いつのまにかレオニダス学生は、学院に巣を作っていた。
今ではアムリウスの教員室から、レオニダス学生が上級研究課程棟にこしらえた巣に赴くありさまだった。
レオニダス学生は、ひとりで来させるような無礼などできませんよ、と言いつつ、アムリウスの教員室を訪れる。その時に書類を入れた鞄は離さず持ち来ている。
「いったいどうやって場所を割かせたんだ」
アムリウスが問うと、先を歩くレオニダス学生は何事も無いように肩をすくめる。
「教員室で行うことは、アムリウス神父と学院の本務を妨げることになる、と申し上げたんです。そうなると軍大にお呼びするのが筋になる。しかしそれでは初期のお約束を違えることになる・・・・・・」
どんなお約束とやらをしたのやら、とアムリウスは思う。レオニダス学生は続ける。
「・・・・・・と、なると、ここに場所をお借りするのが最良となります。そうお願いしただけです」
上級研究課程棟の端に、その巣、お借りした部屋なるものがあった。学院は、今ある形が作り上げられた形ではない。まだまだ作られゆかねばならない。学科と学科の間で施設の使い方について考えの違いもあれば、施設を管理し、施設建設を行う側とも考え方が違ってくる。そうして、ぽつねんと空いてしまった小倉庫の一つをうまうまと占有するなど、どういうことだと思う。
レオニダス学生が借りだした倉庫室前の廊下には、運び出されたままの荷物が積み上げられており、構う様子も無くレオニダス学生は、倉庫室の扉を叩く。応じて出てくるのは、修道会の僧だ。
「お待ちしておりました」
一応、施設課は、軍に倉庫室を占有させているのではなく、必要に応じて貸し出しているという体裁を保っているのだろう。レオニダス学生とアムリウスが部屋に入ると、入れ違いのように僧は頭を垂れて部屋を出てゆく。
倉庫室はアムリウスの教員室より小さい。棚のほとんどは空になっているが、一カ所だけ、茶道具が置かれている。部屋の真ん中には長机が寄せれ並べられている。長さだけでなく幅を使うためだ。レオニダス学生は鞄を置き、そこから書類と地図を取りだした。
この手のこまごました用意は、レオニダス学生の得意であるらしい。事前に取りまとめた資料は、それなりに当を得たものであるし、彼の地図にはすでに多くの書き込みがされている。
「この地図は、どうやって作ったんだ?」
以前から思っていたが、問うたことはなかった。レオニダス学生は紙を広げながら応じる。
「地図自体には教育用の原版があります。大判の版木があるので、請求が許可されれば必要なだけ作られます。ただし地図自体も、閲覧制限がつきます。アムリウス神父については許諾を得ました」
「なるほど」
こうして見降ろす日が来るとは思わなかった。地図は、帝都北方を示すもので、部隊の進出が、日付を切って記入されている。
見降ろしているだけなのに、あの時の思いが蘇える。進む軍勢の巻きたてる砂塵のざらつきを舌先に思い出す。すでに不安はあった。
北方辺境乾坤一擲のあの進撃は、しかし思った以上に進んでいなかった。本来は強行軍で帝都を目指すべきであったけれど、初めから滞り気味だった。北方辺境侯はあきらかに苛立っていたが、共にいる教会の者らにはそれを見せなかった。アムリウスはかぶりを振る。
「先週はどこまでやったか?」
「ヴィルミヘ河屈曲部到達の近辺です。北方軍前衛は、マグヌス将軍の騎兵部隊と接触し、交戦がはじまった」
レオニダス学生は地図を示す。
「空中からの前路偵察は行われていなかったところまではすでに伺っています」
「当時の認識では、空中からの前路偵察など行う必要が無かった。またマグヌス将軍の大返しも知りえなかった」
「・・・・・・」
レオニダス学生は何か言いたげに、片方の眉を上げる。アムリウスは問う。
「聞きたいことがあれば聞くべきだろう」
その言葉にうなずき、レオニダス学生は言う。
「政治的要素を考えただけです。政治的制限と、軍事的合理性の相克は、もちろん興味深いのですが、ここで問えばそれが主題になりかねないと思いました。政治的理由の排除はあえて行いません。その意味で問います。政治的な理由はありましたか」
「教会側との関係で、機神の後ろ盾があった方がより有利だったのは事実だ。だがそれは大きな理由ではない。戦闘によって前進が妨げられていたのなら、敵の間隙を突くために前方偵察は必要だが、あの場合はむしろ、内的な摩擦で前進が遅れていた」
「了解しました」
あの時、教会側有力者の一部も、北方軍本部とともに帝都を目指していた。ゴーラのことわざでいうのなら、スカニアとヴィーキアで同じ船に乗る、というところだったろう。グスタファス北方辺境侯は、俗界の頂に立とうとし、またそこに至るに足るものとして、機神の力を手元に望んでいた。教会側は聖界の権威をもって君臨しようとし、そして俗界の北方辺境侯を従えるほどの「貸し」を作るために、帝都に策動の種をまいていた。
そしてそれが大きな、決定的と言っていい失策であることに、誰も気付かずにいた。
「・・・・・・」
教会側が自ら犯した失策の波紋に気付かぬのとは裏腹に、皇帝軍の動きは早かった。中でもその尖兵、マグヌス将軍の騎兵部隊の大返しは水際立っていた。騎兵部隊はほぼ自力で南方から中央まで折り返しており、機装甲などの重装備は、河川で遡上していた。アムリウスは問う。
「マグヌス将軍の部隊装備の消耗は?」
「記憶でしかありませんが、次回までには補っておきます。最終的に馬の四割を喪失していたはずです」
「それでは部隊戦闘力を維持できないはずだが」
「馬匹と戦力は必ずしも一致しません。騎兵の馬匹は消耗前提です。馬匹予備は戦闘力ではなく、機動力を示します。資料にあたったわけではないので自分の推測ですが、南方戦役でマグヌス元帥の馬匹予備はほぼなくなっていたと思っています」
ただし、とレオニダス学生は続けた。
「中央で馬匹の補充を行っています。馬の消耗を座視してでも、戦闘可能な部隊を帝都に到達させることを最優先させたのでしょう。マグヌス元帥らしい果敢さなのだと思います」
結局、マグヌス将軍は間に合った。マグヌス将軍は、この大返しの功績、さらに続く内戦の功績を高く評価され、今では元帥となっている。アムリウスは問う。
「この大返しの素となった情報は何だろうな」
マグヌス将軍のみならず、皇帝軍の動きはかなり早かったと感じていた。
北方のいわゆる決起が布告されたのは、軍勢統合のぎりぎり直前となってからだ。北方辺境自体は、リランディア陛下の登極に伴う南方辺境の離反を受けて、諸侯動員を進めていた。
ゴーラ帝国に対する北方の守りを任ずるのが、北方辺境の栄誉ある任務だった。
東方辺境と南方辺境の諍いが、教会によって全帝國に染み出し、大乱となるなら、北方辺境もまた、本来の任である北方防備のために諸侯動員を進めるのは当然のことだ。
その軍勢を帝國に向けるというのは、まさに蒼天の霹靂だった。それは長い長い冬の先ぶれとなる雷鳴だった。北方辺境侯という人の口から放たれ、帝國の空を響き渡った。雷光で雲の様相が明るく浮き立つように、それを聞いた人の心模様もざわめきとなって鮮やかに浮き立った。あのとき、あの場に己はいたのだと、アムリウスは今になって静かに思い起こす。それを、いつ、どのようにして皇帝軍は知りえたのだろう。
「わかりません」
レオニダス学生は応じる。
「帝都と皇帝軍本部との間に密接な連絡があったことはわかっています。どのような連絡があったのかは、今でも最高機密です」
「・・・・・・」
今、思い返したとしても、過ぎ去ったことが覆せるわけではない。これは覆しえたかどうかを考える場でもない。あれから、己の前に在ったのは、終わりなき戦いそのものであり、それこそが、すべてとなった。思いにならない思いが胸を行き交う。思い起こすには長すぎ、激しすぎる日々だった。押し込められて、一塊にされたそれらの日々は、呼び起こそうとすると、絡み合ったまま浮かび上がろうとする。後悔でも怒りでもなく、鎮められてしかるべき荒ぶる魂かもしれない。
「・・・・・・」
そのアムリウスの前に、茶杯が滑り出される。
「ありがとう」
「いいえ」
「話をもどそう。質問の続きを」
はい、とうなずいてレオニダス学生は地図を示す。マグヌス将軍はヴィルミヘ河屈曲部を利用した防衛線を構築し、それが、ついに北方辺境の越えられなかった関となった。
「この時にもまだ、モノケロスが飛んだ記録は皇帝軍側にはありません」
「事実、飛ばなかった」
アムリウスは応じる。
「架橋段列の到着が遅れていた。そこでモノケロスだけが超越渡河を行っても意味が無い」
「側面偵察は?」
レオニダス学生の示す指は、屈曲部の外側を回り、帝都を目指す道を示す。アムリウスは応じる。
「行軍と集結が遅れていた。偵察を行っても前進させる戦力が無い。防御に意味は無い。帝都を獲得しなければ意味が無いのだから」
「この時のモノケロスの配置は?」
「本陣だ。この時にはまだ機神を独立した戦闘単位として運用する構想はなかった。それを行い、見せつけたのは皇帝軍のほうだ。それを北方軍で行おうとすれば、黄色中隊となった」
黄色中隊が実際に編成されるのはさらに後になってからだ。またこの時点での北方軍の動きは、皇帝軍に比べて、やや見劣りする。精強とはいえ北方辺境の枠でのみいくさをとらえていた弱みがあった。レオニダス学生は言う。
「北方辺境軍の適応は恐るべきものです。この時には帝國軍の機動に追従し得ませんでしたが、翌春以降の機動戦闘では、たびたび皇帝軍の予測を裏切り、突破の機を得ています」
「そしてそのたびに、皇帝軍に阻止された」
皇帝軍と教会軍の帝國全土にわたる戦いが、教会軍に傾いていたならば、あるいは諸外国からより強い干渉があったならば、帝都正面の戦いは様相を変えたことは、無いとは言えない。だがあったともアムリウスには思えない。今となってはそう思える。だが、いくさのさなかにあっては、それによって、皇帝軍の一部を吸引せしめ、さらに機動を併用して帝國軍を突破帝都に迫ることは、叶うかのごとく言われていた。果たし得ない夢であったかもしれないけれど。
「話が広がりすぎました」
レオニダス学生が言う。
「モノケロスの運用に話を絞りましょう。飛行戦闘はこの時全く考えていなかった、ということですか。本部の魔晶石集積を含めて、その備えが無かった、と」
「その通りだ。何の備えも無かった。機神をどのように運用するかだけでなく、モノケロスを用いてどう戦うか、についても確固とした考えは無かった。どう言えばいいかな・・・・・・」
アムリウスは腕を組む。
「機能の優位を、戦力にする術を体得する場が無かった、というのが正しいかと思う。武術の教える体捌きや間合いは、相互いに地に立ってのものだ。飛べば、それは大きく変わる」
「では、その礎は武術であるということですか」
「機神で敵を倒す動きは、つまるところ体を使って敵を倒す動きをするということだ。魔力の投射にも体得した同じものから行う」
「・・・・・・兵法魔術的な体得、ですか」
「その表現は近い。」
「・・・・・・」
レオニダス学生は考えるふうだ。しかしその程度聞かされたとして、己のものにできるものなどいない。アムリウス自身もまた、それを体得したのは、いくつかの戦いのあと、でだ。はっきりと言えば、近衛軍を率いるレギナ・アトレータと戦ってからだ。宙を駆けるように飛び来て、あの大帝の剣を振るう姿は、アムリウスを倒すより前に、アムリウスの思い込みを砕いた。
間合いをはるかに超えたところから、一気に跳躍し、僅かに舞い下りながら、同時に横なぎに大帝の剣を振るう。それ自体が必滅の技だった。あの剣を受けては、以降、受けしのぐだけで手いっぱいとなり、やがて、撃ち滅ぼされていたはずだ。
躱しえたのは、アムリウスのモノケロスが飛翔する機神だったからだ。魔力をもって何もかも薙ぎ倒す一閃を、飛翔することで飛び躱した。着地したレギナ・アトレータが間髪入れずに地を蹴り、同時に下段から薙ぎ上げる剣を、上空から迎え撃って斬り伏せる。
考えれば、無茶もいいところだった。しかしとっさのあの動きがなければ、アムリウスはいまここにいないし、北方軍のその後もどうなったかは知れない。アムリウスのその動きは身に着けたものから花開いたもので、考え込んで成したものではない。最強の敵は、最強の武器を鍛える鎚となる。レオニダス学生は顔を上げる。
「実演、は無理ですね」
「もちろん」
それは機神をもって行わねばならない。
「わかりました」と、レオニダス学生は応じる。
「今は、アムリウス神父と北方軍が、いくさの進展とともに何を得ていったかのほうを、明らかにしてゆきたいと思います」
アムリウスはうなずいた。
あの時に起きたことが、内戦を通じて長く長く尾を引き、そうしながら十年ものいくさが行われた。あの時に起きたことはあまりにも多すぎる。このようにでもしなければ、あの時に起きたことを、落ち着いて思い起こしなどできなかったかもしれない。