俺が“ドグマ”から離れて、半年が経った。
「ぁ。これ、かゎぃぃっ!」
港近くのプラザの一角。輸入雑貨店でイザナミは、熊のステッカーを見て声をあげた。
美しく流れるような黒髪は、肩口から三つ編みに変わり、その先を銀色のリボンで留めていた。
真面目そうな赤ぶち眼鏡をかけた、かわいらしい女子高生。
だが、その雰囲気を両隣に立つ二人の黒服の男達がぶち壊していた。
彼らはサングラスを掛け、重苦しい威圧感を放つ。イザナミの言葉にも反応せず、ただじっと無表情に顔をしかめていた。
周囲の客は彼らの姿を見て、そそくさと出て行き、ショップの店員も冷や汗をかきながら見守っていた。
「じゃぁ、これとこれとこれにしょっと」
黒服の男達の反応も気にせず、自分に話しかけるように喋る。
イザナミがステッカーを持ったまま、カウンターを素通りして、外に出ようとした。
「あ、あの。お客様。お会計は……?」
女性店員が思わず喋りかける。
イザナミの長く白い脚が、ピタッと止まる。そのまま可愛らしい笑顔で、店員を見た。
「ん~?」
その瞬間、女性店員はイザナミに喋りかけたことを後悔した。
イザナミから放たれる威圧感に、店員が凍りつく。
お前の生殺与奪の権は私が握っているんだぞ、という事を彼女は笑顔だけで主張していた。
「なにか言った?」
「な、な、何でもありません!すみません!」
深々と頭を下げる。
全身の震えが止まらず、カチカチと歯が鳴る。
自動扉が開き、外に出て行く鼻歌の音。
女性店員が顔を上げると、黒服の男の一人がカウンターの前に立っていた。
男は財布から一万円札を三枚取り出しカウンターの上に置き、店員に向け賞賛の意を込め小さく笑った。
昔から、彼女の殺意が分からず取り返しのつかない所まで踏み込む人間は大勢いたが、誰もが等しく消されていた。
「ぇっへへ~。かっゎぃぃなぁ~。かゎぃぃょね~?」
真昼の太陽が差す、石畳が綺麗な、商店の前の広場。
イザナミは広場のベンチに彼女お気に入りの黒鞄を置き、その側面にステッカーを貼っていく。
黒鞄には悪趣味な頭蓋骨のアクセサリーがぶら下がっていた。
遠目から見れば、精巧に造られた偽物に見えるが、分かる人が見れば、それは本物の頭蓋骨だと分かる。
「さってと、ぃきますかぁ」
立ち上がって、振り返った時、一人の男が広場の中央に立っていたのに気づいた。
茶髪の少年。黒を基調としたポケットの多い服を着て、軍靴を履いていた。
季節はまだ暑さの残る晩夏だが、長袖。だが、右の袖は肩口で切れていた。
「ぁれ……ぉにぃさん、ぃきてたんだ……」
何かを考え込むように、ヨシユキは目を閉じていた。
幾つかの点が、彼女が依然見た姿と違っていた。
まず、右腕。エデンが切り落としたと聞いた腕は、鈍色に光る機械の腕に代わっていた。
その先に続くのは人の手ではなく、白く光る巨大な爪。
そして、左手に持っている得物はナイフではなく、先端に十字になるように刀剣が設置された十字鎗と呼ばれる鎗。
顔には眼帯。左目だけ隠れるように黒い帯が巻かれていた。
ヨシユキが目を開ける。
その瞬間、イザナミは鞄の取っ手を握って黒斧を出し、構える。後ろの黒服二人も銃を構えて臨戦態勢を取っていた。
ヨシユキから放たれる、強烈な威圧感。イザナミが以前感じたヨシユキの雰囲気とは全く異なっていた。
「エデンは何処だ」
低く問う声。片目からの視線がイザナミを差していた。
「……ぁたしがこたぇるとぉもぃます?」
「そうだな」
ヨシユキが十字鎗を構える。それだけで威圧感が倍増する。
「無理やり吐かせる」
鎗を構えたまま、ヨシユキが高速でイザナミに近づいていく。
それに対し黒服の男達が銃を応射する、事は出来なかった。
銃の刀身が二つに裂かれ、薬莢や火薬が宙に舞う。
銀髪の女が2メートル程ある巨大な剣で、一瞬のうちに二人の銃を切り裂いていた。
返す刃で黒服の男の胴に峰討ちを叩き込む。
仲間が悶絶して倒れている間に、黒服の男のもう一人が能力を発動。手の甲から爪が突き出し、シルバーレインの剣を受け止めていた。
その合間にヨシユキがイザナミを捉える。繰り出された鎗を受け止めず、射線の横に逃げるイザナミ。
イザナミの頬に、小さな赤い線が入る。十字鎗であるため、間合いを計りきれず鎗が掠めていた。
続く鎗の追撃を、イザナミは転がることで回避。バサッと制服を破り、翼を広げ店舗の上へと逃げた。
ヨシユキからの追撃が無いことを確認し、頬に手を当て、出血している事に気づく。
「ぉんなのこのかぉに、けがをぉゎせるなんて……ゅるせませんっ!!!」
イザナミが左手を上げて、能力を発動させる。
ヨシユキは冷静に鎗を構え直し、その様子をじっと見ていた。
風。
吹き荒れる暴風が、まるで意志をもつ竜のように縦横無尽に吹き荒れる。
俺の服の袖が激しくはためき、強い圧力で風に体を取られそうになる。
「風の能力か」
顔にかかる砂埃を右手の巨大な爪で防ぎながらイザナミに問う。
俺が以前出会ったどの能力者よりも、強い力を感じる。
「ちがぃます。“嵐を操る能力”。かぜょりもきょぅぼうですょ?」
にこっと可愛らしい笑顔で笑う。暴風の中、長い三つ編みの髪が激しく揺れていた。
彼女を中心として風の渦が発生。強烈な内向きの風で体が流れそうになるのを、十字槍の石突を地面に突き立てることで耐える。
竜巻は、周囲の街路樹をへし折りながら巻き込み、増幅していく。
「ぉにぃさんもこれでぉゎりです!!!」
風の渦の軌道から、折れた樹の先端が俺に向かって放たれる。
速度は高速。質量と速度の攻撃は、家の壁を易々と貫通する破壊力を生む。
俺がどう避けるか軌道を観ていると、俺の前に銀髪の女が現れた。
「……“対抗者”起動」
そう小さく呟くと、シルバーレインは自らの能力を発動させる。
「……『トール=ギア』展開」
銀の大剣の先端に、量子化された光が収束。そして剣の形が一瞬で変わり、巨大な銀の鉄鎚が現れる。
彼女はその鉄槌を易々と振り回し、飛んでくる街路樹に叩きつける。
飛翔していた木が爆散。細かな欠片が俺の体に降ってきたが、支障はない。
舞うように次々と飛んでくる木々を破壊していく。
「ちっ。さすがですね、銀ゥサギさん!」
焦るようにイザナミが言った。彼女は逃げる様に翼を広げて、上空へと逃げる。
近づいてきたシルバーレインも、強風のせいでイザナミにそれ以上接近できずにいた。
動けずにいる俺たちを見て、イザナミがにやりと笑う。
「ぁなたたちはちかづけなぃ!ぁたしのかちです!」
さらに勢いを増した風の渦の中に、車やバスが吹き飛ばされ、風の渦の中に混じる。
早めに片付けないと厄介だな。
バキン、と音がして俺は白い爪をさらに巨大化させた。後ろに足を踏ん張り、狙いを定める。
以前の俺なら、叩きつけられる暴風に耐えることで精一杯だっただろう。
巨大な白い爪が、イザナミの細い体を掴んでいた。
「…………ぇ」
イザナミの表情に、疑問の色が浮かんだ。
「エデンは何処だ?」
喉元に十字槍を突き付けながら、俺はイザナミに聞いた。
「……しらなぃ」
グシャっと音が鳴り、イザナミが身を震わせる。傍のベンチを、シルバーレインが巨大な鉄槌で叩き潰していた。
「もう一度聞く。エデンは何処だ?」
冷たく繰り返す俺に対し、イザナミは答えず、自らの状況を確認していた。
イザナミの体は巨大な爪で握られていた。
右腕から射出された爪が空を飛ぶイザナミを補足し、右腕と繋がるワイヤーを引っ張る事で地面へと引きずり落とした。
しばらくイザナミは俺たちの様子を見ていた後、ニヤリと笑った。
「……ぉにぃさんたち、ずいぶんとょゅぅがなさそぅですね。リリィちゃんをぅばゎれたので焦ってるんですか?」
ピクッとシルバーレインの手が揺れた。
生じたほんの僅かな隙。
その隙をイザナミは逃さない。
「『大気の激流・天空の束縛』!スフィアネット接続!カオスエクザ起動!」
イザナミが叫ぶ。
周囲の空気が重苦しく変わった気がした。
「……複雑系エグザか」
シルバーレインが舌打ちする。
詳しくは教えて貰えなかったが、カオスエグザとは発動者の能力を最高出力まで高める技術だそうだ。
数十メートル離れた場所で強力な突風が発生。その勢いで車が吹き飛んでくる。
同時に複数の竜巻も発生。ありとあらゆる建造物を破壊し、飛翔する弾丸となる。
周囲を破壊し、それらを全て武器にする。
「これが、イザナミのカオスエグザか。厄介そうだな」
「……『イカロス=ギア』展開」
シルバーレインの銀の鉄槌が消失。瞬時に彼女の背中に銀の翼が生成され、風を捉えて飛ぶ。
俺の方は、竜巻で転がりながら飛んできた廃材を避ける。
右手に掴んだままのイザナミは驚く程軽かった。
右手から飛んできたポールを、体を後ろに逸らす事で回避。
上空から落ちてくる街路樹を避けつつ、通りを走り抜けていく。
「ょく見ぇてますね……これならどうですか!?」
地面を蹴った瞬間、周囲を飛翔物で埋められていた。
心臓がドクンと鳴り、冷や汗が頬を伝う。
恐怖は一瞬。すぐに全てを睨みつける。
眼帯を巻いた、この左眼で。
「そこだっ!」
地面と飛翔物との、僅かな隙間。
右腕に抱えたイザナミが怪我を負わないように注意しながら、そこに体を滑り込ませる。
間一髪で逃れた。背後から、飛翔物がぶつかり合う凄まじい音がする。
目の前に、大型バスが迫っていた。
「『バーストモード』!」
左腕から、小型のジェットエンジンが出現する。それと機械が空気を吸い込み始める。
同時に右脚から4本の金属棒が地面に突き刺さる。
「らあああああああ!」
空気の破裂音が響いた。
腕に伝わる、自らの拳の速度の、凄まじい衝撃。
超々速の拳で大型バスを弾き返した。
「……ぁたしを解放してくださぃ、ぉにぃさん。そしたら止めてぁげますよ?」
右手の爪に掴まれたまま、圧倒的有利なイザナミが言った。
イザナミを殺すことでこの状況から逃れる事はできるが、俺らの狙いはリリィの場所を吐かせる事。イザナミを殺せない。
それならば俺らが出来るのは、一つだけ。
この風の能力を破るしかない。
ふてぶてしく笑うイザナミを見て、俺も笑いかけた。
「お前には無理だよ」
「?……何がですか……?」
俺は指先を空に向けた。
「まぁ、見てろよ。お前じゃ俺らに……いや、あいつに勝てない」
俺が指したその先を怪訝そうにイザナミが見る。
そこにはすでに空高く飛んでいたシルバーレインがいた。
小さな姿をよく観察すると、何かを呟いていた。
そして剣を真下へと向ける。
「見ろ。あれが、銀雨たる由縁だ」
その剣を真下に突き下ろす。
無限の槍が、天空から降り注いだ。
彼女の持つ剣先が幾千にも分かれ、壮麗な装飾を持つ槍が、全てを貫いていく。
全ての飛翔物を刺し貫いて、強制的に停止。地面に固定させた。
何もかもを刺し貫く、銀の奔流。
この圧倒的な天の槍が、彼女のコードネームの由来だった。
衝撃で土埃が舞い、地響きが発生。
圧倒的な光景に、イザナミは声を失っていた。
「さて、どうする?」
イザナミは驚愕した顔のまま、俺を見た。
「ぁ……ぁはは……」
周囲の竜巻が消失。風が止み、空に青空が戻る。
今度こそイザナミは降参した。
「こっちッスよ」
機関の事務員である斑目は、バフ課第二班副隊長と名乗るラヴィヨンに連れられて、現場に赴いた。
もともとは商店が並んでいたであろう港前のプラザは、能力者同士の戦いのせいで惨状となっていた。
修理費の支払いなどを考えていた斑目が、悩むように頭を抑えた。
斑目はその一角に連れられていく。そこには三本の巨大な爪跡。その傷跡の奥。建物に埋まるように俯いた姿で女の子がいた。
翼の生えた、制服姿の女子。爪跡は彼女の体も引き裂いており、明らかに絶命していた。
斑目が引き出そうと手を伸ばすが、建物の木材が引っ掛かって外れない。
ちらりとラヴィヨンの方に視線を配ると少し渋い顔をしていた。協力関係にあるとは言え、バフ課の管轄にはあまり長居してほしくないのだろう。
「これでは回収に手間が掛かる。そちらの方で処分していて下さい」
「助かるッス」
斑目がそういうと、ほっとした様子でラヴィヨンが言う。
ハンカチで汗を拭きながら帰ろうとした斑目に副隊長が声を掛ける。
「部外者が言うのもなんスけど、一つ良いッスか?」
「はい?何でしょうか」
「機関は我々と同様の組織だと聞きますが、犯罪者を捕まえる一方で、こういった破壊活動を伴う報告も多い。それは何故でしょう?」
雰囲気が一変する。鋭い眼光を見て、やはりバフ課二班の副隊長なのだなと、斑目は思った。
「機密なので内密に。我々は実は、全ての機関の内部を把握している訳ではないのです」
「と言いますと?」
「機関の各部隊はそれぞれ秘密主義をもっており、さらに本部への報告義務がありません。なので、現在の第七支部などは悪い噂を聞きますが、我々には手の出しようがなく、つまり」
斑目はそこで両手を上げる。お手上げ状態だと。
「なるほど」
最後に一礼すると、斑目は去っていった。
姿がしっかりと消えるまで確認後。ラヴィヨンは爪跡の前に行き、黒髪の女の髪を掴む。
ラヴィヨンは力づくでその体を引き抜く。肩や腕の骨を折りながら彼女の体は抜け、だらりとラヴィヨンの腕にぶら下がる。
それをカラカラと引きずりながら、レンガ造りの歩道に止めてあった黒いヴァンに近づいていく。
後ろにソレを放りこみ、自分は運転席に乗り込む。
助手席にうるさいやつが乗っていた。
「ぉかぇり~ぉにぃさん!……って!これぁたしですかぁ!?」
後ろの席に乗っている壊れた人形を見て、頬に白いガーゼを当てたイザナミが甲高い声を上げる。
「あんたの人形っスよ。って、あんまりジタバタしないでくれないッスか?」
後ろに手錠に嵌めた状態で座っているとはいえ、伸びた翼がラヴィヨンの頭を打って痛そうに顔をしかめる。
「ぉにぃさん。こんな事して大丈夫なんですかぁ~?」
「大丈夫じゃないっスよ~」
クリップで留められた書類を何枚も確認しながら、ラヴィヨンが答える。
機関の戦闘員の拘束。死体の偽装。そして、今回の件はバフ課どころかシルスクにも報告していない。
「……昔の約束の続きッスから。仕方ないところッスねぇ」
答えになっていないラヴィヨンの呟きに、イザナミは怪訝な顔をした。
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最終更新:2018年05月23日 21:08