固定化する。なんら自分の予測を裏切らず、それに成功。
だが気づく。固定され、こちらに手の平を向けたままの敵の腕に違和感。
――親指が、自分に対して右を向いていた。
「僕は、殺されねぇ」
千切れた右腕。煙幕の中で敵はそれを拾っていたらしい。
掴んでいたそれを離し出夢は左腕を振り上げた。長門はそれをただ見上げる。最早改変は間に合わない。
一瞬だけ視線が交錯する。その刹那。
長門有希の表情が、ミリ単位で動いた。
「――ぎゃはっ。そうだ、そういう表情をしてりゃいいのさ」
その表情に"笑い返して"出夢は左腕を振り下ろす。
一閃する殺人手。頭部から胸部までを削ぐ。
まるで撫でるように、憐憫と愛情を多分に含んだ左の一食いが、今度こそ長門有希の生命を喰らい尽くした。
もつれるように倒れこむ二人の少女。片方は死体で、もう片方もじき死体になる。
「は……ほら、言っただろう。おねーさんは、僕より弱っちいのさ」
出夢の体から熱が消えてゆく。だがそれに恐怖を感じる余裕さえ、機能を失っていく脳みそには存在しない。
唯一の心残りといえば、そう。
「ああ――失敗した」
自分が下敷きにしている、頭部が欠損した長門有希の死体を見てうめく。
「報酬、貰い損ねたな……」
その戯言を耳にする者はなく、ただ冷めた血液だけが床に広がっていった。
肉と、血液と、頭蓋骨と、脳漿。その他、人類の頭部に詰まっているもの全てを混ぜこぜにした物体が撒き散らされる。
その赤い海に倒れ臥した少女の首無し死体を見つめながら、出夢は独りごちた。
「小屋の一件で気づいたよ。あのロリコンとチビッ子が来るのを、おねーさんは予見できなかった。
おねーさんの観測能力――雨みたいに動くもので満たされた空間だと利かないんだろ」
出夢の片手は血で、もう片方の手は炭酸カルシウム――チョークの粉に塗れていた。
暴飲暴食による高圧縮の平手打ちによって生み出されたチョーク十数本分の即席煙幕は、どうやら効果があったらしい。
天井に腕を突き刺すことによってさながら蜘蛛の如く張り付いていた出夢の存在を長門は看破できず、掃射は人喰いの下をすり抜けていった。
「んで、もうひとつ。おねーさんは能力は凄いのに、どうにもそれを持て余してる感じがあった」
出会い頭には撃てもしない銃を撃って肩を外し、マージョリーとの戦闘では未知の相手に次手を考慮しない対応をするなど、所々に違和感があった。
それは明らかな戦闘経験の不足。
出夢は知る由も無いが、長門有希という固体が生きてきた時間は僅か四年足らずでしかない。
しかもその内、三年は待機モードとしてほぼ何の経験もすることなく過ごしていた。
元の世界なら情報統合思念体から必要な情報を得る事が出来たのだろうが、長門有希自身が経験した情報はあまりにも少なかったのである。
もとより彼女は出夢のような殺戮に塗れた日常に在った訳ではないのだ。
だから、その経験の差がこの結果を招いた。
相手を補足しているというアドバンテージを失っただけで反射的に弾を撃ち尽くし、失策に気づいた後でも武装の優位を放棄する事が出来ず、すぐに逃走には移れなかった。
「つまり、宇宙人は殺し屋に敵わないのさ」
疲弊した軽口を叩きながら、出夢は突き出したままだった右腕を引き戻す。
――そして、異常に気づいた。
「なっ」
右腕が動かない。見えない巨人に掴まれたが如く、ぴくりともしなかった。
同時、床や天井、自身を取り巻く周囲の物体が捩じれるようにして槍へと変質。
その全てが、出夢に向けて一斉に射出された。
再度、轟音。出夢のいた地点に着弾の粉塵が立ちこめ、視界を遮る。
そして誰も見るものがいない中で、首から上を失った長門有希の体がゆっくりと立ち上がった。
さながら出来の悪いゾンビ映画のような光景。
だがもっと趣味の悪い事に、失われた頭部が砕かれた映像を逆回しするように再生していく。
煙が晴れ、それを目にした出夢は乾いた笑いをあげた。
「おねーさん、もしかして不死身だったり、する?」
「貴女が私に再生する隙を与えないため、瞬時に絶命させられる神経系中枢を破壊することは想定の範囲。
だから予め、胸部内に予備のリソースを生成しておいた」
再生された長門有希の口元が動き、呟く。
経験の差が先ほどの結果を招いた。確かにそうだろう。
だが長門有希は学習している。経験が足りないことを知っている。故に、相応の対策は立てておける。
「そのツルペタの、何処にそんな容量があるのさ……ていうか、反則だろ、それ」
「そうでもない。リソース容量を確保するため肺などの重要臓器の大部分を犠牲にし、失った血液もすぐには生成できないほど改変能力が損耗している。
この状況から私が生存できる確率は50%を切る」
「なるほど、ムカつく位小数点以下まで言い切っていたおねーさんにしてみては、大雑把だねえ」
だが、狡猾だ。急に饒舌になったのはただ解説する為ではあるまい。
出夢は自分の右腕を見やった。正確には、右腕があった場所だ。
肩から下の部分は千切れ飛んでいた。あの攻撃から逃れるため、空気固定された右腕を咄嗟に左の一食いで吹き飛ばしたのだ。
神経系ごと吹き飛ばす一食いの傷に痛みはない。だがドクドクと景気良く血液が流れていくのはどうしようもない。
「……動脈性出血。貴女が機能停止するまでもう三十秒と掛からない」
そんな事は分かっている。
一秒毎に強くなっていく脱力感。背筋が凍りつくように寒いのは恐怖からではなく単に失血のせいだ。
敵が口にしたのは死刑宣告ではなく死亡告知。ここに、匂宮出夢の死は決定した。
だけど。
「――黙れよ」
眼前の少女を見つめながら吐き捨てた。
長門有希の表情は変わらない。あの別離の台詞からずっと。
泣きそうな、どこか迷子になってしまった幼子が浮かべるような表情から、変わっていない。
だから、
「そんな顔で、そんな台詞を言うな」
――ああ、むかつく。
その表情を見ているとイライラする。
だから、消してしまおう。
出夢は駆け出した。彼女の表情を消すために。依頼を果たすために。
一歩を踏み出すごとに血液が連動するように噴出していく。
標的に近づくほど、像がぼやけていく。構うものか。
「――安心しな、おねーさん」
その台詞さえ、ぼやけている――舌に血液が送られていない。
近づいてくる死の予定。それが果たされるまでにしなければならないことがある。
敵は時間稼ぎの為に会話を望んだ。それに付き合ったのはこちらも策を考える時間が欲しかったから。
ポケットから小道具を取り出す。
天井に張り付いている時に造っておいた、カーテンの切れ端でチョークの粉を包んだ煙幕弾。
それを長門と自分の中間地点、その天井に向かって投げつけた。
チョークの粉は重く、あまり舞い上がらない。だが上から下に撒く分には丁度いい。
発生した白い煙幕に出夢が飛び込み、僅かな間が出来る。
対する長門有希は動かない。否、動けない。
彼女が疲弊しているのは事実である。
情報改変はほぼ打ち止め。廊下に壁を作り出すことも出来ないし、身体能力を強化して逃げる事も出来ない。
敵は煙幕を作りだしたが、実を言えばそれも無駄だ。すでに肉眼による光学観測しか行えない。
できる事といえば、そう。自身のほんの数センチ先の極小範囲を一度だけ改変するくらい。
だが死に掛けの相手にはそれで十分。
敵の攻撃を再び空気の固定化で防御。それで終わりだ。敵は動けないまま失血死を迎える。
既に演算は終えた。タイミングを狂わせないよう動かずに、相手が煙幕から飛び出してくるその時を待つ。
時間にして一秒足らず。煙幕の中から、敵がこちらに殺到する。
死に体とは思えないほど、速い。強化されていない視力では、その像はぶれてしか映らない。
だが、それでもこちらの演算を超えるものではなかった。
打ち出された平手を、鼻先数センチの距離で固定化する。なんら自分の予測を裏切らず、それに成功。
だが気づく。固定され、こちらに手の平を向けたままの敵の腕に違和感。
――親指が、自分に対して右を向いていた。
「僕は、殺されねぇ」
千切れた右腕。煙幕の中で敵はそれを拾っていたらしい。
掴んでいたそれを離し出夢は左腕を振り上げた。長門はそれをただ見上げる。最早改変は間に合わない。
一瞬だけ視線が交錯する。その刹那。
長門有希の表情が、ミリ単位で動いた。
「――ぎゃはっ。そうだ、そういう表情をしてりゃいいのさ」
その表情に"笑い返して"出夢は左腕を振り下ろす。
一閃する殺人手。頭部から胸部までを削ぐ。
まるで撫でるように、憐憫と愛情を多分に含んだ左の一食いが、今度こそ長門有希の生命を喰らい尽くした。
もつれるように倒れこむ二人の少女。片方は死体で、もう片方もじき死体になる。
「は……ほら、言っただろう。おねーさんは、僕より弱っちいのさ」
出夢の体から熱が消えてゆく。だがそれに恐怖を感じる余裕さえ、機能を失っていく脳みそには存在しない。
唯一の心残りといえば、そう。
「ああ――失敗した」
自分が下敷きにしている、頭部が欠損した長門有希の死体を見てうめく。
「報酬、貰い損ねたな……」
その戯言を耳にする者はなく、ただ冷めた血液だけが床に広がっていった。
【086 匂宮出夢 死亡】
【089 長門有希 死亡】
【091 古泉一樹 死亡】
【残り 29名】
【089 長門有希 死亡】
【091 古泉一樹 死亡】
【残り 29名】