ソビエト共産主義共和国連邦の政治勢力

ここではソビエト共産主義共和国連邦の政治勢力について記載する。

政治派閥

政党

  • 社会民主主義労働者党-SDP(Social Democratic worker's Party)
社会民主主義 
党首:ランプレヒト・ウェーゲナー
社会民主主義を標榜する中道左派政党。
解放政策後に共産党の強硬的・硬直的な路線に反発したサンディカリストや民主社会主義者が結成した。マルティンゲート事件後は改革派に転じた共産党と共に与党連立を形成していたが、188年に反共産党のファイルーズが代表になったことで与党連合を離脱した。
コンゴ戦争では政権の介入拡大に反対し、共産党から離反した中道系の支持者を取り込んだ。197年の大統領選挙では「道徳による和平」を訴えた党首ランプレヒト・ウェーゲナーが大差をつけて当選し、史上初めての非共産系政権を樹立した。

  • 急進進歩党-RPP(Radical Progress Party)
左派加速主義 
党首:ユークト・バーン
新ソ連共産党から離脱した技術主義者の政党。テクノロジーによる共産主義体制実現を最終目標に掲げる。

  • ソビエト共産党-SCP(Soviet Communist Party)
進歩社会主義 
党首:ユーリケ・ぺトレーラ
かつては絶大な力を誇り現在でも第一野党の地位を持つ政党。性質上マルティンゲート事件以前の第一次共産党と以降の第二次共産党に分けられる。
第一次共産党は新ソ連建国以前のアッシリア共産党から発展した政党であり、第十一次十字軍までは新ソ連建国初期の民主体制で与党となった。第十一次十字軍後のメッケルニッヒのクーデターでは幹部の多くが終身刑とされたが、メッケルニッヒの死後のヴェーラー体制では解放政策の一環として軍と政権を共有する政党として活動が再開された。しかしマルティンゲート事件を引き起こした事でその権威は失墜、ソビエト人民党の分離を引き起こし共産党の命脈は絶たれたかに見えた。
しかしその後の年末騒乱によって共産党諸共他の政党も指導者層やベテラン層が一掃された結果、巨大であった共産党にのみ与党を遂行できる能力が残ったことで命脈を保つことになった。以降の第二次共産党は若きカリスマ、ジェルジンスキー大統領の元で再建された。政治思想は改革派の最先鋒であり新ソ連で最も資本主義的とさえ形容される。しかしこの急進的な姿勢が180年代後半になってからは疑問に問われることが増加した。187年選挙では与党として大きな議席減少を経験し、続きSDPが与党連立を離脱した188年の選挙では共和国評議会の過半数を失う大敗北を経験した。
ジェルジンスキーの後を継いだヴァルター・シャイデマンは二期目以降FSA、及び対外硬派層、新右翼との協調路線を開いた。積極的な市場拡大を望む産業界の支持も得たシャイデマン政権は各地の紛争に介入したが、コンゴ戦争の泥沼に嵌り政権支持は後退、戦局打開に失敗し続け支持を失ったことで選挙で敗北、建国以来続いた共産党政権の終焉をもたらした。
第一次・第二次問わず人民の生活に密接な政党で、各地に存在する下部組織では市民の生活上の悩み相談や貧困層への独自の配給なども行っている。このような性質から代議士の数に対する党員の数が多いことも共産党独自の特徴である。

  • 農民と兵士、連帯する同胞団-FS-BIS(Farmers and Soldiers, Brotherhood in Solidarity)
マオイズム 
党首:ユーリ・トレスコウ
農村主体の社会主義を唱え「平等と公正」を党綱領に定める政党。農業と地方主体の社会主義を掲げ農村を中心に根強い支持を受ける。地方選挙では首長を度々輩出するなど決して低くない影響力を持つが、国政選挙では長年第三野党の座に甘んじていた。しかし187年の共和国評議会選挙では野党2党の分裂や与党の求心力低下という追い風を受け躍進することに成功した。しかしコンゴ戦争中に存在感を発揮できず、対照的に統一して反戦を掲げたSDPの躍進を許した。

  • ソビエト人民党-SPP(Soviet People's Party)
マルクス・レーニン主義
党首:レオニード・リンネ
マルティンゲート事件後に共産党を離脱した最強硬派、最大綱領派による政党。正統派マルクスレーニン主義を標榜する。FSA・FS-BISと共にマルクス主義連合を形成し与党連合と対峙していたが、185年大統領選挙の敗北を機に連合は瓦解した。以降は市場派に転向したFSAと異なり計画経済支持を堅持したが、188年選挙では共産党を上回る大敗を喫し最小政党に追いやられた。

  • 自由社会主義行動-FSA(Free Socialism Action)
トロツキズム 
指導者:レオ・アレッサンドロ
急進的な社会改革と強硬な外交政策を掲げる政党。新ソ連では極右として扱われる。人口増大とそれに伴う社会不安の増大を追い風に支持を広げた。FSAの支持基盤であるソビエト・ナショナリズムとでも呼ぶべき思想を共有する支持層は「新右翼」と呼ばれた。シャイデマン政権では二期目以降共産党との連立を形成し、外交面で主導権を握った。しかしFSAの主導したコンゴ戦争が失敗に終わったことで共産党ともども支持率が急落、共産党との連立も崩壊し弱小政党に没落した。

  • レグルス国民革命党(Regulus National Revoltuion Party,NRP)
国家サンディカリズム 
党首:フーロ・アヴィ
ユゼフ・ダルエーゲによって創設された右派社会主義政治結社。ダルエーゲが提唱した「生命体国家論」によって率いられる。ダルエーゲの死後はフーロ・アヴィによって率いられている。地方議会を含めて議会の議席は無し。ファシズムへの高い親和性から国家秩序本部によって監視対象とされている。

  • レグルス王党派(Royalist Regulus)
立憲君主制 
指導者:フェルディナン・ガムラン
新ソ連の懐古主義、復古主義団体。古き良きレグルスの復活を希求している。
創設者のオットー・フォン・ガムラスはレグルス連合帝国時代の旧貴族家の出身。第二帝国になってからは同家は反国家社会主義運動を展開したため当局に迫害されていた。新ソ連成立後には右派運動に加わっていたが、新ソ連の国家社会主義的な右派勢力に失望し本組織を設立した。
具体的な主張としては王政復活、貴族制再導入、新自由主義経済の導入を唱えているが、穏健右派の雑多な集まりであり明確な思想的基盤は君主制支持のみである。さらにレグルスの正当な王家はヤマト朝・イェリング朝ともに断絶しているため、擁立する君主についても一致を見ていない脆弱な勢力である。
最終更新:2025年07月16日 07:00