概要
阪急宝塚線
は、大阪梅田から宝塚駅を結ぶ、阪急電鉄の路線
沿線には豊中や池田などの住宅街を抱え、多くの通勤通学客などに利用されているほか、蛍池で大阪モノレールに乗り換え、伊丹空港へ行く人も多い。阪急設立当初に開設された路線で、創立者の小林一三の秀才さがにじみ出た路線である。なりたちについては特記してあるためそちらも閲覧ください。同ページには同路線系統の 阪急箕面線 も併記する。
沿線には豊中や池田などの住宅街を抱え、多くの通勤通学客などに利用されているほか、蛍池で大阪モノレールに乗り換え、伊丹空港へ行く人も多い。阪急設立当初に開設された路線で、創立者の小林一三の秀才さがにじみ出た路線である。なりたちについては特記してあるためそちらも閲覧ください。同ページには同路線系統の 阪急箕面線 も併記する。
路線
阪急宝塚線
| 駅番号 | 駅名 | 最高停車種別 | 発車メロディ | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| HK01 | 大阪梅田 | 日生エクスプレス | 宝塚線用(曲名不明) 第三の男 |
最終のみ第三の男 |
| HK02 | 中津 | 準急 | - | |
| HK03 | 十三 | 日生エクスプレス | - | (*1) |
| ↓京都線,神戸線↓ | ||||
| HK41 | 三国 | 普通 | - | |
| HK42 | 庄内 | 普通 | - | |
| HK43 | 服部天神 | 普通 | - | |
| HK44 | 曽根 | 通勤急行 | - | |
| HK45 | 岡町 | 通勤急行 | - | |
| HK46 | 豊中 | 通勤特急 | - | 当駅から 急行 が各駅停車 |
| HK47 | 蛍池 | 急行 | - | |
| HK48 | 石橋阪大前 | 日生エクスプレス | - | |
| ↓阪急箕面線↓ | ||||
| HK49 | 池田 | 日生エクスプレス | - | |
| HK50 | 川西能勢口 | 日生エクスプレス | - | (*2)、(*3) |
| ↑能勢電鉄線↓ | ||||
| HK51 | 雲雀丘花屋敷 | 急行 | - | 平井車庫併設 |
| HK52 | 山本 | 急行 | - | |
| HK53 | 中山観音 | 急行 | - | |
| HK54 | 売布神社 | 急行 | - | |
| HK55 | 清荒神 | 急行 | - | |
| HK56 | 宝塚 | 急行 | - | |
阪急箕面線
| 駅番号 | 駅名 | 最高停車種別 | 備考 |
|---|---|---|---|
| HK48 | 石橋阪大前 | 普通 | |
| HK57 | 桜井 | 普通 | |
| HK58 | 牧落 | 普通 | |
| HK59 | 箕面 | 普通 |
種別
同路線には現在、6つの種別が設定されている。
日生エクスプレス(特急)
朝夕ラッシュ時のみ運転。能勢電鉄線と直通運転を行う。能勢電鉄線内で唯一、通貨運転を行う営業列車である。能勢電鉄線の車両がこの運用に就くことはない。また、川西能勢口でスイッチバックを行う。
停車駅 :大阪梅田、十三、石橋阪大前、池田、川西能勢口、(平野、畦野、山下、日生中央)
停車駅 :大阪梅田、十三、石橋阪大前、池田、川西能勢口、(平野、畦野、山下、日生中央)
通勤特急
朝夕ラッシュ時のみ運転。川西能勢口以北へは入線しない。
停車駅 :大阪梅田、十三、豊中、石橋阪大前、池田、川西能勢口
停車駅 :大阪梅田、十三、豊中、石橋阪大前、池田、川西能勢口
急行
通勤急行
夕方の宝塚方面行きのみの運転。準急とあまり変わらない。
停車駅 :大阪梅田、十三、曽根からの各駅
停車駅 :大阪梅田、十三、曽根からの各駅
準急
朝の大阪方面行きのみの運転。一部は今津線を経由して運転される。
停車駅 :大阪梅田、中津、十三、曽根からの各駅
停車駅 :大阪梅田、中津、十三、曽根からの各駅
普通
日中は大阪梅田~雲雀丘花屋敷で運転される。
停車駅 :各駅
停車駅 :各駅
形式
| 車両リンクは製作中 |
成り立ち
現在の阪急電鉄の前身となる箕面有馬電気鉄道が、それまで都市間輸送を行ってきた阪神電鉄や京阪電鉄とは違い、梅田から当時は田畑しかなかった宝塚に鉄路を通した。普通に見れば利用者など増えるわけもなく、赤字当然のような路線だった。しかし、当時箕面有馬電気鉄道の専務だった小林一三は路線の敷設と同時に沿線で宅地開発を行い、移住者を集めるために現在の「住宅ローン」のような販売方式を発案、当時借家が当たり前だった一般庶民でも自分の持ち家に住めるようにし、岡町、豊中、池田などの沿線の人口を着々と増やした。しかし、小林一三氏の考えはこれで終わりでなかった。サラリーマンが乗っていく梅田と真反対の宝塚に百貨店や劇場を建設、さらにレジャー施設の一環として現在の宝塚歌劇団につながる劇団を設立。こうして、平日は梅田に働きに行き、土日は家族で宝塚に遊びに行くことで1週間で一家が全線を乗りとおすように仕向けた。こうして箕面有馬電気鉄道は現在でも関西有数の大手私鉄として君臨することになった。このことはその後の私鉄路線の在り方を一変させ、都市間輸送の他にレジャー施設や住宅開発なども並行して行うという現在の考え方を築き上げた。