ソビエト共産主義共和国連邦の人物

ここではソビエト共産主義共和国連邦の人物について記載する

国家指導者経験者

アインス・オルフェーベル

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アインス・オルフェーベル
Ains Orfevel
生誕 イラク バグダッド
統一歴113年 6月19日
死去 アッシリア救国政府 バグダッド
統一歴152年 5月8日
職業 革命家 政治家

概要
アインス・オルフェーベルはレグルス帝国の革命家、アッシリア労兵ソビエト救国政府の政治家。
98年6月19日に工場労働者の家庭で生まれる。高校でレグルス共産党のオルグを受け社会主義思想に感化された。高校卒業後はバグダッドの自動車工場に勤務する傍らで労働者を組織、レグルス革命時には革命派に合流した。しかし革命が失敗に終わると当局による捜査から逃れるため国外に亡命した。レグルス戦争後期に敗戦を革命に転化するため密入国するも親衛隊によって逮捕、拘留される。その後クルディスタンの収容所で強制労働につかされていたが、侵攻してきた赤軍によって解放された。
解放後バグダッドに帰還し中東革命軍に入隊する。しかし革命軍の軍国主義独裁傾向に反発し、革命軍のシリア侵攻が失敗すると同志と共に蜂起し政権を転覆させた(メソポタミア革命)。革命後アッシリア労兵ソビエト救国政府を組織し大統領選挙に出馬するが、ウィリアム・ファーゼルに敗れ、評議会議長の座に就いた。大統領選挙に敗れた後、挙国一致を掲げてファーゼルと手を組み実務面を掌握した。その後再統一戦争の最終局面で核攻撃を受け死亡した。
馬の愛好家として知られ、卓越した乗馬技術を有していた。レグルス密入国の際もアラビア砂漠を馬で縦断し国境を越えている。今日の新ソ連競馬文化の父としても著名であり、その起源はオルフェーベルが労働者の娯楽として競馬を導入したことによる。彼の競馬文化への貢献はG1競争オルフェーベル記念の名に残されている。


カールハインツ・メッケルニッヒ

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カールハインツ・メッケルニッヒ
Karlheinz Mekkernich
生誕 シリア アレッポ
統一歴96年 9月16日
死去 UDCR 新バビロン
統一歴160年 8月24日
職業 独裁者 政治家

概要
カールハインツ・メッケルニヒは新ソ連の独裁者。官僚主義・権威主義的なパーソナリティを持つ。157年末のクーデターで旧来の無力な民主主義体制を転覆し民衆からの支持を得て国家の再建を謳ったが、軍との対立で十分な和解を得ることができなかった上に無数のテロルで命を狙われた結果パラノイアを発症し強権的な警察国家の形成を目指した。
7回の暗殺未遂の末に自室で急死した。享年64歳。死因は心臓発作とされているが、詳細は定かではない。


マクシミリアン・ヴェーラー

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マクシミリアン・ヴェーラー
Maximilian Wealar
生誕 イラク バグダッド
統一歴95年 5月18日
職業 元帥 軍事理論家

概要
マクシミリアン・ヴェーラーは新ソ連の軍人、軍事理論家。階級は元帥。革命軍の実質の最高司令官である。
156年から7年にかけて行われた第十一次十字軍で多大な犠牲を出しつつも数に勝る敵軍を撃破したことで一躍時の人となった。その後のメッケルニッヒによるクーデターで旧来の軍の上官が粛清されたことで革命軍を掌握する立場になった。これには市民の支持の厚い彼を懐柔し革命軍をメッケルニッヒ新政権に従順にさせ国家を完全に握ろうとする意図もあったが、ヴェーラーは結局一度もメッケルニッヒ政権に協力の姿勢を見せたことがない。彼としてはあくまで革命軍は非政治的存在であるべきであると考えていいるが、それでもメッケルニッヒは支持できないという苦渋の末の決断であった。
160年にメッケルニッヒが死亡すると政権の要職にあった者たちと緊急評議会を結集し一挙に事態の掌握を目指した。政治的な取引によって官僚の支持を取り付け、解放政策によって民衆の支持基盤を得ると秘密警察のトップであったヴェーヴェルスベルクを監禁し権力を握った。
その後は共産党と軍部による政権を率いていたが、徐々に両陣営の対立は深化していった。そして168年には共産党により監禁される。これは共産党による政権乗っ取り計画だったが、後に国家秩序本部によって露見、一大政治スキャンダルとなった。(マルティンゲート事件)
国家秩序本部によってヴェーラーは救出されたが、監禁による心身の不調を理由に大統領を辞任した。しかしこれは政治的空白を生み極右勢力による武装蜂起の契機ともなった。(新年騒乱)


オットー・ストロジェヴォイ・ジェルジンスキー

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オットー・ストロジェヴォイ・ジェルジンスキー
Otto Storozhevoy Dzerzhinskii
生誕 アッシリア
統一歴140年 8月20日
職業 政治家

概要
オットー・ストロジェヴォイ・ジェルジンスキーは新ソ連の大統領。16年の任期の中で数々の戦争を指導しそのいずれでも勝利、パクス・ソヴィエティカを築き上げた。新ソ連の黄金時代を作り上げた大統領であり新ソ連で最も偉大な人物の一人として認識されている。また187年現在大統領就任時の最年少記録を有している。
ジェルジンスキーが頭角を現したのは169年の新年騒乱後である。この騒乱で新ソ連の主要な政治家の多くが死亡し、その中で若手であったジェルジンスキーはカリスマを発揮し共産党をまとめ上げた。その後の選挙でジェルジンスキーは機能停止している他の政党を尻目に圧勝、大統領に就任した。
大統領としてのジェルジンスキーの功績は主に外交面にある。ヴェーラー政権まで新ソ連は内熟を優先し外交的行動を抑えていたが、ジェルジンスキー政権からは打って変わって積極的な外交政策に乗り出した。ジェルジンスキーは従来の社会主義偏重の外交政策を見直し非社会主義共和制国家との提携を拡大、イベリア連合大中華といった国々とのの関係改善を指揮しバグダッド協力機構創設への土台を築いた。
またジェルジンスキーは外征にも積極的だった。172年に第三次東地中海戦争を起こしパレスチナと北キプロスを奪還、南イタリアのガルシア連邦共和国で発生したガルシア内戦に介入し勢力圏に加えた。地中海問題を片付けたジェルジンスキーは返す刀でパキスタン戦争ルークリア内戦インド戦争北ルークリア動乱ルークリアへの介入を繰り返し南アジアにおける主導権を握った。またアークランド帝国が北アフリカで拡大し外交的挑発を繰り返すと多国籍軍を招集しアークランド懲罰戦争を行い地中海での新ソ連の覇権を示した。
ジェルジンスキーの任期は懲罰戦争中に終了したが戦時特例で選挙を繰り上げ、159年に退任した。ジェルジンスキーの3期16年の任期は新ソ連指導者として最長の記録である。
就任当初中東の一国家に過ぎなかった新ソ連を超大国にまで押し上げたジェルジンスキーは新ソ連で最も人気のある政治家の一人であり、退任時のジェルジンスキーの支持率は実に83%に達した。人民新報が187年に行った「新ソ連・レグルスの最も偉大な人物投票」では2位以下に倍以上の差を付け一位を獲得した。


ヴァルター・シャイデマン

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ヴァルター・シャイデマン
Walter Scheidemann
生誕 アッシリア
統一歴125年 10月9日
職業 政治家

概要
ヴァルター・シャイデマンは新ソ連の第五代大統領。ジェルジンスキー政権で副大統領を務め、同大統領の退任に伴い後継者として大統領選挙に出馬した。当初からジェルジンスキー政権の継承者と目され、高いジェルジンスキー政権の人気の後押しを受け当選した。カリスマ的人気を誇ったジェルジンスキーほどの魅力はなく官僚的で面白みのない人物だが大きな失策もなく支持は安定している。


国家秩序本部

オズワルド・ヴェーヴェルスベルク

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オズワルド・ヴェーヴェルスベルク
Ozwald Wewelsberg
生誕 パレスチナ エルサレム
統一歴109年 10月7日
死去 パレスチナ ナザレ
統一歴184年 8月24日
職業 警察長官 政治家

概要
オズワルド・ヴェーヴェルスベルクは元国家秩序本部長官。パラノイアに蝕まれていたメッケルニッヒから信頼を得て国家秩序維持の名の下に絶大な権限を行使している。
キリスト教とローマ世界から構築される近代欧州世界とそれが生み出した資本主義を極度に憎悪し共産主義を非ローマ民族たるゲルマン人が生み出しロシア人が育てた社会主義への偏愛と狂信を抱える。強制収容所の運営や暴徒への躊躇のない毒ガスの投入などの秩序本部の凶行の多くはヴェーヴェルスベルクかそのシンパの命令だった。
最大の支援者であったメッケルニッヒが死亡すると政権の有力者によって構成された緊急評議会に参加して影響力の維持を目指したが、その立場から各方面に嫌われていた彼は支持を失い遂に監禁され権力の座から転落した。その後ヴェーヴェルスベルクは影響力を保ちつつも長らく地方の強制収容所の長官の地位に甘んじることになる。
新ソ連が第三次東地中海戦争でパレスチナを攻略するとジェルジンスキー大統領によってパレスチナの管理を命じられた。これはパレスチナの秩序回復という汚れ仕事を秩序本部に押し付けると同時にヴェーヴェルスベルク派の力をパレスチナ国内に閉じ込める役割があった。
しかしヴェーヴェルスベルクはパレスチナに秩序領域パレスチナを設立すると自身の人種理論に基づき欧州白人種に対する復讐戦争に備えた国家運営を行った。
アークランド懲罰戦争中の184年に心臓発作で死亡。死後の混乱の間に秩序領域は解体されヴェーヴェルスベルク派も新ソ連国内から粛清されることになった。



アル・ザルツマン

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アル・ザルツマン
Al Zaltzman
生誕 クルディスタン
統一歴114年 11月9日
死去 アッシリアWSSR バイジ
統一歴179年 10月2日
職業 政治家

概要
アル・ザルツマンは新ソ連秩序本部第七局局長を務めた人物。179年にバイジ市内の自宅で遺体発見された。警察当局は心筋梗塞による病死と発表したが、秩序本部の弱体化を狙ったジェル人スキー政権による暗殺が疑われている。


政治家

ペーター・フランク・ジャック

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ペーター・フランク・ジャック
Peter Frank Jack
生誕 イラク バスラ
統一歴98年 8月7日
死去 UDCR 新バビロン
統一歴182年 3月4日
職業 軍人 政治家

概要
ペーター・フランク・ジャックは新ソ連赤色航空軍上級大将・政治家。第十一次十字軍では空軍の最高指揮官として活躍、バグダッドダム破壊作戦ペルシア湾沖襲撃戦を成功させ国民的英雄となった。同じく国民的英雄となったマクシミリアン・ヴェーラーとは旧友であり、ヴェーラー政権では副大統領に抜擢された。マルティンゲート事件ではヴェーラー共々監禁されるが、無事に救出される。しかしその後の新年騒乱では検査入院していた病院にロケット弾が命中し重症を負った。
事件後は政治家、軍人のどちらも引退し各地で講演を行いながら生活。182年に新バビロンの病院で膵臓癌により死去した。

ポニーファーツ・エッケハルト

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ポニーファーツ・エッケハルト
Ponypherts Echehalt
生誕 レバノン ベイルート
統一歴86年 8月7日
死去 UDCR 新バビロン
統一歴168年 12月29日
職業 官僚 政治家

概要
ポニーファーツ・エッケハルトは元新ソ連連邦銀行総裁。新ソ連官僚派の重鎮としてヴェーラー政権に協力した。
新年騒乱でアクシオンデルタ・ファランヘの兵士によって射殺された。

ローレン・ヴェルケル

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ローレン・ヴェルケル
Rorlen Velker
生誕 クウェート クウェート
統一歴103年 4月30日
死去 UDCR 新バビロン
統一歴168年 12月31日
職業 警察長官 政治家

概要
ローレン・ヴェルケルは元新ソ連国家保安本部長官。元長官であるメッケルニッヒが国家権力を掌握し国政に携わるようになってからは副長官として国家保安本部の実質的な運営を行った。メッケルニッヒの死後はヴェーラー政権に協力し、正式に保安本部長官に就任した。新年騒乱で視察先のベイルートの警察署に立てこもり抵抗するも戦死。

陸軍


海軍

アレクサンドロ・ヴィッテ

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アレクサンドロ・ヴィッテ
Alexsandro Witte
生誕 シリア アフリーン
統一歴112年 2月29日
死去 東方SPR タルトゥース
統一歴192年 4月8日
職業 軍人 海軍将校

概要
アレクサンドロ・ヴィッテはレグルス帝国・新ソ連の海軍軍人。
レグルス海軍士官学校を卒業し、インド洋艦隊に配属された。レグルス戦争時にはインド洋艦隊のヴァーフ級駆逐艦キスツァ艦長としてインド洋航路護衛任務に就いた。クウェートからインドに避難民を輸送した帰還途上にパキスタン沖で終戦を迎える。艦内はインドに戻るか本国に帰還するか、マダガスカルのインド洋主力艦隊に合流するかで激しい議論が交わされたが、ヴィッテの一存で本国に帰還することになった。帰還後ヴァーフはそのままクウェートを支配する企業共和国に接収され、ヴィッテらもそのまま配属された。共和国がアッシリア救国政府に併合されるとヴィッテもアッシリア海軍に移った。
新ソ連成立後は長らく海軍不遇の時代を過ごしたが、ジェルジンスキー政権で海軍の拡張が進むと古参であるヴィッテも抜擢、182年には地中海艦隊司令官に任じられた。しかしヴィッテをはじめとする海軍の艦隊保全主義者を厭った政権は海軍の粛軍人事を断行、ヴィッテも紅海艦隊司令官という閑職に左遷された。失意の中192年に定年退職し、同年中に急性アルコール中毒で死去。
最終階級は大将。

アルベルト・ヨードル

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アルベルト・ヨードル
Albert Jodl
生誕 クルディスタン ドカン
統一歴145年 8月13日
職業 軍人 海軍将校

概要
アルベルト・ヨードルは新ソ連の海軍軍人。艦隊保全主義者のアレクサンドロ・ヴィッテ提督に代わり地中海艦隊司令官に任命された。

空軍


宇宙軍


特別調査委委員部

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アンドリュー・クレイアノフ
Andrew Clairnov
職業 文官 情報局員

概要
アンドリュー・クレイアノフは新ソ連特別調査委員部の局員。199年時点で作戦本部中央アジア局に勤めていた。200年に行われるウズベキスタン共和国選挙への介入を目的とする秘密作戦エイプリル・サンダーの担当官だった。

黎明委員会



思想家

ウェルキッシュ・シーラッハ

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ウェルキッシュ・シーラッハ
Welquish Schirach
生誕 ヨルダン アンマン
統一歴77年 12月4日
職業 農学者 政治家

概要
ウェルキッシュ・シーラッハは連邦ベイルート大学の農学者。新ソ連の農業政策の公式見解「人民と土」ドクトリンの提唱者。人民と土ドクトリンは農業ロマンチズムと社会主義イデオロギーの複合による農業戦略であると定義される。ドクトリンは最古の職業である農民と最古の生産手段である農地の関係について最も純粋な形の労働形態であると称賛し、社会にとっての最も基礎的な生産単位としての農村を主張している。これに加えてシーラッハは古来の農村価値の再評価と都市から農村へのアプローチの増大を求めている。


最終更新:2025年07月16日 20:00