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リリィ編 > 15



 朝。風に揺れるカーテンの弾けるような白い光をぼんやりと眺めていた。
 小さな白い部屋。付けっぱなしのラジオからは今日も最高気温を超すという予測が流れていた。
 曇天の梅雨が明け、例年のように暑い夏が始まる。
 俺の体はとある事情により半分が機械だ。熱が通りにくい金属の体だが、熱が冷えにくいという厄介な躯だ。
 突然、目覚ましの音が鳴り響く。
 起き上がろうとするが、呻いてベットに倒れる。
 聴覚はそれを認知出来ているのに、体は痛みで動く事が出来ない。
 ……ひどい筋肉痛だ。起き上がれない程とは。
「んも~。うるさいですねぇ~。はやく消して下さい」
 真っ白なパジャマ姿のリリィが部屋に入ってきて、勝手に消した。歩く度に三角の帽子が歩調にあわせて揺れる。
 リリィは部屋のカーテンをシャッと開けた、眩しく暖かい日光が俺の顔を照らす。
「ほら、起きるのです。ヨシユキ」
 眩しさに呻く俺の頬を小さな手のひらでペタペタと叩かれる。
 うっとおしいので、体中の痛みを無視して起き上がる。
「今日も……ふわぁ~……訓練が~あるんでしょ~?」
 リリィが欠伸をしながら言った。
「ああ」
 外を見る。朝日が眩しく、新緑の木々を照らす。
 セミの鳴き声が聞こえた。


今から三ヶ月前。
太陽が照りつける夏だった。


 掴もうとして伸ばした腕は、銀の残影を掠めただけ。
 まるで踊るように左右にバックステップしながら、シルバーレインは俺と距離をとる。
 朝露のついた草に足を取られそうになるが、踏ん張り、伸ばした無防備な腕を引きもどす。
 湿気を帯びた森の空気は、まるで俺の服に染みこんで躯を重くしているかのようだった。
 嫌、違う。俺の体が遅いのは
 目の前に突如現れる銀影。
 嫌な浮遊感を数瞬感じ、彼女に近づかれた恐怖を感じた瞬間には、すでに地面に叩きつけられていた。
「がっ!」
 雑草の生える地面に叩きつけられ、一瞬目眩がしたが、追撃を恐れすぐに目を開け状況を確認する。
 振り下ろされる拳。体を捻って回避すると同時に、回転を利用して立ち上がる。
 距離を取って、彼女を見る。シルバーレインの燃えるような赤い眼が、俺の眼を見ていた。
「……初動。……それからの流れは悪くないが、気になる点が一つ。……相手を見るときは体全体だけでなく目も見ろ」
 真っ直ぐに俺の眼を見ているシルバーレインに、俺も習うように見返す。
「ああ。わかったよ」
「……続きだ」
 彼女の銀の髪が揺れる。灰色と黒の戦闘服が動き始めたと同時に、それは疾風に変わる。
 それを迎え撃つために、俺は構えた。
 俺の昼のエクザ。“時間操作”能力。
 自分の周囲の時間と、他の時間の流れを変える能力。
 その消失によって超高速戦闘能力も失われ、自身の戦闘力低下に多大な影響を与えていた。

 仰向けに倒れ、片手で直射日光を遮りながら、青く高すぎる夏の空をただじっと見つめていた。
 体力が尽き、もう指の一本も動かせる気がしない。
 太陽の熱は容赦なく、周囲の草木や俺の体を灼いた。
 視線を横に向ける。木陰で着替え終わった彼女は、青いジーンズと無地の白いシャツを着ていた。
 悔しさに、思わず歯をかみしめる。
 この数時間の訓練で、シルバーレインの体に攻撃を当てるどころか、触れる事すらできなかった。
「……最初か出来なくて当たり前だ。……それを教えるために私がいるのだから」
 俺の内心を見抜いた彼女が、慰めに似た言葉をつぶやく。
 彼女は汗一つかいていない。美しい穏やかな表情で、俺を見ていた。
「……今日はここまでだ。……あとはお前の好きなように行動しろ」
 そういうと森の外へ向かって歩き出した。茶色のブーツを履いた脚が去っていくのが見える。
 強いやつだ。純粋にそう思った。
 視線をまた、晴れ渡る青空に向ける。山裾付近に白い雲が浮かんでいた。
 なぜあいつが俺を強くしてくれるのかは分からない。
 数ヶ月前に言われたことを思い出す。

『……『ツバキ』。……お前は覚えていないだろうが、彼女さえ居れば、お前は……』
『……私がお前を強くしてやる。……誰にも頼らず生きていけるように……今度は私が、お前を守る』

「ツバキ……か」
 あれから、ツバキなる人物についてシルバーレインに何度か問い合わせたが、何も答えてくれなかった。
 俺がドグマに入ってから見続けている、悪夢の登場人物。
 俺には、高校に入る前の記憶があやふやだ。
 中学校も何回も転校を繰り返し、学校の思い出などはほとんどない。
 記憶の欠落が、俺を不安にさせる。
 俺の過去に何があったのか、全く思い出せない。
 ズキリと胸のあたりが痛んで、目を閉じる。
 守るべきリンドウから拒絶された為、こういった訓練などに全く興味は無いのだが、こうして体をへとへとになるまで動かせることは感謝している。
 何も考えないように。何も考えなくてすむように。
 胸を押さえて、目をしっかりと閉じる。先ほどより痛みが和らいだ、気がした。
 瞼の間から洩れる太陽のちらつきが、眩しかった。

 彼女が去ってから、しばらくした後だった。
 パキっ、と森の枝を踏み分ける音。足音は俺の真横まできて止まった。
 シルバーレインが戻ってきたのだろうか。
 仰向けに倒れたまま、その音に呼応して俺は目を開けた。
 足音の主は、俺を見下ろしていた。太陽と逆光になって顔が見えづらい。
 シルバーレインでもリリィでもなかった。
「……誰だ?」
 流れるような黒髪が、緩くカールして肩口にかかる。
 顔や肌の色は雪のように白い。
「さて、誰でしょう?」
 面白げに俺を見て、笑いかけてきた。気さくな印象を受けた。
 首から季節違いな絹の白いマフラーが揺れていた。
 服装は黒のインナーの上から英字新聞がプリントされた白のタンクトップ。
 赤と黒のチェックのスカートには、違う種類のベルトが三本巻かれていた。
 スカートから健康的な足が太もも近くまで覗いて、俺は視線を泳がせ、すぐに起き上がる。
 その様子を彼女が見て、意味ありげな視線を俺に送ってくる。
「ふふふ。見た?見たでしょ?」
「見てねぇよ!」
 見えそうだったけど。
 彼女はずいと俺に近づいてきた。近い近い。
「ねぇ、ヨシユキ。海に行きたいから連れて行ってよ」
「はぁ?……って何で俺の名前を……シルバーレインの知り合いか?」
「知り合いといえば、知り合いかもね」
 考え込むように人差し指をアゴにあて、上目遣いで俺を見ていた。
「私の自転車はあそこにあるから。後ろに乗せていって」
 言うが早いが、そのままスタスタと、何故か楽しげに森の外へと歩いていく。
「……変なやつだ」
 しかし、俺も暇なので、この面白そうな女について行く事にした。
 森の外へと歩いていくと、赤い自転車の荷台に彼女が座って俺を待っていた。
 彼女の耳には赤い花を模した宝石のピアスが、小さな太陽のように揺れていた。



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最終更新:2011年11月30日 18:55
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