帝國はケイロニウス一門を皇統と仰ぐ三〇余りの一門によって構成される封建制国家です。ケイロニウス一門を中核とする十数の一門が存在する帝國中央と、三から五の一門が置かれている東西南北の辺境領、そして東方の魔族自治領エドキナ大公領によって構成されています。
「内戦」前は、各辺境候が皇帝から委任された動員権、指揮権を行使してその辺境内の帝國諸侯らで軍勢を編成し、軍事的脅威に対処していました。そのため、各辺境候の政治力如何によって動員できる兵力は一定せず、「帝國」の安全保障上の不安定要因となっていました。これを補完するため、皇帝は直属の近衛軍を常備軍として組織しており、各辺境軍で対処しきれない安全保障上の問題が発生すると、近衛軍や各辺境から動員した軍勢を派遣して事態を解決しています。
「内戦」後は、各一門の特権や各辺境候の権限は縮小される傾向にあり、その代替として統帥権を皇帝に一元化した常備軍である帝國軍が設置されることになりました。
帝國軍は、帝國臣民からの志願兵によって編成される
東方辺境軍を母体としており、これまでの封建諸侯から召集された軍勢とは違って動員可能兵力があらかじめ把握できている常備軍です。帝國軍の最高司令官は皇帝であり、その下に皇帝の諮問を受けて「帝國」の安全保障に関して助言を行う軍事参議会が置かれています。帝國軍に対する命令権者は皇帝であり、皇帝の命令を受けて軍が動員編成され、作戦が実行されることになります。
帝國軍最高司令官である皇帝が帝國軍を指揮するために、帝國軍総司令部が設置されています。帝國軍総司令部は、動員、運用、兵站それぞれについて計画を策定し、軍事情報を収集し、参謀将校を教育する参謀本部と、各兵科について運用研究、兵員教育、装備開発等を担当し、帝國軍の錬度を常にある一定以上に保つための査閲総監部と、事務一般その他を担当する事務局が置かれています。この他に、帝國軍の人事と予算については、「帝國」の行政権を預かる執政府の中に軍務省が設置されており、軍務担当執政官が軍政を担当し皇帝を輔弼することになっています。
帝國軍最高司令部の下には、東部軍、南部軍、北部軍、中央軍、とエドキナ大公領駐留軍、
西方辺境軍、近衛軍が指揮下に置かれています。西方辺境軍以外の各軍には、1個以上の軍団と混成旅団で編成されており、戦時には各軍団の衛戍地に予備軍団が編成され、人員器材の補充を担当することになっています。また近衛軍団は常に皇帝の御座所を守護する事が任務となっていますので、近衛軍団から抽出された部隊によって親衛軍団が編成され、この部隊が出征することになります。
帝國暦1094年現在では、帝國軍の現役軍団は、近衛、第1、第2、第3、第4、第5、第6、第11、第12の9個軍団が存在します。
各軍司令部の指揮下に置かれている軍団は以下の通りとなります。
近衛軍:近衛軍団
中央軍:第1、第4、第5、第6
東部軍:第3
南部軍:第11
北部軍:第12
エドキナ大公駐留軍:第2
これらの正規軍団の他に、国境警備や主要都市の防備を担当する混成旅団が多数存在します。
帝國暦1094年現在で中央軍のみ配属軍団数が多いのは、「内戦」によって人員器材の損耗が激しく、全ての部隊を定数を満たすことができないためです。そのため戦時には、各軍の指揮下に中央から軍団を配属して対応する様に運用計画が策定されています。
また西方辺境軍は、「内戦」中は一貫して時の皇帝の側に立ち続けたため戦前と変わらぬ権限と特権を保持し続けており、かなりの独立性を保ち続けています。そのため帝國暦1094年秋から勃発したトイトブルグ干渉戦争では、トイトブルグ王国派遣軍は国境を隣接する西方辺境から動員編成された部隊が派遣されていましたが、膠着した戦況の打開のために帝國軍総司令部が指揮をとることとなり、中央軍より第5軍団、近衛軍より独立第21混成旅団が増援として派遣され、司令官も帝國軍総司令部が派遣したサウル・カダフ将軍が任命され、指揮権を掌握しています。
この帝國軍の編成は、帝國暦1095年末のオスミナ王国との紛争における
北方辺境諸侯軍の敗戦が契機となって変更が加えられる事となりました。
この時の編成の変更は、帝國諸侯の有していた交戦権の皇帝への返上と、それにともなっての西方辺境軍の解体、そして軍団の新設と再配置でした。新しく編成されることになったのは、北方辺境東部を衛戍地とする第7軍団と、エドキナ大公領北部を衛戍地とする第8軍団の2個軍団でした。また、中央軍より第5軍団が新設された西部軍指揮下に置かれる事となって西方辺境に移動し、北部軍指揮下の第12軍団が衛戍地を北方辺境西部に変更されたため、各部隊が駐屯地を移動しています。
さらに、帝國軍の動員兵站業務はこれまで各軍司令部が担当していましたが、その一元化のため帝國軍総司令部の下に近衛総軍が設置され、動員編成業務を担当する事になりました。
この結果、帝國暦1097年現在では、各軍司令部の指揮下に配属されている軍団は以下の通りとなりました。
近衛軍:近衛軍団
中央軍:第1、第4、第6
東部軍:第3
西部軍:第5
南部軍:第11
北部軍:第7、第12
エドキナ大公駐留軍:第2、第8
また、この時の編成変更のにあたって第1、第6、第7、第8の4個軍団は、機卒機装甲数を増強した機甲軍団に編成変更が行われています。
帝國軍の戦略単位である兵団は、軍団と旅団です。このため各軍団と旅団は、できる限り同一の編成となるように編制が定められています。戦時における軍団と旅団の編成は帝國暦1096年現在で下記の通りです。また下記の部隊の他にも、軍から配属される部隊によって増強される場合もあります。
軍団司令部
歩兵旅団x3(旅団司令部、戦列歩兵連隊x3)
騎兵旅団x1(旅団司令部、剽騎兵連隊x3 騎馬猟兵連隊x1)
機甲兵旅団x1(旅団司令部、戦列機甲兵連隊x3 剽機甲兵連隊x1)
野砲兵連隊x1(連隊本部、重野砲大隊x3、軽野砲大隊x3)
工兵連隊x1(連隊本部、工兵中隊x4、器材大隊x1)
輜重兵連隊x1(連隊本部、弾薬大隊、糧食大隊、材料大隊、野戦倉庫)
整備廠
武器廠
馬匹廠
野戦病院x4
また各軍団司令官、旅団司令官は、軍旗警護及び司令部予備として、隷下部隊から兵員器材を選抜して連隊、乃至は大隊規模の部隊を手元に置く事が許されています。これらの選抜部隊は軍団もしくは旅団で最も精鋭なる部隊とみなされ、給与その他の面で特別に手当てが行われます。ちなみに帝國軍で最精鋭とされる部隊は、近衛選抜混成旅団、通称「近衛騎士団」とみなされています。独立近衛第901重機甲兵大隊が配属されているのがこの近衛選抜混成旅団です。
戦時には各軍団は隷下各歩兵旅団を中核として混成旅団を編成し、これを戦略単位として運用します。また支隊として軍団から分派される場合、騎兵連隊乃至大隊、その他の部隊が配属される事になります。
軍団隷下混成旅団の編成は、支隊編成の場合は以下の通りです。
旅団司令部
選抜歩兵大隊(本部、選抜擲弾兵中隊x1、選抜猟兵中隊x1、段列)
戦列歩兵連隊x3(本部、擲弾兵中隊x1、戦列歩兵中隊x4、段列)
剽騎兵連隊x1(本部、剽騎兵中隊x4、剽機装甲中隊x1 段列)
戦列機甲兵連隊x1(本部、戦列機装甲中隊x4、段列)
重野砲大隊乃至軽野砲大隊x1(本部、砲兵中隊x2、段列)
工兵大隊x1(本部、工兵中隊、器材中隊、段列)
輜重大隊x1(本部、弾薬縦列、糧食縦列、材料縦列、野戦倉庫)
整備分廠
武器分廠
馬匹分廠
野戦病院
ただし、国境守備や主要都市防備を担当する混成旅団は、上記の編成とはまた別のものとなります。
近衛軍団は、「帝都」近郊に駐屯し「帝都」防衛と皇帝警護を主任務とする部隊です。また皇帝親征の際には、皇帝及び欽旗警護のために軍団規模の部隊を編成し派出することになります。そのため平時から一般の軍団の倍以上の規模を有しており、戦時には最大2個軍団規模の部隊を派出する事が可能となっています。
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・機甲軍団(研究中)
機装甲の戦列運用のみならず、悌団攻撃による積極的な突破運用の可能性が、時系列の未来に研究される(予定)
これは、軍団レベルでの編成、運用を前提としたものである。
全結節で、砲兵が建制で配属され、突破口を開拓を支援する。
軍団司令部
機甲兵旅団 2個(戦列機甲兵連隊3個)
歩兵旅団 2個(戦列歩兵連隊3個)
機甲騎兵旅団 1個(剽機甲兵連隊1個 騎馬猟兵連隊1個 剽騎兵連隊2個)
砲兵旅団 1個(野砲連隊2個 擲射砲連隊1個)
工兵旅団 1個(工兵連隊2個)
輜重兵旅団 1個
その他独立部隊多数
以上の部隊で、機甲兵旅団 1個と歩兵旅団 1個、野砲連隊 1個、工兵連隊 1個、輜重兵連隊 1個、その他の部隊で編成された師団を2個編成し、交互躍進や、超越攻撃を行い得る運用の柔軟性を確保する事を目的とする。
また師団は、状況によって戦列機甲兵連隊1個、戦列歩兵連隊1個、野砲兵大隊1個、工兵中隊1個、その他の部隊で編成された旅団を編成し、支隊として師団の作戦運用を容易ならしめるため分派する事もあり得る。
この時、機甲騎兵旅団(剽機甲兵連隊 1個、騎馬猟兵連隊1個、騎砲兵大隊1個、その他)は、軍団前方に哨戒線及び警戒線を構築し、敵情の蒐集と軍団主力の行動の秘匿を図るものとされる。
この時、剽騎兵連隊は、旅団主力前方において哨戒線を構築し、旅団の活動を容易ならしめる。また軍団から支隊が分派される場合、これの哨戒線及び警戒線の構築を支援するため、連隊、乃至、中隊規模の剽騎兵と剽機装甲の混成部隊が分派される事になる。
本部、戦列機装甲中隊(「青の三」を本部+3個小隊で25機)を4個、段列
本部の機装甲は、連隊長、連隊先任士官、副官、連隊旗手、連隊旗護衛小隊7機
中隊は25機
小隊は7機
「青の三」合計111機
段列の機卒が1個中隊、5個小隊、38台
1個小隊7機
小隊長
上級騎士2名(3名)、平騎士4名(6名)
中隊本部
中隊長、先任騎士、副官、中隊旗手
中隊長の階級は騎士長です。
騎士長、先任騎士、小隊長x3、上級騎士x9、平騎士x18くらいが普通の中隊の騎士の構成です。
連戦する時には、騎士の入れ替えをして、疲労で騎士がぶっ倒れないように気をつけるのですね。
5機3列で長柄鑓で密集隊形を組んで、その両脇に長斧(バルディッシュ)を装備した中隊長と先任騎士の機体がついて、左右から命令を下します。
ちなみに小隊が7機なのは、稼動率から考えて実際に戦場では5機くらいにまで落ちるのを見越してだったりします。ちなみに、搭乗員そのものは10名くらいいます。機体よりも人体の方がやわで、一回故障したら修理に時間がかかりますから(修理言うな
という訳で、中隊長は騎士長=キャプテンなわけです。騎士隊長はカーネルですねい。なので、小隊長というのは、指揮継承順位の上から中隊長が指名する上級騎士です。
ちなみに、機装甲は基本的に将校相当官のみが搭乗できるので、下士官相当官の従士は機卒までしか乗れません。
- 戦列機装甲「青の三」は、戦列を組んで、長柄鑓で敵を攻撃する打撃部隊です。
機卒は、補修や整備部品、その他を引っ担いでゆき、各坐した「青の三」を回収したり、整備したり陣地構築や、その他工兵作業も行う、後方支援部隊です。
青の三1個中隊と本部に、1個班づつの機卒を有する整備班がつくことになっております。
1個整備班は、機卒7機と整備兵その他で約70名から100名くらいです。
一応「青の三」は、野整備では1日の整備量は行軍時間x2マンアワーとされています。ただ、行軍途中の小休止でちょこちょこチェックして整備する事で、マンアワーと半分に減らせます。
整備士は機付き整備従士が整備兵卒3名と搭乗騎士と一緒に、行軍後2時間も整備すれば、よほどの事が無い限りは故障脱落はしなかったりします。
本部、5個整備班、糧食班、その他で編成され、規模は500人から700人となります。
段列の長は、連隊副官で、庶務一般も担当しております。従士や兵卒の管理は、先任従士長の仕事で、騎士の管理は連隊副官の仕事です。
なお、連隊には幕僚として教育・運用担当士官が付きます。で、副官や先任従士長の代わりに教育・運用担当士官が機装甲に搭乗して連隊長の指揮を補佐する事も多いです。というか、そっちの方が多いくらいです。
まあ、機装甲は戦車で、機卒は装軌式支援車両ですから。ただ、機装甲をそんなに数揃えられる国は普通は無くて、大抵の場合、機卒が戦列を組んで、機装甲、特に重機装甲をパイクや投石紐で支援するのが、これまでの普通の戦闘方法でした。アル・カディア王国での戦争でアル・ディオラシス王国軍と戦った時のように、機卒が方陣を組んで殴りあうのが「帝國」以外での一般的な戦い方です。
機卒を完全に支援用に限定し、それだけの能力しか与えず、ひたすら数を作る事に特化させたのは、副帝レイヒルフトであったりします。まあ、それを言うならば、青の三もT34/76かM4シャーマンみたいな、大量生産前提の機体なのですが。
本部、剽機装甲3個中隊、段列
本部には、連隊長、連隊先任士官、副官、連隊旗手用の剽機装甲(緑の三、もしくは緑の五)が4機と、軍旗警護小隊の剽機装甲5機が配備されます。
剽機装甲中隊には、剽機装甲(緑の三、もしくは緑の五)が本部2機、3個小隊(各5機編成)15機の合計17機が配備されます。
本部、機装甲2個中隊、段列
7個小隊21機
1個中隊が9機 大隊長及び副大隊長は騎士隊長、中隊長と小隊長は騎士長、平騎士はおらず、騎士長や上級騎士がほとんどで、先任の騎士長が小隊長や中隊長を務めています。
本部、
戦列歩兵中隊4個、擲弾兵中隊1個、段列
各中隊は100名の小隊2個で
戦列歩兵中隊は銃兵小隊と長柄鑓兵小隊、擲弾兵中隊は擲弾兵小隊と猟兵(狙撃兵)小隊
人員は約1200~1500名というところです。
本部、
野砲大隊が6個、
段列
各砲兵大隊は、重野砲大隊が4個小隊8門編成。軽野砲大隊が2個中隊6個小隊12門編成。
火砲は重野砲が青銅製の12ポンド野砲、軽野砲が6ポンド野砲。
野砲兵連隊が2~3個(12~32ポンド青銅砲48~96門)
攻城砲兵連隊が1個(8インチ臼砲24門/炸裂弾射撃用)
段列、その他
通常の砲兵の運用は、歩兵旅団に軍団砲兵連隊から12ポンド砲装備の重野砲大隊1~2個、6ポンド砲装備の軽野砲大隊1~2個が配属されて旅団砲兵群を編成し、砲兵連隊長乃至副連隊長が砲兵群を指揮します。
各砲兵大隊は、歩兵旅団の前面、敵戦列から約800~2000米の距離に砲列を布置し、敵戦列に突破のための穴を開けます。
ただし、軍団長の判断によっては12ポンド野砲大隊が配属されない事があります。
通常の行軍は8時間です。ただ、1時間ごとに小休止が入るので、その間に騎士と機付き整備長がチェックして、問題が出たら行軍路から離れて修理に入るので。
というわけで、基本的に配属された先の部隊の足にあわせた距離が行軍距離となります。
歩兵で24~30km、騎兵で40~60kmというところですか。黒の二は、なので整備班の規模も三倍になります。
平時の軍団は欠編成で定数を満たしていない部隊が大半です。
戦列歩兵旅団2個から3個
旅団 各歩兵3個連隊・15個中隊
歩兵旅団と同じ数だけの戦列機甲兵連隊を有する、機甲兵旅団1個。
同じく歩兵旅団と同じ数だけの軽機兵連隊(騎銃と軍刀装備)を有する、騎兵旅団1個 工兵連隊、砲兵連隊、輜重兵連隊、野戦病院、馬匹廠、武器廠、等で編成されます。
歩兵旅団三(歩兵連隊 計九)
機装甲旅団一(機装甲連隊三)
騎兵旅団一(軽騎兵連隊三)
工兵連隊、砲兵連隊、輜重兵連隊、野戦病院、馬匹廠、武器廠、等
歩兵旅団二(歩兵連隊 計六)
機装甲旅団一(機装甲連隊二)
騎兵旅団一(軽騎兵連隊二
工兵連隊、砲兵連隊、輜重兵連隊、野戦病院、馬匹廠、武器廠、等
親衛軍団だけは、工兵、砲兵、輜重兵が旅団になり、戦列歩兵旅団も3個が建制で配備され、
各旅団の連隊も、3個連隊での編成が基本となります。
なお、近衛軍団は、新兵器の実験部隊、親衛軍団を編成する時の人員装備の供出、上級士官=騎士の教育=自営業における久留米の幹部学校、皇居の警備を担当します。
すみちゃんのお話の親衛軍団が第二だったのは、第一に相当するのが近衛軍団だからなのですねい。
また、諸侯軍を中核に編成される混成旅団が各軍管区に配置され、正規軍団到着まで防衛を担当する事になります。混成旅団の編成は各地域ごとに地形や募兵状況によって変化し、同じ編成のものはまずありません。
ただし第11、第12軍団は、諸侯軍を中核に編成されますが、正規軍団と同様の機動運用を前提としています。しかし、編成は正規軍団とは異なり、混成旅団複数個に正規軍団の直轄部隊を増強したような編成となります。
最終更新:2012年12月09日 14:07