年月日 | 主要テロ事件,主要動向等 |
154年2月8日 154年12月31日 |
イットリカン国同時多発テロ イットリカン国内の首都イレイヤフを含む3つの都市の計八か所の地点で自爆ベスト・手榴弾・対戦車地雷を含む装備で自爆テロを実行、少なくとも105人の民間人が死亡し550人が重軽傷を負った。実行犯11人は全員死亡したが計画の中心と目される容疑者は現在も逃走中。犯人の死体の身体的特徴とDNA形質が新ソ連人と合致したことが明らかになるとイットリカン国内の報道社は一斉に反新ソ連キャンペーンを行った。結果この事件によってイットリカン国と新ソ連の外交緊張は急速に高まり、最終的に伊蘇紛争を引き起こした。 太平洋資源リグ爆破事件 東アジア系のメンバーが太平洋上の中立資源リグに秘密裏に侵入しこれを爆破した。爆弾は一般的なTNT火薬が用いられその威力はリグ全体を吹き飛ばすには不足していたが、起爆がリグの基礎で行われたことで洋上のリグ全体が大きく傾き採掘していたガスに誘爆、リグの多国籍勤務員全員を巻き込んで崩壊した。リグの整備に関わっていたOFCとCELTOという二大陣営は合同でこれの調査にあたることに合意した。事件調査はリグに近づくことの危険性と、証拠物品の不足から遅々として進まなかったが、証拠品として犯行に用いられた日本製品が発見されたことで日本諸国の事件への関与が疑われた。これを受け、両陣営首脳部はハワイ王国宮殿の大広間で会談を実施。小笠原諸島沖中立リグ自爆テロ事件の主犯を、当時両陣営が対立を深めていた、日本列島付近での両陣営の勢力拡大を嫌った日本諸国のものだと認定し、卑劣なテロ国家に対し制裁を行うとして経済制裁を科した。最終的にこの外交緊張は太平洋大戦に発展した。戦後に後にこの爆薬はファランヘが外交緊張を高めることを目的に日本製品を用いたことが明らかになっている。 |
157年末~ | アラスカファシスト事変 蒼星連邦国で起きた過激派武装組織アラスカ前進委員会の蜂起に合わせて戦闘員の蜂起への大規模な参加が確認されている。 |
168年末~169年前半 | 新年騒乱 マルティンゲート事件に端を発する新ソ連の政治的混乱を突いた武装蜂起事件。民族SSオーバーコマンド・褐色戦線など他の極右テロ組織と合同して新ソ連政権の転覆を試みた。新ソ連全土での混乱を引き起こし一時は国土の3割強を占領した。しかし在蘇イットリカン軍と合同した革命軍、国家秩序本部、国家保安本部によって鎮圧された。しかしこの時行われた新ソ連の政治的要人の暗殺はその後の新ソ連の政局に大きな影響を与えた。 |