それでは……駄目だッ

発言者:角鹿 彰護(蛆虫)


角鹿彰護という人の姿を借りた修羅が産声を上げた、その瞬間




そして――警察病院で角鹿は五年ぶりに昏睡状態から目覚める。
しかし男に生還への喜びはなく、ただ一人死ねなかった事への無情さを乾いた心で見つめるのみ。
後遺症も残らず、リハビリで肉体自体は回復に向かっていったものの、その魂は焼き尽くされた瞬間のまま朽ちていた。
親類、友人、恋人……五年の歳月と死せる心はそれらとの繋がりを失わせていく。
社会復帰の意欲もなく、廃人同然となった彼を慰留する者もなく、彼は警察官の職を辞した。

何も育むことなき不毛の灰、それが現在の角鹿彰護を構成する全てで、この先心動かされることは何もない、はずだった

彼は、自らが現場に臨んだ五年前の連続婦女誘拐事件……その顛末とその後に起こった出来事を知る。
―――拉致被害者、現場にいた数千人の男性とともに全員死亡。
―――犯人グループ、消息不明。
―――日本警察世紀の失態、SAT突入失敗。
地獄の記憶がまざまざと脳裏に蘇る。
だが、その後起こった旧架上市における異変災害及び、国土上からの抹消。それにまつわる政府および警察の表明を目にした角鹿の心は、初めて反応を見せた。
『旧架上市で発生した、あらゆる過去および今後の犯罪に関して政府は関知しない』という記述。
つまり、自らが関わったあの事件は、永遠に闇に葬り去られた。
誰の手によって、何のためにあの地獄が創り出されたのか。真相を明らかにしないまま。
そして五年という歳月が、それを糺そうとする声を日常へと埋没させてしまった。

凌辱され、八つ裂きにされた娘達。絶望的な状況下で殉職していった仲間達。その無惨な死を顧みる者は、誰もいない。
だがそれも既に、警察官ではなくなった角鹿にとっては関わりのないこと……

「……駄目だ」

───では、なかった。無感のはずの彼の精神が、耐えがたい苦痛を発している。
あの真相が埋もれたままでいると考えただけで、あの地獄を生んだ人間が生きているというだけで、臓腑は暗い憎悪に煮え滾った。

「それでは……駄目だッ」

それは、生き場のない憎悪であり憤怒であった。
かつて信じた正義の為でもなく、守護を誓った人倫の為でもなく。ただ、それを認めない(・・・・・・・)という個人の執着だけがそこにある。
どんな精神も育まないはずの灰の中から、何者かが不気味に立ち上がった。
怨嗟の呻きを上げ続けるそれ(・・)は、だから人間ですらなかったのかもしれない。

尽きぬ憎悪を糧に憤怒の回転を続けるだけの、壊れるまで止まらぬ凶暴な機械――
そんなものとして、かつて角鹿彰護であった何か(・・・・・・・・・・)はおぞましい産声を上げたのだった。




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最終更新:2023年07月16日 22:47