そして輝きは続く◆j893VYBPfU


かつてヘイゼルと呼ばれた暗殺者は、
今はパッフェルと呼ばれる自由人は、
夕焼けにより朱に染まった平原を
駆ける、駈ける、翔ける。


ただ、ひたすらに―――。


その豊かな双胸を躍動的に弾ませ。
後ろで無造作に束ねた髪を揺らし。
時には地を蹴り、岩石を飛び越え。
周囲の草葉を散らし、砂埃を捲き上げつつ。
その駆け抜ける勢いは全く衰えることなく、
瞬く間に目的の森へと辿り付いたが。


そこで見たものは、夕日よりさらに紅く――。


むしろ禍々しいまでの紅蓮一色に染まった、
緑生い茂る森林である事を止めた光景であった。


「うっひゃあぁぁぁぁ…。」


パッフェルは、天空をも焦がさんとする
地獄の劫火とも言うべき光景に呆然と、
ただ茫然と立ちすくんでいた。

北側にネスティがいることをイスラ達から聞き、
先程から延々と駆けずり回ってはいるのだが…。
これまでに見つけたものは見知らぬ男の死体と、
不可解も極まる戦闘跡。今度は天空をも覆う黒煙。
もしやネスティに関わりの有る事かもしれぬと思い、
急ぎ駆けつけては見たのだが…。


「これは、ちょおっと通れそうにありませんねぇー。」


この凄絶な光景の感想にしては、実に緊張感に欠けた口調で、
パッフェルは困惑の笑顔を浮かべながら独り言を呟いてた。

今まさに森林を焼き尽くしている炎の渦はうねり、
その侵入者を拒まんと轟音をたて揺らめいている。
樹齢数十年はある巨大な木々は燃え盛る炎に屈し、
乾いた悲鳴を上げて次々とその地に横たわる。
生い茂る緑の草原は今や紅蓮を纏い、
小気味よい音を弾けさせていた。


全ては赤一色。炎、焔――。
そのかつて森林だった緑溢れる地域は、赤き灼熱地獄と化していた。
無論、その中に飛び込めばパッフェルとてすぐさま焼き尽くされるだろう。

そして炎を上手く避ける事が出来た場合でも。

上空には燃え盛る火炎を祝福するかのように、
死の黒煙がもうもうと舞い上がっている。
燃え盛る火炎と舞い上がる黒煙という双子の死神を避けて、
この森林を駆け抜けての捜索など到底不可能である。

黒煙に巻き込まれれば立ち所に意識を失い、
火炎に巻き込まれればその身を焦がすのだから。
その二つからなる死の腕は、パッフェルの健脚をも凌駕する。

つまり、あの中にもし誰かがいようとそれは手遅れなのであり、
危険を冒して踏み込もうとも、それは無駄死にするだけである。


――この身を焦がすのは、あの子への想いだけで充分ですからねー。


そういった考えが、パッフェルに森林への踏み込みを留まらせた。
この現場にいた何者かに生存の可能性があるとすれば、
火勢が致命的なものになる前にC-4の橋を駆け抜けるか、
あるいは西側のC-6の城に避難しているかしなければならない。

自らがどうしてもこのエリアを通りたいなら、
今はその火のおさまるのを待つしかないのだ。


「…仕方がありませんねー。じゃ、引き返しますかー。」


パッフェルは実にのんびりとした口調で呟く。
だが、その口調とは裏腹に、心が焦燥感も満ちている事は、
その噛み締めた下唇を見れば誰にでも気付くようなものであり、
そしてその独り言はむしろ自分に言い聞かせるものであった。

指を咥えてただ待つのも、無駄に危険を冒すのも、
性には合わない。何より時間と生命を浪費したくはない。
恩師に拾い出され、ようやく意味を得たこの生命。
今度は大事なあの子の為に、大切に使いたいのだから。

ならば今はネスティの生存の可能性を信じ、
近辺の捜索を再開するしか今出来る事はない。
あのヴォルマルフによる“放送”とやらを信じるのであれば、
逆を言えばネスティはまだ生存している事にもなるのだから。

その場合の、ネスティが取るであろう行動を考えてみる。
C-4の橋を駆け抜けていなければ、やはりC-6の城辺りに身を潜めているか、
火傷した身体を冷やしにC-5の海岸付近にいる可能性が高いだろう。
(それは非常に危険な行為だが、素人判断ではあり得る事である。)
西側のC-3の村の捜索は、その後に行えばいい。

ただし、その際はイスラの発言にあった近辺に潜む“襲撃者達”
に対する警戒も同時に行わなくてはならないのだが。
そして、これだけの火災が行われた以上、
“放火魔”もまたすぐ近くにいるのは間違いない。
その際に伴う余分な労力と危険性を想像し、
パッフェルは心底うんざりした顔で溜息を洩らした。

“放火魔”がネスティである可能性も一瞬考えたが、その考えは即座に否定する。

もし彼にそれだけの力を引き出せる支給品が宛がわれているとしても、
絵に描いたような、“常識人”の鑑のような、あの堅物青年の事である。
たとえ追い詰められようとも、彼が自然を蔑ろにするとは考えにくい。

それに彼がもし仮に自然を軽視している場合なら、
逆に最初の襲撃を受けた際にこのような力があれば
最初から使っている筈なのである。

だからこそ、どちらにせよ“放火魔”がネスティであることはありえない。
そして、この火災を引き起こした存在は、
厄介な事に“襲撃者達”とも違うのだろう。
理由はネスティが火災の犯人でない事と同じく。
第一、奇襲を仕掛けた側からすれば、もっと躊躇いはないはずである。
火災に巻き込まれる恐れがあるとしても、逃げ道などいくらでもあるのだから。

そうなれば、つまりは“第三の危険人物”がこの森近辺を徘徊している事を意味する。


「それに、こんなところで放火魔とバッタリだなんて、私はごめんですからねー。」

その気の抜けたような独り言とは裏腹に、
張り詰めた表情で警戒態勢を取りながら、
パッフェルは早々と踵を返した。


          ◇          ◇


パッフェルが海岸沿いにネスティを捜索してしばらくしてからの事。

「って、あれ?あんなところに…。」

行きがけの道筋と少し外れていた為気がつかなかったが、
火災発生場所から少し離れた海岸に、赤い衣装を着た少女の遺体が横たわっていた。
少女が既に死んでいるのは、遠目から見ても呼吸によって上下しない胸と、
なにより血塗れになっている衣装から見ても明らかである。
そして何よりそれは見たことのある、とても見覚えのあるものであったが故に。

ベルフラウ…。」

だが、違う。
自分が“知っている”ベルフラウとは、明らかに違う。
いや、“知っていた”彼女とあまりにも酷似していたが故に。
そして、パッフェルはその死体を見て、一つの確信を得るに至る。
つまり、彼女はアズリアと同じく…。

「…うわあー。やっぱり、想像通りなのですねー。」

やはり、時間を超えてベルフラウもまた召喚されていたのだろう。
もしかすると、アメルビジュさえもそうだったのかもしれない。
そして、その召喚された頃の彼女は無力な子供であったが故に、
凶漢に不意打ちを受けて殺害された。そう推測される。

彼女に抵抗した様子は、ほとんど見受けられなかった。
せめてその凶漢をその瞳に焼きつけようと眼を見開き、
抗議するような表情からも、それは充分に感じられた。

ベルフラウもまた、自分のように若返ったという可能性も考えたが、すぐに否定する。
自分の知る“現在の彼女”は強さが昔とは根本的に違い、それは自分を大きく凌駕する。
そのような存在がそう簡単に不意を付かれるとも、不覚を取るようにも思えないからだ。


ああー。頭がごちゃごちゃいたしますぅー。


この殺し合いの事。
首輪の解除方法の事。
ヴォルマルフ達の事。
源罪のディエルゴの事。
召喚された参加者達の事。
この孤島からの脱出の事。


考えるべき事は実に多過ぎ、それらは複雑に絡み合う。
いかな元暗殺者という凄まじい知的労働に従事していた
パッフェルであろうとも、脳の許容量には限度がある。

(標的に関する情報をかき集めて必要なものだけに編集し、
 その居場所や行動を調べ上げた上で確実にその命を奪う。
 その上で追跡者を振り切り、組織に帰還するまでが任務となる
 暗殺者の仕事とは、その身体能力以上に知性をも必要とされる。
 無思慮な殺人を行い、己の身はおろか組織さえも危険にさらす
“殺し屋”的な仕事は、“暗殺者”の最も軽蔑すべき所なのだ。)

だが。
だが、しかし。


それら全てを一旦は差し置いてでも。
最優先してなさねばならぬ事が、今出来てしまった。


これは、その現場…、もとい死体置場を見れば明白である。
そして、それは残念ながらネスティの捜索より優先すべきことであり、
恐らく自分にしか出来ない、あるいはあえてやろうとしない事である。
パッフェルは、その残された死体とその周囲を見渡して、
首を竦めて軽い溜息を吐く。


「でも、もうなんていうか見てられませんよねー。
 というか、色々と痛々しすぎますですよー。」


――素人さんがその場の思いつきで仕掛けた、雑過ぎる罠っていうのはね?


彼女にしては珍しい、まだ見ぬ敵に対する憎悪と侮蔑を込めた視線で、
彼女はその現場を睨みつけていた。

たとえ目の前にいる“ベルフラウ”が、自分の知る者とは別人だったとしても。
たとえ彼女を殺した者にそうせざるをえぬ程の、深い事情があったのだとしても。


――死体を弄び、そしてそれを餌に新しい死者を作ろうとする
  その底なしの悪意だけは、絶対に許せませんよね…。


死体のすぐ傍の砂浜には掘り起こした跡が僅かながらに残っており、
そして、この死体から南東の森にかけてはかすかに雫が零れ、
それが凝固した跡がいくつか点々と残っていた。
この砂浜で、ベルフラウの胸から鮮血が噴き出したにも関わらず。
それらの状況から推論出来る事と言えば。


――罠。


それも、ベルフラウの死体を餌にした。
ベルフラウの殺害犯は、彼女を首尾よく(?)殺した跡、
その死体を運搬してこの砂浜に置き、同時に罠を設置した。

それは、なにより現場が雄弁に語っていた。

おそらく彼女は暴漢に殺害されてから、
その凶器が心臓に突き刺さったままの状態で
この海岸にまで運ばれてきたのだろう。

“元栓”である凶器をすぐさま引き抜けば、
“蛇口”である心臓から鮮血は勢い良く噴き出すが故に。
血塗れの死体を運搬するほど、加害者は阿呆ではないだろうから。
そして砂浜の雫は、恐らくは貫通した凶器から僅かに滴ったもの。

そして罠の敷設が終わった後、凶器は引き抜かれたという事になる。
それは、周囲に血が撒き散らされた惨状から考えても明らかだ。

ベルフラウのその死体に殆ど抵抗した様子はなく、
それは不意討ちで倒された可能性が高い事を物語っている。


――現場に残された手掛かりから、犯人像を推測してみる。


戦闘能力は兎も角として、罠の設置や製作に関しては完全に素人。
少なくとも暗殺者や職業軍人、傭兵等の殺しを生業にはしていない。
その“仕事ぶり”が、あまりにも粗雑過ぎるからだ。

まずは死体の置き方が、余りにもあからさま過ぎる。
これ見よがしな場所に死体があっては、逆に警戒心しか生み出さないだろう。
自分が死体に罠を敷設する場合なら、隠した振りを装って上手く誘導を行い、
一見目立たぬ場所に死体と罠を仕掛けるだろう。
“死”が見せしめを伴わぬ限りは。


――あるいは、一つ相手にも注意すれば分かる程度に囮の罠を仕掛けて、
  それを回避した所に掛かる本命の罠を仕掛けるか、ですね。


元より、死体はなるべく発見を遅らせるよう隠すのが定石である。
意図的に発見させる有利より、発見された不利がはるかに優るからだ。
死体が見つかれば騒ぎは大きくなり、周囲に警戒網を引かれる以上、
暗殺者ならば標的の始末やその後の逃走は困難を極めることになる。

出来れば、死体など永久に発見されない事が望ましい。
“標的が死んだ”という情報すら与えないのが理想である。

何より、死体という仕事上に発生する最大の痕跡は、
その死因、死体の発見された時間、死体の置かれた状況等から
暗殺者の技量、性格、性別年齢、そして居場所にいたるまでを何より雄弁に語る。
そして、そこから個人を特定できる程の情報を引き出される事すら有り得るのだ。

それは、標的の暗殺後の逃走すらその仕事内容に
含まれる暗殺者ならもはや常識の範疇に含まれる。
殺しの仕事を最も効率的に行い、そして無事生還する為には、
“死体隠し”はもはや初歩と言っていいほどの事柄である。

斥候や密偵を用いたり、奇襲やゲリラ戦を行う事もある職業軍人や傭兵にした所で、
それは同等である。それが合戦場でない限り、死体はなるべく隠すべきものなのだ。
死体を晒すのは、恥を晒すのにも等しい。死を生業とするなら、当然の心得だ。

そして、近くに海という“死体隠し”に最適な場所がありながら
あえてそれを使わず、これ見よがしに死体を放置するというのは、
その見せるという行為自体に特別な意図がある事になる。

そして“見せしめ”なら、可能な限り衝撃的な形でその死体を破壊して、
周囲にその存在を知らしめる事だろう。判別の為、顔だけは綺麗にして。
だが、今回は見せしめにしては、余りにも死体の様子は大人しい。
その意図が“見せしめ”でなければ、おそらくは“罠”。
容易く想像が出来る事である。

支給品袋等あからさま過ぎるものに罠を隠さなかった事だけは評価するが、
置かれた状況が不自然過ぎる事に気付かないのは、やはり愚かという他ない。


――罠というものは、その“地形”の死角ではなく、“心”の死角にこそ
  仕掛けるべきものだって、以前は散々に教わりましたからねー。

あまり思い出したくもない過去をふと振り返り、パッフェルは苦笑いを浮かべる。
死体の作り方にしても、あまり褒められたものではない。
一息に心臓に刃物を突き立てるより、首の骨を折るなり
窒息させてしまう方が、死体はより綺麗なものとなる。
喉笛に釘等を突き入れて殺したまま、引き抜かず放置してもいい。
そこに考慮が至らない“死の専門家”はまず存在しない。

それなら遠方から見れば「生きているようにも見せかける」事すら可能だ。
さらに死に化粧でも施してやれば、しばらくはごまかしさえも効くだろう。
発見者が、自分のような殺しを生業としていなければ。
その黒い努力を怠るのは、仕手に思慮または経験が不足している事を意味する。

あるいは逆に意図的に死体に辱めを与え、過剰に解体してから首だけを切り離し、
殊更に目立たせてからその周辺に罠を仕掛けるといった手口もある。
「見せしめ」と思い込ませ、そこからさらに致命的な罠を仕掛けるのだ。

通常の死体ならともかく、そんな吐き気を催すような光景を見れば、
その被害者の親友や恋人や、道徳的な人間なら例え罠を気付いた所で、
丁重に葬ろうとして近寄りたくもなろうものだ。
下衆なやり方だが、そういう手口も二流以下の嗜虐的暗殺者は使用する。
だがこの中途半端な手際から考えるに、今回はそれにも当てはまらない。
玄人ならではの、徹底的な悪意やこだわりが抜け落ちているからだ。

だが、わざわざ死体を遠方から手間暇掛けて担ぎ出している辺り、
狂気に満ちた邪悪な人物である事だけは間違いない。

さらに現場を観察した所、死体を現場まで引き摺った様子はまるでない。
それが意味する事は、殺人犯は数十キロの死体の運搬を苦としない程の、
強靭な体力の持ち主であると言う事。
正直、これが女子供に可能なものとはあまり考えにくい。
外見とかけ離れた腕力が出せるような存在なら、話しは別だろうが。


――つまり、ここから導き出される犯人像は――


それは死者の尊厳に微塵も価値を感じない殺人鬼。
長距離に及ぶ死体運搬を全く苦としない事からも、
成人男性かそれ並の体力の持ち主であるという事。

この島の狂気に飲まれたか、それとも最初から狂っていたのか?
あるいはその両方を兼ねているかも知れないが、
正常な知性や判断力を残しているとは言い難い。
それは手際の稚拙さからも充分にうかがえる。

そして、その見苦しい手際から殺しの専門家ではない以上、
ベルフラウは不意を付かれ殺されたものだと推測する。
そうなる以上、不意を突き、油断を誘う術にはそれなりに長けている事になる。


――体力だけが取り柄の、経験の浅い見習い暗殺者って所でしょうかね?


それならこの中途半端さは頷ける。この殺人犯が“赤き手袋”に所属していたら、
良くてゼロから再教育、下手をすれば素質無しとして処分される事は間違いない。

成人男性の素人がベルフラウの隙を突くのは難しい。
ならば、油断されやすい女子供が犯人となるわけだが、
その場合は体力的な問題で困難という問題が発生する。


――それとも、薬物やそれに近い支給品等の効果で、
  身体能力が恐ろしいまでに上がっているとか?


これも、十分にあり得る事だ。
これなら身体的な抑圧が一時的に外れて常識外の筋力がひねり出せたり、
その引き換えに正常な判断能力が奪われ手際が雑になるのも納得はいく。
この条件なら、女子供でも長距離に渡る死体運搬は可能であろう。
そして、何より“やる気”だけは十分すぎる程にあるようだ。


――あるいは、その両方って事も考えられますけどね…。


パッフェルはこうしておおまかな犯人像を絞りこむと、改めて死体に対峙した。


          ◇          ◇


「……仕方ありません。先生が見つけちゃう前に、私で葬ってあげときましょっか。」


――危険は承知。だが、それでもやっぱり罠を探し出して解除を行い、彼女を丁重に葬る。

現場検証を行ってしばらくしてからの事。
それが、彼女の出した結論である。
有る程度賢しければ、素人でもここから罠を察する事は可能だろう。
この罠に引っ掛かるのは同じく素人であるか、
それともこの死体を深く知る存在のみである。
あとは「この先、罠注意」とでも書いた看板でも立てておけばよい。

――だが、あの先生ならば。
たとえ罠を察知していた所で、駆けよらずにはいられないだろう。
そして目の前の死体が、己の知る“ベルフラウ”と違うと知った所で
あえて野晒しの彼女を埋葬しに近づく事だろう。
パッフェルはいの一番に、この見え見えの罠に、それでもかかってしまう
あのお人好し過ぎる恩人の存在を想像せずには居られなかった。


――でも、まあ。それが先生のいい所でもあるんですけどねー。


近くに凄まじい力を持った存在がいるかも知れぬ中での、罠の解除。
当然、罠の解除中は精神はそちらに集中し、その姿は完全な無防備になる。
これが精神をどれだけ疲労させ、どれだけの重圧がかかる事か?
想像するだけで、背中に冷たい汗が流れる。

出来れば、放置しておきたい。
放置したい罠ではあるのだが。


――うっかりさんな先生の事考えれば、放っておけませんからねー。


そして、罠の設置などという玄人でも創意工夫に一苦労な行為をあえて行うということは――。


罠自体が支給品であり、それはきっと殺しの素人でも
食指が動くほどの、魅力的な代物――。
おそらくは必殺を期したものである事だけは間違いない。
罠というのは本来はあくまでも絡め手の一つであり、それ単体で殺すのが目的でない。
それ単体で殺戮を起こすのは、皆無ではないが滅多にない。
なにより、道具の準備に時間が掛かり過ぎる上に、費用もかさむ。

それに罠とはなるべく敵を生かさず殺さず、足手纏いや見せしめを生産し、
その動きを鈍らせ、心理的重圧を敵の仲間にも与え続けるのが主目的でる。
敵の戦闘力だけを削いでしまう事が出来れば、それが理想なのだが、
殺しの素人はそんな遠回しの地味な策は忌み嫌う所だろう。

常に暗殺後の敵の追跡から逃れる身だったものとしては、
死体隠しやその真逆の行為を知らない素人風情であれば、
まずそういった罠の本質にも考えが至らないだろう。
そして、安易な罠へとその思考は流れ付く。

ならば、放置するには余りにも危険すぎる代物となるだろう。
そして厄介な事に、その罠の種類だけは想像も付かない代物なのだ。


――分かっているのに、どうしても引かなきゃいけないババって、
  やっぱり物凄く嫌なものですよねー。


パッフェルは目の前に存在する不可視の死神を想像し、身震いを起こした。
何しろ、正体がつかめない以上解除は不可能であり、
無暗に近づくのは自殺行為にほかならぬからだ。

もし罠があるとすれば掘り起こされている辺りなのだろうが、
埋設されているが故に正体は分かりようがない。
砂浜なら猛毒を持つ蛇蠍の類や毒を塗り込んだ
撒き菱でもばら撒いておく事も出来るだろうが、
この島には全く生命の気配がない上に、
何より猛毒を持つ存在は喩え支給されていても、
素人の手には余る存在である。
それを安易に使おうなどとは、素人は決して考えない。
素人は、必要以上に毒というものに慎重になるからだ。
支給品に解毒剤が共になければ、なおさらであろう。


――素人でも興味を引き、なおかつ設置も極めて優しい代物。


それに限定される。しかも支給品である。
それはもはや見たことも聞いたこともない、
異世界の物質かもしれないのだ。

そもそも姿形すら知らないものを想像させられるという
あまりにも無理難題な苦行を脳に強要させることしばし。
パッフェルは一つの仮想に辿り着いた。


――んー。もしかすると、この爆弾の親戚筋のようなものでしょうかねー?


パッフェルは「スタングレネード」と書かれた支給品と、
その取扱い説明書を引き出し、そこに記されている内容を再確認していた。


「閃光手榴弾」

 非殺傷性の手榴弾。使い捨てだ。
 言葉に馴染みがなければ、お手製の爆発物とでも考えてもらえばいい。
 上部のピンを引き抜いた上で安全レバーを離せば、数秒後に破裂する。
 破裂地点を中心に凄まじい大音響と閃光を発生させ、
 敵の視覚と聴覚を狂わせて昏倒させる効果を持つ。

 同類の破片手榴弾や焼夷手榴弾と違い、破裂時の破片や火炎等で殺傷する事はなく、
 生まれるエネルギーも比較的軽微であるため、これ単体で傷を負わせる事は難しい。
 だが、己の身体能力や他の支給品との組み合わせ次第では大きく化ける事だろう。
 道具は何事も活かし方次第だ。これを上手く活用して、戦局を優位に運ぶといい。


恐らくはヴォルマルフによる解説なのだろうが、
この文面を信じる限り考えられる事が幾つかある。

一つは、「破片手榴弾」や「焼夷手榴弾」のような「破裂時の破片や火炎で殺傷する」、
「お手製の爆発物」が、この閃光手榴弾を作った世界と同じ世界に存在するという事。
当然、その同類の爆弾が支給品として他の参加者にも配布され、
それが罠として使用されている可能性を考慮に入れた方がいい。

今回もおそらくそれに当たるのだろう。

そして次に考えられる事。その同類をトラップとして使用する事は可能か?
パッフェル自身が持つ閃光手榴弾と、構造はほぼ同じものだと考えられる。
上部のピンを抜いた上で、「レバーを離し」さえすれば数秒後には爆発する。

ここから考えられる事が一つ。
発想を逆に考えるならば、例え上部のピンを抜いた所で
「安全レバーを離さない限りは、決して破裂しない」という事になる。
その性質を逆手に取れば、こういう事も可能となる。
たとえば「破片・焼夷手榴弾のピンだけを引き抜き、死体を下敷きにする」。
そうすれば、死体を抱き起こした時に罠は発動し、
その死体ともども焼き尽くす事も可能であろう。

ただし、正常な判断能力や知性を失っていると推測される、
しかも素人がそこまでの行為が出来るかどうかは疑わしい。
あくまでも可能性の一つと考えるべきである。

ならば、近寄るだけで勝手に作動するような、
もっともっと簡単で、もっともっと単純な罠かも知れない。
素人は考える努力を嫌う。その工夫を嫌う分、
その道具の扱い等も極めて単調なものとなる。
そして、極めて安易で目に見える効果や数字のみに目を奪われる性質がある。

それは暗殺稼業のみならず、他の世界にも共通して言える事だ。
ならば、単純であるが故に、解除は不可能なものと考えた方がいい。
素人の心を奪い、その為に死体を一つ製造する程のものであれば。
元より、解除するにもその類に関する知識が不足しているのだから。


――罠でよく使う、黒色火薬の樽を小さくして、威力をそのままにしたものでしょうか?
  だったら、何か適当なものをぶつけて、無理矢理作動させちゃうしかありませんよねー。


もし野良犬か野良猫でもこの島にいれば、
代わりに死体に向かわせて罠を発動させる事は出来るのだが。
だが、今傍にないものを考えても、それは詮無き事だ。


罠の存在が一番考えられる地点としては、死体の真下。
死体の体内に罠を仕込むのは、素人には不可能だろう。
あるいは、そのすぐ傍の掘り起こしたような跡周辺。
それ以外に、罠を隠せそうな場所は存在しない。

そこに近づくか、あるいは触ってしまえば罠は発動するのだろう。
罠が正体不明の危険物である以上、危険を冒して近づきたくない。
だったら――。


――じゃあ、ちゃっちゃと片してしまいましょうか。


パッフェルはそう判断すると、
支給された時にその弦を除去した楽器を取り出す。
そして女の細腕でこれを投擲出来る、およそ限界の距離を取る。
自分が近づけないなら、代わりになる道具を近づけて、
あるいはぶつけてしまえばいい。
至極単純な話である。

まず確かめるべきは、一番可能性の高い堀り起こした跡。

パッフェルは大きく振り被り、死体傍にある掘り起こした跡に向けて、
叩きつけるようにそれを勢い良く投げつける。
そしてそれは見事な放物線を描き、砂の中にある“何か”に当たり
ゴツリと盛大な音を立て―――。



――――閃光。



暴風、衝撃波、そして撒き散らされる破片。
鼓膜を破るのではないと思われる程の大音響。
周辺の土砂が天空に向けて柱を築きあげ、
ベルフラウの死体のすぐ傍を中心に、
巨大な死の厄災が撒き散らされる。

だが、あらかじめそれを予期していたパッフェルは、
楽器を投擲するのとほぼ同時に地に伏せていた。
“振動感知式爆弾”という名の現代の死神は、
パッフェルの挑発を看過できずにその鎌を振り下ろし、
その背を撫でるように掠めていく。


―― 一発でビンゴ、でしたか。でもあまり嬉しいものでもありませんね…。


やがて、砂煙に覆われた視界が晴れ渡る。

視界を覆うほどの土砂の豪雨に交じって降り注ぐ、
赤黒い滑りと粘着性を帯びた何かの欠片。
それは、かつてベルフラウだったものの肉塊であった。
周囲に散らばる金の糸は、彼女の長い髪。
脳髄、眼球、肋骨、胃腸、皮膚と筋繊維。残された僅かな血潮。
それらが不均一の大きさで、ぱらぱらと砂浜に降り注ぐ。

その何処か滑稽な、そして猟奇的に過ぎる凄惨な光景は、
罠を見破ったパッフェルの手際を、なおも嘲笑しているようでもあった。
その推測は見事であると。だが、死体を壊した原因は貴様にあるのだと。
パッフェルはその事実から来る居た堪れなさに、歯噛みする。


だが、その降り注ぐものの中に。


一切の形を変えず。満月の下で鈍く輝き続けるものがあった。


『首輪』。


その死体を原型をとどめず破壊しつくした厄災の中心地にあっても、
爆発はおろか、一切の形さえ変えなかった、
この殺し合いの核であり、枷でもある、首輪。
それはまさにこの舞台を破壊する事の難しさをも物語るものであった。


だが、しかし。
それでもこのゲームを破壊する事を、諦める訳にはいかない。
生存を諦めてしまえば、全てが終わってしまうから。


それは自分だけでなく、恩人も、仲間も、そしてこの世界自体も。
だからこそ、決して諦めたりはしない。


首輪の内側には、ご丁寧にも「ベルフラウ・マルティーニ」
という銘が純金で刻まれていた。悪趣味も極まる趣向である。
だがその刻まれたその名の重みは、こう語りかけるようにも感じた。


――お気にせずとも結構ですわ。パッフェル。

――私の方こそ、ずっと貴方達の事を心配しておりましたの。
  それに、この私がご入り用なのでしょう?
  だったら、私を連れて行って下さらないこと?
  この私も、まだまだ皆様のお役に立ちたいですから。


夥しい血糊と脂肪に塗れながら尚、全く色褪せぬその輝きは。
この夜空に輝くの満天の星よりも尚、力強く輝く“ベルフラウ”の名は。
死してなお、不屈の闘志を、不滅の炎の意志で以てこちらに訴えかける。


…って、こんな都合のいい解釈、ベルフラウも怒りますわよね?
でも、その貴方の首輪。決して、無駄にはしないですよ。
だから、安心して眠って下さいな。


パッフェルはその首輪を拾い上げ、静かに黙祷を捧げると
その現場からいち早く駆け去った。
“襲撃者達”が、今の大爆発に気付かぬはずがないからだ。
ならば、彼らに見つかる前に立ち去るに限る。

ネスティがやってくる可能性も一瞬考えたが、
当の追われる身であるネスティが人目に付く位置に
わざわざ顔を出すのは、まずありえないだろう。

そしてなにより、このような場でいつまでも感傷に浸る暇はない。
そのような事をしていれば、当のベルフラウにさえ叱られてしまうだろうから。


――本当は、死体をかき集めて埋葬くらいはして上げたかったのですが…。


――しばらくは、そのままで我慢してくださいね。


パッフェルは静かに駆ける。
そして、速やかに平原を立ち去る。
立ち止まりなど許されぬが故に。

己に生きる場所と意味を与えた、恩人の為に。
共に災難に立ち向かった、掛け替えのない仲間達の為に。
人を信じる心を思い出させてくれた、愛する人の為に。
私が心より愛する者達が住まう、この世界の存続の為に。


――そして、志半ばで死した者達の、無念を晴らす為に。


昔とは違う。今は、決して一人だけではない。
その胸には、様々な人達の思いを背負っているのだ。
だからこそ、立ち止まってはならない。ならないのだ。
それらの意志を抱いたパッフェルの俊足は、
まさに疾風の如きものであった。



【C-5/平原(海岸近く)/初日・夜(臨時放送直前)】
【パッフェル@サモンナイト2】
[状態]:健康。身体的疲労(中度) 、罠解除の重圧による精神的疲労(重度)
[装備]:エレキギター弦x6、スタングレネードx5、
[道具]:血塗れのカレーキャンディ×1、支給品一式×2(食料を1食分消費)
    ベルフラウの首輪、支給品入れはバスケット&デイパック
[思考]1:火災が沈静次第、ネスティの探索及び手がかりの調査を行う。
    2:ひとまず城の書斎を調べて、休息の合間にこれまでの考察をメモに纏めたい。
    3:アティ・マグナを探す(その他の仲間含め、接触は慎重に行う)
    4:見知らぬ人間と遭遇時、基本的には馴れ合うことは無い
    5:近辺にいるはずの“襲撃者達”と、第三の放火魔を警戒する。
[備考]:放送内容は全て把握。参加者名簿と地図にそれぞれ死者と禁止エリアの記入をしました。
    参加者達は、それぞれ別々の世界・時間から集められていると確信しました。
    水や食料などすぐに使わないものはデイパックに一括して移しています。
    ベルフラウを殺害した犯人は“殺しの素人”であると、ある程度の憶測を立てています。

    ※ベルフラウの死体は爆発で四散しました。爆心地には血溜まりとその肉片が散らばってます。
     振動感知式爆弾の爆音が響き渡りました。隣接したエリアにいれば聞こえる可能性があります。

096 臨時放送・裏Ⅱ 投下順 098 ハイ・プレッシャー
096 臨時放送・裏Ⅱ 時系列順 101 Legion
089 若さの秘訣 パッフェル 107 悪の軍団
最終更新:2011年01月28日 14:44