体中が熱いのに、俺の精神は不気味なほどに静かだった。
ジュセルの胸板の包帯に、赤い鮮血が滲んでいく。俺は熱い息をしながら、その光景をただ黙って見ていた。
殺して良かったのか。殺しては駄目だったのか。初めての殺人は思いのほかあっけなかった。
ジュセルの右眼は閉じ、まるで眠っているかのように、動かない。
とにかく逃げなければ。黒い短剣を回収することも忘れ、俺は動きづらい手足を動かし出口を目指した。
カラン、と音が響いた。
びくっと身体を震わせて振り返ると、それはジュセルに刺さった短剣が抜けて落ちた音だった。
特別な配列の金属で出来たナイフだ。回収しなければと思い、麻痺した思考のまま包帯男の方へと近づく。
と、そこで脚を止める。
違和感を感じた。ジュセルの右眼、さっきは開いていたか?
俺が注意深く見ていると、包帯男の瞳孔がこちらをむいた。
「まさか……、生きているのか」
再び構い直すナイフは俺の動揺が表れてか、細かく震えた。
「ホウ。死角かラノ攻撃とハ、油断シていタ」
「お前……何で死なないんだ」
包帯男は胸の傷を撫でながら、
「俺ノ能力が、オ前の能力ヨり強イからダ」
「何を……言っている……」
俺の疑問を無視して、ジュセルは一歩づつ俺に近づいてくる。そのたび、俺は一歩づつ後退する。
「オ前なら、俺ヲ殺してクれルト思っタガ、見当違いカ。モウいイ。殺シてやロウ」
ジュセルが跳躍。
俺の直前に着地。右手で振るうナイフがジュセルの脇腹を深く抉るも、構わず蹴りを放ってくる。
太ももと左肘を使って何とか停止させるも、蹴りが強烈過ぎる。
ナイフを大きく振り回す。首を狙った攻撃を、ジュセルは後退する事で回避。
しかし、これはジュセルを狙ったものではない。そのまま背後まで一周させた短剣は、扉の
ロックを焼き斬った。
「……逃げルつモリか」
「構ってられるか!」
死なない原理は理解できないが、とにかく一旦退くしかない。
扉を開け、よろめきながら入った廊下の向こうには、女子高生らしき制服の女が立っていた。
「ぉにぃさん。ぁそびましょ?」
場違いな人物の登場に俺は一瞬戸惑ったが、俺は突進を選択。
制服を着た、黒髪の女。委員長を思わせる三つ編みにした流れる髪と赤ぶち眼鏡。
だが、それは黒鞄にぶら下がっているモノ以外を見たときの印象だ。
鞄からはアクセサリーのように、人の頭蓋骨が飾られていた。
構わずナイフを振りぬき、スタンガンモードにして頚動脈を狙う。
だが、その攻撃は黒鞄で防がれた。材質は見るからに革製なのに、金属の弾く音がした。
「はじめまして。“機関・第八十七席次・
イザナミ”とぃぃます。ぃごょろしく」
にっこりと笑うその笑顔が純真すぎて、逆に俺は恐怖を覚えた。
黒鞄から銀の輝きが飛び出す。見ると、二対の斧が黒鞄から生えていた。
その鞄を横薙ぎに切り払ってきたのを片手の短剣の腹で受ける。が、受けきれずに腕を掠めて出血する。
軽々と振るってきたが、受ける斬撃は手が痺れる程重い。
大降りの斧を短剣で受け止め、さらに逆の腕で押し返すことでやっと拮抗した。
どれほどの腕力を持ってやがる。
「ぉにぃさん、かっこぃぃですね。ぁたしとつきぁぃません?」
「……冗談キツいぜ」
「そぅですね。ぉにぃさんはころさなぃとぃけなぃんでした」
扉が開く音。マズイ。後ろからジュセルが追いついてきた。
斧を弾き、すばやく廊下の左の扉を蹴破る。情報では確か、ここから外に繋がる窓があったはずだ。
純白の羽根が舞った。
純白の羽根は俺の前方の空間を埋め尽くす。
「ぉにぃさん?にげるなんて、ひきょぅですょ?」
走りつつ、後ろを振り返る。先程の女子高生、イザナミの背中から制服を破って翼が生えていた。
その翼から白い羽根が射出されてくる。だが、当たってもダメージはない。
窓を突き破ろう。そう思いジャンプしようとした瞬間、後ろから声が聞こえた。
「ぉもくなれ」
「がっ……」
宙に浮いていたはずの羽根が、俺の背中、脚、腕を貫く。
突き刺さった羽根一本一本が鋼鉄のバーベルのように重く、脚を貫かれた衝撃で倒れる。
全身から血が噴出した。
「ま、さか……能力か!?」
「ぁたしの“触れた無機物の重さを変える能力”。きにぃりました?」
完全に油断していた。油断は死を招くと、ルローから教わってきたはずなのに。
脚を必死に動かそうとするが、受けたダメージが大きすぎてすぐには動けない。
ジュセルも追いついてきた。包帯男と制服天使はまるで、罠に掛かった獲物を見たかのようにゆっくりと近づいてくる。
弱弱しく片手で短剣を構えるが、どうしようもない。頼りの固有磁場も、再充填にまだ時間がかかる。
「なんなんだ……なんなんだお前達は」
それよりも問題なのは――
「お前らは、どうして俺の能力内で能力が発動できる!」
俺の能力は確かに発動していた。青い霧はこの部屋全体に充満していたのに。
「……ぉにぃさん、“複雑系エクザ”ってしってる?」
「カオス……エクザ?」
出血で意識が薄れてきた。霞がかかった視線で二人を見つめる。
「余計ナ事を喋ルナ、イザナミ」
ジュセルがイザナミを窘めた。てへっ、と頭を小突いてイザナミが舌を出す。
「これ、なぃしょでした。わすれてくださぃ、とぃってもわすれなぃとぉもうので」
銀の斧を持って、近づいてくる。くそっ、目が見えなくなってきやがった。
「しんで、わすれてくださぃ」
大きく振りかぶったその斧が、俺の心臓を狙って落とされた。
登場キャラクター
最終更新:2011年01月09日 16:57