不器用さは罪かもしれない。
札付きの不良というわけでもない、普通の中学生として過ごしていた鉄拳がそう思ったのは、ほんの小さな事件がきっかけだった。
彼はそれまで普通の生活、普通の友人、普通の娯楽を満喫して、ただただ流れていく時間に身を任せ、特に荒れることも荒むこともない平坦な暮らしをしていた。
彼に事件が起きたのは、中学二年の夏休み。
友人たちと海に行った時に、体に妙なものがあると指摘を受けた。
腰の左の背中側、青いサーフパンツのすぐ上に、灰色の痣があった。
夏休みに突入してからやんちゃな遊びが少なくなかったので、その時は「はしゃぎすぎだな」と笑って流そうとした。
しかし、友人たちの一部はいい顔をしなかった。
明確に覚えのない妙な痣が突然現れるような人間は、他人にはいい顔をされないことが多い。
なぜなら「痣の発生は能力の発現」と世間では常識として語られていたからだ。ここで言われる能力というのは少なくとも、普通、一般、平凡平穏からしてみれば、迫害されてしかるべきものであった。
端的に言えば病原菌のように扱われる「異常」であり、受け入れがたい「異物」だった。
友人の一人は無言になり、一人は拳を怪訝な顔で見つめ、一人はあからさまに目を逸らし、残った一人だけが、それを気にしないように皆に声をかけた。
拳は突然変わった友人達の態度に気分が悪くなった。まだ中学生で未熟であった彼は、気分の悪さを怒りで表現することしかできなかった。
「そうか、俺がもしも能力者なら、お前達はそんな態度を取るのか」拳は言う。「だったら俺は帰る。気分が悪い」
人でごった返した夏の浜辺に背を向けると、友人の一人が拳の腕をとって止めた。
「こういうことは初めてだから、みんなどうしていいかわからないだけだって」その友人は、弱ったなあ、という顔をしていた。
「あからさまにあんな態度を取られちゃ、誰だって腹が立つに決まってる」掴まれたその手を睨んで、拳はそれを強く振り払った。
ちょうどその時、拳の振り払った腕が、小麦色の肌をした金髪の男の肩にぶつかった。
男は拳を睨みつけ、拳は抱えた苛立ちをそのままぶつけるように、その男を睨みかえした。
二人がトラブルに発展するまでにはそう時間は掛からなかった。
拳は男をじっと睨んでいた。相手は筋肉質で体格のいい男だったが、全く怯むことはなかった。
男は連れの男に声をかけて、にやにやと笑った。「中学生?」と言って、また笑った。
拳の様子が危険だと察したらしい先程の友人は、金髪の男の前に立った。
「すいません、こいつ今ちょっと不機嫌なんですよ」と軽い調子で友人が言うと、男はさらに笑った。
「ヤキ入れちゃおっかな~」と言って、男は拳の前に立った友人の腕を強く引っ張った。短い悲鳴が聞こえた。
「まあ、この娘貸してくれたら勘弁してやるけど、どうする?」
拳は思わず、金髪の顔を殴った。
抱えた少しの苛立ちと不満、金髪の男の行動に、殴る理由ができたと思ったから、握った拳を振るっただけだった。
「お前さあ、それは無いと思うなあ……」
この行動が悪い方向に転んでいくのは、その場に居た誰の目にも明らかだった。
間髪入れずに、金髪は拳の友人を手放して、拳に蹴りかかった。連れの男も前に出てくると、同様に拳を蹴りつけた。
拳の友人たちはそれを驚いた顔で見つめ、少女は悲痛に叫んだ。
「やめてください! 誰か止めて!」
拳は誰も止めに来ない、一緒にへと海やってきた男の友人達も止めに来ないと知って、諦観のような感覚を覚えた。
暴れてやろう、と思った。一矢報いてやろう、とも思った。
転がり逃げて離れたところで、なんとか金髪に一発見舞った。腕で防がれていたが、拳の拳は既に、防ぐだけで済むものではなかった。
「え」
腕の先から胸までの骨が砕ける音は、気持ちのいいものではない。
この時に拳は初めて、自身の能力「物壊手与」の発現を認識することとなった。
それからのことはあっというまだった。
監視員の通報があったのか、海からすぐに連れていかれた。海にやってきたサイレンの音は二種類あり、一つは金髪が乗るべきもので、もう一つは拳が乗らなくてはならないものであった。
拳は補導ということになったのだが、事情聴取はすぐに終わった。聴取を受ける中で、本題は他にあると、拳も解っていた。
能力の発現により、環凪島へと収容する。
どこで見ていたのか、それとも誰かが既に断定できる情報を持っていたのか、拳はそう言い渡された。
家族への連絡も瞬時に、学校側への連絡も、役所への申請もすぐに行われたが、友人達への連絡は、されることはなかった。
事件の後、それもたった二日後、拳は環凪島行きのバスの中で。
現実感の無さ過ぎる出来事が超特急で走り抜け、自身が起こした傷害を噛み締めることもできずに、拳はぼうっと、黎明大橋からの海を眺めていた。
手持無沙汰でバスに揺られる。
携帯電話をいじってみるが、これから使えなくなるらしいので、どうしようということもなかった。
するとふいに、携帯電話が鳴った。
拳は何の気なしに開いてみると、メールが届いていた。
まとめて四通。それは、あの時一緒に海に行った友人の数と同じだった。
「…………」
開いてみればそこには謝罪と、はっきりしない何かへ向けた応援の言葉があった。
それが全て本心からのものかは判断がつかなかったが、拳はそれを見て嬉しいと思った。
一人、少女の顔が浮かんだ。おそらく彼女がこれを提案したのだと、感謝の念が浮かんできた。
何か、言葉を返さなければならない。
最低でも一言、できればもっと多くの言葉を。
と、そこでバス内へのアナウンスを知らせる、「ぽーん」という高い音がふいに鳴った。
『今より五分後、環凪島内へ到着します。手持ちの携帯電話、PC等の外部通信可能な電子機器は全て回収いたしますので、電源をお切りください』
あと五分か、それとも今すぐに、か。
拳は四通のメールをつらつらと眺めながら、すぐに返さなければと気持ちを焦らせた。
しかしこのまま各々への言葉を送信していったとして、誰かへの送信が間に合わないとどうなってしまうのだろうか。
その誰かは嫌な顔をするのではないか、もしかしたらそのことで、関係を変に引きずらせてしまうのではないだろうか。
同時に来た四通、おそらくわざわざ集まってこちらにメッセージを飛ばしているのに、そんなことになったら?
関係に亀裂が入る、とまではいかないだろうが、誰かは屈折した感情を持ってしまうかもしれない。
少しだけ考える。
何か言葉を送ったほうがいいのだろうか。
このまま。「異常」のまま、外れてしまったほうがいいのではないか。
後腐れが残らないように、彼らは最後のメッセージを残しただけなのではないか。
なら。なら?
拳は手元の携帯を、無表情で折った。
この期に及んで、最低なことを考えてしまった。そう思って、頭を完全に切り替えることにした。
もう、いい。「普通」には、けじめをつけよう、と。
「疲れた……」
結局拳には、直接的な関係の解消はできなかった。
真っ向から向き合えず、やはり逃げてしまったこの不器用さは、海での出来事となんら変わりない。
あの時もただふてくされて、相手から離れられる前に自ら離れることを選ぼうとしたのだ。
たった二日の大きな変化は、自分がそれに適応する暇をくれずに、自分がその変化に適応できない未熟者だということを突きつけるのみだった。
変われるのなら、変わりたい。
いいや、変わりたいから、変わる努力をする。
せっかく「普通」から、「異常」になったのだ。だったらもっと自分には、大きな変化が必要だ。
手をぐっと握りしめると、妙に力がこもっている。
その手が少し震えていたのは、何に対する感情か、拳にはわからなかった。
◆
お昼休みはいっつも騒がしい校舎。
「拳君ってさぁ、ほんと不器用だよね」
拳が中庭の傷んでいたベンチを直していると突然、クラスメイトの霞沢雫は言った。制服をきっちりと着た姿で拳の横に立ち、つまらなそうに口を尖らせている。
「悪い、それほどでもないと思ってた。何か問題でもあったか」
話しながら工具箱から釘を取り出して、ベンチの裏側にあてがった小さな補強板に打ち付ける。ベンチの座面の一枚が折れかけていたため、これで補強しておけば生徒会から新たな予算を引き出さずに済むのだ。
ちなみにこれは拳が所属する風紀委員の仕事でなければ、誰かから一方的に頼まれた仕事でもない。拳が気付いたために、用務員室から用具と、工作室から不要な木を貰ってきただけだ。
「だって秋、またトラブル起こしたんだよ?」
ぴた、と拳の手が止まった。
秋とは拳のルームメイトの水瀬秋を指している。彼は先日ちょっとした問題を起こして、今は部屋で強制待機を指導されているところ。
雫が「また」というのは、秋が謹慎を喰らうような問題を以前から少なからずおこしていることに起因する。誰かを助けに奔走、半分暴走している男。少なくとも拳は、そんな彼を完全に理解することはできないだろうと踏んでいた。
「あいつが納得してるんだ、俺から言うことは何もない」
同室ということもあり、秋と顔を合わせないことはない。その秋は現在反省文に追われて、退屈そうだが特に普段と変わった様子は見せないのだ。
しかし雫は「うーん」と唸って、拳のすぐ横にしゃがみ込んだ。
「秋はあれだしそういう素振りはするだろうけど、いい加減疲れてると思うよ? 拳君だってだいたいわかってるくせに、あえて何も言ってないんでしょ?」
「……おい、顔近くないか」
「ないしょばなしですから」
口をメガホンのようにして、ひそひそ声で言う。睫毛の数がはっきり確認できるほど近かったが雫は気にも留めていなかった。それとなく注がれている、中庭への無数の視線にも。
「お前がそういう行動を取るから、変な噂も立ってるんだが……」
秋が部屋に缶詰めにされて五日ほど。何故かその間雫は拳につきまとい、他の友人ともあまり話している様子はない。
それを見たどっかの生徒は、乗り換え、キープ、気の迷いなどと、誰も得しないような根拠のない憶測を投げ合っている。
「わかってる。それ、超めんどくさい。でもね、咲が怪我してることと秋の謹慎のこと、根掘り葉掘り聞いてくることのほうがやだ」
咲とは、雫の親しい友人であり秋とも拳とも親交のある友人の一人、牧原咲。現在全身打撲で療養中。
「鬱陶しい話題の隠れ蓑か。お前は俺をなんだと思ってるんだ」
雫は首をかしげた。
「隠れ蓑じゃないよ、強いていえば、戦隊モノの秘密基地的な?」
「別に隠れ蓑でいいだろう……」
「そういう秘密基地ってあんまり隠れてないじゃん。格納庫の入り口どーん、みたいな。ていうかそもそも、隠れてなくていいから」
ああそう。
拳は適当に頷いて、ベンチの修復を再開した。とんとんと、なんか釘打った。
「で、だよ!」
「やかましい」
拳の背中に声が刺さる。振り返ると、その場に立った雫が目をかっぴらいて腕を交差させていた。
「秋の悩みをぶちまけさせてあげよう」
「これまた唐突な話を……」
「え、唐突じゃないよ、拳君話聞いてた?」
「秘密基地が秘密じゃない?」
「うーわ呆れたぁ……」
わざとらしく頭を抱えて、重々しく息を吐きながら言う。こんなノーテンキに一方的に呆れられると、拳も少しむっとした。
「……いいか雫。秋はああいうスタンスでいようとするから、俺もあいつに対してどうしようということもない。最低限、ルームメイトの風紀委員として、相応の行動を取ってるだけだ」
「それじゃダメなんだってば!」
わぁっ、と響く声が中庭から校舎に広がった。ああ、これでまた噂が増える、と拳は思った。
「何が駄目なんだ?」
「あのさ、秋にちゃんとした友達居ないこと、気付いてる?」
ちゃんとした友達、と一口に言って、何がどうちゃんとしたものなのかは拳にはわからない。傍から見て、雫にはそういったものが多そうではあるが、他人の話となるとまた別ではないのだろうか。
「いやいや、お前達は違うのか。秋はだいたいの人間を友人だと思っているだろう」
「練習に付き合ってもらってるだけだし、それのついでで遊んでるだけだよ」
妙に冷たい言葉に、拳は瞬きを増やしてしまった。
「おいちょっと待て、お前秋が嫌いなのか。ただ都合がいいから利用しているとでも?」
「そうじゃない。でも秋、そうやって私達といっぱい一緒にいるのに、全然自分のことは話そうとしないから、そうとも言い換えられるってこと。私や咲、拳君も、付き合いは長いから秋のこといろいろわかってきてるけど、結局核心は明かしてないもん」
「いや、だから秋はそういう奴なんだろ? 俺だってそんなに自分の話はしてないし、お前達は……あ、わりとしてるか……」
「拳君もしてた」
「してない」
「してた。風紀委員になった理由も、直接的じゃないけどちゃんと伝わるように言ってたよ。一年の後半くらいかな?」
一年の後半となると、秋とルームメイトになって半年以上経ち、水瀬秋という人物についての概要を知れた頃だ。というか、その頃には既に雫は入り浸ってたということか。
「そうか。俺は何て言ってた?」
「変わりたい」
「ぬ……」
確かに拳にはそんな目標があったような気がした。具体的には「変わりたい」とは若干違うが、現在風紀委員となり、誰ともない他者や、自分を含めた生徒達の持つ異常、異能と、正面から向き合えるような場所を得るに至ったのだ。
「……結構よく見てるんだな、少し驚いた」
既にベンチの補修は終わっていて、拳は裏返って地面に置かれたそれをくるりと元通りに配置しなおした。ほこりのついた制服をぱんぱんと払うと、雫へ体を向ける。
「でも咲の方が見てるよ。特に秋を、だけど」
「ああ、確かに牧原なら集中力が違うな。見る相手の数の面でも、個人能力的にも」
「拳君、怒るよ」
雫は拳を睨んだ。が、上目づかいだったので微妙に迫力に欠ける。
「冗談だ」
「咲も結構気にしてるんだからさー」
たとえ冗談でも今の言葉に怒れるというのは、やはり友人間でその想いを共有した瞬間があったのだ。
しかし、それを気にしているということ、その上で、雫の言った「秋にちゃんとした友達がいない」という言葉が出るということは、咲が秋に対して不満のようなものを持っているのだろうか。
「すまん、冗談は慣れてないからな」
「拳君真面目だもんね」
「真面目か?」
「だと思ってるよ」
ふぅ、と工具を持ち上げた。用務員室に向けて歩き出すと、雫もついてきた。
「それで結局どうするつもりなんだ?」
「ぬふふふ、水瀬秋のお悩みぶちまけ隊をォ、結成させていただきまァす」
廊下で突然腰に手をあてた雫は、大して無い胸を張って、いかにもこれはやるべき使命であるぞと言いたげな声を出した。その姿に頭を抱えることすら面倒に思ったので、とりあえず拳は早歩きになる。
「こいつ、絶対暇つぶしが主目的だ……。まあ、一応委員会には欠席の連絡入れておくか……」
「暇つぶし? まっさかそんなわけないよ気のせいだよ!」
◆
昼の授業が終わり、放課後になった。
いつも集まる秋と拳の部屋で作戦会議をするわけにもいかず、拳と雫は適当な場所を探すため、モールをふらふらとさまよっていた。
「なんか新しい店が!」「なんとかわいい洋服が!」「変な人形欲しいかも!」
やかましかった。
常に人と物が入れ換わり立ち替わりで回るモールは、物事へのアンテナ張りっぱなしっぽい雫ではいろいろと引っ張られてしまう。
それに今は、先日のように焦るような出来事もない、平穏無事に「咲ぃぃぃぃぃ!! 早く治ってよぉぉぉぉ!!」「いい加減にしてくれ……」過ごせるところ。
「あ、そこでいいや」
雫が目ざとく見つけたのは、モノトーンにまとめられ、こざっぱりとした喫茶店だった。看板白い、文字黒い、表の小さめの窓から見える店内も、白と黒がちかちかして見える。
店名は『Alliance』。もちろん拳が入店したことはない。
「イメージが合わんな……」
「まさに淑女の店、淑女のための店……さあ、今から淑女が一人参りますよ……」
「誰の話だ、と訊くのはマナー違反か」
店内に入ると、足元には目がちかちかするような黒と白の床と、正面には白い壁。次の瞬間にはコーヒーの匂いが漂った。店は右手側に開けて、白テーブルが十台ほどつらりと並び、椅子は黒に近い銀色で、一テーブルにつき三脚ずつ。客は誰も座っていなかった。
いらっしゃいませ、とカウンターの奥から声がして、ゆるやかに出てきたのはショートヘアの女性だ。服装はパンツスタイルで、軽く腕をまくったワイシャツはぱりっと白い。一見さっぱりとしていて、男装でもしているのかと思わされる。線が細い男性なら、同じ服装でも違和感がないだろう。他に人の気配がしないところ、その女性は店主に違いなかった。
「四名です。あとから二名来ます」
雫が言った。かしこまりました、と店主は頭を下げた。
「聞いてないぞ」
適当な席につきながら拳が言う。
「今から呼ぶから大丈夫だよ」
呼ぶから大丈夫、というのも少し違う気がするが、拳は言葉を諦める。一旦カウンターに戻っていた店主がこちらに歩いてきたので、とりあえずテーブル端にあった細長いちっさなメニュー表を手に取った。
「ご注文は」
ふむ。あごに手をあてる拳。
「文字だけだとよくわからんな」
「ウインナーコーヒーを一つくださーい」
「コーヒー味のウインナーがあるのか……?」
ぷっ、と小さく雫は吹いた。注文待ちの店主は、常に緩やかな笑みで逆に読めなかった。
「あ。ええと。普通のコーヒーで」
かしこまりました、と彼女は頭を下げ、さりげない仕草で静かに、テーブルへ椅子を一脚追加した。
「うーん、普通のコーヒーってなんだろうね。何が出てくるんだろう」
確かにメニュー表を眺めても、普通のコーヒーなる商品は存在しない。しかし、拳からしてみれば普通のコーヒー以外に何があるのだと言いたいほどだ。敢えて口には出さない。
「さあ、一番安いのじゃないか?」
カウンターでごしゅーと音を鳴らしていた様子を見ていると、無表情な笑顔を返された。あれぞ営業スマイルだ。
「まあいっか。こりゃあわたしが悪いしね」
「そうだ、お前が悪い」
「人に言われると落ち込むね」
とはいっても雫は笑顔のままで、制服の内ポケットから携帯電話を取り出す。
「もしよしー、姉さん? あのね、今モールのアライランスって店だよー。…………ん……あ、今このへん居るの? ……はーい。わかったー」
ぱたんと携帯閉じ。
「姉がいたのか?」
「それは見てのお楽しみじゃないかな」
ふふふ、といやらしく笑った雫。拳にはどうにも、その真意が読めない。表情が前に出てき過ぎていても、意外と解らないものだった。
「二人ということは、その姉? とユスティーナか?」
「いや、ティナちゃん最近連絡取れないんだよね、どうしたんだろ……」
むむ、と口をもごもごさせて、雫は腕を組んだ。拳も疑問に思ったが、あまり関係もないのですぐに気持ちは意識の外に向いた。
「お待たせしました」
少し時間が経って、店主がテーブルにコーヒーを持ってきた。拳の手前には「普通のコーヒー」、雫の手前には、モリモリのクリームが乗せられているカップ。
「あ、やっぱりウインナーではないんだな」
「そりゃねー」
カップに視線を落とした表情がものすごく和らいで、雫は一口をゆっくりと飲む。
「ふぃー」
そんな彼女の鼻先に、ちょこんとクリームがついた。
「自警団だ! 手を挙げろ!」
「な、」
適当に過ごしていると、高い声とともに突然転がりこんできた何か。
「ぎゃっ!」
その何か、もちろん人間だが、わけのわからない勢いでドアから跳び込んで来たのかと思いきや、ドアから真っ直ぐに広がっていない店の構造を知らなかったのか、即座にドア正面の壁に激突した。
「なんだ、あいつ」
「くそっ、トラップか……っ!」
よく見ると侵入者は、七分丈のごてごてした黒いパンツに、殺戮の限りを尽くしていそうな角の生えた何かのイラストが描かれた赤いシャツ、頭にはこの店のようなデザインの黒白キャップを横に被る、時代遅れの中学生男子のような格好で、
「動くなぁっ!」
両手に構えた二丁拳銃を店内に向けた。顔を見ると真剣そのもので拳はちょっと引いた。男か女か、一瞬区別がつかない面構えだった。
雫を見ると目を細めてその侵入者を迎え、店主の女性は普通に「いらっしゃいませ」と言っていた。自分だけが動揺していたことに、拳は若干情けなさを覚える。
「あなたこそ、動かないでね」
誰の声か、またも侵入者か、いや、闖入者か。ドアの向こうからまた声が聞こえたかと思うと、するりと雫と同じブレザーの腕だけが店内に伸びてきた。
「ひぃっ!」
二丁拳銃の侵入者は萎縮して、銃を店内に向けたまま、顔は何故か拳に向けたまま、眼球だけを右側に動かした。
その視線の先には、巨大な白のリボルバー。細い腕の先に持たれており、人の顔よりもわずかに大きい。銃口は横被りだったキャップのつばを曲げて、こめかみに突きつけられていた。
「ちょっと待ってくれないか……」
拳が呟くも、その場の視線は全て白い銃に向けられている。
「拳君静かに」
雫が椅子に座ったまま、ドアの方に振り返りつつ手だけで拳を制す。なんだこれは。
そして銃口が僅かに下にずれた。
「あ」
がん。と、躊躇いのかけらもない音が店内に鈍く響く。
「あうっ……」
ぱたん。キャップの少女は肩を撃たれると、ふにゃりと床に横倒れになって目を閉じた。拳はもう、口を開きたくてしょうがなかった。
そこで、倒れた少女に向かってカウンターに居た店主が足音なく近付いていく。
「ご注文は?」
倒れていた少女はその瞬間、ぎらりと目を開いて勢いよく起き上がった。
「甘いので!」
銃は床に置き、両手を挙げてこれ以上ない笑顔で。「かしこまりました」店主は営業スマイルでやはり動じていない。
「そろそろ俺にもツッコませてくれな
「これだよ拳君! そうなんだよ! これ!」
雫がファイティングポーズをしながら立ち上がった。キャップの少女は雫のところにやってきて、ナチュラルに拳の隣に座ってきたが、何も喋らなかった。
「何がだ……」
拳もその少女には構っている余裕はない。雫にとにかく説明を仰ごうと声を掛けたが、
「姉さーん!」
止まらない、雫は止まってはくれない。今度はドアの方に呼びかけ、姉さんを呼ぶらしい。もうついていけない。
「はぁ~い」
やわらかいような、気の抜けたような。むしろ間抜けと言ってもいい。その声の主は、ドアの陰からのそりと足を踏み出してきた。
「姉さん……?」
出てきた女性は高等部の制服を着用していた。しかし醸し出す何か女性的なオーラは、拳の正面に居る高等部最上級生の雫からはとても感じられないようなものだ。ちなみに隣のキャップ少女からは寸分もない。
「姉崎静音です。よろしくね」
茶色の髪がふわりと首のあたりまで伸び、そこから胸にかけてはふわふわとしたパーマがかけられていた。視覚的に甘い匂いを感じてしまいそうな、奇妙なほど完成されているその空気感。
さらにパーマの下には、豊満な胸が隠れている。ブレザーからはちきれんばかりのボリュームで、さらに下、短めのスカートから伸びる白い足は細くありながらも肉感深い。
「ねえさん……か?」
「いやぁ、姉崎だし、姉さんっぽいし」
「ああ、そうか……」
彼女の顔立ちは、パーツのはっきりしている雫には似ていない曲線的なもので、穏やかな笑みが似つかわしい。
その温かな春の陽気のような穏健さは、えろえろしい制服姿である躰とは大きなギャップを生み、何度も見直して、うんうんと頷きたくなるほどの芸術品であるといえた。
「いつまでじろじろ見ているの?」
「!!」
がご、と拳の額で硬質的な音がした。
あまりに視線をぶつけ過ぎていて、その接近に気付いていなかった。額に血が集まる感覚がする。これはあぶない、と本能が訴えているようだった。
彼女が手に持っていたのは、そう、巨大なリボルバーだったではないか。なんという、なんという。あまりの衝撃と興奮に、拳は動くことができない。
「目覚ましに一発、喰らっておいたほうがいいかな?」
拳は頷きそうになって一瞬躊躇し、
「……はい」
実にゆっくりと、しかしはっきりと頷いた。なんかもう拳は、彼女に撃たれたかっt
がんっ。
気絶したわけではないが、とても気分がいい。
「拳くーん、だいじょぶ?」
「勿論だ……」
拳が我にかえると、右にはキャップを脱いだ二丁拳銃の少女、左にはリボルバー姉さん、正面には怪訝な顔の雫がいる。
三人から視線を浴びた。三者三様しかし全員女、これが秋の境地なのだろうか。これだから水瀬は。
「すいませんね。私の銃弾、どうでしたか?」
拳はにこりと笑って、
「最高ですね。それはもう、まるで貴女g――」
「おい先輩」
がちっ。
「静音さんを口説こうなんて、ぶっぱなされる覚悟はいいか?」
拳の拳らしからぬ行動のせいか、なんと今度は右の頬とこめかみに拳銃を突きつけられている。
「ちょっと待ってひばなちゃん! ストップ!」
雫が「ひばなちゃん」の肩をぺたぺたと叩いた。しかしながら「ひばなちゃん」は引かない。
「こーら、ひばな。やめなさい」
やんわりとした声で、拳の視界が白い物体で遮られる。
「いいんですか?」
リボルバーである。銃は少女の肩に向いて、少女の銃は拳の顔面に向けられていた。
B級スパイ映画のワンシーンのような光景だが、店主はやはり表情を変えていない。
「とりあえず、ちゃんと自己紹介をしよう! ね!」
わたわたと動く雫が珍しくまともに見えた。そうね、と姉崎静音が応えて、ひばなちゃんも唸りながら銃を降ろした。
「まず、わたしは高等部三年の霞沢雫ね。いいよね、わかってるよね?」
きょろきょろと雫は三人を見まわし、姉崎の顔の上で視線を止める。
「あら。では改めて、ね。私は高等部三年、姉崎静音。一応だけど、自警団所属なの」
ふわりと拳に笑いかけて、彼女は正面に居る少女に目配せをする。少女はテーブルに銃を置いて腕を組み、ふてくされたような様子を見せた。
「中等部三年、霜月ひばな。自警団。今日は静音さんの付き添いだ。静音さんはガードが甘いから、今日は私がサポートしてる」
今日は、ということは、入れ換わり立ち替わりでサポーターでも付いているのだろう。確かに迂闊に放ってはおけない。少女の自己紹介が終わると三人の視線が拳に集まり、思わず軽く咳ばらい。
「ぁー。高等部三年、風紀委員の鉄拳だ。今日は雫に誘われてきたんだが、未だに何も聞かされていない。雫、今から説明してくれないか」
拳の前に座る雫がようやくまともに頷いた。
「本日は秋の中身を解体したいと思いまして、姉さんを呼ばせていただきました!」
「そうねぇ、水瀬くんねぇ……」
「姉崎さんは秋と知り合いなんですか?」
拳が訊く。
「静音でいいわよ~。まぁ、ちょっとだけね」
返事がふわふわしていた。本当に、秋は学園で一体どんな立ち周りをしているのだろう、と拳は思った。
「こほん。ええっと、ぶっちゃけ秋がヘナチョコ気味だから、なんか遊んであげようって話ね。それに姉さんの銃、見たでしょ?」
「あの茶番か」
「そ。姉さんの能力は人の心を癒す力があるんだよ。喫茶店テロリストだったひばなちゃんが、なんとびっくり甘いもの大好き少女に早変わり! みたいな能力」
「あの茶番か」
がちゃこん。
「二回も言うな先輩」
「いいか。それは人の顔面にわざわざ二丁も向けるものじゃないぞ後輩」
「話が進まないよ、だいじょぶひばなちゃん?」
「大丈夫ですよ、雫さん」
にーこにこっ♪ って感じ。中性的なウルフヘアが犬っぽい。銃持ってるけど。
「……」
拳は何か納得いかなかったが、とりあえず雫に視線を戻した。
「で、水瀬はどうするんだ。あいつは部屋から出られんぞ」
「え? 出せばいいじゃん」
「俺が許さん」
「……ぇぇぇぇ……」
それを聞くと、雫は口を台形に広げて、拳を真っ直ぐに見た。
拳は正直、風紀委員としての自分が校則からはみ出たことを許すはずがないということを、雫も解っていると思っていた。
まさかここにきて「それはないでしょ」といった顔をされても拳は困るし、それでも根本を曲げるつもりなどないのに。
「拳君、冷たいよ」
雫は呟く。
「公平なだけだ」
言いきった。その言葉は、一生徒として間違っていないといえる。自身がかく在るべきとして、風紀委員となることを選んだのだ、今更になってこんなこと、いちいち迷うことではない。
公平だ。感情的ではない、合理性には欠けているかもしれない。だが、それは秩序を保つ、守る、現状を維持し続けるには極めて重要なことであるのだ。
この島に来てから自分は、そうすることを、
…………?
はた、とひらめきのような変な感覚を拳は覚えた。
「む……」
「拳君?」
自分はどうして今、こんなことを考えたのだ。
『今更になって迷うことはない』? ここに来てからの自分、風紀委員としての鉄拳は、『それすらを』考えたことがないではないか。
秋は部屋から出さない。その主張は変えない。自分は風紀委員として客観的立場に居ることで常に公平さを保ってきていた。最近の瀬古の件も、瓦錬隆盛の件も、秋への対応は『当然だ』と考え、その不当性、正当性のどちらもを指摘をした。それが普段の自分の姿だ。その公平さに迷いはあったか。ある筈がない。
「…………」
「どしたの急に、何かあった?」
「いや」
その今の『普通』に、どうして妙な感覚を抱いてしまっているのだ。
ここ以前のことは立ち切ったではないか。捨てたつもりで、諦めることにした。そんなこともあった、ほんの一時的に悩んでいた。しかし、ただそれだけだったのではないのか。
いいや、もしかしたら、少し違うのか。もしかしたら、自身で無理矢理叩き潰し、完全に目を背けただけなのか。もしかしたら、あんな結果になった過去の自分の愚かさから、やはり逃げ出してしまっていたのか。
「あらあら~……?」
左の静音が、ふわりと笑顔を見せた。少し首を捻って、それから納得したような顔になっていた。
彼女の力は、心を癒す力。頭に受けたあの銃弾は、心を癒すもの。これが癒しの結果なのか? この混濁とした気持ちの悪い感覚は、何だ。
「静音さん」
拳は自分の胸に、いやな引っ掛かりを覚えていた。
「ん? なにかしら?」
「俺をもう一度撃ってくれないか」
「拳君、急にどうしたの?」
「なんか予想外にわけわかんない先輩だな……」
しかし静音は笑顔で頷いて、大きな白のリボルバーを掲げた。静音の顔は小さく、さらにリボルバーの大きさ、存在感を際立たせる。
「ねぇ。この弾、実は胸が一番効くんだけど。どうしたいかな?」
「じゃあ、胸に一発、お願いします」
「拳君ってば」
「うん。いいわよ~」
がちりと胸に、銃口があてられる。細い指が撃鉄を起こす。引き金に力がかかる。この一撃で、微かに違和感のあるこの想いを解消したかった。その癒しをもって、これを消せるなら。
心の隅にねじ込んだ今の拳にとっての『異物』が、彼女の銃弾の衝撃によって蠢いているようで。今にも喉元から溢れ出し、外に飛び出してこの白黒の床を這い回りそうになっていて。
「心層侵慈(ゆ~・らヴ・み~)」
と。
にこやかに放たれる静音の声は、あくまでもふんわりとしていた。
がんっ。
最終更新:2011年09月26日 22:31