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二章

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Donc, le monde a salué la fin

時錬士イリオス、聖乙女メルファーと共に、王を弑逆しつかまつること 【後編】



時は満ちた。漆黒の鎧を纏った聖女は動き出す。
元より『黒き騎士団』に在籍後、聖女ダグラスこと黒騎士ダグラスが行ったのは、自身と故知である存在を『黒き騎士団』に招き入れることだった。
そもそも聖都でしか生活したことのないダグラスにとって、自身の知っている人間など、育った大教会の司祭やその上位にあたる導師達で、彼らに話を持ちかけるしかダグラスには無かったのである。
そこで彼女が最初に話を持ちかけたのは、信仰だけではなく科学的にも判断ができる導師エルスカリテだった。
彼は元より柔和な性格で、基本的に人が言う内容を全て鵜呑みにするだけではない。理解をしようと努力してくれるのである。
ダグラスは彼に今回の話を包み隠さずに話した。すると導師は彼女に聖女メメルについての話をしだしたのだ。
そもそも聖女メメルはダグラスと旧知の中で、研修先で一緒になった後、彼女の前向きな思考にダグラスは尊敬さえも抱く程だった。聖女メメルの死と、その原因であった『美神の塔』から溢れ出る不活発エネルギー(と導師達は称していたが、実際は魔力に近いものである)について、彼らは王に不信感を抱きつつあったのである。
そこにつけ込むのは簡単で、ダグラスの説得と彼女の姉ハヌマ・エノワス・メルファーの後ろ盾がある事を武器に事を進めれば、思いの外簡単に導師エルスカリテは協力を申し出てくれた。
聖都はどちらにせよ、王以外にも厄介な者達は多い。それゆえ、まず聖都よりも先に、第二都市リリアンと第三都市イエソワの塔を攻略し、三人の王らを排斥する。
その為に力を貸して欲しい、と申し出れば導師エルスカリテは、自身に聖女メメルの件について進言してくれた修道士カタノフと、その同期である時錬士イリオスに協力を仰ぐことを提案してくれた。
既に、修道士カタノフは時錬士イリオスと話をしており、イリオスは今、第二都市リリアンに向かっているという。
彼よりも先回りして、合流できればリリアンにある柱『精神の塔』を一緒に上ることが出来るだろう。
流石にリリアンほどの大都市だ、大きな問題は起こっていないはず。
協力をしてくれた導師エルスカリテに礼をし、黒騎士ダグラスはリリアンに向かった。

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「つまり、貴女はハヌマ・エノワス・メルファー76番姫に賛同し、今、この現状を打破するべき動いてらっしゃると」
「その通りです」

第二都市リリアンに入ったとき、ダグラスは目を疑った。
『美神の塔』の最上階。あそこで見た光景に限りなく近かったからである。ダグラスにとって第二都市リリアンは初めての場所では会ったが、初めて見た場所であっても、これが異常な光景であるのは直ぐに判断できた。
少なくともダグラスの目に飛び込んだ光景は、あの塔の上にあった呼吸音さえ届かない無音で無機質な空間であった。それは正しく。今この都市の中央にある『精神の塔』が、王を支えるシステムに耐えきれず、人々を喰い殺しているという事実に他ならない。

「時錬士イリオス。貴殿のお立場も分かります。王に仕える者として、この都市に訪れた貴殿に、私たちと共に王の不義を暴いてくれとは申しません。ですが、どうか。これ以上の被害を出さぬ為に、今この都市で何とか生き延びている者達をここより海を渡った先、あの孤島に逃がすことは出来ませんでしょうか?」
「それは私に移転魔術を使えということですか? 王のため以外に使うことは禁じられています」
「けれど、その王のせいで死に逝く者達がいるのです。彼女らが、まだ生き残っているものたちがいるうちに、お願いできませんか?」

黒騎士ダグラスの訴えは正しい。そう時錬士イリオスは思っていた。王らの為に使われるべき魔術を、その民のために使うことが間違いならば、王という神は必要ない。
それは修道士カタノフと話したときから、ずっとイリオスの中にある感情だ。
王は人民のために孤高になる。それを支える文化のため、孤独だ。その王のために仕える時錬士もまた、人民のための存在でなくてはならぬ。

「分かりました。一旦、あの孤島に送ることにいたしましょう。あそこは未開の地ですが、そもそもドラゴンや魔物は住めぬ神聖な場所だとも言われています。海の上にある神の守護厚き島ティアライト。あの場所にリリアンの民を送ります」
「有り難う、理解があって私は嬉しいです、イリオス」

ふわりと笑ったダグラスに一瞬だけでも心を奪われてしまったイリオスは、どうしてだかダグラスの提案を断ることは出来なかった。
それが彼女の能力だと言えば、能力であったのかもしれない。聖女ダグラスこと黒騎士ダグラスの能力は人を調略できるところであったからだ。
彼女の目を見て話せば、何故か彼女の言葉が真実に聞こえ、正しく思う。それは昔から彼女が持っていた能力のわけではない。
『美神の塔』から戻った後、ダグラスは気付いてしまったのだ。その背に宿る魔力が、人の心に溶け込む能力を発揮するということに。
これを使えば、きっと殆どの人間が自身の元へと集うだろう。けれど、それはある意味で精神の略奪を意味し、ダグラスにとってはこの能力もまた『神』を名乗る『王』と同じではないかと感じていた。
しかし必要ならば、使う。手段は選ぶべきではない。
彼女は選ぶべきものは、その手段ではないと思っているからだ。

「彼女らは?」

イリオスの声にダグラスは頷いた。ダグラスがリリアンに到着した当初、まだ数人が犠牲になっていなかった。すぐさま聖堂の中に匿い、魔除け銀が含まれたローブを身に纏わせると、聖堂内に結界を張り巡らせた。
これで魔力の侵食は防げるはずだ。少なくともあの魔力を目の前にしてきたダグラスにとって、打ち消しの魔術を使うのに苦労はなかった。
イリオスが気にした彼女らは、今現在、ダグラスが見回った限りで生き延びていた人間である。
女性が三人。体に黒斑はあるものの、進行は遅く、周囲の人間が倒れていく中、息を殺して生きていたのである。

「この周囲で見つけた生存者達です。何が起こるかは分かりませんが、彼女たちはきっとこの場から離せば死ぬことはないでしょう」
「では、彼女らを先に転送いたします。あの島には島守が一人いるだけですが、彼もまた時錬士です。問題はないでしょう」

イリオスは彼女らを手招くと、その足下に円を描き出した。イリオスの全身から溢れ出る精霊の加護は文字を宙に刻み、それは薄紫に光り輝いた。
時間を移動させるに等しいその魔術は、イリオスの精神と転送する場所が深くリンクしなければ成功し得ない。しかし、時錬士と呼ばれる彼らは、この魔術が唯一許された錬士。できなければ、その称号を戴くことは出来ない。
数度印を結びイリオスの青白いの髪がふわりと舞う。移動転移魔術が今、時空という壁を越えて扉を開いた。
彼女らの体がふわふわと宙に浮き、その瞬間に消えた。勿論音すら無かった。

「イリオス、貴殿は素晴らしい時錬士なのですね…一片の歪みさえ存在しなかった」
「彼女らは魔術に耐性があるわけではなさそうでしたので…普段よりも少しだけ丁寧にやったまでです。時錬士同士でしたら、もっと乱暴に送っていますよ」

イリオスがふっと笑えば、ダグラスもまた微笑んだ。
二人はリリアンの街をくまなく捜し歩き、三日の後、リリアンで生き残っていた人間が30人にも満たなかった事実を目の当たりにする。
その人間達もまた、ティアライトに転送し終えたのは、それから二日も経った後だった。
街には時折黒い雨が降り、それは容赦なく白亜の建物を染め上げていた。

  ----------

生存者の避難が終わりダグラスは空を見ていた。第二都市リリアンの中央にある『精神の塔』。そして降り注ぐ漆黒の雨。
この雨は塔から吹き出している不活発エネルギーと称された、魔力の塊と同等のものであろう。ダグラスはそう判断している。
雨に触れた家々が黒く染まる。そして、その表面には草の根のようなものがびっしりと蔓延っていた。
ということは、この雨は随分と前から降り注いでいたことになる。
それを考えると『精神の塔』というものは、聖都ロイダーにある『美神の塔』よりもあまり良くない造りなのかもしれない。
もしくは、王という神の代行者たる役割を、『精神の塔』に住まう賢王カリテができなくなっているのか。
答えは分からないが、ダグラスには既に決めてあることがあった。
リリアンに来た以上、『精神の塔』を登り、賢王カリテに会わないわけにはいかない。
女性か男性か、なんとも性別さえもはっきりしないその王の姿を見、最悪その場で首を刎ねてやることが自身の役割だと思っていたからだ。

「イリオス殿」
「どうなさいました? ダグラス様」

魔術による不活発エネルギー(魔力)の相殺を試みていたイリオスは、ある程度の魔術式を構築すると、三日間くらいの間ならば、対抗できる術を生み出していた。
自身らとて、あの雨に当たっている。しかし、まだ体に黒斑は出てなかった。
けれどもダグラスには不安があって、『精神の塔』を登るならば間違いなく当たった箇所から黒斑はでていくことだろう。
その理由は聖女メメルの実験結果からなのだが、イリオスもそれを思っていたのだろう。
でなければ構築の面倒な魔術式を丁寧に作り上げるような真似はしない。ダグラスはそう考えていた。

「イリオス殿は、この後どうするおつもりです? もともとは聖都からの命令で、賢王カリテの元へ行く予定だったのでしょう?」
「いえ、元々の命令はイシュターク大聖堂の結界補助だったのです。『精神の塔』に登れるほど、まだ私の階級は高くないので」
「…ではその階級を飛び越えて、一緒に塔へ登ってみませんか? この状況です、賢王が心配だ」

心配なのは賢王ではなく、この国のことであるのはイリオスも分かっている。しかしダグラスの言葉に、自然と抗う気が起きなかったのも事実でイリオスは共にいくことを選ぶしかなかった。


賢王カリテという人物は正体不明の絶対賢者である。
その理由は聖都の王、聖帝と共に三神の一人として南方の第二都市リリアンに塔を建て、そこに安定した都を築いたという事実と、それに付随する王としての品格を見ての評価だった。
かの王は税収を多くする代わりに手厚い加護を与え、リリアンとその周辺地域全てにそのシステムを普及させた。貴族という者達も存在こそするが殆ど一般市民と変わらず、思い上がることもなく、温和で他の庶民とも争いなど起きなかったという。
それもこれも、賢王という絶対的な支配者が武力ではなく知恵を武器に貴族らを押さえ、聖都からの要求にも『王が違うのだから、その政は全て私達の手で行うものである』と突っぱねるほどの手腕。
それを見たリリアンの民は、自国の王こそがもっとも賢く、もっとも節制を持って政を行う王だと讃えた。
故に賢王。
しかし、賢かったはずの王の異変に民は動揺すらしなかったのだろう。現に、ティアライトに送った人々もまた「王は乱心などしてない。これが定めだったのだから、王と共に死す」とまで言い切った。
それほどまでに愛された王は、どうしてこのシステムに異を唱えなかったのか。
その理由はきっと簡単だろう。システムを変えることが出来ないからだ。
黒騎士ダグラスはそれを分かっていても、自身の出した結論を止めるつもり無かった。
全ての犠牲の上に平和が築かれるのならば、それは虚像だ。崩れゆく砂上の城に捕らえられていては、この世界は駄目になる。

『精神の塔』を登るため設置された螺旋階段は所々が破損しており、聖都『美神の塔』よりも遥かに古い建築物であるのが分かる。それは時錬士イリオスも思っていた。
元より聖都の塔を見ながら育ったイリオスやダグラスにとって、配線工事をキチンとされていたはずのケーブルが塔から剥がれ落ち、今にも宙に舞ってしまいそうな様子を見せられてしまうと、ため息しか漏れない。
しかしこの塔の造りが『美神の塔』と同じであったことは幸いで、ダグラスは中間地点となる簡易な小屋にたどり着くと、埃の被ったモニターを叩き画面を光らせた。モニターに映し出されたリリアンとその周辺の様子は雨に濡れて黒く染まっている。侵食はきっと前からあったのだ。
塔から漏れ出た不活発エネルギーという魔力は、雨となって大地に降り注ぎ、死の都市を作り上げていく。
聖都ロイダーの異変はまだマシだったのかもしれない。イリオスもダグラスも無言であったがそれを感じている。こうなる前に手を打たねばならなかったのだ。
日が沈む前にもう一階層分は進みたかったが、それはやめることにした。強い風と、何よりも老朽化した階段を無事に上がるためには日光の加護が必要だったからだ。

四日を要して登り切った塔の上、そこは満天の星空だった。
夜であるというのに辺りは肌寒くもなく、ただひらけたその場所にあったのは巨大な花だった。
薔薇とも牡丹とも言えぬ、その折り重なった巨大な花は薄ぼんやりと七色に光り、それは呼吸をするように瞬いていた。

「…なんでしょう、あれは」
「さぁ…私も存じません。ダグラス様は文献などで見知ったりは…?」
「似たものも知らないですね…イリオス殿もご存じでないのなら私などにはもっと分からないでしょう」

二人はその巨大な花に近づく。花の真下には泉のように湧き出る水があり、その水はとても澄んでいたが何故だか飲めるようには感じなかった。
花弁がゆるゆると動き、一枚一枚ゆっくりと開き始める。その中央、見知った玉座にダグラスは目を見開いた。
『美神の塔』にあった王の姿と、その姿はとても似通っている。時間が止まったかのような雰囲気。
薄緑色の美しい髪は長く、真っ白な手足は王を包む濃紺のドレスによく映えた。賢王カリテ。
性別不明の王は、女。
しかもダグラスは同じ性別の生命体でこれほどに美しい人間を見たことはないと感じる。それほどまでに美しい造形美だったが、その美に唯一似つかわしくない物が彼女の背中から伸びていた。
何本もの太いカテーテル状になっている何か。一瞬機械のコードにも似ていたが、それよりは遥かに太く、そしていぶし銀のように輝いていた。

『メルファーの血族と時錬士……とお見受けする。ワタクシはカリテ。カリテ・マシュリメールと申します。このリリアンで王として治世を築く者です』

声は限りなく細く、まるで硝子のような印象だった。

「私はダグラス。メルファーの血筋にして114番目の子になります。今回は国王陛下に会うために参りました」
『……ワタクシはてっきり、テスカリオスがワタクシを始末するように命じたのだと思っておりました。この様です、この国の様子を貴女は見ていらっしゃったでしょう?』

さも地上で起こっていることを全て分かっているかのようにさら、と口にした。
賢王カリテは自分の様子を「この様」と表現したことを、イリオスもダグラスも聞き逃したりはしていない。
賢王はなおをも続けた。その内容があまりにも潔すぎて、イリオスもダグラスも決意を鈍らせることすら許されなくなるのだが、それはこれから一時間もしないうちであることを今はまだ知らなかった。

「恐れながら賢王カリテ様。時錬士として申し上げます。地上の様子は酷く荒廃しておりました。人々は死の雨を浴び、黒く染まり。そして姿さえも消してしまっております。この現状は既に問題です。人々を生かすための王たるカリテ様が何故…この状態を放置なさっているのですか?」
『…時錬士殿。この状態を何とかするために私はテスカリオスに《時錬士を派遣して欲しい》と願ったのです。この塔は人々の生活を守る塔。世界を守り、この秩序を守る精神の塔です。この塔が支える人々の豊穣たるシステムは、今現在…死の雨を降らせ、人々を喰らい尽くそうとしている。それもこれも、ワタクシという王を生かすために』
「それは、『美神の塔』と同じシステムの…」
『そう、神を維持するための装置です。この巨大な花こそ、ワタクシを維持するための装置』

ワタクシを維持するため。
それはダグラスの予想と大きく外れた答えだった。ダグラスが知っているのは、『美神の塔』にいる王こと父。
父は自身の子らの体に精神と魔力を移し替えることで、その王としてのシステムを維持していた。
しかしカリテという王は、初めより変わっていないのだと言う。つまり、その器も精神も何もかも五百年以上も維持された存在だと言うことだ。
その年月など本当はいつからなのか計り知れない。

「国王陛下、陛下はどうして時錬士をお呼びになられたのです? この国には沢山の時錬士がいたはず」

イリオスの問いに彼女は柔らかく微笑んだ。

『数多の時錬士達は、ワタクシの為に命を捧げ、この花を維持してくれていました。そしてワタクシもまた、彼らの為に塔の維持を続けていた……けれど、もうリリアンに時錬士はいない。優秀な者ほど、最初に命をかけてくれたからです』
「それでは、陛下はイリオス殿を犠牲にこの塔を維持しようというのですか?」
『必要な犠牲は世界のために使われるもの。ワタクシを維持するということは、世界を守ることに他なりません』
「嘘だ。この世界は神を既に失い、王という偽物の神が無理矢理維持してきたに過ぎない! 高い文明も何もかも、そんなものは本当に必要だったのか?! 私達は多くの犠牲を払いながら、この不安定なシステムを維持して、王を神だと信仰して。そして死んでいく。多くのために多くの犠牲を払う。それで生き残った一部は一体何のために生き残るというんだ!」

ダグラスの言葉にカリテは深く頷いた。そして柔らかい声で言うのだ。

『流石はテスカリオスの子。正しい、貴女は正しいのです。多くの為に、多くを殺す。それがこの王というシステム。故にワタクシ達は悩んだ。神を捨て、豊穣と恵の大地を捨て、それでも自由を取ることが出来るのか。けれど私達は出来なかった。今よりも発展していた以前の文明では、人々は神の恩恵を手放すことなど出来なかった。絶対の管理、絶対の存在の君臨。それこそが平和の証のように、皆、それを信じていた。その人々から《神》を取り上げる行為こそ、悪だとワタクシ達は考え直して今に至っている。……もうそろそろ潮時でしょう』

ゆっくりと花の玉座から降り立った彼女は、背中に刺さっていた巨大なカテーテルを外した。何本もアタッチメント式になっていたのか、それは単純に外れ、彼女は細い足で地面に降り立つと真っ直ぐにダグラスとイリオスの元へやってきた。
既に足下は安定して折らず、フラフラ、と彷徨いながらの足取りだったが、二人はあえて動くことはなかった。

『聖女ダグラス。そして時錬士イリオス』

名を答えていないイリオスの名を呼んだ賢王は徐々に漆黒へ染まり逝く体を横目に緩やかに手を伸ばした。

『ワタクシとテスカリオス。そして『調停の塔』に住まう王、パラスアリテラを殺しなさい。そしてこの世界を本当の意味での解放へ、自由へ導くのです。この体のために死んだ者達に、ワタクシが詫び続けても世界は救えない。ならばワタクシの為に死ぬ者が一人でも多く、減って貰えればいい。全ては夢のまた夢で、砂上に城を作っているのと同じだった。あのとき…あのときに…テスカリオスが言った言葉は正しかったのです……』

ダグラスの後ろに、彼女は彼女の父を見ていたのだろう。漆黒に染まった指先と、徐々に剥がれ逝く生命の形がダグラスとイリオスの目に深く刻まれて、その光景こそが世界の終わりであるのだと思い知らされるのだ。
世界は彼女のように終わる。
そして届ききらなかったその手を握った瞬間に、ダグラスは存在が消えるのを目の当たりにした。
黒く染まった体。そして綺麗に砕け散ったその存在。
塔から吹き出していたのは王を支えるための魔力が何らかの形で不活発エネルギーと代わった魔力の残骸であった。
けれど、それは本当なのか。そもそも『神』そのものが、その不活発な何かなのではないのか。

ダグラスはその可能性を見いだして、盛大にため息をつくしかなかった。

この日、リリアンの塔は久々の美しい透明な雨に洗い流された。
七色に輝くはずの塔は真白に染まり、街は何一つとして黒を残さぬままに洗い流され、白亜の都はその永劫の白を手に入れた。
しかしそれは、長きの苦楽を共にし、人々の為に生き続けた王との別れを街が、都市が惜しむかのようで。
時錬士イリオスと黒騎士ダグラスは、王の不在がこれから先どのような結果をもたらすのか、それだけを考えていた。


不在の神と導の玉座


ここで一つ、とある男の話をしよう。
その男の名は無かった。正確に言うと、男を呼ぶ名がなかったので、誰も男を呼ぶことが出来なかったのである。
男にとって世界とはとても豊かで、美しいものだった。けれど、その文明が発達すればするほど、男は恐ろしくなった。
世界は便利さと豊穣を常に与えられているのに、人間はまるで作り物のようで、決められた幸福をその人間に見合う分だけ与えられているような、そんな理不尽なまでの管理を感じていたのである。
それを感じていたのは彼だけではなかった。彼と同じように、名のない二人の兄妹もまた、彼と同じ事を考えていたのである。
名を持つ者達はこんなにも幸福なのに、どうして自身らは幸福ではないのだろう。
その理由はなんなのだろう。名を持つ人と名を持たざる者とでは、神から与えられる寵愛が違うとでも言うのか。
男にとって、神からの寵愛は文明に生きる者全てに与えられているのだと思っていた。けれど、自分や名のない兄妹は呼ばれる名を持たないことから、世界から隔絶されているかのように、その文明に触れることさえできなかった。
空を覆う巨大なヴェールが、その透明な半円状の天井は神が用意した美しい街に住まう者達の為だけに動き、その街に住まわせても貰えない一部の生命体は街を維持するためだけに、一所懸命に地中から取れるソリントル(魔法鉱石)を掘り出し、そして生涯その街に行くことさえ出来ないまま死んでいく。
それでも神に愛されていたいのだと、この地中近くに行き続ける生命体は賢明に大地を掘り返すだけなのだ。

男は神の姿を知らない。

もちろん、自身と同じ場所に立つ人間達はみんな知らない。その神の姿を恐ろしいと感じることも、神聖だと崇めることさえも出来ないのはきっと彼らがその姿を知らないからだ。
それでも男は神を恐ろしいと思わない代わりに、自身らの扱いについての不平不満だけは募らせた。
今を思えば、それはまだ彼らが神という存在を本当の意味で認識していなかったからかもしれない。

ある日、名を持たぬ男は一人の女性と出会った。すらりと伸びた白銀の髪、アイスブルーの瞳は人間とは思えぬほど透き通っている。女性は、ラーシアン・レーヴェと名乗った。彼女は名を持つ人間なのだろう、と男は判断して初めて見るその存在に傾倒していった。
ラーシアン・レーヴェは知識を与えた。大地を掘るだけではなく、掘り出した石で道具や武器をつくることができる現実を男に教えてくれたのだ。
男は名のない兄妹にその事実を伝え、兄妹もまたラーシアン・レーヴェの与えてくれた知識や現実に埋もれていった。
三人は彼女が与えてくれた現実と知識を確かめるように、大地を掘り、武器を削り、そして空を見上げた。
こんなことをしていても、神は自分たちを見たりはしない。それは男にとって、神という存在が実は空虚なもので、虚実に限りなく近い偽物のように感じていた。
男に生まれていたのは、神への不信感ではなく、創世者への期待を捨てるといった意志だった。
そもそも自身らは神に愛されている存在ではないのだと、彼は知り尽くして、心はとうに果ててしまっていたのである。

「ねぇ」

これが男を呼ぶ音である。

「どうした?」
「ラーシアン・レーヴェが言ってたじゃない? 二つの月が重なる日、神様が街に降りてくるって。私達も見に行ってみようよ」
「どうして?」
「どうしてって、見てみたいでしょ。私達を作った神様なのよ?」

純粋に名無しの妹は言うが、名を持たない男はあまり乗り気じゃなかった。
その姿を見た所で、自分たちの処遇が変わるわけでもないこと。大地を掘らなくても良くなるわけではないことを知っていたからだ。
男は無能ではなかった。知識を与えられれば思考できる能力を有していた。
それは神が作った箱庭の外で生きている【名を持たぬ】者達に芽生えていた、神の大きな誤算である。
思考能力を持ち合わせていた男は、名無しの妹の提案を断るとあっさり自分の部屋へと戻った。


その夜のこと、ラーシアン・レーヴェは街からやってきた。手土産に見たこともない美しい銀色に光る花を持っていた。
それをみて名無しの兄妹は喜んだが、男は喜べなかった。
その銀色が、自身達が汗水流しながら掘り出している鉱石に限りなく近い色をしていたからだ。

「どうしたの? 貴方は好きじゃない?」
「ラーシアン・レーヴェ。間違っているなら済まない。これは、僕らが掘り出しているあの石と同じ色だ。花の原材料はあの石じゃないのか?」
「的確に言うと、あの石を水に晒して、魔力が移った水をこの花にくれてやると綺麗に咲くようになるの」
「…それはとても贅沢な話だね、ラーシアン」
「そうかしら? それは搾取される側に、貴方が居るからよ。この世界は神が作った箱庭。いいえ、神が遊ぶために作った箱庭と、その原動力となる物を発掘するために作られた採掘場。その弱い立場の側にいる貴方だからこそ、そんなことを感じるの。あの街の人間は、平凡な平和が神からの恵みだと思っているし、何よりも搾取されている存在を知らないわ」
「ただ、それを認識した所で何になるというんだ? ラーシアン・レーヴェ。結局は自身らが優遇されている事実を知って、更に神への信仰に目覚めるだけで搾取される側は何一つとして変わりはないだろう?」
「そう、何も変わらない。少なくとも、貴方もそう思っているうちは」

ラーシアン・レーヴェの言葉が男を動かしたのは数日の後だった。
神が街に降りているのは二つの月が重なっている間。男は月が重なっている間に街へ入って神の姿を見てみようと思った。
それがどんな存在であるのかと何よりも自身が一体何のために存在しているのか。格差を作った理由は何なのか。その全てを問い立たしてみたかったのである。
あっさりと中に入ることのできたその街は、白い建物が並んでいた。街の中央には神を讃える白亜の塔が建っており、街は塔を中心に栄えていた。
殆どの人間が同じ服を着ており、人種はまちまちだったが、ほぼ同じように見える。それは男の目がおかしかったわけでも、兄妹の目がおかしかったわけでもない。
彼らは一見何不自由なく暮らしているように見えたが、それは間違いであった。不自由なのではなくて、最初から自由なんて物は与えられていないのである。
つまり彼らは物だ。普通の物と同じ。
カップや、スプーンなどと同じということなのだ。
全ての答えはそこにある。この箱庭は、神々のおもちゃ箱で、そのおもちゃたちの原料を自分たちは掘り出している。
その石がどんな力であれ、美しく白銀に輝いたこの街を見て、男はそう思ったのだ。

男の確信は、いずれ神を殺し。名無しの兄妹と男は、殺したはずの神の名を背負うことになる。

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「なぁ、テスカリオス。君は今でも間違っていないと思う?」

神を失った玉座に座るのは、器を据え変え続けている王だけだ。
目の前に立った白銀の髪の女は、にこやかに微笑んで地面をとん、と蹴り上げた。

『さぁ、な。既にもう僕自身が分からないんだよ、ラーシアン・レーヴェ。子供達と称する、自身の遺伝子から作ったレプリカ達の器に入ろうとも、既に僕がテスカリオスという神を殺した男かどうかも不明で、またこの聖都の王であるという事実だけは変わりない』
「そうだね」

ふわりと笑った化身はあっさりと空気に解けるように消えていった。
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