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一章

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alice

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Donc, le monde a salué la fin


導師エルスカリテは告げる、それは是であると



ここに修道士一人。名をカルテル・ド・ジャラハンという。彼の授かった名はカタノフ。
故に彼はカタノフと呼ばれる。
石造りの天井を見上げながら、年若き修道士は悩みふけっている。そのせいで重大なミサをすっぽかしていることさえも忘れて。
足早に駆け抜けてくる仲間達の足音でとうとう現実に引き戻された彼は、時刻を告げる『時精霊』の言葉に唖然として頭を抱えた。
しかし悩んでいる彼にとっては時刻が進んでしまっていることよりも、抱えている問題の大きさのほうが大きい。
誰に言えるわけでもない。だが、誰かに告げなければ彼自身の心が砕けてしまいそうなのである。
神の名の下で、人民の先で真言を説く自身らの存在が揺らぐかもしれない事実に、カタノフはほとほと疲れてしまった。
いっそのこと、同期のスアノンに話してしまってもいいだろう。だがスアノンは自身よりももっと心に余裕のない性格で、こんなことを話したらきっと彼は心つぶして誰かに話してしまうか、それか秘密にしている事が出来ずに天へ向かってしまうかもしれない。
やはり、自分自身で抱えておく他ないのか。カタノフはとうとう重い腰を動かす決心をして立ち上がった。
外に見える『時精霊の大時計』は、天空と地上の時間を示し、天では今、大会議中である。
高く聳える白い塔から望む大地は小さく、そしてアウメトロライト(精霊合金)で作られた塔は日光に当たると玉虫色に光る。それがあまりの美しさで『美神の塔』と現王の御世を讃えられているが、その美しさとは対照的に自身のうちに秘められているドス黒い現実に、カタノフはため息をつかざるを得なかった。

天来の伽藍洞と呼ばれた教会の吹き抜けは、天から降る美しい光を取り入れるのに最適だった。
ステンドグラスで埋め尽くされた教会の大聖堂で、カタノフはとうとう言葉を発する相手を見つける。
彼がもっとも信頼していたのは、彼を修道の道へ誘った導師エルスカリテである。
導師エルスカリテは赤褐色の髪を持ち、そして美しい湖畔を思い浮かばせるような瞳を持っていた。それほど高くない身長だが、背負う空気の神聖さに他者との違いを感じている。
カタノフは導師を呼び止めると、そのまま彼の足下へ平伏した。

「カタノフ、どうしたのです?」

掬い上げるように導師エルスカリテは手を差しのばした。カタノフはそれでもその神聖な姿に頭を上げることは出来ない。
これから口にする事実を彼の顔を見ながら言うことは、カタノフにはできなかったのである。

「恐れながら、導師エルスカリテ」
「はい」
「第四研究所で研究に携わっていた聖女メメルが体中に黒い斑点をつけて戻って参りました。医務官の話だと、やはりーーーー『美神の塔』から漏れ出る不活発エネルギーのせいではないかと」
「……つまり、我が国の王が国民を犠牲に何かを始めていると?」

導師エルスカリテの声が静かになった。とても、静かすぎてカタノフはやはり告げるべきではなかったと脳内で言葉を反芻させる。
数分の沈黙のあと、導師はカタノフの前に膝を折り、そっと床についた手に自身の手を重ねた。

「カタノフ」
「はい」
「これが真実ならば、私たちは民を守るために王を退けなければなりません。どうか真実を明らかにし、遥か上空におわす、我らが王の真意を探るのです」

まさにそれは神の声である。カタノフにとっては、それは全ての肯定に聞こえた。

--------人は打ち砕かれなければ、夢を夢と認識できない/聖ダヌス選書-------


聖女ダグラス、神の名を持つ王に謁見す



空高く聳える塔。それは神と同意に近い王という存在を讃えるために築かれた王宮。
それは天と大地を切り裂くような高さで、美しい外壁を見て人々はそれを『美神の塔』と謳った。
私、聖ダグラス・メルファーは、王の114番目の子にして修道院に預けられ今まで父の顔を拝んだこともない存在である。
世界には魔法大国と呼ばれる枠組みに三つの塔が立っている。
それは一つ一つ、王を讃えるもので。実はこの大国は三人の王の存在によって作られたと言われていた。
その中の一人、聖帝と称される父に私は今生で一度会うために塔を上っている。
しかも会う約束は取り付けていない。塔の外壁に這わされた、建設時に使ったとされる螺旋階段をひたすらに登り続けている。
既に眼下に広がっているのは普通の街ではなく、モデルにつくられたような小さな街に見え、静かに吹き込んでくる風は体温を容赦なく奪ってくれた。
もともとこうなることは予測していたから、防寒対策だけはしておいたが、日光で帯熱する特殊素材のローブは既に効果を失いつつある。
熱源となる太陽が沈みかけているのだ。急いで登り、途中にある休憩用の小屋にすべりこまなければ。
自身の脚を奮い立たせるように叩いて、階段を駆け上った。見えてくる先、塔の外壁部に申し訳なさ程度に取り付けられた小屋に飛び込む。
勿論、中に人は居ない。埃を被った毛布と簡易な寝台。そして大きめのモニターが一つ。
薄ぼんやりと光るそのモニターには、地上の風景が映し出されている。光精霊の恩恵で灯された街灯が点々と光っており、自身が身を寄せていたクリスネル大教会もまた光精霊の力で薄ぼんやりと光っていた。
文明が発達しているのにもかかわらず、自分たち人類には精霊の加護が必要で、そして王と呼ばれる者は外敵から身を守るために、ドラゴンさえも上ってくることが出来ない天空に身を置かねばならない。
これは果たしていいことなのだろうか。神と同意語を持つ王の批判は、神への批判。
そう教えてくれたシスター・メルベルの顔を思い出して、ため息が出た。
深く吐いた息が白く窓を濁らせる。ここには食べ物はないだろう。ただ、強風から身を守ってくれる壁がある。
それだけで充分だった。少なくとも明日には、もう一つの中継ポイントである避難用のドアまでたどり着かなければならない。
そもそもこの階段は緊急時避難用である。それが繋がっていないなんていうことになれば、大変なことなのだ。
もちろん明日目指す場所は外・内どちらからでも開かないといけない扉である。
たとえ外部からの侵入者でも、その扉は通行人をせき止める者ではない。
それに許可証は持っている。いくら衛兵であろうとも私を止めることは出来ないだろう。
埃まみれの毛布に身を包み、そのまま目を閉じた。

 **

大凡二晩を掛けて登り切った階段の先、見えてきたのは一つの大きなドーム状に組まれた鉄柱だった。
まるで編み込みでもしたかのように器用に編まれて半球体を作るその鉄柱は、塔と同じく玉虫色に近い光を放っている。
衛兵の姿はなく、寧ろ人の姿は殆ど無かった。そこにあるのは、誰も居ない自然溢れる空間と、王のおわす玉座でも置いてあるのだろう、透明な建物のみ。
鳥の囀りくらいは聞こえても良いだろうその雰囲気に耳を澄ますけれど、そんな音は聞こえなかった。
吹き付ける風が木々を揺らして鳴らす反響音のみが耳に届いて、正直とても怖いと思った。
生活音が全く聞こえないその空間に、自身らの王がいるというのならば、その王という存在は本当に神なのだろうか、と錯覚しそうになるから。
ゆっくりと外観を眺めるように踏み出した足は、一応遠くから人影だと感じたものの方向へ歩いて行く。
生活音が無くても、人間は居るはずだ。王は一人で生きることなど出来ない。
膨大な仕事を塔一階にある中央庁に任せていたとしても、判断をするのは全て国王の仕事だからだ。
ザッとまるで土を蹴るような足音だけが辺りに響き渡り、とうとう人影だと思って近づいたその存在を視界に収めて、思わず口を覆った。
幾重にも絡まった蔦。まるで人間に這わせられたかのように伸びているその葉。
蔦の奥、白く見えたのは白骨した人骨が見えて、声が出そうになったのを必死に押さえたのだ。
一体、これは何だ。ここにいるべき人間達の姿が無く、王と呼ぶその存在の正体は一体何だというのだ。

足下を揺れるスカートを持ち上げて、そのまま走る。王宮であろう硝子張りの建物に足を踏み入れ、地面に這う蔦が集積する先に向かってひたすらに走った。
謁見の間であろうか、大きいその扉の先、見えたのは薄ぼんやりと光り続ける玉座と、そこに座る王の姿だった。

砂色の髪に深紅の瞳。男とも女とも判断できぬ、その中性的な姿。
王の証とも言える、背中の翼もまた深紅で、これが魔力の集合体だと思うと戦慄さえ走る。

「…お父様……?」

震えた声はか細すぎて、きっと届かなかっただろう。自分自身の存在を否定とも肯定ともする姿に。
実際、王の齢は大凡500歳。神の知恵を手に入れた王にとって年齢の延長など造作もないこと。
そんな話から彼は神と同等であるとさえ謳われる王になったというのだがーーーしかし、不条理だ。
これは道理にも合わぬ、挙げ句の果てには摂理とも違う。
時間を止めたような姿はまるで青年で、自分を見つめる瞳はガラス玉のように見えた。

「ダグラス」
「……っ!」
「何も言わずに戻りなさい。どうか、何も言わずに」
「……お父様。一つだけ、一つだけーーーー」

自分は何を言おうとしているのか、声が絞られたその質問に、彼は緩やかに笑うのだ。

「私達は、神と王を混同している。けれど、王は…神なのではないですか? 本当の」
「否」

言葉は凛としている。けれど、彼は言葉とは反対にゆるゆると玉座に座るだけ。

「世界に三神の塔あり。遥か上空に住まう存在。孤独に耐え、今も尚玉座に座り続ける者」
「それが王の理ですね、そんなものは分かります!」
「三神を弑逆した三人の人間は、神の不在の代わりに、神として君臨するほか無かった」
「……えっ?」

人々を苗床に、その生命力を塔という装置に集積し、魔力を集め、体を維持する。
それがこの塔である。

王の言葉は静かで、けれど真実味を帯びていた。外に居た、あの白骨死体を目にしている自分にとって彼の言葉は納得がいくものであったからだ。
王はゆっくりと指を差し、何かを追い払うような仕草をする。

「ダグラス。神はもう、この世界に存在しない。いるのはそれを模した人だけだ。王家に名を連ねるそなたは、どうかこの塔から無事に戻り、何もかも忘れて幸せに生きるのです。この世界はいずれ終わる。王が死すれば、塔は終わり、文明は崩壊する。けれど、文明を長引かせれば長引かせるほど、死散した神の体は王を維持する塔より漏れ出し、世界に大いなる負担を強いることになるでしょう。それこそが、王の真実であり、この文明の真実でもあるのです」

賢く、勇敢なそなたならば、帰りも無事に戻れるでしょう。
緩やかに微笑んだ顔はまるで死人に似ていた。自分はその男に深々を頭を下げて、元来た道を戻る。
壊れたセキュリティの扉を叩き、とうとう泣き崩れた。

存在させてはならぬ。神の居ない世界は神の代わりの人間が維持しているなどという現実は。
かの王を弑逆してやることこそ、この世界と人々の為なのだ。
聖女と呼ばれた自身の体を穢したとしても。背に映り込む青白く光る魔力の翼は、決意を表し。
その背の翼で空を蹴れば、地上はとても近かった。

--------まずは剣を手にせよ、その手に正義と悪を併せ持つならば、果たして善か/聖ダヌス選書6節-------


時錬士イリオス、聖乙女メルファーと共に、王を弑逆しつかまつること 【前編】



修道士カタノフが時錬士イリオスの所に現れたのは、今より三ヶ月も前だった。
月の満ち欠けが六回起こったことを考えると、もしかするともう少し前だったかもしれない。
時錬士というのは王宮仕えと名高い時間魔術専門の儀式者を差す。イリオスもまた、今期錬士の試験に合格したエリートの一人で、これから聖都ロイダーを離れ、第二都市リリアンに向かって出立するところだった。
そんなときである。修道士カタノフが彼の前に現れたのは。
もとよりカタノフことカルテル・ド・ジャラハンはイリオスの友人である。というのも、カタノフとイリオス自体は同じ修道院で育ち、カタノフは修道士に、イリオスは自身の才能を見抜かれ錬士に、と時を重ねてきたのである。
勿論仲の良い友人のままであった二人は、久々に会っていろいろな話をした。修道士になってどうだったか、錬士の試験は難しかったか。そんなたわいもない話をしたあと、カタノフはイリオスに告げたのだ。

「王が民を喰らう、何かを大地にまき散らしている」

それは彼がいう、聖女メメルの話に遡る。
メメルという聖女、それは高名な科学者でもあり、そして何よりも信仰厚き女性であった。
王に心酔し、神と王を混同するほどの狂信的な聖女である。しかもイシュターク大聖堂からの出身ということで、聖都ロイダー最高の研究機関第四研究所フラウで研究に携わることになったらしい。
メメルは『美神の塔』から漏れ出す特別な魔力に【神】の姿を見いだし、研究を始めた。そのころ、丁度その魔力が漏れ出す場所から半径1キロ圏内で、人間の体に黒斑ができ体が徐々に弱っていくという病が流行っていた。その病気が普通の病と違った点はたった一つ。弱りに弱り切った人間は死した後、肉体を残さずして塵になったということだった。
それに着目した聖女メメルは、彼女の上司にあたる大導師イスラハークに進言し、自身の体にその黒斑の原因であろう物質を移植する実験を開始した。
彼女は当初、その物質を移植されてもなんら問題なく生活し、第四研究所で『美神の塔』から流れ出る魔力についての研究を続けていたという。
しかし、大凡二週間ほどしてから、彼女は急に体に痛みを訴えるようになった。その痛みは日によって違うようで、あまりにも痛いと騒ぎ立てた日に他の研究者が彼女の体を調べてみると、四肢の半分以上が黒く染まっていたらしい。
それでこの病気の実験のため、今度はメメルと同期であった聖女リナリアに、メメルから検出した物質を移植し、別の場所で監視すると、別段何の問題もなく。リナリアは移植した部分を除き、病気の侵食もなく通常通りの生活をおくれているという結果が出た。

聖女メメルにあって、聖女リナリアにないもの。

それは遺伝子でもなければ、特性でもなく。
ただ一点の違い『環境』という大きなファクターのみだった。その大きな違いで、修道士カタノフとその上司にあたる導師エルスカリテは気付いてしまった。
否、二人だけではない。第四研究所にいる全ての研究者は分かってしまったのだ。

『美神の塔』から溢れ出るその不思議な魔力に晒されると、人は黒く染まり、いずれは死して塵となる。

その話を時錬士イリオスにしたのには大きな訳があった。
時錬士というのはもとより王にもっとも近い職業の一つである。それは修道士よりも導師よりもずっと近しい存在だ。
ましてや、これからイリオスが向かおうとしているリリアンでは聖都よりもずっと彼らは神聖視される。
リリアンは帝都と同じ構造の塔『精神の塔』を持っている都市だ。もしかしなくても、今、聖都で起こっている現象がリリアンでも起こっている可能性がある。

修道士カタノフは、それをイリオスに確認して欲しかったのである。

  ーーーーー

「しかし、だ。これではなんとカタノフに伝えればいいのだろう」

彼と話してから大凡三ヶ月以上も経ってから、時錬士イリオスは第二都市リリアンに到着した。
現在に至った今、イリオスは目の前の光景に愕然と肩を落とすしかない。
花の都と呼ばれ、気候的にも恵まれた美しい白亜の都市リリアンは、天から降る黒い雪に覆われて、辺り一面が黒く染まっていた。
ただ一点、中央に置かれた『精神の塔』だけが煌々としており、その真下にあるイシュターク大聖堂もまた静まりかえっている。

空から降る黒雪が何であれ、皮膚に触れては危険だろうとローブを羽織る。
そのまま大聖堂まで着く頃には、街の様子が明らかにおかしいことに気付かされた。人の姿が殆どないのである。
人間だと思って近づけば、それは炭化したかのように人型となりはてた遺体で、生きている人間の姿を今まで見ていないのだ。
大聖堂の扉を開けば、そこには一本の樹と白銀のローブを纏った女性が三人。
そして漆黒の鎧を纏う何かが立っていた。別段、何かやっていたわけでもなかったのだろう。
イリオスが中に足を踏み入れても、何のリアクションもなく。三人の女性はそのまま動きもしなかったのだが、一人。
そう、漆黒の鎧を纏うそれは、まっすぐにイリオスの方へ歩き出した。
一見不気味にも見えたが、何故だかイリオスは怖くなど無い。その鎧の何かはゆっくりとその姿を日光の下に晒したからだ。
砂金色の髪に、蒼穹の瞳。その姿からして、女性である。

「貴殿は、時錬士とお見受けしますが」

声はとても涼やかで凛としていた。

「はい、時錬士としてリリアンに参りました、イリオスと申します」
「そうですが。お勤めご苦労様です。私は君名はメルファー。正式名をダグラス・サテルタ・メルファーと申します。聖帝の114番目の子にして、聖女として任命を受けておりましたが、今はその名を返上し、【黒き騎士団】に所属しております」

以後お見知りおきを。
にこりと微笑んだ、その女性に時錬士イリオスは心を奪われてしまったのだ。
その瞳に、何か別のものを見たからだ。

--------神は最も美しい姿で人間の前に現れる。しかし、それは悪魔も同じである。/聖ダヌス選書14節-------


黒き騎士団、乙女がもたらした神の言葉を元に、世界に粗筋を加えんとす



聖帝と呼ばれる聖都『美神の塔』におわす王には116人の子がある。
その一人として自身ダグラス・メルファーは存在していた。114番目の娘として、父の姿も知らずに育っていた自分は、世界の真実を突きつけられて愕然したのはつい最近のことである。
そして、自身の姉にあたる皇女ハヌマ・エノワス・メルファーが自分を保護してくれたのもつい先日のことだった。
ずぶ濡れで街を歩いていたところを黒い甲冑を纏った姉が拾ってくれたのである。
あの日の事は、今でも鮮やかに思い出せた。



「で、ダグラス。父は健在だったかね」

さら、と告げる声は父によく似ている。そもそも姉ハヌマは父とうり二つなほどに似ていた。
容姿もそうだが、何より空気が似ている。身に纏うその見えざる何かが酷く父に似ているのだ。
黒い甲冑に何の意味があるのかは分からない。しかも尋ねたら最後だと思う何かがあって、やはり口からそれを尋ねる言葉は出なかった。

「姉様。お父様は…」
「私と寸分違わぬ姿で存在していたのならば、それはもう既に父ではないだろう」
「…え?」
「私が州都守と結婚するとき、父に会いに行った。お前と同じようにね。そのときの姿は、随分としょぼくれた爺さんで、喋ることもままならないほどだった」

齢500を越える王がまっとうな存在であるわけがない。姉はそうはっきりと言い切って、冷えた体を温めてくれるホットミルクを差し出した。
ゆっくりと喉から流し込めば、それは内臓を巡って直ぐに体を温めてくれる。
しかし、姉の言葉は一体何を言いたいというのだろう。大いなる力で、人々のいける生命力で『王』という存在を引き留めているのではないのか。

「あの日…私と一緒に塔に上ってくれたのは、私と寸分違わぬ双子の兄だった。美しい深紅の瞳、砂金色の髪。声はとても涼やかで凛とし、私とは全く違う穏やかさをもった男だった」
「イルソラ兄様…?」
「そう、私の半身イルソラはあの日私と共に塔へ上り、そして一緒には降りてこなかった。奴は残ると言った。父の側にいると、そう言い残して私を地上へ戻した」

姉ハヌマは自身の向かい側に腰を下ろすと、ホットミルクを飲み干した自分を見て微笑んだ。

「お前がいう、王というシステムがどうであれ。その神を維持するための力は、きっと器を乗り換えていくことで安定させているのだろうと思う。お前が見た、王の姿が私と同じならば……それはイルソラの器で、魂だけを神の残骸に喰わせ父は器を乗り換えたのだ。肉親ならば、魔力の乗り換えも楽に出来る。それが分かっていたからこそ、イルソラは残ることに決めたのだ。最後の王の器となるべく、自分が終わらせるために」
「…姉様。イルソラ兄様は、この世界の枠組みをご存じだったのでしょうか」
「ああ、たぶん。イルソラは自分たちよりも遥かに前に生まれたはずの兄姉を見たことがなかったという事実をずっと気にしていた。王族は王の元へ一度は参るという通例と同じく、ずっと気になっていたことなのだろうと思う。王とは、魂だけを以前のままとし、器は自身の子らに移し替えた存在なのではないか。イルソラは『美神の塔』を登る間、ずっとその話を私にしてくれていた」

賢い男であった。ハヌマの言葉は何故だかとても静かだったけれど、それが自身にとってとても重たい事実であるのに変わりはない。
王の器となった兄。けれど、新しい器として自分を選ばなかった。
その理由は、やはり。その身が朽ちるとき、この世界の仕組みと一緒にーーーー歪んだ世界を崩壊させるためなのではないだろうか。

「ダグラス。お前の持ってきた真実は、私を動かすに足る事実だった。私は今、聖都、第二都市、第三都市、そして州郡都に有志を集めている。この漆黒を纏う者『黒き騎士団』を中心に、世界を揺るがす王の存在を滅するため。お前も協力してくれるな、ダグラス」
「王は三人いるといいます。そこまでの戦力を手にすることは出来るのですか?」
「人数が少なくとも、一拠点ずつ潰していけばなんとかなるだろう。そこまでの戦力は集められるはずだ」

ハヌマの決意は固い。自分よりも遥かに年上のハヌマだが、年齢だけではない決意にも似た何かをずっと彼女は抱えてきているのである。
ため息にほど近い長さで息を吐いた。ため込んでいた言葉の全てを吐き出すにはまだ早いと思ったが、それでも自身の決意を彼女に伝えぬ訳にはいかない。

「姉様、王らを殺せばーーーこの世界は壊れてしまうかもしれません。殺した神の代わりとなっているのならば」
「そうかもしれぬ。ならば、滅んでしまうべきなのだと思うのは私だけだろうか。仮初めの平和、贅沢な暮らし、それはとても良いことだ。人間ならば怠惰を望み、無駄のない生活を願う。心を遣う無駄も、誰かを慈しむ心も何もかも、全ては自身心を使うからだ。けれどね、この世界は」

一部の平和のために、多くの犠牲が発生する。そんな仕組みだ。

「王すらもまた、その犠牲の一人。私は兄を、最後の犠牲者にしたいと願う。そもそもこの世界を創世したのは5つの要素を持った神らであったとされてきた。五つの要素、五つの柱、そのうち一柱は姿を消し、もう一柱は行方をくらました。残された三柱は、慈しむ全てのために絶対的な管理を強いる世界を生み出したという」

ハヌマの語り出す内容は、以前自分がが大教会に居た頃に聞いた『創世の物語』と似ていたが、結論はまったく違うものだった。
自分の聞いた話では、三柱が王となり、そして人間と交わっていった。その神である王と讃えるために三つの塔が築かれ、今の治世が続いていると。

「絶対的な管理とは、人類の性質そのものさえも管理するというもので、その当時ーーー人間に自由という発想はなかった。けれど、その中で。どうしても神の作った枠組みから飛び出したいと願い、神を弑逆する決意を持って三人の人間が神を殺した。
そして生まれたのがこの世界。神を殺した代償に神に成らねばならなかった人間達は、神が不在になるということの意味を…きっと気付かされてしまったのだろうと思う」
「神が不在になれば、世界は壊れてしまうと?」
「そうだ。世界が壊れるというのは大げさな言い方だが、人間が住みよい世界が壊れてしまうというのは事実なのだろう。大きな揺り籠の中で育てられ、慈しまれ、天災もなく苦労もなく、便利な生活をしても問題一つ起きなかった世界は、完全に壊れる。
生活を支える指針を失うということはそういうことだ。私たちは、私たちを守る箱庭を壊し。そして新の意味で人間とこの世界に自由をもたらさなければならない。神への離反。神への反逆。それは巣立つということだ。人々は巣立たなければならない。崩壊する揺り籠と共に、全てを失ってしまう前に」

はっきりと言い切った姉は、目を伏せると息を吐く。

「故にダグラス、私はね。泥にまみれ、人々に蔑まれ、いつかは火あぶりとなろうとも。この世界を、人々を守りたい。その願いは、イルソラが私に託した遺言だからだ。だからこそ」
「……私は、皆を先導しうる聖女として。そして姉様の味方として、黒き衣を身に纏うーーー弑逆の聖女になりましょう」

自身の決意を告げた瞬間。姉は一度だけ悲しそうな顔をしたが、それでも自分の決意に固く手を握ってくれるだけだった。

--------のちの聖王は聖女についてを語らない。それは聖女が神ではなかったからだ/聖ダヌス選書25節-------
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