≪自由民主党参議院議員<比例代表>2013年公認候補者2≫
ようつべカスタマイザ
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≪自由民主党参議院議員<比例代表>公認候補者≫

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僕が見た永田町~素人しか変えられない~㉓
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結局、支持母体のないまま本番を迎えることになった僕が、選挙期間中にやっていたことは大きく3つだ。一つはこのFacebookをはじめ、Twitter、ブログなどネットを利用して自身の主張の発信をすること。二つ目は、ありがたいことに応援をかってでてくれた衆議院議員の方々や元々の知人を頼って全国各地を回り、ミニ集会に出席すること。そして三つ目は時間を見つけては街頭に立つことだ。他にもスタッフが中心となって、公職選挙法で許されている有権者に対する15万枚のハガキの送付や、新聞の折り込みチラシなども実施した。これで10万票を目標にしていたのだがら、選挙のプロから見ればちゃんちゃらおかしく映るかもしれない。でも当時の僕はこれで果たして結果がでるのかと憂うよりも(前回の選挙で、ネットだけで4万票近くの票を獲得できたという自信も心の片隅にあったのは事実だ)、目の前のスケジュールをこなしていくことで精一杯だった。さて、今回は元地方議員の知人K氏から誘いを受け、福島県を訪れた時の話だ。「自民党から出馬しているF議員が、一日中連れまわしてくれて一緒に10本ほどの街頭演説ができる。併せて、決起集会も実施するので、予定が合えば福島まで来ないか?」との誘いをK氏から受けたのは6月中旬のことだった。F議員は当時の法務大臣。そんな大物議員が一日行動を共にしてくれるなんて、まさに願ったりかなったりの話だ。おそらく強力な支持団体も多数お持ちだろうから、場合によっては・・・なんていう身勝手な皮算用ももちろん働く。僕が二つ返事でその誘いに乗ったのは言うまでもない。そして迎えた当日、朝8時。最初の街頭演説場所である役所前に出向くと、既に50人ほどの人が集まっていた。さすがは大臣だと感心していると、遠くからウグイス嬢の声が聞こえてくる。「朝早くからお騒がせしており、大変申し訳ございません。自民党公認のFでございます。この後8時15分より〇〇役所前にて、街頭演説を実施いたします。皆様、お忙しい中とは思いますが、是非お集まりいただくよう何卒、何卒お願いいたします」やがてウグイス嬢の声と共に、F氏を乗せた街宣車が役所前に到着。車から颯爽と降り立ったF氏には、気品と貫禄が漂っていた。さすがは現職の大臣だ。早速自ら歩み寄って、集まった人たちに握手を求め始めた。最近では時間を短縮するためにハイタッチで済ませようとする候補者も多数みかけるが、あれで票につながるのは大物だけ。握手して、できれば写真も撮って、はじめて一票につながる。これが僕の2回の選挙を通じて得た実感だ。F氏はタスキをかけ、待ち構えていた僕にも近づいてきて、力強く手を差し出した。「伊藤君だよね。Kさんから色々聞いてます。今日は一日、一緒に頑張ろうね」「貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございます。よろしくお願いします」心強かった。厳しい選挙戦が続く中での寛容な態度に、感激もした。何度もいうが現職の大臣だ。しかも今回は僕側にしかメリットがないのだから、もっと横柄な態度をとられても仕方のないところだ。ほどなくして、F候補の演説が始まった。聴衆はじっと聞き入って、時折うなずいている。感触は悪くない。最後のくだりになって、いきなり僕の名前が飛び出した。「・・・・そして比例区には同じ自民党の仲間、今日ここに足を運んでくれている伊藤洋介、伊藤洋介候補の名前を投票用紙に書いていただくよう何卒よろしくお願いいたします」びっくりしてあわてて頭を下げながら、僕の気持ちは一気に高揚していた。大臣がここまではっきり言ってくれるとは思っていなかったからだ。ありがたかった。 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~㉒
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結局、選挙戦を間近に控えながら、確実な支持母体は見つからないままだった。もちろん、毎日のように、「それが本当だったらすごいじゃん!」って話は舞い込んでくる。まだあまり知られていないが、すでに会員数が2万人に達している宗教団体の教祖と知り合いだ。とある地域の利権をすべて握っていて、〇〇大臣も選挙の際にはお願いに出向く、建設業界のドンを紹介できる。病院、学校法人を多数所有し、その地方の行政にも多大な影響力を持つ経営者が「洋介と会いたい!」と言っている。などなど。大抵、聞いているうちに幾つかの疑問点が沸いてくる。端的に言えば、そのよさげ話に粗が見えてくるのだ。それでも、僕はそれらを指摘することなく、言われるがままに彼らと面会した。時に飛行機を使い、新幹線を使い、片道半日以上を要することだってあった。スタッフからは「怪しいから、行ってもきっと無駄ですよ」と止められても、聞く耳を持たなかった。なぜか!?話を持ってきてくれる人たちの多くに悪気がないことだけは想像できたからだ。それどころか、何とか僕の力になりたいと考えてくれている。そんな彼らの好意を、やる気を無下にすることなどできるはずもない。とにかく一人でも多く、僕のことを真剣に考えてくれる応援者が欲しかった。今考えると、あの当時の僕は肉体的にも、精神的にも相当追い込まれていたのかもしれない。中でもスーパーあずさに乗って訪れた、山梨県にある宗教団体の訪問は不思議な体験だった。同行してくれたのは、地方議員の秘書であるS氏。氏とは6月の上旬、ある衆議院議員のパーティーで知り合った。旧知の仲であるかのように、満面の笑みを浮かべて近づいてきた氏にいきなりこう切り出されたのだ。「伊藤さんのような国会議員が、これからの自民党には絶対必要だと思うんですよ。でね、もしよければ少しご足労いただくんですけど、かなりまとまった票を持っている、宗教家を紹介させていただきたくて。先日もお会いしたんですけど、選挙区で応援する候補者は決まってるようなんですが、比例区はどうやらまだみたいなんですよね。いかがですか?」「伊藤さんのような国会議員が必要」と言われ悪い気はしない一方、唐突な提案に、戸惑ったのは言うまでもない。何しろ初対面だ。その上に宗教家ときた。普通に考えれば、胡散臭さはプンプンである。返答に窮していると、氏はまたニコッと笑った。「お忙しいでしょうし、今ここで決めるのは難しいですよね。もしご興味ありましたら、いつでも連絡ください。応援してますよ」握手を求められ、応じると強く握り返された。悪意はなさそうだ。第一、あったところで命までとられるわけではないだろう。「では、失礼します」その後ろ姿を眺めながら、明日の朝にでも電話を入れようと決めた。きっと早く動いたほうが、氏もいっそう加担してくれるに違いない。駅からタクシーに乗っている最中、宗教家と対した際のレクチャーを受けた。本当は、電車の中で詳細な話を聞くつもりだったが、秘書らしく忙しい様子のS氏は新宿駅発車時からずっと席をはずして、電話をしていたのだ。「むこうが聞いてきたことだけ、答えてください。余計なことは言わないでいいですから」氏は前方を見据えたまま、僕の目を見ずに言った。余計なことってなんだ?急に緊張してきた。選挙戦まであと10日ほどに迫った中、ほぼ半日をつぶして山梨まで足を運んだことを少し後悔した。すぐに今更だと気を取り直す。せっかくここまで来たんだから、全く 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~㉑
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IT企業の社長であるK氏から、待ち合わせの場所として指定されたのは、銀座のクラブだった。打合せにクラブ?それも選挙の?とも思ったが、従うしかない。法にふれない限り、どんなことをしてでも票が欲しかった。なりふりなんてかまっている場合じゃない。クラブに出向くなんて、お安いごようだ。入り口で社長の名前を告げると、付け回しの男性に席に案内される。場は既に盛り上がっているようで、中央にどっかと座った恰幅のいい男が豪快に笑っていた。カフスボタンのついた見るからに高価なワイシャツを着て、水玉の紺色のネクタイを締めている。おそらく、どこかのブランド品だろう。お金回りは相当良さそうだと想像がついた。証拠に、周囲を固めた4人のホステスが何とか気に入られようと、シナを作って氏の話に耳を傾けている。僕の登場に気が付いた一番端に座っていたK氏がさっと立ち上がった。「M社長、お話していた、伊藤さんです。お力添えよろしくお願いします」K氏に促されるようにして、僕も頭を下げた。「初めまして、伊藤洋介です。よろしくお願いします」顔を上げ、M氏と一瞬目が合ったが、すぐに視線を逸らされた。氏は早速、右隣に座っているホステスに話しかける。僕の存在なんて、眼中にないように。「飲んでないじゃん。焼酎はきらい?苦手だったらワインでも頼めば?」「えー、いいんですか?」即座に、一番年長と思しきホステスが、ボーイに向かって手をあげた。「ワインリストくださーい」届けられたワインリストを、M氏とホステスが楽し気に眺めている。正直、見ていて気持ちのいい光景ではない。最近になってお金を持った人の典型だなと思いながら、もちろん顔に出すわけにはいかなかった。とにかく今日はこの男に気に入られるために時間を割いて来たのだ。すぐにワインが運ばれてきた。7つのグラスに均等にワインが注がれる。「カンパーイ」僕も一口、口をつけたところで、M氏の視線を感じた。「男だったら、もっと豪快に飲めよ。そんなんじゃ、落選だな」明らかな上から目線の言い草に苛立ったが、口に出せるはずもなく、勢いよくその場で立ち上がる。「じゃあ、いただきます!」飲み干して、氏を見た。視線が合うが、またすぐに逸らされた。今度 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑳
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議員会館地下にある会議室。 B衆議院議員とC衆議院議員の呼びかけによって実現したIT業界各種団体との打合せは、思いの外、活気のない空気に包まれていた。これまで、選挙絡みの集まりには何度か足を運んでいたが、いずれも独特の熱に満ち溢れていて、「絶対に勝ちましょう!」「回りに宣伝しますよ」等と声をかけてくれ、勇気と益々のやる気をもらえることがほとんど。ところが、この日に限っては名刺交換の際に、目も合わしてくれない人がいる始末だ。気のせいかもしれないが、敵意の目を向けられることも。 集まっていただいた皆さんは総勢30名ほど。名だたるIT企業の役員の方に加え、団体の代表など、いやらしい話、「今ここにいる人たちの支持を得れれば、一体どれだけの票になるんだ!!」とわくわくするような顔ぶれだったが、如何せん、出席者の表情に覇気がない。連日続く暑さのせいで、疲れているのかとも考えたが、会議室はきんきんに冷房が効いている。IT業界ゆえ、選挙にありがちな、いわゆる体育会系なノリは苦手なのかとも想像したが、そういうことでもないようだ。つまるところ、議員に呼ばれたから、仕方なく時間作って来ました的な雰囲気が漂っている。「我々の業界のために、政治家を送り出そう」なんて空気はゼロだ。これはダメだなと思った。たかが二度しか体験してない僕が言うのもおこがましいが、やはり選挙には熱が必要だ。何があっても勝ち抜くという熱。この熱がない限り、人の気持を動かすことはできないし、当然投票行動に移してもらうことなんてできない。選挙の決起集会は大抵「ガンバローコール」で締めるが、あれなんぞ、その熱がなければとてもじゃないが恥ずかしくて、できる業じゃない。 B議員からは事前に「以前から相談があって、I 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑲
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翌日、僕は早速IT業界からの選挙協力について、C衆議院議員と打合せをするため議員会館を訪れた。C議員は、前回の選挙の際にもお世話になっていて、理想高く、真摯に現状日本が抱える課題に向き合っている政治家。僕的には絶大な信頼を寄せていた。人口減少に一向に歯止めがかからない中、人手不足が深刻な問題になっていることは皆様もご承知の通り。そして、その解決のためにIT、AIといった先端のテクノロジーを活用する必要があることに異論を挟む人は少ないだろう。ところが、今の日本ではその最先端テクノロジーをフルに活用することに様々な規制が立ちはだかっている。例えば、Uber。海外旅行の際、利用した人は多いと思う。日本の都市部のように隅々まで公共交通機関が整備されていない土地で、Uberは本当に便利だ。ところが、この画期的なサービスが日本では遅々として広がらない。法の規制があるためだ。万一この規制を緩和しようすれば、タクシー業界からの反発は必至。このタクシー業界から選挙協力を得ている議員は多数いるのだから、規制緩和が進まないのは当たり前といえば、当たり前の話だ。かねてからこの現状に疑問を持っていた僕からすれば、IT業界から選挙協力を得られるなんて話は、まさに願ったり叶ったりだった。これが全く興味のない、更に言ってしまえばその団体 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑱
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某日。僕は知人を介して、自民党所属のD議員に面会するため、議員会館を訪れた。もちろん選挙の協力をお願いするためだ。それまで面識はなく、図々しいお願いであることは百も承知。それでも遠慮なんてしている場合じゃない。何としてでも、10万人の有権者に投票用紙に「伊藤洋介」と書いてもらうためには、どんなつてだって使う覚悟だった。D氏は、笑顔で僕を迎え入れてくれた。「オープンエントリー、ご苦労様でした。大変だったでしょう」まずは好感触。ここぞとばかりに早速本題を切り出すと、途端に氏の顔色が曇る。「こうやって来てくれているんだし、協力したいのは山々なんだけど、もう既に比例区で応援しなきゃいけない候補は何人かいてね・・・」想定内の返答だった。前回の選挙でも、公認が取れた後、何人かの議員の方々に会いに行ったのだが、ほぼ同様の答えが返ってきた。自身の選挙の時に応援してもらっている団体から、既に要請が来ているというのだ。要は持ちつ持たれつということ。でもだからといって、引き下がるわけにはいかない。前回は、本当に右も左も分からず、すごすごと退散するしかなかったが、3年経った今、何を言われても食らいつく図々しさだけは身についている。今回の選挙では前回のネットに加え、所謂ドブ板をやるつもりではあったが、どうしてもまとまった票が欲しかった。まとまった票・・・つまり 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑰
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オープンエントリー結果発表から一夜明けた5月12日。伊藤ようすけ事務所には、朝からスタッフが詰めかけ、早速来る7月10日に向けての会議が行われた。参議院比例区の投票方法は、ここでも何度か触れているように国民にまだまだ周知徹底されていない。(大問題だと思うが、候補者である僕に、それを批判する資格はない)投票用紙には、政党名もしくは候補者の名前を書くことを知らない人がまだまだ多いのだ。(衆議院の場合とごっちゃにしている方が多いように思う)結果についても、当落の詳細について理解している人は少ないように思う。この場で、少し説明をしたい。例えば、前回伊藤洋介が獲得した票は37423票。万一、維新もしくは公明党からの公認を受けて立候補していた場合は何と当選していたことになる。ちなみに自民党であれば77000票、民主党にいたっては140000票の票を獲得しなければ当選とはならなかった。つまりは、どの政党から公認を受けて立候補したかによって、当選するために必要な獲得票数が異なってくるのだ。しかも、このボーダーラインは選挙の度毎に、大きくぶれる。会議の結果、我々事務所では、今回の獲得目標票数を10万票に設定した。よほどのことが起きない限り、この票数を獲得すれば、自民党公認候補者として、晴れて当選できるとの読みだ。今後は、法に触れることなく、何が何でも10万人の人に、投票用紙に「伊藤ようすけ」と書いてもらえるように、様々な施策を打っていかなければならない。一口に10万票といっても、途方もない数字だ。東京ドーム 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑯
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5月11日。午後5時からのオープンエントリー結果発表を前に、僕も含めたスタッフは昼過ぎあたりから、事務所に詰めていた。普段は冗談が飛び交う、明るい事務所だったが、この日ばかりは軽口を叩く者はいない。僕に気を使っていることは明らか。皆、神妙な面持ちでパソコンに向かっている。一方で、僕の携帯は鳴り続いていた。その結果を心配してくれている応援者からの問い合わせだ。「自民党から何か連絡はないの?」「本当はもう決まってるんだろう?」5時の発表を自身も待っている旨を伝えながらも、だんだん不安になってくる。「1位の者には、既に連絡が入っているのでは?」との疑念が頭を擡げてきたからに他ならない。考えてみれば、12名が選出されたファイナリストの決定は電話で知らされた。今回はニコ生による発表ということだが、その場に1位の者がいた方が番組が盛り上がることは明らか。ということは、1位通過者だけにはもう電話で連絡が入っていて、既に自民党にてスタンバイしているのではなかろうか。考えれば考えるほどに、悪い事態ばかりを想像してしまって、ネットサーフィンをしながらも、文章が頭に全く入ってこない。ここで負けたら、すべて終わり。永田町に身を置く立場から、音楽の力で、ライブの力で、地方をひいては日本をもっともっと元気にしたいという夢もついえてしまう。前回の選挙以来、忙しい中時間を作ってくれて、僕の話に耳を傾けてくれた人たちの顔が浮かんだ。みんなの期待を裏切らないためにも、負けることは絶対に許されない。悶々とする中、時刻はようやく5時を迎えた。パソコンの画面に 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑮
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今からほぼ一年前の、2016年5月2日。オープンエントリーのネット投票は締め切られた。本来であれば、これで戦いは終わりのはず。ところがだ。僕も含めてスタッフは未だ、戦いの渦中にいた。遡ること3日前のこと。スタッフが、とある所から、聞き捨てならない情報を掴んできたからに他ならない。「某候補者が、自民党員にハガキによる投票を呼びかけている。しかも投票数は着実に伸びている」一週間程前、伊藤洋介が、現在第三位であるという情報が飛びこんできた時と同様に、事務所内に衝撃が走った。今回のオープンエントリーは、党員でなくても投票できるネット選挙と党員のみに権利があるハガキによる投票のいずれかの方法で参加してもらうことができた。伊藤洋介陣営では、前者のネット選挙による投票に力点を置いていたことは言うまでもない。正直、ハガキによる投票に対する選挙運動なんて、頭の片隅にもなかったのだ。自民党員は約100万人。党所属議員によって、集められている。それぞれのポジションによってノルマの数に違いがあるらしい。その達成具合によって党での待遇に差がつくことは容易に想像がつく。ノルマというと、なんだかネガティブなイメージを受けるかもしれないが、この党員の名簿は必ず選挙の際には役立つので、議員の立場からすると避けては通れないのが現実だ。ちなみに、年会費は4000円でその家族は2000円。党員になると、定期的に会報が送られてくるくらいで、他にこれと 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑭
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僕が現在第三位だとの情報は、とある支援者からスタッフを通じて寄せられた。(後に全くの誤情報であることがわかったのだが・・・)もちろん、自民党による情報管理はきちんと行われているはずで、漏れるわけがなく、にわかに信じ難かったが、明確に否定する確かな情報も持ち合わせていない。情報によれば、僅差ながら、伊藤洋介は女性、男性候補に続く第三位。僕はもちろんスタッフ内にも動揺が広がった。残すところ後1週間。果たして逆転は可能なのだろうか!?それまでの選挙戦は思惑通りに推移しているつもりだった。昼間は集会などを通じて、とにかく人に会い、その場で投票をお願いする。そして夜はSNSを通じて、情報を発信する一方でライン、メッセンジャーを使っての投票依頼。嘗てCM制作に携わっていた頃の仲間や、テレビ番組制作会社の友人が完全なボランティアで制作してくれた映像の再生回数も順調に伸びていた。結果、総投票数を30000票と設定し(民主党でのネット選挙事例を勘案しての数字)、その半分の15000票の獲得を目標とする中、ほぼ予定通りに票は積み上げているつもりだったのだ。我々の票読みに狂いが生じているのか?如何せん、パソコン、スマホを使っての投票には手間がかかる。時間にして10分程度だが、たかが10分、されど10分だ。したがって、「やっておくね!」と言われても、実際にはやってもらえていない可能性は大。 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑬
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オープンエントリーネット選挙締め切りまで一週間を切った、4月28日、都内ホテルにて決起集会を開催した。前回の選挙では、ネットだけで票を集めることに固執していたこともあって、この手の集会の開催は一切なし。したがって、当日を迎えるまではトラブルの連続だった。通常の選挙活動に支障がでることもあり、いっそ取り止めようかと思ったことも一度や二度じゃない。僕も含めて、選挙のプロ的なスタッフがいなかったため、致し方のないところか。お恥ずかしい話なのだが。まずは値段の設定でつまずいた。完全な普段やっている結婚パーティーのノリで男女間に差をつけたのだが、情報を開示した途端、自民党担当者からお怒りの連絡が入った。「オープンエントリーは正式な選挙ではないとはいえ、本番選挙の前哨戦の候補者であることを考えれば、公職選挙法を遵守し、マスコミからつっこまれるような行為は慎んでほしい。伊藤さん、二回目なんだからしっかりしてください」これには、返す言葉がなかったのは言うまでもなく。結局男女共に7000円で落ち着いたのだが、この価格設定も、選挙運動期間中かどうかに関係なく、当選を目的として、有権者に対して、お金や品物を渡したり、食事やお酒をごちそうしたりすることが買収罪に相当するゆえ、二転三転した結果だった。集客にも悩まされた。とにかく、僕の周囲には選挙に馴染みのある人、政治に深い関 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑫
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4月1日。いよいよオープンエントリーのネット選挙開始。書類選考と面接によって、500名近くの応募の中から自民党が選んだ12名のネットによるガチの戦い。といっても、世間の認知はほぼゼロ。寸暇を惜しんで知り合いに会い、投票をお願いしながらも、この現実には虚しさを感じずにはいられなかった。とにかく会う人、会う人、「オープンエントリー?何それ?」って感じ。記者会見も想像通り、ほとんどメディアには取り上げられなかったし、まあ致し方ないところか。7月に参議院選挙があることすら知らない人も多くて、政治への不信感を目の当たりにする日々が続く。総理が出演しているオープンエントリーの意義を説明したyoutubeの再生回数も一向に上がる気配がない。おそらく日本で一番知名度のあるタレントである総理が出演しているにもかかわらず、日に再生回数は数十回程度しか上がらないのだ。嘗てCM制作に携わっていた人間からすると、これほど有名なタレントを使っていて、なぜもっと注目されるような映像ができないのかと文句の一つも言いたいところだが、当然そんな立場にはない。「そもそも自民党の支持率が4割程度だし、その政党の候補者を決める選挙なんて、興味がなくて当たり前」と言い聞かせながらも、やるせない気持ちがどうしたって沸いてきてしまう。一方で、せっかくのオープンエントリーという機会をこのまま終わらせてはならないという使命感にも駆られていた。この企画が盛り上がらな 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑪
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3月上旬。僕も含めたオープンエントリーファイナリスト12名が自民党本部会議室に集められた。当初は10名の予定だったが、オープンエントリー運営側によれば、「いい人材がたくさん応募してくれたので12名になった」とのこと。顔ぶれは確かに、多彩だった。元衆議院議員、現職の区議会議員といった政治経験者から、現職の国会議員秘書、外資系のサラリーマン、都銀に勤務するOLなどなど。初対面なので、外見とその経歴から想像するしかないのだが、皆現状の日本が抱える様々な問題解決のために自身の身を捧げようとする覚悟がひしひしと伝わってくる。まさに強敵揃いといった印象。果たして、この11人と真っ向勝負して、勝ち抜けるのか。不安が募る。自身がやることさえやれば、大丈夫と言い聞かせながらもこうして目の前にすると、どうしてたって相手の戦い方が気になって仕方ない。当然、投票がネットで行われるゆえに、従来の選挙とは異なった手法を駆使する候補者もいるだろう。もちろん、前回の選挙での反省から「ネットだけで戦ってはダメ。所謂どぶ板に比重を置きながら、それを補完する形でネットを利用する」という戦い方に確信はあったものの、僕の想像もできないやり方を用意しているツワモノだっていないとは限らないのだ。自己紹介の後、各々の番号を決めるためのくじびきが行われた。この番号の順番で、今後自民党が作成する資料も作られ、後に予定されている街頭演説も実 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑩
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オープンエントリーファイナリストに残るかどうかもわからないまま、僕は全国を回り続けた。決まってから動いていては遅い、の一心だった。ファイナリスト発表は3月中旬。4月1日からネットでの投票が始まるが、選挙期間は40日程しかない。その期間例え一日100人に会えたとしても、4000人程度にしか達しないのだ。そう思うと、居ても立ってもいられなかった。ネット選挙とはいえ、顔を突き合わせて語り合い、僕自身の考え、人柄をわかってもらわなければ票に結びつくことはない。それが前回の選挙を通じて思い知った現実。知名度がなく、支持母体もなければ、この地道な方法しか、有権者の心を動かすことはできないのだ。各地を回る中、改めて実感したのはオープンエントリーの認知度の低さ。とにかく知られていない。ほぼ100%の確率で。「今年7月にある参議院選挙の予備選みたいなものです」と説明しても、「へー」っと薄いリアクションが返ってくる場合がほとんど。「これまで自民党は、比例区では支持母体のある人もしくは著名人にしか公認をしてこなかった。今回、ネット選挙というオープンな場で選ぶことは画期的なことなんです」と熱く語っても、「ふーん」って感じ。そもそも、政治に関心が低い上に、参議院選挙比例区で採用されている非拘束名簿式すら正しく理解されていないのだから、当然といえば当然か。国会議員の選出方法を国民が正しく理解していないというのは大変な問題だと思うが、現状それを批判している身分ではない。一方で、僕が政策として掲 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~➈
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2月13日。自民党オープンエントリー面接。この面接を経てファイナリストに選ばれた10名が、4月から実施されるネット選挙に挑戦する権利を得る。ここでつまずくわけにはいかない。選挙事務所も、借りたことだし。スタッフにだって、顔向けができない。選挙対策副委員長であるB氏に2名の衆議院議員の方を加えた3対1の面接だった。主に聞かれたのは以下の3点。なぜ政治家を志すのか。なぜ自民党なのか。オープンエントリーではどうやって、集票するつもりなのか。特に3点目について、多くの時間が割かれた。僕が力説したのはネット選挙といえども、やはりドブ板が大切であるということ。これはもちろん前回の選挙での反省を踏まえた上でのことだ。2013年に行われた参議院選挙において、僕は、初めてネット選挙が解禁されたということもあって、所謂ドブ板と言われる選挙手法に時間とお金を割かなかった。従来の選挙のやり方を知らなかったし、それに精通しているスタッフもいなかったので、ネットに力を入れるしかなかったのだ。したがって、選挙カーも走らせなかったし、街頭で演説することもほとんどなかった。その分、選挙期間中はSNSで主張を発信し、最終日に至っては朝の9時から15時間に亘って、ニコ生の配信を行った。その結果、いただいた票が約4万票で当選には3万票強足りなかった。戦いを終え、痛感したのはネットの限界。「握手した数だけ、票につながる」と語る政治家は多い。当初僕は、この見解には反発していた。実際、僕自身、これまで政治家と握手したことなど一度もないし、例え握手したとしても、それ 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑧
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選挙プランナーK氏からの申し入れはその場で断った。現状スタッフの中に選挙に通じている者がいない中、力を借りたい気持ちはやまやまだったが、無い袖は振れない。どこをどう探しても、1億円なんて大金は持ち合わせていないのだ。氏と別れた帰り道。穏やかな気持ちとは程遠い、不安な気持ちで一杯になった。氏は、「比例区の候補者なら、1億くらい使うのが一般的だと思いますよ」とはっきりと断言した。全国を飛び回るための交通費、宿泊費を足し合わせたとしても、到底億の額には及ばない。ということは、集票するためにはお金を使ったもっと別の方法があるということなのか。考えても、考えても、答えは出ない。年が明けて程なく、事務所の契約をした。スタッフが集まりやすいという理由で場所は渋谷区桜丘。広さは30㎡で家賃は管理費込みの14万円弱だ。選挙が終わる7月一杯の契約ということで、なかなかいい物件が見つからず苦労したが、まずは一安心。1月の中旬から、ここに週一回のペースでスタッフが集まり打合せをすることとなった。スタッフは総勢8名。僕が一人一人会って、お願いをした。ちなみに皆、本業は別にあって、伊藤洋介事務所の仕事に専任するわけではない。選挙の結果、落選する可能性もあるわけで、その際は無職とな 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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下関にて。
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地方創生についての講演会的なものをするんでと、安倍昭恵さんに呼ばれて久しぶりに下関。年の離れた弟みたいに憎たらしくもありながら、それでもやっぱり憎めない(笑)古市憲寿君も一緒に。会場は平日の夜にもかかわらず、ご多分に漏れず人口減少に悩む山口、下関を何とか盛 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑦
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑦ 突然の電話から一週間後のこと。指定された六本木にある喫茶店に先に着いていた僕の姿を見つけるなり、氏は笑顔で駆け寄ってきた。「お忙しいところ、すいませんねえ」そう言って、名刺を渡された。聞いたこともない横文字の会社名に、代表取締役の肩書。僕は改めて、K氏をまじまじと見た。いかにも上質そうな生地で仕立てた紺色のスーツに淡いブルーのシャツ。ストライプのタイを締め、ブランド物のメガネ。出で立ちからして、氏は、見るからにやり手に見えた。年の頃は40代前半といったところか。早速僕は最初の疑問をぶつけた。「どうして僕の電話番号を知ってたんですか?」「伊藤さんは有名人ですから、まあ、いいじゃないですか、そういうことは」さらりとかわされた。これ以上聞いても、教えてくれそうにはない。ここは引き下がるべきかと悩んでいると、氏がぐっと身を乗り出してきた。その迫力に、一瞬たじろいでしまう。「で、伊藤さん、次も出るんですか?」ここに来る途中も、どう答えようかとずっと迷っていた。オープンエントリーに挑戦することは、今後支えてくれるスタッフとごく数人の信頼する友人にしかまだ伝えていない。やはり初対面の人間に本当のことを言う必要はないように思えた。「まだ、決めてないです。第一、自民党からの公認がでるかどうかもわからないですから」「そうですか・・・」氏は少し、残念そうな面持ちになった。ここは、事実を伝えるべきか。その方が何か有益な情報を得られるのではないか。気持ちが揺らいだ。考えを巡らせながら、コーヒーカップに手を延ばす。口にいれたコーヒーはすっかり冷めていた。「不躾な質問なんですけど、伊藤さん、前回はどのくらいお金は使われました?」「えっ!?・・・そんなこと、言いたくないですけど」さすがにむっとし 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑥
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑥ 年の瀬も迫った12月下旬。僕はオープンエントリーにチャレンジすることを決めた。このままのやり方を通していても自民党からの公認は得られないとの結論に達したのが一番の理由。選挙対策委員長から直接、「自民党は公認する可能性は低い」と言われてしまっては、もう為す術なしと判断したのだ。合わせて、C衆議院議員から聞いた「オープンエントリーを通過した者には、自民党が支持母体をつけてくれるらしい」という話も、僕の背中を押した。支持母体がつけば票が読める。前回落選した身からすると喉から手が出るくらいほしいと思った。もちろん団体によることは言うまでもないが。さすがに自身の考え方と全く違う世の中を目指す人たちから支援を受けるわけにはいかない。一方で、「まだ推す候補のいない団体なんてあるのか?」とも思った。世の中には実に様々な団体があって、その利益を守るために各々国会議員を送りこんでいる。本戦が半年に迫っている中、未だに候補者が決まっていない団体なんて果たしてあるのだろうかと疑問を持ったのだ。支持母体の話については、異論のある方も多いと思う。その団体のいいなりになるわけでしょ。国会議員が特定の団体の利益のためだけに行動していいのか、等々。これを読んでいただいてる方の中にも、ご意見ある方はどんどんコメントに書きこんでいただければ幸いだ。ここで、オープンエントリーについて、今一度説明をさせていただきたい。参議院は各選挙区から選ばれた議員と比例区から選出された議員とで構成されている。オープン 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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杉村太郎、愛とその死
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太郎の奥さん杉村貴子氏が本を出版した。太郎とは、もちろんシャインズの嘗ての相方「杉村太郎」のこと。題して「杉村太郎、愛とその死」。丁寧に丁寧に、何度も読み返しながら、読了。 3年前に亡くなった東京プリンの相方牧野隆志は、ガンであることを告知された直後、僕を病院に呼び出し、こう語ってくれた。「洋介さあ、俺、ガンでよかったわ。人の死に方って色々やろ。事故で亡くなる人もいるし、災害で命を落とす人もいる。みんな突然やん。でもさあ、俺はガンで死ぬから、死ぬための準備期間があるねん。こんなラッキーなことってないって。後3年、俺はやりたいこと、しなければならないことを全部やろうと思ってる。そしたらさあ、きっと80や90歳まで生きる人に見劣りしないくらいの充実した人生になると思うねん。まあ、見ててや」。その時の彼のそれまで見たことのない圧倒されるような面持ちは、今でも鮮明に覚えている。 シャインズの活動時代、太郎はとにかく睡眠を拒んだ。曰く「もったいない」 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑤
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑤ 「自民党がやってるネット番組に出演したりして、ちゃんと貢献してたのに?」「自民党員だって、ちゃんと集めたんでしょ。洋介、なめられてるんだよ」来る参議院選挙で、自民党公認候補となるためには「オープンエントリー」なるネット選挙を経なければならないと選挙対策委員長から言われたことを告げると、友達は皆、一様の反応だった。中には、「だったら無所属で出ればいいじゃん!」という過激な意見も。残念ながら、現状の選挙システムを考えると、この意見はあまりにも現実的ではない。比例区で採用されている非拘束名簿式(https://ja.wikipedia.org/…/%E9%9D%9E%E6%8B%98%E6%9D%9F%E5%9…)ででは、投票率によって多少の前後はあるものの、無所属で立候補した場合、約100万人の人に「伊藤洋介」と書いてもらわなければ、当選とはならない。さすがに、これは無謀だ。 12月に入っても、どうすればいいのか決めきれない状況が続いた。言うまでもなくネットの世界は奥が深い。前回の選挙でネットのみで戦ったくらいであるから、リテラシーが低いとは思わないが、だからといって高いとも思えないのが正直な自己分析。ネット選挙ともなれば、想像もできない手法で挑んでくるツワモノもいるかもしれない。「お金を使って、不正を働く候補者もいると思いますよ」そう指摘をしてくれる友人もいた。そんな戦いを果たして勝ち切れるのか。言うまでもなくそこで負ければ、すべては終わりだ。一方で、時間の経過と共に「このままでは公認する可能性は低い」とされた自民党の 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑤
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~⑤ 「自民党がやってるネット番組に出演したりして、ちゃんと貢献してたのに?」「自民党員だって、ちゃんと集めたんでしょ。洋介、なめられてるんだよ」来る参議院選挙で、自民党公認候補となるためには「オープンエントリー」なるネット選挙を経なければならないと選挙対策委員長から言われたことを告げると、友達は皆、一様の反応だった。中には、「だったら無所属で出ればいいじゃん!」という過激な意見も。残念ながら、現状の選挙システムを考えると、この意見はあまりにも現実的ではない。比例区で採用されている非拘束名簿式(https://ja.wikipedia.org/…/%E9%9D%9E%E6%8B%98%E6%9D%9F%E5%9…)ででは、投票率によって多少の前後はあるものの、無所属で立候補した場合、約100万人の人に「伊藤洋介」と書いてもらわなければ、当選とはならない。さすがに、これは無謀だ。 12月に入っても、どうすればいいのか決めきれない状況が続いた。言うまでもなくネットの世界は奥が深い。前回の選挙でネットのみで戦ったくらいであるから、リテラシーが低いとは思わないが、だからといって高いとも思えないのが正直な自己分析。ネット選挙ともなれば、想像もできない手法で挑んでくるツワモノもいるかもしれない。「お金を使って、不正を働く候補者もいると思いますよ」そう指摘をしてくれる友人もいた。そんな戦いを果たして勝ち切れるのか。言うまでもなくそこで負ければ、すべては終わりだ。一方で、時間の経過と共に「このままでは公認する可能性は低い」とされた自民党の 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~④
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~④ 「このままでは、伊藤さんを自民党は公認しないと思います」この日が初対面のM選挙対策委員長から、いきなりこう切り出され、僕は返す言葉がなかった。もちろん、言いたいことはあった。自民党員を300名集めるというノルマはちゃんと果たしていること。前回の反省を踏まえ、地方を回り、人脈を広げていること。ただ、いずれもM氏の言葉への反論に足りるとは思えなかった。それほど氏の面持ちには、いかなる議論も受け付けないある種の覚悟がみなぎっていたのだ。「伊藤さんもご存知の通り、比例区で公認する候補には、全国的な知名度があること、もしくは確実に票に結びつく大きな団体があること、このいずれかの要素を自民党は求めます。残念ながら、この2年の間に、伊藤さんの知名度が著しくあがったとは思えないし、どこか強力な支持母体がついたという形跡もない。となると、前回のように公認する可能性は極めて低いということになるんだよね。・・・わかるよね」この場所にたどり着くまでの間、心の奥底で抱いて淡い希望が、音をたて崩れいく。現状の活動の程度では、当選ラインには遠く及ばない。だから、ノルマをクリアしていようと、地方を回っていようと、自民党は公認はしない。M氏は、こう言っているのだ。前回の戦いで、知名度もさることながら選挙における支持母体の必要性を痛いほど感じていたにもかかわらず、また同じ失敗を繰り返そうとしている自身が、腹立たしくもあり、情けなくなった。諦めるしかないの 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~③
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~③ 結局、選挙対策委員長であるM氏と面会を果たせたのは、2015年11月のことだった。A衆議院議員に依頼してから、既に半年の月日が流れていたことになる。何故これほどの時間がかかったのか。偏に僕がこの面会について、「何が何でも早くに実現しなきゃ」と切望していなかったことが原因だ。早い話、僕の怠慢!心のどこかで、「党員集めのノルマを果たしているのだから、自民党の公認はもらえる」という奢りと油断があったのだと思う。したがって、A議員の秘書とメールでスケジュール調整をしながらも、こちら側からせつくことはしなかった。返信がなくても、気長に待った。全く公認をもらおうとする人間に、あるまじき行動だったと反省しきりだ。一方で、僕は全国を精力的に回っていた。(と言いながらも、結局落選したのだから、まだまだ足りなかったということになる。ただ、金銭的にはこれが限界だった。お金が続かない。ちなみに2014年4月頃から訪れた都道府県は21に及ぶ)前回、ネットだけで戦い落選した反省を踏まえ、とにかく人に会って、その話に耳を傾けた。そして、僕の思いも聞いてもらった。農業に従事している人、地元にイベントを誘致している人、パン作りで世界一になった人などなど、職種は様々だったが、自身の仕事にプライドを持っているからこその夢について熱く語ってくれた。どうして、そこまで熱くなれるのか・・・。皆、自身の愛する故郷の衰退ぶりを目の当たりにし、強烈な危機感を抱いていたからに他ならない。自分が何とかしなきゃ、この街は消滅してしまう。そんなお尻に火のついた現実が、彼らの気持ちを突き動かし、行動となって現れていたのだ。実際、地方の衰退ぶりには驚かされた。以前に比べて(一応、芸能人という仕事柄、これまで47都道府県すべて 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~②
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僕が見た永田町~素人しか変えられない~② 前選挙対策委員長より指示をうけた「自民党員300名を集めること」の目処が立っていたことをいいことに、未だ現選挙対策委員長と面識がなかった僕。時は2015年4月。リベンジを果たすべく決戦が1年数カ月後に迫っている中、今から考えると、自民党からの公認で立候補しようとしている人間にあるまじき現状だった。よく選挙では「投票日翌日から次の戦いは始まっている」というが、その言葉に今ひとつ実感を持てたなかったのが原因であることは明白だ。浪人中だって食っていかなければならない。食うためには働かなければならない。この現実が、僕の暮らしの中でのプライオリティの最上位に次回の準備を差し置いて、「働く」ことを押しあげてしまっていたのだ。莫大な資産でもあれば話は別だが、残念ながら、僕にはそんなものはない。ちなみに、前回の選挙では、それまで蓄えていた貯金の約半分を使っていた。そして次回のチャレンジには残りの半分を使う算段だった。言わずもがなだが、選挙にはお金がかかる。もちろん、他の候補がいかほどのお金を使っているのかは知る良しもないが、一度とある地方議会議員の方に「伊藤さんなら、1本くらいは用意しているんでしょ?」と聞かれて、大いに驚いたことがある。曰く「参議院議員の比例区であれば1~2億円を使うのが常識」というのだ。「伊藤さんなら・・・」の前置きには正直、違和感があった。「だって、snsでよく、有名な方と一緒に写真を撮っているじゃないですか」と言われ、そう思う人 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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僕が見た永田町~素人しか変えれない~①
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僕が見た永田町~素人しか変えれない~① 時は今から、約1年8ヶ月前に遡る。2015年4月のことだ。僕は自民党の若手衆議院議員A氏と丸の内にあるレストランで飯を食った。氏とは僕が出馬した前回の参議院選挙(2013年)で知り合ったのだが、政治に向き合う真摯な姿勢と議員の方にありがちな横柄な態度が微塵もないところから、勝手に好感を持っていた。ちなみに氏には落選の経験がある。浪人時代の暮らしは、それはそれは過酷だったそうだ。落選と同時に多くの人が一気に離れていった。それまで「先生、先生」と持ち上げていた人も、電話にすら出てくれない。街ですれ違って声をかけても、会釈をされるだけ。一方で氏には妻と子供がいた。当然、彼らを食べさせていかなければならない。にもかかわらず、次をめざすのであれば、就職するわけにもいかない。衆議院は参議院と違い、いつ選挙になるかわからないからだ。結果、地元の企業のいくつかと顧問契約を結んでもらい、何とか食いつないだ。議員になる前サラリーマンをしていた時の年収からすれば三分の一にも満たない額でだ。その時の経験が、氏の人柄に大きく寄与していることは間違いない。「手のひらを返した人たちに、怒りとかなかったの?」と聞くと「仕方ないですよ。僕がその程度の人間だったってことですから」とさらりと答えられた。人は失敗の経験を経て、成長する。人に優しくなる。どん底にいてこそ、今もそしてこれからも人は互いに支えられながら生きていく現実を思い知るからだ。余談ながら、だからこそ僕は落選を経験した政治家こそ、信じられると思っている。互いの近況を報告しあいながら、話題は翌年の参議院選挙に及んだ。「伊藤さん、出るんですよね?」「 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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選挙体験記、不定期に綴ります・・・。
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2016年がいよいよ終わろうとしている。あっという間の気もするが、やっぱり僕にとっては忘れられない一年だ。去年の今頃、何をしていたのかと気になってFBのタイムラインを辿ってみた。「明日笑っていられるように」のキャンペーンで一人全国を回り、様々な人たちの話に耳を傾けていた。改めて、貴重なお時間をいただいた皆様に、感謝を申し上げたい。本当にありがとうございました。で、その頃の心境を振り返ってみると、周囲にいわゆる選挙のプロがいるわけでもなく、それでもこの道が正しいと自身に言い聞かせる、希望と不安が目まぐるしく交錯する日々だった。あれから一年。ここにきて、そんな体験を文章として残したくなった。理由は二つ。一つは敗北の総括。落選したことは僕のチカラ不足に尽きるのだが、もう少し詳細にあぶりだして、自身につきつけたいと思っている。そして、その痛みを今後の飛躍につなげたい。今一つは選挙の実態を一人でも多くの人に知ってもらいたいということ。「お金がかかる」「組織がついていないと難しい」などが選挙に対する一般的なイメージだろう(ちなみにいずれもイ 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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ご無沙汰です!
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諸事情により、更新を控えていました。改めて、先般の選挙では、色々とお力添えをいただき本当にありがとうございました。結果は偏に僕のチカラ不足と真摯に受け止めています。ただ、応援してくれた皆さんの暖かい声援、お気遣いは一生忘れません。同時に僕の誇りでもあります。今後の活動についてはまだ明確に決まっていません。ただ、幸いなことに地方の方からお声がけをいただいており、現状は民間 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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終わった・・・。
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街頭での選挙活動が終わった。やりきった。もちろん「あそこをあーすればよかったんじゃないか」なんてことがなかったわけではないが、やろうと思ってたことは全部やった。写真は代々木第一体育館前での演説終了後の写真。こうして改めて見てみると、手前みそながらみんないい顔をしている。今回の選挙もまた、この写真に写っている以外の人も含めて、たくさんのスタッフに支えられた。地方にお邪魔した時も、本当に多くの人にサポートしてもらった。東京 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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選挙戦17日目
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選挙戦17日目終了。後2日だと思うと、自ずとテンションは上がる。今日の街頭演説スタートは、代々木第一体育館近く。ayuがライブをやっていると知り、ずっと前からこの日はここでやると決めていた。反応は上々。握手もしてくれるし、一緒に写真を撮ることを求められたり。当然、演説にも熱がこもる。ライブのチカラで地方を元気にしたい。地方で頑張る、若者の背中を押してあげたい。想像してみてほしい。ライブ、音楽があふれる街を、地方を、そして国を。そんな国なら、きっと若者たちが夢と希望を持って、前を向いてわくわくしながら生きているに違いない。伊藤ようすけはど 続きをみる 『著作権保護のため、記事の一部のみ表示されております。』
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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≪自由民主党参議院議員<比例代表>公認候補者≫
【祝】ご当選!

えとうの報告
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「戦後レジューム」からの脱却
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●朝日新聞がついに、これまでの慰安婦報道での誤報を一部認めた5日付けの朝刊は驚きだった。どうして今になってこのような報道に至ったのかは知る由もないし、遅きに失した感はいなめないが、事実を報道する姿勢に目覚めたのは素晴らしいことだ。内容は若干言い訳がましいところがあり、クライアントの危機管理専門の友人によれば「好感度は30点かな」と手厳しいものだった。政治家ならばここで当然のように責任問題を追及されるの
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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酔っ払い
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昨日の早朝、日課としている愛犬・莉莉(♀5歳シェットランドシープドッグ)との散歩中に妙な物体に出くわした。丸太のような段ボールのような黒っぽい塊が道路の中央に転がっていた。数人の通行人が心配そうに立ち止まって首を傾げている。普段は無関心を装う私だが、莉莉も首を傾げて立ち止まり動こうとしないので、しょうがないので近づきのぞいてみることにした。 なんとその塊は人間だった。年の頃なら40代後半、身なりは
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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普通の国
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安倍内閣は1日、臨時閣議を開き集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をした。これからは各種法整備を進めてゆくことになるが、ようやくこの国も普通の国の議論ができるようになった。 支援者の皆さんからも、いろいろなご意見をいただいた。 「個別だろうが集団だろうが自衛権を行使するのに、何が問題なのか」 「閣議決定だけすれば何でもできるようになるのか」 「若者を戦場に送るのか」(いま
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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W杯ブラジル大会始まる
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ついにW杯ブラジル大会が始まった。予選を含めた参加国数は、オリンピックを凌ぐ数字というW杯。本戦に駒を進めるだけでも至難の業。見事晴れのピッチに立つ日本選手に心から敬意を表すると同時に、日本国を代表する選手の皆さんを誇りに思う。 オヤジも学生時代はサッカー少年だったらしい。(※オヤジ=衛藤晟一。以前このブログを見た支援者の方から「先生は君のお父さんですか」と問い合わせがあったので念のため説明を
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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集団的自衛権
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   先日、自称「平和主義」を名乗る友人と居酒屋で杯を交わした。 日頃から政治と仕事の話題は、飲み屋では御法度と決めているのだが、友人もだいぶ酒に飲まれ思わず口をついたらしい。 「お前ら(自民党)最近、集団的自衛権の政府見解を見直そうとしているらしいが、冗談じゃあない。また戦争に国民を巻き込むつもりか。衛藤さんはどう考えているのか」。三流新聞の受け売りよろしく、友人は切り出した。 「そ
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1970/01/01 (木) 09:00:00
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最終更新:2013年07月22日 19:32