エ・リル (2)
もろもろ、これはこれ、で。やりすぎではあるんだ。
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今も、エ・リルの街は変わらない。今も猥雑で、驚くほど多様な魔族が歩き回り、すれ違い、ぶつかっては喧嘩をする。
むかしは、道行くだけで、人とは違う瞳に見つめられ、ひそひそと異国の言葉で詮索された。納得したのかしないのか、やがて無視されるようになる。マルクスは、そういう流れを、楽しめるようになっていた。よほどしくじらない限り、帝國の軍装を身に着けたマルクスに、手出しされることは無い。
かつて魔都と呼ばれたエ・リルであっても、だ。
エ・リル。一言で言えば、荒っぽい街だ。道の明け渡しをめぐって通りすがりの怒鳴りあいを聞くこともあるし、喧嘩の荒っぽさと言ったら、血を見ねば気が済まないのかと思うくらいだ。割って入る衛士も相当に荒っぽく。人垣を押し分ける時も、喧嘩を両成敗する時も、警棒で容赦なく打つ。
マルクスも一度、街の通りでぶつかられ、そして魔族らの言葉で、なんだてめえは、と因縁をつけられた。が、そのいかつい相手は、マルクスの軍装を見ると、喧嘩腰をひっこめ、せいぜい気をつけてお通りなせえよ、と強い訛りの帝國公用語を残して去って行った。
以前に、エドキナ大公の立ち居振る舞いを見て、魔族にも人族の知らぬ洗練があるのだと大変な感銘を受けたのだが、それは帝國の宮城の洗練のようなもので、帝都の誰もが身につけているものではないらしい。魔族は魔族で、人族ではない。それは決して、忘れてはならない。魔族からの推挙者を、レオニダス公爵家で後ろ盾になってやるという約定は、ちょっと甘かったかもしれないな、とも思う。
もっとも、大公推挙者は、帝國人の前途ある若者に見えた。その心根が、人族といくばくか違っていようとも、共に暮らせぬことは無い。かつて、不倶戴天の敵と言われた者らだ。
それが、魔族が変わるということなのかもしれない。帝國が魔族のごとく、と囁かれることの、ほんとうの意味を知るものは、まだいないのだろう、とも思う。
魔族が変わるように、エ・リルも変わってゆく。
今でも荒っぽいが、昔はもっと、ずっと危ない街であったという。もちろんマルクスは知らない。そう教えてくれたものも、すでに亡い。
「慣れるまで、お一人でのお出かけは、おやめになった方がよろしゅうございますよ」
彼女はそう言った。そして少しの笑みを見せ、老いて前歯の抜けた、可愛らしい笑顔をマルクスに向けながら、それでも今は、だいぶん、旦様方にも過ごしやすくなっていると思いますよ、と言った。
「以前のエ・リルはそれは、なんとも言いようのないところでございましたからね」
彼女は、決して、懐かしんでいるわけではない。むしろ、その刻が永遠に戻らないことに、安堵の吐息を漏らしている風にも見えた。
今、エ・リルに住まうものが、同じような坦懐を持つのかどうか、マルクスにはわからない。エ・リルは変わりつづけている。エ・リルであるまま、人の姿と装い、道の形、建物の形、そして街そのものの形も変わってゆく。あれからずいぶん長い時が流れ、今も、エ・リルは変わってゆく。帝國とともに、もちろん、マルクス自身もあの時のマルクスではない。
後に大北方戦争と呼ばれる、あの戦争が始まる二年ほど前、マルクスははじめて、エ・リルを訪れた。
軍大にも休暇はある。もちろん、ただ休ませてくれるわけでもない。
鑓の機神に、人員搬送車を携え、そこに機神工部のティウを乗せて、帝都から、はるばる魔族自治領へと舞い下りた。
ティウは飛翔旅行を楽しんだようだった。奴自身は、鑓の機神にかかわる計画が、うまくゆくはずがない、と考えているようだった。それがティウ自身の責めとならずにはっきりし、さらに計画が終われば良いとも、思っていたらしい。もちろん奴自身は、おくびにも出さなかったが。
だが、鑓の機神が帝國軍の運用に追従できる体制を作る、それは絶対の要請だ。皇太子と、エドキナ大公を巻き込んでおきながら、出来ませんでしたで終わるはずなど無い。
あらゆる助けを得られる取り決めは、エドキナ大公が底知れぬ笑みとともに許してくれた。大公工房さえもだ。マルクスは、ティウの望む以上のものを、エ・リルに行く前に、備えさせていた。それは、公爵家の郎党を、大公領に伴わずとも良いよう、エドキナ大公が、従者を貸してくれることも含んでいた。
マルクスの雑務を引き受け、また機神の警護を行わせるだけではない。約定の通りに、彼ら従者自身の、帝都遊学の折には、公爵家の側から、彼らの後見を行うからだ。つまりは、それに足るものかどうか、マルクス自ら検分しなければならない。
エドキナ大公は、ティウへの切り札も、エ・リルに備えていた。マルクスは、そもそもティウの推挙自体、その切り札に基づいて行われたのではないか、とひそかに思っていた。
「バイネイと、申します、どうか、お見知りおきを」
第二軍団の駐屯地のはずれに舞い下りたとき、彼女はマルクスたちの前に姿を見せた。
小柄で、ほとんど真っ白な髪を持つ、小鬼族の双性者だ。その小柄な姿を見た時、ティウははっきりと動揺しそれから、背を伸ばし、直立不動を保ったまま、動かなくなった。
バイネイは、エドキナ大公が身に着けていたような、だがあれほど豪華でも華やかでもない、品の良い服に身を包んでいる。背をまっすぐにのばして、そして深く腰を折って、マルクスに礼をする。マルクスも、バイネイの背に合わせ、片膝をつき、淑女に対する礼を行った。バイネイは、前歯の抜けた笑顔で応じる。
「第一市民からの直の仰せ、そして帝國への貢献とあれば、お力添え申し上げるのが、わたくしの筋でございますから」
バイネイは早口でもあった。威勢が良くて、巻き舌だ。マルクスとは気が合った。打ち解けるのも早かったし、諸々の話も早かった。マルクスのことも、初めは公爵殿下と呼んでいたが、打ち解けるうちに、公爵様になり、やがて旦那様へと変わって言った。その旦那様も巻き舌で早口なものだから、はんぶんつづまって旦様に聞こえる。
「美しい機神だこと」
バイネイは言って、腕を伸ばし、その時にはもう一方の手で軽く袖を押さえ、機体に触れもした。そうして、不意にバイネイは、ティウへと振り向く。
「ティウ、お前さん、甘い見通しでここまで公爵殿下をお連れしたんじゃないだろうね」
ティウへ向けた瞳はすでに厳しく、マルクスから見てもそれは職人頭の目だった。ティウは、マルクスの前でそれとわかるほど狼狽し、バイネイの傍らへと駆けより、片膝をついて、説明を始めた。バイネイは、それに頷いて見せ、あるいは唸り、納得せざる風で厳しくティウを見つめてさらに狼狽させもした。
ティウは、バイネイをお師匠と呼んでいる。言葉づかいも、このバイネイに似てきている。ティウの、人を人とも思わない口ぶりも、どこかバイネイに似ている。だがティウの方がずっと口が悪い。ティウがその口ぶりを、わざとやってるのもマルクスは知っている。好きなようにさせておくつもりだが、許しているわけでもない。ま、ちょっとした恥のゲームというやつだ。親方株を得ようとする機神工部というのは、それなりの格だ。どれくらい増長するかはティウの問題だ。
ティウ自身は、帝國中枢で進んでいる新機神開発には、関われなかったらしい。しかしエドキナ大公から、レオニダス女侯爵に示されるくらいの者ではある。親方株はまだ得られていないが、親方株を得られれば推挙される腕、とは聞いていた。
「それはまあ、たしかにね」
バイネイは最後には、ティウにうなずき返して見せる。そうしてティウを従え、マルクスの元へと歩み寄ってくる。彼女は言った。ティウはどうも見通しをずいぶん甘く見積もってしまっておるようで、大変申し訳ないことです、と。わたくしの見立てたところ、御家の御機神は、一からこちらで見て差し上げるような、そういう大きな仕事になるかと存じます、と。
「第一市民からは、どんな手を使っても、どれだけ手を掛けても構わぬから、公爵様の仰せのとおりにするように、と申しつけられております」
ですが、とバイネイは続ける。
「これは公爵様のお仕事の片手間で終えられるような、そういった類の仕事にはならぬように、わたくしには見えるのでございます」
「どれほどの時間がかかりますか」
「まずは三月。この三月は、下調べに使います。この間ならば、なんとか、帝都とこちらとの往復とを行えるように考えましょう。その間に、帝都のお仕事にひと段落つけていただき、あとはこちらに留まっていただかねばなりません」
バイネイは続ける。下調べによっては、これまでのお考えのうち、何がしか諦めていただくこともありえます、と。
「下調べを終えたところで、次の六月の間は、御機神に合わせての、こちらの施術の開発となります。御機神が、こちらになければ、わたくしどもとしては施術の開発の使用がございません。そうなれば、もはや御機神は動かせぬと、ご覚悟願います」
下調べ三月、施術開発六月は、そうとうな無理を押してのこと。途上でどんな難苦が怒り、何が行えなくなるのか、何とも申しようがございません、そうバイネイは続ける。
「どうか、そちらの方も、ご覚悟を」
マルクスにとっても大きな問題だ。軍大を九か月休むことはできない。軍結節の行動を理解しない参謀などありえない。マルクスと鑓の機神、並び立ってこそ、公爵家の復活がある。
このような機会、二度とないだろう。今しかない。
「部品の製造の見通しは」
「それは大変難しい問いとなります」
バイネイは慎重に応じる。
「機神と言うものは、人族らの太古の精華。計り知れぬ智慧により作られたもの。それでも、現世との魔術的相克からは逃れられぬもの。その補いを、わたくしども後世の知恵で行うわけですから、いくつか考えはございますが、それが上手く御機神の受け入れるものとなるかどうか、仕事を進めてみねば何とも言えぬところがございます」
「毎週ごとに、進捗と見通しの報告を願いたい」
「もちろんですとも」
「親方の仰ることは、わかった。親方の仕事が無駄にならぬように、段取りを着ける。よろしくお願いしたい」
「・・・・・・」
バイネイ親方は、深く頭を下げる。その背後に立つティウもまた、これまでにない真顔で、師匠とともに頭を下げる。それから、親方の仕事が始まった。
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バイネイ親方は、一度は引退したのだと言っていた。
「まあ、この歳になると無理も効かなくなって、弟子どもに邪魔にされるようになりますからねえ」
だが、その弟子たちは、バイネイ親方の声掛けに、一も二も無く集まってきたらしかった。彼女の一声で、頭格が二人、大公工房に部屋を持つ格の者を一人、このうち頭格の一人は、弟子を一人連れてきていて、合わせて四人。どこの魔王か、とマルクスはひそやかに思ったりもした。
ただいずれも、マルクスどころか、ティウにも心許した風ではなかった。と、いうより、ティウなどここにはいないかのように振る舞った。仕切っているのは、バイネイ親方その人だ。確かに、何か見通しらしいものは持っているようだった。ただ機神工部たちの間で交わされる突っ込んだ話は、マルクスにはさっぱりわからない。もっとも機神工部たちも呼び集められただけで、それ以上のことは何も知らないわけだから、話と言っても、仕事の進め方あたりになってしまう。
バイネイ親方の仕切りは、拍子抜けするほど普通で、魔術による水盤やら、空中に浮かぶ魔法陣やらを駆使したものではなかった。帳面に普通に覚書をし、帳面に描くのが難しいことだけは、水盤をつかって、そこに像を映しだした。
それはマルクスが見ても、そうとう正確な鑓の機神の姿かたちで、水盤に写るその影姿を示しながら、バイネイ親方は仕切りを説く。
「まずは、この御機神そのものの、写像を取る。そこから始めないと、何も判らないからね。写像だけでもどうしようもない。そこで例の石陵結界を使わせてもらう。あそこで、魔術的な力影を取る。二つ合わせて、御機神の、現世へ顕現されたる姿が、なんとか見えるわけだけれどね」
ただし、と彼女は続ける。それで御機神に合う部品部材なんか作れるわけじゃあないはずだけれどね、と。ティウは、その言葉を聞いても、特に動きはしなかった。ティウが初めにマルクスに示した策が、機神に会う部品部材を作る、というものだった。それが難しかろう、ということは、マルクスの側もおおよそ察していた。
部品部材どころか、鑓の機神自体、判らないことの方が多い。最初のレオニダス公爵が、かつて行った調べは、公爵家のあの鍵の部屋に保管されていた。晩年、己に継ぐ乗り手がすぐには表れないかもしれない、と考えていたようだった。口伝えに教えられない事を、その乗り手の為に残していた。門外不出のそれら文書が、公爵家の外に持ち出され、あまつさえ魔族工部に読まれるとも思っていなかっただろう。
高弟の一人は、その文書の分類と整理に取り掛かった。リリサと名乗った。バイネイ親方にとっては、孫弟子にあたるらしい。ただ彼女は大公工房に一部屋を許されるほどの術師なのだという。
陰気なリリアは、皆に口うるさく指図して、文書箱の山を、機神の運んだ人員搬送車から降ろさせた。従わなかったのは、指図されなかったバイネイ親方と、おなじく指図されなかった、というより無視されているティウ、それにマルクスだけだった。だがマルクスは、魔族従者らには、文書に触れさせてはならないと命じたから、結局、割を食ったのは、一番格下の一人だ。
彼はブサスと言った。バイネイ親方の孫弟子に当たる。マルクスよりは年かさだったけれど、リリサを含めても弟子らの中では最も若く、それにもっとも帝國人風に見えた。もっとも、その彼も魔術の使い手であり、楽々運び込む手も使ったようだ。
文書はかなりの量だが、それでも公爵家に保管された全体から見れば、ごく一部に過ぎない。中身も限っていて、機神の機体の成り立ちや、絵図面に限っている。
文書を運び入れる保管室は、この格納庫内に作りつけられた部屋の一つで、魔術の鍵で守られることになっている。鍵はマルクスが持つ。もっとも、その程度では何が守れるわけでもないのだが。
リリサは、ブサスをこき使って、いつのまにか卓やら長椅子やらを設えさせていた。その長椅子に、足を引き寄せ、小さく丸まるように座って、文書を読み始める。まったく勝手なんだから、とぼやくブサスの背後から、一人が姿を見せる。
かなり大柄で、マルクスよりも頭一つ背が高かい。マルクスを見降ろす目は厳しく、白髪で、髭も白く、そして地黒だ。頭の左右に伸びて、前へと曲がる牛角が無ければ、どことなく公爵家のミノールを思い出させる。彼はアスモスと紹介されていた。ブサスの師匠で、バイネイ親方の直弟子だ。
「リリサ、まず絵図面を寄越せい」
ぶっきらぼうにアスモスは言い、リリサも無言で箱のひとつを示す。
「ブサス」
アスモスはぶっきらぼうにブサスに命じる。まったく人使いが荒いんだから、ともう一つぼやいて、彼は大箱を抱え上ゲ、ふたたび搬送箱へと載せた。機神のもとへ戻るためだ。
アスモスはそのまえをぬしぬしと歩く。彼は自分の組を率いている親方だった。おもに機神の機体にあたることになっていた。帝國語にすれば、顕現したる構造への、現世事象からの作用、となるらしい。
絵図面を出せい、とブサスに命じたアスモスは、大柄な体を揺するようにして、機神の周りを歩き廻る。やがてブサスの持ち寄った絵図面を手に、機体とを見比べ、言葉を交わし合う。弟子のブサスはもちろん、アスモスも、さすがに高揚するようで、それまで気難しく引き結んでいた唇を緩め、声を漏らす。見よブサス、などと言い、指で示し、その言葉は止まらなくなる。彼の声は、帝國語そのままであるはずなのに、マルクスの知らぬ、工部の言葉へと変わってゆく。次第に乗り気になってゆくのがわかる。
細身の体、本体、とでもいうべきだろうか、そちらには特に見るべきものは無いらしい。それは公爵家の側でもわかっていた。機神自体の作りは、古代魔導帝國の物らしく、十分に良いが、その狙いは、軽さと動きやすさ、それに飛翔の時に動きを補う役割が主なものだ。他の機神とは違っている。だからこそ飛翔時の補いを諦めれば、機装甲の設計に転写しやすく、だからレオニダス公爵家も、自前の機装甲を作りえた。
問題はその飛翔のほうだ。こればかりは全く手のつけようもないところだった。本体はなく背に負った、飛翔のためのからくりの部分に、その役割の多くがある。公爵家でも甲を外し、絵図面に写し取り、調べもしていた。だが王国の頃も、帝國に移ってのちも、この飛翔のからくりについては、真似のしようもなかったらしい。
アスモスは振り返り、マルクスを見る。甲を開きたいという。だからマルクスを含めた、三人掛で鑓の機神の背部にとりかかる。鳥のような形の部分、公爵家の文書では、背甲、と呼ばれている部分だ。
アスモスは太い腕を組んで唸り、ブサスは声を上げて喜び、中を覗き込む。
「親父、すげえぜ、これは・・・・・・」
先と違って、ブサスの言う事のかなりが、マルクスにもわかった。マルクスも公爵家の機神文書をそれなりに読み込んでいた。ブサスは、背甲の内部にある強力な結界装置に驚き、その結界装置そのものの作りにも、驚きの声を上げていた。ブサスが、驚くべき見知らぬ物への興味に、目を輝かせ、公爵家文書の図と見比べ、図の注釈との違いを、声高に言い立てる。彼は喋りつづけながらアスモスへと振り返り、それから不意に口をつぐむ。
アスモスは太い腕を組み、仁王立ちになり、そして黙りこくっていた。その魔族の瞳は、結界装置をにらみつけたまま、動かない。
ブサスはやや慌て、それからそっと脇へ退き、足音を殺して、マルクスの元へと歩み寄ってゆく。
「ああなると、親父はもう、動かないんですよ」
「やはり、かなり難しいか」
「それは・・・・・・」
やや口ごもり、ブサスはうなずく。彼の説いて言うことは、マルクスにも判るようにと、噛み砕いたものであったけれど、それでもそうとうに難しい。話の中身も、先行きもだ。公爵家文書が書かれたときよりも、帝國の魔術の知識は大きく進んでいる。その一角を、彼ら魔族も担っている。魔族は機神と戦いうる、邪神鎧すら作りえた。バイネイ親方らの一党は、いくつかの邪神鎧にもかかわっている。
その彼らをしても、相当な難事業だと言う。ましてや、たった一年の時を限って、となると、工房の準備すらできないだろう、と。
「あいつに何を言われたのか知りませんが、仮にも機神工部が、こんな甘い見積もりをすることはありませんよ」
ブサスは言う。あいつ、とはティウのことだろう。彼らは皆、ティウのことを嫌っているようだった。ティウのことを受け入れているのは、バイネイ親方一人に見える。
そのバイネイ親方と、ティウは、格納庫に置かれた卓を囲んで、何事か話し合っている。そこには、弟子の最後の一人が加わっている。彼女は、弟子の中でも一番穏やかな面立ちで、おっとりした風に見えた。ベルビゴといい、冶金に関わる工房の一つで、工部頭をしているという。
ただ今のベルビゴの心配は、バイネイ親方の体の調子だけらしい。老母の世話をする娘のように、いちいちバイネイ親方のひざ掛けを直したり、お茶を淹れたりしている。いちおう、ティウの話は、聞いてだけいるようだった。ティウへではなく、バイネイ親方のうなずく横顔へ目をやったりしている。
バイネイ親方と同じ魔族の支族は、帝都でも見たことがあった。小鬼族といい、背の低い、大人になっても、子供のような姿で、金の巻き毛が可愛らしい者らばかりだった。もともとは、今のような愛らしい姿ではなく、もっと醜い、あるいは人族の考える魔族支族らしい姿であったらしい。
その小鬼族の中にもダイモンは、つまり双性者は生まれうり、バイネイ親方もその一人という。まだ先代の、ひょっとしたらさらにそれより以前の、魔族大公の時代であったはずだ。その彼女が、どのようにして、機神工部になりうる道を歩んだのか、マルクスにはわからない。そしてバイネイ親方は、いくつもの、邪神鎧に関わったという。それらは高く評価され、ゆえに引退後のバイネイ親方が、マルクスへと紹介された。
帝國でも機神工部と呼ばれる、また同時に、ダイモンでもあり、高位の術者でもある。
並人より長く生きる彼女が、なぜ引退したのか、マルクスは知らない。聞こうとも思わない。ただ彼女はまだ元気そうで、ティウに向かって、叱るように、諭すように、何かを言っていた。
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エ・リルのはずれに、巨大な石陵が、作られている。それは、魔術のために作られた、石の塚だ。
地上から見れば、緩やかな傾斜をもつ、いくつもの峰を張り出した人工の築山で、空中から見降ろせば、八つの峰を均等に八方に伸ばしているのが見て取れる。積まれたその石の一つ一つは、結界でもある。これが魔術的な配列で積み上げられており、石の重み自体を、配列に巧妙に掛けることで、強い魔術結界を作り上げている。正しくは、その地下にある、巨大な魔法陣に、力を注ぎ込んでいる。これほどの魔術的な仕掛けは、帝國内を見渡しても、そうあるものではない、ともいう。
その地下の魔法陣を整えるのも一仕事であるらしい。だから、エドキナ大公より、この石陵を、ほぼ自由に使って良いと許されるのは、大変大きな便宜だ。もちろん、ただの親切だと扱って良い物でもない。
それに、これより行うのは、鑓の機神の魔術的な特徴を描くためのものだ。魔術的な特徴とは、すなわち本質そのものであり、これを仔細に描かせるということは、魔術的な武具でもある鑓の機神の価値を、失いかねない、危険なことでもあった。
だとしても、今の帝國で、武器としての鑓の機神の価値を見出すには、これしか手がない。帝國の武器として価値を持つことは、すなわち、公爵家の武器として価値を持つことだ。それはもう一つのありようと並び立たねばならない。公爵家が帝國中枢の敵とならない、ということだ。そのために、鑓の機神を裸にするわけではないが。
鑓の機神ほど大きな、かつ魔術的なものを、石陵魔法陣の地下にある、魔法陣本体の間に納めるのは、簡単なことではない。もともと魔術的に中立になるように、それぞれの石を結界としたものを、積み上げて巨大な複合結界としたものだ。その中枢に入るにも、魔術的に行わねばならない。
まずは、石陵魔法陣から少し離れた、中間隧道入口に降り立つ。そのまま、鑓の機神の帆を進ませ、隧道へと入る。鑓の機神が、隧道に入ったところで、背後の入り口は、石壁によって閉じられる。機卒らが大きな石の封じを押し込むのだ。光が断ち切られ、闇が訪れる。だが機神の外部感応は失われない。魔力を見る感応は、隧道の石積みの壁に沿って、魔力が走るのが見える。それは、この隧道と、石陵魔法陣の本体石室とを魔術的に一致させる働きだ。先に隧道を封じ、魔術的に外と隧道を隔絶し、続いて魔術的に、隧道と石陵魔法陣本体石室とを近づける。そうすることで、隧道最奥の行き止まりは、行き止まりでありながら、魔術的には石陵魔法陣本体石室への入り口となる。ある種の転移の門だ。機神の魔術感応にも、虹色にきらめくそれが見える。
もたもたと歩くこともなく、マルクスが思うだけで、鑓の機神は吸い込まれるように転移の門に触れ、そして石室へと転移する。
そこは、乳白色の霧に包まれているようだった。結界の内側、という魔術的な定義以外に、何も無い。したがってこの間は闇でもなければ光でもない、その両相の中間の不定義状態にある。この間は、どこかではなく、どこでもなくはない。そもそも間であるのかどうかすら、定かではない。何かに満ちているわけでも、何も無いわけでもない。そしてそれらは、自ら形を成すわけでも、何者かによって成さしめられるわけでもない。この間は、魔術的に中立な間だった。違うのは、浮かぶ鑓の機神のみだ。高度な魔術的結界でもある機神は、この間に犯されず、犯すこともなく、ただ漂っている。あるいはただ留まっている。
機神の囁き、そうマルクスが感じる思いが、マルクスの胸に浮かぶ。己の胸の内から出でたとは思えぬ、マルクスには、良くわからない何かを囁いてくる。この囁きを、己の心の言葉と見分けられぬと、機神の囁くままに動いてしまう。そういうことは、まれにある。
仔細はわからない。マルクスの知らぬことに基づいて、短い言葉の示唆をされているように感じる。けれど、機神の胎内に在れば、どのような意味のあることなのかは、わかる。今は、危うさを示すものではない。機神が示していることは、ここが現世の理とは違う理の働いているところであり、鑓の機神は常の働きをできないこともある、そういう警句のようなことだ。
この囁きは、マルクスは今まで聞いたことが無かった。また最初のレオニダス公爵の残した文書の中にも、これに類する囁きについて、記載されていなかったと思う。当然だろう。このような場に、鑓の機神を持ち込んだのは、古代魔導帝國以後初めてのはずだ。
承知している意を胸に、マルクスは機体を動かす。機体の動きそのものは、常と変わらない。乳白色の霧の中で、手脚も、体も、常と変わらない。この間の中で、機体は問題なく動く。
だが違和感もある。常なら地を蹴るように宙を蹴れば、魔力を放って、機体もまた動くものだけれど、それが起きない。常なら、そうして鑓の機神を飛ばしていた。飛ぶことを示し、地を蹴るようにして、つづいて、体に流れる風を感じながら、その流れをさかのぼるようにして。
だが、この間では、それは起きない。そもそも感じるべき気も、風の流れも、ここには確とはない。天も大地もない。鑓の機神の放つ魔力が、間を掻き乱しても、進むことも落ちることもない。
すこし考え、マルクスは動くのを止めた。
この間では、落ちもしなければ、浮きもしない。それは、完全に中立の魔力環境を作り、その中で魔術的な写像を作るつもりだった。そういう結界なのだ。これはバイネイ親方の二人の弟子、ベルビゴとリリサが作ったもので、かつて、このようにして、機神を調べたことがあるのだという。それはそれで大きな問題ではある。
二人の術師が、確信をもって作ったもの中で、鑓の機神が思った通りに動かなかったこと自体、この計画の先行きの難しさを示していた。そもそも、この鑓の機神、元より一筋縄では行かない。古人しか主と認めないような、そんな機神なのだ。
それに、上手くゆかなかったことそれだけを手土産に、この間より出るのは、気に食わない。この石陵結界は、準備し、使うだけで、そうとうな魔力が要る。今後も何度も使わねばならないのだけれど、だからこそ一度一度を無駄にしたくはない。少しの考えがマルクスにはあった。
自らの内心に問うように、問いを心に思い浮かべる。
どうすればいい、と。
すぐに答えはある。忘れていたことを思い出す時のように、けれどマルクス自身の知らなかったことだ。言葉にしようのない、目の当たりにするようとも言えない、まさに思い出すようないくつものことが、押し寄せ、流れてゆく。
機神のささやきだ。いくつかは、マルクスにはまったく理解できない何かとして流れていったし、あるものは、この結界の間そのものを内側から壊すことを示していた。
マルクスは、その機神の囁きに応じる。押し寄せてくるものに一つ一つ応じるのではなく、まず、この間は、マルクスの不利益にならないものであることを示す。
その上で、おまえの、その姿を示せ、と命じる。
押し寄せる答えは消えてゆき、納得したときのように、ほんのいくつかが残る。
言葉にはできない。けれど何が起きるのかは、マルクスにもわかった。だから、そうなるように、マルクスは魔力を解放させた。
それで、今回は終わりだ。
石陵結界を出て、大公工房の格納庫に戻った時、魔族の工部らもすでに戻ってきていた。機神工部頭格らのダイモンなのだ。転移くらいは容易に行う。
彼らは、宙に浮かぶ、光の絵を囲み、それを見上げ、感嘆に耽っているように見えた。それはもちろん、魔術で作られた絵、というより厚みや奥行きを持つ光の彫像であるし、鑓の機神を示すものだ。だが見た目はそのように見えない。甲は全て透き通るようになっていて、その骨材や、部品部材まで浮き立つようになっている。
「ほんとうに、これを使って、よろしゅうございましょうか、旦様」
バイネイ親方が振り返る。構わない、とマルクスはうなずき返す。バイネイ親方は、少し瞬き、少しの笑みを見せる。
「承知いたしました。役立てましょう」
彼女は光の彫像を見やる。
「しかし、よくもまあ、こんなものを機神に示させられましたね」
「敵対環境に無い。その上で、お前の姿を示せ、と言ったんだ」
「御機神に好かれてる御様子で何より」
バイネイ親方は、困ったような笑みの口元を手で隠し、さらに少し考える風だった。やがて顔を上げ、マルクスを見上げていう。
「確かとは言えぬわたくしの考えでございますがね、御機神が示したのは、古代魔導帝國の時に使っていた、何がしかの相なのでしょう。手入れのような何かのための」
「手入れのときにの手引き、ということか」
「古代魔導帝國は、こういう機神からの呼びかけに、応じる魔術的な仕掛けを持っていたんじゃあないかと思うのですがね」
「それは復元できないものかな」
「旦様、冗談はおよしになってくださいな」
「あながち冗談でもないんだが」
「それはこの先のこととして、旦様がお探しくださいませ。わたくしには、それほどの時が残っておりませんし」
不意に、バイネイ親方は、弟子たちへ顔を向ける。それから、どうしたんだい、お前たち、と叱るような声を上げる。弟子たちは、高弟ほど、びくっと肩を震わせ、それから、それぞれにそわそわと目を逸らしたり、隣にいる孫弟子の頭を意味も無くどついたりしてみせる。それを見やっていたバイネイ親方は、ふたたびマルクスへと向き直る。
「これは、わたくしの立てた予定を、ひっくり返すほど、たくさんのことがわかるのでございますよ。それはもう、たいへんに。わたくしどもに見せていただいても、よろしいのか、と思う程に」
「やむを得ない。上手く使ってくれ」
それから、とマルクスは続ける。
「今回は無理だが、いずれこの機神、預けて、俺のみが帝都に帰ることとする。神具と仮面は置いてゆけないが、機体は構わない」
「差し障りが無ければ、わたくしどもには、それは助かることなのでございますが」
「そちらの方はなんとかする」
何とか、と言っても、実のところ、何の策も無い。今の公爵家には、この異郷の地で、機神の警護を仕切れるものなどいない。だが、エドキナ大公に頼ってよい類のことでもない。
だからと言って、ティウごときには任せられず、マルクス自身は、軍大をすっとばすわけには行かない。今回も、長期休暇という名で与えられる調査旅行と、貴族公務休暇とを、寄せ集めてやっと作った暇だ。帰る時には課題資料を持ち帰らねばならない。
売らねば生きてゆけぬが、売るものがない。そういうとき、貸すものを持っているものは、こちらが何を脱いで売るのか、待っているのかもしれない。
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そうして、マルクスは帝都と魔族大公領を幾度も往復した。最終的には、公爵家から、機神管理役として、一人を送り込み、留まらせることにもなった。
ノイナのいとこにあたる、ヴァロだ。ノイナより十は年上で、つまりはマルクスよりも年上で、またうるさがたで、あまり反りが合わない。彼も意地っ張りだ。
「そういうことは、俺がやる」
鼻息も荒く言い出した彼を、まあいちおう、慰留はした。すると、俺にはできねーとでもいうのか、お前は、と指差されて難渋もされた。実はマルクスはそう思ってもいた。公爵家から出たことのない者を、魔族大公領に送り込んで、鑓の機神の機密が適切に扱われるように見張る、などということが、できるものか、と。出来ようが出来まいが、やってもらわねばならぬことではあったのだが。
マルクスが帝都にあるあいだ、鑓の機神に関わる情報は、ティウと、バイネイ親方の二重管理の下にある。とはいえ、ティウはまだ公爵家の者ではないし、そもそもバイネイ親方の弟子でしかない。バイネイ親方は、親方として信頼できると思うが、それは公爵家の求める、公爵家への貢献とは違う。
とはいえ、機神工部らの、頭までは縛れない。かつての魔族大公は、どのようにしていたのか、とふと思いもした。そして、噂で聞いたような、人の姿かたちすらたわむれに変えさせ、嬲ったという話を思い出しもした。
何事も、ミノールとノイナが許せば成される。ヴァロが大公領に向かうことは決まり、それこそ今生の別れのような、ヴァロを搬送車に乗せ、それを携えて、マルクスは飛んだ。もう冬季休暇になっていた。
バイネイ組は、取り決めを律儀に守っていたらしい。公爵家の文書は、格納庫より外には持ち出さず、例の光の彫像も、バイネイ親方が直に補完していた。そのために、弟子たちは、足しげく格納庫に通わねばならなくなったらしい。
マルクスが訪れた時にも、高弟の一人、リリサが文書室にこもってひたすら文書を読んでいた。彼女の足元には覚書が散乱しており、入らないで、触らないで、気を散らさないでっ!と肩を怒らせてマルクスとヴァロ兄を追い出し、ものすごい勢いで扉を締めもした。
バイネイ親方は、短い間に、すこし年を取った風に見えた。その彼女に深々と頭を下げられたヴァロ兄は、とりあえずいかめしい顔を保つことにしたらしい。こんなばあちゃんで大丈夫なのか、とマルクスは耳打ちされたが、聞いていないふりをした。
下調べの進捗は、初めに聞かされた予定より進んでいた。もちろん、それ自体もバイネイ親方からの手紙で、知ってはいた。大事なのは、どうやら策らしいものが立ちそうでございますよ、旦様方、という言葉だった。
バイネイ親方は、マルクスとヴァロ兄、それに弟子らを一室に呼び集め、自ら金庫を開いて魔術の石を取り出した。例の、光の彫像を浮かび上げさせる石だ。それからそれぞれの弟子に、これまでに分かったことを旦様方にお示しするように、と言った。
それは何しろ、魔術の教育を受けているマルクスにも相当難解な話で、ヴァロ兄ははじめから知恵熱を出しかねないありさまだった。要するに、鑓の機神には非常に高度な結界装置が積まれている。この結界装置そのものは、少なくとも二段の増幅系を持ち、かつ、その結界の機能を変えることも出来て、少なくとも二つの働きの切り替えを行っているらしい。
二段二性の結界装置、とリリサは言っていた。この結界の内部で、鑓の機神の機体が動くことで、結界の外部への作用が行うこともわかっていた。鑓の機神は、乗り手に結界それ自体を操作させるのではなく、乗り手の塁間で動かされる機体を通じて、結界を制御しているらしい。
問題は、現世での魔力・事象相克で消耗するのが、この高度な結界装置の内部、ということだった。
「二段二性の結界装置を、今の我々の技術で作るのは無理です」
リリサは憮然と、そう言い切った。
「この機神の結界装置に合う精度で、物理部品を作ることもです」
「つまり、これまでの行いは、無駄であったと?」
「いいえ。リリサの調べたのは、わたくしどもに出来ることと、出来ない事とを、選り分けるためでございますから」
バイネイ親方は引き取って、そう言った。マルクスは問う。
「では、親方の考えは」
「やはり、機神自身の異界自封と、自己再生の力を利用するしかないでしょう。これを、早めてやる働きかけは、できるだろう、と考えております」
機神は、魔力を消耗した時、損傷した時、自らを異界に封印して、魔力を回復し、損傷から再生する。機神の利点でもあり、弱点でもあった。今の人の手に修繕できない消耗は、それによって回復するしかない。鑓の機神の場合は、ほぼ常にそうするしかないし、そうしてきた。
ただし、現世の理は、必滅。
機神とて、そこから逃れえない。動けば磨滅し、魔力を放てば、魔力と現世との相克でまた消耗する。鑓の機神のように、膨大な魔力を使いながら、遠くへ、飛翔するならば、その魔術的な仕掛けは相応に損じる。これまでなら、地を行く軍勢にあわせて飛べばよく、損じた魔術系を、異界封印で自己再生させることもできた。
「・・・・・・」
だが、これよりは違う。
近衛騎士団の新機神を、補完しなければならない。皇帝陛下の近衛騎士団であり、近衛騎士団であるからこそ、レオニダス公爵家からの供奉が成り立つ。
そして、レオニダス公爵家の機神でなければ、近衛騎士団の新機神に伍して働く事は出来ない。他に挙げても、アドルファス一門グスタファス宗家のモノケロス、ヴァレリウス一門ロムルス宗家のディンデなど、ごくわずかしかない。
だからこそ、今が機会なのだ。
「どんな手を使ってもいい」
機神を使い続けるには、とてつもなく金がかかるのは判っていた。公爵家単独では、そんな金は出せない。公爵家自体の力が弱っているから、というのも事実だけれど、最初のレオニダス公爵の頃から変わりなくもある。
ケイロニウス一門の末席に加え、その中でも宗家である皇帝の直接の庇護あってこその機神でもあった。
機神の復活は、つまり皇帝との、その関係の復活でもある。皇太子と、エドキナ大公の関わりも得ての。
「そのお言葉、承知しておりましたが、今こそもう一度、聞かねばなりませんでした」
バイネイ親方は、少しの、いたずらっぽいとも見える笑みを、マルクスへ向ける。
そして卓の上の光の彫像を示す。鑓の機神だ。
「旦様、先に、機神をして、自らに示すよう成されましたでしょう」
宙に浮かぶ、鑓の機神の光の彫像は、実態を持つものではない。それは自ら透けるようになって、甲の奥の骨材や、胎内の操縦槽、あるいは背の結界装置や、結界装置から張り延べられる、結界展張のための仕掛けなどが見える。それだけでなく、それら一つ一つは、別々の色合いを放っている。
「これは、本来は、公爵家の外に示さぬ方が良い類のものでございましたでしょうに」
その彫像を見つめるバイネイ親方は、ふと目を伏せる。
十拍か二十拍か、彼女は口をつぐむ。それからマルクスを見上げ、自身の手をそっとマルクスの手に重ねた。細く冷たい手だった。
「わたくしにも、こういったものが、どういうものかは、少しはわかりましてね、旦様。昔は、それはこの子らが知らぬ昔は、こういったものが、外に漏れぬように、どんなことでも成されましたからね」
彼女は言う。ひどいこともあったのでございますよ、と。
「どんなことをしてでも、旦様のお望み、果たして御覧に入れましょうとも。そりゃあ、可愛い弟子が、引き受けた仕事でございますよ。バイネイ組の最後の仕事に、ふさわしいものでございますから」
彼女は、もう一方の手を宙にかざして小さく振るう。
「この写像によって、わたくしどもの仕事は、大きくはかどったんでございますよ?御機神が自ら、わたくしどもに、何が要る、と呼びかけている姿なのです」
彼女は続ける。魔力は、この現世にとって、何物にもなりえるが、何物でもない、ある種の蓋然性のにこごりのようなものである、と。それがゆえに、魔術はいかなることも成し得、機神も機体をあるべき姿へ、自ら形作ることができる、と。
「我らが、何をせねばわからぬほど、この純粋魔力に近いものを与えねばなりません。しかし、御機神は我らに、こう、呼びかけてきております。我らはこれを読み取り、出来る限り、機神の求めに近い形のものを与えうると、考えております」
「部品部材を作れる、と?」
「より正しくは、機神にとって使いやすい形の神聖金なら、作りうるでしょう。それはこのベルビゴが行います。この子は冶金をやっておりますから」
バイネイ親方の一つ向こうの席で、それまで控えめだった機神工部がマルクスに頭を下げて見せる。
「読み取りは、リリサが行います。ベルビゴと力を合わせて、神聖金作りも、任せます。この子ならやれますとも」
それまで陰気で口うるさかったリリサは、何か照れたように肩をすくめ、それからもごもごと、褒めたからって上手くゆくとは限りませんよお師匠、などと言う。
「御機神全体への手当ては、アスモスらが行います。頼んだよ」
「承知」
アスモスは太い腕を不機嫌そうに組んだまま、そううなずく。隣で弟子のブサスも頭を下げる。
「わたくしは、これまで通り、仕事の采配に当らせていただきます。なんとか、最後まで見て差し上げようとは思っております。どうか、よろしくお願いいたします」
親方は、それまでマルクスの手に重ねていた手を退き、そして、その手を己の身に引き寄せ、マルクスへ向かって、深く頭を下げて見せる。
+
本当のところ、バイネイ親方が、どう思っていたのか、マルクスには良くわからない。
小鬼族のダイモンが、どのようにして機神工部となりえたのか、それまでどのように生きてきたのか、知る由もない。
あのあと、ヴァロ兄は、格納庫の中の控室の一つに住みこむようにして、大公工房に留まるようになった。鑓の機神、光の彫像、公爵家文書の三つを管理するためだ。管理と言っても、彼程度では、守れるはずもない。守られているとすれば、それはバイネイ親方が、弟子らにそうするように求めているからだ。
次にマルクスが大公領に赴いたとき、春休暇になっていた。それは鑓の機神で飛ぶことの、十倍もかかるような旅となってしまった。それだけ留まれる日数は少なくなる。
ヴァロ兄は、別れた時とはずいぶん違って見えた。彼は、文書室の机で、勉強していたのだ。
「んだよ!」
と声も荒く、帳面をマルクスに見えないように隠そうともする。だが、彼は結局、自ら話し始めた。
「若えの、いるだろ、あいつら」
エドキナ大公が貸してくれた、幾人かの従者だ。いずれ帝都勉学を行い、その時には、公爵家が後ろ盾になる約定が結ばれている。すべてが、ではない。マルクスが選んだものが、ということになっている。
「あいつら、すげえひたむきでよ」
ヴァロ兄は言う。あいつら、帝都で勉強したいってよ、そのためなら、何でもするってよ、と。
「俺、あいつらの前で、ちんたらなんかは出来ねえよ」
そうして、帝都から遅らせた、臣民法典概説を、勉強し始めたらしい。
「なるほど」
「それに、あのばあちゃんも、見てるからよ」
ヴァロ兄は、バイネイ親方を、ばあちゃん、と呼んでいる。何に驚いたと言って、それに驚いていた。そのバイネイ親方もまた、格納庫控室の一つを部屋として、そこに暮らすようになったらしかった。
「お師匠は、良くない」
部屋に向かう前のマルクスを呼び止め、駆け寄ったティウは、低く言う。彼もまた、以前とはすこし感じが違っていた。思いつめた風に見える。
「ダイモンの魔術師が、か?」
マルクスがそう問い返すと、ティウは、睨み殺しかねない勢いでマルクスを見、それから苛立たしげに言う。お師匠は、入滅を見ている、と。
「大事なことなのだろう。俺に判るように言え、ティウ」
ティウは、いらだたしげに癖ある黒髪を掻き、そんなことも知らないのか、というような溜息をつく。彼は言った。何気ない風を装って。
お師匠は、自分が死ぬところを、観相している。自らの観相は、自らでは覆せない、と。
「・・・・・・」
高位の術者も、稀に死ぬ、というか世を去ることがあるのは、マルクスも知っていた。しかしそれが、自ら観相するのだとは知らなかった。いや、必ずしも、そうではないのかもしれない。あらゆるものを自在に操り、転移すら行い、並の古人などとは比べ物にならない長い長い時を生きうる高位の魔術師が、どのようにして世を去るのかなど、判るはずもない。
「ならばなおのこと、お会いせねばなるまい」
ティウは、それを止める気は無いらしい。マルクスに先立って歩き、それからバイネイ親方の使う控室の扉を叩く。
「お師匠、ケイロニウス・レオニダス卿が来た」
「・・・・・・」
答えはあったけれど、聞き取るには、物相の観相を効かせる必要があった。マルクスも、その答えを受けるものとして。バイネイ親方は、来た、ではなくて、いらした、だろうに、と少しの文句を言っていた。それから、お入りよ、と応じていた。ティウは扉を開く。自ら入り、マルクスをいざなう。部屋の奥まったところに、寝台が置かれている。
バイネイ親方は、身を起こし、寝台に腰掛けるところだった。
「お久しゅうございますね、旦様」
「親方も、お元気だったようで」
「そう見えますか。ならば、まだ捨てたものでもありませんねえ」
けれど、バイネイ親方は、明らかに衰えて、小さくすら見える。両手で体を抱え込むようにしていて、背も曲がったように見えた。けれど、前歯の抜けた笑みは、前と変わらない。
「まずは、仕事の話から、始めましょうかね」
「そうしていただけるなら」
「ティウ」
「今、神聖金試作品の、加工を行っている。あんたが来るのを待って・・・・・・」
「公爵殿下」
バイネイ親方が言い直し、ティウは、軽くうなずき返す。
「公爵殿下の参られるのをお待ち申し上げておりました。鑓の機神に試作品を装着し、石陵結界で、あの写像をもう一度得ていただきます。先の写像と比べて、リリサが再観相、神聖金を改善する予定です」
「最初の予定とは、比べ物にならぬほどに、進んでおりますよ」
バイネイ親方が、ゆっくりと言う。マルクスは歩み寄り、片膝をついて身を屈める。
「おかげさまで、こちらの予定も進んでいます」
「それはなにより」
「お加減は」
「なるようにしか、なりません」
「何か入用なものは」
「ティウは、馬鹿な子ですけれど、性根は叩き直しておきますから」
「お師匠」
抗う声に、バイネイ親方はくすくすと笑う。マルクスは応じる。
「機神工部の親方株は、かならず取らせましょう」
「ありがとうございます」
バイネイ親方は、丸まった背をさらに曲げて、頭を垂れて見せる。
仕事は進んでゆく。バイネイ親方の直の指図が無くとも、弟子たちには、それぞれにやることがある。
格納庫の鑓の機神の甲が開かれ、一部の部品が取り外され、大公工房で作られた、新しい部品に置き換えられている。今回は、結界装置の置き換えではない。むしろ手脚の内側の部品部材をいくつか入れ替えている。飛翔に関わりの少ない部品を入れ替え、石陵結界の中で、写像、つまりあの光の彫像を得る。
機神に直に触れられるものを限っているから、アスモスとブサスの二人だけが部品の組み付けを行っている。ブサスは顔を上げ、小さく会釈する。マルクスはうなずき返す。
「世話を掛ける。調子は?」
「素性の良い機でさ」
アスモスは手を止めぬまま、それでもいつになく応じる。
「軽さを突き詰めるには、削り落とした作りにするしかないですからな。そういう作りは、良いものだ」
「用意出来次第、動作試験、問題が無ければ、石陵結界に移動する」
「承知」
そういうやり取りは、機神工部も、機装甲工部もあまり変わりない。
そして石陵結界で得た、新しい写像の結果は、思っていたよりも良い物であった、らしい。陰気なリリサが飛び跳ねていた。もっともそれは、鑓の機神が格納庫に入ってくることに気付いたときには、やめてしまった。マルクスが鑓の機神の背を伝い降りたときには、もういつもと変わらぬ風を装っていた。
「つまり、上手く行った、と考えていいのかな」
マルクスが問うと、リリサは思わせぶりに考えるふりをして、それからもったいぶって言う。
「神聖金の被観測性については、想定通りでした。あとは被観測深度を十分に上げてやれば良いだけです。冶金加工でのその施策について、すでに目途は立っています」
「神聖金の部品化加工の目途は?」
「そんなことは行いません」
彼女は自慢を我慢しきれなかったような、妙に押し殺した笑みを浮かべる。
「この施策、機神との同一性を、被観測性の側から行う事なんですよ?いくら物理的加工をしたところで、古代魔導帝國の機神に合うような、そんなことができるわけがないでしょう。機神の自己同一性が、神聖金に、機神の内部での役割を与えるんです!」
もっとも、彼女の長広舌を、まともに聞いていた者はいなかったけれど。
+
鑓の機神は、少しの違和感もささやかない。
いつもの囁き、つまり見下ろす大地の丸みとその有相の波及、揺らぐ大気のありよう、そう言ったものがあるだけだ。その大気の中を、鑓の機神は飛ぶ。さらに速くと、マルクスは命じる。結界を、それに合わせたものにせよ、と。
鑓の機神の結界装置は、二段に、また二つの性質の切り替えができるという。二段二性とリリサは言っていた。公爵家文書では、はっきりとは書かれていなかった部分で、マルクスも、認識しながら使ってみたことは無い。その力を振るえ、とマルクスは命じる。
そうでなければ、組み込まれた神聖金部材の、ほんとうの信頼性は確かめられない。
鑓の機神は駆ける。高い高い空の、深い藍色の中を。
バイネイ親方は、もうその姿を見ることは無い。
最後の仕事、と彼女は何度も言っていた。
マルクスが訪れるたびに、小さく見えるようになっていた。自らの入滅を、自ら観相してしまったのだと、聞いていた。機神工部の頭であり、高位の魔術師でもあるダイモンが、そのようにして世を去ることもあるのだと、マルクスははじめて知った。弟子たちは、何も言わなかった。何故かも、何があったのかも、教えてはならないと、示しあっていたかのように。弟子らは、ずっと以前から、その時が来るのを知っていた風だった。その時が来たとき、はっきり動揺したのは、ティウだけだった。
そのとき、マルクスは、バイネイ親方と、くだらない話をしていた。バイネイ親方が、ずっと過ごすようになった、格納庫の控室でのことだった。たしか彼女がマルクスを呼び止めたからだ。旦様には、お子様はいらしたのでしたっけ、ね、と。
それは人の親となってしまったものを、どうあってもその場に留まらせる話で、マルクスは、寝台に座った彼女の前に、椅子を、背もたれを前に、引き寄せた。その背に身を預けて、マルクスは座る。
ええ、おりますよ。リティウスと言う、そうマルクスは応じる。その名は、ノイナが選んだ。ミノールの長子の名だ。彼がふつうの結婚をしていたら、彼の子が、レオニダス公爵家を継いでいたはずだ。そうはならなかった。ノイナの父は、リティウスの弟で、兄に子が居なかったがために、代わってレオニダス公爵家を継ぐことになった。もっとも、そんなことを話しても仕方ない。話したのは、男の子は女親に似る、という話で、妻似なことに満足している、とかそういうことだ。
「それは良うございましたね」
バイネイ親方は、そう笑った。親方には、子が居ない。弟子は全て、血のつながらない者らばかりだ。弟子らは、マルクスや、ヴァロ兄の居るところでは、お師匠と呼んでいるが、たまに、お母さん、と呼んでいた。
「まあ、親代わりとはいっても、ああいう時代でしたから」
バイネイ親方は、そう言った。みんな、生きてゆくだけで、精一杯だったんでございますよ。口に出さないだけで、恨まれていても、仕方のないことは、いくらでもしてきましたからね、と。魔族と言うのは、そういうものです、と。
「己が力を研ぎ澄まし、多くを従え、それらの者の力を束ね、さらに多くのものを従える。わたくしも、この体でございますからね。身内どころの話じゃあありませんでした。力を束ねるものの力にならねば、より低く組み従わされるのみ。あの子らも、そうして集められ、その中から、わたくしの預かりになる程度、まあ、魔族からすれば、低い扱いの子らだったんですよ」
今でこそ、魔族の工部と言えば、帝國でもちょっとしたものですけれどね。それは、第一市民や、副帝陛下や、そういった方々のお力あってのことでしたから。
いや、それでもね、今のあの子らは、そりゃ、どこに出しても恥ずかしくは無い、とは思っておりますよ。弟子のひいき目なのは、わかっておりますが、ね。
ティウを、拾ってくださる御家があったと聞いて、そりゃわたくしも、肩の荷が下りた気持ちでしたよ。あの子は、わたくしの預かった、最後の子でしたけれど、早いうちから、帝國で仕事をしたいと、思っていたようでね。まあ、いろいろあったのですよ。
今でも、あの子を赦さんと、思ってる子らもいるのは、仕方のないことです。組抜けして、生きてゆけるようになったのは、帝國の時代になってからでございますから。そういうね、あたしらの、古いところも、あの子は嫌がってたんですよ。
いやあ、工部は仕事あってのものですよ。至らぬ仕事をしたなら、赦しちゃいけません。そこは旦様、心してかかってくださいまし。
ええ?今回ですか?それは最初に申しあげたとおりのことです。第一市民にお声頂いたら、それは何でも致しますとも。ティウの為じゃあ、ございません。昔なら、あんな甘い仕切りで、師匠の手を煩わせたら、目を潰され、指を切られてもおかしくはなかったのですよ。ええ。そういうことが、あったんです。
ええ、良い刻ですよ。ほんとうに。
「・・・・・・」
バイネイ親方は、寝台に腰掛けたまま、小さく息をつく。はじめに会った時には、こんなに小さいとは思わなかった。
「すみませんがね、旦様」
彼女は言う。ご迷惑をおかけすることになりそうですよ、と。ちょいと、ティウの奴を呼んではいただけませんかね、と。
「少し、お急ぎになって」
そう言われて、マルクスは、初めて、ただならぬことだと気付いた。急ぎ席を立ち、部屋の入口へと向かう。ティウは格納庫にいつも据えてある卓にいた。
「ティウ。すぐに来い」
彼は苛立たしげに顔を上げ、けれどマルクスを見返すと、すぐに立ち上がり、小走りに駆けてきた。扉を荒々しく閉じ、寝台のバイネイ親方へと駆けよる。
「お師匠!」
バイネイ親方の小さな体を支え、それから、寝台に横たえさせる。その手を握り、顔を寄せる。
「・・・・・・」
彼がバイネイ親方に何と呼びかけたのか、マルクスには良く聞き取れなかった。けれどバイネイ親方は、優しい笑みでをそれを迎える。
「ばあちゃんよばわりは、これが、最期だからね」
「だめだ!早すぎる」
「そんなに大声を出さないでおくれでないかい。ちゃんと聞こえてるから」
何が起きようとしているのか、マルクスには、やっとわかった。入滅だ。バイネイ親方は、死につつある。
部屋の中に、魔力の波紋の気配がある。それが転移なのも、すぐにわかった。
ベルビゴや、リリサや、アスモスの姿が、部屋の中に現れてくる。マルクスの見知らぬ姿も、ふわりと転移門から降り立ち、あるいは床からゆっくりと姿を現したりしていた。
彼らはただ黙って、入滅し行く師匠を、バイネイ親方を見つめていた。
もうずっと前から、そうなることを知っていたように。師匠の手を握り、声を上げて呼ぶのは、ティウだけだ。眠りゆく母を、何とかして呼び起こそうとする幼子のように。
彼は静かな部屋の中に、声を上げて、ばあちゃん、と呼び続ける。
「・・・・・・」
ティウの他に、初めて動く姿があった。アスモスだ。大柄なその姿は、音も無く滑るように、弟子の間を通り抜け、ティウの元へと向かう。寝台の傍らで、声を上げて、支障を呼ぶティウの、その肩に、太い腕を伸ばし、触れる。
ティウは振り返る。
「あんた!これでいいのか!」
「どうすることも出来ぬ。定められていたのじゃ。静かに送れ。母にこれ以上の心配をさせるな」
ゆっくりと、バイネイ親方の命の火が消えてゆく。それはマルクスにもわかった。命の炎が消え、魂は肉体より解き放たれ、この現世に解放されてゆく。そうして、体は、ただの器へと戻ってゆく。息を引き取り、もう動かない。
「・・・・・・」
そののち、誰も口を聞かなかった。ただ静かに、時が流れていった。
どれくらい経っただろう、一人の影がゆっくりと動き、マルクスの前に進み出る。ベルビゴだった。最初の弟子の一人だと聞いていた。
「旦様、我らはこれより殯を行わねばなりませぬ」
彼女は続ける。母は、教会のやり方に従うことを望んでおりました。我らもそのようにするつもりです。今は、すでに夜。夜は冥王の刻。母を、冥王に持ち去られるわけには行きませぬ。
「俺はいかにすればよろしいか」
「ここで起きた事、見たことは、どうか口になさいませぬよう。明日の朝までで構いません」
「承知した」
「そして、我らにすこしのお暇を」
「承知した」
「仕事、我らが組の名に掛けて、必ず果たしに戻ってまいります」
「承知した」
アスモスが、ティウの肩を掴み、寝台より引き離す。代わってリリサともう一人が、バイネイ親方の体を布で包む。おくるみにくるまれた、赤子のように小さなその体を抱き上げ、彼らは転移の門を開く。その中に、バイネイ親方の姿も消えた。
一人、また一人と、弟子らは、その転移の門へと消えてゆく。ブサスが消え、アスモスに背を押されたティウも消えた。最後まで残っていたベルビゴも、マルクスに一礼して、転移の門へと消えた。転移の門は閉じて消え、部屋には、寝台やわずかな家具が残るだけだった。
それが、バイネイ親方の最後だった。
+
バイネイ親方の殯なるものが、どのように始まり、どのように終わったのか、マルクスは知らなかった。
何事も無かったように一夜をすごし、鈍いヴァロ兄が気付かぬままであることに安堵し、しかし何か起きたらしいことに気付いた魔族従者らのことは、無視して過ごした。
翌朝になって、バイネイ親方の弟子たちは、礼装に身を包んで現れ、バイネイ親方が亡くなり、早朝に、教会の礼をもって埋葬されたことを伝えてきた。
怒ったのは、ヴァロ兄で、普段は鈍い癖に、マルクスがバイネイ親方の死を隠していたことに、すぐに気付いたらしい。
「なんでばあちゃんが死ぬことを俺に教えなかったんだ!」
ヴァロ兄は激しく怒った。情の人の怒りは激しい。それを面倒と思うマルクスとは、決して合わない。そこに割って入ったのが、大公から貸し送られた従者らだった。
兄様、それは違います、と。魔族の中には、まだ古いしきたりを守るものが居て、それは、冥王から逃れるためのしきたりで、そのために、死を隠すものらがいるのです、と。その冥王逃れのしきたりを、マルクス兄様は守ってくだすっただけなのです、と。
ヴァロ兄はぎちぎちと歯噛みして、けれど、俯いて、引き下がった。思い込んだら命がけの、ヴァロ兄にしては、珍しいくらいに、あっさりと。しかたねえ、と言いながら。それでも、その場に座り込んで、唸るように泣きもした。魔族従者たちは、そんなヴァロ兄と何か通じるものがあるらしい。
再び、何事も無かったかのように、仕事は進んだ。仕切りはティウが引き継いだ。他の弟子らと、無視し合うようなことは無くなった。親しいとは言えないけれど、打ち合わせの狭間で、何か少しの話をするようにもなったらしい。
バイネイ組の作った神聖金は、鑓の機神に良く馴染んだ。それらは、部品部材の形として作られ、鑓の機神にはめ込まれるのではない。それは、薬のように、滋養のように、鑓の機神へ与えられる。
箔のかたちにまで、薄く作られた、鑓の機神のための神聖金を、消耗した結界装置に張り付ける。それは、消耗を、機神自らの手によって回復させる、水の魔術の薬に似た役割を果たす。
ティウの粗く甘い考えに、はるかに高い洗練を与えたのは、バイネイ親方とその弟子たちだ。魔力結晶である神聖金に、あらかじめ、鑓の機神に馴染むような相を与える。その神聖金を、己がものとして、鑓の機神は自らをあるべく形に、速やかに変えてゆく。
それは、鑓の機神が顕現させた、光の彫像から得られたことあってのことだ。鑓の機神はもう、公爵家の奥に隠された、公爵だけが手を触れられるものではない。
「・・・・・・」
飛翔する鑓の機神は何もささやかない。すべてがあるべきままであり、何事も示すことなど無いと言う風に、ただ飛び続ける。
押し寄せるうねりのような雲を横目に、傾きつつある日差しに照らされながら。ここより見ると、大地とは、実は丸く、虚空に浮かぶものだと、良くわかる。
次は、マルクスと鑓の機神とが試される番だ。
近衛騎士団の新機神とともに戦える、その力があるのだと示さねばならない。クルル=カリルという名の明かされた新機神、それを必ずしも打ち負かさずとも良いのだけれど。
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例によってこれはこれで。特に魔族関係は。
もちろんこれは、サマヲモチーフの一つ。
最終更新:2015年04月04日 21:02