時代背景 1993年(平成5年)

 PCエンジンに『真・女神転生』が移植された年である(12月25日発売。くしくもデビルサマナーと日付が同じである)。さらに続編の『真・女神転生2』のアナウンス、および画面も公開された。
 この当時の日本の総人口は1億2395万人。出生者数は121万365人と前年度を下回り、反対に、65歳以上の人口は65万人増え、総人口の13%を占める割合となり、過去最高となった。日本の平均寿命は8年連続で世界一となったが、それは高齢化社会が一段と進んでいることを意味する。

国内の主な出来事

  • 1月27日、曙が外国人力士として初の横綱に昇進。
  • 2月3日、NHKの番組でやらせ発覚。
  • 3月6日、金丸信逮捕。
  • 5月15日、サッカーJリーグ開幕。
  • 6月9日、皇太子・雅子さまご結婚。
  • 7月12日、北海道南西沖地震発生。
  • 8月4日、日本政府が従軍慰安婦に謝罪。
  • 8月6日、55年体制崩壊、細川連立内閣発足。
  • 9月6日、逸見政孝ガン告白。
  • 11月1日、ヤクルト15年ぶりに日本一に。
  • 12月16、田中角栄死去。

 91年4月を景気の山として、深い不況の谷に落ち込んでいた日本経済は、93年も続いていた。一時期は景気動向指数が良い傾向を表すなど、良い動きも見られたものの、経済全体に波及効果が及ぶには至らず、全体的に低迷であった。不況の長期化により、国民の個人消費は低くなり、それに加え、冷夏・長雨という異常気象の直撃が、エアコンや夏物衣料の販売不振につながり、大きな悪影響が出た。当然のことながら、冷夏の影響は農作物にも影響、戦後最悪のコメ不作を引き起こした。

 93年の重大な出来事といえば、55年体制の崩壊だろう。55年体制とは、38年間続いた自民・社会の2党による政治体制のことで、7月18日におこなわれた第40回衆院選で自民党223議席、社会党70議席と、両党惨敗し、政党の面目を失った。1955年の左右社会党の統一に対抗して、自由党と民主党が自由民主党を結成した保守合同による、自社主導の“55年体制”の崩壊である。
 7月29日、社会・新生・公明・日本新党・民社・さきがけ・社民連・民主改革連合の8党の党首会談が都内ホテルで開かれ、細川代表を首相候補とすることを確認、8月6日の首相指名選挙で第79代、50人目の首相に指名された。
 しかしこの細川首相、8月10日の内閣記者会見で、第二次世界大戦について、「侵略戦争で間違った戦争だった」と発言、首相官邸や外務省に賛否両論の電話が殺到。政府部内でも外務省を中心に首相発言の真意をめぐって戸惑いが見られた。武村官房長官は11日、補償問題はサンフランシスコ条約や2国間条約で決着済みとの姿勢を示し、韓国の従軍慰安婦問題についても、「新しい保障という認識は持っていない」との見解を示した。
 なお宮沢政権崩壊寸前の8月4日、河野洋平官房長官は「旧日本軍が慰安婦の徴用に直接的に加担した例がある」とし、「心からお詫びと反省の気持ちをを申し上げる」としたいわゆる“河野談話”を表明している。朝日新聞をはじめとした左翼メディアが捏造した偽りの歴史を、日本政府が公式に認めてしまった瞬間である。こうした捏造された歴史に日本政府が謝罪してしまったため、現在もなお、従軍慰安婦など存在しない・偽りであることが明らかになっているにもかかわらず、韓国・北朝鮮は日本をバッシングし続けている。

社会、世相

  • 10月6日、マイケル・ジョーダン引退。
  • 12月30日、バチカン・イスラエル国交回復。
  • 冷夏の影響でビール消費低迷。
  • NTT、1万人の希望退職者募る。
  • 郵便料金値上げ。
  • 江夏豊、覚醒剤所持で逮捕。
  • 外国人犯罪者数増加。
  • 加勢大周の名前をめぐり一騒動。
  • ジュリアナ東京のお立ち台撤去。
  • ブルセラショップ問題に。
  • ナタデココブームで品切れ続出。
  • 女優が次々とヘアヌードに。
  • ポケベル所持者数増加。

 外国人の犯罪が増加し、全国の地裁で有罪判決を受けた外国人の数が約2200人にもおよんだ。増加数は前年の6割増で、犯罪としては入国管理法違反が圧倒的に多く、次いで窃盗、覚醒剤などが続く。
 特に朝鮮人による武装強盗団は388件と前年の8倍にも達しており、都内では女性の財布を抜き取ろうとした韓国籍の朝鮮人が多数逮捕された。逮捕のさい朝鮮人強盗団は包丁を振り回したり、催眠スプレーを吹きかけるなど、凶悪性が非常に高く、捜査員が短銃を発射したこともあった。

 一世を風靡した東京・芝浦の大型ディスコ『ジュリアナ東京』の名物、“お立ち台”の撤去が話題になった。お立ち台とは、ボディコンファッションの女性たちが扇子片手に乱舞するという高さ120センチの舞台のこと。約30人が一緒に踊れ、目立ちたがりの踊り手と、それを喜ぶ観客との一体感を生み出す場である。91年5月にオープンして以来勢いは衰えず、93年に入ってからも一日の入場客数は約1000人、週末には数千人を数えた。扇子や関連CDなど独自の流行を作り、若者風俗として海外メディアでも取り上げられたほどであった。だがどんどん過激になっていく現状に経営会社は頭を痛め、ついに9月、元凶であるお立ち台の撤去を表明、11月には名物施設も消えてしまった。

 別の意味で世間を騒がせたのが“ブルセラ”である。ブルセラショップとは、女子高生が着ていたブルマーやセーラー服、使用済みの下着などを販売するアダルトショップのこと。警視庁によれば93年以前から存在し、都内だけで20軒以上あったという。8月、警視庁がこのうち2店舗と2経営者を古物営業法違反で摘発したことから話題となった。
 この摘発時に補導された女子高生は90人にのぼり、「使用済みの下着を売ることはアルバイトのひとつ」という、娼婦一歩手前の倫理観が問題となり、さまざまな意見が論じられた。しかしその後問題となる、たった数万円で簡単に性交渉に応じる女子中高校生の“援助交際”に比べれば、まだ可愛い方だったのかもしれない。

 今ではスーパーやコンビニエンスストアでよく見かける“ナタデココ”だが、93年は品切れ続出となるほどブームに火がついた。低カロリーで食物繊維が豊富ということで、若い女性を中心に人気が広まった。デザートではティラミス以来のヒットということで、新商品が続々とお目見えした。

 90年代を語る上で欠かせないのが、芸能人の“ヘアヌード写真集”である。宮沢りえの『サンタフェ』が150万部を越える大ベストセラーとなったことをうけてか、続々とヘアヌード写真集を出版する芸能人が現れた。93年は大竹しのぶ、石田りえ、杉本彩、山本リンダ、デビ夫人などが発表している。いずれの写真集も芸能人が陰毛を露出しているということもあり、そのワイセツ性が話題となった。今でこそ陰毛を出す、などというのは自然な(?)ヌード写真だが、こういうブームが起きる前は、リンゴなど果物などを持って隠すのが一般的であったため、このようなタブーを破ったヘアヌード写真集の出版は、世間に与えた衝撃が大きかった。

ゲーム

  • 3月12日、伝説のオウガバトル(SFC)発売。
  • 7月10日、天外魔境 風雲カブキ伝(PCE)発売。
  • 7月23日、第3次スーパーロボット大戦(SFC)発売。
  • 8月27日、樹帝戦記(SFC)発売。
  • 10月29日、悪魔城ドラキュラX 血の輪廻(PCE)発売。
  • 12月10日、ロマンシング サ・ガ2(SFC)発売。
  • 12月22日、イース4 The Dawn of Ys(PCE)発売。

 前年と同じく、あいかわらずスーパーファミコンの強い年だった。中でも『伝説のオウガバトル』はグラフィックの美麗さで他を圧倒、さらにそのゲームの完成度が高く評価され、一躍人気ソフトとなる。『第3次スーパーロボット大戦』は、発売当初こそ話題にはならなかったが、電撃スーパーファミコン誌上で高い評価を受け、徐々に人気が上がっていった。しかし初回出荷数が少なかったため、人気が出たときには手に入りにくい状態になってしまい、中古価格が高騰するなどの問題が発生した。
 PCエンジンはCD-ROMということもあり、声優の起用やアニメシーンをふんだんに盛り込んだゲームが多く発売された。一番注目を浴びたのが、『天外魔境2』の人気キャラクター・カブキ団十郎を主役にした『風雲カブキ伝』だったが、『天外魔境2』に比べてゲームの出来が悪いということで、当時はあまり良い評価は受けてなかったように思う。その後、「アーケードカード専用で天外魔境3を発売する」などとハドソンはアナウンスし始めるのだが、結局それは実現されることはなかった。ハドソンを信じてアーケードカードを買った天外魔境ファンをあっさり裏切ったこのおこないが、因果応報となって現在に響いているのだろう。

漫画・アニメ

  • 機動戦士Vガンダム放映開始。
  • スラムダンク放映開始。

 93年はテレビアニメに久々にガンダムシリーズが帰ってきた年である。キー局が名古屋テレビからテレビ朝日に移って、ガンダムシリーズの最新作『機動戦士V(ヴィクトリー)ガンダム』が放映された。ガンダムの原作者である富野由悠季監督の久々の新作でもあったが、視聴率がふるわず、当然プラモデルの売り上げも散々だったため、バンダイは番組制作に深く介入してくるようになる。劇中に登場するバイク艦や、次回作の『Gガンダム』に見られる、ガンダムしか出てこないガンダムは、バンダイのプロデューサー発案によるものと、富野監督は後年語っている。

 一方、週刊少年ジャンプは、やはり前年と同じく、『ドラゴンボール』『スラムダンク』『幽遊白書』の3本柱で安定期にあった。それに加え、『ドラゴンボール』を抜く勢いすらあった『スラムダンク』がテレビ朝日系列でアニメが放映開始と、ますます勢いづいた時期でもある。
 注目すべきは和月伸宏の読み切り『るろうに』で、これはその後連載されることになる『るろうに剣心』の前身だ。今後ジャンプを引っ張っていくこととなる作品は、この年に生まれていた。その他には桐山光侍の『忍空』や、ガモウひろしの『とっても!ラッキーマン』など、新たな作家が次々にジャンプに入ってきている。

 こうした若手が人気を得るなか、苦しい立場に置かれたのが、やはり80年代のジャンプを支えたベテラン作家勢で、高橋陽一の『チビ』や、宮下あきらの『瑪羅門の家族』、北条司の『こもれ陽の下で…』など、かつてのヒットメーカーの作品は、爆発的な人気を得ることはなかった。発行部数も伸び、安定期ではあったものの、その中身は着実に世代交代が始まっていた、と言えるだろう。


最終更新:2018年12月22日 16:40