アットウィキロゴ

張禕

張禕 ちょうい

?-?
唐末・五代の官人。字は冠章。張毅夫の子。張正甫の孫。汴州従事、戸部判官から始まり、藍田県の尉、集賢校理となる。趙隱が浙西節度使に、劉鄴が淮南節度使となると辟署されて賓佐となる。監察御史から左補闕に遷り、乾符年間(874-879)翰林学士、中書舎人となる。黄巣の乱で僖宗が蜀に逃れると、工部侍郎、判戸部事となる。江淮から帰還するも、当塗県の者と諍いをおこし、太子賓客、左散騎常侍に改められ、吏部侍郎、刑部・兵部尚書を歴任した。昭宗が華州にいた時、韓建に嫌われて衡州司馬に左遷された。昭宗が長安に戻ると礼部尚書、太常卿、充礼儀使となり、兵部尚書に遷った。天祐元年(904)八月、昭宗が弑逆されると、河中の朱全忠のもとに告哀に派遣された。同年十月、陸扆と共に一子に八品正員官を与えられ、自身も加階した。天祐二年(905)四月、裴枢独孤損張全義王溥裴贄らと共に和陵斂葬の労によって一子に八品正員官を賜った。唐が禅譲して朱全忠が即位すると、朱全忠は唐の旧臣に諸公の推戴の力があったと述べると、楊渉張文蔚らは俯いて何も答えることができなかったが、蘇循・張禕・薛貽矩は梁王朱全忠の功徳を称揚した発言を行った。『旧唐書』に伝がある。

列伝

『旧唐書』巻一百六十二 列伝第一百一十二 張正甫 毅夫子禕

外部リンク

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2026年08月25日 23:52
ツールボックス

下から選んでください:

新しいページを作成する
ヘルプ / FAQ もご覧ください。