登録日:2025/02/25 (火) 13:49:22
更新日:2025/08/25 Mon 20:55:09
所要時間:約10分で読めます。
更新日:2025/08/25 Mon 20:55:09
所要時間:約10分で読めます。
閃光を放ち時を越えてきた怪物よ、
いつ迄も駆けてゆけ
ヒーロー列伝 No.■■
トキヲコエテ(欧字名:Tokiwokoete、2010年6月3日 - 2042年2月3日)は、日本の競走馬・種牡馬。主な勝鞍は皐月賞(G1)、ドバイワールドカップ(G1)、有馬記念(G1)。
名前の由来は馬主の山野レイが好きな作品「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンのナンバープレートに書かれている「OUTATIME」の和訳「時を越えて」。
名前の由来は馬主の山野レイが好きな作品「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のデロリアンのナンバープレートに書かれている「OUTATIME」の和訳「時を越えて」。
トキヲコエテ |
---|
欧字名 Tokiwokoete |
香港名 時空超越 |
品種 サラブレッド |
性別 牡 |
毛色 芦毛 |
生誕 2010年6月3日 |
死没 2042年2月3日 |
父 クレイドルサイアー |
母 タイムトラベリング |
母の父 ブライアンズタイム |
生国 日本 |
生産者 ●●ファーム |
馬主 山野レイ |
調教師 ▲▲▲▲(美浦) |
主戦騎手 ■■■■(美浦) |
競争成績 |
タイトル JRA賞最優秀4歳以上牡馬(2015) |
生涯成績 20戦12勝 (中央)15戦8勝 (地方)2戦2勝 (海外)3戦2勝 |
勝ち鞍 |
GⅠ ホープフルステークス 2012年 |
GⅠ 皐月賞 2013年 |
GⅠ 有馬記念 2013年・2015年 |
GⅠ 宝塚記念 2014年 |
GⅠ ブリーダーズカップクラシック 2014年 |
GⅠ ドバイワールドカップ 2015年 |
JpnⅠ かしわ記念 2014年 |
JpnⅠ JBCクラシック 2015年 |
GⅡ 弥生賞 2013年 |
概要
現役時
2歳未勝利で初の勝利を飾ったのち、葉牡丹賞に出走し、勝利。その後、ホープフルステークスに出走。出遅れて後方からのスタートとなったが、見事なまでの末脚で初のG1を制覇する。
3歳になり、弥生賞、皐月賞で勝てたはいいものの、日本ダービーでは5着、菊花賞で10着、ジャパンカップでは5着となかなか勝てないでいた。その後の有馬記念で1着を取ることが出来たが、直後に悲劇が起こった。謎の体調不良を引き起こしたのである。原因としては有馬記念で最終コーナーを走っている際に遭遇した雷があるようでそれ以来、雷や大きな音に敏感になってしまっていた。体調自体はすぐに治ったが、万が一のことを考えて2か月ほど休養状態になった。
休み明けの大阪杯では5着に入着したが、関係者はまだ不安でいた。しかし、そんな不安を打ち消すように、かしわ記念と宝塚記念で2連勝を飾り、以前の状態まで回復することが出来た。この頃から海外レースを見据えており、11月のブリーダーズカップクラシックのために8月から現地入りしていた。水や食事、環境についてはすぐに馴染んで、いつも通りの彼だったという。名前の由来となった映画の舞台がカリフォルニアだったということもあり、現地の人々にはかなり人気があった。レースでは、多くの海外馬に囲まれる中、最終直線で抜け出して2馬身差で勝利した。帰国後、しばらくの間休養をとった。
年が明けてドバイワールドカップに挑み、ハナ差で勝利した。日本に戻り、6月の宝塚記念で3着を修めた。その後、凱旋門賞で3着に入着。日本に戻り、慣れた船橋のJBCクラシックで1着、東京のジャパンカップでは何とか5着に入着した。本来彼はもう一二年走る予定だったのだが、馬主の怪我のない元気なうちに引退させたいという希望で次の有馬記念が引退レースとなった。ニュースで報じられたり、着々と引退への準備が進んでいき、いよいよトキヲコエテのラストランの日となった。彼をレースに送る直前、馬主はこう話しかけたという。「この四年間たくさんの夢を見せてくれてありがとう。そしてここまで怪我無く無事に走ってくれてありがとう。たくさん勝ったことは僕にとっても支えてくれたみんなにとっても嬉しいことだ。それもだけど何よりもいつも元気にゴールまで走って帰ってきてくれたことが一番僕にとって嬉しいことなんだ。この有馬記念がトキちゃんにとっての最後のレースになる。だから精一杯走ってこい。勝とうが負ようが僕には関係ない。自分のペースで思いっきり駆けてこい。僕はゴールの先で待っているよ。だから今日も無事に帰ってきてくれ。さあ、最後の戦場へ行ってこい、頑張れトキヲコエテ!」その声に応えるかのように彼は後方からスタートし、中盤はペースを保ったまま、最終コーナーで中団から大外を通って一気にごぼう抜きをした。そして2着に大差をつけてレコード勝ちをした。ちなみに、この際の記録2分25秒3は2500mのワールドレコードであり、現時点で更新している者はいない。これによって彼は20戦12勝という戦績を修め、現役トップクラスのままそのレース人生の幕を下ろしたのであった。
3歳になり、弥生賞、皐月賞で勝てたはいいものの、日本ダービーでは5着、菊花賞で10着、ジャパンカップでは5着となかなか勝てないでいた。その後の有馬記念で1着を取ることが出来たが、直後に悲劇が起こった。謎の体調不良を引き起こしたのである。原因としては有馬記念で最終コーナーを走っている際に遭遇した雷があるようでそれ以来、雷や大きな音に敏感になってしまっていた。体調自体はすぐに治ったが、万が一のことを考えて2か月ほど休養状態になった。
休み明けの大阪杯では5着に入着したが、関係者はまだ不安でいた。しかし、そんな不安を打ち消すように、かしわ記念と宝塚記念で2連勝を飾り、以前の状態まで回復することが出来た。この頃から海外レースを見据えており、11月のブリーダーズカップクラシックのために8月から現地入りしていた。水や食事、環境についてはすぐに馴染んで、いつも通りの彼だったという。名前の由来となった映画の舞台がカリフォルニアだったということもあり、現地の人々にはかなり人気があった。レースでは、多くの海外馬に囲まれる中、最終直線で抜け出して2馬身差で勝利した。帰国後、しばらくの間休養をとった。
年が明けてドバイワールドカップに挑み、ハナ差で勝利した。日本に戻り、6月の宝塚記念で3着を修めた。その後、凱旋門賞で3着に入着。日本に戻り、慣れた船橋のJBCクラシックで1着、東京のジャパンカップでは何とか5着に入着した。本来彼はもう一二年走る予定だったのだが、馬主の怪我のない元気なうちに引退させたいという希望で次の有馬記念が引退レースとなった。ニュースで報じられたり、着々と引退への準備が進んでいき、いよいよトキヲコエテのラストランの日となった。彼をレースに送る直前、馬主はこう話しかけたという。「この四年間たくさんの夢を見せてくれてありがとう。そしてここまで怪我無く無事に走ってくれてありがとう。たくさん勝ったことは僕にとっても支えてくれたみんなにとっても嬉しいことだ。それもだけど何よりもいつも元気にゴールまで走って帰ってきてくれたことが一番僕にとって嬉しいことなんだ。この有馬記念がトキちゃんにとっての最後のレースになる。だから精一杯走ってこい。勝とうが負ようが僕には関係ない。自分のペースで思いっきり駆けてこい。僕はゴールの先で待っているよ。だから今日も無事に帰ってきてくれ。さあ、最後の戦場へ行ってこい、頑張れトキヲコエテ!」その声に応えるかのように彼は後方からスタートし、中盤はペースを保ったまま、最終コーナーで中団から大外を通って一気にごぼう抜きをした。そして2着に大差をつけてレコード勝ちをした。ちなみに、この際の記録2分25秒3は2500mのワールドレコードであり、現時点で更新している者はいない。これによって彼は20戦12勝という戦績を修め、現役トップクラスのままそのレース人生の幕を下ろしたのであった。
引退後
種牡馬として数頭の重賞勝利馬を輩出したのち、北海道のとある牧場で暮らしていた。2024年から2034年までの間、諸事情で福島に移動し、相馬野馬追に参加した。その後、千葉県内の牧場に移動し、余生を送っていた。その際、3歳有馬で遭遇した雷がトラウマなようで、放牧中も遠くに雷が見えた途端、慌てるように走って戻ってくるということが度々あった。2042年2月3日に死亡。31歳没。奇しくもその日はシステムメンテナンスの為、数年ぶりに全国の全ての競馬場でレースが行われない日であった。現在、彼は中山競馬場の敷地内にある墓で眠っている。
戦績
20戦12勝
- 2歳
?? | 2歳新馬 | 芝1600m | 9着 |
中山 | 2歳未勝利 | 芝1800m | 1着 |
中山 | 葉牡丹賞 | 芝2000m | 1着 |
中山 | ホープフルステークス(GⅠ) | 芝2000m | 1着 |
- 3歳
中山 | 弥生賞(GⅡ) | 芝2000m | 1着 |
中山 | 皐月賞(GⅠ) | 芝2000m | 1着 |
東京 | 日本ダービー(GⅠ) | 芝2400m | 5着 |
京都 | 菊花賞(GⅠ) | 芝3000m | 10着 |
東京 | ジャパンカップ(GⅠ) | 芝2400m | 4着 |
中山 | 有馬記念(GⅠ) | 芝2500m | 1着 |
- 4歳
阪神 | 大阪杯(GⅠ) | 芝2000m | 5着 |
船橋 | かしわ記念(JpnⅠ) | ダート1600m | 1着 |
阪神 | 宝塚記念(GⅠ) | 芝2200m | 1着 |
サンタアニタパーク | ブリーダーズカップクラシック(GⅠ) | ダート2000m | 1着 |
- 5歳
メイダン | ドバイワールドカップ(GⅠ) | ダート2000m | 1着 |
阪神 | 宝塚記念(GⅠ) | 芝2200m | 3着 |
ロンシャン | 凱旋門賞(GⅠ) | 芝2400m | 3着 |
船橋 | JBCクラシック(JpnⅠ) | ダート1800m | 1着 |
東京 | ジャパンカップ(GⅠ) | 芝2400m | 5着 |
中山 | 有馬記念(GⅠ) | 芝2500m | 1着 |
血統
エピソード
幼少期のころはとても大人しく、穏やかだったという。しかし、現役時代に入ってからは少し反抗的な態度をとったり、わがままになったりと関係者の手を焼くことになった。特に4歳のころはひどかったらしく、厩務員からは「昔の面影はどこに行ってしまったんですかね。今のトキは言うこと聞かないし、派手に暴れることもあるし。まったく、困ったお坊ちゃんですよ。」と言われていた。5歳になってからはそのような態度をとるようなことは減り、再び幼少期の時ように大人しくなっていた。とても扱いやすく、メリハリがちゃんとつけられるようになった。引退後も変わらず、素直に言うことを聞いていた。ちなみに、レースやトレーニングなど他の馬と遭遇する際、芦毛の馬の時だけ相手を見つめたり、興奮する癖があった。この癖は引退後も残っており、芦毛の馬を追いかけたり一緒に過ごしている時間が多く機嫌が良かった。また、馬房に芦毛の馬の画像を置いた際は食いつくように見つめ、寝る時もその画像のそばにいた。しかし自分自身には興味がないようで、試しに自身の画像を見せた際は食いつくどころか、そっぽを向いたという。
トキヲコエテは元々から脚はそれほど強くはなかったという。普通であれば、現役時代、どこかのタイミングで多少なり問題をかかえてもおかしくはない状況だった。にもかかわらず、そのような問題をかかえることなく現役を全うできた理由としては、オグリキャップの脚のケアについて研究していた■■■■厩務員がフリオーソの担当経験がある■■■■氏からアドバイスをもらいつつトキヲコエテを世話していたことにある。
トキヲコエテは元々から脚はそれほど強くはなかったという。普通であれば、現役時代、どこかのタイミングで多少なり問題をかかえてもおかしくはない状況だった。にもかかわらず、そのような問題をかかえることなく現役を全うできた理由としては、オグリキャップの脚のケアについて研究していた■■■■厩務員がフリオーソの担当経験がある■■■■氏からアドバイスをもらいつつトキヲコエテを世話していたことにある。
産駒について
トキヲコエテは種牡馬として重賞勝利産駒8頭、そのうちG1勝利産駒3頭を輩出している。そのうち代表産駒としてフランドールとマイブリッジシネマ、アナクロノペテの3頭が挙げられる。
フランドール
性別 | 牝 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 2020年3月8日 |
父 | トキヲコエテ |
母 | ルナスカーレット(架空馬) |
母父 | ジューダ |
馬主 | サンデーレーシング |
由来 | ベルギー、オランダ、フランスにまたがる地域「フランドール(Flandre)」 |
戦績 | 13戦13勝 |
主な勝鞍 | 牝馬三冠、凱旋門賞(G1)、エリザベス女王杯(G1)、ジャパンカップ(G1) |
マイブリッジシネマ
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 2021年6月19日 |
父 | トキヲコエテ |
母 | アヴェンチュラ |
母父 | ジャングルポケット |
馬主 | ヤマノ・トラベル・サービス |
由来 | 人名+フランス語の「cinéma」 |
戦績 | 10戦8勝 |
主な勝鞍 | 皐月賞(G1)、ダービーステークス(G1)、ジャパンカップ(G1) |
アナクロノペテ
性別 | 牡 |
毛色 | 芦毛 |
生誕 | 2023年3月2日 |
父 | トキヲコエテ |
母 | クロノジェネシス |
母父 | バゴ |
馬主 | ヤマノ・トラベル・サービス |
由来 | エンリケ・ガスパールが1887年に書いた世界最初のタイムマシン小説「アナクロノペテ(Anacronópete)」 |
戦績 | 16戦13勝 |
主な勝鞍 | 東京優駿(G1)、天皇賞秋(G1)、有馬記念(G1) |
産駒数 |
重賞勝利産駒数 | G1勝利産駒数 |
11頭 (代表産駒フランドール牝) (代表産駒マイブリッジシネマ牡) (代表産駒アナクロノペテ牡) |
8頭 |
3頭 |
その他
好物について
基本的になんでもよく食べる馬だが好物はリンゴと人参。あまりにもよく食べるので一時あげるのを控えようと思ったほどである(ストレスになるといけないので完全には控えなかったが、量は減らした)。ちなみに馬主もその二つが好きだそう。
トキヲコエテと産駒のフランドールについて
出走したレースの中で船橋市内の競馬場で行われたレースでは全て勝利をおさめているトキヲコエテと無敗で13勝の怪物として伝説を創ったフランドール。この両者がもしも同じタイミングで中山競馬場でレースを行った場合、どちらが勝つのかという議論がファンの間で長年交わされている。「もしも」の話でしかないのでどうなるかはわからないが、筆者はトキヲコエテが勝つと考える。