聴取 アムリウス(5)
青空。
とりあえず、それだけ。
風が吹き、木々の梢が揺れる。ようやく鳥の声が戻ってきている。モリアにほど近い演習地から、十里ばかりすっとんだ、どこかの森だ。文字通り、すっ飛んできて、吹き飛ばした。あたりの木々はなぎ倒されている。
もの思うのがおっくうだ。かといって、眠りに落ちられるわけでもない。耳元に草が揺れる。
だからマルクスは、草はらに身を投げ出して、ただ青空を見上げていた。気力も尽き果てるというのは、こういうことなのだろう。
鑓の機神と、あのアルブム・モノケロスとの一騎打ちは、終わった。
今、日差しの中でその白い機体は片膝をついて在る。白く輝く翼ある機神は、まさに北方の守護神と呼ばれるのにふさわしい。あの機神を討ち取れと、皇帝陛下が莫大な賞金を掛けたのは、よく知られている。しかし皇姉アルトリウス大公殿下と、その駆る機神レギナ・アトレータすら、あの機神を討ち取ることができなかった。
レギナ・アトレータの誇る大帝乃剣と、何合となく打ち合い、討ち取らせ得なかった太刀は、その背に収められている。背にあるのは、それだけではない。三葉の羽根を伸ばした翼も一対ある。その六葉と、尾羽根のような一葉、その翼が示す通り、モノケロスは自在に宙を舞うこと、それ自体を機神の能として持つ、数少ない一柱だった。
モノケロスは北方の空を自在に舞い、北方軍の危機を単騎幾度も救ってきた。壱百ともいわれる戦いを経て、いちどたりとも討ち取られることは無かった。あのアルトリウス大公駆る剣盾の機神、レギナ・アトレータと幾度も立ち合ってすらいても、だ。並の機装甲、並の乗り手ではどれほどの数でも相手にならず、黒騎士三人掛りでも、何合打ち止められるかというほどであったという。黒騎士三人掛りで、何合の打合いに耐えられるか、であったなど、マルクスにはにわかには信じがたい。実際に手合わせするまで、飛翔を使った離脱をしていたのだと思っていた。
だが、違った。伝聞こそが正しかった。
モノケロス相手には間合いが通じない。その飛翔能があるからだけではない。その飛翔能を存分に使った武術は、マルクスの思い込みを打ち砕いた。間合いそれ自体があってなきがものだった。モノケロスは踏み込み一つで飛び込んでくる。それがアムリウス神父のかつて言った、体得すべき武術であった。マルクスにとって最後の壁だった。
あんなものと立ち会って、乗り手の認めを勝ち取れとは、ずいぶん無茶な話だと思う。しかし帝國最強の機神の一柱と、対等以上に戦えることは、帝國が秘密裏に作ろうとしている、新機神に求める壁であるらしい。古代魔導帝国の技の粋を集めて作られた機神と、対等以上に戦うというその目標自体が破天荒にマルクスには思える。なぜマルクスまで、とは思うのだが、鑓の機神もまた、その飛翔能を用いて、新機神とともに任務に就くらしいーらしい、が、知らぬは乗り手ばかりなりだーマルクスにもその乗り手なりの力が求められた。思うところはいろいろある。煎じ詰めれば、鑓の機神の力は疑われていない。疑われているのは、マルクスただ一人ということだった。
まあ、いい。もう終わった。あのただ一度の期にかけても、あそこまでやるのが精いっぱいだった。
実戦だったら、死んでいるだろう。それも何度も。
試しを、通りえたのか、それはまだよくわからない。とにかく、立ちあがるどころか、思い起こす気力もない。だいたい、機神の胎内から這い出すまででも小半刻ほどかかった気がする。その背を伝い降りるとき、正直、背筋が寒くなった。胎内へ通じる入口でもある背の甲蓋、鑓の機神の場合は、鳥のような作り物の末尾の部分なのだが、そこにありありと、えぐられた傷がある。モノケロスの乗り手が、本気でとどめを刺しに来た、その跡だった。
まあ、本気になった、というのは、それくらいの認めは得られたのかな、とは思う。
実際、それまでは、本気どころではなかった。
今日の前に二度行った立ち合いの後に、アムリウスははっきりと不満を口にした。彼はそういう人なのだ。ノイナに聞いた話では、決闘騒ぎの仲裁の噂は本当だそうだ。本当に己の腕を切り落としたという噂は。そして彼は、マルクスにこう言いもした。
『今のままでは、君を推挙に足ると認めるわけにはゆかない』
そうだったろうと思う。もちろんマルクスの側にも言い分はあるのだが、そんなことに一分の理もない。帝國の新機神。これの先触れたる力が無ければならない。ここまでマルクスがやってきたことの意味すら失われる。もちろん、公爵家にとっても。
アムリウスは公正で高潔だった。ゆえにあのように言い渡してきた。認められない、とアムリウスが心を決めるまで、何度だろうかと考え、マルクスは三度と読んだ。すでに行われた一度を含んで、だ。その三度を全力で戦っては、マルクスの身が持たない。経験も、能力も、あちらの方がはるかに上なのだ。そして彼は、そのすべてをいつでも使える。ただし、そのすべてを使ってマルクスを打ち倒すことは目的ではない。
それは目的ではないはずだったが、しかし、彼の立ち合いは、まったく容赦なしの全力だった。初めからあの翼から、六葉の羽根を切り離し、宙を乱舞させ、鑓の機神を囲み撃ってきたし、それそのもので貫かんとーもちろん寸止めであるがーしてきた。鑓の機神が俊足を生かして囲みを抜ければ、六葉の翼とモノケロスは、一つの砲撃陣を成して、魔力を撃ち放ってきた。近づけば、アムリウスは空中での剣技を思う存分に見せつけ、鑓の穂先などやすやすと避けて見せる始末だった。
そうしてマルクスと鑓の機神は、二度の立ち合いで、二度撃ち落された。その一度一度の立ち合いに対する、マルクスの態度に、アムリウスが不満であるのは、当然だと、マルクスも思う。彼は内戦の前にすでに近衛騎士ではあったけれど、内戦が始まって十五年の間、常に一度きりの真剣の立ち合いを、数え切れぬほど行ってきたのだから。そうして、幾度も傷を負いながら、彼は一度として撃ち落されず、生き抜いて内戦の終わりを迎え、皇帝陛下の大赦を受けた。生き抜いてきた彼の自負は、彼自身が思っているより、ずっと強い。三度目で見切りをつけられるだろう、というのは、さほど間違っていないはずだった。
同じことを繰り返しても、同じことにしかならない。だから、同じことはしなかった。アムリウスには壱百ともいわれる戦いがあった。マルクスに許されたのはずっとすくない。そしてそれ自体を糧にしなければならない。
前の二度では、見せなかったことがある、ということでもある。同じ相手でも、立ち合いはそのたび一度きり。そう言ってのけたのはアムリウス自身でもある。
どうするつもりだ、と問われた。
それは危惧と親切心からなのもわかっていた。応じかねたマルクスに、彼が良くない心象を持ったのもわかった。
とはいえ、マルクスにも期するものは、もちろんあった。どれほどのものを賭けてきたのか、ひとに語って聞かせるつもりなどないだけだ。そして鑓の機神に乗った。
三度目。これでアムリウスの心象は固まる。
空中で、間合いを得たが、大きくは取らなかった。
言うほど楽じゃない。間合いを取れば、速さを保って動きやすいが、それでは撃たれた上に、六葉の羽根に追い回される。今ですら、次々と放たれる魔力に追い回されている。一拍たりとも隙がない。
最良の乗り手ならば、鑓の機神の鑓と魔術で、まったく別の戦いようがあったかもしれない。だが、そんな力は、マルクスにはない。モノケロスの飛翔の間合いより遠く、しかし羽根の斬撃を振るうには近く、しかも乱れ打ちにかからないように素早く、飛ぶしかない。
そして、あるところから、引きつけながら逃げるしかない。
捕まえるために。
そんな都合の良いことが、できるものか、と歯ぎしりしながら。
弧を描いて飛ぶ。天と地の巡るなかから、なんとか見やれば、宙に浮くモノケロスを囲むように、六葉の羽根が宙に浮いている。そこから、魔力が放たれ、空を切り裂く。あれでも、使い方は抑えている方だ。これまでの二度の立ち合いとは、違った動きをする鑓の機神を、訝っている。自在の間合いがあれば、鑓の機神の鑓は、モノケロスの太刀とでも対等以上に戦える。乗り手がそうできたならば。機神の乗り手にふさわしいか、疑われているのはマルクスだ。
身をひねり、空を蹴って、飛び退く。機神の鑓を生かす、間合いを狙った動きに見せかけて。
見せかけどころじゃない。間合いを変えた途端に、モノケロスを囲んで浮く、六葉の羽根もその円陣を広げる。黒の龍神の砲撃杖の全力射撃と撃ち合ったというモノケロスの六葉陣だ。
魔力が放たれる。空を切り裂き、演習地の地をえぐり、吹き飛ばす。追い立てるように次々と放ってくる。マルクスは機神の身を翻させ、地を蹴って、低く飛ぶ。地を蹴り飛ばして、小刻みに逃れながら、そのたびに、術を使う。
蹴り飛ばした地から吹き上がる、土柱に術を成す。
ただの囮だが、無いよりましだ。そして、マルクスも魔力を放つ。鑓の穂先に近似した相を与えられた術と、それから、土柱から作った囮そのものを。
それら囮の群れは、土煙の尾を引いて、宙を飛び行く。
鑓の術をかわした、アムリウスはすぐさま応じた。六葉陣を開く。六葉の羽根が、飛んだ。その速さは、六方に散る姿が、光の軌跡にしか見えぬほど。飛び来る六葉の羽根は、それ自体が剣と同じ。日差しを浴びてきらめきながら、舞人美、土煙の囮を切り裂く。
魔術秩序を失って宙を舞う砂ぼこりの向こうで、モノケロスは背の太刀を抜いた。土煙の囮など、いくら作っても無駄だと言いたげに。宙舞う羽根が、光をはじき、軌跡を描いて、大きくめぐる。
正面からの二本。左右から、二本ずつ。いずれも、囮だ。さらに上から最後の二本。それすら囮だ。本命は、アムリウス自身。太刀を抜いたモノケロスだ。
けれど、マルクスはあえて、飛び退いた。術を込めて地を蹴る。上からの二本が飛び来る。土煙の囮に突き刺さり、吹き散らす。正面からの二本も飛び来る。これに囲まれた終わる。
けれど、六葉の剣をかわさねば始まらない。
そして見えた。モノケロスの姿が。
だから、マルクスは術を開いた。機神に備えられた、本来の機能。二段二性の結界能力。それをモノケロスへ向けて放ち、伸ばす。それでは、モノケロスを倒すことなどできない。構わぬとばかりに、太刀を振るい来る。
かかった。この先は、たった一度しか行えない。
伸ばした結界は、もとよりモノケロスを捉えるためだけのもの。鑓の機神の飛翔のときに、魔力を集めるためのもの。マルクスの扱う強さでは、モノケロスの動きを止めてしまうこともできない。だが、違うことなくモノケロスへといたる。
マルクスは、地を蹴った。
「!」
六葉の剣と、刹那にすれ違い、モノケロスへ向かって、飛ぶ。
だが、モノケロスは揺らがなかった。その太刀を真っ向振るう。マルクスも鑓を振るった。かすかな迷いは、戦士としての格の差でしかない。取れぬと、思えば、取れぬ。
激しく打ち合い、押し込みながら、鑓の穂先は、太刀に抑えられたままだ。
はなから二の手に頼らねばならない。
それが、マルクスとアムリウスの力の差だ。だから、二の手を振るった。モノケロスを結界にとらえながら、飛んだ。音よりも早く飛ぶときの、二段の力を使って。
六葉の剣をはるか後ろに取り残して、モノケロスと鑓の機神は飛ぶ。風を切って、風を取り残して。
押し込力を、いなして逃れようと、モノケロスが身じろぎする。今更逃れようとしても遅い。このまま・・・・・・いや。
身をひねるように、機の進路をひねる。結界のまま、もろとも大地へ打ち付ける。
「!」
激しく衝き撃たれ、意すら手放しそうになる。あたりの木々が、大きく揺れる。土煙の中でモノケロスが身を起こす。その太刀を構える。右に流した下段の構え。マルクスが来るのを待っている。
行くしかない。モノケロスが六葉の剣を取り戻したら勝ち目はない。
真向、鑓を構える。
「・・・・・・」
そうか、と思った。通じるかどうかなど、わからない。でも、やるしかない。
地を蹴った。飛び込む。モノケロスが迫る。鑓の切っ先を前に、動いた。
磨き上げた剣士の動きで、切っ先をかいくぐる。わずかに身を沈め、かすめた鑓もそのままに、右の下段から太刀を振るってくる。
その動きを、マルクスも待っていた。
鑓の機神の左の盾で、太刀を真っ向から受ける。激しく衝かれて、押しのけられそうになる。だが、しっかりと受け止めた。
それでいい。盾も左腕も使えなくていい。なぜなら・・・・・・
鑓の機神は身を翻す。受け止めた太刀そのものを軸にするようにして、自らモノケロスに背をむけ、くるりと巡り、身を入れ替える。
とっさにの動きだった。
けれど、この技のことは、良く知っていた。
このまま身を翻して、首を狩る。
鑓でするために、一歩間合いを取ることすら、体が勝手にやっていた。もう十年も前に見知った技だ。以前なら、けっしてやらなかった技。だが、モノケロスの動きも信じられぬほど早かった。
マルクスが身を翻すことで、受け止められた太刀に得手を取り戻した刹那、そのまま身を翻したのだ。
「!」
身を翻し、太刀を振りぬき、振り下ろし、鑓を打ち据えてすら見せる。
「!」
構わず地を蹴る。狙いは、モノケロスの襟首。
そこを目指して、鑓の機神の、鳥首のような、鋭い意匠を叩きこむために。
「!」
だが、それが届く前に、背が激しく衝かれた。
太刀を翻して、背を打ってきたことだけは、わかった。
「・・・・・・」
次に気づいたときは、モノケロスはもう身を引き離していた。離れたところに片膝をついており、背の甲蓋はすでに開かれていた。乗り手のアムリウスの姿は、見えなかった。
見えたところで、どうしたわけでもない。マルクスが鑓の機神の胎内をはい出せたのは、小半刻過ぎてからだ。
そして、青空。
小さく影が浮いている。鳥ではない。なるほどな、とマルクスは思う。ここに、帝國の内で、飛ぶことに意を図って作られた三柱の機神が集まっている。
「降りたか」
声はもちろん知っていた。アムリウス神父の声だった。あちらの機神のことではなく、マルクスが鑓の機神から、ということだ。
彼は草を踏み、歩み寄ってくる。そして、マルクスの隣に座り込む。
「ほら」
差し出してくる皮の水入れは、ひんやりとして、飲めというより、どこにでも当てろ、といった風に思えた。だから、マルクスはそれを額にあてた。
「危ういことをしてくれる」
どれのことだっけ、と思うほどだった。半ばからは、必死になりすぎて、これが試しということを忘れかけていた。最後も、背を突かれなければ、モノケロスの首筋に、鑓の機神のあの鋭い鳥首の意匠を突きやっていただろう。
「・・・・・・」
その前の、技。
まさか、片目の教えた技を、ここでいただいて使うとは、思ってもみなかった。それを含めて、あらゆることが、アムリウスに阻まれていたのだが。
「正直に言って」
アムリウスは言う。
「君が十年早く生まれていなくて、良かったとは思った」
十年か、と思った。
「・・・・・・」
いや、考えても仕方ない。
そして、青空。
ただ、今があるだけ。
10年経って気がついたのだが やつの髪
子供の頃は登っていたが 私学入学前に切った それを再び伸ばし始めたという設定にすればよかったんだな
最終更新:2020年04月28日 15:48