東部列強の一角、ヴェルツヴァインが帝国領を侵し一つの城塞都市を灰燼に帰せしめた二十年前のヴェルツヴァイン紛争。

表向きは領界線を巡る衝突の激化に端を発すると言われる戦争は、商工連邦による仲裁により休戦協定が結ばれるまで凡そ2年半に渡って継続された。

実際は平穏によって停滞する技術の進歩、魔道技術の実験や軍事転用による新たなシーズ開拓を目論む帝国魔道大家にして、魔道技術によって立つ財閥を形成するファルージュ宗家によって画策された、世界を進化させる為に求められた流血。

ファルージュ宗家の依頼によってヴェルツヴァイン王家と軍部に工作を行ったのは、大陸史の影に名を刻む暗殺教団。


そんな思惑の贄として、ファルージュ財閥系研究所から秘密裏にヴェルツヴァイン軍部へと供与された戦略級大規模魔術の炎に焼かれた帝国中東部の城塞都市。
故郷と家族を焼かれ、不思議にも焼け落ちた瓦礫の下で奇跡的に生き延びた、両手にかき集めた灰を握り締めた少年。

事の顛末を確認しに訪れた教団の者に、戦争を起こす奴が憎いか、その為に振るう力が欲しいかと問われ、己を連れて行ってくれと懇願する少年……



ヴェルツヴァイン紛争から遡ること十数年前、先の少年のように東部国境沿いの村落で暮らしていた別の少年がいた。

まだ東部列強との衝突がさらに頻繁であった時代の終末期。
同様に故郷を東部列強の威力偵察部隊と称した実態はただの夜盗崩れに襲われる村。

夜盗に襲われ、嬲られる母を押し込められた床板の下から見つめながら失った一人の少年。

少年は紆余曲折を経て帝国魔術士の総本山、魔道学院の門を潜り、青年となった。

一つの願いを抱えて入学した学院で、それが果たされることは無かった。
秀才と称えられ優秀な成績で導師課程を卒して賢者の塔研究員となった青年は、帝国東部に点在する古代王国の遺跡調査に従事することとなる。

やがて彼は土地の娘と恋に落ち、家族となった。

中東部に存在する城砦に囲まれた街に、小さいながらも二人の家を建てた。

幸せで穏やかな日が続いた、彼が塔勤番によって留守にしていた最中、炎の雨によって彼の家が焼け落ちたその日までは……。




妻を焼かれ苦悶の果てに、坂を駆け下るように誰に教えられた訳でもない邪法の知識を紐解いていく導師の名はティモル。

子供たちの家を炎から守る力を欲して暗殺者に請い新たな名を授かった少年は以後ラニウスと名乗るようになる。



導師が学院時代に一度願い、一度奪われた『誰かを傷付けても、誰にも大切なものを傷つけられない力を……』の願い。

けれど二度目のそれに、かつてその願いを彼の幸福を祈りながら奪った者の手は届かない。

かつて願いは喰われたけれど手段の知識は忘れていただけ。
一度目に匹敵する嘆きと願いは、封印の編み目をほどくように知識と技術への理解を導師に与えてしまう。



まだ邪法を実行する準備として、命ある存在、肉体を対価とする研究を極秘裏に実践していた錬金術士でもある貴族を抹殺し、その研究成果を奪おうと算段する導師は、選ばれた暗殺者の少年があの灰燼の街で生き残ったという話を耳にして、戯れに声をかける。


『私たちは同じ痛みを持つ仲間だ、最後の家族と言ってもいいかもしれないな。一緒に望む世界をつくろう。悲しいのはもう、嫌だろう……いつかその時が来たら、私を手伝ってくれないか』

髪を撫でられた大きな手のひら。

壮年となった導師と、まだ幼い暗殺者の少年の邂逅。



それから何年経っただろう、戯れの口約束などが果たされることは無く、青年へと成長した暗殺者にとってそれはただ髪に触れられたぼんやりとした幻のように曖昧な記憶となっていた。

暗殺者として、とうの立った己に課された恐らく最後となるであろう仕事を、名指しで依頼してきた誰か……
本来接触することの無い依頼人が、己の前に現れたその日までは……。

『そうだ、人や人が造り上げたこの世界など汚い出来損ないだ』

だから、と歪んだ笑みに瞳を細めた導師があの日のように青年の髪を撫でる。けれど、その掌から伝わるものはあの日とはあまりに何かが違う。

『前に言っただろう? 私と君が望む世界に変革しよう』

だが…と顔を寄せた導師の囁きが耳朶をくすぐる。
我々の願いを成就する、その為に手に入れるべきものがある、と。

『私たちの約束の成就の為に。探し出してくれるね、この魔道学院のどこかにあるはずのソレを……』
最終更新:2012年06月25日 22:22