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目次
▶概要 ソビエト共産主義共和国連邦(Union of Soviet Communist Republics)は、中東に位置し、メソポタミア・レバント地域を中核領域とする社会主義連邦国家である。現在の指導者はランプレヒト・ウェーゲナー。
国名は多くの場合、旧ソ連との混同を避けるため「新ソ連」と呼ばれる。短縮表記はUSCR。また俗称として知られる「レグルス」は歴史的にこの地域に存在した国家の呼称ではあるが、最後のレグルス国家の法的な継承国家である
レグルス国民国
が依然としてバングラディシュに存在し、新ソ連政府もレグルス国家の継承は否定しているためこの呼び方は不適切である。
新ソ連は連邦制国家であり、その領土は9の共和国と連邦の直轄域(Union direct control region)で構成される。領土の大半を広大な砂漠が占め、河川の沿岸のわずかな地域とオアシス近辺に人口の過半が居住する。また統一暦140年代に起きたレグルス戦争末期のNBC戦と現在まで続く長年に及ぶ環境破壊に生物が適応し独自の生態系を構成している。それは人間も例外ではなく、新ソ連人は一般的な人間より重金属や放射線による汚染に対する耐性が強い傾向にある。また新ソ連各地には核兵器残留放射線濃度が高い地域が残っており、各国政府は新ソ連への観光の際には注意するよう呼び掛けている。
外交的には社会主義陣営の盟主として第五インターナショナルに加盟し、社会主義諸国と連携している。また伝統的な反君主制の立場から自由主義国家や共和制国家と友好的である。
▶経済 主な産業は石油・天然ガス類の採掘・精製・加工や、肥沃なメソポタミアでの農業(穀物類)、安価なエネルギー単価を利用したアルミニウム精練。政府主導の大規模な投資と社会主義市場経済の導入によって近年世界で最も成長した経済の一つとなっている。特に新ソ連が今日まで推し進めていた大規模な産業計画である人民総合計画(VGP)は、現在の新ソ連経済の基礎を形作っている。
主要な中核都市としては新ソ連東部の産業ハブであるバグダッドや金融都市ベイルートなどが知られ、これらの都市がが新ソ連経済をけん引している。また中小企業に比べ大企業が多いことでも知られ、独特の運営方式で知られる西亜重工社や、アパレルのDUB、巨大ホールディングのMWHが著名な企業として挙げられる。
▶地理・気候 国土の全域が乾燥帯に属し、月別の平均気温は20-25度と、一年を通じて温暖。また極めて降雨が少ない。国土の東北部は新期造山帯に属する山地であり、3000m級の山々が並ぶ。国内最高峰のシェーハ・ダー山もここに存在する。
新ソ連で最も豊富な天然資源は石油及び天然ガス。石油埋蔵量はメソポタミア地域だけで2400億バレルに達し、これは世界全体の石油埋蔵量の13%に達する。非燃料資源では北部のリン鉱石や硫黄が主要な鉱物である。その一方でそれ以外の資源、特に金属資源はごく乏しく、国内需要の大部分を輸入に頼っている。この傾向は新ソ連の外交政策にも影響を与えている。
▶歴史 過去に存在したレグルス帝国の崩壊に伴い成立した共和国を母体として成立した。歴史を通じて欧州諸国と敵対関係にある。
▶政治 大統領の権限が強い民主共和制を取る。国会は共和国評議会と連邦評議会の二院制。近年まで共産党政権が続いていたが、コンゴ戦争での対応の拙さから政権が崩壊、始めて非共産系の大統領が誕生した。
▶文化 文明の十字路とも言われた地理的環境と東西冷戦の最前線であった歴史的背景から、アラブ文化を基に東西の文化が混合された独特な文化を持つ。 |
ソビエト共産主義共和国連邦 Union of Soviet Communist Republics |
国旗 |
国章 |
国歌 インターナショナル |
国家スローガン 民主 平等 連帯 |
|
公用語 |
アラビア語 |
首都 |
新バビロン |
通貨 |
テーベ(T) |
補助通貨 |
ヴェル(1テーベ=100ヴェル) |
政府 |
救国委員会委員長 |
空席 |
中央ソビエト連邦評議会議長 |
クリメント・シュターゼン |
人民大統領 |
ランプレヒト・ウェーゲナー |
人口 |
総計 |
8903万 |
成立 |
アッシリア労兵ソビエト救国政府 |
統一暦150年 |
ソビエト共産主義共和国連邦 |
統一暦151年 |
国教 |
なし |
中の人 |
yamato |
平時 |
国内 |
人民新報 |
24/08/01 |
与党再び大敗 ねじれの見込み |
|
昨晩188年度共和国評議会選挙の開票が行われた。共産党は逆風の中で10議席を減らすにとどまるなど健闘したが、先月の重大な政治的バランスの変化を抑え込むには全く不十分な結果に終わった。 先月健康上の理由で退任したヴィクトワール・ギレ代表の後を継いだSDPのオータム・ファイルーズ新代表は開示前に記者会見を開き共産党との連立解消を発表していた。ファイルーズ氏は以前からSDP内で共産党に批判的な派閥の一員で、与党連合が大敗を喫した前選挙から勢いを強めていた。 今回の選挙とSDPの離脱によって与党連合は連合全体で議席の過半数を割り厳しい政権運営を強いられることになるだろう。共産党は支持率の低迷を受け野党マルクス主義連合を離脱し社会主義市場経済への支持を表明していたFSAとの連立を図っているようだが、レオ・アレッサンドロ代表はこれを公に否定している。 今回の選挙で窮地に陥ったのは共産党だけではない。マルクス主義連合の崩壊後更なる極左路線への傾向を強めていた人民党は大きく議席を減らした。FSAはむしろ議席を拡大した一方でFS-BISは前回の勢いを持ち越すことはできなかった。SDPは与党を離脱したものの議席の減少は避けられなかった。 この結果に対しシャイデマン大統領はまだ声明を発表していないが、ある共産党幹部は結果と政権中枢への不満を口にした。いずれにしても共和国評議会は今後新たな連合が形成されない限り機能不全に陥り政権運営に重大な支障が生じることは間違いない。政権内でもシャイデマン大統領を非難する論調が高まりつつあり政権の今後は不安定だ。 |
ニュースアーカイブ
正式名称はソビエト共産主義共和国連邦(Union of Soviet Communist Republics)。過去に存在した同名の国家と区別するため通称新ソ連と呼ばれる。
漢字では新蘇聯邦、新蘇聯などと表記され、蘇と略される。「ソビエト」(露: Совет)は「評議会」の意味を持つ。国名については連邦法中に「本連邦の名称は過去に存在した前衛的社会主義の実験国家の遺志の継承としてソビエト共産主義共和国連邦と定める」としている。また法令での新ソ連の呼称は正式名称である「ソビエト共産主義共和国連邦」の他、「本連邦」「我が連邦」などの表記が混在する。
ソビエト共産主義共和国連邦は、国名に固有名詞(地名)を含まない世界でも希有な例であるが、連邦を構成する各共和国の国名には「アッシリア労兵ソビエト連邦共和国」など地名が含まれている。
国際規格(ISO)では3文字略号をSOC、2文字略号をSCと規定している。
レグルスという呼称
新ソ連は先に述べた通り固有名詞を含まない国名であり、固有名詞として新ソ連の領域を指す際はマシュリク、またはレグルスと呼ぶ。マシュリクは「日が昇る所」を意味する言葉である。
レグルスという呼称について説明する為には古く古代メソポタミア時代まで遡る必要がある。現在に残されている数少ない資料によればこの地域に初めて成立した統一国家が獅子の王国を冠していたと考えられている。この「獅子の王国」と古代ギリシャが邂逅した際に、ギリシア人がこの国をラテン語で獅子を意味する「レグルス」と呼んだのがその初出と考えられている。しかしその後ローマ帝国の征服以後にかけて肥沃な土地を有し交通の要衝でこの地域は大国の征服に遭い続けた。ローマの征服から約2000年ほどの間レグルスの名を冠する統一国家は現れず、その名は歴史的用語としての意味しか持たなかった。1900年代に入ると植民地化されていたこの地域でもナショナリズムの高揚と民族運動が発生した。この時の統一国家のスローガンこそが「レグルス国家の復活」であり、その後の一連の時間を経て統一国家としてのレグルスが成立した事でレグルスはこの地域一帯を指す言葉になった。
国旗と国章
新ソ連の国旗は紅一色で構成される珍しい単色旗である。革命運動の際民衆が既存の旗を真っ赤に染め直し革命軍の旗として使ったことに由来する。革命で流れた血と社会主義を象徴している。
◯政治・経済
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※12月01日現在 |
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|
民主的 |
----■---- |
独裁的 |
政治的左派 |
-----■--- |
政治的右派 |
自由経済 |
-■------- |
中央計画経済 |
常備軍 |
-----■--- |
徴兵軍 |
好戦主義 |
■-------- |
穏健派 |
介入主義 |
■-------- |
孤立主義 |
国内経済 |
良 |
■------ |
不 |
好況 |
国民幸福度 |
高 |
--■---- |
低 |
|
体制への不信感 |
高 |
-----■- |
低 |
低い |
国防に対する意識 |
高 |
-■----- |
低 |
特に変わらず |
◯各地域への興味・関心度
地域 |
|
関心ゲージ |
|
コメント |
アルプス以北欧州 |
高 |
-■----- |
低 |
特に関係国が無いため関心度は低い |
地中海 |
高 |
■------ |
低 |
国家戦略上の重要拠点であるため関心度が高い |
ロシア |
高 |
-■------- |
低 |
安全保障上の懸念から関心は高い |
北米 |
高 |
--■---- |
低 |
新陣営の結成の動きにより関心度は高い |
南米 |
高 |
-----■- |
低 |
特に動きが無いため関心は低い |
東アジア |
高 |
-----■- |
低 |
特に動きが無いため、関心は低い |
インド洋 |
高 |
■------ |
低 |
敵対国と友好国が存在するため関心度が高い |
アフリカ |
高 |
-----■- |
低 |
特に動きが無いため、関心は低い |
※12月01日現在 |
|
|
|
|
新ソ連の領土は中東地域のアラビア半島の付け根、シリア地域とチグリス・ユーフラテス川流域とキプロス島に代表される周辺島嶼、および複数の海外領土を持つ。
東西南北に陸続きの国境を持つが、特に東と北の国境は広く、いずれも山岳地帯である。北に
ルメリア・アナトリア社会主義共和国連邦、西に
ハウィクルタフ第三十二王朝、南に
アラ・イスラム国、東に
聖セントリアとそれぞれ国境を接する。
西洋世界とアジア、アフリカの中央にあり文明の十字路といわれる。殆どの国境を陸で繋がれた典型的な大陸国家で、近年は海洋国家への脱皮を目指しているが地政学的な大陸国家としての性質を強く持つ。
国土の殆どはアラビアプレート上にあるが部分的にアフリカ・ユーラシア・アナトリアプレートに属する地域もある。またプレートの境界が多い地域であり地震活動が活発である。また火山も国土の南西部と北部にかけて分布する。
ケッペンの気候区分では国土の7割が
砂漠性気候(BW)に分類され、更に1割は
ステップ気候(BS)に分類されるなど国全体で乾燥した気候が広がっている。砂漠性気候の常として寒暖差が激しい。植生に乏しいこれらの地域は土壌の保水性が極めて低いため例外的な降雨が発生すると洪水を引き起こす。クルディスタン地域や西岸の一部が地中海気候(
Cs)に分類される。この安定した気候を持つ数少ない地域では乾燥地帯では見ることのできないオークの森林や果樹の栽培風景を見る事ができる。
河川・湖沼
世界でも有数の大河川である外来河川のチグリス・ユーフラテス川がアナトリアからペルシア湾に注ぐ。西部ではバラダ川やヨルダン川などの内陸河川が流れている。これらの河川はオアシスと合わせ乾燥地帯の貴重な水資源となっている。
チグリス・ユーフラテス川は新ソ連東部を流れる大河であり、歴史的にもこれらの地域に恩恵をもたらしてきた。古代文明のメソポタミア文明を育んできたことでも知られ、当時から現在までこの地域では農業が盛んである。一方でこの河川は水害や塩害を引き起こしてきたが、現在ではダムや灌漑によって解消が進んでいる。また下流地域に当たるメソポタミア南部では湿地帯が広がり水鳥の居住地にもなっている。
山岳・低地
山岳はクルディスタン地域のザグロス山脈やシリア地域のアンチレバノン山脈に代表される。特に国土東北部は山がちな地形が広がっている。国内最高地点はザグロス山脈のシェーハ・ダー山の3,611 mに達する。
ヨルダン川に位置する死海は標高-400mの地点にあり世界で最も標高の低い場所である。
代表的な都市
連邦直轄域
新バビロン
新バビロンは新ソ連政府がネフド砂漠の北端付近に建設した人工都市。社会主義リアリズムに則った都市設計・建物設計が行われ社会主義建築の聖地とも言われる。立法府と大統領府が所在し新ソ連の中枢である一方で人口は決して多くない。名前の由来でもある古代の都市バビロンとはほぼ何の関係もない。
・ソビエト人民宮殿
翼状に広がる新バビロン市街の翼の付け根にあたる部分で建設が進む超高層ビルディング。スターリン様式を採用した大規模建築で連邦議会や複数のミュージアム、地下鉄駅を含む。ジッグラト型の基礎部分とその上に聳え立つ等間隔に配置された6本の列柱を備える円柱の層が積み重なったバベルの塔を思わせる500mに達する予定の巨大なタワー部分で構成される。
現在の建築進捗は63%である。
キプロスSR
レメソス
レメソスはキプロスソビエト共和国の首都。レグルス時代からの軍都であり、駐屯兵へのサービスを収入源とする市民も多い。
東方SPR
アレッポ
アレッポは東方ソビエト共和国の首都。人口65万程度の都市だが、地中海に向かう新ソ連軍にとって重要な軍都である。郊外には西方方面軍司令部が存在するアレッポ陸軍基地が存在する。
ベイルート
ベイルートは東方ソビエト人民共和国最大の都市。かつては中東のパリとも呼ばれた美しい都市だったが150年代の戦争によって大きく破壊された。VGPで金融都市として再建された。沿岸に広がるビル街は再建されたベイルートの象徴である。市内には新ソ連最大の証券取引所である
ベイルート証券取引所が所在する。
ホムス
ホムスは東方SPRの西部に位置する都市。東方SPRではベイルート・アレッポに次ぐ都市で、シリア地域の軽工業の中心である。国際観光都市としての側面もあり、古代遺跡や伝統的な町並みを残す保存地区をはじめとする歴史的遺産群や新ソ連最高と名高い高級ホテルブランド、オリエントインターナショナルホテルの本店が存在する。
新ソ連の交通ハブとしてのホムスの価値を引き上げるため建設された新ソ連最大の民間空港。利用客も国内最多で年980万人が利用する。新ソ連を訪問する外国人の40%はこの空港を経由して入国し、出国する新ソ連国民の25%がこの空港を経由して出国する。
タルトゥース
タルトゥースは新ソ連西岸第三位の港湾都市であり、港湾の処理能力ではバスラに次ぐ新ソ連の地中海への出口である。
世界でも珍しい原子力灯台。鋼鉄製で、88mの高さを誇る世界最大の灯台である。当初の計画ではさらに巨大な135mになる予定だった。
ダイル・アッザウル
ダイル・アッザウルは政治都市として再建された都市。内務省・石油省ビルが所在している。
スターリン・ゴシック様式で建設された高さ240m、36階建の高層ビルである。中央のビルを四つ角のビルが支える構造をしている(ワルシャワの文化科学宮殿を想像すると良い)。高さ160mの場所には展望台が設置され市内全域を見渡す事ができる。またこのビルは電波塔としても機能している。
Kombinat 16
外国人はもちろん新ソ連人も立ち入りが禁止される区域である封印地区に存在する秘密都市の一つ。シリアのアサド湖湖畔に存在する。
コンビナート16は原子力都市と呼ぶべき都市であり、新ソ連の核開発機関である連邦物理学研究所が設置されているほか、兵器級プルトニウム製造炉が複数機設置され新ソ連の核兵器生産の中核をなしている。
コンビナート16は元は陸軍による核開発計画である終末弾道演算炉計画において165年に設置された陸軍演算研究所と職員が住む宅地であった。この場所が選定されたのは主要都市と国境から十分に離れ、なおかつ水資源を大量に使用可能だったからである。その後170年代には新ソ連での核開発の統合の動きが始まり海空軍の研究員も移り住んだ。
170年代後半からの新ソ連の核軍拡においては核開発の中心として選ばれ、新ソ連最大の核研究施設が設置されるともにプルトニウム製造炉の大量増設が行われた。
中東PSR
ダマスカス
ダマスカスは中東ソビエト共和国の首都。400万に迫る新ソ連西部最大の
ダマスカス都市圏を形成する。
マルジェ広場を中心に放射状に広がる。現存する人類最古の都市であり古代の遺跡が多く遺るほか、大都市としては唯一核攻撃を免れた都市でありレグルス帝国時代の新古典建築が今でも残っている。大規模な国内開発計画であるVGPではパリを意識し対抗した計画が行われ、世界最高の文化都市と謳われた。
エッフェル塔に対抗して建設された高さ400mの電波・展望塔。一辺125mの六角形の基礎を持つタワーである。ダマスカスの名所となっている。
レグルス帝国時代に最高指導者ギース・クロムウェルが官邸として使用した建物。世界的に見ても有数の歴史主義・新古典主義建築であり、戦争による破壊の後で再建され現在は博物館になっている。
沿ヨルダンSPSR
アンマン
アンマンは沿ヨルダン社会主義人民ソビエト共和国の首都。
クルディスタンPSR
モースル
モースルはクルディスタン人民ソビエト共和国の首都。チグリス川が都市を南北に縦断する。新ソ連最大の軽工業都市である。ケッペンの気候区分ではステップ気候に位置する。多様な民族を含む約150万の人口を抱える。伝統的な薄手の織物モスリンで知られるほか、古代から原油が噴出するなど石油産業でも有名。また国内最大の大理石産地である。
アルビール
鉄道が交差し河川が通る交通の要衝。アルビールの城砦として知られる古い城塞を中心に同心円状に都市が広がる。アルビールの城塞には新ソ連重工業省ビルが存在し職員の宿舎も城塞内部に置かれている。
都市には周辺で採れる石油を加工する重化学コンビナートや製鉄所が集積され新ソ連工業において重要な都市である。原料や製造された製品は前述の鉄道や河川運河によって運搬される。河川はペルシア湾の港湾に、鉄道は西海岸とロシア諸国へとつながっている。
アッシリアWSSR
キルクーク
キルクークはアッシリア労兵ソビエト共和国の首都。
メソポタミアSSR
バグダッド
バグダッドはメソポタミア社会主義ソビエト共和国の首都。かつてはイスラーム世界の中心として栄え、モンゴル軍やティムール、核攻撃、
自由軍反乱とジェノサイドなど歴史上の幾度と知れない大破壊にも関わらず再建され続けてきた。連邦政府が主導した
バグダッド計画によってメソポタミア地域全体とともに開発が行われ再びこの地域で最大の都市となった。
- 第二の館
バグダッド計画によって建設された総合図書館。新ソ連第一位の規模を誇り、また幾度もの破壊を受けた経験から異常に強固な建築が行われている。
バスラ
バスラは新ソ連東の城門とも呼べる都市。帝国時代から造船業で栄え、VGPによる再開発が行われた現在も広く沿岸を覆う造船所ドック群が多くの船舶を製造している。軍事都市としても知られ全域が軍事基地となっているブビヤン島ではホルムズ海峡に向けられた長距離砲を見る事ができる。島と本土は世界最大の吊り橋である「152年東風大橋」によって結ばれている。
カルバラー
カルバラーは新バビロンと並ぶ社会主義建築都市であり、新ソ連司法の中心である。市はレーニン塔と名付けられた双曲線構造(
シューホフ・タワー
と同様の構造)の350mのラジオ塔を中心に放射線状に構築される。
連邦最高裁判所は延べ面積111,111平方メートル、地上10階、地下2階の規模を誇る巨大な「社会主義宮殿」である。建物はキリスト教の大聖堂のような強い対称性を持ち尖塔や再帰性のあるアーチなどの構造を持つ。天井がガラス張りの内庭を持ち、高度に管理された照明・気温システムによって世界各地の植物が生育されている。この内庭の他、建物の一部は博物館や美術館として一般に開放されている。また建物は裁判所職員の宿舎にもなっている。
ラマーディ
労働者娯楽協会(WLA)が建設を主導した観光都市。手軽さが売りの観光地で国内観光客魅力度ランキングでは幅広い層の支持を集め常に上位3位以内に入る。ラスベガスを参考にした複合的な観光施設が数多く設置されている。例えばメインとなる建物のホテルクリスタル・パレスはそのガラスで構成された建物の敷地の半分を世界各地の植物を集めた植物園にしている他、温水プールなどのアトラクションを備え、メインホテルの地下には巨大なカジノ施設が設置されている。
ラマーディの外れにあるラマーディ最大のホテル。ハバニヤ湖のほとりに存在し客室からはレイクビューを楽しめる。建物にはその名の由来となった巨大なガラス温室が存在する。温室の中は常に適温に保温されている。温室の中の半分が世界各地の植物を集めた植物園になっているほか、温水プールなどのアトラクションを備え、ホテルの地下には巨大なカジノ施設が設置されている。
クウェートSSPR
クウェート
クウェートはクウェート社会主義人民ソビエト共和国の首都である。新ソ連の石油埋蔵量の1/3が市の周辺に立地する石油都市であると同時に新ソ連最大の観光都市である。観光都市としては中東のハワイを謳い、ビーチや世界最大のショッピングモールであるクウェート・モールを始めとした観光施設が密集している。
災害とその対策
新ソ連は主に砂嵐、砂漠化、洪水、環境汚染の問題を抱えている。これらの問題に関しては主に全連邦自然保護委員会・防災省・水林省が対策に当たっている。
砂漠化
過剰な水資源の利用に代表される要因によってこの地域は世界でも有数の砂漠化が進行する地域の一つである。これに対して政府は脱塩処理された海水の使用を推奨し、砂漠緑化を推進する事で対応している。
汚染
この地域はかつてレグルス帝国と呼ばれる国家が統治していたが、その体制末期の
レグルス戦争で大量のNBC兵器が使用され、現在も一部の地域に汚染が残っている。戦後すぐは全土に汚染が広がっており、この地域に住む人間を含む生物は何かしらの点でこれら汚染に適応してきた。過去にはこの汚染を原因に諸外国からの入国が規制されていた時代もあったが、現在では行われていない。現在残る汚染地域は政府によって
封印地区に指定され民間人の立ち入りは厳しく制限されている。
公害被害も重大な汚染を引き起こしている。レグルス帝国・新ソ連共に公害対策より生産拡大を是とする国家であるため工場周辺の生態系の破壊が深刻である。
緑の盾計画緑の盾計画(Project Green Shield)は新ソ連における大規模な砂漠緑化プロジェクトである。連邦の農業を開発するための水資源を開発することを目的としている。この目的のために、新ソ連の農業省と水林省によって計画された。このプロジェクトは30年後の統一暦197年に完了する予定で、それまでに、このプロジェクトのコストは年間50億ドルに達すると見込まれている。
計画の背景新ソ連は乾燥地帯に位置する国であり、砂漠が国土面積の約2/3を占めている。このため、その広大な面積の多くは水へのアクセスの困難さや、砂塵による災害のために全く利用価値がなく、無人の荒野であった。しかし、この問題を解決するため、新ソ連政府は様々な努力を積み重ねてきた。その一つとして新ソ連は160年代に大規模な農業プロジェクトを行い、農地の拡大や海水脱塩による灌漑設備の建設などを行った。この計画の結果約9,000平方キロの土地が緑地化され約102000ヘクタールの新たな農地が拓かれた。これは当時の新ソ連の耕地面積の96%に当たる広さである。しかし一方でこの計画によって拓かれた農地、及び工業化の進展に伴って水の消費量が急激に増加する副作用があった。
また、緑地化事業の際に生じた不具合も問題となった。広大な植林と無計画な散水によって、砂漠の地下の塩類が毛細管現象によって地上に吸い出され塩害が深刻化したり、河川からの取水が過大となって下流で水不足を引き起こした。
この問題に対処するため、新ソ連政府はさらなる海水脱塩化施設の建設を行なったが、これは対処療法的なものに過ぎなかったため異なるアプローチが模索された。加えて、さらなる農業生産の拡大の要請に応えるための自然環境の開発が求められていた。こうして立案されたのが緑の盾計画である。
計画の概要計画では新ソ連の広大な範囲を樹林によって緑化することになっている。
この緑化には点滴灌漑が使われた。点滴灌漑はスプリンクラーや水路による既存の手法に比べて水効率が極めて高い方法で塩害を抑制する効果が期待できた。一方で点滴灌漑は設備コスト、維持コストが極めて高かったが緑化計画が進行すれば雨量の増加が期待できることや、国外からの援助によって実現した。
述べた通りこの緑化計画は防風防塵林としての従来の緑化効果の他に緑化によって自然環境そのものを変えてしまうことを目的にしていた。緑化の発展によって広大な森林が造成されれば、植物からの蒸散によって地域の水量が増加し雨量の増加が見込めた。これによって地域全体が砂漠気候を脱することが望まれた。気候の緩和は居住環境をより快適なものに変えるだけでなく、さらに多くの、より商品価値の高い農作物の生産を可能に出来ると考えられている。
緑化に用いられる植物は、当初単一種の樹木を植林する計画だったが、外国のアドバイザーを含む専門家の意見によって、複数種類の樹木や耐熱耐乾耐塩性の草本植物を組み合わせた植生を採用することになった。この植生では複数の種類を組み合わせることによって、生態系の多様性を確保し土地の利用率を高めることが出来ると考えられた。こうした理由から、計画の初期において緑化に使用される植物の種の選定が行われた。
緑化には多数の樹木が使用される予定で、植林に用いる樹種は温帯性の落葉高木ではなく、亜熱帯性常緑広葉樹が選定された。選定の理由としては、熱帯地方原産の樹木のほうが成熟が早く、しかも成長速度が高いことが挙げられる。またこれらの木は寒冷地の樹林に比べ、十分な日光さえあれば高い効率で光合成を行うことができた。
計画の影響計画開始直後から計画は新ソ連社会に影響を与えた。植樹された木々が酸性雨によって枯死することを防ぐため、工場の排煙規制が始まった。これは霧(煤煙)の街として知られるようになったメソポタミアの工業都市の多くの環境を改善する効果があっただけでなく、VGPによって建設される無数の都市の公害を未然に防いだとされる。ただし、この規制によってVGPのコストは5から6%程度上昇し期間も3ヶ月程度の延長を必要にしたばかりでなく、経済成長もごく僅かながら減速したとされている。しかし一般にはこの計画は広く賛同を集めている。また190年の中間報告では全土で降雨量の増加と気温低下に有意な影響があったと報告されている。
国土の変遷
最も古い記録では最盛期にあった古代レグルスはメソポタミア・アッシリア・歴史的シリア・沿ヨルダンに領土を持っていた。
近代国家としてのレグルスは冷戦期の
西レグルス(レグルス共和国)がキプロス・シリア・レバノン・ヨルダンに領土を持ち、
東レグルス(中東人民共和国)はイラク・クウェートを領土としていた。冷戦が終わるとこの二国は統一された。
残された記録によれば東西統一後のレグルスはイスラエルに侵攻しこれを併合しているが、その直後に発生した核戦争によって崩壊したため詳細は不明である。
レグルスはその後不明な期間(
失われた世紀)を経てレグルス連合帝国としておおよそ現在の新ソ連と同じ領域で成立した。その後幾度かの植民地戦争や拡張戦争を経て一時期は
レグルス植民地帝国と呼ばれるまでに拡大した。この時期のレグルス帝国はインドシナ・ソマリア・中央アジアに植民地を得た他、ハタイ・ドデカネス諸島を本土に編入した。ただしこの拡大は国力に全く見合わないものであり、殆どの海外植民地をこの後放棄することになる。
インド洋戦争ではルークリア人民共和国を下し、南アジアの大半を領土としていた同国を植民地として植民地帝国に組み込んだ。
その後
レグルス戦争と呼ばれる大戦でレグルス帝国はアナトリア・バルカン半島・北アフリカ・コーカサスからモスクワまでに至るロシアを占領したものの、世界各国からの攻撃に遭いレグルス帝国は降伏と解体を余儀なくされた。
レグルス帝国の解体後のレグルス地域では軍閥が台頭し衝突と淘汰が進んでいった。最終的にメソポタミア地域から勢力を拡大した
アッシリア労兵ソビエト救国政府がシェラルド帝国の占領下にあった北キプロスを除き旧レグルス帝国の中核領域のほとんどを回収した。第十一次十字軍ではパレスチナが占領下におかれ欧州諸国の傀儡として
エルサレム王国が樹立されたが、続く
第三次東地中海戦争で北キプロス・パレスチナを奪還した。また178年にはガルシア連邦共和国からマルタ島を買収した。
また現在、新ソ連はルークリア人民共和国領グジャラート州・セイロン州を信託統治しているほか、マルセイユ港の一部を管理している。反対に
シェラルド帝国にキプロス島の一部を港湾として貸し出している。
係争地
新ソ連は幾つかの地域で領土問題を抱えていたが、現在はいずれも解消済みである。
メソポタミア
イスラーム支配
英仏の支配、独立戦争、冷戦時代
西暦末期まで
レグルス連合帝国と第二帝国
統一暦初のレグルス統一国家であるレグルス連合帝国の直接の母体となったのは
レグルス王国、ひいては
ティクリート侯国に遡る。
統一暦90年〜110年代のレグルス地域は無数の国家が乱立し戦国時代の様相を示していた。その中でティクリート侯国が歴史上初めて登場するのは中国人探検家、
王精衛の『
オリエント紀行』で統一暦102年の事である。ここではティクリート侯国では
ワールス(Vals)家による支配が行われていることが記載されている。またバグダッドへの水運を支配し莫大な利益を上げている有力者として
オキュラス・ヴォルフ・クロムウェルの名が登場する。しかし"統一帝"ヤマトの名は登場しない。
再びティクリート侯国が史料に登場するのは108年の
クウェート共和国の記録である。同年8月頃の共和国の議会での議事録にティクリート近辺を支配する国で僭主が国を乗っ取り王家を族滅に追いやった事が登場する。後の歴史に照らし合わせるとこの僭主こそが
ヤマト1世自身であろうと推測されている。
このクーデター後、それまで有象無象の諸侯の一角に過ぎなかったティクリート侯国は突如として大胆な諸国への侵攻を開始する。弱小勢力であった筈のティクリート侯国は軍事的成功を繰り返し僅か数年で北メソポタミアの有力勢力となった。
ティクリート侯国の躍進を見た南部メソポタミアの大国
メソポタミア王国はこれに対抗するためシリアの
東シリア共和国、アッシリアの
アッシリア大公国と手を組みティクリート包囲網を組んだ。
しかし
ターミヤ会戦でティクリート軍は数に優越するメソポタミア軍主力を殲滅する空前の勝利を収め、111年3月には首都
バグダッドを攻略した。この時点でメソポタミア王国は事実上継戦不能に追い詰められた。
この圧勝を見たアッシリア大公国では大公
ヴォルィーニ・メローヴィンの弟にあたる
リヒャルト・メローヴィンを担ぎ上げる動きが活発化、
クシュタバの戦いでアッシリア大公国軍が壊滅するとヴォルィーニは暗殺された。暗殺後に即位したメローヴィンはティクリートに臣従した。
たちまちのうちに同盟国を失った東シリア共和国は全面対決を避けるため和平を提案したが、ヤマトと宰相となっていたオキュラス・クロムウェルはこれを一蹴、シリア遠征を開始した。
それまでの情報からティクリート軍が野戦・機動戦に長けている事を把握していた東シリア軍は持久戦を志向した。しかし東シリア政界の混乱、
ギース・クロムウェルによって扇動されたトランスヨルダンの諸部族による南部からの攻撃、更には後方に浸透し東シリアの武器供給源であったベイルートからの輸送路を遮断した
グレイ・クロムウェルの種々の要因を受け東シリア軍は十分な能力の発揮に失敗、116年9月6日にダマスカスが陥落し東シリア共和国は消滅した。
包囲網の破壊によってシリア・メソポタミア中枢に確固たる基盤を築いたヤマト1世は
レグルス王を名乗り、レグルスに残る諸勢力の征服・支配の盤石化を開始した。またこのタイミングで首都を征服した
ダマスカスへと移した。
外縁の征服は概ね順調に進み117年までにシリア全域、トランスヨルダン、クウェート、キプロスが支配下に入った。しかし山岳が険しく2度に渡る侵攻を撃退したクルディスタンと、下手に手を出せば諸外国からの介入を招きかねないパレスチナ(イスラエル)の征服は進んでいなかった。
また急速な領土の拡大は国内における反体制派の増加を招いた。ヤマト1世は国家統一を最優先とし軍門に下った諸侯や諸都市に高度な自治を許して迎えたが、これは国内の古参臣下からの反発を招き、また都市圏の共和制・民主制支持派の伸長を許した。彼らは王国内に
青いオーケストラと呼ばれる反体制ネットワークを築き蜂起のタイミングを待った。
しかし反体制派の動きは政権中枢に完全に筒抜けであった。国家の近代化と中央集権化を望むヤマトとクロムウェルはこの機に反体制派を一網打尽にする事を計画していた。
計画は118年3月6日に発動された。クルディスタン征服のためヤマトとクロムウェルらが中央政府軍を率いて出征するという報が国内に出回った。青いオーケストラの主導的な地位にあった諸侯はこれを好機と見て軍を動かした(当時諸侯には軍権が留保されていた。クルディスタン遠征にあたって彼らの軍は徴収されることになっていたが、殆どの諸侯は自衛用や休息中などと理由をつけたり隠し持っていたりして国内に留めていた。)。
しかしこの情報は完全な罠だった。諸侯軍は有力な者たちから原始的な機甲戦力すら含む中央政府軍によって撃破殲滅されていった。更にこれに乗じてヤマトは反乱軍が逃れたとして8月2日にヨルダン川を越え
パレスチナに侵攻し現地のキリスト教勢力を制圧した。9月中には反乱に加担した諸侯や知識人、更には反体制的とされた人々が拘束された。彼らの中には温情ある処分を約束され投降・自白した者たちも数多く含まれていたが、殆どが国家反逆罪として処刑された。(
アラビアの冬)
アラビアの冬の後、レグルスでは名目上は王を中心とする諸侯の連合体制が残されたものの諸侯の力は形骸化した。
国内の整理を終わらせたレグルスは満を持してクルディスタンに侵攻、物量でこれをねじ伏せクルディスタンを平定した。
クルディスタンの征服によってレグルスの支配権を確立したヤマト1世は119年11月9日ダマスカスで
レグルス帝国皇帝に戴冠し
レグルス連合帝国が成立した。
統一から現代まで
民族
新ソ連は多民族国家である。人口の9割を
アラブ人が占め、残りの1割をクルド人、ユダヤ人、アッシリア人などが占める。近年では移民として
アルファリア帝国
から移ってきた日本人が連邦各地に合わせて数十万人居住する。クルド人の大半はクルディスタン人民ソビエト共和国に居住する。ユダヤ人は国内に広く居住するが、特に沿ヨルダン地域に多い。また少数民族としてトルコ人、ペルシア人がそれぞれ国土の北部と東部に数万人存在する。
人口の大半は人工都市新バビロンなどの例外を除いてオアシス都市か河川、海岸に住む。これは国土の大半が砂漠である事に起因している。
言語
新ソ連に法的な公用語は存在しない。国民の9割超が使用するアラビア語が事実上の公用語である。クルド語やヘブライ語が少数言語として存在している。
レグルス帝国時代に言語をアラビア語に統一する政策が行われ、在来の少数言語であるクルド語やヘブライ語が極少数派になる要因となった。現在、民族主義団体がこれらの復古運動を進めている。しかしクルド語運動はクルディスタン人民ソビエト共和国政府によって支援される一方で、そのほかの言語運動を公機関が支援する動きは見られないなど各言語ごとに支援にばらつきがあるのが現状である。
結婚
新ソ連では一夫一妻制夫婦同姓が原則である。ただし一部の共和国では一夫多妻制や夫婦別姓を認める動きが見られる。
また新ソ連政府は人口政策の一環として多産を推奨しており、四人以上の子供を産んだ家庭は表彰される。
教育
新ソ連の教育は社会主義の原則により基本無償である。義務教育は小中高の6・3・3年体制である。新ソ連の学校には短い正月休みと長い夏休みがある。学校教育は殆どアラビア語で行われる。
識字率は平均約94%と高い数値を示している。
著名な高等教育機関
- ダマスカス帝国学院
- 新バビロン・ソビエト大学
- 連邦クウェート国際大学
- 連邦バグダッド大学
- 連邦ベイルート大学
- 連邦アンマン大学
NGO・NPO
新ソ連では多数の国際的なNGO・NPOが活動している。その内いくつかのグループは新ソ連に本部を置いている。
グリーンアース
グリーンアースは自然保護・環境保護団体。クルディスタンのモースルに本部を構える。これまでに1000名弱の構成員が確認されている。
グリーンアースは163年4月3日に自然活動家ウィリアム・ペンスネルとレイ・アカツキサカによって創設された。『あるべき姿へ』をスローガンとし、気候変動・海洋保護・反核・遺伝子工学などに関するキャンペーンを行っている。実際の活動としてはエコタージュ、ロビー活動、プロパガンダ、研究活動などを行っていることで知られる。グリーンアースの活動資金の多くは世界の富裕層からの資金に頼っている。
グリーンアースが他の環境団体と一線を画すのはその強い直接行動性である。グリーンアースはこれまでにウラン採掘場建設に対する妨害活動や洋上石油プラント移設阻止などを行っている。新ソ連ではこういった活動は大抵実力行使によって阻止されるが、グリーンアースは今のところ活動を続けている。
パタゴニア・南ルークリアに支部が存在し、また世界中の富裕層から多額の支援を受けている。
ユマニテ・ユニ
ユマニテ・ユニ(Humanité Unie)は人類至上主義団体、慈善団体。新ソ連のダマスカスに本部を置く非政府組織・非営利組織である。
組織概要
「人類のために(For the Humanity)」をモットーとする国際組織。
活動の軸は二つあり、設立当初からの目的である国際人道支援と近年盛り上がりを見せる反亜人種運動(人類至上主義運動)の展開がある。
人道支援としては紛争地での医療支援や、世界各地の恵まれない子どもたちに対する教育援助、各地で起こる人権抑圧に対する議論喚起活動を行っている。
組織構成
ユマニテ・ユニの最高意思決定機関は本部に存在する総会議で、各国支部及び本部の代表が参加する。
活動に際してユマニテ・ユニは3つの柱を掲げている。
- 人道:ユマニテ・ユニの根幹
- 奉仕:報酬を求めない
- 独立:いかなる公権力による干渉も許さない
組織全体は新ソ連に所在する本部と各国に存在する支部に分かれている。
本部は各支部の連絡調整や新支部の設置、ユマニテ・ユニ全体の意思決定や支部がない地域や大規模被災地での活動、国際的な啓発キャンペーン活動を行っている。
支部は各国国内での活動を専門に行うが、大規模災害や戦争の際には必要に応じて他国での活動を行うこともある。ユマニテ・ユニの支部はかなり自主性が高く、支部の方針やスタンスも国によって大きく異なると言われる。
現在存在する支部
- 新ソ連支部
- 南ルークリア支部
- 月ノ谷支部
- トンガ支部
歴史
ユマニテ・ユニは175年に新ソ連のアンドリュー・ベーラによって創設された。ベーラは新ソ連軍の軍医で
パキスタン戦争に従軍したが、プラネット作戦で目の当たりにしたNC攻撃を受けた市街地と人々の光景にショックを受けた。ベーラは戦後軍を退役し戦争被害者を救済する慈善団体としてユマニテ・ユニを創設した。
ユマニテ・ユニは当時繁栄を遂げていた「赤い資本家」とその企業たちから節税、イメージアップのために多くの援助を受け急成長を遂げた。
しかしユマニテ・ユニの活動は時として公権力との衝突を伴った。ユマニテ・ユニ創設のきっかけとなった一種始まりの地であるインドでの活動は、現地での強権政治を隠蔽しようとする新ソ連と北ルークリア政府の妨害を受けた。この動きにベーラは政府への失望を深め、ユマニテ・ユニは反政府・人権保護運動の姿勢を明確にしていった。
これに対し新ソ連政府はユマニテ・ユニの活動の妨害を試みた。北ルークリア・セイロンへの侵入を禁止するなど一定の成果を上げたが、慈善団体であるユマニテ・ユニの活動自体にはなんら違法性がなく、団体の禁止には失敗した。しかしその後も新ソ連政府はユマニテ・ユニを警戒・敵視しており、その背景には新ソ連政府が隠している多くの人権抑圧があるとされている。
青少年・婦人団体
新ソ連には幾つかの大きな青少年団体・婦人団体が存在する。彼らの多くは政府からの支援を得ている。
自由青少年突撃隊
自由青少年突撃隊(Free Youth Sturmabteilung, FYS)は新ソ連の若年団体で、主に6〜18歳の少年少女らが幅広く所属する。博愛と団結という社会主義精神を教育し、社会人としての市民を育成することを目的とする。
FYSは年齢別に大きく二つに分かれており、6〜13歳までが所属するL-FYS(Little-FYS)と14〜18歳の所属するJ-FYS(Juvenile-FYS)が存在する。L-FYSは自然との触れ合いや様々な年代の人々との交流を通して少年少女の心を伸ばし生き生きとした人格を育成する。J-FYSはより実践的な内容を取り、戦時に備え応急処置や新ソ連の広大な面積を占める砂漠との付き合い方、戦時国際法を学ぶ。
FYSへの参加は一応任意とされているが、殆どの学校や親にとって加盟は当然の事と考えられている。また素行不良や成績不良によって除名されることは殆どない。
FYSの加盟者には赤いスカーフと軍帽に似た突撃隊帽が与えられる。加えて特定の成果を挙げた参加者は勲章バッジを受け取る事ができる。
ローザ・ルクセンブルク団
ローザ・ルクセンブルク団(Rosa Luxemburg Company,RLC)は新ソ連の女性団体。女性の社会進出や権利擁護を目的とする団体である。名称は旧ドイツの女性革命家
ローザ・ルクセンブルクから名付けられた。名称は159年にそれまでの名称の女性社会協会(Feminine Social Association,FSA)から改名された。
連邦プロレタリア戦線
連邦プロレタリア戦線(Union Proletarierat Front,UPF)は新ソ連の労働者団体。社会主義の下で全ての労働に服する人民の真に生産的な労働の構成と万人に幸福な労働環境の提供を理念にする組織である。組織体系としては労働組合の組合といった様式で、オープンショップ制の各企業・職場ごとの組合の連携合同を指導する。加盟権は労働に従事する全てのプロレタリアを2名以上包括する組織にあり、一組織中に2つ以上のUPF加盟団体があることも珍しくない。
UPFはその他の団体結社と同様に政府の後援を受けているが、一方でその組織的性質から政治主流から外れたサンディカリストやアナキストが集まりやすい体質を持っており、政府と常に深い関係にあるわけではない。
UPFは労働者の生活改善や信用金庫(連邦労働金庫)の運営などを行う他、労働者の意欲を増進するための活動を行う下部組織を持つ。
労働環境戦線(Works Environment Front)は労働環境の改善を志向するUPFの下部組織。職場を労働者にとって魅力的な物にする、つまり清潔さの向上、衛生状態の向上、適切な作業服、更衣室、ロッカー、空気の改善、工場やその他の雇用場所の騒音の低減のためにキャンペーンの実施を行っている。
労働者娯楽協会(Worker's Leisure Association)はUPFの下部組織でUPF構成員、つまり全国の労働者に格安のレジャーを供給する事を理念とした組織。主に敗戦によって失業した旧帝国時代に旅行代理店やレジャー施設を運用していた人々によって編成された。主な旅行先はインド洋諸島や
月ノ谷共和国連邦の黒海沿岸のリゾート地である。である。WLAはWLA-shipとよばれる
サハリン・セヴェリア共和国製の旅客クルーズ船を保有し、主にインド洋の島々との旅行客の輸送をおこなっている。現在WLAは「アレクセイ・ガスチェフ」と「ヴァレリー・サブリン」の2隻を保有・運用している。
社会保障
新ソ連は自身の社会主義イデオロギーに従って重厚な社会セーフティーネットワークを構築している。最も特徴的なのは一部の高所得者を除いた全ての個人に対して人間の最低必要支出(平均的な光熱費、水道代、食費などの総合コスト)と同額の現金を支給する部分的ベーシックインカム制にある。これは経済的な必要性などから食品などの配給制が形を変えたもので、新ソ連独自の珍しい制度と言える。加えて、新ソ連では一般社会保障、つまり医療・教育など社会にとって決して欠くことの出来ない一般的な分野について多額の支出をしている。特に一定のライン以下の収入者(ほとんどの中流・下級世帯が該当する)はほぼ無料でこれらの支援を受けることが出来る。
これらの社会保障ネットワークは主に政府の一般税収で賄われており、高度な累進所得税や金融取引税、相続税などの直接税によって賄われている。またこれらのシステムはソーシャルセキュリティナンバー、全ての各個人に割り当てられる番号によって管理される収入や世帯など一連の情報が紐付けられた国民番号システムにも似た構造と強く紐付けられることで機能している。
新ソ連政府は失業問題についても熱心に対応している。何故なら失業は高度に経済的な問題であり、ひいては社会主義の理念そのものに関わるからである。詳しくは
経済の欄を参照。
健康新ソ連の平均寿命は72歳である。死因ランキングでは心臓病、腎臓病、呼吸器疾患が上位3位を占めている。
乾燥した風土で感染症のリスクはあまり高くないが、反面工業汚染による死者が年々増加傾向にあるなどの問題が見られる。また拡大する人口規模に追いつかない医療の不足も深刻な問題である。
人口
この地域の人口は
レグルス戦争によって著しい打撃を受けた。従軍した人々を中心に
当時8000万人の内2000万人以上が死亡し、人口が戦前の規模に復旧したのは戦後30年近く経過した178年を待たなければならなかった。これらの年代の人口の欠如は新ソ連による経済・文化・人口政策の多くに影響を与えた。
現在の新ソ連ではチャウシェスク時代のルーマニアで見られたような様々な過激で強硬な人口政策がとられている。まず新ソ連では原則的に医学的・法学的な例外を除き離婚と避妊、堕胎が禁じられている。更に結婚、あるいは一定期間以上同棲関係にある男女で子供がいない人々へ課税が行われている。これらの財源は「人民の家」と呼ばれる孤児院や人口キャンペーンの予算に充てられる。またこれらの政策の結果予期される様々な不正や不法に対処するため政府は秩序本部の権限と予算規模を大幅に拡大した。
宗教政策
191年に行われた国勢調査では新ソ連国民の84%が無宗教と回答している。これはレグルス時代の国家無神論政策が原因であり、信教の自由が保障された現在でも国民の大部分が無神論者である。無宗教を除いて大部分を占めるのはイスラム教である。
また新ソ連の憲法では信教の自由と同時に反宗教宣伝を行い、また宗教活動に参加しない権利が保障されている。加えて新ソ連の代議士は宗教礼拝に参加してはならないと定められている。
新ソ連では第十一次十字軍後、カトリックへの反感からカトリック教会をテロ組織とする通称カトリック法によってクリスチャンの入国は禁止されていた。同法は181年にカトリックの友好国に配慮する形で緩和され、現在では関係者の入国を規制するにとどまっている。
一般
新ソ連は旧ソ連に類似する高度に縦割り化され強大化した行政・官僚組織を保持しており、この傾向の点では旧レグルス帝国と類似する。言うまでもなくその他の官僚国家と同様の長所・短所を持っており、優れた機械の様な技術卓越性と行政上の硬直が大きな特徴である。背景には社会主義国家としての必要性から大きな政府が求められた結果としての官僚制という現実性からの視点と、国民性としての理性崇拝の気風の結果としての文化的な側面からの視点の二つで説明することができる。
これらの行政機関を統制する行政の長である人民大統領は強力な権限を持っている。人民大統領は公選制、任期は5年間で三選まで可能。
財政
新ソ連政府は主に技術、防衛、衛生、公共事業に支出している。新ソ連の国家予算は平均して対GDP比2〜3%の赤字を保っている。この数値はインフレ率とリンクしており事実上の均衡財政を形成している。
この均衡財政は歴史的なものではなく、新ソ連で財政均衡が達成されたのは統一暦180年代にかけてである。それ以前の新ソ連政府は減少傾向にあるもののGDP比10%強の財政赤字を抱えており、債務GDP比は増加の一途を辿っていた。しかし
アークランド懲罰戦争による多額の純金賠償の獲得によって国内債務の一挙清算の目途が立ち、予算中の国債費が大幅に減少、経済成長の反映と合わせ均衡財政が成立した。
新ソ連の予算は支出と収入が生じた時点で計上する発生主義会計によって運営される。
新ソ連の会計年度は1月から始まる。この会計年度に合わせ財政決定権を持つ連邦最高会議に対し執行部を代表する大統領は予算案を前年10月1日までに提出する。予算案の審議順序について明示的な指定はないが、慣習的に共和国議会から審議が行われる。予算は両院での審議・修正を経て議決される。両院で異なった議決が行われた場合は共和国議会優先条項(連邦憲法第46条)に基づき共和国議会での2/3の賛成で可決とすることができる。予算の議決によって大統領は各省庁に対し予算を割り当てる。
なお最高会議が予算年度までに予算案を可決できない場合、政府の機能停止を予防するため暫定的に前年度の予算計画を流用し政府機関を運営する(
繋ぎ予算)。仮予算は最高会議での正式な予算案が通過すると同時に破棄されるが、それまでに新予算内で超過する支出が行われた場合でも既に執行された予算が撤回されることはない。
また議会は通常予算以外に緊急予算と特別予算を計上することができる。これらは主に災害や戦争などの非常の財政支出を補うために用いられる。
予算データを収集する機関は複数存在する。財務省、最高会議予算調査委員会はその一部である。予算調査委員会は今後10年間に渡る長期的な財政見通しも発表している。
税制
新ソ連の税収入は付加価値税、所得税、法人税等による。
新ソ連の直接税はほとんど累進性を有する。例を取ると連邦所得税は単一世帯内での収入が2,500テーベ(=約100万軍事部円)以下の場合10%だが、最高税率となる1,500,000テーベ以上の場合では35%となる。
新ソ連は貧困層の税控除に積極的であり、収入順で下位25%以下の世帯は本来の直接税の50%以上を支払っていないとされている。逆に富裕層の税支出は全体の大きな割合を占め、189年には上位1%の富裕層の収めた連邦所得税は全体の40%を占めた。
非税収入
新ソ連は世界有数の産油国であり、国内の油田の4割以上が国家または国営企業の管理下にある。これらの油田からの収入、またこの収入を用いた投資収益は国家財政において補助的な役割(歳入全体の2割程度)を果たしている。
国家債務
経済>国債を参照
支出
支出は法によって一定の資格を持つ人々に支払いが義務付けられている義務的支出と立法部の裁量で変更可能な裁量的支出に分けられる。
新ソ連の国家支出は歳入とともに増加し続けている。義務的支出は政府の小さな政府志向に伴い小さな増加幅を保っているが、裁量的支出、特に軍事費が180年代以降増加の一途を辿り、重い負担となっている。
本部(Headquarter)
本部は新ソ連最大の行政単位。テロ対策、国内防諜を所管する国家秩序本部と新ソ連の国家安全保障政策を決定する連邦国家安全保障本部の二つが設置されている。
省(Ministry)
省は本部を除いた行政機関の最大単位。他国に比べ細分化・多極化しているが、それにも関わらず内務省など一部の省は広範囲に渡って影響力を保持している。2024/01/26現在新ソ連には30の省がある。
庁(Board)
庁は新ソ連の行政単位の一つ。主に省の下に置かれる。部・局と一部の委員会は庁とほぼ同様の役割を持っている。
弁務官当局(Volkskommissariat)
弁務官当局は新ソ連行政の例外的な単位であり、大統領が何らかの問題に対し対応する必要があると考えられる場合に議会の支持を得た上で設置される一時的な機関。弁務官当局には弁務官当局・高等弁務官当局・総合弁務官当局の三種類が存在し右に行くにつれ権限が強大になる反面、設置に必要な議会の賛成が1/2、2/3、4/5と大きくなる。また最小の権限しか持たない弁務官当局でさえ当該の問題については大幅な権限が認められ、高等弁務官当局では一般省庁をある程度無視した行動が可能で、総合弁務官当局になると総合弁務官は大統領に匹敵する権限を保有する事になる。
省庁一覧
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人民大統領 ┗国家秩序本部 ┗連邦国家安全保障本部 ┗連邦革命軍
┗革命陸軍
┗革命海軍
┗革命空軍
┗戦略宇宙軍 大統領府 ┗南アジア高等弁務官区当局 ┗内務省
┗連邦親衛部
┗内務省特別調査委員部
┗人事局
┗共和国庁
┗連邦直轄区行政庁
┗住宅庁
┗企業庁
┗民間企業監査局
┗国家企業局
┗出入国管理庁
┗宗教庁
┗イスラム課
┗C教課
┗ユダヤ課
┗諸宗教課
┗戸籍庁
┗廃棄物処理庁
┗浄水庁
┗地下水局
┗河川局
┗海水局
┗氷河局
┗連邦国土安全保障省
┗警務庁
┗密輸取締局
┗密航取締局
┗薬物取締局
┗刑務庁
┗沿岸護衛隊
┗難民対策庁
┗国家保安部 ┗郵政省
┗郵便庁
┗郵便貯金庁
┗保険庁 ┗財務省
┗税務庁 ┗法務省 ┗経済省 ┗革命省
┗経済改革委員会
┗規制改革委員会 ┗石油省
┗石油採掘庁
┗ペルシア湾局
┗メソポタミア局
┗アッシリア局
┗シリア局
┗石油保管庁
┗石油加工庁 ┗燃料省
┗石油庁
┗重油局
┗軽油局
┗ガソリン局
┗天然ガス庁
┗石炭庁
┗合成燃料庁
┗バイオ燃料庁
┗アルコール庁
┗水素庁 ┗重工業省
┗自動車庁
┗工作機械庁
┗造船庁
┗電子機械庁
┗通信機械庁
┗重機械庁
┗鉄鋼庁
┗工業規定庁
┗非鉄鋼金属庁
┗レアメタル庁
┗化学産業庁
┗薬品局
┗石油工業局
┗石炭工業局
┗天然ガス工業局
┗合成燃料局
┗高分子工業局
┗油脂工業局
┗精密有機工業局
┗ソーダ工業局
┗アンモニア工業局
┗精密無機化学局 ┗軽工業省
┗食品庁
┗繊維庁
┗木工庁
┗窯業庁 ┗電気省
┗電化庁
┗発電庁
┗火力局
┗石油課
┗天然ガス課
┗石炭課
┗バイオ燃料課
┗水力局
┗太陽光局
┗原子力局
┗潮力局
┗風力局
┗電池庁 ┗商業金融省
┗公正取引委員会
┗貿易省
┗関税庁
┗輸入庁
┗輸出庁 ┗外務省
┗極東庁
┗インド洋庁
┗インド庁
┗オセアニア庁
┗太平洋庁
┗東南アジア庁
┗中華庁
┗シベリア庁
┗北米庁
┗中米庁
┗南米庁
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┗地中海庁
┗欧州庁
┗中東庁
┗ロシア庁 ┗防災省
┗気象庁
┗地震庁
┗火災庁
┗干魃庁
┗砂塵庁
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┗豪雪課
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┗戦災庁 ┗賭博省
┗競馬庁
┗競艇局
┗競輪局
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┗林業庁
┗水産庁
┗漁獲量管理局
┗養殖局
┗遠洋局
┗沿岸局
┗淡水局 ┗農業省
┗牧畜庁
┗ラクダ課
┗狩猟庁
┗穀物庁
┗菜果庁
┗食糧改善委員会
┗農地開拓庁 ┗建設省
┗インフラ庁
┗住居庁
┗建築基準庁 ┗文化省
┗芸術庁
┗文学庁
┗音楽庁
┗映画庁 ┗厚生省
┗衛生庁
┗放射線課
┗DDC
┗福祉庁
┗労働庁
┗体育・スポーツ庁 ┗教育省
┗乳幼教育庁
┗初等教育庁
┗中等教育庁
┗高等教育庁
┗大学庁 ┗情報省
┗印刷庁
┗新聞局
┗書籍局
┗電波庁
┗ラジオ局
┗連邦ラジオ放送局
┗ラジオ・フランス
┗テレビ局
┗連邦テレビジョン放送局
┗報道庁
┗国家広報部 ┗技術省
┗特許庁
┗原子力庁
┗電子庁
┗宇宙庁
┗技術研究開発機関
┗黎明委員会 ┗鉄道省
┗弾丸鉄道計画委員会 ┗航空省 ┗運輸省
┗自動車庁
┗高速道路委員会
┗軽車両庁
┗道路庁 ┗船舶省
┗海運庁
┗河運庁
┗港湾庁
┗運河庁 ┗資源省
┗緊急備蓄庁
┗鉱産資源庁 ┗統計省
┗メートル法推進委員会
┗単位系統一局 ┗全連邦自然保護委員会
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連邦国家安全保障本部
連邦国家安全保障本部(Union State Security Headquarter,USSH)は新ソ連が統一暦182年に設置した国家安全保障と外交政策に関する最高意志決定機関の一つ。
創設
連邦国家安全保障本部は181年12月の閣議で創設が決定し、翌年1月に最高会議で承認された。
USSHは新ソ連の戦力投射が世界に拡大する中で安全保障に関連する分野が経済や文化といった広範なものとなり、更に規模が拡大した革命軍や省庁の政策を調整する必要が生じた。そこで安全保障を総括するUSSHが設置され、それまで不明瞭であった革命軍の所属をUSSHの傘下に移しシビリアンコントロールを確立した。
機能
USSHは包括的な国家安全保障の実現という目的のため、大きく分けて3つの機能が存在する。第一の目的は長期的な安全保障戦略の立案である。第二の目的は各省庁の調整である。第三の目的は大統領への政策助言であり、大統領の指揮下にある革命軍の運用などにも関与する。
国家秩序本部
国家秩序本部(SH, State order Headquarter)は新ソ連領域内のテロル鎮圧と反乱分子の諜報・摘発・制圧を行う秩序維持機関、秘密警察。新ソ連に二つしかない本部の一つであり特定の省庁に属せず大統領に直属する機関とされている。現在の長官はジークフリート・レンベルク。
機能
過去には令状なしの強制捜査や逮捕拘束を行うことが認められるなど絶大な強大な権限を有していたが、現在では改革のメスが及び権限は弱体化している。かつてはテロリストや反体制派を鎮圧する秘密警察としての側面が強かったが、現在では国内諜報を担当する諜報機関としての面が強い。
歴史
150年代後半にかけて黎明期にあり、政治的混乱も続いていた新ソ連では依然として政府に対する反発が強く数多くのテロや暗殺事件が頻発していた。当時の新ソ連の指導者であったカールハインツ・メッケルニッヒは生涯に渡り5度にわたる暗殺未遂を受けた人物で、三度目の暗殺未遂後に従来の治安警察組織はその役目を果たせていないとして国家秩序本部を創設した。秩序本部には令状なしの逮捕権(予防拘禁)や強制収容所の建設、更には治安戦目的で独自の軍事力を保有していた。初代長官にはオズワルド・ヴェーヴェルスベルクが就任した。ヴェーヴェルスベルクは当時一介の高級官僚の一人でしかなかったが国家秩序本部長官就任以後自身の政治的権力拡大に邁進した。秩序本部の警察機関としては異様なほどの権力はこの過程で得られたものであった。またヴェーヴェルスベルクは西禍論と呼ばれる反ヨーロッパイデオロギーを唱え秩序本部内で独自のカルト的地位を確保した。これらの活動によってメッケルニッヒの死後には後継者争いで優位に立つまでに至った。
しかしヴェーヴェルスヴベルクと国家秩序本部の拡大は彼の反対派に強い危機感を与えた。メッケルニッヒの死後まもなくして反ヴェーヴェルスベルクブロックが形成され、事実上自分以外の全員が敵に回ったヴェーヴェルスベルクは失脚を余儀なくされた。その後ヴェーラー政権下でヴェーヴェルスベルクは収容所の所長に左遷され、彼の後任には秩序本部内非ヴェーヴェルスベルク派最有力のジークフリート・レンベルクが就任した。しかしヴェーヴェルスベルクは失脚後も虎視眈々と復活の機会を狙い秩序本部内での影響力を再び高めた。
このような動きを警戒したジェルジンスキー政権は第三次中東戦争で奪還したパレスチナに秩序本部の統治領域として秩序領域パレスチナを設置しヴェーヴェルスベルク派を追放した。この処分で秩序本部は政治的に中立な新ソ連本国派と急進的な秩序領域派に分かれることになった。
秩序領域ではヴェーヴェルスベルクが目指す欧州への復讐のための国家運営が行われ、核実験の決行や弾道弾開発に成功するなど盤石に見える地位を築いた。
しかしアークランド懲罰戦争中にヴェーヴェルスベルクが急死すると情勢は急転換した。ジェルジンスキーは秩序領域が混乱した戦時中のこのタイミングを千載一遇の好機とみなし、それまで不文律とされていたパレスチナへの革命軍不侵入を破りパレスチナに進駐を行った。核報復の危険すらあったこの賭けは秩序本部の混乱から完全に成功に終わり、一部の秩序領域の部隊が最後まで抵抗し焦土作戦・決死の戦闘を行ったほかは平和裏に武装解除が行われた。ジェルジンスキーは自らの負債償還として迫りつつある自身の任期の中で国家秩序本部の大改革を断行した。
大改革後の秩序本部は大きく縮小した。ヴェーヴェルスベルク派幹部は全員が国家反逆罪で逮捕され、肥大化した秩序本部の諸機関は解散させられた。最終的に秩序本部は大統領直轄の地位を残しつつも公安警察としての機能のみを残すことになった。
組織構成
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第一局
国家秩序本部第一局は秩序本部の人事及び編制を所轄する。局長はヴォルグラム・ステルグリッド。
第二局
国家秩序本部第二局は秩序本部の総務を所轄する。局長はウラジ-ミル・アントノフ。
第三局
国家秩序本部第三局は連邦内のテロルの研究及び殲滅を実施する。局長はアルトゥーレ・エンゲル。
第四局
国家秩序本部第四局は連邦内の一般犯罪の撲滅を実施する。局長はガヴリロ・アディオス。
第五局
国家秩序本部第五局は連邦内の諜報活動を所轄する。局長はミアハ・ディグレール。
第六局
国家秩序本部第六局は連邦外の諜報活動を所轄する。局長はミハエル・イリーチ。
第七局
国家秩序本部第七局は連邦内の一般破壊活動の阻止及び殲滅を実施する。局長はアル・ザルツマン。
第八局
国家秩序本部第八局は国家保安部で対処しきれない問題に対し軍事力を用いた治安維持を行った。局長はオーギュスト・ジャコバン。第八局の戦力は連邦軍から独立した指揮系統、兵站を有していた。現在は廃止されている。
第九局
国家秩序本部第九局は国家秩序本部の財政を統括する。局長はエルヴィン・ストラーダ。過去には強制収容所、SHの物品管理、第八局に供給される兵器の生産を行っていた。
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強制収容所
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新ソ連の強制収容所は主にメッケルニッヒ政権の後半に建造・整備が進められた。政権や国家秩序本部によって反政府分子・テロリストと判断された人々や重罪人が収監された。また殆どの新ソ連内のヨーロッパ系人種は強制収容の対象になった。多くの場合囚人の刑期は無期限であり、無制限かつ無償の労働力として利用される。強制収容所では他の同一の施設で見られるように恐怖、疲労、猜疑心によって支配され従順な労働力として使用される。強制収容所は最終的なあらゆる形態の犯罪者の"根絶"を目的としている。法的に犯罪者を収容する施設と不穏分子等政治犯を収容する施設は異なるが、実態としてはどちらも大差なく運用されていた。
歴史
新ソ連の指導者であったカールハインツ・メッケルニッヒはその政権の中頃に多くの暗殺危機を受けパラノイアを発症した。結果としてそれは病的なまでの「不穏分子」の摘発運動に繋がり、摘発された人々を収容する施設の必要性に迫られた。結果として新ソ連の各地に強制収容所が建設された。
メッケルニッヒの死後、新ソ連では自由化と民主化が進んだが、国家の中で独自の地位を持つ国家秩序本部の管轄である強制収容所はブラックボックス化され改革は遅々として進まなかった。新ソ連国内の強制収容所の廃絶は政治犯の国外労働刑が定められる176年まで待たなければならない。
実態
殆どの強制収容所は国家秩序本部の方針に従いその囚人の労働力を最大限に引き出す事を目標としていた。過度な残虐行為はその有用性を確認できなかったため制限されていた。
強制収容所では報酬と囚人ヒエラルキーなどの形でそのシステムを維持していた。
強制収容所の労働者は砂漠の緑化作業やウランの採掘、麻薬の生産など危険であったり過酷な労働に従事することを余儀なくされた。
代表的な強制収容所
新ソ連の強制収容所の中で最も有名なのがラウダンツ強制収容所とパルミラ強制収容所である。前者は山岳に位置する犯罪者の収容所であり、後者はシリア砂漠の中央に位置する政治犯収容所である。どちらもその規模で有名である。
ラウダンツ強制収容所は新ソ連北東、クルディスタンPSRの中央ユーラシア国境付近の山岳地帯に位置する。収容所の施設は山岳に穴を開ける形で造られており、殆どの収容房は日が差し込まない。その構造から要塞と呼ばれる事がある。ここでは大規模なケシの栽培とウラン鉱山の採掘が行われている。ケシは強制収容所内部でアヘンへの精製が行われ、一部が囚人の報酬として解放され残りは密輸出に回される。ウランの採掘では放射線防御が甘くレグルス人を持ってしても危険性が高く5年以内の致死率は9割を超える。メッケルニッヒの死後からパレスチナ秩序領域の設置まで政争に敗れていたヴェーヴェルスベルクはこの強制収容所の所長に左遷されていた。
パルミラ強制収容所は砂漠の中央に位置し、最寄のオアシスから70km離れた場所にある。ここには最も危険な政治犯が収容され、代表的な人物に無政府主義テロリズムの指導者ヨーゼフ・ドレスラーがある。この施設はかつてレグルス時代に収容所として用いられていたものを再利用したもので、レグルス戦争で破壊され放棄されていた物を修復して使用している。施設の4割はレグルス時代の物をそのまま用いていた。
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各省・委員会・弁務官当局概要
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南アジア高等弁務官当局
ルークリア人民共和国#南アジア高等弁務官当局
を参照
内務省
内務省は新ソ連最大の予算・人員規模を持つ省。宗教・地方自治・上下水道・戸籍・人事に至るまでの広大な領域について担当する。
特別調査委員部
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特別調査委員部(Special Investigation Department,SID)は新ソ連の対外諜報機関。主にヒューミントを利用し、世界中から国家安全保障情報を収集、処理、分析する事を任務としている。
正式には内務省特別調査委員部であり、内務省隷下の組織だが委員部長官は国務大臣級として扱われている。
国外諜報機関であるSIDは国内諜報機関である国家秩序本部と対をなす組織であり、国内での外国の諜報活動について報告する事はあっても国内で活動することはまず無い。
目的
公的にはSIDは内務省の職務において必要な情報を収集する機関とされているが、実際には外国の情報の収集、分析、評価に加え、秘密作戦の実行を行っている。
組織構造
SIDに関する情報は新ソ連の中でもっとも高度な機密事項として取り扱われており、その詳細は現在ほとんど明らかにされていない。現在SIDには情報部門・解析部門・協力部門・技術部門の四つの組織が存在することが明かされている。
訓練
SIDには教育部門が存在しないことになっている。構成員はSID設立以前に国外諜報を管轄した国家秩序本部の訓練部門で訓練を行なっていると考えられている。
予算
SIDの予算は国家秩序本部・軍の予算と同様に予算規模以外の情報を機密とすることができるとされている。軍はこれまで機密規定をほぼ行使したことがないが、SIDは秩序本部と同じくその予算を完全に秘匿している。
活動
SIDは世界中の国々に諜報網を展開しているとされる。特に著名なのはルークリア国・ルークリア人民共和国での諜報活動であり、ルークリア国では最高機密とされたガンジサガールダムへの侵攻を通報した。
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連邦国土安全保障省
国家安全保障省は非軍事的な領域における安全保障について担当する。警察・コーストガード・国境警備が主要な役割である。また国家保安部と呼ばれる準軍事組織を保有する。単純人員では国家保安部を含むため内務省に匹敵する職員数を誇る。連邦国家安全保障本部創設の際名称が混同されることを懸念して名称が連邦国家安全保障省から連邦国土安全保障省に改称された。
国家保安部
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国家保安部は国家保安本部とも呼称される連邦国家安全保障省に所属する準軍事組織であり、連邦第二の軍と呼ばれる事がある。一部の国家に見られる国家憲兵と類似する組織ではあるが、犯罪捜査に従事することはなく純軍事的な活動を行う。憲法により活動は連邦内に制限されており、治安維持や重要施設の警備、構成共和国軍の指導などに従事する。加えて国家保安部の重要な役割として連邦革命軍が何らかの理由により活動できない際の予備軍としての側面があり、特にクーデター発生時のカウンターフォースとして期待されていた。しかしその期待と反対に国家保安本部は統一暦157年末、第十一回十字軍終結直後に蜂起し政権を奪取した。
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郵政省
郵政省は郵便・郵便貯金・簡易生命保険の三事業を中心に行う省。郵便物搬送のための専用の船舶・列車を保有する。
財務省
財務省は新ソ連の財政・徴税を担当する省庁である。高級官僚の数が内務省に次いで多い省で、良くも悪くも保守的な組織になっている。
法務省
法務省は基本法制の維持管理及び法秩序の維持を遂行する。
革命省
革命省は世界的に他に例を見ない極めて珍しい省庁。国家が成立するという革命の一段階を過ぎた為に革命が停滞する事を抑止する事を目的とした組織で、経済や規制などの現状についての改革を計画する。抽象的な事物を取り扱う都合上管轄権をかなり広く主張する傾向があり、場合によっては外交方針にさえ関与する。省内に急進派が非常に多いことでも知られ、革命省出身者と省内の高級官僚で革命省派と呼ばれる政治派閥を形成する。革命省派は特にインド情勢に深く関与しており、特に
北ルークリア政権
とは建国時から関わりが深い。
石油省
石油省は新ソ連の最大の産出資源である石油を管理するための省。国有油田の管理及び独自の石油の生産保管を行う。
燃料省
燃料省は国家の重要な資源である燃料を管理する省。燃料の範囲は多岐に渡り、燃焼する物の大半について取り扱う。
重工業省
重工業省は新ソ連国内の重工業の管理と発展を司る省庁。
軽工業省
軽工業省は新ソ連国内の軽工業の管理と発展を司る省庁。
電気省
電気省は新ソ連の電力系統の管理を行う省庁。スローガンは「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化である」。
商業省
商業省は新ソ連国内の通商・配給を担当する省。
貿易省
貿易省は新ソ連と外国との貿易取引を管理する省。
外務省
外務省は新ソ連の外務を司る省庁。
防災省
防災省は火災・震災・水害他全ての天然災害と人災に対応する新ソ連の省。
賭博省
賭博省は競馬を始めとする国内の全ての合法的な賭博の管理と運営を行う。
水林省
水林省は新ソ連の水産業と林業の管理を行う省。水産・森林資源の保護も行う。
農業省
農業省は農業・酪農・畜産を担当し、農民を支援する省。
建設省
建設省は新ソ連の公共事業の建設部門を担当するほか、建設基準などを整備する省庁。
文化省
文化省は新ソ連の文化芸術の促進・継承・発展を担う省。特に未来主義・前衛主義芸術を推進する。
厚生省
厚生省は新ソ連の労働者の保護を行う省庁。職場の健康診断や労働時間の管理はここが行う。
DDC
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連邦防疫管理局(Union Department of Disease Control, DDC)、またはDDC は新ソ連のダドムールに本部を置く厚生省衛生庁に属する感染症対策を中心に衛生研究を行う総合研究所。
DDCはパキスタン戦争後の174年に設置された。DDCの母体はパキスタン戦争中に問題になった軍のマラリア対策部門であった。DDC本部はバイオハザードが発生しても隔離が容易であることから砂漠都市のタドムールがに設置されている。DDCはその初期から在印新ソ連軍と連携し、インドにおけるマラリア予防活動を行っている。180年からは現地の北ルークリア衛生保健委員部との連携も行っている。またDDCは設立直後から軍の生物兵器研究所と連携し有事の際のバイオハザードへの対策を行なっている。
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教育省
教育省は新ソ連の教育の大半を実施する省。警察・軍学校などの一部の例外を除き全ての学校はここの傘下にある。
情報省
情報省は新ソ連国内の情報管制を行う省庁。
技術省
技術省は新ソ連の科学技術の発展と進歩を第一の目的とする省。
黎明委員会
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情報科学部門
時空量子部門
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100ギガトン爆弾
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黎明委員会の核物理学者クレイトン・アルハンブラが考案したクソデカ水素爆弾、というより爆破装置。地下に埋設し、最悪の事態が起きた際に領土を一片たりとも使用させないための自爆装置であり、有事の際に起爆して新ソ連を地上から消し去るというコンセプトで開発設計された。
その威力を実現するため装置のサイズは単一の爆弾としては途方もないものとなるが、逆にそもそも移動を前提としない事で大型化を許容さることができ、レーザー着火装置、磁気トカマクなどの大型装置を採用した純粋水爆として設計された。
しかし計算によれば地下爆発の加害半径は僅か300km未満であり、新ソ連全土を焼き尽くすには1発では明らかに不十分であった。このためアルハンブラは100ギガトン爆弾10基を配備することを主張しているが、彼の信奉者を除いて誰も真面目に受け取っていない。
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ファントム級戦列艦
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ファントム計画の下で黎明委員会が開発・建造を進めた戦艦。ただし海軍に所属していないので正式には戦艦ではなく戦列艦と呼称される。
ファントム計画
レグルス帝国が研究を行ってきたフィラデルフィア計画を継承し発展させた計画。フィラデルフィア計画は都市伝説であるフィラデルフィア実験を検証する目的で行われ、未完成の統一場理論の軍事利用が可能であることを証明した段階でレグルスは崩壊した。ファントム計画はこれを発展させ、実際の兵器に応用することを目指した。
ファントム計画では統一場理論を応用したマシンであるアルハザード・システムを中心とした兵器の建造が目指された。アルハザード・システムはシステムを中心とした一定の範囲に電磁的盲点であるアルハザード場(アルハザードフィールド)を形成し視覚的・電子的不可視領域を作り出す。
アルハザード・システムは巨大であり、またその運用には巨大な電力が必要とされた。よって計画はシステムを搭載した戦艦の建造にシフトした。
艦体
ファントム級戦列艦は他の新ソ連の軍艦には見られない特異な形状をしている。これはアルハザード・システム不使用時であってもステルス性を保つための措置である。この形状によって侵入する電波は全て上方に反射され、通常の艦形では発生する海面反射波が乱反射してレーダーに映ってしまう現象が発生しない。またステルス性を保つため武装はいずれも内蔵式とされ、艦砲さえ通常時は砲身は格納されている。
動力
アルハザードシステムが必要とする膨大な電力消費を支えるため、大型の原子炉を搭載している。この放熱のため大型の冷却塔を搭載する。
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ケース163/アナザーディメンション
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ケース163はテレポーテーションを可能とするテクノロジーの開発、後期からは異次元時空間アナザーディメンションの調査を目的としたプロジェクトである。。
ケース163は軍事的な要請から異空間を用いたテレポーテーション・ワープテクノロジーの開発を目的として開始された。プロジェクト開始から3年後、委員会はディメンションパワーゲート(以下163-A)を製造することに成功した。163-Aはネザー及びエンドポータル技術を発展応用したマシンで、半径可変式の機械式リング及び計算機で形成される。電源が接続された163-Aはリングに内蔵されたモリブデンクロム製コイル283基の同調を行い、リング内部にワームホール(以下163-B)を生成する。163-Bは163-Aに電力が供給される限り維持される。163-Bの生成に必要とされる電力はゲートの半径50cmで230Mw、以後半径の16乗に比例して増大する。維持に必要な電力は生成電力の1/3毎時となる。この電力の問題と、半径が大きくなるほど163-Bが不安定になる性質から技術的に163-Bの最大半径は2m未満である。
163-Bの外見は赤紫色の半透明の平面で厚みはない。163-Bは常に静止しているわけではなく不規則に波打つ場合がある。これは空間の電磁波や放射線に影響を受けていると考えられ、波が極度に達すると163-Bは崩壊する。
163-Bは双方向のワームホールであり、我々の把握していない空間に接続されている。ワームホールは物質のみ通過することができ、電磁波は通過しない。このため接続先と通信を行うことは不可能である。これに対処するため紐を用いた通信が考案されている。
接続先にパターンは発見されていない。実験記録から接続先で既存の物理法則が適用されない事例、また物理定数が異なる例が多数見られることから異なる宇宙に接続されていると考えられる。
加えて注目すべき事実は、接続先に明らかな非自然的な人工物で形成された空間が多数見られることである。確率的に各宇宙の地点をランダムに選択する場合、転移先に人工物が存在する可能性は限りなくゼロに近い。にも関わらず転移先に人工的な空間が多数存在していることは以下の可能性を示唆している。
1.163-Aの接続プログラムに偏りがある可能性。
2.実際には世界は文明で溢れている可能性。しかしこれは宇宙空間の大部分がボイドで占められていることに矛盾するためあり得ない。
3.163-Aが異なる時空間に接続しているのではなく、異なる時空間を生成している可能性。ただし163-Aはこのようなことを可能にするように設計されてはいない。
4.何者かによって干渉されている可能性。
黎明委員会はこのいずれが事実かについての推定を拒否している。
アナザーディメンション
アナザーディメンションはケース163-Bを通過して侵入可能な異空間である。ネザー空間、エンド空間に近似する別空間であると考えられている。一方でそれらの空間が規定時空と物理法則を共有しているのに対し、アナザーディメンションではしばしば物理定数の変化や物理法則を無視した挙動が観測されている。
アナザーディメンションからは相互に連絡されている複数の別空間に移動することが可能である。これらの移動は主にケース163-Bに類似するワームホールを通過することで行われるが、その空間的不安定さのためか前触れなく強制的に行われる場合もある。
別空間について、調査の結果これらは分類可能であると結論づけられた。黎明委員会はアナザーディメンションの諸空間について"ドメイン"と呼称し、発見順に番号を割り振ることを決定した。
諸ドメインについて、それらがアナザーディメンションのどのような要素なのかは未だ結論が出ていない。ドメイン同士には一定の共通点が見られるが、しばしば全く異なった物理法則を有している。主流な見解はアナザーディメンションからアクセスできるドメインは全てアナザーディメンションの一部であるとするものだが、一部には全て異なる宇宙の異なる空間に過ぎないとする意見や、基底空間もまたドメインの一つであるとする研究者も存在する。
Domain 1 "the ground empty "
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Domain 1は基底空間からケース163-Bを通過した場合に訪れることになる空間である。空間全体の大きさは未知数だが、観測可能な限り遠くまで広がっており、一説によれば無限に広がっていると考えられている。
Domain 1は固体の存在がほとんど欠如した空虚な空間である。重力が無く、移動には反作用を用いる必要がある。Domain 1に即時的な危険は無い。
Domain 1は固体の存在がほとんど欠如した空虚な空間である。重力が無く、移動には反作用を用いる必要がある。Domain1に即時的な危険は無い。
空間に存在する唯一の固体存在がオブジェクトであり、それらは平均して50m〜1000kmの範囲内でDomain 1空間内部に浮遊している。オブジェクトの大きさは数mから数百mまで多岐に渡り、望遠鏡による観測では最大2000kmを超える巨大オブジェクトの存在が判明している。オブジェクトの内部には一部の例外を除いて別のドメインにつながるワームホールが存在する。オブジェクトの大きさとワームホールの大きさには緩やかな比例相関が見られた。またオブジェクトの特徴はワームホールの先にあるドメインの特徴を反映しており、ワームホールを通してドメインの要素が流出しオブジェクトを形成している可能性が指摘されている。
例外的なオブジェクトとしてO1.00.3がある。O1.00.3は無色〜黄緑色のガラスで構成された最大長562cmのオブジェクトである。O1.00.3には他のオブジェクトには存在するワームホールが存在しない。計測によってO1.00.3から1200グレイ毎時の強烈な放射線が発されていることが判明しており、ドメイン間を繋ぐワームホールは概ね163-Bと共通の性質を有していることから、この放射線によってワームホールが破断したと推定されている。
空間全体は地球の平均的な大気と一致する空気によって満たされている。オブジェクトと空間を満たす大気の存在はDomain 1が最終的に特異点に収縮して潰されるという仮説を提示したが、観測の結果Domain 1には重力という力が存在しないことが判明した。
Domain 1の空間全体は波長400nm前後の紫色の光で満たされている。この光は空間の全域から等方的に発されていることが分かっている。この光は基底空間の宇宙に存在する宇宙マイクロ波背景放射との類似性からドメイン1紫光背景放射と呼ばれている。紫光背景放射の由来は不明である。
163-Bを通してのDomain 1にアクセスした際、基底空間のどこからアクセスしたかかにかかわらず概ね一致した相対座標に163-Bが出現する事が分かっている。
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Domain 2 "Aurora"
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Domain 2はDomain 1と同様に重力がない広大な空間である。
Domain 2はDomain 1の紫光背景放射と同様に常に変化し続ける紫外線・可視光線の等方的放射を起こしている。その波長は約182〜704nmの範囲で、全体として全ての波長の割合は完全に均一である。
Domain 2には背景放射とは異なる光源が存在する。光源はDomain 1のオブジェクトと同様に空間中をランダムに浮遊している。光源には特定の周波数を発する物(Domain 2-a)と背景放射と同様に変化するもの(Domain 2-b)の二種類がある。この二種類の光源の割合は2-aと2-bで1000:1程度である。
光源の大きさ、光量にはばらつきが大きい。光源の光量は半径の二乗(=表面積)に比例する事が知られている。光源のエネルギー源については不明である。
Domain 2-aはその表面を滑らかな透明の剛体で覆われている。常温で安定しており、接触しても無害である。
Domain 2-bは非常に不安定である。2-bに衝撃を加えた場合、2-bを中心として光量に比例した球状の範囲が消失する。この消失の際2-bは強烈な電磁波を放出する。この電磁波は他の2-bの崩壊を誘発する可能性があり、最悪の場合連鎖反応によってDomain 2に破局的な事象を引き起こす可能性がある。
Domain 2-bの消失が起こると30秒から6ヶ月以内にEMPが生じる。このEMPは全ての波長の電磁波を含み、Domain 2-EMPエフェクトとして知られている。EMPについては謎が多いが、その発生源としてDomain 3が関連している事が示唆されている。
Domain 2の入口は
Domain 1のオブジェクトのうちDomain 2-bに酷似する光源内部のワームホール
が知られている。
Domain 2の出口は
空間上にランダムに生成・消失するワームホールからDomain 1へ
Domain 2-bに接触する事でDomain 3へ
移動する事が知られている。
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Domain 3 "Ain Soph Aur"
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Domain 3はよく知られていないドメインの一つである。Domain 3にはDomain 2からのみアクセスできる。
Domain 3の空間的特徴はDomain 1, Domain 2に類似する。重力がなく、特定の地面はない。
Domain 3は等方的なあらゆる波長の電磁波で満たされている。この性質からDomain 3に侵入した人間・機械は数秒以内に死亡・破壊される。
Domain 3は無線コントロール観測装置によるDomain 2-b接触実験によって存在が明らかになった。装置はDomain 2-bに接触した後消失し、失われた。その3ヶ月後Domain 2-EMPエフェクトが観測された。このDomain 2-EMPエフェクトはこれまでの均一な電磁波パルスではなく、電波に強いノイズが存在した。この例外的ノイズは解析の結果観測装置の無線周波数が分解された物だと判明した。このノイズを復元した結果、装置は強力な電磁波を短時間記録し破壊された事がわかった。
以上の記録から観測装置は未知のドメインへ転送されたと結論付けられ、当該ドメインはDomain 3に分類された。
Domain 3の入口は
Domain 2-bに接触すること
が知られている。
Domain 3の出口は
知られていない。
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ディメンションコンフューザー
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アークランド懲罰戦争においてアークランドの異世界・地下輸送網を破壊するために開発された兵器。電波妨害装置に着想を得たもので、莫大な電力を消費して周辺の次元構造に干渉し変質させる。この結果装置の周辺ではディメンション間の移動や空間歪曲、テレポーテーションの一切を不能とする。副作用としてあらゆるスペクトルの電磁波も同時に発するため通信やレーザーもこの装置の周辺では機能しない。
量産型では理論値として半径50km圏内の一切のテレポーテーションをシャットアウト、または無力化する。ユニットは着陸脚、プラズマトーチ、本体と降下ユニットで構成される。本体には銀・レニウム合金製ソレノイドとその中心に置かれた微量のネプツニウム235を含む燃料棒、それらの間に置かれた鉛製遮蔽筒で構成されている。使用時には戦略爆撃機から投下され降下ユニットから落下傘を展開、着陸後はプラズマトーチで地下200mまで埋没して作動する。
埋没作業が終了しコンフューザーが作動すると本体の遮蔽筒が引き抜かれる。これにより燃料棒とソレノイドが相互作用を引き起こす。この相互作用は劇的に空間に負荷をかけることになる。その結果周辺では同様に空間に負荷をかける空間移動が不可能になるか、少なからず正常な転移が不可能になる。また副作用として作動中は凄まじい電磁波のノイズを発生させる。動作限界を測定することなく実戦に投入されたが、おそらくネプツニウムが一定の水準を下回る数年後に自発的に機能を停止すると考えられている。
前述のとおりこれでも試作品に比べれば安価になったが、それでも原材料が高価で構造も複雑なことから一基あたり30億円と高騰し、アークランドのほぼ全域に敷設するためには最低800基が必要だったことから新ソ連の財政に大きな負担をかけた。
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機械工学部門
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プロジェクト・ダンディライオン
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電子コンピューティングシステムプロジェクト。新ソ連発の汎用電子計算機を建造することを目的とする。
そもそも新ソ連の技術力ではコンピュータの定義から始めなければならなかった。
この計画が成功すればバイオ頭脳を運用するコーテックス・プログラムは破棄されると考えられているが、ダンディライオン計画で建造されるコンピュータの水準はコーテックスシリーズの初期にも及ばない計算性能しか持たないとコーテックスプログラムに参加する技術者は主張している。
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社会工学部門
生命科学部門
南極探査機関
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南極探査機関は新ソ連の局地探索を担う機関。黎明委員会の中では数少ない活動実態を外部に報告している部署である。南極探査機関はこれまで4度に渡る南極遠征、南極における恒久基地の造成、局地環境における機器の開発運用を行ってきた。その組織は黎明員会の各部門の極地環境技術の専門家と、実際に南極に展開する実働部隊である革命軍人によって構成されている。
ハークレイ・ランズベルク
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ハークレイ・ランズベルク(143〜)は新ソ連の博物学者。新ソ連における極地研究の第一人者で第二次南極探索を率いた。
経歴
シリアのアレッポでレグルス帝国の外交官を務めた父の元で生まれた。クウェート国際大学で生態学を専攻し167年に博士号を得た。大学卒業後も大学に残り極限環境の生態学の研究を行なった。171年からは大学の研究チームの遠征に帯同し北極ロシアで活動した。研究活動を評価され、176年に行われた新ソ連第一次南極探索に参加した。
南極探査隊の帰還後、新ソ連の南極への関心は一度薄らいだが、ランズベルクは政府に働きかけ南極の資源の豊富さなどを取り上げ第二次南極探索の実施を求めた。ランズベルクの働きかけは功を奏し183年ごろには第二次南極探索が決定され、戦争での延期もあったが187年に第二次南極探査が行われた。この探査にランズベルクは主席研究員として参加している。
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Antartic file 〜Under the snow〜(和題:南極ファイル 雪下の世界)
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{sponsored by :
Committee Of the Dawn
Antartic Exploration Project team}
This film is made for education. Copying and broadcasting are free to do.
Antarctica. It is the farthest point in the world.
Cut off from human civilisation, the snowy continent still holds many mysteries.
We have unravelled its mysteries through exploration. Let's take a look at the truth of Antarctica.
Climate
Antarctica is the coldest region in the world. Large parts of the continent are constantly covered with snow and ice.
Temperatures are almost always below freezing. On the coldest days, temperatures can reach -55°C.
This extremely harsh climate is not suitable for humans.
Geography
Antarctica is the southernmost point in the world.
It is not connected to any other continent. The surrounding seas are subject to storms, which repel the entry of people.
A remarkable feature of Antarctica is its altitude. The average altitude of the continent is more than 3000 metres and it is peppered with mountains. On the other hand, deep valleys called crevasses are hidden beneath the snow.
These terrains are ideal for hiding them.
Creature
Due to its geography and climate, Antarctica is almost entirely indigenous. Only a few species, such as humans, have come from outside the continent.
The Antarctic biosphere is small. Many of them are adapted to the harsh environment.
However, this was not the case in the past. In ancient times, Antarctica was warm and inhabited by many creatures. There are traces of them in the strata. Dinosaurs, ammonites and Elder Things remain in fossil form.
Antarctic exploration has only just begun. Many mysteries still remain.
We will continue our exploration to find out more.
The end
Production: Antarctic Exploration Project team
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鉄道省
鉄道省は新ソ連国内の鉄道の管理を行う省。
航空省
航空省は新ソ連の非軍事航空の管理の他航空機の開発を行う省。
運輸省
運輸省は新ソ連の運送、特に陸運を担当する省。
船舶省
船舶省は新ソ連の水運を管理する省庁。通常船舶に加えて、港湾・運河の管理も行う。
資源省
資源省は新ソ連の省庁の一つ。埋蔵資源の管理や有事に備えた戦略資源の備蓄を管轄する。
統計省
統計省は新ソ連のあらゆる情報の統計を管理する省。
連邦革命軍
連邦革命軍
を参照
全連邦自然保護委員会
全連邦自然保護委員会は連邦の行政管区における動植物及び自然環境の保全を担う行政組織。
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治安維持
新ソ連、ひいてはレグルス帝国に至るまでこの地域を統治する国家は伝統的に警察国家であると言われる事が多い程警察組織が多く、その権限が強い。新ソ連の各構成共和国に属する警察を除いた国家の警察組織には警務庁警察、沿岸警備隊、国家保安部、連邦親衛部、そして国家秩序本部が存在する。
警務庁警察は新ソ連の主たる警察組織であり行政警察・司法警察機能を果たしている。
沿岸警備隊は新ソ連のコーストガードであり海上における警察活動以外にも海上救護活動や災害活動も行う。
国家保安部は国土安全保障省が所管する準軍事組織であり、国内における治安作戦や災害対策、原子力施設等の警備や軍の暴走に対するカウンターとしての機能を果たしている。また国家保安部は通常の警察能力では対処できないテロ、立てこもり、人質事件などの高リスク状況に対策するため国家特殊保安部隊、SSS(State Special Security force)部隊を保有・運用している。
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SSSは国家保安部が保有する警察戦術部隊である。正式名称は国家特殊保安部隊であり、一般にはその略称からエスエスエス、スリーエスと呼ばれる。
SSSは銃撃戦、立てこもり、人質事件、テロなど通常の警察力で対処可能な範囲を超える高リスク状況に対処するために編成、訓練、運用されている。SSSには大口径狙撃銃、自動小銃、暗視装置や装甲車など警察組織の中で最も高度な装備が支給されている。隊員は近接戦闘、突入作戦、危機交渉などの特殊戦術の訓練を受けている。
SSSの原型は国家秩序本部第七局の特殊作戦群とアッシリアWSSR警察緊急対処部隊に見ることができる。特殊作戦群は
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連邦親衛部は要人警護を任務とする警察機関で内務省に属する。歴史的に多くの要人がテロや暗殺にさらされた反省から設置された。
国家秩序本部は独立した行政機関で新ソ連国内における防諜活動・反テロ活動などの公安警察機能を果たす。
刑務所は連邦国土安全保障省刑務庁が維持運営を行う。
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BWRR
BWRR(秘術及び遺物調査局)は超科学について研究を行う科学部門。公的には存在が明らかになっているのみで何を行っているのか、活動目的、予算規模のいずれも明らかになっていない。
以下一切の閲覧を禁じる
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BWRR control ver1.2.33
system start up…
This system is designated Top Secret in accordance with Article 32.3 of the Law of the Union of Soviet Communist Republics. Unauthorized access is subject to immediate execution.
Meme Killing Agent Activation
imageプラグインエラー : 画像URLまたは画像ファイル名を指定してください。
BWRRコマンドコントロール
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見たな?運営と茶番委員会のメンバーが入れ替わったら帰ってくるよ
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181年現在、新ソ連は民主主義体制を敷いており、立法は国会に当たるソビエト共産主義共和国連邦最高会議によって行なわれる。しかし政権に参与できるのは左派のみであり、反動的とみなされた右派は参政権がない。
最高会議ではソビエト共産党を中心とする改革派連合が過半数を占める。改革派連合は市場社会主義と自由化を志向し、計画経済を始めとする教条主義的な野党マルクス主義連合が対峙する。
法制
ソビエト共産主義共和国連邦憲法を最高法規としこの下に中央ソビエトの制定する中央法、各共和国ソビエトの制定する共和国法、軍の指令する軍事命令など各種法令が定められる。憲法上一般裁判所は、全ての法令や行政行為などが憲法に適合するか否かを最終的に判断する違憲法令審査権を有し、全ソビエト司法最高裁判所を終審裁判所とするが、これまで違憲法令審査権が行使された事はない。
憲法
現行の憲法はソビエト共産主義共和国連邦憲法であり国家形態及び統治組織・作用を定義する。統一暦152年7月に制定された。軟性憲法に分類され、これまで何度か改正されてきた。改正には最高会議両院の2/3の賛成を必要とする。
義務
新ソ連国民の義務として社会主義闘争の過去、現在、未来に対する義務が憲法第22条に記載されている。
過去に対する義務は革命によって成立した現行の社会主義体制を保護するための徴兵義務である。
現在に対する義務は体制保持のための納税義務とされている。
未来に対する義務は新ソ連憲法で最も抽象的な表現が行われている箇所であり、『新ソ連市民は、将来の恒久的かつ永続的な共産主義の理想への前進に向けあらゆる努力を行わなければならない。』と記述されている。現行の政府解釈ではこれを教育を与える義務であるとしている。
権利
ソビエト共産主義共和国連邦憲章には多くの人民の権利についての記載がある。憲法に規定がある権利は第5条の基本的人権の保護にはじまり、幸福追求権、平等権、自由権、私有財産権、休暇を得る権利に至るまで多岐にわたる。ただしこれらの権利は憲法第125条の緊急事態条項によってその一部を一時的に停止可能であるとされている。
元首
新ソ連の国家元首は一般に行政権(執行権)を有する人民大統領であるとされる。稀に連邦評議会議長が国家元首として扱われる事がある。また緊急事態下で一時的に設置される役職である救国委員会委員長は、これが設置されている場合においては国家元首として扱われる。
ソビエト共産主義共和国連邦最高会議
ソビエト共産主義共和国連邦最高会議は新ソ連の最高立法機関である。両院制。会期以外では最高幹部理事会によって運営される。
共和国評議会は各任期3年で、大統領によって行われる解散も存在する。公選議員に加えて大統領府の推薦により各省から一人ずつ何らかの分野において十分な専門知識を有する人物を議員に加えることができる。連邦議会に対する優越が憲法に明記されており一部の決定については最終的に共和国評議会のみの決定で採択することができる。
連邦評議会は各任期4年で2年ごとに半数が改選される。
連邦評議会 |
議会 |
共和国評議会 |
63議席 |
定員 |
255議席 |
13議席 |
ソビエト共産党 |
55議席 |
9議席 |
急進進歩党 |
40議席 |
14議席 |
自由社会主義行動 |
41議席 |
12議席 |
社会民主主義労働者党 |
39議席 |
10議席 |
FS-BIS |
40議席 |
7議席 |
ソビエト人民党 |
18議席 |
1議席 |
その他 |
22議席 |
- 社会民主主義労働者党-SDP(Social Democratic worker's Party)
社会民主主義
党首:
ランプレヒト・ウェーゲナー
社会民主主義を標榜する政党。社会主義市場経済を支持するが、共産党の急進的な自由化には反発している。
解放政策後に共産党の強硬的・硬直的な路線に反発したサンディカリストや民主社会主義者が結成した。マルティンゲート事件後は改革派に転じた共産党と共に与党連立を形成していたが、188年に反共産党のファイルーズが代表になったことで与党連合を離脱した。
コンゴ戦争では政権の介入拡大に反対し、共産党から離反した中道系の支持者を取り込んだ。197年の大統領選挙では「道徳による和平」を訴えた党首ランプレヒト・ウェーゲナーが大差をつけて当選し、史上初めての非共産系政権を樹立した。
- ソビエト共産党-SCP(Soviet Communist Party)
進歩社会主義
党首:
ユーリケ・ぺトレーラ
かつては絶大な力を誇り現在でも第一野党の地位を持つ政党。性質上マルティンゲート事件以前の
第一次共産党と以降の
第二次共産党に分けられる。
第一次共産党は新ソ連建国以前のアッシリア共産党から発展した政党であり、第十一次十字軍までは新ソ連建国初期の民主体制で与党となった。第十一次十字軍後のメッケルニッヒのクーデターでは幹部の多くが終身刑とされたが、メッケルニッヒの死後のヴェーラー体制では解放政策の一環として軍と政権を共有する政党として活動が再開された。しかしマルティンゲート事件を引き起こした事でその権威は失墜、ソビエト人民党の分離を引き起こし共産党の命脈は絶たれたかに見えた。
しかしその後の年末騒乱によって共産党諸共他の政党も指導者層やベテラン層が一掃された結果、巨大であった共産党にのみ与党を遂行できる能力が残ったことで命脈を保つことになった。以降の第二次共産党は若きカリスマ、ジェルジンスキー大統領の元で再建された。政治思想は改革派の最先鋒であり新ソ連で最も資本主義的とさえ形容される。しかしこの急進的な姿勢が180年代後半になってからは疑問に問われることが増加した。187年選挙では与党として大きな議席減少を経験し、続きSDPが与党連立を離脱した188年の選挙では共和国評議会の過半数を失う大敗北を経験した。
ジェルジンスキーの後を継いだヴァルター・シャイデマンは二期目以降FSA、及び対外硬派層、新右翼との協調路線を開いた。積極的な市場拡大を望む産業界の支持も得たシャイデマン政権は各地の紛争に介入したが、
コンゴ戦争の泥沼に嵌り政権支持は後退、戦局打開に失敗し続け支持を失ったことで選挙で敗北、建国以来続いた共産党政権の終焉をもたらした。
第一次・第二次問わず人民の生活に密接な政党で、各地に存在する下部組織では市民の生活上の悩み相談や貧困層への独自の配給なども行っている。このような性質から代議士の数に対する党員の数が多いことも共産党独自の特徴である。
- 自由社会主義行動-FSA(Free Socialism Action)
トロツキズム
指導者:レオ・アレッサンドロ
急進的な社会改革と強硬な外交政策を掲げる政党。新ソ連では極右として扱われる。人口増大とそれに伴う社会不安の増大を追い風に支持を広げた。FSAの支持基盤であるソビエト・ナショナリズムとでも呼ぶべき思想を共有する支持層は「新右翼」と呼ばれた。シャイデマン政権では二期目以降共産党との連立を形成し、外交面で主導権を握った。しかしFSAの主導したコンゴ戦争が失敗に終わったことで共産党ともども支持率が急落、共産党との連立も解消され再び中小政党に回帰した。
- 急進進歩党-RPP(Radical Progress Party)
左派加速主義
党首:シルヴ・レ・ロ
新ソ連共産党から離脱した技術主義者の政党。テクノロジーによる共産主義体制実現を最終目標に掲げる。
- 農民と兵士、連帯する同胞団-FS-BIS(Farmers and Soldiers, Brotherhood in Solidarity)
マオイズム
党首:ユーリ・トレスコウ
農村主体の社会主義を唱え「平等と公正」を党綱領に定める政党。農業と地方主体の社会主義を掲げ農村を中心に根強い支持を受ける。地方選挙では首長を度々輩出するなど決して低くない影響力を持つが、国政選挙では長年第三野党の座に甘んじていた。しかし187年の共和国評議会選挙では野党2党の分裂や与党の求心力低下という追い風を受け躍進することに成功した。
- ソビエト人民党-SPP(Soviet People's Party)
マルクス・レーニン主義
党首:レオニード・リンネ
マルティンゲート事件後に共産党を離脱した最強硬派、最大綱領派による政党。正統派マルクスレーニン主義を標榜する。FSA・FS-BISと共にマルクス主義連合を形成し与党連合と対峙していたが、185年大統領選挙の敗北を機に連合は瓦解した。以降は市場派に転向したFSAと異なり計画経済支持を堅持したが、188年選挙では共産党を上回る大敗を喫し最小政党に追いやられた。
- レグルス国民革命党(Regulus National Revoltuion Party,NRP)
国家サンディカリズム
党首:フーロ・アヴィ
ユゼフ・ダルエーゲによって創設された右派社会主義政党。ダルエーゲが提唱した「生命体国家論」によって率いられる。ダルエーゲの死後はフーロ・アヴィによって率いられている。地方議会を含めて議会の議席は無し。ファシズムへの高い親和性から国家秩序本部によって監視対象とされている。
生命体国家論はユゼフ・ダルエーゲの唱えるレグルス国民革命党の根幹を成す政治思想。国家有機体説の延長上の思想である。国家を一つの生命体として捉え、「生存」、そして「進化」を目標とする。政党名の国民革命は旧来の資本家、汚職政治家による支配を廃し、国民に自身が国家の細胞である事を認識させ国家生命体を確立する過程を指している。生命体国家論はコーポラティズム、テクノクラシーを支持する。生命体国家論の世界観では自由市場は国家生命体の外部に位置する物で、酸素の様に不可欠である一方で過剰な曝露が細胞を破壊する病症であると指摘した。
生命体国家論はナチズムの影響を受けており、良い突然変異を肯定し言論の自由を支持する一方で、国家の癌である無政府主義者や障害者などの劣等遺伝子らの排除を唱えている。
- レグルス王党派(Royalist Regulus)
立憲君主制
指導者:フェルディナン・ガムラン
新ソ連の懐古主義、復古主義団体。古き良きレグルスの復活を希求している。
創設者のオットー・フォン・ガムラスはレグルス連合帝国時代の旧貴族家の出身。第二帝国になってからは同家は反国家社会主義運動を展開したため当局に迫害されていた。新ソ連成立後には右派運動に加わっていたが、新ソ連の国家社会主義的な右派勢力に失望し本組織を設立した。
具体的な主張としては王政復活、貴族制再導入、新自由主義経済の導入を唱えているが、穏健右派の雑多な集まりであり明確な思想的基盤は君主制支持のみである。さらにレグルスの正当な王家はヤマト朝・イェリング朝ともに断絶しているため、擁立する君主についても一致を見ていない脆弱な勢力である。
立法組織
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ソビエト共産主義共和国連邦最高会議
┗連邦評議会
┗共和国評議会
┗両院協議会
┗弾劾裁判委員部
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新ソ連では進歩主義が広く支持されている。現状を決して良しとせず永続的な改革を求める姿勢はその源流をトロツキズムに求めることができる。また新ソ連では保守的、懐古的なあり方が強く否定される傾向にあり、国民的な反君主主義とも関係するが、「伝統的権威」に強い敵意を感じる市民が多い。
ラディカルな進歩主義者は加速主義と呼ばれるイデオロギーを信奉しており、科学技術の発展によってのみ人類の幸福は獲得し得ると主張している。
新ソ連の司法は憲法の第五部、第87条から記載されている。司法組織は全ソビエト司法最高裁判所を頂点とした8つの裁判所と唯一軍部が管轄する軍事裁判所によって構成されている。連邦を構成する各共和国にも独自の裁判所が存在する。
連邦政府を含む構成国行政監視を行う独自の司法警察機関「コーディアフカーク(CODIAFCAC)」、正式名称全連邦汚職及び弾圧等不法行政摘発に関する委員会(英: Committee on the detection of illegal administration such as all-federal corruption and crackdown)が存在する。この組織はあらゆる行政・立法から独立し、監査行為に関する強力な権限を持つ。
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全ソビエト司法最高裁判所
┗共和国司法統括裁判所
┗共和国州裁判所
┗共和国初等裁判所
┗連邦高等裁判所
┗連邦州裁判所
┗連邦初等裁判所
┗連邦行政裁判所
┗CODIAFCAC
┗軍事裁判所
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新ソ連は連邦制国家であり、新ソ連を構成する社会主義共同体の領土と、主として人口希薄地帯を管理する連邦直轄域によって構成されている。社会主義共同体にはソビエト共和国と秩序領域の2種類がある。
ソビエト共和国は各地域ごとの特性に合わせた統治を行うことを目的として設置されている。ソビエト共和国の権能は憲法上に規定はなく、法によって定められている。これは時の政府によって恣意的に改変される可能性があるとして一部の分権派から批判を受けることがある。
秩序領域は新規領土を連邦に組み込む過程の過渡期的な政府とされている行政体。かつてパレスチナに存在していたが、185年に解体されてからは存在しない。
連邦直轄域
連邦直轄域は特定の社会主義共同体に属さない地域。連邦南部の人口希薄地帯を管轄する。連邦首都
新バビロンも直轄域内に存在する。
クルディスタンPSR
クルディスタン人民ソビエト共和国はクルディスタン地域に設置された構成共和国。
東方SPR
東方ソビエト人民共和国はシリア・レバノンに設置された構成共和国。国名の東方は
オリエントの事を指している。敢えてシリアという名称を採用していないのはレバノン地域の住人の反感を避ける事に加えて、アッシリアWSSRとの差別化を図る意味合いがある。
アッシリアWSSR
アッシリア労兵ソビエト共和国は中部メソポタミアに設置された構成共和国。構成共和国の中では自主性が強いと評される。
中東PSR
中東人民ソビエト共和国はダマスカス都市圏を中心に構成される共和国。
キプロスSR
キプロス・ソビエト共和国はキプロスに位置する構成共和国。レグルス帝国時代に行われた
失楽園作戦によって住民の大半が強制移住させられたため、人口の大半を新ソ連成立後に移住してきたアラブ人が占める。
メソポタミアSSR
メソポタミア社会主義ソビエト共和国はチグリス・ユーフラテス南部流域に設置された構成共和国。経済的に最も豊かな共和国である反面、反政府運動が最も強い地域でもある。
クウェートSSPR
クウェート社会主義ソビエト人民共和国はクウェート地域に設置された構成共和国。大規模油田が存在し、非常に豊かな地域である。
沿ヨルダンSPSR
沿ヨルダン社会主義人民ソビエト共和国はヨルダン川沿岸に設置された構成共和国。かつては十字軍や秩序領域によってヨルダン川西岸を分離されていたが、現在では再び沿ヨルダン共和国の元に戻っている。
マルタ・ソビエト人民共和国
マルタ・ソビエト人民共和国はマルタ島に設置された構成共和国。178年に
ガルシア連邦共和国からマルタ島が買収されたあとに設置された。
パクス・ソビエティカ
パクス・ソビエティカは主に新ソ連の国際学者の間で用いられる政治用語。「
ソビエトによる平和」を意味し、新ソ連を中心とする
バグダッド協力機構・
第五インターナショナル圏による平和と安定を指した。この用語はローマ帝国の全盛期を指すパクス・ロマーナ(ローマによる平和)に由来する。
定義
パクス・ソビエティカと呼ばれる状況は、学者にもよるが
バグダッド協力機構の成立をもって始まったとされる。
この体制は新ソ連の国家方針によって必然的に到来したと言われる。周辺を反共国家に囲まれ、
第十一次十字軍で敗北した新ソ連は軍事力強化と合わせ多岐にわたる外交戦略を駆使した。
155年当時、中東の弱小国でしかなかった新ソ連はまずバラバラの社会主義国家をまとめ上げ
第五インターナショナルという形で社会主義陣営の主導権を握った。軍事面では、新ソ連はフランス、ルークリアと東西の敵を破り列強の座に返り咲いた。
しかし新ソ連は社会主義陣営の盟主にとどまるつもりは無かった。新ソ連は自身のイデオロギーが求めるように世界秩序の確立を目指したのである。事実180年の前後にかけて新ソ連の公式文書の中にも度々"世界秩序"という用語が頻出するようになる。
そしてその立場を決定づけたのが
アークランド懲罰戦争と
バグダッド協力機構の設立である。新ソ連はアークランド懲罰戦争において国際正義の名の下で多国籍軍を率いて戦い、勝利した。そしてその直後に結成されたバグダッド協力機構は旧大陸圏を包括するイデオロギーを超えた国際機関だった。この二つの出来事が新ソ連を中心とする、新ソ連一強の国際秩序「パクス・ソビエティカ」を確立したと言われる。
実装
パクス・ソビエティカにおいては多くの国際対立が封じ込まれた。特にバグダッド協力機構総則第三条は加盟国間の武力不行使を規定しており、月ノ谷=セントリア間や
大中華=ラティアンス間の衝突を抑え込んだ。
また新ソ連はパクス・ソビエティカ(というより自身の勢力圏)の維持について強烈な姿勢を取った。特に自身の生命線と認識している地中海においては独自路線を思考するガルシアに対し度々干渉を繰り返した。同様の現象はルークリアでも見られ、
北ルークリア動乱への武力介入はその際たるものだった。
またパクス・ソビエティカが国際的にも認知され盤石なものとなった187年頃から新ソ連は更なる勢力拡大に関心を示すようになった。積極的な南極政策や、東アフリカ(
U.N.E.
)への介入、187年大西洋戦略大綱はいずれもパクス・ソビエティカを拡大することを目指したものだった。
反君主主義
新ソ連は国家綱領の一つとしてあらゆる世襲制権威主義の最終的な破壊と全被抑圧階級の解放を掲げている。この地域は歴史的に君主帝国主義国家によって占領抑圧され続けてきた場所で、近年でもシェラルド国を筆頭とする諸国による
第十回十字軍に代表される多くの戦争行為によって被害を受け続けてきた。結果として国家的に反君主主義・共和主義であり、中でも国家に甚大な被害をもたらしてきた血統主義の西欧君主主義を忌み嫌っている。新ソ連はそのテーゼの中で君主体制を前近代の遺物と断定しており、苛烈な右派勢力に対する弾圧や君主主義者の国外亡命などによって連邦内の君主主義者は事実上壊滅状態に追いやられている。
対自由主義協調
上記の欧州を始めとする君主制国家との対立に伴い、新ソ連は新大陸を根拠地とする自由主義陣営、所謂CELTOとの協調路線を強くしている。新ソ連外務省によれば、自由主義と社会主義はある次元では確かに対立する概念ではあるが、民主主義と基本的人権の尊重という近代国家としての基本的な価値観を共有するという点で自由主義国家は旧時代の君主制に固執する国家群と相対するにあたって協同するに値する。また新ソ連は経済的にも新大陸との結びつきが強く、特に
イットリカン民主主義国のODAを始めとする支援は160年代までの勃興期新ソ連の貧弱な経済を支え現在の繁栄につながったと評価されている。
二段階革命論
上記の二つでも軽く触れたように、新ソ連は公式見解として二段階革命論を採用している。封建国家、ブルジョワ民主国家、革命国家と国家は発展するとしたこの見解を元に新ソ連は共和制であれば比較的友好的な関係を築いている。その代表的な存在が
イベリアと
大中華である。イベリアは典型的なブルジョワ民主主義、大中華では民族ファッショ的な態勢が敷かれているが連邦政府は両国を旧弊な君主国家より先進的であるとして友好関係にある。ただし大中華とは近年インド・極東戦略を巡って摩擦が続いており、この友好関係は近いうちに破綻するのではないかと見る専門家も多い。
多元社会主義論
新ソ連の対社会主義国に対する政策の形容。新ソ連は社会主義国を標榜していればその国家の内情を無視して友好関係を持つ場合がほとんどである。これは経済体制、政治体制の如何を問わず、しばしば反民主的政府を支援することもあり批判されている。連邦政府はこれらの批判に対し各国には各国なりの社会主義の適したやり方があり、これを批判するのは社会主義の団結を良しとしない人々の見解であるとして退けている。
友好国
新ソ連は社会主義圏及び共和制の国家と友好的である。社会主義国家機構である
第五インターナショナルに加盟している。
イベリア連合
とは同じ地中海権益を共有し、先進的な政治体制を持つ国家として友好関係にある。
外交表
国旗 |
国名 |
関係 |
状態 |
評価 |
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帝政シェラルド
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敵国 |
懸念 |
歴史的な敵国である。レグルス帝国だった時代のアフリカ植民地時代から対立し、幾度となく十字軍や各地の戦争で矛を交えた。新ソ連になってからはイデオロギー的な対立も先鋭化し第十一次十字軍や第三次東地中海戦争でも交戦した。第三次東地中海戦争では新ソ連がほぼ完勝しキプロスの一区画を除いて東地中海からシェラルド勢力を追い払いアナトリアの植民地化から続いたシェラルドの東地中海支配を終焉させた。以後は権益の干渉も少なく新ソ連はインド洋への影響力を重視しているため対立は沈静化している。 |
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レグルス国民国
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敵国 |
懸念 |
レグルス戦争で滅亡したレグルス帝国の継続政府を自称する国家。新ソ連政府は国家承認しておらず、ルークリア人民共和国の領土を不法に占拠する非国家主体と定めている。 |
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大ヒトラント帝国 |
敵国 |
脅威 |
オーストラリア大陸に存在する世界最大級の軍事大国。帝国主義・軍国主義・全体主義を公然と掲げ新ソ連と決して相容れることのない国家である。新ソ連のインド洋政策では必ず言及される国家であり、政府発表では最も邪悪な国家としてやり玉に挙げられることも多い。 |
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メディティアラネア諸侯連合帝国
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脅威 |
南のガルシア連邦共和国とともにイタリアを二分する国家。有数の海軍力を誇りガルシア内戦では新ソ連海軍と大規模衝突した。新ソ連海軍が仮想敵とする国家であり、彼らの海軍は新ソ連海軍の地中海への傾注の理由の一つ。 |
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ハウィクルタフ第三十二王朝
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敵国 |
脅威 |
エジプトに位置する隣国。神権王政国家であり、対立している。 |
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トラキア・ローマ帝国
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敵国 |
脅威 |
バルカン半島に位置する国家。君主制国家で友好国の月ノ谷連邦とも対立するなど脅威とみなされている。 |
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カルタヘナ共和国
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脅威 |
北アフリカに位置する共和制国家。マグリブ戦争以降敵対的な関係が続いている。 |
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南亜連邦(北ルークリア)
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第五インター |
同盟 |
ルークリア民主主義共和国とインドを二分する国家。レグルス帝国が滅ぼしたルークリア・レチアル人民共和国亡命政権に起源をもつ国家。新ソ連が強力に支援しており、経済・軍事的に新ソ連に依存している。 |
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ルークリア民主主義共和国(南ルークリア)
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第五インター |
良好 |
インドに位置する国家。レグルス帝国時代には宗主国と植民地の関係だったが、レグルス帝国の敗戦に伴い独立した。北ルークリアを正当なルークリア政府として承認する新ソ連とは険悪な関係が続いていたが、左傾化に伴って関係改善が行われた。 |
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パインランド人民共和国
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第五インター |
同盟 |
南米に存在する唯一の社会主義国家であり、社会政治的生命体論と呼ばれる独自の社会主義理論を構築し革命闘争を続ける国家。社会主義陣営全体にとっての南米への橋頭保であるとともに新ソ連にとっては熱帯性資源の貴重な入手先となっている。 |
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月ノ谷共和国連邦
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第五インター |
良好 |
南コーカサスに位置する国家。地中海、黒海に焦点を当てた軍事同盟を締結。 |
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シランナ社会主義連邦共和国
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第五インター |
同盟 |
フィンランドに位置する伝統的社会主義国家。自主管理社会主義を標榜する。穏健な外交政策を進める一方で武器輸出で多大な財を儲けるしたたかな国家。 |
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大エンダー社会主義共和国
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第五インター |
良好 |
ウラル山脈近辺に広大な領土を持つ社会主義国家。おそらく世界で最も強力な宇宙軍を保有する。 |
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イットリカン民主主義国
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同盟 |
カナダ北部に位置する強力な民主主義国家。戦う民主主義を標榜し君主主義に対してともに戦う国家として歴史的に新ソ連と友好関係にある。新ソ連の歴史においてイットリカンの与えた経済的・軍事的恩恵は計り知れない。現在でも空軍部隊が新ソ連に駐留している。 |
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スティーブ・クラフタリア同盟連邦 |
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良好 |
パタゴニア地方に位置する伝統的民主主義陣営
セントラル自由主義機構
(CELTO)の盟主。反新自由主義を掲げ、イデオロギー的にも新ソ連に近い。距離的には離れているが、その強力な海軍力とともに反君主主義闘争をともに戦う同志として期待している。 |
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聖セントリア・スイレン
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良好 |
東部国境で領土を接する軍事大国。新ソ連とルークリア人民共和国を分断するように存在し、地政学的にも重要である。 |
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瑞州合衆国連邦
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良好 |
メキシコに位置する日系人国家。商業的なつながりがある。 |
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レイブン共和国
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良好 |
インドシナに存在する国家。反テロリズム条項を含む友好条約を締結。 |
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秋月皇国
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良好 |
日本列島に存在する国家。通商友好条約を締結。福江島を軍事基地として租借。 |
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ラティアンス・レフタニア技巧連合
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良好 |
フィリピン諸島に存在する企業連合国家。通商関係が存在する。インド洋での緊張が深まった後に不可侵条約を締結し関係改善。 |
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大中華
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良好 |
支那南部に位置する極東の国家。民族主義・ファシスト国家であり、二段階革命論により封建制国家よりも進んだ国として友好関係にあった。かつてはその人口から来る市場価値やルークリア問題での共闘路線から蜜月関係が続いていたが、南ルークリア社会主義革命以降は一転して関係の冷却化が続いている。 |
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Union.North.East.
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冷淡 |
東アフリカに位置する国家。ネストニア共和国連邦から独立した国家であり、独立戦争の際には武器支援を行った。しかし戦後は両国間の関係改善に向けた温度差を原因に関係は冷却化した。 |
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北クリーニングラード共和国
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冷淡 |
北極諸島に存在する国家。経済的影響力で知られ、新ソ連の影響圏ともしばしば関係を持っていた。イデオロギー的な差異から摩擦が続き、178年末のFSAの「クリーニングラードは社会ファシスト」発言を機に経済関係を断交されるなど関係悪化が続いている。 |
新ソ連経済は世界で有数の成長を経験している経済の一つである。IFM(国際金融基金)によると182年時点で新ソ連は上位中所得国、社会主義市場経済、新興経済を抱えている。国際的には新ソ連は新興工業国として定義されることが多い。購買力平均(PPP)、国内総生産(GDP)はともに世界第10〜12位と算定されている。新ソ連の通貨テーベの為替レートが不安定であるため、正確な統計を取ることは難しい。
過去30年において新ソ連経済はGDPの25%を喪失したレグルス戦争以前の水準に回復し更に成長を続けた。これは雇用の増加や平均収入の改善など新ソ連の社会的金融的側面について大きな進展をもたらした。人口ボーナス期であったことと新ソ連という国家の成長期であったこと、新ソ連重工業の躍進に伴い新ソ連経済は160年代から高度経済成長期に入った。この間に新ソ連経済は3倍にまで拡大し
メソポタミアの奇跡と呼ばれている。170年代まで続いたこの高度成長は度重なる戦争によって減速を余儀なくされたが、180年代には
バグダッド協力機構
が設立されるなど市場の拡大に伴い新ソ連経済は安定成長期に入っている。
新ソ連経済が抱える問題の一つは貧困率と失業率である。新ソ連政府が進める人口拡大政策によって経済成長に伴う雇用を上回るペースで失業者が増加し、それにともなって貧困層が拡大している。
歴史
新ソ連の経済は大きな苦難と共に始まったと語られることが多い。
レグルス戦争は国土に大きな荒廃をもたらし、GDPは戦前の水準から25%下落した。新ソ連の成立時点でこの地域の経済水準は世界最悪と評価されていた。
その後10年間新ソ連経済の苦境は継続した。諸外国に対抗するための無理な軍拡が経済を損ない、また柔軟性に欠け投資に欠ける計画経済が成長を阻害した。第十一次十字軍とバグダッド自由軍反乱はメソポタミア工業地域を更に破壊しGDPはマイナス成長した。
新ソ連経済の成長の始まりの決定的な要因はメッケルニッヒ政権による軍縮とバグダッド計画である。常備陸軍を75%削減したダイナミックな軍縮と、それによって浮いた予算の大規模な投資によってこの地域の主要な経済地域であったバグダッドは再建され新ソ連経済にプラスの影響を及ぼした。またメソポタミア地域の大規模な再開発計画であったバグダッド計画は工業地帯であったメソポタミアを復興させただけでなく軍縮によってさらに悪化すると見込まれていた失業問題を大きく改善した。
続くヴェーラー政権下で政府による投資はさらに加速した。VGP(人民総合計画)は雇用を創出、東西格差を解消すると共に国土全体を開発する計画だった。この計画は国家予算の4分の1を継続的に投資することを必要とする非現実的とも言える計画であったが、184年に計画の全工程を完遂した。計画の始動後新ソ連は失業率を大幅に改善し、経済学者アルフレッド・オストフォアランドは計画によって新ソ連のGDPは3倍になったと推定している。また計画によって整備された公共インフラ群、特に鉄道と高速道路は新ソ連内部の移動時間を大幅に短縮し現在でも経済に良性の影響を与えている。
またヴェーラー政権は同時に厳格な社会主義体制を大きく転換し、政治と同時に経済の自由化も行った。中でも象徴的なものは企業に対する大幅な規制緩和と国営企業の払い下げであった。市場価格に比べてはるかに安い金額で行われた払下げと良好な雇用環境(安価な賃金、緩い労働基準など)によって新興企業は急速に成長した。現在でも経済規模の7割はこの時期に成立した企業群によって占められており、大企業に限って言うのであれば新ソ連の大企業の9割がこの時期に成立した企業である。
新ソ連の経済の成長は年末騒乱の後も続き、ジェルジンスキー政権下でも成長は続いた。ジェルジンスキー政権下では
第三次東地中海戦争、
パキスタン戦争、
インド戦争など大規模な戦争が続き、後者2つでは経済動員が行われた。しかし本土の戦場化はいずれの戦争でも発生せず、死者も限定的なものに過ぎなかったことで戦時下においても成長は減速しつつも継続した。例外的にインド戦争では動員が厳しく、また民需製品の不足を原因とするインフレーションによって計算方法によっては新ソ連は20年ぶりにマイナス成長したとされる。一方でジェルジンスキー政権が行った積極的な外交政策は新ソ連経済にプラスだった。友好国家から新ソ連本土で不足する鉱産・農業資源を輸入し、逆に工業製品、石油資源を輸出することで新ソ連は加工貿易体制を確立した。またパキスタン戦争後樹立された北ルークリアの経済を事実上新ソ連が支配したことで新ソ連は巨大な市場と穀倉地帯を入手する事となり、保護された穀物分野以外の農業部門の壊滅という代償を負いながらも新ソ連経済の成長に大きく貢献している。
経済構造
新ソ連の経済体制は社会主義市場経済である。政府は国家方針として経済方針を定め規制緩和などで企業を誘導する一方で経済には直接の関与は避け、民間企業が経済を主導する体制を取っている。新ソ連政府はこれら一連の政策を「新ソ連の特色ある社会主義」と呼ぶ一方で、伝統的なマルクスレーニン主義者は資本主義の看板を挿げ替えたに過ぎないとして政権批判の材料とされている。
新ソ連では社会階層間の所得格差が大きいことが指摘されている。これは市場経済化と急激な人口増加に起因していると考えられている。特に大都市ではホームレスが増加しスラム街を形成している。政府は安全保障上の問題があるとして住宅増加のための予算を178年ごろから支出しているが、人口増加に追い付いていないのが現状である。
国営企業
新ソ連はヴェーラー政権の解放政策以降経済の自由化を進めてきたが、依然として産業には国営セクターが多く残っている。これらは軍需産業や鉄道など安全保障上重要な産業をはじめとして、その他の産業についても万が一のバックアップとして国営企業が残されている。産業分野ごとの国営企業の影響力には差があるが、軍需関連などで特に国営企業の影響が強く、重工業分野では西亜重工が新ソ連最大の重工業企業であるなど国家と産業の関係は依然として密接なものである。これらの企業の多くは賃金が安かったり製品の品質が劣悪であるとされ生産性は高くなく、ラディカルな政治家は公約に国営企業の解体を掲げるものも多いが政府が国政企業の解散を公式に議論したことはない。
国債
新ソ連の政府債務総額は187年時点で5220億テーベでありGDPの29%に相当する。建国以前にはデフォルトを経験し、その後も債務の増加が続き、160年代には対GDP比210%に達し、それ以後は減少傾向にあった。しかしその後再び戦時国債の発行拡大によって債務残高及びGDP比は増加した。185年に行われた
アークランド懲罰戦争
の莫大な賠償金は新ソ連経済に大きな影響を与えたが、その内1/4以上は債務償還に用いられた。
新ソ連は建国以降一貫して国外債務の借り入れに消極的であり、新ソ連の債務の9割弱がテーベ立ての国内債務であることが大きな特徴である。建国当初においては国外の投資家・国家が新ソ連を都市先として信用しなかったことによるやむを得ない選択であり、以後は国家の安全保障の一環としての戦略として行われている選択である。
金融
182年時点で新ソ連の銀行部門の総資産は9600億テーベである。182年3月の時点で新ソ連には72の銀行が存在し、うち51が民間の銀行であった。資産額では民間と政府系の割合は50:50となる。新ソ連の銀行の資産額の75%はMCレガー連邦貯蓄銀行、メソポタミア銀行、人民銀行の3行に集中しており、この3行はメガバンクと呼ばれている。
新ソ連の金融の管理は連邦銀行が行っている。連邦銀行は財務省の管轄下にあるためしばしば新ソ連には中央銀行の独立性がないとされる。しかし連邦銀行法では、財務省(政府)が中央銀行に対して持つ権限は方針の指示のみとされており、政策の具体的な決定は連邦銀行が独自に行っている。連邦銀行の外貨準備高は182年4月時点で2300億テーベであった。
証券取引所
新ソ連には国内最大のベイルート証券取引所をはじめとして、バグダッド証券取引所、ダマスカス取引所の3つが存在する。新ソ連の証券取引所への上場は政府によってコントロールされており、良好な財政状況とガバナンス、企業規模の要件を満たし、かつ市場が新規企業の上場に望ましい場合に限られている。
通貨
新ソ連の通貨はテーベ(通貨記号はTに二重横線)であり、補助通貨としてヴェルを用いる。1テーベは100ヴェルである。発行は新ソ連の通貨当局である連邦銀行によって発行される。テーベは管理通貨・変動相場制を採用している。近年では連邦銀行の通貨安定化の努力にもかかわらず、新ソ連と近隣諸国との軍事的緊張とインフレーションによって通貨価格の乱高下が続いている
連邦投資公社
連邦投資公社(Union Investment Public Company)は新ソ連政府が保有する政府系投資ファンド。アークランド懲罰戦争の多額の賠償金の国内流入による経済混乱を防ぎ、それらの資産および外貨準備を長期的に運用することを目的として185年に設立された。設立時点で割り当てられた資産は賠償金総額の1/4に当たる1兆2500億テーベ(約50兆軍事部円)。
歴史
政治的意志がしばしば経済原則を超越する新ソ連において国家を主体とする投資は広く国内外に対して行われてきた。その代表的なものはVGPで政府は膨大な関連予算の支出を行ったが、それらはあくまで政府から行われてきたものであった。
しかし新ソ連がアークランド懲罰戦争に勝利すると200兆軍事部円に相当する賠償金の支払いが行われた。この莫大な賠償金が短期間で国内に流入すれば経済に凄まじいショックが加わることが懸念された。そのため政府はこの賠償金を長期にわたって運用し、また国家的な投資を代替する国有投資ファンドの設立を決定した。これが連邦投資公社である。
運営
連邦投資公社は財務省によって運用されているが、新ソ連の前身のレグルスが中華連邦に端を発する金融危機で莫大な損失を出したことから投資には一定の自立性が担保されている。
運用資産は短期的な投資である流動性資産と長期投資に分けられる。投資公社の投資先は国内外を問わず広く選択され、商品は国債・不動産・証券まで多岐にわたる。
投資公社は運用益と国家原油収入の10%を資金源として受け取り、財政赤字の補填・通貨レートの安定化・貿易収支の不均衡の補正に用いられる。
投資公社は外貨準備高を秘匿する観点から年間損益の公表を行わない。
これらの政策によって新ソ連政府は通貨の安定・信用等級の保全・金融産業の拡大・国際的影響力の保全・短期の財政的ショックの緩和策の準備が可能であると考えている。
天然資源
新ソ連は石油と天然ガスを豊富に産出する一方、天然資源の産出において極めて多様性に欠け、特に工業生産に必須である金属資源が著しく欠如している。このような偏った資源産出は工業化を志向するレグルス・新ソ連にとって常に憂慮すべき事項であり、外交政策の決定にも強く影響を与えていた。
液体化石燃料
石油は新ソ連の保有する数少ない天然資源であり、文字通り新ソ連経済の燃料である。新ソ連全体で石油埋蔵量は2400億バレルに達し、これは世界第三位、全世界の石油埋蔵量の13%に当たる。他の世界の主要な産油国では政治の混乱や治安の悪化が続いていることで世界の石油市場における新ソ連の地位は強大である。
採掘された石油は6割がそのまま輸出され、残りは国内で精製・加工される。石油とその関連製品は新ソ連産業の根幹であり、GDPの2.5割、輸出額の5割を占めている。
天然ガスの生産は埋蔵量に比べると低調である。これは世界的に天然ガス需要が低く、また技術の欠如によって採掘は浅い深度に限られていることが原因である。
これらの液体化石燃料資源の埋蔵は主に国土の東側、特にメソポタミア地域に集中している。これはこの地域の東西格差の原因の一つであり、メソポタミア工業地帯の形成の直接的な要因の一つでもある。新ソ連の化学産業都市であるキルクーク、アルビール、クウェート、バスラはいずれもこの地域に存在する。
金属資源
新ソ連は金属資源の算出に乏しい。工業上重要な鉄、ニッケル、タングステン、ボーキサイトといった金属は産出がごく限られるか産出されず、輸入に依存している。クロム・マンガン鉱はシリア・ヨルダン地域で産出し国内消費の1/4から1/2を自給している。
国内で完全自給できる数少ない金属資源がウラニウムである。新ソ連のウランの埋蔵はヨルダン川沿岸に集中し約14万トン超が埋蔵されていると推定されている。現在新ソ連はウランの生産を国内自給向けにとどめているが、新ソ連のウラン採掘には依然として大きな拡張の余地があり、新ソ連政府の核開発の進行と政府のウラン輸出への前向きな姿勢に伴い拡大が進められると推測されている。
また資源省は国の中部にかけて金鉱床が存在する可能性を指摘している。
非金属資源
金属資源に比べると新ソ連の非金属資源はまだ恵まれている。新ソ連で採掘される非金属資源はリン酸塩、大理石、石灰石、硫黄、石膏、カリ、工業用珪砂など多岐にわたる。
リン酸塩は新ソ連の非金属資源としてもっとも重要な資源で、主に国土の西側に集中しているが東南部を除くほぼ全土に集中している。リン酸塩は主に肥料に用いられ、新ソ連農業黎明期の発展に大きく貢献したほか、近年では諸外国に輸出され関連製品は輸出額の5%を占める。
硫黄は新ソ連化学産業にとって重要な資源で、硫酸やゴムの生産に大量に用いられている。新ソ連の硫黄生産は採掘だけでなく、石油の脱硫過程でも生産が行われている。
エネルギー
新ソ連の一次エネルギー供給は8割が石油、1割が天然ガスから供給されている。新ソ連のエネルギー自給率は255%に達し、世界最大級のエネルギー輸出国である。エネルギーの大量供給によって新ソ連は世界で最もエネルギー単価の安い国の一つとなっており、安価なエネルギーを用いて乾燥帯の新ソ連では不足する水資源を海水淡水化で補っている。
石油・天然ガス
石油及び天然ガスは新ソ連のエネルギー供給源の9割を占める。これらは全て国内で採掘・精製されたもので、諸外国に比べ圧倒的に安価なエネルギー単価を生み出している。一方でこの安価なエネルギー単価はエネルギー消費の非効率性の原因になっており、人口当たりの石油消費量は世界第二位である。
原子力
新ソ連は世界有数の核エネルギー推進国家である。181年、発電総量の16%が原子力発電によるものだった。国内の原子力発電所は全てネプチューンエネルギー社によって運営されている。
新ソ連国内では統一暦160年代からレグルス戦争以前に建設された原子炉の老朽化が社会問題になった。レグルス人の放射線耐性の高さからこれらの原子炉は安全基準を無視して運転され続け放射能汚染を拡散させていた。これらの旧式原子炉は政府の主導で廃炉が進められ187年に全ての戦前原子炉が処分された。
水力
水力発電は新ソ連の総発電量の9%を占めている。新ソ連で行われる水力発電は全てチグリス川・ユーフラテス川に設置されたダムによるものである。
再生可能エネルギー
新ソ連政府は環境持続可能性について真剣に検討したことがなく、化石燃料・原子力に対し再生可能エネルギーは優位性がないため再生可能エネルギーの普及はほとんど進んでいない。例外的に太陽光発電は新ソ連で普及している数少ない再生エネルギーである。国土の全域が乾燥地帯である新ソ連では年間300日以上が太陽光発電に十分な日射量がある。新ソ連に存在する太陽光発電施設の多くは160年代にイットリカン民主主義国の政府支援で建てられたもので、新ソ連の再生可能エネルギー発電量の96%、総発電量の3%を占めている。
国際的な経済の結びつき
貿易
主な貿易相手国は
大中華、
ラティアンス
、
瑞州
、
北ルークリア
、
南ルークリア
。
新ソ連貿易の主な焦点は石油及び化学製品の輸出と機械類、金属原料の輸入にある。新ソ連の輸出額は5割を石油と関連製品が占め、次いでリン酸塩、アルミニウム、非有機化学製品(医薬品含む)、機械類、船舶と続く。対して輸入は機械類、非食用原料、農水産物となっている。
対外投資
近年の新ソ連の対外影響力を強化しようとする姿勢に伴い海外への投資が加速している。投資先は主に
ガルシア連邦共和国や
ルークリア人民共和国をはじめとする第五インターナショナル加盟国、
ヌーク社会主義連邦共和国をはじめとする社会主義国と友好的な国家である。また近年では
バグダッド協力機構
加盟国も投資対象になっている。投資内容は多岐にわたるが、特筆すべきは投資額の6割強が資源開発に投じられていることで、これは新ソ連の天然資源の欠如に起因している。
企業
ヴェーラー政権下の経済自由化以降新ソ連の経済主体は国営企業から民間企業へ変化した。解放政策以前は新ソ連の企業数は132にとどまり、その全てが国営企業だった。192年現在は上場企業だけで365、完全民間企業の占める割合は90%を超える。これら民間企業の成長の背景には歴史でも触れられている通り大胆な規制緩和と国営企業の払下げによるものであった。民間企業の伸長は新ソ連経済の成長に大きく貢献した一方で、「赤い資本家」と呼ばれる高所得者層と低賃金労働者の格差を生み出すことになり、社会問題化している。
国防特定産業事業体保護法
新ソ連に存在する法律。国防上の観点から、一部の事業体(企業)に対する国外からの買収を阻止することを主な目的としている。
以下の3種類の条件のいずれかにその企業該当する場合、外国企業・外国人の株保有比率が一定以下に制限される。
- 革命軍に兵装・兵器を納入する企業
- 法律内で指定される特定物資(計算機等)の生産において国内生産比率が一定値を超える企業。
- 報道・研究等特定産業に関与する企業
新ソ連の主要企業一覧
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あ行
アストラ
アンマンに本社を置く電子機器メーカー。国内のテレビ受信機の大部分はアストラ製である。
i-MAM
高層建築専門の施工建築会社。
IRISフィナンシャルグループ
新ソ連最大級の金融企業。保険事業、証券業務、金融事業を手がける。企業の名称は創設者レオニード・スコットの娘の名前に由来する。
IRISグループの完全子会社。個人を対象にした資産管理運用業務、消費者金融業務を行う。
アルティネート
アルティネート社は食器製造及び販売を行う新ソ連の企業。
ウェントコンクリート
コンクリートメーカー。近年のコンクリート建築市場の急速な拡大に伴って発展。基礎杭やコンクリート加工品などに加えて、放射線遮蔽コンクリートなど特殊資材も扱う。
FGE
FGE(Far east General Enterprise)は 大中華との貿易を独占するとともに、新ソ連資本の極東地域での経済活動を統制する半官半民の総合企業。民間株式は大企業に独占されており、幹部会は大中華の巨大な市場に進出したい企業と秩序だった貿易を志向する政府の間での折衝を行う場となっている。本社は広州に所在する。
MCレガー連邦貯蓄銀行
新ソ連の大手商業銀行。かつてレグルス帝国で金融都市として栄えたバグダッドに本店を置く。
ドイツ系レグルス人ディアスポラの街ノイベルリンに起源を持つ不動産会社。MCレガー連邦貯蓄銀行の子会社。
160年の国家秩序本部による欧州人一斉収容に伴い経営陣の80%が拘束され一時的に会社機能が麻痺した。現在はアジア系人種が経営を引き継いでいる。
インダストリアル・コア
アルミニウム精錬を中心に多様な業務を行う重化学企業。無機化学(硫酸・アンモニアの製造)等でも著名。
燃料省石油庁が後押しする民間企業。資源調査、採掘を主な事業として経営する。大手工業コンビナート(企業連合)のインダストリアル・コア社の子会社。ペルシア湾岸の海上オイルリグやシリア地域の細々とした油田に権益を持つ。民間企業であり、事業拡大に積極的で海外進出に関心を持つ。
エターナル・エンタープライズ
永遠にあなたのそばに
- Ecaps Etage Entertainment
エターナルエンタプライズの子会社。アッシリアの大型アミューズメントパーク「Ecaps Etag Entertainment」を運営する。
NPKファクトリー
新ソ連の肥料メーカー。社名は肥料の三大要素N(窒素)P(リン)K(カリウム)から。
MWH
レグルス崩壊後に勃興した企業グループ。正式名称はメソポタミア・ワーカーズ・ホールディングス。レグルス中央政府消滅直後に国有だった資産を接収し大きく発展した。CEOはアイザック・クロムウェル。
鉄道輸送・旅客を行う。連邦唯一の私鉄。主に都市圏で路面電車を運行する。
宇宙開発を行う。
要人や施設保護の為のリソースを供給する民間軍事会社。国内法上の理由から警備企業とされ、装備も制限されている事になっているが、違法な武装を保有していることは周知の事実である。GSCは新ソ連民間唯一のPMCであり、MWHの私兵部隊としての側面も持つ。GSCは旧レグルス帝国軍の兵器や人員を元に形成された。
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ジブリール軍団 |
ジブリール軍団はガルフセキュリティカンパニーの実働部隊。1,0000前後の兵力を保有していると推定されている。また軍団はGSC本社に対して会社の一部門としては明らかに強い力を行使しており、GSC本社と軍団の関係は事実上逆転していると考えられている。ジブリール軍団、ひいてはGSCでは秘密主義的管制が敷かれ、特に幹部はその正体が隠匿されている。彼らの多くは作戦上のコードネームで呼ばれている。
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保有兵器一覧 |
D-2 グラスカッター
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D-3 ワッペン軽トラクター
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imageプラグインエラー : 画像を取得できませんでした。しばらく時間を置いてから再度お試しください。
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N-1 ワゴンバス
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バッファロー
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15cm榴弾砲
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航空機、自動車、鉄道問わない内燃機関の開発製造を行う。
原子力関連技術の研究開発と原子力プラントの建造を行う。
車運企業。レグルス戦争後の砂漠都市間のキャラバン輸送に由来を持つ。
シェルターの建造を専業とする珍しい企業。戦争が身近な新ソ連ではシェルターの需要は高く、特に大型施設や公共施設には地下室兼シェルターの設置が義務づけられている。その為シェルター建造一本でも十分な利益を得ることが出来る。
- テクノロジクス・エンタープライズ・インターナショナル社
レグルス帝国成立初期から存在する老舗電気機械企業。レグルス崩壊時にMWHによって買収。
MWHグループ最大の研究機関。
連邦最大のコンビナートであるMWHの派生企業。主な事業は発電事業で、石油採掘はそのついでで行っている。採掘した石油はMWHの企業で精製し、再びネプチューンエネルギーに戻って発電に使用される。
銃火器製造を行う。
航空運輸・旅客を行う。後述のオリエントアエロフロートと連邦内の航空産業を二分する。同社と差別化を図るためより安価で手軽な航空企業としての立場を強化している。
MWHのグループ銀行。
オリエントアエロフロート
新ソ連のフラッグキャリア。連邦航空省からの強い後押しを受ける半官半民の企業。連邦内の民間空港の管理運営も行っている。
オリエント・インターナショナル・ホテル
新ソ連の最高級ホテルチェーン。WLA主導で運営されている。想像できる限り全てのサービスを提供する事をスローガンに掲げている。
ホムス所在のホテル兼総合娯楽施設。オリエント・インターナショナル・ホテルが一般に新ソ連国内の市民を対象にしているのに対し、このホテルは外貨獲得のために明確に外国人観光客向けになっている。
イスラーム建築風の建物で、ホムス都市圏中心の都市公園の中心に位置しているので交通の便と静けさを両立している。ホテルの地下にはカジノも存在する。
新ソ連の国内向けホテルの最高峰。スレイマニヤ近郊の山岳に位置する。政府要人や大企業の幹部の多くが宿泊する。隣接してゴルフ場が存在する。名物は硫黄温泉。外見は一般的な社会主義建築ビルだが、トーチカと同じコンクリートで建築されているため一般建築としては異常な強度を誇る。地下には巨大な核シェルターが建築され、1000人を180日に渡って収容可能。またホテル内部に手術室を備える。以上の特徴から新ソ連で最も安全な場所の一つともいわれる。
オリエント興業
新ソ連の観光会社。新ソ連最大の旅行代理店である。経営主体はWLA(労働者娯楽協会)。新ソ連唯一のスキーリゾートや新ソ連国内の観光施設の運営でも知られる。
か行
ガイナプリンタ
アレッポに本社を置く印刷会社。
キルクーク製薬
その名の通り化学産業の盛んなキルクークに拠点を置く製薬会社。ロゴマークは青字のKとそれを囲む円。
グルーメント化学産業団
キルクーク市発祥の重化学工業会社。染料、窒素、有機化学分野で有力。
グルーメント化学産業団の傘下にある製薬会社。主に連邦軍と取引を行う。
クルト&ヴィルヘルムワーゲン
クルト・デルトニッヒとカール・ヴィルヘルムによって創設された機械修理ガレージショップに由来する自動車企業。新ソ連陸軍の自動車需要に伴い拡大し近年は国産自動車の再開発に挑戦している。
クロイツフェルト紡績
122年にハサカ紡績工場として創業。130年に事業拡大に伴ってダマスカスに本社を移転、その際社長の名前であるクロイツフェルトへ改名した。またこのため社名とフェルト布とは無関係。
クロンシュタット・アビエーション
ベルクト・ミヒャエリスによって150年に創業した航空機メーカーで、新ソ連の三大航空機メーカー"ビッグ3"の一角。ミヒャエリスはレグルス帝国で第307工場で航空機設計に携わっており、レグルス崩壊後に307工場でクロンシュタットを創業した。307工場はレグルスの主要な戦闘機工場の一つでミヒャエリスも単発機の設計を得意としたことから、クロンシュタットも戦闘機開発で著名である。
kr-8 艦上戦闘機
kr-168 襲撃機
kr-180 ストルク
kr-250 近接航空支援機
kr-263 ロケット戦闘機
KMW
クルディスタン発動機工場(Kurdistān Mortor Werke)から略称に改名。
ゴルドブルワリー
イラクに所在する酒造メーカー。白ビールであるゴルドビールで有名。
さ行
サイダーサイダー
東方共和国サイダー市に本社を置く清涼飲料水メーカー。新ソ連にいわゆるサイダーは存在しなかったが、日本人移民によって持ち込まれた。サイダーサイダーも日系移民であるマキモト・ジョーノウチによって設立された会社である。新ソ連の清涼飲料水市場はレッドジェット社によって独占状態にあるが、レバノン地域においては例外的にサイダーサイダーが支配的である。
サルミア製菓
クウェート市サルミアに本店を構える製菓店。レグルス旧貴族御用達の店で、アッシリアによるクウェート占領後も時の権力者だったアルノ・ミシェルのお気に入りとなり生き延びた。
サンライツ
広告代理店。
JEST
正式名称ヨルダン土石製造(jordanische erd- und steinherstellung)。ヨルダンで土砂・鉱石・非金属鉱の採掘を行っている。かつて秩序本部によって運営されていた企業の一つで、囚人の強制労働によって利益を上げていた。秩序本部の縮小にあたって民営化され、現在では完全な民間企業である。
西亜重工(West Asia heavy Industry)
西亜重工は商業省、重工業省の出資する重工業官営企業。連邦内に複数の製鉄所を有するほか国内最大の工作機械生産力を持つ。
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製品 |
汎用旋盤
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ボール盤
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フライス盤
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帯鋸盤
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正式名称Middle East Chemical Industry。西亜重工の子会社。MECIは親会社と異なり民間の出資も含んでいる。バグダッド以北の油田に利権を持つ。バグダッド計画でメソポタミア地域に建設された巨大化学コンビナート群を所有し石油精製の規模では他社を圧倒する。連邦石油公社とは石油採掘事業におけるライバルである一方で、石油購入の主要な相手先でもある。
旧バスラ帝国造船。レグルス帝国時代に整備された造船所。レグルス戦争終結の3日前までレグルス海軍艦艇を建造し続けていたことでも知られている。
ゼクスシグマ製造
計算機・時計・楽器メーカー。本書所在地は沿ヨルダンソビエト共和国アンマン県アンマン市。
製品のブランド名としてはゼクス(ZX)が用いられる。略称もこれに準ずる。一方でロゴマークはZΣを結合したものとなっている。
元はレグルス時代からの老舗時計工場だったがレグルス戦争前後に本拠のエルサレムからアンマンへの移転、代替わり、需給の変化から計算機製造に進出した。現在では新ソ連の計算機の7〜8割がゼクス製とされている。
社是は「正確 精密 」
現代表は創業者ゼクス・メイガンの孫に当たるマクマード・メイガン。
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社名
社名のゼクスシグマは創業者の時計工ゼクス・メイガンと製造業における品質マネジメント手法であるシックスシグマをかけたものである。
ブランド
ブランド名にはいずれもXの文字が含まれているのが特徴である。
Exal
汎用機械計算機ブランド。新ソ連国内で最も利用されている計算機シリーズである。最大の顧客は新ソ連内務省。
XΣ
軍用計算機シリーズ。Exalに比べて物理的な耐久性などに優れる。
ZAX
超高性能機械式計算機シリーズ。いずれも特注品でこれまでに14台が製造された。原子力研究機関や宇宙工学研究所などの最先端研究機関に納入されている。連邦物理学研究所に納入されたZAX-9 Zeusは新ソ連発のデジタル式電子計算機である。
Pix
真空管シリーズ。新ソ連の真空管規格はPixシリーズを基準としたものである。
dxca
軍用腕時計シリーズ。防水加工がなされている。民間にも旧型が出回っている。
Xlasta
高級腕時計・懐中時計ブランド。
Kexel
最低限度の性能と極限まで簡素化されたデザインの腕時計ブランド。
X-laster
置き時計・掛け時計ブランド。
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ソーモエンタープライズ
ゲーム機メーカー。アーケードゲームだけでなく海外製の電子部品を用いた(非常に高価な)家庭用ゲーム機も製造している。家庭用ゲーム機としてはフェイズシフトシリーズが著名。
ソビエト漁業組合
正確には企業ではないがここに記載。新ソ連の漁師組合。相互扶助や信用金庫、新技術導入のための窓口の役割を果たしている。
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船舶 |
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た行
DUB
新ソ連最大の衣料品メーカー。新ソ連の複数の大規模綿花農家と契約を結ぶ。また人造繊維加工の国内最大手でもある。新ソ連の安い労働力によって安価で大量の製品を生産している。
Zcom
Zcom(ツェットコム)は新ソ連のホテルブランド。安価なビジネスホテルの運営で知られる。
D.D.アルケミー・インダストリー
合成ゴム産業の統合効率化を図る重工業省の圧力によって成立した化学産業における企業トラスト。新ソ連のゴム供給の78%を占める。
テクノレコード
新ソ連のレコード会社。
ディスティニー=フランクリン・コーポレーション
クウェートに本社を置くエンターテイメント企業。162年にクウェートで創業し同国の併合後は新ソ連の企業として活動した。ディスティニーランドの運営で著名である。
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沿革
前史
創業者であるウォルテン・ディスティニーは工学者であった。レグルス帝国時代にはREPインダストリアル社の技術部に勤め、世界金融危機後の同社の倒産後にアニメーション作家を志した。ニッキーラットを始めとするディスティニーランドのマスコットたちの多くはこの時期に生み出されている。
しかしディスティニーはイラストレーター・アニメーション作家として生計を立てることはできず、レグルス戦争開戦後は軍需工場に動員され飛行機製造に携わった。この間ディスティニーは創作家としての夢を諦めていたわけではなく、この時期に描かれたと考えられているディスティニーのスケッチが見つかっている。またディスティニーは元々軍国主義を嫌っていたが、特に工場の警備監視に当たっていた軍人と反りが合わずたびたびトラブルを起こした。この経験はディスティニーを後の反戦活動家へ導くことになる。
戦局が逼迫し本土決戦が始まるとディスティニーは本土防衛隊に動員された。しかしディスティニーは本土決戦の混乱に乗じて脱走、避難民に紛れシリアからクウェートへの逃避行に成功しそこで終戦を迎えた。
終戦後もディスティニーはシリアへと帰らず企業支配下に置かれたクウェートに住み着いた。ディスティニーの生活はかなり苦しいものでバラックに住みつき路上で絵を売りその日の生活費をなんとか稼いでいた。
しかしある人物との出会いでディスティニーの生活は一転する。ある男がディスティニーの絵に感動しパトロンとなることを申し出たのである。その男こそ後のディスティニーの生涯の友人となるアナベル・フランクリンであった。
フランクリンは当時、現在のデイリークウェートにあたる新聞社の経営者だった。二人はすぐに意気投合した。フランクリンはディスティニーに社宅の一角を与えたばかりでなく、日刊紙に掲載する四コマ漫画の作者としてディスティニーを採用したい事をディスティニーに告げた。これはフランクリンの独断で新聞社内でも反対の声が多かったがフランクリンが強行したものだった。ディスティニーは喜んでこの申し出を受け『レオぽん』を連載した。レオぽんは読者に好評で、当初は疎外されていたディスティニーも会社に受け入れられた。
しかし同時にクウェートを取り巻く環境に暗雲が迫りつつあった。メソポタミアのベルギウス連邦と中東革命軍がクウェートへの侵攻を目指している事が明らかになりつつあったからである。ディスティニーは軍事独裁政権であった彼らを強く警戒しており、ブルジョワであるフランクリンに度々国外亡命を勧めた。しかしフランクリンは警告を真剣に受け止めずクウェートに残り続けた。
中東革命軍の軍事政権は第二革命によって打倒されたが、継承国のアッシリア政府は151年2月に東風作戦を開始しレパヴリスク全体を占領下に置いた。アッシリアによる占領後、ディスティニーの懸念通りフランクリンの新聞社は接収され、それに抵抗したフランクリンは逮捕されてしまった。フランクリンは3日で釈放されたが新聞社の印刷設備はアッシリアに接収され会社も解散を余儀なくされた。
広報部とアニメーションセンターでの活動
フランクリンとディスティニーは路頭に迷うかに思われたが、ディスティニーがアッシリアの進駐のどさくさに紛れて秘密裏に持ち出し隠匿していた会社の資金で困窮することは避けられた。しかしそのままではいずれ資金もなくなるためフランクリンはコネクションを活かして高職追放を免れたレパヴリスク時代からの友人を訪ねディスティニーの絵の才能を売り込んだ。フランクリンらは色々な人物、場所を訪ね、最終的にアッシリア政府の広報部に職を見つけることができた。ディスティニーは自分たちの仕事を奪ったアッシリアのために働く事に嫌悪感を示していたが、日銭を稼ぐためやむを得ず了承した。
広報部でディスティニーは政府への反感を隠し極力波風立てないように努めた。仕事への姿勢は真面目そのものであり、同僚の中にはレオぽんのファンもいた。新ソ連の成立後もディスティニーは広報部に勤め続け、情報省文化省の設置の際には文化省に移り映画庁に勤務した。
映画庁では『インテグラ』や『クロスロード』の制作に携わり、連邦アニメーションセンターの設立に当たっては創設メンバーとして加わった。アニメーションセンターでは作品監督を任せられ同名の自作キャラクターを主役にした『ロナルド・レイブン』や、千夜一夜物語を元にした『千一夜物語』を制作した。千一夜物語は新ソ連映画史上最大のヒットを記録し、ディスティニーの名声を確固たるものとした。
しかしそれと同時にアニメーションセンターでディスティニーと並ぶ巨頭と評されていたオズワルド・タークとの対立が表面化した。ディスティニーは戯画的、カートゥーン的な作品を制作した一方で、タークは今日新ソ連でメジャーないわゆるアニメ的な作品を作った。両者の意見対立の背景には政治的な姿勢も存在し、ディスティニーは本質的に政府を嫌悪していた一方でタークは中央政府に忠実だった。
両者の対立はメッケルニッヒの政権樹立によって臨界を迎えた。タークはメッケルニッヒを熱烈に支持した一方でディスティニーは軍事政権そのものであるメッケルニッヒへ冷淡であった。ディスティニーはメッケルニッヒの政権樹立の3ヶ月後の158年3月にアニメーションセンターを辞職した。ディスティニーはその後しばらく自宅に引き篭もりがちとなりフランクリンが彼の面倒を見た。
DFcの創設
メッケルニヒが死亡し自由化が始まるとディスティニーは170年に自らのアニメーションスタジオを設立した。これがDFcである。フランクリンはこの際資金集めに協力し、アニメーションスタジオの副社長となった。ディスティニーはいつもアニメーションの制作にかかりきりであったため、事務作業や予算の決済はフランクリンの仕事であった。
ディスティニーは次々と新作の制作を行なった。メッケルニヒ政権の間、ディスティニーは新作の準備を静かに続けていたのである。
DFcの1作目である『ニッキーラットの冒険』と4作目となる『アッシュールバニパル』は興業的に大きく成功し、DFcをアニメーションセンターに並ぶ大企業へ成長させた。特にニッキーラットはDFc社のマスコット的存在となり、本来一作のみの登場予定であったニッキーラットはシリーズ作品となった。
ディスティニーランド
178年、DFcが成功し飛躍的な成長を遂げると、ディスティニーは以前から温めていたアイデアを実行に移すことを決意した。自らのキャラクター・作品をテーマにしたテーマパークの建設である。ディスティニーはこのテーマパークをニッキーランドと名付けようとしていたが、周囲の人々からの助言でディスティニーランドとなった。
ディスティニーランドの建設地としてはクウェートのジャハラ県郊外の沿岸が選定された。用地は当初340,000平方メートルだったが、計画の拡大に伴って最終的に680,000平方メートルとなった。
ディスティニーランドのアトラクションの設計には工学者であったディスティニーも携わった。従来のアニメーション制作も並行して行なったため、ディスティニーは一時期一週間の睡眠時間が14時間になるほどの過労状態だったという。
181年1月8日、ディスティニーランドは正式にオープンした。オープン時点で新ソ連最大の遊園地であり、DFcそのものも著名であったことからオープン日から人が押し寄せた。パークの収容人数は18,000人を想定していたが24,000人以上が来場しパークはごった返した。中には入場はできたがなんのアトラクションにも乗れなかった者も出た。
現在
186年現在DFcは事業を子会社に分割し純粋持ち株会社となっている。子会社にはディスティニーランドの運営を行うディスティニーランド・エンターテインメント、メディア・コンテンツ制作を行うディスティニー=フランクリン・スタジオなどがある。
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トート航空製造
フリッツ・トート技師(ナチスドイツのフリッツ・トートとは無関係)によって159年に創立された企業。新ソ連三大航空機メーカー"ビッグ3"の一角。
トート技師はレグルスで最も優秀な航空力学者・航空機設計者の一人だったが、反クロムウェル派に与していたとしてレグルス戦争開戦以降監禁されていた。アッシリア政府成立以後は共産党の呼びかけに答えランドルフ設計局に勤めていた。ここでトート技師はレグルスの失われた航空力学技術の復活を試みアッシリア・新ソ連の航空機発展に貢献した。この貢献からトート技師は政府によって度々賞賛と宣伝の的とされ、ランドルフに在籍しながらも自身の苗字を接頭辞(To)にすることを許された。これにはトート技師が靴職人(プロレタリア)の家の生まれで頭脳で成り上がったという共産党にとっての理想的な人物であることも大きいが、トート自身の貢献もまた間違いなく大きなものであったことは否定できない。
しかしトートがその名声を高めることにランドルフ設計局の総責任者であったボリス・ランドルフは反発し、両者は対立を深めていった。最終的にトートは154年にランドルフを辞職することになった。
ランドルフを辞職したトートは政府の秘密裏の支援を受けてトート航空製造を起業した。トートはTo-441やTo-449といった大型機を開発し連邦軍に採用されたが、大規模な生産に至ることはなくランドルフからの妨害もあって業績は伸び悩んだ。しかし156年末にトートが開発したTo-344は軍部の心を掴みランドルフの妨害空しく主力戦闘機として採用されるに至った。To-344は157年の軍縮によって新規軍用機開発が停止する中で主力戦闘機として配備され続けトート社に莫大な利益をもたらした。
170年にトートが死去した後もトート社は発展を続け、次期主力戦闘機の座もトート社のTo-155が獲得している。
機体設計の面ではトート社は小型機の設計を得意とすると言われている。元々トートは大型機の設計者であったが、それらの大型機は商業的に成功せず、むしろ小型機の方が好まれた。現在トート社が生産している非単発機はTo-229のみでそれ以外はいずれも単発機である。
またトート社の機体は海外でも運用されており、To-36や To-334はその代表的な例である。
To-36 急降下爆撃機
To-48 軽戦闘機
To-229 戦略爆撃機
To-334 戦闘機
To-344 戦闘機
な行
NIKEスポーツエンターテインメント
複数のスタジアムを有しスポーツ興業を行う企業。バスケットボールや陸上競技、水泳まで多様なスポーツイベント・試合を行っている。ただし野球、戦車道、競馬はそれ専門の機関・組織が存在するため行っていない。
Neo
新バビロンに本社を置く企業。ビル外壁や施設内の清掃を主な業務とし、クリーニング事業や家事代行サービスなども展開する。社名は新築同然に清掃するという理念から。
は行
バラダメタル
ダマスカス所在の金属加工メーカー。
ファンダメンタル地質調査事務所
クルディスタンに拠点を置く地質調査業者。国家秩序本部第九局の運営する企業の一つである。国内最大の埋蔵量を誇る硫黄鉱床の発見などの実績がある。
ハンターラビット
猟銃を構えた兎のロゴで有名なレストランチェーン。いわゆるファミリーレストランの一種。
フロイラインメドテック
医療機器の製造を行う企業。
プロミネンスハブ
国際貿易、特に海外製の高級品の輸入で知られる企業。
ベツレヘム造船所
シリアのタルトゥースに存在する造船所。レグルス時代には海軍の生産の主要な拠点であり、現在では新ソ連の民間造船で最大のシェアを誇る。
後に造船王と呼ばれる事になるカール・"カイザー"・ウルブリヒトによって統一歴118年に創業された。造船所の名前の由来はユダヤ人であったウルブリヒト自身によって名付けられたものだった。レグルス時代にベツレヘム造船所は主要な軍艦の建造拠点となった。ベツレヘム造船所で建造された主要な軍艦の多くは航空母艦だった。
他の造船所の例に漏れずベツレヘム造船所もレグルス戦争で大きく破壊された。特に超大型空母レグルスⅢを建造したドックは本土決戦の前から爆撃によって破壊されていた事に加えて、接収を恐れたレグルス親衛隊によって徹底的に爆破された。このドックは戦後占領した新ソ連も修復を諦め埋め立てられている。
造船所の復興は他の造船所より遅れ、VGPによって復旧が決定された。ちょうどその時期にかけて新ソ連では民間船舶の需要が高まっており、軍用造船所を十分確保していた新ソ連はベツレヘム造船所を完全に民間の造船所とすることを決定した。現在ではベツレヘム造船所は新ソ連最大規模の造船所でありながら、軍艦を一切建造していない稀有な造船所となっている。
Beraオートモービルズ
大型車両の製造で知られる自動車メーカー。新ソ連国内のトラックの8割はBeraの製品と言われている。
自動二輪を主事業とする企業。187年にBera社に買収。
ホイットニー
高級衣料品ブランド。経済自由化の中でノーメンクラツーラや赤い資本家を相手に成功を収めた。製品は高級志向のラヴとリーズナブルなカインドの二種類に分かれている。カインドの中で皮製品は何故か微量の放射線を発しているため殆どの国では税関を通過できないので国外持ち出しが基本できない、あしからず。
ま行
マイニング&クラフティング
新ソ連の製紙メーカー。新ソ連の製紙市場はマイニング&クラフティング社による独占状態にある。
ミケランジェログループ
芸術品の国際貿易を取り扱う商社。179年に当時の郵政大臣ヨハン・ヴェルゼルシキーと会社幹部の間での贈収賄が立件されスキャンダルとなった。この事件は連邦政府の目をルークリアで発生していた国際紛争からそらすことになり、 インド戦争の遠因となった。
Meat Techグループ
「食卓の明日」
Meat Techグループは新ソ連の食品メーカー。牛肉、鶏肉の加工、及びそれらの冷凍食品の製造、及び合成肉製造を行っている。
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歴史
Meat Techは162年にアルビールでブライアン・マッケンジーとジェームズ・テイラーによってM 精肉会社として創業した。二人はアルビール郊外の農村ゴパル出身の友人同士で、日雇い労働で稼いだ貯金を元手に起業した。
M&Tは劇的な成功こそ収めることこそなかったものの、順調に事業を拡大したを170年に行われた調査では企業規模ランキングでクルディスタン内98位に入っている。
状況が変化したのは174年、インドから安価な飼料が流入するようになり新ソ連の畜産が急速な成長を見せると食品業界はにわかにブームに沸き、M&Tも大きな利益を受けた。
この利益の投資先についてマッケンジーとテイラーの間で意見対立が起こった。現状維持を主張するマッケンジーに対しテイラーはバイオ畜産方面への傾注を主張した。テイラーは畜産ブームの終焉と同業他社との差別化を図っていた。しかしこの対立はマッケンジーの勝利で終わった。
だが175年5月、マッケンジーが急死しテイラーが会社の主導権を握ると社内のマッケンジー派を粛清、自身の主張するテクノロジー路線へ舵を取った。そしてこの際社名もMeat Techに変更している。
新生Meat Techは合成肉の開発・生産を開始した。主要国では一般的になっている合成肉だが、当時の新ソ連では合成肉はまだ新しいものだった。合成肉は上流階級には未来の食肉と喧伝され、下層階級では安価な肉として宣伝された。
Meat Techの合成肉は新ソ連で大きな成功を収め、190年にはゴートミートを抜かし新ソ連第二位の食肉加工企業へと成長している。
またMeat Techは186年から民間企業として初めて培養肉の研究を始めている。
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マシュリケ・マグネタイト・セラミックス(MMC)
磁気テープの製造を行っている企業。
マッケンジーホールディングス
小売・卸売業・運送業を営む企業グループ。世界最大級のショッピングモールであるクウェートモールの筆頭株主の一つであるほか、連邦各地にグループの小売店・百貨店が存在する。
ムービースタジオ・インフィニティ
レバノン、バンドゥンに所在する映画スタジオ。新ソ連で3つしかない映画スタジオの一つで新ソ連文化省の後援を得て活動している。
ムーンウルフ
新ソ連最大のティーハウスチェーン。一般にあまり知られていないが、新ソ連では喫茶文化が根強く茶店の需要は高い。茶店は新ソ連の市民の社交場であることが多い。店舗はしばしば開放的な屋外席を持つ。多くの場合、店舗は茶葉の販売も行っている。
モルガンコーポレーション
建築物の設計を行う企業。VGP関連の設計を数多く請け負い急成長した。建築技師のアンドリュー・モルガンによって創業。
や行
冶金機関
新ソ連の民間研究所の一つ。株式は非公開であり、ジョセフ・エドワーズ・マクスウェル博士が保有している。マクスウェル博士は新ソ連の超科学界隈で有名な人物であり、機関の研究が秘匿されていることから冶金ではなく錬金を研究しているのではないかと囁かれている。
エクスペリメント10
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エクスペリメント10は冶金機関によって製造された人造人間・ホムンクルス。旧レグルスの人造人間技術を元に、冶金機関独自の魔術体系の下で構築された。外見はアルビノの女性児童だが、血液や神経系など人間に必要な要素は存在せず、代わりに全て不可視の魔術的な要素によって接続されているため人造人間というよりヒト型の魔法陣に近い。
ほぼ人間の様に振る舞うことができるが、一方で先述の魔術機構が極めて繊細なため普段は刺激のない暗室に収容されていた。試験も極力屋内で行われることになっており、例外的な屋外での試験の際は白いローブでほぼ前身を覆っていた。
エクスペリメント10には成人男性三人分の給餌を行う。この量の食餌は物理的に体内に入らないはずだが、エクスペリメント10は問題なく摂取している。エクスペリメント10の消化吸収プロセスに関する実験をリストに追加する。
エクスペリメント10はエクスペリメント9以前の試験体に対して安定性が高く、メンバーに対し従順である。武装兵に対しエクスペリメント10が過剰に反応する傾向が見られるため、銃火器は非常時を除きエクスペリメント10から隠蔽するものとする。
インシデントレポート10-22-4i
17X年X月XX日XX時XX分、リサーチベース22"アルバテル"にてインシデント10-22-4iが発生。
当該日リサーチベース22ではエクスペリメント10の屋外実験22-4を行っていた。実験は飛行試験であり、エクスペリメント10の実験としては四回目だった。3回の実験によってエクスペリメント10は最高時速540km、高度40mでの飛行が可能になっていた。
22-4ではエクスペリメント10の機動性に関する試験を行う予定だった。空中にバラバラの大きさのリングを配置しこれを潜り抜ける時間を計測するものだった。
試験開始30秒後、エクスペリメント10が予定外の飛行機動を開始したため復旧を指示した。エクスペリメント10はこれに従わず10分以上滞空を続けたため捕獲を試みた。
30発以上の捕獲網を投射したがエクスペリメント10はこのいずれも回避した。エクスペリメント10が捕獲の試みの間常に空中を見続けており捕獲部隊を視認していなかったことは特筆に値する。またこの回避行動の際エクスペリメント10は想定以上の機動力を発揮した。
捕獲の試みが失敗したあと試験責任者XXXX博士は撃墜を指示した。対空機銃を用いてエクスペリメント10を射撃したところエクスペリメント10は空中で消失した。レーダー、肉眼のいずれからもエクスペリメント10は消失しており捜索を実行中である。
補遺
10-22-4iから1ヶ月後にかけて空中を飛翔する白い物体についての噂話が拡散した。付随して生じた食糧泥棒の噂と合わせエクスペリメント10が逃走を続けているものと推測する。目撃情報から今後も捜索活動を継続する。また目撃者に対してはカバーストーリーの流布を実行する。
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ヤードカレント
国内二番手のアスベスト製造量を誇る採掘系企業(一番手はJEST)。
ユイソンゲームズ
アーケードゲーム筐体メーカー。業務急拡大に伴い地方へのサービスが追いついておらず、一部の市民からはいつも故障中の筐体の会社として認識されている。
ユシマ製薬
アレッポ所在の製薬会社。
ら行
ラジエーションIG
かつて秩序本部によって運営されていた企業の一つ。現在では民営化されている。放射線計測計や蛍光塗料用ラジウムの製造を行う。
ランセンヒューズ
電子部品メーカー。
ランドルフ設計局
新ソ連航空省の傘下にある国営設計局。新ソ連の三大航空機メーカー"ビッグ3"の一角。152年にボリス・ランドルフによって創設された。大型機の設計を得意とする。航空機接頭辞はRn。
Rn-12 雷撃機
Rn-13 戦闘機
Rn-29 近接航空支援機
Rn-39 戦略爆撃機
Rn-1405 哨戒機・旅客機
リュマニテ
165年創業の消費者金融。
リング
法人向けの多言語翻訳業務を行うベイルートの会社。
Red Jet Drink Corp.
レッド・ジェット・ドリンク・コープは新ソ連の清涼飲料水会社。最も著名な代表的商品として社名にもなっているレッドジェットが知られている。
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歴史
レッドジェット社は統一暦157年にフランク・スピットとジェームズ・エドソンによって創設された。フランクは有機化学者、ワトソンは社会システム工学者でありバグダッド大学の同期であった。
レッドジェットの最初の製品であるレッドジェットは大学時代にフランクが合成した自分用の飲料のレシピをそのまま使用していたとされる。レッドジェットはワトソンの大規模な宣伝と、当時の新ソ連に競争相手がいなかったことによってブームを起こし、大きな成功を収めた。
レッドジェット社はその成功にも関わらず、しばらく新たな製品を出すことはなかった。当初レッドジェット社は基盤が貧弱で生産拡大にそのリソースの多くを注ぎ込まなければならなかったためである。
レッドジェットの新製品が販売されたのはブームが落ち着いた159年の事だった。レッドジェット・グレープ、オレンジ、チェリーなど合計で38のバリエーションが一斉に販売された。これらの多くは不人気のため販売中止に追い込まれたが、いくつかのフレーバーは現在も人気商品の一つとなっている。
162年3月10日レッドジェットは重大な決断を行うと発表した。翌日会社は通常のレッドジェットのフレーバーを変更することを明らかにした。このニュースは号外で連邦中に伝えられた。新フレーバーのレッドジェットは新たな顧客を引き寄せた一方で旧来のもののファンはこの決定に抵抗し、訴訟も起こされた。最終的にレッドジェット社は旧来のフレーバーをレッドジェット・レトロとして販売することを決定した。
レッドジェット社は政府の進めるバグダッド計画への公然とした協力を表明している。バグダッド計画で再編された地域ではレッドジェット社の新ソ連初となる自動販売機が設置された。それまで新ソ連では治安上の制約から自動販売機は設置されたことがなかった。レッドジェット社は自販機を装甲化することでこの問題に対処した。それでもしばしば自販機ごと盗難されるケースが発生したが、レッドジェットの熱心なファンの協力によっていずれの事件もかなり早期に解決している。レッドジェット自販機はVGPで全国規模に拡大した。
製品
レッドジェット
157年発売の清涼飲料水。新ソ連で最も人気の清涼飲料である。162年にフレーバーが変更されたが、この変更にはかなりの不評を伴った。これに慌てたレッドジェット社は旧版をレッドジェットレトロとして売り出すことになった。現在ではレッドジェットも広く受け入れられレトロの人気を上回っている。
レッドジェット・レトロ
162年のレッドジェットのフレーバー変更に伴い起きた抗議活動に対してレッドジェット社が売り出した旧フレーバーのレッドジェット。
フレーバーレッドジェット
159年発売の果実フレーバーが添加されたレッドジェット。当初は38のフレーバーがあったが現在ではグレープ、オレンジ、チェリーの3つの固定フレーバーと季節ごとのシーズンフレーバーのみが販売されている。
スーパーニューク
160年代の野心的な商品の一つ。旧世紀のアメリカ合衆国以来の原子力飲料で放射性セシウム135と137を配合している。スーパーニュークはその特性上常にチェレンコフ放射を起こし発光している。新ソ連医科委員会は長短期的な健康被害の懸念を表明しているが、今のところ健康被害は報告されておらず連邦全域で流通している。
ブレイムエナジー
スーパーニュークと肩を並べる野心的ドリンク。「これ一本で1日分のエネルギー」がキャッチフレーズのゼリーに近い飲料である。実際には缶一本200mlで3000kcalと明らかに1日分を超えるエネルギー量である。その秘密は内容されている石油である。どの種類の石油を用いているのかは公開されていない。新ソ連医科委員会は長短期的な健康被害の懸念を表明しているが、今のところ健康被害は報告されておらず連邦全域で流通している。
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連邦石油公社
石油省の傘下にある国営企業。採掘、精製、輸送(パイプライン)、販売を一貫でこなす。主にバグダッド以南の油田に権益を有する。国内石油シェアの6割超を保有するほか、採掘ノウハウの点で他企業に優越する。対外進出しない。主な取引相手は前述のMECIや連邦海軍。
ローレライ・ワイナリー
ベイルート郊外に本店を持つ酒造メーカー。
ロックウェル造船所
東方SPRトリポリ市に位置する造船所。造船所自体はレグルス時代から存在していたが、新ソ連による再統一戦争で事実上消滅。その後再建が進められた。軍用艦艇の生産を行う。
わ行
ワンダーアーツ
新ソ連の玩具会社。本当に放射線物質を使用した子供用核実験キットなど一見奇天烈な商品で知られる。
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農業
新ソ連は工業化が進んだ国家であり、農業は雇用全体の18%を占めている。191年時点で農業生産額はGDPの12%である3200億テーベに達した。新ソ連の農業は主に穀物の生産に焦点を当てており、農業生産の約八割を小麦の生産が占める。新ソ連の土地のうち10%程度である7.6万平方キロメートルが耕作可能である。
新ソ連の国土の多くは降雨が極端に少ない砂漠か険しい山岳で農業に適していない。耕作可能値で農業に十分な天水が得られる地域はさらに少なく、ほとんどの耕作地は灌漑網によって農地を維持している。
歴史
この地域における農業の歴史は古く古代メソポタミア文明までさかのぼる。メソポタミアは大河によって肥沃な土と十分な水資源を得ることができ乾燥地帯でありながら農業に適していた。このことからメソポタミアは世界最古の文明のゆりかごとなり、シリアと合わせてこの地域一帯は
肥沃な三日月地帯と讃えられた。また当時から生産量増加の努力が行われたことも観察されており、古くはシュメール人が灌漑を行った記録が残っている。文明成立以降、この地域はその豊かな土地から常に争奪戦の対象となり支配者は次々と変化した。
しかしながら近代以降にはこの地域の農業は急速にその地位を低下させた。石油の発見によって工業化が急速に進展し、支配者は農業を軽視するようになった。更にその後続いた戦争によって農地は荒廃し、更に容易に利益が上がる石油産業への傾注が加速した。レグルス帝国も成立初期こそ食糧自給を目指し農業に投資したが、すぐにインドの農業資源へのアクセスを得たことで農業は再び放置されるようになった。結局この地域の農業が再建されるには新ソ連の成立を待たなければならない。
新ソ連はレグルス戦争という未曽有の破壊に見舞われた国家を再建するため、旧ソビエト連邦の五カ年計画に着目した。ここで政府は農業国としてまず国家の地位を確立し、その後漸進的に工業国家に転換するというビジョンを提示し、そのビジョンを元にした五カ年計画の下で新ソ連は農業へ傾注した。街にあふれかえっていた職を持たない市民は集団農場へ移住させられ、廃戦車を再利用したトラクターを使って農作を営んだ。
五カ年計画は第十一次十字軍後の政変で破棄されたが、その後も農業の自給自足を希求した政権によって農業に対する政府による後援は続いた。自由化が進んだヴェーラー政権下では農業にもメスが入り、効率性が低かった集団農場制が廃止され、農地の私有が認められるようになった。これによってより良い生活を求めた多くの人々が農地を離れ経済成長を遂げる都市部へ移住し、一人当たりの農地面積は数倍に拡大した。しかし既存の農業コミュニティが全て解散したわけではなく、むしろ現在でも依然として村単位で完結した農業コミューンが新ソ連の農業を形作っている。
174年の
ルークリア人民共和国
の成立は新ソ連の農家にとって大きな苦難の幕開けであった。インドの広大な農地で生産される農作物の流入に対し農家の多くは抵抗できず生活は困窮した。農家は政府の支援を求めたが、政府は採算の取れない農業事業の切り捨てを決断しており、国家安全保障上の理由から保護された穀物農家を除いて多くの農家が農地を離れることを余儀なくされた。
制度
現在の新ソ連では農地私有が認められているが、広く農業従事者によるコミューン制が未だに見られている。農業コミューンとして知られているこの共同体は現在の法制度以前の農地の共同所有時代に築かれた。コミューンは農業労働者の家族にとっての生活単位であり、通常の農村施設に加えて政府の農業を含む指導施設や学校が含まれる。農業コミューンに所属する農民は一定の条件下の元で大幅に値引きされた肥料や農業機械を購入することができる。その一方で営農にあたっては政府からの農業命令を実施する必要がある。
緊急農作物収用法は有事の際の食糧危機を想定しており、非常時には政府は農作物を強制的に買い上げを行うことができると定めている。151年の成立以降13年にわたって買い上げは続いたが、自由化政策に先立って163年に強制買い上げは終了し、以降適用されたことはない。
ヴァイケル・ハルトマンを盟主とするソビエト農業同盟(SAA)は農民と行政の仲立ちをする半政府機関であり新ソ連の農業に大きな影響力を持つ組織である。SAAは理念として「社会主義と農業の最良の在り方を模索し、生産的でかつ文化的な農民コミュニティの構築」を掲げている。SAAは全ての農業コミューンに少なくとも1人は専門のスタッフを駐在させている。SAAは営農指導や生活指導を行う他に、流通機関、信用金庫としての役割や相互扶助組織としての役割を持つ。SAAには中央の運営を行う全連邦SAA事務局のメンバーに加え、連邦に存在する全ての農業従事者がSAAの会員として加入することが出来る他、農学者や農作物の流通に関わる者も参加できる。SAAは各地に支部を持ち、支部は各農業コミュニティの民主制によって運営と保全が行われている。SAAの運営は会員の収入ごとに編制された年会費の他に政府からの補助金が与えられている。またSAAは、特にその支部において極めて土地密着型の組織であり、都市層に偏らざるを得ない地元自治体に代わって農業従事者からの支持を得ている。
栽培
新ソ連の農業政策は有事の際のカロリー自給を志向し小麦・大麦の生産を支援している。その一方でこの二種以外の農作物についてはインド産農作物に市場を開放しており、この安価な農作物によって麦以外の農作は限定的なものとなっている。小麦の品種は乾燥と熱に強いデュラム種が大部分を占める。
麦以外の作物では地中海沿岸でオレンジ、ブドウ、リンゴなどの果物、トマトのような野菜、オリーブ、テンサイが生産され、内陸部の灌漑農地では大麦、トウモロコシ、油糧種子、タバコ、綿花が生産される。メソポタミア地域の一部では米の作付けも行われている。また新ソ連は世界最大のデーツ(ナツメヤシ)の生産国である。
近年ではインドの綿花に押され綿花の生産量が減少傾向にある。かつてはお茶の生産がクルディスタンで行われてきたが、インド産の茶葉の流入によって国内のお茶生産は壊滅した。最近はフランス製ワインに対抗する目的でブドウの生産が拡大している。また果物・野菜についてはインド産に対抗するため高品質化の努力が行われている。
生産拡大の試み
農業生産の拡大は新ソ連政府の課題の一つであり、長年にわたって取り組まれてきた。新ソ連農業の困難の最大の部分は水不足であり、歴史的にも様々な手段で水不足の克服が試みられてきた。
灌漑はもっとも容易に生産高を上げる手段であり、チグリス川流域のシリア地域では古代から灌漑がおこなわれてきた。新ソ連では160年代に大規模な灌漑が行われ農地面積は約2倍に増加する大きな成功を収めた。
新ソ連では緑化による環境の変更が真剣に議論されており、167年から大規模緑化計画である緑の盾計画が進行している。この計画の主要な目的は砂漠を緑化することで熱帯気候へ置き換えることであり、結果として降水量が増加し水不足を解消することができると考えられている。
品種改良は連邦生化学研究所を代表とする研究機関で行われている。
肥料の大量投入と機械化は政府によって大規模に支援されており、特に新ソ連では原料が自給できることから肥料価格が安価であり土地面積当たりの肥料量が世界最大である。
新技術の開発は特に温暖で比較的農業に適しているレバノンで活発であり、先端技術を検証する実験的農場が数多く存在している。
塩害は特に砂漠を灌漑した地域やペルシア湾周辺で多く、海岸近くでは海水を大規模に淡水化して散布するなどの対策がとられている。
畜産
レグルス戦争とその後の飢餓の際に多くの家畜が殺され、また家畜の飼育には多くの飼料が必要であること、国土の多くは放牧に耐えられないほど貧弱など^しか持ち合わせていなかったことから、戦後しばらくの期間にかけて新ソ連の畜産の規模はごく小さかった。
これらの畜産の縮小における例外的な存在は馬とラクダ、そして家禽であった。この地域の馬はアラブ種が主で、かつて機械化が進んでいなかったレグルス軍は輜重部隊に大量の軍馬を用いるため大規模に馬の育成を行っていた。レグルス戦争でこれらの馬は食料にするため多くが殺処分され、戦後に成立した赤軍はレグルス軍の兵站軽視を反面教師に自動車化を進め馬の需要も激減した。しかし当時アッシリア政府の長であったアインス・オルフェーベルは馬の育成の振興に力を入れ、競馬産業を興した。現在の新ソ連における馬の育成はここに起源を持っている。
ラクダはこの地域の伝統的な駄獣で、馬が軍や金持ちの持ち物であったのに対し駱駝は一般階級の持ち物であった。ラクダは砂漠の過酷な環境や砂塵の土地に耐え、ロバや馬匹には及ばないが重量物を運ぶ事が出来るため、特に戦後のインフラ破綻期にかけて大きく活躍し砂漠の都市間輸送に広く用いられた。肉は貴重品ではあるが、ラクダが何かしらの要因で死んだ際には食用に供される。また牝に限るが乳を食用にすることができる。モータリゼーションや交通機関の整備によって都市の近くではラクダを見ることは少なくなったが、現在でも地方の内陸部ではラクダが使われている様子を見ることができる。
家禽は牛や羊といった大型の家畜に比べ粗食に耐え、必要な飼料も少なく規模の小さな施設でも育てることができた。そのため戦後すぐのころは各家庭で鶏を何羽か飼っていることも珍しくなかった。このような光景は食料供給が安定化すると見られなくなったが、家禽産業は依然として新ソ連の畜産において重要な役割を占めている。
北ルークリア成立以降安価な飼料が流入するようになり新ソ連の畜産は大きく成長し始めている。ヤギ、水牛の数は戦前の水準に戻り、政府が後押しする牛の飼育数は戦前の倍以上になった。
漁業
伝統的にはこの地域の漁業は主にメソポタミアで行われる自給自足的な河川漁業に限られてきた。近代以降は地中海での近海漁業が成長したが、野放図な工業化による工業汚染の拡散によって河川漁業とともに衰退に追いやられた。レグルス帝国の末期にかけてからは汚染の少ないインド洋での遠洋漁業が提唱された。このアイデアは150年代の後半にかけて国民のタンパク質不足に頭を悩ませていた新ソ連政府によって採択され、初の遠洋漁船団が組織された。漁場での主なライバルはルークリア国だったが、度重なる戦争でインド洋での海上優勢が確立されたことで遠洋漁業は依然として新ソ連漁業を支えている。近年では南極海へも漁場を拡大している。
林業
国土のうち森林面積は5%もなく、さらにその中で林業に用いることができる森林はごくわずかである。国内の木材需要のほぼすべては輸入に頼っている。
工業
新ソ連は成長期にある工業国でGDPの55%を製造業・建設業が占めている。この地域の工業は歴史的に重工業が主体で自由化政策以前の計画経済期には国家によって製鉄所・コンビナートをはじめとする現在の重化学産業の基盤が築かれた。一方で市場経済化が進展した今日では商品作物を加工する軽工業の進展も著しい。
新ソ連には三大工業地帯(湾岸工業地帯・上メソポタミア工業地帯・地中海工業地帯)と三大工業地帯には及ばないものの工業が集積している複数の工業地域(アンマン工業地域・ダマスカス工業地域・クルディスタン工業地域等)が存在する。
湾岸工業地帯はペルシア湾沿岸のバスラを中心に発展した工業地帯で、世界最大級の油田地帯である特徴を生かした化学産業と、アジアから輸入したボーキサイトを用いたアルミニウムの精錬が主に行われる。新ソ連最大の工業地帯であり、特に事業所の数では次点の上メソポタミア工業地帯の2倍に達する。
上メソポタミア工業地帯はロシア・アナトリアの鉱産資源を運ぶ鉄道とユーフラテスの河川交通の境界にあることから鉄鋼業・機械製造などの分野で知られているほか、湾岸工業地帯ほどではないが化学産業も盛んである。またバグダッドはレグルス時代から工業都市として知られており、工業地帯全体では新ソ連の自動車工場の7割が集積している。
地中海工業地帯はベイルートからタッルアファールにかけて広がる工業地帯である。レグルス帝国時代に大艦隊を築くために整備され、世界最大級の造船地帯になっている。また造船に用いる鉄鋼を確保するため沿岸には製鉄所も並ぶ。戦争の被害を最も受けた地域であり、ロシアやアジアとの結びつきを強めた近年ではその地位は低くなっている。
アンマン工業地域は新しい工業地域で、レグルス戦争後に整備された。戦前にパレスチナに存在していたエレクトロニクス産業が移転したことで形成された工業地帯である。ダマスカス工業地域は政府によって一極集中が進んだレグルス時代に大きく繁栄した重工業地帯だったが、重工業を行うには輸送手段が乏しい立地と戦争被害によって急激に生産額が低下し、一時期は最盛期の半分を割った。近年は食品加工や繊維産業、印刷業をはじめとする軽工業地域として再生を遂げつつある。クルディスタン工業地域は軽工業中心の地域で、食品加工や窯業が盛んである。
食品加工産業
新ソ連の食品加工産業は主に自給的なものである。最大のセクターは製粉が占め、次いで食肉加工、飲料製造と続く。食肉加工は近年成長が著しく、10年以内に製粉産業を抜くとみられている。新ソ連の飲料産業はレッドジェットドリンク株式会社による独占が続いている。
タバコ産業は厳密には食品産業ではないがここに記載する。新ソ連のタバコ製造は主に新ソ連産と北ルークリア産の物を用いる。タバコの生産は殆ど自給的だが、ルークリアでのタバコ増産の影響から事業拡大の兆しを見せている。
繊維産業
新ソ連の建国期からクルディスタン・シリア西部の綿花を原料とする小規模な繊維産業が発展していたが、これら綿花の殆どは輸出されていた。北ルークリア産の綿花が流入すると大規模な繊維工場が建設されたが、現在ではむしろ石油を原料とする化学繊維の加工が主流である。
金属産業
新ソ連の金属産業は主に鉄鋼産業とアルミ精錬で構成される。
新ソ連の鉄鋼業は「鉄鋼は国家にとってのパンである」というメッケルニッヒ長官の発言に代表されるように国家の基礎産業として自給自足体制の確立が急速に進められた。新ソ連の鉄鋼産業の原料は石灰石を除きアナトリア・ロシアからの輸入に依存している。立地は輸入用の鉄道と輸出用の河川通行に接続できる上メソポタミア地域と、鉄鋼を大量に消費する造船業が栄える地中海地域で盛んである。
アルミニウム産業は非常に安価な新ソ連のエネルギー単価によって発展した産業である。アルミニウムは「電気の缶詰」と呼ばれるほど精錬に電気を消費するが、この特性が新ソ連の特徴に合致したことで大きく成長した。アルミニウムは新ソ連の主要な輸出品の一つであり、その額は石油関連製品、リン酸塩に次ぐ。
化学産業
化学産業は新ソ連の重工業、ひいては新ソ連の産業そのものを支える柱であり、GDPの3割以上を占めている。その中でも新ソ連で大量に産出する石油に関連する分野は比重が重い。新ソ連の化学産業の生産はプラスチック、化学繊維、合成ゴム、工業用塩、化学溶剤、肥料に至るまで多岐にわたり、巨大なコンビナートで生産が行われている。
医薬品産業
化学産業の発展に伴い成長を遂げたのが医薬品産業である。主要な原料を安価で入手でき、軍という大口の安定した顧客が存在することで医薬品産業は発展し、現在では主要な輸出品の一つとなっている。
建設
継続的な経済成長によって新ソ連の建設需要は高く安定している。統計省の発表によれば新ソ連市民のうち、家を持っている割合は5割程度であり、中流階級の成長と国家の住宅投資に伴って住宅需要が成長することが見込まれている。また産業の拡大にも注目すべきであり、建設業界の成長は当面続くとみられている。
新ソ連における建設にはその環境による課題が複数存在する。酷暑は当然のことながら、特に国の東部地域では地震が多く厳格な安全基準を満たさなければならない。しかし実際には大手建設企業アロンダイト社の不正に代表されるように安全基準に達していない建設物も多い。
造船業
この地域の造船業は地中海沿岸で特に栄えてきた。レグルス時代の海軍拡張以降、地中海沿岸には造船区画が密集した工業地帯が造成された。レグルス戦争末期にかけてレグルスの海軍力復活を恐れた連合国によってこれらの造船施設は解体されたが、170年代に始まった海軍拡張と列強外交政策によって造船産業は再び繁栄し、レグルス時代にはなかった民間船の大量建造も進んでいる。
機械製造
新ソ連産業の初期の段階では新ソ連の機械製造は輸入代替的な成長を志向した。しかし機械類の国内製造に失敗し、さらに自由化政策以降関税障壁や輸入に関する煩雑な手続きの多くが取り払われたことで海外製機械の流入により機械製造は危機に立たされた。政府は再び関税障壁を強化し機械類の自給体制の確立を急いだ。182年に西亜重工が近代旋盤の開発に成功したことを契機に機械類の自給体制の整備が急速に進んでいる。
自動車産業
機械製造業の例にもれず新ソ連での自動車産業は困難な歴史を歩んだ。自動車製造のノウハウが失われていたことや、国内での自動車需要の少なさ、乾燥地帯特有の過酷な環境は自動車開発を更に困難なものにした。軍需品であったトラックの生産は各地の中小工場で行われたが、乗用車の開発は行われなかった。新ソ連初の乗用車工場は大中華の中華自動車工場によって建設された。以後新ソ連の乗用車産業は大中華に独占される状況が続いたが、183年に新ソ連の大手自動車メーカーのクルト&ヴィルヘルムワーゲンがスプートニクを発売したことでこの情勢にも変化が生じている。
エレクトロニクス産業
新ソ連においてはエレクトロニクス産業は新しい産業分野で、生産拠点は主にアンマン工業地域に集中している。新ソ連は真空管製造の世界的なリーダーであり、世界の真空管生産の約半分を占めている。エレクトロニクス関連の企業は産業と同様に新興企業が多く、例えば新ソ連のラジオ生産の7割を担っているザフトロンは169年創業である。
軍需産業
新ソ連の軍需産業は戦略的に重要な産業分野であるとともに、世界最大級の兵器生産能力を備えている。また軍需産業は新ソ連における大規模な雇用主であり、製造業のうち33%の労働者は何らかの形で軍需産業に携わっている。軍需産業は新ソ連の先端分野を牽引してきた。自動車産業、造船業、航空宇宙産業、原子力産業はいずれも始めは(一部は今でも)軍事目的で運営されてきた。
新ソ連の軍需産業は政府の経済原則を外れ原則ほとんどすべてが国営か、少なくとも経営に国家が深く関与している。軍需産業の債務はしばしば国家予算によって建て替えられる。政府と軍需産業界の間では日常的に人員の移動が発生しており、アンマン大学のディルクセン法学教授をはじめとして軍産複合体と政府が密着していると指摘する者もいる。
新ソ連の高い軍需生産能力に反して武器輸出は限定的なものにとどまっている。
テクノロジー
新ソ連の科学研究は政府民間の両方が積極的に進めている。技術研究開発機関(TRDA)は技術省の傘下の研究統括機関で国立の研究所の多くを管轄している。ソビエト科学アカデミー(SSA)は反対に民間の研究開発を監督し、著名な業績に対して褒章やフェローシップを与え、また学会の自治を行う。アカデミーの予算の多くは政府から与えられているが、政府とからは独立した自主性を持つ機関である。
サービス・小売
新ソ連の第三次産業は182年にはGDPの45%を占めた。自由化政策以降政府関連の支出は減少傾向にあるにもかかわらず、民間部門の発展によってこの割合は今後ますます増大すると予想されている。
観光
観光産業は新ソ連において将来性が期待されている分野の一つである。191年時点で外国人・国内観光客はおおよそ半々の割合で、合わせて410万人前後に過ぎないが、政府は今後外国人観光客をさらに誘致し10年で訪問者数を2倍にする計画を立てている。
新ソ連には古代遺産と複数のリゾート、観光都市が存在し観光客を集めている。リゾートと観光都市の開発は主に政府主導で行われてきたが、投資に対し回収率は悪く観光業の増進には投資分を回収しようとする意図がある。
新ソ連の著名な観光地にはクウェートシティリゾート、ラマーディの観光施設、ダマスカス平和塔、バビロニア遺跡などがある。
メディア
新ソ連のメディア産業はいまだ発展途上である。ラジオ及びテレビ放送は政府によって管理されているため、民間セクターは主に紙媒体のメディアと映画に集中している。
小売
配給制の終焉と中流階級の誕生によって小売・卸売りは大きく成長した。ショッピングモールと外食店、小売店などが数多く建設され、一部は全国規模のチェーン店に成長した。
性産業
新ソ連の連邦法は売春に関する規制を設けておらず、取り締まりの程度は共和国によって異なる。最も厳格な性産業規制を持つ東方共和国では売春・買春の双方が違法である一方で隣接する中東共和国ではどちらも合法であるなど共和国ごとによって規制には大きな差がある。
レグルス時代にはこの地域の性産業は全て違法であり懲役刑が科せられていたが、レグルス帝国の崩壊に伴って主に都市部で売春が流行した。共産党は一貫して売春に厳格な姿勢を取ってきたが、規制に及ぶことはなかった。民主化以降は社会の自由化の風潮の中で政府による規制は放棄された。
近年では貧困層の拡大に伴う無秩序な売春とそれに伴う性感染症の拡大が社会問題となっている。
航空輸送
新ソ連の航空輸送産業はこの10年で飛躍的な成長をとげた。その原因は政府による観光産業の整備による国外観光客の増加と、国内富裕層の増加による外国旅行需要の増加である。新ソ連の航空路線の76%は国外を繋ぐ路線である。新ソ連政府は現在欧州とアジア、アフリカを結ぶ航空輸送網のハブ化する計画を推進している。
新ソ連の空港は122箇所が登録され内13箇所が主要空港に指定されている。サービスはシリア地域とメソポタミア地域に集中している。カールハインツ・メッケルニッヒ空港は新ソ連最大の空港で年間980万人が利用している。新ソ連を訪問する外国人の40%はこの空港を経由して入国し、出国する新ソ連国民の25%がこの空港を経由して出国する。
新ソ連で発着する路線の大部分は新ソ連の航空会社によって運営され、そのうちの98%はオリエントアエロフロートとホライズンスカイウェイズの二社によって運航されている。オリエントアエロフロートは官営のフラッグキャリアであり、ホライズンスカイウェイズはMWHグループの企業である。オリエントアエロフロートは外国人と富裕層向けの高級路線、ホライズンスカイウェイズは中流向けの安価な航空サービスを提供し棲み分けを行っている。
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Rn-1406 シュバン |
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Si-7 バグ |
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Rn-1405 メーヴェ |
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鉄道
新ソ連では強固な鉄道網が建設され、主要な都市は鉄道で接続されている。総延長は6500kmに達する。特に国土の東側では鉄道が多い傾向があり、これは後述する歴史的背景に由来している。
新ソ連は平らな砂漠地形が多く砂塵地帯を除けば鉄道運行に適している。荒涼とした砂漠地域を走る鉄道のほとんどがディーゼル車であり、電化区間は都市部のごくわずかな区間に限られる。軌間はほとんど標準軌を採用しているが、ごく一部の古いローカル線では旧植民地時代を思い起こさせる狭軌鉄道が未だに現役である。またロシア諸国と接続されているクルディスタン地域の主要幹線はロシア標準の広軌が採用されている。
近年では都市部の中流層や富裕層を中心にモータリゼーションが起こっているが、都市の外では自動車の故障のリスクが高いため、遠距離輸送では依然として鉄道が主役である。
砂漠を通過する区間では砂塵による影響を避けるため沿線を緑化したり、鉄道陸橋を設置して対処している。
高速鉄道はメソポタミア南北線とシリア・レバント南北線の2本が敷かれている。シリア・レバント線は極めて砂漠化率が高く、高速に伴う事故を防ぎ安全性に万全を期すため、全域にかけて前述の鉄道陸橋、または線路にかぶせられた簡易的なトンネルを通過する。
歴史
この地域に最初に開通した鉄道はオスマン帝国統治時代にビザンティウムからバグダッドを繋いだもので、ドイツ帝国による3B政策の一環として建設が行われた。その後オスマン帝国は崩壊し支配者は英仏に代わったが、この期間に敷設された鉄道は植民地向けの沿岸や都市を繋ぐ軽便鉄道にすぎず広大な砂漠のほとんどは未開の地のままだった。
この状況が改善されたのは第二次世界大戦後、俄にこの地域が東西衝突の最前線に浮上した事がきっかけだった。柔らかい脇腹である中東を守りたい旧ソ連は多くのリソースを投資し、その一環で鉄道網の建設を行った。この時期に敷設された代表的な鉄道はバグダッド=バクー間を繋ぐ物で、冷戦期には地中海のボトルネックであるスエズ運河を狙える位置に展開する赤軍を物資面で支えた。対する西側もインフラの強化を進めたが、こちらはどちらかといえば道路と港湾設備の整備を重視したため鉄道はさほど発達しなかった。この違いが現在でも国土の東側で鉄道業が盛んで、対して西側ではモータリゼーションが進んでいる理由である。
冷戦期が終わると晴れて真の独立国となったレグルス国はインフラ開発に取り組んだが、モータリゼーションが進んだ西側主導の統一であったことから鉄道は顧みられることはなかった。鉄道開発が再開するには幾度もの戦乱が過ぎ、レグルス帝国が建国されるまで待たなければならない。
典型的な中央集権独裁国家だったレグルス帝国は首都であるダマスカスを中心に鉄道に力を注いだ。これには国力的な理由からモータリゼーションを推し進める事ができないという事情も後押ししていた。帝国時代の開発の影響は現在も残っており、現在の新ソ連の主要な路線の殆どはレグルス時代の鉄道を修繕したものとなっている。特に大都市部の地下鉄は地下100m以上に建設されたシェルターとしての役割を持っていたため、レグルス戦争末期の核爆発にも耐えて車両含めて未だ現役で使われている。
事業領域 |
所属 |
種別 |
通称 |
コーポレートカラー |
本社 |
主な事業区域 |
貨物鉄道 |
シリア貨物鉄道 |
鉄道省 |
シリア貨物 |
灰色 |
ベイルート |
東方SPR・中東PSR |
ヨルダン貨物鉄道 |
ヨルダン貨物 |
緑色 |
ザルカ |
沿ヨルダンSPSR |
アッシリア貨物鉄道 |
アッシリア貨物 |
橙色 |
キルクーク |
アッシリアWSSR・クルディスタンPSR |
イラク貨物鉄道 |
イラク貨物 |
黄緑色 |
バスラ |
メソポタミアSSR・クウェートSSPR |
旅客鉄道 |
連邦旅客鉄道 |
連邦鉄道 |
赤色 |
ダマスカス |
連邦全域 |
研究機関 |
鉄道技術研究所 |
技術省 |
鉄技研 |
市民蒼 |
新バビロン |
軍事輸送 |
連邦軍輸送計画 |
革命陸軍 |
UTプロ |
黒色 |
アレッポ |
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プロドヴィガット機関列車 |
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車両陸運
自動車は左側通行である。道路総延長は約8000kmである。
新ソ連では自家用車の普及が現在進行形で進んでいる。国民所得が大きく上昇したここ十年間で自家用車保有率は3%から56%まで上昇し、それまで赤い貴族や赤い資本家などの上層階級しか持てない贅沢品から努力すれば手に入る中層階級の成功の証へと変化している。
自動車庁の高速道路委員会は全国に高速道路を張り巡らせることを目的に活動する機関である。現在の新ソ連には速度無制限区間を含む高速道路が200km敷設されている。
歴史
レグルス戦争後この地域の道路は大規模な破壊にさらされ、その後維持補修もほとんど行われなかったことで荒廃の一途をたどった。これは結果として交通インフラとしてのラクダの復権をもたらす一因となった。新ソ連の成立後もモータリゼーションが進んでいない国情から政府は鉄道整備を重視し、道路整備は先延ばしにされた。このため新ソ連ではその後もしばらく駱駝と鉄道が主要なインフラだった。
メソポタミアの大規模な開発計画であるバグダッド計画ではメソポタミア地域の道路インフラの整備が掲げられ、続くVGPでその範囲は全国に拡大した。現在新ソ連各地で道路網の整備が行われ、既に都市の多くではアスファルトで整備された道路が大半である。都市間道路や高速道路も現在進行形で整備中だが、トラック輸送にシェアを取られることを危惧する連邦駱駝運輸ギルドや自然保護団体によって抗議活動が行われている。
競馬
新ソ連競馬は建国直後に国内に溜まった不満をそらすことを目的として整備された。この事業は時の権力者
アインス・オルフェーベルの目に止まり、多大な政府の支援を与えられた。近年では国民的娯楽として全国的な盛り上がりを見せており、世界最低レベルと評されていた競技水準も向上を続けている。
新ソ連の競馬は公営賭博で中央と地方に分けられている。新ソ連国内に19箇所ある競馬場のうち中央競馬場はダマスカス、クウェート、バグダッド、ベイルート、アンマンに所在している。中央競馬は連邦政府賭博省競馬庁によって管理されている。なお新ソ連の競輪・競艇事業は同組織傘下の競輪局・競艇局が管理運営している。
※重賞…重要なレースの事。G3→G2→G1と格式が上がり、よりハイレベルなレースになる。
著名な競走馬
インヴィジブルフラッシュ
156年度青銅杯・黒銀杯優勝。黒く大型な馬体で知られた。
リシュリュー
161年度クラシック三冠馬。
レグルスベルセルク
169年にデビューし超ハイペースの暴走逃げで圧倒的強さを見せた牡馬。生涯成績13戦8勝、うちG15勝。主な勝鞍はニューイヤーズメモリアル、革命大賞典、人民大賞。
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クルディスタンのレグルススタッドで167年5月12日に誕生。父母はそれぞれレグルスブラックとヴァルキリー。馬名は冠名+母親の名前から連想された。デビュー前から気性難を抱えていたが、共にG1馬である両親の強さを引き継いでいるとその活躍を期待された。 169年11月に行われた新馬戦ではスタート直後から暴走、4馬身差を付け同距離2歳馬のレコードを更新したものの、陣営はレグルスは差しでこそ輝くと考え矯正を試みた。 しかし翌年5月のG2グリーングリーンズでは父のレグルスブラックが得意とした後方からの競馬を試みたが最終直線で失速し16着に終わった。このレースについて騎手のオウル・アルトーは「馬が完全にやる気を失っていた」と後に語っている。更に続くゴールデンバウム賞では騎手のアルトーから逃走し放馬、競走除外となった。 夏の間陣営はどうにかしてレグルスに競馬を教える事を試みた。7月なかばにはレグルスの気性難は鳴りを潜めたかに見えた。 しかし心機一転騎手もエルヴィン・クロンシュタットに入れ替えて挑んだ8月29日に行われたレントゲン杯でレグルスは再び暴走、逸走寸前まで行ったものの、クロンシュタットの巧みな操縦でレースに復帰し大外から突進して3着に入った。このレースを見た陣営はついにレグルスの暴走の矯正を断念することになった。 10月には晴風杯トライアルのクリスタルパレス賞に出走、初めて暴走を完全に許す事になったこのレースでレグルスはスタートからゴールまで先頭を維持、最終直線では再加速し8馬身差、2000mのコースレコード記録を達成した。 これによって得た優先出走権でレグルスは初G1晴風杯に出走、再び大逃げで自身初のG1制覇を成し遂げた。 晴風杯後脚に軽度の異常が見られたため続くプラチナステークスは見送ったが、異常は12月にはほとんど引いたため翌年からの古馬戦線に向け終年大賞に出走した。距離適性を不安視され人気は6番にとどまった。再び大逃げでレースを運ぶも最終直線で5歳G1馬のウルフェンシュタインに並ばれる。しかしそこから再加速し2馬身差で勝利した。 この劇的勝利から陣営は当初見送る予定であった翌年のニューイヤーズメモリアルに出走を決意した。ニューイヤーズメモリアルでは2番人気に支持された。このレースには同じく大逃げを得意としたエクスカリバーも出走していた。レースはエクスカリバーとレグルスが序盤から競うように加速を続けたため極めて速いレース展開となった。他の馬は2頭につられた馬とつられなかった馬に別れたが、前者は従来の時計を上回るハイペースに追いつけず殆どが第四コーナーまでに脱落した。最終直線でエクスカリバーとレグルスは後方集団に6馬身以上の差を付けていた。しかしエクスカリバーはゴール200m前で失速、そのまま走り続けたレグルスが勝利した。この時のタイムは3:19.8で当時の新ソ連3200mレコードを1秒以上上回るものであった。またこのレースの後エクスカリバーは屈腱炎と診断され引退を余儀なくされた。 ニューイヤーズメモリアル勝利後陣営は年内目標を三冠に定めた。春の2戦でレグルスは危なげない勝利を見せたが、10月革命記念ではレッドスケアに差し切られ2着に終わった。続くオルフェーベル記念では勝利したものの着差は1/2馬身と春までの圧倒的な強さは鳴りを潜めた。これと従来から不安視されていた脚部を鑑み陣営は翌年のニューイヤーズメモリアルを最後に引退させる事を決めた。
ニューイヤーズメモリアルではいつも通りの逃げを決めたものの走りに精彩を欠き第四コーナーに差し掛かろうと言うところで後方の馬群に沈んだ。しかしゴール前100mで大外から加速、先頭のレッドスケアに迫ったものの再び失速し5着に終わった。 このレース後レグルスは予定通り引退、3月26日にダマスカス競馬場で引退式を行った。 引退後は故地のレグルスファームで種牡馬となった。種牡馬としてはフォウアールを始め産駒を多数輩出した。 その後185年に種牡馬を引退、レグルスファームの分場であるレグルスリゾートファームで余生を過ごしている。
新馬戦 |
1600m |
ダマスカス |
RR 1着(4馬身) |
G2 グリーングリーンズ |
1800m |
バグダッド |
16着(アメフラシ) |
G3 ゴールデンバウム賞 |
2200m |
アンマン |
競走除外 |
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G3 レントゲン杯 |
2000m |
ダマスカス |
3着(ホワイトノイズ) |
G2 クリスタルパレス賞 |
2000m |
バグダッド |
UR 1着(8馬身) |
G1 晴風杯 |
2000m |
バグダッド |
1着(3馬身) |
G2 終年大賞 |
2800m |
ダマスカス |
1着(2馬身) |
G1 ニューイヤーズメモリアル |
3200m |
ダマスカス |
UR 1着(4馬身) |
G1 革命大賞典 |
2000m |
バグダッド |
1着(2馬身) |
|G1 人民大賞|2200m|ベイルート|1着(2.5馬身)| |G1 10月革命記念|2000m|クウェート|2着(レッドスケア)|
G1 オルフェーベル記念 |
バグダッド |
2000m |
1着(1/2馬身) |
|G1 ニューイヤーズメモリアル|3200m|ダマスカス|5着(レッドスケア)|
生涯成績は13戦8勝、うちG15勝だった。
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レッドスケア
レグルスベルセルクに引導を渡し三階級制覇G17勝という空前絶後の戦績を残した伝説的名牝。
ノーモアエスケープ
178年度黒銀杯、179年度革命大賞典優勝。未勝利上がりでありながら黒銀杯での劇的な勝利と、逃げることを否定する馬名でありながら大逃げする戦法で有名になった。最強の三勝馬と呼ばれ、歴代競走馬の中でも有数の人気馬として知られている。
著名なレース
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レース名 |
距離 |
コース面 |
開催日 |
G1レース |
ニューイヤーズメモリアル |
バグダッド |
芝3200m |
1月第2日曜日 |
革命大賞典 |
ベイルート |
芝2000m |
2月第2日曜日 |
ローザ・ルクセンブルク杯 |
バグダッド |
芝1600m |
3月第3日曜日 |
連邦大統領賞 |
ベイルート |
芝2000m |
3月第4日曜日 |
オリエントカップ |
アンマン |
ダート1900m |
3月第1日曜日 |
バグダッドフィリーズ |
バグダッド |
芝1600m |
4月第1日曜日 |
優駿牝馬 |
ダマスカス |
芝2000m |
5月第3日曜日 |
人民大賞 |
ベイルート |
芝2200m |
5月第4日曜日 |
牝馬晴風杯 |
クウェート |
芝2400m |
9月第4日曜日 |
晴風杯 |
クウェート |
芝2400m |
10月第2日曜日 |
サンダーボルトカップ |
バグダッド |
芝1200m |
10月第3日曜日 |
10月革命記念 |
ベイルート |
芝2400m |
10月第4日曜日 |
プラチナステークス |
ダマスカス |
芝3000m |
11月第3日曜日 |
オルフェーベル記念 |
クウェート |
芝2000m |
11月第4日曜日 |
2歳牝馬セミミドルカップ |
バグダッド |
芝1600m |
12月第2日曜日 |
若駒杯 |
ダマスカス |
芝2200m |
12月第3日曜日 |
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祝日
新ソ連の祝日は連邦法ではなく地方自治体によって定められている。そのため地方によって祝日は異なるが、共通する祝日も多い。
新年は1月の1日から3日までを祝日と定めている。
1月15日は女性革命家ローザ・ルクセンブルクを讃え
女性の日と定められている。
プロレタリア記念日は3月26日のパリコミューン成立を祝う日である。
6月30日は
革命記念日であり新ソ連の前身となったアッシリア労兵ソビエトが誕生する契機となった革命を祝う日であり、新ソ連の事実上の独立記念日である。
7月7日は
宇宙の日であり市民の宇宙学への啓蒙を行う日と定められている。
ロシアの日は10月革命を祝う日である。
建築
この地域の伝統的な建材は砂を固めて作られたレンガである。この材料は極めて風化しやすく、古代の遺跡があまり残らない原因の一つになっている。
近現代に入ってからは国家の指針でコンクリート建築が隆盛し無機質な建築物が建ち並ぶ独特の都市景観を形作った。
宗教
戦前のレグルス第二帝国は国家無神論を掲げ全ての宗教を弾圧した。特にパレスチナ地域での弾圧は徹底しており、多くの歴史的宗教的価値を持つ建造物が爆破され、戦火と相まってこれらは完全に破壊された。
新ソ連は望ましいものではないとしながらも宗教を黙認する方針を取ったが、数十年にわたる苛烈な弾圧と国家社会主義プロパガンダによって市民の中で宗教は政府の想定より遥かに遠いものとなっていた。現在、イスラーム教を中心とした再建運動が続いているが、何かしらの主教を信仰している人口の増加は172年以降増加率は1%未満にとどまるなど運動は停滞している。
また新ソ連人の中ではキリスト教、特にカトリックに対する反感が強いことで知られている。理由は多岐にわたるが、最大の理由としては歴史的に十字軍として度々カトリックの軍隊によって破壊を受けてきたからというものが挙げられる。特に統一暦で行われた二度の十字軍と奪還戦争は新ソ連人の中で大きな苦難として記憶されており、極右勢力の中では特にこの考えが強い。その表出の最たる例が173年に秩序領域によって行われたエルサレムの破壊である。このNC兵器を用いた大規模な破壊によってエルサレムは現在でも立ち入りが禁止されている。
芸術
レグルス帝国時代、殆どの芸術分野は退廃的とみなされ迫害された一方で、一部の芸術はプロパガンダの手段としての地位を得た。連邦政府は芸術の検閲は行なっていないが、特に芸術分野の振興策を採っている訳ではない。またプロパガンダ芸術は連邦広報部などに広く受け継がれている。加えて近年では映画によるプロパガンダに注力しており、文化省に映画庁が新設されるなどの動きが見られる。
オリエンタル・アヴァンギャルド、或いは東方未来主義は新ソ連で勃興している芸術の風潮。近代的で無機質な工業化と「スピード」を信奉する。
音楽
バビロニア・アヴァンギャルド音楽団(以下楽団)は新ソ連最大の音楽団である。現在音楽家、演出家を中心に約500人の構成員を持つ。
主に前衛的な音楽表現で知られる。例として大砲、銃器、エンジンを利用した演奏や、演奏者と聴衆を一体化するインタラクティブライブなどがある。
運営は主に講演や一般からの寄付金を資金源に行われている。
152年に前身となるオリエンタル・アヴァンギャルド交響楽団が前衛音楽家9名によって創設された。
154年、新ソ連の新聞大手人民新報によって大砲を大々的に使用した前衛音楽活動が取り上げられ全国的にその名を知られた。
156年に現在の名称であるバビロニア・アヴァンギャルド音楽団に改名した。
放送
新ソ連では電波による公共への放送は政府による専権事項であり、多くの分野で民営化が進んだ現在でも一切の民間の放送局は存在しない。実際の放送は情報省のラジオ局・テレビ局が連邦ラジオ放送局(Union Radio Broadcasting Station)と連邦テレビジョン放送局(Union Television Broadcasting Station)をそれぞれ運営し活動している。
ラジオ放送は新ソ連では一般的なメディア媒体であり、人口の3/4にあたる6000万台のラジオが国内で流通しているといわれている。放送では主にニュースや音楽が流される。当然のことながら全ての放送内容は当局に検閲されており、自由な意見発信が行われるメディアは依然として紙媒体に限られている。
テレビは都市部の中流・富裕層に普及している放送手段で、その普及度はラジオに比べると低い。これはテレビの高額さなどの問題に加えて、受信が一部の都市でしかできない事や政府が普及に熱心でないなど様々な制約によるものである。放送内容はラジオと大差ないが、後述するアニメーションは新ソ連国内で高い評価を得て老若男女問わず楽しまれている。。
連邦少年少女アニメーションセンターは全連邦の小同志たちに娯楽と教育を届けるためアニメーションを制作する非営利アニメ制作法人。連邦政府の多大な支援を受け昼夜を分かたらざる作画によって今日も連邦でアニメが放映されている。小同志だけでなく大きな同志の為のアニメの制作にも定評がある。代表作は同志マオの憂鬱、それ行けトウモロコシマン、ぽる☆ぽとなど。
ラジオ・フランスは連邦ラジオ放送局が運営する国際放送局。新ソ連統治下のマルセイユ租借地から西地中海地域に向け放送している。西欧世界へのプロパガンダ放送としての意味合いが強く、フランス語・イタリア語・スペイン語の放送を行なっている。
紙媒体のメディア
紙媒体のメディアはラジオやテレビ放送ほど中央政府の規制が強くなく、民間の出版社も多い。過度に右派的な内容や直接的に法に抵触する内容を出版した場合は当局によって適切な内容に「指導」されるが、一方である程度の政権批判は黙認されている。
新聞は新ソ連市民にとって最もポピュラーな情報入手手段である。主な全国紙には政府の公式紙「連邦報知(1500万部)」、民間の「人民新報(1240万部)」の二紙があげられる。
仮面ソビエト
仮面ソビエトはリンドン・ジャクソンによる漫画作品。サウザンド社の漫画雑誌サナツィアで連載されている。それまで難解な作品が多かった新ソ連の漫画界で明快な勧善懲悪モノを導入し新ソ連漫画界に変革をもたらした作品として知られている。180年には単行本発行部数2000万部を越え新ソ連・レグルスにおける単一の漫画作品による最高記録を更新した。作者のジャクソンは仮面ソビエトシリーズによる功績から文化省によって一等文化勲章を授与された。
スポーツ
新ソ連ではベースボール、バスケットボール、戦車道などがメジャーである。
ベースボールは新ソ連で最も人気なスポーツの一つであり、プロ球団はリパブリックスリーグの1リーグ制で9チーム存在する。いずれのチームもチームカラーが赤の派生色しかなく、一般人は見分けがつかないが真のベースボールファンは全て見分けることができるとされている。論文によれば全人口の僅か3.2%のみが全球団のカラー見分けることができ、この割合はベースボールへの関心と相関がなかった。またシーズンは秋から春にかけて行われる。
バスケットボールは競技人口ではベースボールを上回るメジャースポーツである。主に伝統的な家屋の中庭で行われていた。屋内でのプレイがたやすいことも新ソ連の環境に適していた。
戦車道は新ソ連発のエクストリームスポーツである。競技用戦車でプレイし、相手の戦車を撃破することをメインとするスポーツである。レグルス戦争後そこら中に転がっていた廃戦車を用いた決闘や喧嘩が元になった。新ソ連ではソビエト社会主義戦車道軍団と呼ばれる競技連盟が活動している。意外なことに女性人口が多いスポーツで、競技人口の7割を占めている。
食
新ソ連の一人当たり一日平均摂取カロリーは2,763kcal。
主食としてホブス(平たいパン)が食べられる他、主要なエネルギー源としてデブス(ナツメヤシから作る蜜)やゲーマル(水牛の乳から作る生クリーム)がある。
この地域最古の食文化は古代メソポタミア文明に遡る。高度に洗練された文明を持つ彼らは多くの料理の技法を生み出した。古代メソポタミア以降は文明の十字路に位置する地理からこの地域では多くの文化が融合した独特の文化が育まれた。食文化においても例外ではなく、アラブ料理・イラン料理・トルコ料理などにルーツを持つ独自の料理が生まれた。レグルス時代では食文化は取るに足らないものと当局から冷遇され市民は貧相な食事を強いられたが、その中でも文化は形を変え受け継がれた。
特筆すべき点として、茶が嗜好品として広く普及していることが挙げられる。その起源は帝国時代にイランやアナトリアから密輸され闇市から広がったものとされ、政府当局もある程度なら黙認した事がきっかけとなった。現在では国民一人あたり約三年間に2kg消費し、これは世界でも有数である。
反対に酒の消費量は一人3.8Lと世界平均6.3Lと比べると少ない。過去には低品質のアルコールを根絶するために禁酒運動が行われ飲用アルコール消費がほぼゼロになった時期もあったが、その後180年の前後にかけてから緩やかに消費量は増加し続けている。
麻薬
新ソ連国内において、適切な管理下での医療目的を除く麻薬の所持・使用及び生産は非合法である。かつては政府主導で生産と密輸が行われていたが、現在では生産拠点を
ルークリア人民共和国
に移している。
コメント欄
- お久しぶりです。突然の失踪で多大なご迷惑をおかけしたことと思います。改めて謝罪させていただきます。つきましては、貴国と締結した基本条約につきまして、UCO-国際商業機構が継承を希望しておりますので、組織代表を含む交渉団の派遣と交渉をお願いしたく御座います。 -- EmEnPoint(元サンセリフ) (2024-05-16 10:11:30)
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最終更新:2025年05月11日 21:25